裁判員制度がいよいよスタートする。実際の裁判は7月下旬に始まるというが、先月末以降の逮捕者から対象事件の被告が出るはずなので、制度は既に始動していると言うべきかもしれない。
毎日新聞の最近の世論調査では、過半数の52%が「できれば参加したくない」と回答している。「積極的に参加する」や「義務なので参加する」は少数派だったが、事の性質上、人々が慎重になるのはむしろ当然かもしれない。一方で刑事裁判について「良くなると思う」と答えた人が45%を占め、「悪くなる」を上回った。制度を前向きにとらえている証左と言えよう。この際、司法参加を義務であると同時に市民の権利と位置付け、制度を軌道に乗せたい。
一部で被害者の思いを裁判に反映させることが主目的のように受け止められているのは残念だが、当然ながら被害者、被告双方の権利を重視するのが裁判員の役割にほかならない。制度の眼目は冤罪(えんざい)の防止にある。裁判官はややもすれば検察側の主張になびいたり、自白偏重に傾くきらいがあることも踏まえ、健全な市民の常識で証拠の矛盾などを虚心坦懐(たんかい)に見抜くことが期待されている。
残された課題は少なくない。被告が追起訴された場合に同じ裁判員が担当すべきかどうか、制度の理念上、控訴審の裁判官は裁判員の判断をどこまで尊重すべきか……といった未確定の問題もある。審理の迅速化などを目的に公判前整理手続きが先行導入されたが、弁護士側が十分に対応できているか、証拠や矛盾点を見落とすような欠陥はないか、といった点についての点検はまだまだ不十分だ。広島高裁が昨年12月、裁判員裁判を想定して迅速に下された広島地裁の女児殺害事件の判決を審理不尽を理由に破棄、差し戻したことも教訓にされねばならない。
検察側には法廷での分かりやすい立証が求められるが、残虐な写真の扱いなどをめぐって早くも問題点が指摘されている。自白の信用性の判断に役立てる取り調べの可視化も、大方が支持する制度として確立されてはいない。100年に1度の改革だけに今後の運用を通じての検証と見直しが欠かせないが、緻密(ちみつ)な立証や審理から「精密司法」と呼ばれてきた裁判のあり方が様変わりすることに、市民も理解を深める必要がある。
肝心なのは、お上意識の呪縛から脱却することだ。役所に任せきりにせず、正邪や是非善悪などを自ら判断する習慣を身につけて“丸投げ民主主義”とやゆされる社会のありようを一新しなければなるまい。「開かれた裁判」の実現だけでなく、市民の意識変革を促すことも、裁判員制度の大きな目的と心得たい。
毎日新聞 2009年5月20日 東京朝刊