メルヘン地獄
tomo作



プロローグ


ざざーーん

ざざーーーーん

ざざーーー以下略。

辺りは薄暗く、お約束のように赤い海が視界一杯に広がっている。咽せかえるような血の匂い。
この殺伐とした空間に1人佇む少年は、信じられないものを見たと言わんばかりに目ん玉をひん剥いていた。
落っこちそうな目玉が見た物は恐らく一生涯かけても普通は見ることのできないパノラマ地獄絵図。

確かにそこに広がる光景は信じられないものだった。真っ二つに割れた少女の顔が切り立つ崖のようにそびえたち、ギョロリとした瞳孔全開の不気味な瞳を虚空へ向けている。薄笑いを浮かべた表情が実にシュールで、見渡す限り広がる赤色の海は地獄の血の池なんて言うスケールを遥か彼方に吹き飛ばした迫力抜群の絶景だった。

少年は自分が理性的であると信じていた。しかし気が狂ってしまったのかと、この時ばかりは真剣に疑った。ほっぺを抓る。刺すような痛みが夢と言う可能性を否定する。いや、痛い夢だってあるかもしれない。

何しろ夢以外にこんな光景を見ることになろうとは、100万年生きた怪獣ロケット亀だって想像できないに違い無い。当然、基本的に平々凡々な少年には想像もつかない事態だった。

「これは…一体…? んん?」

足元に触れる柔らかい感触。眼前の絶景に絶句していて気付かなかったが、足元に何かがいることに少年は気付いていた。目の前の素晴らしく気持ち悪い光景はそれはそれで非常に印象深いものがある。しかし少年にとってそれ以上ではなかった。赤い海も二つに割れた顔面も静かに、そこに在るだけだ。

少年はすぐに足元の何かに注意を移した。視線を向けると、そこには赤いプラグスーツを来た少女が横たわっていた。良く知っている顔。それは惣流・アスカ・ラングレーと言う名の、少年の知り合いであるはずの少女だった。

少女は身動き一つせず、視線を虚空に向けている。体のあちこちをデタラメに包帯で巻かれた姿が痛々しい。少年が少女の視界に入る位置に移動しても、少女はまるで反応を示さない。

「アスカ? 惣流・アスカ・ラングレー?」

呼び掛けに応える声は無し。もしかして死んでいるのでは無いだろうか。少年はふと不安になって少女の手を取った。体は酷く冷たいように感じる。スーツが邪魔で脈拍を測ることができない。少年は少し迷った後、少女の首に手を掛けた。このポーズは何かの符号だろうか? などと妄想しながら、脈を計った。微弱な脈が感じられた。少年は少し安心した。

「生きてる、よな」

それは不思議な感覚だった。脈を図る為とは言え、こうして自分は少女に圧し掛かり、その首に手を当てている。この腕に少しの力をこめれば、この細い喉は簡単にへし折れてしまいそうだ。ふと、試したくなった。欲求に逆らえず、少し力をこめると、今まで無反応だった少女が、少しだけ苦しげにうめいた。

「この瞬間、彼は何を考えていたんだろう。僕にはわからない」

呟き。その呟きは少女の耳には届かず、さらさらと渇いた砂に混ざって消えた。けして本気で締め付けているわけではない。少年はすぐに我に返ってもう一度脈を診た。まだ、脈は途切れていない。少女が手を伸ばし、少年の頬を触れる。少年は驚いて飛びのいた。頬に少女の手の感触が残っている。少年は泣けなかった。泣く理由が彼には無かったからだ。

「キモチワルイ」

少女の呟き。少年は薄笑いを浮かべた。まさか自分がそんなセリフに遭遇するなんて思っていなかったのだ。頬を撫でられ、そして拒絶される。ああ、結局…少年は悲しい気分になった。

これからどうなるのか、どうすべきか、彼は全く思いつかなかった。ただ、虫の息の、自分を否定したらしい少女の脇に座って空を眺める。雲が一つもなく、驚くほど空は黒く、見た事が無い程、星が煌いていた。でも、少年はそれを美しいと感じられるだけの余裕もなく、ボゥっとただ、それを見上げていた。

少年は定期的に少女の脈を計った。元々微弱だった脈は、時間を置くごとにさらに弱まっていくのがわかった。リアルに、徐々に死んでいく少女の横にいるのは辛いことだったが、それでも1人でどこかへ行くよりはましだった。こんな訳のわからない世界にいきなり放り出されて、その上孤独になるなんて真っ平だった。だが、現実は酷く手厳しく少女の脈を弱らせていく。医者でもない少年にはどうしようもない。

本当の孤独が訪れるのは時間の問題だった。

これが本当の孤独感なのだなと思った瞬間、彼は嗚咽を抑えられなくなっていた。本当に訳がわからない。どうしてこんなことになったのか。なぜ、こんな事態が自分に訪れたのか、どうして自分なのか。

