メルヒェン地獄 その3.12くらい?
作:tomoタン



使徒が来た。

その時が来るのはよくわかっていたはずだが、僕は実際の所、全く覚悟ができていなかったことを今、思い知っていた。油断すると歯がカチカチと鳴り始める。隣でミサトの話を聞いているアスカと綾波レイは案外平気そうなのが信じられない気分だ。普段、アスカに偉そうに対応しているだけに、この内心を悟られるのが嫌でたまらない。僕には年長者であると言うささやかなプライドがあった。額面上、碇シンジとアスカは同年代だ。だが、碇シンジの中身である僕は40年少し生きている。14歳の小娘如きに怯えを悟られるのは、僕のささやかなプライドが許さなかった。僕と言う意識は中古品だが、それなりの経験を積んだ歴戦の意識でもあるのだ。僕は震えを抑えて真剣にミサトの話を聞く振りをしていた。

今回の使徒は例の精神攻撃をやる奴だ。モケーっと謎の怪光線を浴びせて人の思い出したく無いような過去を抉り出す。リツコの言を信じるならば、それは使徒が人と言う存在を知ろうとするアクションに過ぎないようだが、そんな光線を浴びせられるほうの立場からすればそれは立派な攻撃行動である。アスカのような見栄だけで生きている小娘がそれを受ければ、やはりただでは済まないだろう。

もしも僕がそれを受ければどうなるのだろうか。サキエルの槍や、ゼルエルの光線ほどは痛く無いのだろうが、無事でいられるかどうかは未知数である。ラミエルを倒した陽電子砲もコイツには通用しない。結局、綾波レイがロンギヌスの槍を投げるまでの間、僕かアスカがその嫌光線に耐えなければならないことになる。

アスカはここ最近で落ち着きを取り戻した。しかし、本当にトラウマを克服できたかと言うと、そうでは無いと僕は思っている。碇シンジの小うるさい説教と、頻繁に起こる殴り合いと、テレビ権の奪い合いが彼女に自らの実存を意識させているのだ。僕は遠慮なく彼女に依存する。依存されることを容認する。だから彼女は葛城家を自分の居場所としつつあるのだ。ようやく、彼女は人並みに気の置けない家族を得た。また、自分を外から規定する手段を彼女は得た。そうして、彼女は自己を安定させることができた。

だが、それと辛い過去との決別はまた別の次元の話だ。いずれは克服しなければならないとしても、今の彼女は経験乏しい小娘である。子供なのだ。大人は過去を自分と切り離す方法を知っている。過去を一つの情報として記号化し、今現在の自己と関連性のある一エピソードに落とす。その作業をするには、アスカには経験が無さすぎた。

アスカが精神汚染を受ければまた元の木阿弥となってしまうような気がしてならない。なんと言っても彼女は子供であって、僕のように甘いも酸いも噛み分けてきた人生の歴戦者では無いのだから。

「じゃ、作戦スタートまで待機ね」

ミサトの話が終わった。さっぱり聞いていなかったが、どうせ衛星軌道上から降りてくる気配無いので陽電子砲あたりでちょっかい出してみようかとか、そんな話だろう。僕と初号機は凍結命令が出ていたから、出撃は無いだろうとミサトが追加した。僕は歯噛みした。そう言えばそんな話があった。ゼーレに初号機の覚醒を隠す為に、暴走事故を起こしたので凍結なーんて言う見え見えのハッタリをゲンドウが張ったのだ。

もしもアスカが精神汚染でノックアウトされれば、一応は僕の出番が来るだろう。しかし、すぐ下げられてしまうのは目に見えていた。取り込まれてからの復帰後、要するに僕がこの体に入ってすぐにゲンドウと面会したことがあるのだが、あれは本当にゾッとするような男だった。何より目が危ない。目的の為には手段は一切選ばないタイプだ。取引があったある企業の専務に似ている。そいつは昇進の為にありとあらゆる手を使うような奴だった。もし僕がこのメルヘンな世界へ来ることが無ければ、今頃は会社そのものを牛耳っていただろう。

初号機を危険に晒す気はゲンドウには無いはずだ。その為に弐号機や零号機ですら、使い捨てにするだろう。

どうにかして、弐号機を救援しなければEOEが防げないような、そんな気がしてならない。大体、もっと早い段階でアスカが戦列復帰すればネルフ本部が戦略自衛隊に落されることも無かったはずだ。エヴァを物理制圧するのはほとんど不可能なのだから。

