メルヘン地獄 その六 EOE
作:tomoタン








その日、僕はいつになく早起きだった。午前六時には目を覚まして顔を洗い、リビングへ出る。昨日は明日に備えると言うことで全員早く寝たのだから、いつもよりも睡眠時間は長いくらいだ。緊張でなかなか寝付けなかったが、いつもの数時間前に床に入ったのだから、それでも頭が冴え渡るくらいによく眠ることができた。ネガティブな夢を見ずに済んだのは幸いだった。

僕がリビングへ出ると、既にアスカもカヲルも起きていて、アスカはカヲルが作った朝食を食べている最中だった。

僕はカヲルに勧められるまま、アスカと同じように彼が作った味噌汁を啜り、一膳のご飯を口にした。アスカ仕込みのカヲルの料理の腕はここ数日でめきめきと上達の一途を辿っていたが、今日に限っては味はさっぱりわからなかった。でも、とにかく何か食べておくことは重要だ。文字通り腹が減っては戦はできない。

食事が終わるまで、誰も一言も口を開かなかった。使徒であるカヲルでさえ、一様に緊張感を湛えた表情をその顔に固着させている。カヲルはどんどん人間臭くなっていく。既に綾波レイよりもずっと人間らしいかもしれない。だから僕はカヲルに対してはもう警戒感を抱かずに済んでいた。きっと、カヲルは最後まで僕の味方をするだろう。それを確信できたのは一昨日の夜だ。ベロベロに酔ったカヲルは自分がどんなに人間存在をうらやましいと思っているか、自分が人間として生まれなかった不運をいかに悔しく思っているか涙ながらに語ったからだ。その後全裸で暴れて寝ゲロを吐いて朝まで葛城亭トイレに篭城しやがったのはお慰みだ。そこまで酒に酔って嘘をつく奴なんていない。本音を聞き出すには昔から酒の席と相場が決まっている。カヲルは妖怪人間だった。きっと誰よりも人間でありたいと思っているのだ。だから僕は最後の最後にカヲルを信用してみることにした。

後方の憂いはもう何も無かった。リツコさんが仕掛けたウイルスと呼ぶには高機能すぎるワームプログラムが本日正午に一気にMAGIシリーズを犯す。今日の戦争は常に情報の多い方が勝つのだ。事前に戦略自衛隊や政府関連の動きを察知し、ゼーレを監視していた僕らはその意味で圧倒的優位にある。情報機能の中枢を一気に麻痺させた場合の敵軍の被害は計り知れない。CPU制御の機器は全て硬直し、地上軍以外のいかなる機能も奪われる。本部制圧部隊以外の戦略自衛隊は完全な盲目状態に陥って混乱するだろう。

加えて、ミサトが訓練の名目で行った全職員避難経路確認はまだまだ記憶に新しい。犠牲者は最小限で済むはずだ。僕がビデオで見た劇場版EOEの凄惨を極めるあの光景が訪れることは無い。戦略自衛隊のネルフ本部制圧作戦は今日午前十時にMAGIによって明かされ、訓練通りに避難できれば、十一時までに全職員の退避が完了する手はずとなっている。火炎放射器の炎と同時に上がる女性の悲鳴は僕の耳にまだ残っている程インパクトのある描写だった。あんなものを実際に現実で行われてたまるものか。僕は一人たりともネルフ職員に死んで欲しくなかった。数ヶ月もここにいれば、大抵の人間と顔見知りである。エヴァパイロットと言うことで、僕は出会う人みんなに声を掛けられる。見知った顔の無残な死体など見たくは無い。僕は軍人じゃない。割り切れるものか。

戦闘訓練を受けた職員はミサト指揮下で格納庫へのルートと、MAGI本体と、メインシャフト直通エレベーターのみを確保する。それ以外の場所には十一時三十分の段階で予め防火壁と対侵入用の隔壁が閉じられ、どうしても手薄となる箇所には硬化ベークトを注入して物理的に完全遮断される。今後のことよりも、今日の戦いを凌ぐことが最も大事なことだ。侵攻ルートの特定にも繋がるのだし、僕らはけち臭いことは言わないことにしていた。

戦略自衛隊の地上部隊を地の利で抑え、本隊の情報機能を麻痺させることで、ゼーレは確実にエヴァ量産機の出撃に踏み切るだろう。ゼーレの考えは少し想像すれば容易に推測ができる。エヴァは使徒のコピーだ。エヴァに対抗できるものは同じエヴァか、それとも使徒くらいのものなのだ。だからネルフとしてはエヴァを出さざるを得ないのだ。そして、そうすればそこでサードインパクトを発生させれば目的は果たせる。ネルフの制圧など、エヴァ出撃を促すだけの刺激の一つに過ぎないと考えているはずだ。そこが僕らの付け込むべき隙である。ゲンドウ経由でゼーレにはカヲルの死と言う虚偽の報告が出ているはずだ。ゲンドウはミサトとリツコさんを信用していないが、MAGIは信用しているのだ。機械は口ごたえも反抗もしないものだからだ。そしてゲンドウはリツコさんを舐め過ぎている。今既に裏切っているなんて考えてはいないのだ。だからリツコさんの虚偽の報告を簡単に信用した。綾波のスペアを少し弄った死体を渚カヲルのものだと信じ込んだのだ。

精神衛生上あまり良くないその大博打は大成功だった。僕としても、綾波の姿をした肉の塊を外科的に弄って死体に見せかけるなんて外道の行いだと強く思う。でも、奇麗事を言っている場合じゃないのだ。カヲルの生存がゼーレに伝わっていたら、僕らのプランは全部お釈迦になってしまう。だってそんな展開は僕は知らないのだ。リツコさんは綾波が次の自分に体を譲る気が無いのだし、ただの肉の塊なのだから気にするなと僕に説いたが、多少の罪悪感は消しようが無い。甘っちょろい感傷だと言われたが、僕は僕の感性をそれほど悪く無いのだと思っている。これはアスカには教えていない裏幕の事実だ。でも、僕は一生アスカに教えないだろう。そんなのは知らなくたっていいのだ。