何者かに罰を下される程、ふざけた人生を送った覚えは無かった。自分はあくまで平々凡々とし、自分の領分を守って生きてきたはずだった。歯車が一瞬にして狂い、この不可解で不条理の世界へ叩き落されるような罪を犯した記憶は全く無い。もう何かを思う余裕も無くなりつつある。

やがて、少女の脈が感じられなくなった。首を締めようが包帯を巻いた箇所を叩こうが少女は身じろぎ一つしない。少年は泣きじゃくった。もう泣くことしか少年にできることは無かった。

どれだけの時間号泣したかわからない。もう涙も枯れ、喉は擦れて声も出ない。夢ならそろそろ覚めてくれと、少年は何度も何度も、信じてもいない神様に向かって願った。

気を失う瞬間まで、彼は祈っていた。



どんなに粗末で、どんなに寂しくて、どんなに侘しい居場所でもいい。ここより悪い場所なんて思いつかない。元居た場所に不満が無かったなんてことは言わない。でも、ここよりは断然居心地も良かった。楽しみもあった。凋落する理由なんか無いじゃないか。



どうか神様、僕を還してくれ…





「おっさん」だと言われれば確かに「おっさん」であることを僕は否定はできまい。
経年劣化した成人男児は概ね、羞恥心、見栄、自尊心の一部を自らの過去に置き忘れる。
人前で放屁を堪えることができず、或いは堪える気が無く。
そして行動の節目に「カーッ」と言う叫びともうめきともつかない声を上げる。
よれたシャツも何のその。くたびれたスーツ? 全く問題無い。

三十路と言う一線を十年前に越えて久しい僕は「おっさん」たるべくして「おっさん」であった。

しかし、それに何の咎があろうか。例え駅のホームで大股を開いたパンツ丸見え女子高生に汚物を見るような視線を向けられようと、遠まわしに両親に結婚の時期を打診されようと、しかし結婚のあてなどどこにも無かろうとも、愛しの風俗嬢ミレイちゃんに月二回ほどお世話になっていようと、無能な癖に飲み代奢らせることに関してだけは超有能な部下にたかられようと…以下略…僕には何の咎もない。僕はただ、「おっさん」と言う生物であると言うだけの話だ。残念なことに時間は巻き戻ることが無いらしい。僕は「おっさん」と言う宿命から逃れ得ないであろう。

魚に泳ぐなと言うのは非常に不条理なセリフだ。僕と言う存在にむかって「おっさん臭い」と罵る行為は、しかし実にそれに似ている。それは無茶であり、無駄なことだ。何しろ、僕は「おっさん」なのだから。

無論、三十路を過ぎてしばらくの間は若作りに奔走した。僕とて、成りたくて「おっさん」になった訳ではない。今では風前の灯火となった毛髪がまだふさふさな頃はこれほどぶっちぎって「おっさん」では無かったように思う。服装に気を配った。清潔を心がけていた。恋人もいた。将来があった。

だが、人生と言う非常に不条理な装置は僕の抵抗をひき潰し、せせら笑った。僕の最大の失敗は頭髪が薄くなる前に結婚しなかったことであろう。せめて生涯の伴侶がいれば、ただの「おっさん」で済んだと思う。しかし今は「孤独なおっさん」である。家庭持ちの一段階下の身分だ。

独身貴族などと気取っていられるのは頭髪がふさふさだからと言う理由に他ならない。天辺がお寒くなればそんな余裕は吹き飛び、やがて諦めの感情が訪れる。やり手の課長? そんな肩書きに何の意味があろうか。管理職となってからは残業手当もつかず、数年前より確実に所得は落ち込んでいる。加えて、この不況下ではボーナス等臨時収入には期待できない。僕は男としての魅力以外でも、勝負できるものが無い。仕事に打ち込む程に、虚しさは募る一方である。

そんな寂しく憐れな僕にも、その過酷な現実を忘れることができる瞬間が存在する。風俗嬢ミレイちゃんを指名し、まだまだイケると自信を取り戻す時と、そしてアニメを見る時である。

アニメは素晴らしい。その主人公達は若干の例外を除いて非常に恵まれた環境におり、視聴者である僕を魅了する。秒間30枚の絵画と、美しい音声。それは僕に束の間の夢を与えてくれる。年甲斐も無く、僕はそれに没頭し、主人公と同化する。僕はアニメを視聴しているその瞬間において華々しい物語の主役なのだ。

だが、その瞬間が過ぎると、快楽を数倍上回る虚しさが付随してくることも併記しておかねばなるまい。結局の所、それは慰めに過ぎない。諦めと嫌な覚悟を促すカンフル剤だ。僕はどんどん劣化している。男として、人間として。