どうしてもここでアスカを見捨てるわけにはいかなかった。

「あの、ミサトさん」

「何、シンジくん」

「僕も出撃するわけにはいきませんか」

ミサトは首を振った。

「難しいわね。初号機は今凍結中だし…」

弐号機に乗って僕が出撃すると言う手は無理だ。コアには人の魂が宿っている。僕と弐号機はどんなに調整したところで、シンクロすることは無いだろう。初号機の凍結を何とか解かない限りは、出撃すらままならない。

「ですけど、ミサトさん。使徒に負けたら人類滅亡でしょう? 暴走事故を起こしたって言ったって、今は普通に動いてるわけですし、ここは使徒の殲滅を優先すべきだと僕は思うんですよ」

「それは私も考えたんだけどね。まぁ、そうもいかない大人の事情ってのがあんのよ」

ミサトじゃ話になりそうにないな。僕は溜息をついた。原作でも、アスカがやられるその寸前までミサトは決断しないのだ。それはわからなくも無い。ここで無理に凍結解除をゲンドウに進言すれば、ゲンドウの覚えが悪くなる。作戦部長を解任されては、彼女の目的は一生涯果たされないのだから。

加持リョウジは今入院している。全身打撲と骨折と銃創で、三ヶ月は病院から出られない。あの男が死ぬと言う事態はここでは発生しないかもしれない。ミサトは彼が死んで始めて、加持の存在の大きさを思い知ったような――そんな描写は無かったものの――彼女の内心を想像すると、それはそれ程間違った推測ではないように思う。狙ってやったわけではないが、加持の入院はミサトにとって幸運となるだろう。だから、ここで作戦部長としての立場を固持しなくても僕としてはかまわないように思う。

それを説明し、説得することができないのはもどかしい思いだった。僕は大体の事のあらましを知っている。だが、他の全員は知らないのだ。まだ起こっていない出来事なのだから。

強引に出撃するべきか。…いや、それも無理だ。初号機の側からカタパルトまで操作できるわけではない。僕は初号機と共に地上に打ち出されて始めて動くことができる。それに、僕はシンクロテストとシュミレーションでしか初号機とシンクロした経験が無い。この碇シンジの体はシンクロ経験豊富なのかもしれないが、僕自身は全くそんな経験は無い。この戦いが初陣になるのだ。実際に初号機とシンクロして歩く感覚すら、わからない。

苛々とする気持ちを抑え、ぐっと息を呑む。落ち着け。まずは冷静に今ある情報と、処理できる材料を探すのだ。

しかし時間は刻一刻と進むばかりで、いくつか思いつくアイデアはどれも実現可能性に乏しかった。いいアイデアなんてとんと浮かびそうにない。

初号機のエントリープラグに乗り込む。LCLに溺れる感覚はシンクロテストで嫌と言うほど味わっている。もうそれ程苦にはならない。血の匂いは最初、吐きそうになるほど酷いものだったが、今は馴れてしまって何も感じない。まるで空気中にいるのと変わらない。コンソールの扱いも、テスト中に大体は覚えた。不安はある。と言うより心底不安だ。僕は不安を紛らわせようとコンソールを弄り、レバーをがちゃがちゃと動かして手慰みしていた。

アスカから直接の通信が入った。視界の端にWINDOWSのウインドウのようなものが開く。そこでアスカが退屈そうに伸びをしながら、「久しぶりねぇ」だの、「腕が鳴るわ」だの、能天気なコメントを言う。僕はとてもじゃないが、そんな平常心でいられなかった。

「何よあんた怖いの? もしかして」

押し黙って話さない僕に対して、アスカが意地悪く言う。全くの図星で、思わず絶句した。内心の不安を抑えて笑顔を作ってみる。その笑顔は凍りついて引き攣っていた。アスカが愉快そうに笑った。

「アタシはもう麻痺したわよ」

「何だ、アスカも最初は怖かったのか」

アスカの言葉に、やり返すつもりで揚げ足をとる。だが、アスカは大して気にも止めていないかのように首を竦めた。

「ちょっとはね」

「そりゃ意外だな。アホみたいにエヴァに命賭けてると思ってたわ」

「命賭けてるわよ、当然。でも、何か醒めちゃった」

「醒め…なんだって?」

「醒めちゃうわよ。仕事だから乗るわ。自分しか出来ないんだから乗るわよ。でも、何かね。なーんか、醒めちゃった。エヴァ降りた後どうしようかってことばっかり、最近考えてる」