カヲルはそう言う事情から葛城亭から出るわけに行かず、一度も零号機とのシンクロを試していないので、僕はその点は少し不安だったが、カヲルが言うにはそれは大丈夫だと言うことだった。零号機にインストールされている魂は綾波レイの欠片なのだそうだ。不完全な魂の欠片しか入っていないから、綾波はシンクロ率が低かったのだとリツコさんが説明すると、カヲルはますます自信を持ってそれなら全く問題無いと断言した。カヲルは零号機とシンクロせずに融合することで零号機を制御するつもりなのだそうだ。そんなことができるなんてさすがは使徒だなと思ったが、理屈はさっぱりわからないので不安は少しだけ残った。

アスカも概ね自信満々のようだった。エヴァ量産機はダミープラグで制動する半ば使徒のようなもので、コアを破壊するまでは絶対に動きを止めないと言う話をすると、それは使徒そのものだと指摘し、使徒との戦いは十八番だから任せておけと言い切った。今まで複数体の使徒と戦った経験はほとんど無い上に数の差は倍以上だ。要するにバルディエルが九匹いるようなものだ。僕はそんな不利な戦いにアスカを向かわせることを躊躇ったが、アスカは手伝えと自分に言ったのは誰だといって詰め寄ってきたので、遂に僕は折れるしか無かった。本当はカヲルだけに任せたいくらいなのだが、真摯なアスカの目を見ているとそれ以上はとても言えなかった。知らない間にアスカは随分大人になっていた。

そんなこんなで過ぎ去った忙しい一週間は遂に終わりを迎え、問題のEOE当日の朝がやってきた。僕が胃袋にご飯と味噌汁を放り込んだ時点で、ミサトも起き出してきた。やっぱりミサトも無言で、緊張した面持ちだった。午前九時に揃って家を出てネルフに向い、十時に、僕らネルフの下っ端達は共謀してネルフとゼーレと…この世界全部を転覆させる大作戦を決行する。これは最後の食事となるかもしれない。さすがのミサトも、そんな時におちゃらけることはできないようだった。

しばし、皆で黙ってお茶を飲む。

「本日、ようやくこの日がやってきました」

僕は飲み会の幹事のような調子で、皆を見回しながら言った。皆緊張で押し潰されそうだった。僕だってそうだ。僕は口を開き、話すことで落ち着きたかった。

「少ない準備期間で、僕らは僕らが出来得る最大限の努力を払いました。僕はこの作戦の成功を確信しています」

そんなのは嘘だった。だが、僕はそう言いたかった。言わなければならないと思ったのだ。ここにいる中で最も長く生き、色んなものを見てきた僕が皆に安心と自信を与えるのは当然の行いで、それは義務ですらあるのだ。だから僕は敢えて断言した。この作戦は絶対に成功するのだと。

「色んなことがあった一年でした」

実際僕がここにいたのは数ヶ月だが。

「僕は辛い目に会いました。僕だけじゃなくみんなそうだったと思います。僕は変わりました。みんなそうだと思います。みんな変わった。どうせなら、世界ごと変えてやろうよ! 僕らが、僕らの為に生きていける世界へ!」

話しながら、僕は自分語りに徐々に酔っていった。場の空気に呑まれたかのように、誰も何も言わなかった。僕は勢い良く立ち上がった。椅子が僕の足に当たって倒れ、けたたましい音を鳴らした。僕はもう気にしなかった。

「お前ら、何かに縛られてんだろう。その呪縛を断ち切る総決算の日が、今日この日なんだ! 不渡り出すな、赤字出すな、ノルマが何だ! 倍こなせば黒字だ! 今日僕らの人生を黒字に転換させるんだ!!」

僕は思いっきり机を叩いた。ドンと言う音がして湯のみが倒れ、底に少し残っていたお茶が零れた。異様な雰囲気は若干の興奮と高揚感を漂わせ始めていた。その場にいる誰もが真摯な顔で僕を見ている。

「ここはメルヘンな場所だよな。巨大ロボットに巨大怪獣に秘密組織に天才少女に妖怪人間。挙句の果てには人類の命運を掛けた大計画ときたもんだ。アホ臭くて、馬鹿馬鹿しくて、でも、それは呆れるほど生臭い現実でもあるんだ。僕らは地獄の中でもがいてる餓鬼みたいなちっぽけで、どうしようもなく哀れなチンカスだ。でもな、チンカスにはチンカスなりの誇りとか、意思とか、生きていくだけの理由があるんだよ。頭おかしいジーちゃんに人類の行く末決めてもらわなくたってさ」

僕はエヴァに乗ることで稼いだこの貯金で一戸建てを買う。家族みんなで住める、庭付きのでっかい奴を、だ。犬と猫も飼おう。それからまた営業職につくのだ。今度は40までに部長職になってやる。目指すは役員だ。アスカも自分の夢を考え始めてる。カヲルも人として生きるからにはそのうち考え始めるだろう。綾波やミサトは何を夢見るのだろうか。リツコさんは凄くリアルで生臭い戦う理由を持っている。加持だってミサトに言えなかった言葉を言いたいだろう。僕らは誰かに面倒見て貰わなくたって何とかかんとか、いっぱいいっぱいになりながらも生きていけるのだ。相当運が悪くなけりゃ寿命が来るまで生きるだろう、こんなメルヘンな地獄の中でさえ。あの自分勝手の女王、碇ユイも言っていたではないか。生きていけるなら、そこは天国になりうるのだと。そこが地獄ならば、天国に変えてしまえ。地獄の鬼も裸足で逃げ出すような天国に。

「だから、僕は今日、全力で戦うことを誓う。そんで絶対生き残るぞ。死ぬもんかよ! みんなも絶対死ぬなよ!」

ミサトがパチパチと拍手する。ついでアスカをカヲルが同時に拍手を始めた。3人はやがて立ち上がって拍手し始めた。みんなのぼせたような軽い興奮状態にあった。数分間、その小さな拍手は続いた。僕は黙って倒れた椅子を直し、こぼしたお茶を片付けようとすると、アスカが布巾でこぼれたお茶を拭いた。そしてカヲルがお茶を入れなおしてくれたので、僕らはまた静かにそれを飲んだ。興奮が去ると同時に、僕らは閃く白刃のような冷静さを得ていた。僕らは本気で、痛々しい程真剣に、世界を変えてみせるのだ。言外の決意が、テーブルの上で踊っていた。