今日は久しぶりに新世紀エヴァンゲリオンを全巻借りてきた。珍しく土日に仕事が一切入っていないので、この連休はこのアニメを見て過ごすつもりだ。

この新世紀エヴァンゲリオンは僕が愛して止まないアニメの一つである。僕の本来の嗜好からは少し外れ、ハッピーエンドなのかどうかは微妙な線だが、今までに無い斬新な粗略と、他の追随を許さない緊迫感が非常に素晴らしい。僕の三十代はこのアニメと共にあったと言って過言では無かろう。主人公シンジと僕が同名であることも好感度大である。非常に没頭しやすい。まとまった時間がとれたので、久しぶりに見てみようと思ったのだ。

僕は馴染みのレンタルビデオショップから本編ビデオ全巻と劇場版を借り、帰途についた。今晩は徹夜になるだろう。






目が醒めた時、僕は全裸で葛城ミサト嬢に抱きしめられていた。第一に感じたのは劇中で描画されていたのと寸ぷんの違い無く、葛城ミサトは巨乳だと言うことだ。恐らくDカップはあるだろう。乳の感触を感じるやいなや巨大化しようとするマイ・サンを何とか抑え込み…たかったのだが、しかし抑えきれずに勃起した。指摘されたら朝立ちと言う生理現象のせいにしよう。気絶状態からの復帰も睡眠からの覚醒も似たようなものだろう。多少気恥ずかしいが言い切った者の勝ちだ。

それにしても、なんとも中途半端に助かったもんだと思った。ビデオの世界に引き摺り込まれると言うメルヘン体験をかまし、EOEをリアル体験して年甲斐も無く泣き喚き、目が醒めた夢だったあー良かったと思う前にDカップの乳の感触に一発欲情。僕のせいでは無い。シンジの体が若過ぎるのだ。うん、僕は悪く無いぞ。

泣きじゃくる葛城ミサト嬢は全裸でフリチンで勃起んボッキンの僕をまだまだ離すつもりが無いようで、遠くで金髪の赤木リツコ嬢がその様子を眺めていた。この光景は視点は違えど見覚えがある。アニメ第16話「男の戦い」で初号機に取り込まれたシンジがサルベージされた直後のシーンだろう。と、言うことは17話のラストと言う訳か。

アニメが佳境に入りだし、ゲンドウだの冬月だのの回想やら意味不明なゼーレのオジイチャンの暗躍やら一気に話がややこしくなって来る難しい局面である。EOEラストより幾分マシにしても面倒なことである。

僕はアニメと現実を混同するほど浮世離れした生活を送った経験が無い。社会に出て自分の飯代と育毛剤代を稼いでくるし、月二回の風俗通いも数年欠かしたことが無い、多少寂しめの平凡中年サラリーマンである。アニメの世界で大活躍なんてメルヘン状況でどのように立ち回るべきかなんて一向に分からないし、むしろ面倒だ。ビデオは停止ボタンを押せばいつでも好きに止まるものであって、日常に戻るのに労力を必要としない。

一時の娯楽であるからこそアニメは楽しい。こんな、現実化したアニメーション状況などご免被りたい。冷静に考えれば一目瞭然、エヴァに乗って戦えば痛いのだ。それにアニメ通りに勝てるとは限らないし、今更中学校になんて通いたくない。大体、40過ぎた枯れかけのおっさんに共学中学校など蛇の生殺しと言うか精神的にも厳しい。土日をあける為に残した仕事は山のようにある。その処理もできずこの茶番に付き合わされるなど頭が痛いにも程がある。

さすがにそろそろこれは夢だとか、ありえないとか、現実逃避をするのは辞めにした。どう考えてもこのリアルな質感は本物である。なぜか素直に受け入れられたのだが、よくよく見ればミサトもリツコも実写版なのだ。ゲンドウを見るのが楽しみであり、恐怖である。強面ヤクザをしげしげ眺めたくなる感情に似ている。

果たして、僕の現実に戻れるのだろうか。それともここでシンジとして生きていかざるを得ないのだろうか。僕が取りまとめた商談が破談になったり部下にかっさらわれることを考えると是非、早いうちに戻りたいものだが。

結局、それは神のみぞ知ることであって、僕はこの意味不明状況に身を任せるしか無いのだ。抵抗する気力はEOEで既に失せに失せてしまっている。目下のところ、もう一度あれを体験したくは無いと言うことだけだ。

こうして僕はメルヘン地獄をフルコースで味わう派目になったのだった。

…えーマジでー? 帰りてーんだけど…













後書

久々に書いたよ。完結とかぜってー無理なのでそう言うの無いお話にしまっす。

おっさん仲間の加持を引き連れてセクキャバへ繰り出した加齢少年シンジ!
しかしそこに怒りの酒樽半魚人ミサトの魔の手が…

次回:メルヘン地獄 「俺関係無いじゃん」

お楽しみに!(嘘

↑マジでこう言うノリの話なんで。苦情はalstreまで。