僕はびっくりしてアスカの顔を見た。アスカは真顔だった。僕は不安と緊張を忘れて表情が緩むのを自覚した。

「お、ちょっと成長したな」

意外にもアスカがエヴァへの依存を断ち切ろうとしていることを、僕は素直に嬉しく思った。それはトラウマを克服しつつある証拠なのかもしれないし、依存対象を変えただけの話かもしれない。僕は神様じゃない。アスカの内心までのぞくことはできないのだ。だが、エヴァを断ち切ろうとしているのは明らかにいい傾向だと思われた。エヴァは関わる者を不幸にする、そんな魔力を秘めているように思われて仕方無いのだ。僕の反応に、アスカは少し顔を顰めたけれど、不愉快そうでは無かった。

「えらっそーに…でもね、アンタに感謝もしてんのよ。先のこととかトンネルみたいに真っ暗だったけど、でも、今は色々考えれてる」

「うへ、気持ち悪ッ アスカが感謝だって?」

「うるっさいわね、茶化すんじゃないわよ。だから、生きて戻れたら…」

「戻れたら?」

突然、ブザーが鳴った。出撃の合図だ。アスカが表情を引き締め、レバーを握り直すのが見えた。

「アンタの初号機凍結中だったわね。ま、見てなさいよ。アタシが1人でパパーっと片付けてきてやるわ」

挑戦的に、好戦的にアスカが嘯く。きっと本来の強気さであって、それは強がりでは無いのだと思った。僕は祈るような気持ちで、カタパルトから発進していく弐号機を初号機の視界ごしに見た。

アスカ、何とかこの試練を乗り越えてくれ。

その先に未来はきっとあるはずなのだ。





使徒が来た。

あの壮絶な夜から、随分と時間が経ったような気がする。以前のアタシなら、今狂喜して舌なめずりをしていたかもしれない。でも、アタシの心は弾まなかった。ただ、使徒が来た。果たされなければならない約束を果たす、その時が来てしまったのだと、そうとしか感じられなかった。

使徒など来なければいい。つい昨日の夜、そう考えたばかりだった。今がずっと続けばいいと。アタシの心はポキリと折れて、軟弱で貧弱な、まるで苺ポッキーのようになってしまっていた。萎んでしまった戦意は容易に戻る気配は無く、強がってはみたものの、内心は不安で一杯だった。

アタシは一人の男を羨ましく思っていた。そいつは呆れるくらいに素直に、自分の内心をぶちまけ、他人に自分の思うべき姿であるよう、強要する。恐ろしく頑固に、粘り強く。そいつは誉め、叱りつけ、アタシを導こうとする。アタシが望むと望まぬに関わらず、毅然と、一方的に、全面的に。アタシは最初、当然のように反発した。軽蔑すらしていた。だが、あの夜から、アタシはそいつが羨ましくて仕方無いと感じるようになった。

アタシは思い知ったのだ。自分が子供扱いされる理由を、思い知ってしまったのだ。今思えば、加持への恋慕やミサトへの反発が恥ずかしくて仕方が無い。アタシは子供で、彼らは大人だった。早く大人になりたいと思う、その思い自体が子供である証拠だったのだ。アタシは子供だった。そして、当分の間子供と言う身分から離れられない。

それなのに、あいつは大人だった。普段の生活で、最も身近にいるあいつは、アタシが成りたくて仕方無かった大人だった。同じ年齢で、同じクラスで、同じ家に住んでいると言うのに、あいつは帰って来たその時から大人になっていた。

あいつは何もかも笑い飛ばす。あいつは何もかもに怒りを顕わにする。あいつは自分で考えている。どんなにか羨ましかったろう。そして、あいつといることがどんなにか、楽しかったことか。

使徒が来た。アタシは死ぬかもしれない。それがこんなに怖いことだったなんて、知らなかった。失うものなど何も無いと思っていたからだ。頂きを目指せば、それで良いと思っていたからだ。震えが止まらない。アタシが目指した頂きは、単なる丘の上だった。アイツはもう、山の中腹にいる。追いつけやしない。