あと三十分で、家を出る時間だ。僕は唇をそっと噛み締めた。






多少の混乱はあったものの、職員の退避は速やかに行われた。発令所を占拠した僕らは既に姿の見えない碇ゲンドウの所在を冬月副司令に確かめた後、着々と戦略自衛隊迎撃作戦を進めた。ミサト指揮の元、予め話を通しておいた戦闘要員達が素早く装備を整え、配置に付く。後手を踏まない限り、装備の面で戦略自衛隊にネルフが遅れをとることは無い。ここは人類の最後の砦と呼ばれた場所なのだ。負けているのは実戦経験だけだが、僕らは守る側であり、立てこもる側だ。量産型エヴァの撃破と同時に相手が撤退、または投降するのは間違い無い。持ちこたえればそれでいい。こんなに有利な戦いなど無い。

そこかしこにバリケードが組まれ、半分だけ閉められた隔壁や防火壁の影に人員が配置されていく。ミサトは本当に有能だった。まるで既に敵の動きが見えているかのように、予測し、推測し、的確に人員を整理し、統合していく。戦意の薄かった戦闘要員たちは、ミサトの熱い、でも、実は僕の朝の叫びの丸パクりの演説で士気を高めつつある。ミサトは生来の扇動者かもしれない。

リツコさんも、今すぐにでもMAGIシリーズ制圧が可能な状態でマヤさんにそれを引継ぎ、今は僕の後ろでボディスーツを着用している。僕も僕の体力でできる最大限の重装備を整えた。P90と言う28弾と言う装填数を誇る大振りなハンドガンで武装し、全身を覆う軽い素材のボディスーツで身を包み、ヘルメットをかぶった。銃とスーツの重みに少し戸惑ったが、碇シンジの体は思った以上に鍛えられていて、まだ数時間は音を上げることは無いだろう。

「シンジ、それかっこいいわね」

既にプラグスーツを着込んだアスカが、僕の肩を叩く。慌しい中の清涼剤のように感じる。アスカはいつものアスカのままだった。僕の切迫した気分が幾分か和らいでいくのがわかった。力んでもいい結果が出るとは限らない。もう少し僕は楽な気分でいるべきだった。

「いいだろ。特注品だぞ」

だからおどけた調子で僕はアスカに応じた。

「ま、アタシの戦闘服はこのプラグスーツよ。アンタが来る前に全部終わらせてやるわ」

「量産エヴァかなり強いぞ。ぞろぞろいるし。変な槍に気をつけろよ。ATフィールド貫通する特性があるらしいから」

「わかったわ。避けりゃいいわけね?」

アスカは真剣に頷く。僕はアスカの目を見ながら一つ一つ噛み含めるように言った。

「ATフィールドを過信すんな。一匹一匹確実に磨り潰すんだ。カヲルは多分刺しても死なないから盾にしていいぞ」

もう誰も僕が見てきたかのように話すことに対して違和感を訴えなかった。それだけ緊迫し、みんなの心に余裕が無くなってきている。緊張感は張り詰めた墨壺の糸のように黒い墨汁を含んでじりじりと軋んでいた。覚悟なんて言葉だけだ、誰もが自分が死ぬかもしれないって事実に驚いている。でも、そんな私的な言葉は誰もはかなかった。みんな気丈だった。

「酷いなぁ、シンジくん。僕だってコアが潰されたら一応は死ぬんだよ?」

カヲルが少し顔を顰めて僕とアスカの会話に口を挟んだ。僕はカヲルの胸を一回ドンと突いた。

「アスカに何かあったらお前のコア絶対にぶっ壊すからな。命賭けてアスカ守れよ」

「わかってるさ。君の愛娘は責任を持って預からせてもらうよ」

僕とカヲルはお互いの右腕の握り拳をゴツンと合わせた。3日前に戦意高揚の為だなんて無神経なことを抜かしてミサトが持ってきた戦争映画の中のワンシーンで交わされた、戦友同士の合図だ。それはお互いに命を賭けると言う誓いなのだ。アスカはそれを醒めた目で見ていたが、僕は気にしなかった。要するにアスカは死ぬ気なんて全く無いってことなのだ。それはいいことだ。悲壮な覚悟で望むより、ずっとずっといいことだ。

リツコさんがシャコンと言う音を立てて拳銃の中に発射されるべき弾丸を込めた。僕もそれに倣った。まず僕らのやるべきことは、地下、メインシャフトの最深部へ向かうこと。リツコさんの仕掛けたワームプログラムは狙いどおりにオリジナルMAGIをクラックしようとした瞬間、OSを飛ばされて沈黙した。もし、今後二時間以内に復旧できたとしても第二のトラップがMAGIシリーズを襲う。現代の航空部隊はCPU制御で爆雷の投下を行うものが大半なので、N2兵器による攻撃はこれでほぼ無効化したも同然だ。また、精密な爆撃と艦砲射撃も使用を封じることができただろう。CPUに頼った射撃はそれが生きている限りにおいて強力無比だが、その支援が無くなった途端に旧来の手動射撃に転落する。地上軍が展開してしまった今となっては安易にそれを使うことはできない。同士討ちとなる可能性が高いからだ。ネルフの主戦力は無人の兵装ビルや迷彩ミサイル発射台なのである。リスクにリターンが見合わない今、重火器による攻撃はありえない。

だが、地上軍と制圧部隊の展開はさすがに早かった。プロの軍隊とは予想以上に恐ろしい集団であるらしい。既に塞ぎきれなかった出入り口や通気口から本部制圧の為の特殊部隊が侵入しているとの報告があった。僕とリツコさんがそれに出くわしたら高確率で死ぬことになるだろう。それを意識すると膝が震えそうだったが、アスカの前で弱い姿を見せるわけにはいかなかった。誰にも不安を抱かせてはならない。