アタシは期待していることを正直に告白しなければならない。もしかすれば、あいつが綱を垂らして手伝ってくれるかもしれない。山は酷く鬱屈としていて、酷薄だ。アタシは一人で上りきることができそうもない。何度も足を滑らせ、山肌に叩きつけられてきた。その痛みで、アタシは押し潰されそうだった。だが、命綱を持ってくれる人がいれば、がんばれそうな、そんな気がする。支えがあれば、何度でも立ち上がれそうな。

それを認め難い屈辱だとは、不思議と感じることは無かった。アタシは子供で、あいつは大人なのだから、アタシは負けても構わないのだと、そう思うことができた。頬を何度も張られ、何度も叱責された。それと同じくらい、アタシはあいつに何度も誉められた。

アタシが欲しかったものは、そこにあった。アタシはついに欲しかったものを手に入れることができていた。それを感じた途端、アタシの中の激しく猛る獣は、コタツで丸くなる猫のように大人しくなってしまっていた。シンクロ率は下げ止まったが、上がることは無く、訓練にも打ち込めない。ただ、思うことは早く帰ってあいつと一緒に居たいと言うことだけだった。

結局のところ、その位置にいるのは誰でもいいのだ。アタシが期待し、当然の権利のように享受できる限りにおいて、その場所は誰が占めていようと関係が無い。たまたま、あいつだっただけの話だ。アタシはあいつに特別な感情を抱いているわけではないと断言できる。また、あいつもアタシにそのような感情を抱いては居ないだろう。たまたま、その位置をあいつが占めた。長らく空席だったその場所を。

アタシはあの夜から考えつづけていた。恐らく、アタシの推測は大当たりで、それを認めるにはいささかの気恥ずかしさと、感情とプライドとの齟齬がある。だが、間違い無く、アタシはあいつにそれを求めている。そして、あいつはそれを容認し、まるでそれが当然かのようにアタシを叱り付けるのだ。

「お、ちょっと成長したな」

あいつの声。アタシを誉める声。冗談めかしていても、本当にそう思って、喜んでいるのがわかる。

今を、アタシは失いたく無い。今を、守らなければならない。そして、明日が当然の明日としてやってくるようにしなければならない。そうでなければ、アタシが手に入れた一切は泡と消える。

アタシは今後もあいつと軽口を言い合い、叱られ、誉められたいのだ。

だから、もう少し。アタシの弐号機。アタシの相棒。
もう少しでいい。
アタシを邪魔する忌々しい使徒を、屠るために。
あいつが明日も生きていて、アタシを夢から醒ましてくれるように。

…もう少しだけ、シンクロ率を。







「弐号機シンクロ率、さらに増大!」

僕は固唾を飲んで、発令所の様子と、外の様子を伺った。僕にとって意外な展開となっている。
弐号機は善戦していた。使徒の精神汚染波を強力なATフィールドによって遮断し、正確に陽電子砲を使徒へ向けて発射している。ただ、使徒との距離が遠すぎるために、その陽電子の弾丸は使徒のATフィールドを突き破ることができない。

お互いに手詰まりの状態が、もう既に十分以上続いていた。通信機からアスカの声が響く。降りて来いとか、コンチクショーとか、気合たっぷりな叫びである。精神汚染を受けているようには感じない。発令所はごった返すかのように忙しく動いている。どうにかして使徒を衛星軌道上からここまで引き摺り降ろさなければならないのだ。

僕は降り注ぐ光を弾き返しながら、陽電子砲を天空目掛けて撃ち尽くす弐号機の姿に感動していた。まさに神に逆らう人間の姿のようだ。僕らは抵抗するのだ。相手が何であろうが、抵抗するのだ。それが人間だと、弐号機は如実に語っていた。

もう、不安は一切感じなかった。高揚感が全身を包み、心地よい全能感が僕の心の隅々までを支配している。陽電子砲を3点同時に発射すればATフィールドを破れるのではないかと言うアイデアをしきりに発令所に提示し、出撃を求めつづける。リツコが目まぐるしい勢いでパネルを叩き、その実現可能性を試算する。

「いけます! 3点からの陽電子荷重によってATフィールドを突き破れるだけの出力を稼ぐことが…」

マヤの声。僕はもう一個の熱い塊だった。これほど好戦的で、弾けてしまいそうな程に高揚した経験は今までには無い。僕は無敵で、不死で、何でもできる。そんな感覚が僕を体の芯まで覆っている。突撃を敢行する兵士達は恐怖感の一切が麻痺し、ただ高揚感と全能感がその身を支配すると言う。きっと同じ状態なのだ。自分の生死を省みるよりも、闘争本能が刺激されているのだ。