途中まではアスカとカヲルと、その護衛部隊と同行した。直通エレベータホールまでは同じ道のりだからだ。カヲルが同行している以上は、絶対安全である。アスカが特殊部隊と出くわすような事態となったとしても、カヲルのATフィールドがその凶弾からアスカを守る。しかし、エレベータで別れた後は、僕とリツコさんを守るものは何も無い。ただ、先制攻撃で相手を殺しきるか、それとも出くわさないのを祈るばかりだ。

エレベータホールに到着し、僕らは方針を確認した。ミサトの連絡で、既に二人死者が出てしまったとのことだった。僕は一瞬泣き出しそうになったが、唇を痛いくらいに噛んでそれを我慢した。二人死んだ。僕の知り合いかもしれない人間が。そして、人は死ぬのだと言う事実は僕らの精神に大きな打撃を与えた。まだ、ミサト指揮下の戦闘要員は持ちこたえてくれている。生粋の軍人相手に二人の死者を出しただけで進行を食い止めているのだから善戦していると言えた。でも、そんな考え方はクソ食らえだ。人が死んだ。人が死んだのだ。病気でも寿命でもなく、突然殺された。そして僕らも同じように殺すだろう。そんなのクソ食らえだ。現実は僕らに対して本当に容赦が無い。

「シンジ…早く上がってきなさいよ」

「できるだけ急ぐよ。量産エヴァアスカだけに任せちゃおけないからな」

「…死んだら殺すからね」

アスカは泣きそうな顔で意味のわからないことを言う。ここから僕とリツコさんだけはATフィールドの庇護化から外れるのだ。死ぬ可能性は十分ばっちりしっかり存在する。正直言って怖かった。死ぬほど怖い。でも、泣き出しそうなアスカに、そんな顔なんてできるものか。僕は大人だ。子供を不安にさせてはいけないのだ。

「うん、死なないようにする」

僕はできるだけ自然に微笑できるように表情を作って笑った。それはきっと不自然じゃなく、心の底から微笑んでいるように見えていたと信じたかった。実際は青ざめていたとしても、アスカには僕の心がきっと伝わっているのだと半ば無理矢理に信じ込んだ。

「絶対よ?」

「ああ、絶対」

僕はアスカの頭をくしゃくしゃになるまで撫でまわして、その感触をこの手に覚えさせた。アスカの頭を撫でるのがこれで最後になるかもしれないなんて、考えてはならないことを思わず考えてしまう。僕は生き残らなければ。生き残らなければ、誰がアスカの頭をこうやって撫でるって言うんだ? 他に誰もいないじゃないか。そして、僕にとってもこの世界でアスカはただ一人だった。ただ一人の、突如として現れた僕の娘だった。愛しい娘なのだ。まだまだ全然足りない。足りないのだ。生意気盛りのこの小娘をもっともっと叱ったり誉めたりしたいのだ。とりわけ、撫でてやりたいのだ。嬉しそうに微笑む顔が、見たいのだ。

アスカ達と別れ、僕はリツコさんと二人でエレベーターに乗り込んだ。メインシャフトの最深部まで到達するには、この制御機器にカードキーを差し込む必要がある。当然、それはリツコさんが所有していた。ピッと言う音が鳴って、エレベーターは音も無く動き出す。

僕は遂に涙をこぼした。そうするつもりは無かった。だが、アスカの姿が見えなくなると同時に、堪えていたものが決壊したかのように自分の感情を抑えきれなくなっていた。低く押し殺した嗚咽は当然のようにリツコさんにも伝わり、リツコさんは僕を労わるように背中を撫でてくれた。

「今生の別れになるかもしれないと思うと…辛いわね」

「…本当に…。…僕にはね…家族が…あいつだけなんですよ…前は…身内もみんな…死んじゃって…家族とかいなかったし…娘が欲しかったから…だから嬉しくて…嬉しくて…あいつには父親が…必要で…僕なんかが…こんなのが…父親になれるかなんて…わからないけど…でもね…でも…僕は…僕は…そうなりたくて…」

僕は嗚咽を噛み殺しながらリツコさんに向かって心情の一切を吐露していた。リツコさんは黙って僕の話を聞いた。僕は止まらなかった。

「…僕は…死ねないです…死にたくないんじゃなくて…死ぬわけには…いかないんです…僕が死んだら…あいつ一人になっちゃうじゃないですか…あいつ馬鹿だから…また捻くれそうで…ほんとどうしようもない馬鹿だから…でも…あいつはきっと…いい女になるんですよ…だから…僕は死ぬわけにはいかなくて…こんなのは…怖いですよ…こんな怖いこと…生まれて初めてですよ…」

「…そうね」

「…っ…う…すいま…せん…」

「いいのよ。シンジくんはアスカちゃんのお父さんになりたかったのね。だから…怖くてもこんなことまでするのね。私はそれは立派だと思うわ。きっと私よりずっと…」

「…ありがとう…ございます」

リツコさんは僕の頭をそっと撫でた。僕を子供扱いしているのがわかる。でも、それでもいい。素直に吐き出して少しすっきりした。そして自分でも思っていた以上にアスカを愛しちゃってるんだなと思うとおかしな気分になった。アニメのキャラクターだったはずなのに、単なる一つの記号だったはずなのに、アスカは僕にとって無くてはならない一片のピースだった。このメルヘンな地獄は僕にとって紛れも無い現実そのものだと、僕は再び強く思った。僕はアニメキャラの惣流・アスカ・ラングレーを愛しているのではなく、生身の、聞き分けの無いワガママ娘の、そして僕の愛娘であるアスカを愛しているのだ。アスカの将来が心配だった。アスカに未来を与えたかった。あんな救いの無いEOEラストシーンではなく、当然続くはずだった彼女の華々しい未来を。