ついにゲンドウが決断した。初号機の凍結解除、出撃命令が下る。僕はアスカと同じ陽電子砲を初号機で掴んだ。

カタパルトが初号機と僕を地上へ向かって一気に打ち出す。

「聞えてたわね! 3点同時攻撃よ、コンソールの指示タイミングを逃さないで!」

ミサトが発令所からの通信を占有して僕ら全員に指示を出す。僕は光線を弾き返す弐号機から少し離れたビルの影にその身を置いて、天空向けて銃口を構えた。僕とアスカの対角線上に綾波の零号機が見える。零号機は僕らが持っているよりも巨大な、恐らくヤシマ作戦で使用されたのと同じポジトロンライフルを構えている。

「いくわよ、5,4,3,2,1…発射!」

ミサトの声と同時に僕らは一斉に引き金を引いた。激しい衝撃が腕を伝い、陽電子の塊が三つ、輝きながら天空へ登っていく。

「駄目よ、少しズレているわ」

リツコが作戦の失敗を告げる。しかし、使徒は何ら動かない。成功するまで何度だってやればいいのだ。僕らはまた銃口を天へ向けた。カウントダウンが始まり、すぐさま第2射が使徒を襲う。

第2射が外れ、第3射目を準備しているときに、それは起こった。

あまりに突然過ぎて僕には何が起こったのか一瞬わからなかった。しかし、目まぐるしく移り変わる視界の風景を見ながら、それがようやくどのような意味を持っているのかを悟った。

今度は僕が、精神汚染波を受けたのだ。






「シンジ!!」

アタシは絶望的な瞬間を目撃して、危うくシンクロを解除してしまうところだった。アタシが弾き返しつづけていた光線は、いまや完全に目標を変えて初号機を襲っている。初号機のATフィールドは貫通され、正体不明の光線が初号機を、その中のシンジを犯している。

あの光線には妨害電波でも含まれているのだろうか、映像通信は繋がらなかった。ただ、音声でシンジは何かうわ言のようなものを呟いているのがわかる。そして、時折、シンジは愉快そうに笑った。戦闘中に、あんな風に笑うシンジなど初めて見る。これはヤバイ兆候なのでは。アタシは自分が今蒼白になっているのがわかった。

「こんのおお!」

アタシは陽電子砲を空に向けてめちゃくちゃに乱射した。アタシのATフィールドなら、あれを弾くことができる。使徒の気を引こうと、アタシは必死に引き金を引き絞った。弾奏はすぐに空になった。しかし、使徒は標的をこちらに向けることは無かった。

ファーストのライフルは一発の装填に時間がかかる。アタシはそれを苛々しながら陽電子砲の弾奏を取り替えた。また、乱射する。ファーストのライフルがようやく発射された。そのライフル弾とのタイミングを合わせ、使徒に同時に着弾するように調整する。

…駄目だ、二丁分のエネルギーでは使徒のATフィールドは貫けない。

どうして。どうしてこんなことになるのか。初号機の通信から、もうシンジの声は聞えなくなっている。気を失ったのか、それとも…アタシは首を振った。そんなことがあるはずが無い。認めない。

「アタシばっかり、何で…どうしてよおおおお!」

アタシはまた弾奏が空になるまで陽電子を乱射した。駄目だ、全くの無駄だ。アタシはシンジを救うことができないのだろうか。そんなのは嫌だ。せっかく手に入れたものをもう手放せはしないのだ。弾奏を変える時間が惜しい。早く、早く使徒を倒さなければ。

自分にもっと力があれば。初号機のように、弐号機を暴走させることができれば、あるいは。アタシは必死に祈った。お願い、弐号機。アタシを助けて。シンジを、助けて。


お願い…。





そこは不思議な世界だった。走馬灯のように自分の過去の風景の中を通り過ぎる電車の窓際で、それを眺めているような感覚に囚われる。こんな世界は僕の中では未定義で、夢の中にいるかのようにぼんやりとしていて定かでは無い。残念なことに、僕にはそれらしいトラウマが無かった。だから苦しむ理由も無く、ただ、使徒が眺めているように僕も僕を眺めていた。

頭がハゲていてくたびれた、そのくせ、目つきの悪いオッサンが一人、僕の正面に座っていた。それは以前の僕だ。鏡で見るのとは違って、その目つきの悪さが印象的である。もう最近、自分の顔と碇シンジの顔との区別がつかなくなってきていたので、自分の以前の姿をこうして客観視するのは新鮮な体験だった。

「やぁ」

おっさんは足を組んでそう言った。

「やぁ。あんた使徒だな」

僕も同じように応じる。今気付いたのだが、僕は元の姿の僕に戻っていた。ここに碇シンジの姿はどこにも無い。

「そうさ、君らが使徒と呼んでいるものだ」

「原作と違うな。案外話ができそうじゃないか」

「君から学んだのさ」

「へぇ。便利にできてる」

「そうでもない」

「そうか」

語るに落ちる。しばし沈黙。

「なぁ、君は変な奴だな」

少しの沈黙の後、使徒は語りかけてきた。僕は首を傾げた。

「そうかい? 結構平凡だと思うんだけど」

「君が定義する平凡と言う言葉の意味はよく理解できないんだ。でも、ここで君は明らかに特殊だ。君は未来を知っている。予測しているのではなく、事実として知覚している。一体どう言うことなんだね」

「はは、使徒にも未来予知はさすがに無理か」

「ああ。君の知っている事実と今の状況は大体、似てきている。弐号機と初号機との違いはあるけれど、僕の精神波を受けて君はここへ誘われた。僕はもうすぐロンギヌスで貫かれ、死ぬんだろう」

「何だ、わかってるならさっさと逃げるか地上に降りてきてエヴァ倒す努力すりゃいいのに」

「そうもいかないさ。僕にはその機能が無い」

「偵察係だからかね?」

「その通りだ。我々は総体として『使徒』と言う生物なんだ。我々は人を知る必要があると感じられた。手を変え品を変えても君達を消せなかった。だからアスカにここへ来てもらうつもりだった。君達を知るために。しかし…君で良かったのかもしれない」

「あんたがここへアスカを呼んだらどうなるか知ったからそう言うのかな。でも、あんた方からすれば僕らは敵だろう。敵に気を使うのか? 不思議な気がするな」

「君と接触する前の僕なら理解できなかっただろう。だが、今は理解できる」

「そうですか。で、人を見た感想はどうよ? 僕の恥ずかしい過去はなかなか面白かったんじゃないか?」

「興味深かった。特に最後の恋人との破局は見物だったな」

「他人の不幸は蜜の味ってな」

僕らは笑いあった。中年になって、過去は思い出に過ぎないのだと嫌と言うほど理解している。だからどんな過去を見せ付けられようと、それは笑いながら追憶する類のものでしか無いのだ。その時は悲しかっただろう。辛い思いもした。しかし今は辛く無いのだ。

僕らは色々と語り合った。僕と言う自我の全てを見、分析し、構築された僕そっくりの彼とは非常に話が合った。ミサトの問題点を指摘し合い、アスカの将来を楽しみに思い、リツコがいかに魅力的かを語り合った。旧知の友との語らいのように、それは楽しい時間で、あっと言う間に過ぎ去っていった。

「さて。そろそろ時間のようだ。綾波レイが地下へ降りた。それに、恐らく、数分でアスカのATフィールドがこちらに到達する」

「アスカが? はは、何かえらい成長したな、あいつ。原作と大違いだな」

「彼女に必要だったのは切っ掛けだけだったようだね。…じゃあ、さようならだ」

「そうか。名残惜しいけど、まぁ明日の為だしな」

「そう言う君のドライな点は嫌いじゃない。形を変えてまた会うことになるだろう」

「次もあんたを殺すだろうけど、悪く思うなよ?」

「一応、こちらも生態としてそうせざるを得ないんだ。渚カヲルとなった時にまた会おう」

「死ぬのは怖くないか」

「…怖いさ。運命と言う言葉の馬鹿馬鹿しさはよく承知しているつもりだけど、しかし僕には選択の余地が無い」

「渚カヲルとして生きるわけにはいかないのか」

「残念だがね」

微笑しながら、彼は言った。それが、彼の最後の言葉だった。






アタシの弐号機は、やっぱりアタシの最愛の相棒だった。アタシの祈りに応え、どんどんATフィールドを強くしているのが伝わってくる。そうね、弐号機。アタシしかできないんだわ。