僕は今、人を殺せる覚悟を得た。アスカの未来を切り開く為ならば…

僕はどんなに壊れようと構わない。その礎となっても構わない。

構わない。









白いエヴァはシンジが口走っていた通りの姿をしていた。ウナギ。もしくはナマズ。つるんとした頭部に禍々しい印象を与える歪な口が、人間で言うところの耳まで続いている。体の線はアタシの弐号機と同じように、いやそれよりも少しシャープだ。手に持った巨大なナタのような刀剣が、シンジの言う「槍」だろうか。それにしては変な形状をしている。槍と呼称するには少々幅広すぎた。

渚カヲルが使徒なのだと言うことを実感したのは格納庫でのことだ。零号機の肩にふわりと、まるで重力と言うものを感じられないかのように一足で飛び上がり、そして零号機の頭部装甲を撫でた途端に、零号機はまるで意思を持った巨人のように咆哮した。それは目の前で起こった奇跡だった。アタシは少し見惚れた。普段あまりにもグウタラだし煙草はどこでもスパスパ吸うしシンジよりずっと酒癖が悪いし、どう見たってちょっと顔がいいだけの凋落男にしか見えなかったのに、今の姿は神々しくさえあった。これが使徒の力なのだ。天使の名を冠する存在の力なのだ。

でも、アタシは気後れするわけにはいかない。アタシはシンジに約束したのだ。シンジはアタシに約束したのだ。必ず生きて戻って再会しようと約束したのだ。何が何でも生き残って、また頭を撫でてもらいたい。あの少し気恥ずかしくて、心地よくて、そして何よりも嬉しい瞬間をもう一度。いや、一度だけじゃなくて何度だって。

だからアタシは不気味な白いエヴァと対峙しても、ほとんど恐怖を感じなかった。この憎い畜生めがと闘志が湧いてきた。シンジは今、命の危険を冒してまで、ファーストの元へ赴いている。でも、それはきっとアタシに為にしてくれるのだ。シンジはそう言ったのだ。だからアタシは目の前の、自分の任務にだけ集中しなければならない。

零号機は、ファーストが乗っていた頃のような緩慢さを一切感じさせない獰猛な肉食獣のような動きで、白いウナギエヴァのうちの一体に食らいついた。ウナギエヴァのうちの三体が零号機に殺到し、あの槍とは呼べない大鉈を振りおろす。零号機の展開するATフィールドは三度の斬撃で切り裂かれるが、カヲルの展開するATフィールドを貫くには至らない。

アタシは零号機の元へ走り、掌に集中させたATフィールドで量産エヴァの一体の、大鉈を持った腕を切り裂いた。さしたる抵抗もなく、アタシの一撃は量産機の腕を切り飛ばし、その武器を失わせる。ダミープラグが何だって言うのだ。こちとら百戦練磨…とまではいかないものの歴戦の勇士である。人工知能如きに遅れはとらない。返す刀でもう一体の首を飛ばし、その腕から大鉈を奪い取る。

カヲルの零号機も、アタシを見習って一体から大鉈を奪い取った。量産エヴァはアタシ達のエヴァに比べれば全く動きが緩慢で、まるでファーストとシンクロしている零号機のようだ。アタシとカヲルの駆る零号機の動きに全くついてはこれない。数では負けていても、機動力では大差で勝っている。このままかき回し続ければ最悪でもシンジが来るまで持ちこたえるのは容易であるように思えた。

しかし、さすがにシンジとカヲルの言うように、量産エヴァはしぶとかった。腕を切り飛ばされればわざわざ拾いにいって一瞬で接合し、首を飛ばしても数分の間に再起動する。数で勝る彼らはこちらを包囲し、常に同時に攻撃を仕掛けてきた。腕でも飛ばされようものならその時点でアタシは戦力外通告間違い無しだ。その点、消耗戦を挑める白いエヴァ達は強力無比な連携と言えた。このままでは不味い。集中力が切れた瞬間に、アタシはやられる。

いや、カヲルが臨機応変にATフィールドを張り分けていなければ、もう致命的な一撃を何度か入れられていたかもしれない。シンジが心配する通りだった。こいつらは手強い。あの圧倒的で、シンジが変わる切っ掛けとなった使徒にも勝るとも劣らない。素直に死んでくれた他の使徒達が優しく見える。

「カヲル、まだまだいける?」

「なかなかキツイものがあるね」

何しろ数が多いのが厄介だ。一体切り伏せても、他の奴がきている間にソイツが復活する。時間差がある分、あの二体に分離する奴よりはマシだろうが、こちらの体力は生憎と無限ではない。この消耗戦の流れは非常に不味い。もしも弐号機に電力を供給するアンビリカルケーブルが切られてしまったら、アタシは五分で戦線離脱確実だ。初号機と違って弐号機にはS2機関は内臓されていないのだから。それどころかエントリープラグを貫かれれば、アタシは死ぬ。確実に死ぬ。

約束を守れないと、シンジに叱られる。嫌だ。アタシは誉められたい。何としても、ケーブルが切断される前に倒すのだ。

アタシの振るう大鉈がまた一体、量産機の顎から頭を切り上げる。緑色の体液を噴き出しながら量産機の一体が仰向けに倒れた。復活を許すわけにはいかない。エヴァは胸の奥にコアがある。それを潰さない限り、S2機関と再生機能を内臓したこいつらは永遠に復活する。アタシは背中合わせの零号機から離れることを一瞬躊躇したが、このまま倒れているエヴァにとどめを刺すと言う魅力的な選択肢に勝てなかった。

踏み出し、振りかぶり、振り下ろす。渾身の力を込めた一撃は倒れた量産機の中心部を叩き割り、中のコアを粉砕した。ついでに思いっきり放射したATフィールドが細切れになるまでその量産機を切り裂いた。やった。これはさすがに再生の余地が無いだろう。跡形残らず肉片と化した量産機を踏みつけて、アタシは小さくガッツポーズした。まず一体。残り八体。

「アスカちゃん!」

え?…と思った時はもう遅い。零号機によってカバーされていたアタシのアンビリカルケーブルはあっけなく切断されてしまった後だった。エマージェンシーコールと内部電源切り替えを告げるアナウンスが流れる。欲を出したのがいけなかった。これでアタシは五分後に高確率で死ぬ。

「不味いわね…やっちゃったわ」

不思議と、恐怖感は無かった。あるのは、ある種の諦めと、諦念を含んだ闘志だった。

シンジとの約束は…守れそうにないな。シンジ、アタシを叱るかしら。それとも、良く頑張ったって誉めるだろうか。とにかく、ギリギリまで、精一杯やろう。それで死んだとしても、シンジは怒らない。きっと泣いてくれる。そう信じよう。不本意だが、仕方無い。五分以内に全てを倒してしまおうなんて欲目を出せば、きっと零号機まで危なくなる。そうしたらシンジが目指した未来は無くなってしまう。そんなアタシをシンジが誉めてくれるとは思えない。

だから…せめて、最後まで。一体でも多くの量産機を道連れに。

お願い弐号機。…ママ。力を、貸して。







綾波レイは僕が知っている原作と同じく、全裸でそこにいた。リツコさんと僕が突きつけた銃口の先に、ゲンドウはいた。普段の威厳はどこへやら憎々しげに僕らを睨みつけるゲンドウの姿は哀れなピエロのようで、滑稽ですらあった。その右手で蠢くアダムと言う名の不気味な胎児。そいつはまだゲンドウの元にあった。

本当は間に合っていなかった。だが、綾波レイはゲンドウとアダムを拒んだのだ。そのこう着状態の中に、僕らと言う闖入者が現れた。ゲンドウにとっては心底予定外で、計画の外の寝耳に水な闖入者だったのだろう。その驚きようは笑っちゃうほど大慌てだった。

僕らの死への不安は杞憂だった。ミサトさん達、防衛部隊がふんばっているお陰で、このメインシャフト内に入り込んだ敵はまだ居なかったのだ。だから僕とリツコさんは順調に行程を踏破し、この最後の場面に乱入することができたのだ。

「銃を捨てて伏せろ、碇ゲンドウ。あんたの目論見は終わりだ。碇ユイにゃ絶対会えない。どうしても会いたいなら懐の鉄砲で頭撃ったらいいんだ。少しは現実見て生きてみる気ないのか? ゼーレのシナリオもすぐぶっ潰してやる。世界を変えるのは僕たち次世代の使命だ。じじいは大人しく退場して後は黙ってボケてりゃいいんだ」

僕の決め台詞は、セリフほどに格好がついていなかった。声は擦れて上擦っていて、ゲンドウに向けた銃口は小刻みに震えている。その様子を見てか、ゲンドウは徐々に余裕を取り戻しつつあるようだった。くそ、荒事にはとことん向いていないな、僕は。ハッタリ一つ、上手く言えやしない。

「綾波、こっちきてリツコさんに服着せてもらいなよ。そんな格好じゃ寒いだろ」

「レイ、そいつの言葉を聞く必要はない。お前は今このときの為にいるのだ」

「うるさいよ、負け犬」

「シンジ、お前に何がわかる。私はこのときの為に生きてきた。邪魔すると言うのなら容赦せん」

「あんたが僕に容赦なんかしたことあったかよ。あれだろ、自分の中で俺は子供を育てる資格が無いとかシンジに好かれるわけがないとか嫌われて当然だとか言い訳して、結局自分のエゴエゴエゴなんじゃんかよ。あんた的にはそりゃそれでいいと思うけどね、それも一つの生き方さ。でも、他人が納得するかどうかは別問題だわな。僕はあんたのやることに納得しないよ。あんたを止める理由はそれだけで十分だ。綾波、早くこっちに来い」

僕はさすがに頭に来て速射砲のように言葉を連ねた。痛いところを突かれたのか、ゲンドウは悔しげに押し黙った。綾波がてくてくと呑気な調子で歩いてきて、リツコさんから羽織るものを受け取った。いよいよ形勢は決定的で、ゲンドウを追い詰めた。

「綾波はサードインパクトなんかに興味無いみたいだ。読みかけの本の続きのが気になるんじゃないの? こうなると計画続行は無理だよね? さて、碇ゲンドウはその右手のキモチワルイ物体をどうするんだ」

「シンジ…貴様…そうか、リツコくん、君が裏切ったのか」

「先に私を裏切ったのは司令ですわ」

「あらあら、リツコさんにまで振られたね。で、どうするんだ。本当に懐の銃で自殺する? それともフル装備の僕と撃ち合う? 諦めて現実に生きてみる? 現実は確かに厳しいけど、でも生きられないって程でもないと思うよ。リツコさんだけはきっとあんたを受け入れるよ、どんなことになっても。少し考え直す気にはなんないの? 父さん」

「…黙れ。レイ、こちらへ来るのだ」

綾波はフルフルと首を振った。そしてゆっくり口を開く。

「嫌。私はあなたじゃないもの。私は消えたくないもの」

愕然とした表情で、ゲンドウはしばし絶句した。そして懐の銃を取り出すと、僕に向かって突きつけた。

「貴様…レイに何を吹き込んだ!」

「別に何もした覚え無いけど。あんた人望無いんだよ。自覚しなよ」

「そうか…お前が…お前が私の邪魔をするのだな。他ならぬお前が!」

「そう…あんたが憑依に選んだこの僕が邪魔をするんだ。でも、厳密にはあんたの息子じゃなくて、この僕が、だ。視聴者なめんなよ」

「戯言を…言うな。お前に父が撃てるか」

「撃てるね。…覚悟はある」

ゲンドウはニヤリと笑った。そして銃を下ろす。僕の目が据わりつつあるのを察知したのか、それとも僕の覚悟に心を動かされたのか。まぁ、どうせ前者だろうけど。

碇ゲンドウと言う男は口だけのエゴ人間だった。自分の為に、自分の為の、自分の為がだけ大事な男だった。僕は少々ガッカリだ。一本筋の通った冷静な狂人だと思っていたのに、そこにいたのは僕と同じく矮小なオッサンだった。ただ、今の僕には守るものがあって、彼には無理をするだけの理由が無いのだ。そこにしか違いは無いのだ。彼の計画は綾波の離反によって根本から瓦解し、霧散した。だから彼は無理をして死ぬ理由が無くなった。次の機会と手段を考えねばならなくなった。だから銃を下ろしたのだ。きっと僕がゲンドウだったとしてもそうするだろう。