シンジは黙して語らない。もしかしたら、もう手遅れかもしれない。でも、もしかすれば無傷かもしれない。エントリープラグを開けて見るまで、それはわからない量子状態なのだ。だから、今アタシが努力することは無駄ではない。何かしらの結果を招く為の行動なのだ。

シンジは常に言っていた。行動することを説いていた。行動の末にしか、望む結果は無いのだと何度もアタシに向かって言っていた。アタシはあいつの言葉を信じている。あの情けない奴だったシンジは、いまやアタシの人生の目標ですらある。今、あいつを失ってしまったら、アタシは駄目になる。アタシはアタシの居場所を、遂に一つ残らず奪われるのだ。

アタシにはあいつが必要なのだ。これからも色んなことを教わる為に。

「あんたなんか…」

ATフィールドが自分の意のままに細く、細く、尖っていくのがわかった。アタシは結局のところ、何かに頼り、依存し、そしてそれを独占していなければ気が済まない子供なのだ。だから、シンジを奪われることに我慢できそうもない。今度こそ、アタシはアタシだけの居場所を確保するのだ。誰にも犯されないアタシの聖域。

「こおんのおおおおおおおおおおおおおおお!」

アタシはその尖った、アタシの攻撃性のすべてを上空へ向かって投げつけた。アタシは子供だ。それが何だと言うのだろう。アタシはアタシが心地よい場所を奪われることに同意しない。アタシは認めない。もう手放す気は無い。

だから使徒が殊更、憎く思えた。今、シンジが奪われつつある。それだけは許せない。かつて、シンクロ率をシンジに抜かれた瞬間に感じた憎悪と同様の激情がこの身を焼く。許さない。許せない。許すものか。

「弐号機シンクロ率、尚も上昇中! このままでは…危険です!」

「アスカ! 落ち着きなさい!」

マヤとリツコの声が聞える。しかし、もう止まらない。アタシは止まらない。
全力で投げ上げたATフィールドが上空へ消えた瞬間、凄まじい疲労感がアタシの全身を包んだ。あの一撃は文字通りにアタシの全身全霊だった。一気にシンクロ率が急落する。これが通じなければもう駄目だ。ありがとう、弐号機。アタシはとにもかくにも全力を振り絞れた。必死で。シンジはアタシを叱らずに、誉めてくれるだろう。

アタシはまた、祈るように天を見上げた。






我に返った時には、すべての事が済んだ後だった。僕は強制排出されたエントリープラグを弐号機に強引に引っ張り出されて、アスカに往復ビンタを食らっている最中だった。

「おきてよシンジ! おきろ! おきなさいよお!」

アスカはべそをかきながら容赦無く僕の頬をぶち続ける。正直、痛い。

「いて、いで、いでぇ! いい加減にしろよ!」

僕はアスカの右腕を掴んで一発頭突きを浴びせた。アスカが仰け反って、頭を抑えてうずくまる。僕の頭もジンジンと痛んだ。強くやりすぎた。

アスカはその体勢のまま、肩を震わせて泣き始めた。最近、僕はアスカを泣かせてばかりのような気がする。

「あ、ごめん、そんなに痛かったか?」

あわててアスカを抱き起こすと、アスカはまたも鼻水を垂らしながらぎゃあぎゃあと泣いた。しばらく彼女が落ち着くまで待つ。

「頭突きくらいでそんなに泣くなよ。マジパンチのが痛いだろ」

「ち、違うわよ! アンタが死んだんじゃないかって…うえ、うええ…」

「ああ、もう、泣くな泣くな。案外楽しい体験してきたぞ、俺は。この通り無傷だ」

「その気楽さが…うっく…ムカツク…うう…えええ…」

アスカはしばらく泣きつづけ、泣き止んだ途端に僕のほっぺたを思いっきり殴った。フック気味でいい感じに入ったその拳はアゴが外れるかと思うほどの衝撃で、余りの痛さに今度は僕がうずくまった。

「あいたた…何すんだよ…」

「…馬鹿」

アスカはそう呟いて、プイと立ち上がり、弐号機のほうへ歩いていってしまった。



ようやく、ネルフの救助隊が駆けつけるのが遠目に見えた。大分僕の知っているのと違ったけど、何とか僕の初陣は無事に済んだようだった。





後書き:
ああんクソ真面目!
そう言う時もあるさベイベー

次回予告
侵食する使徒が来て綾波が自爆しそうになったのでおっさん的に寝覚め悪いので何とかしました。

以上!