…と、言うのは僕の深読みでしかなかった。ゲンドウは僕の目が安心したのを確認するや否や、僕に向かって再び銃口を上げ、躊躇いなく引き金を引いたのだ。二発ボディスーツに着弾し、一発が僕の頬を掠めた。僕は咄嗟に持っていた銃の照準をゲンドウに定め、引き金を引いた。

二度目の、人間へ向かっての発砲だった。またもや、ゆっくりと見えるブローバック。そして射撃対象であるゲンドウは狂気としか思えない笑みを口元に貼り付け…

目の前に白いものが横切る。ボディスーツの上から白衣を羽織って、これは私のトレードマークだからと言って譲らなかった女性の姿がよぎる。僕の指は二射目を発砲する前に寸前のところでとまった。しかし、ゲンドウの発砲した弾丸は止まらない。人影が何度か揺れる。倒れ伏したのは…

ア カ ギ リ ツ コ サ ン

僕の目の前は真っ赤に染まった。怒りとも呼ぶことができない激情が僕のあらゆるものを焼き尽くす。僕は肉でできた砲台となった。正確に冷静に、そして無慈悲に、残った27発の弾丸を空になるまで撃ち尽くす。僕の視界でかつて碇ゲンドウと呼ばれた肉塊が何度も何度も跳ね踊った。

僕は弾倉が空になってもしばらく引き金を引き続けた。なぜ弾丸が発射されないのか不思議に思って、ようやく弾がなくなったことに気付いた。弾倉の交換は…必要無い。碇ゲンドウは血だまりの中に倒れ、もうピクリとも動かなかった。人類が総LCL化するような恐ろしい計画を目論んだ男の、意外にあっけない最期だった。

白衣の人型が身じろぎする。僕は大振りな拳銃を放り出してその人を抱き起こした。血は…出ていない。リツコさんは無事だった。そうだ、白衣をボディアーマーの上から羽織ってたのだ。ゲンドウの撃った拳銃のペネトレーションではそのボディアーマーを貫くには足りなかったのだ。でも、肋骨くらいは折れているかもしれない。僕だって今更のように銃弾を受けた箇所が焼けるように痛み始めた。

「リツコさん、リツコさん…」

「シンジくん…あの人は?」

「死んだよ。ごめん、あいつの生殺与奪権は譲渡するって言ったのにね」

冗談めかして言ったが、今にも震えだしそうな感覚だった。いや、僕は自分でそうと気付かない間に震えていた。僕は人を殺した。碇ゲンドウが蜂の巣のように穴だらけになるまで銃弾をぶちこんで、完全無欠に殺しきった。殺意を持って明確に殺す気で撃ち殺した。

リツコさんは泣いていた。

「ごめんなさいね。あなたに父殺しの罪を着せてしまったわ」

「いいんです、いいんです」

「良くないわ、こんなに震えて…ごめんなさいね。ごめんなさい…でも、ホントは…」

あの人に、死んで欲しくなかったの…とリツコさんは小さくうめいた。僕は大好きな人の、片想いの相手を撃ち殺してしまった。何てことだ。僕は大変なことをした。僕は大変な過ちを犯した。リツコさんは死んで無かった。ゲンドウは弾を撃ち尽くしてどうしようもなくなっていたはずだ。なのに僕は殺した。復讐心に駆られて、そして嫉妬心を剥き出しにして、殺してしまった。リツコさんがあんな奴を庇うなんて思わなかったから、だから。

僕はどうしてあんな激情が自分の身を焼いたのかそこでようやく理解した。僕はリツコさんが女性として魅力的で、好きだった。だからそのリツコさんが僕の敵を庇うなんて。

許せなかったんだ。

「ごめんな…さい…」

「シンジくんが謝ることなんて…」

「ごめんなさい…」

形の上では正当防衛だったかもしれない。でも、僕は僕の心象の中で殺人者となった。40歳過ぎてこんな間違いを犯すなんて。手が震える。手だけじゃない、全身が震える。恐ろしい。何て恐ろしい。これが人を殺すと言うことなのか。一つの人生に意図的に強制的に終止符を打つと言うことなのか。嫉妬心を除いても、ゲンドウの行いは許せない。法廷で僕が検事だったら死刑を求刑するだろう。でも、それを僕がやっちゃ駄目なのだ。それは私刑でしかない。

怒りと憎悪と嫉妬心で僕は人を殺した。何て重い。重いんだろう。僕は罪に問われることが無いだろう。それに安堵する自分がいる。しかし僕自身は僕を遠慮なく裁くだろう。僕は有罪だ。

僕は泣きながらリツコさんに謝った。リツコさんに責めてほしかった。罰を与えて欲しかった。だが、それは僕が望んではならないことだ。結果としてこんなことになった。撃ち合いになった時に一発で仕留めていれば…こんな感情は抱かずに済んだのに。…いや、それも言い訳でしか無いのだ。きっと、僕の罪はそれ程重い。

「…あ…そうだ、アスカ。アスカだ!」

でも、それ以上にもっともっと強い感情が僕に芽生えた。

「アスカに同じ思いを味合わせちゃ駄目だ。すぐ、上に上がらないと!」

量産機を皆殺しにした後は、戦略自衛隊を壊滅させねばならないのだ。それは血塗られた僕の手にこそぴったりと当てはまる仕事であって、アスカにやらせるなんて絶対に許せない。

僕は綾波にリツコのことを頼んで、銃を拾い、弾倉を交換してすぐに走り出した。既にミサトの防衛線は突破されているかもしれない。もしかしたら特殊部隊の連中に出くわすかも。でも、それが何だ。今僕は人を殺した。僕は人を殺せるのだと実証してきたところなのだ。もし出会ったら僕のほうから皆殺しにしてやってもいい。僕はそれが可能な人間だ。何せ嫉妬心で弾倉が空になるまで人体に弾丸を打ち込めるんだから。

そんなの、どうでもいい。僕の罪も今のところはどうでもいい。悔やむのは後にしよう。リツコさんへの償いも後だ。今はアスカだ。

アスカ、アスカ、僕の愛娘が、こんな罪に塗れて絶望するなんてシーンは見たく無い。見たく無い。

今行くアスカ。ついでにカヲル。お前達は汚させない。人殺しは僕に任せておけばいい。







遂に内部電源が切れた。ゲームオーバーだ。徐々にATフィールドは弱まっていく。シンクロも途切れた。外の状況もわからなくなった。非常回路の通信だけは生きていて、盛んにカヲルがアタシの無事を確かめている。今のところ無事だ。でも、一分後はどうだかわからない。

カヲルは私を守ろうとしているらしい。それがシンジとの約束だと、カヲルは必死な調子で叫んだ。アタシは約束を破ってしまうと言う風に諦めていた。でも、カヲルは諦めていない。シンジみたいだ。シンジは決して諦めない。

萎えかけていた気持ちが、より強く鎌首を上げる蛇のように執念深く湧きあがってくるのを感じた。諦めたアタシをシンジは誉めるだろうか。応えは否だ。電源が切れた。でも、シンジの初号機はその状況から何度でも動いてみせた。シンジは諦めなかった。アタシも諦めないことにした。

「ママ、助けて、ママ。電源切れちゃったけど、このままじゃアタシ、シンジとの約束守れない。それは嫌なの! 応えてママ! お願いよ!」

アタシは必死にママに向かって祈った。この弐号機のコアにはママの魂がインストールされている。ママはここにいる。アタシを見守ってくれている。だから、アタシは声を振り絞って訴えた。

「ママ! 今動かなきゃ、意味無いのよ! アタシ、死ねない! 死んだら駄目なの! それが約束なの! お願い! ママ! 一生に一度のお願いよ!」

瞬間…暗く淀んでいたプラグの中の様相が一片した。全方位ディスプレイは突如息を吹き返し、眩しいほどの太陽光がアタシの目を焼く。

そして見えた光景は…

初号機が、そこにいた。

シンジが、来てくれた。獣性を剥き出しにしたような咆哮を上げて、シンジは必死に、弐号機に量産機を近寄らせまいと細長い槍のようなものを振るっている。アタシを守ってくれている。

ママ、ありがとう。アタシ、行くわ。

シンジを助けなきゃ。










弐号機が再び立ち上がった。弐号機のコアにいるキョウコ・ツェペリンがアスカの願いに応えたのだ。エヴァは三機に増え、オリジナルのロンギヌスの槍の力もあって、僕らは一気に形勢を逆転させた。

僕の振るうロンギヌスの槍が紙くずのような量産機達のATフィールドを切り裂き、アスカのATフィールドがその隙間を縫ってコアを破壊する。反撃に出た白いウナギはカヲルの二重のATフィールドに阻まれ、また僕の槍によって貫かれる。

量産機が何度立ち上がろうが、何度再生しようが何度だって僕は槍を突き刺した。何度だってアスカはATフィールドを撃ちはなった。カヲルは何度でも僕やアスカを守りきった。

ミサトから地上部隊が撤退しつつあると言う通信が入った。MAGIの仕掛けた罠にハマったMAGIシリーズは第二のトラップに掛かるまでもなく沈黙し続けている。N2爆雷を投下することも出来なくなった戦略自衛隊は手詰まりとエヴァ出撃によるプレッシャーについに押し負けたのだ。

白いエヴァは何度も立ち上がる。

僕は何度も打ち倒す。

シンクロ率70%そこそこの僕の動きにすら、白いエヴァ達は徐々についてこれなくなってきた。逆に僕は先ほど発見したばかりの、自分の中に隠されていたおぞましい殺意を全開に振り絞って槍を振るった。

白いエヴァは数を減らしつづけ、やがて最後の一体となった瞬間に…自爆した。

それはゼーレの敗北宣言だったのか、それともダミープラグの最後の悪あがきだったのか。

最後に立っていたのは、僕達だけだった。

用意周到に罠を張り巡らせ、綿密に計画したサードインパクト阻止作戦の幕切れは、サードインパクトを画策した一人の男の最期と同じようにあっけなかった。抵抗するかのように残っていた戦車隊は、僕が全部踏み潰した。初号機を保有するネルフの力を誇示する為に。僕は冷酷になれた。罪の意識は何時の間にか吹き飛んだ。もう、今後のことを考えねばならない。今日、戦争が始まったのだ。だから、僕はアスカの明日の為に幾らでも冷酷になれる。普通の父親がそのように考えるのかどうかはわからないが、それが僕ができるアスカへの最大限の愛情だった。僕はろくでもない人殺しに成り果てたが、アスカに同じ徹を踏ませる気は微塵も無い。アスカの歩むべき道を掃き清めるのは僕の役目だ。その結果僕がどれだけゴミ塗れになったとしても…開き直れる。









僕は、勝った。EOEと、自分の罪悪感に。













後書き:

エピローグ書いたら完結。だから残り一話。何か弾けて欲しい系な要望あったが、EOEとかその寸前あたりの話でそれはエヴァ自体ギャグパロにしなきゃ無理だよと力説したい。一応、本編に沿う形なんで無理だった。やろうやろうとは思ったんだけど。でも無理だった。エヴァの風味を残しつつそれをやる筆力は俺には無かった。

EOE、書いてて燃えた。熱かった。悪乗りした。楽しかった。しかし、口に合わん人もおるかもしれん。最期のほう、書きたかった場面書いちゃったから露骨に流しちゃって消化不良かもしれない。まぁ気にスンナ。足りないとこは脳内補完かtomoタンに質問で。そう言うの含めて実力。俺はこんなもんだ。これ以下では無いけどこれ以上でもない。こんなもん。満足できない人は自分で書いてくれ。凄いの書いてくれ。俺は無難なものしか書けん。もう精一杯おなか一杯。

今週末あたりまでにはエヴァSSとしては完結できそうだと思うと妙に感慨深い。

感慨深いから真面目に後書き書いちゃったよ。テヘ♪