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やっぱり無知蒙昧

いやはや、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ff86cfa0ac298e764adacc2d32d8fee2(コメント欄)

>天下り学者が反論のつもりで、私の記事の

<労働基準法を改正して、あらためて解雇自由の原則を明確にし、その適用除外条件を具体的に明記すべきだ>

という文を引用しているが、これがどうして「正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならない」という意味になるのかね。

なるんだよ、おじさん。「解雇自由」という言葉はね。

>逆に私はここで、「正当な理由」を適用除外条件として明記すべきだと書いているのです。

「正当な理由を適用除外条件として明記」という意味がよくわかりかねますが、これが、「正当が理由があれば、そして正当な理由がある場合に限り、解雇することができる」という意味であれば、それは民法の解雇自由の原則とはまったく反するものであり、かつ現行労働契約法に規定する解雇権濫用法理の考え方とほとんど同じものといえます。

>彼は「解雇自由」という言葉をオレ流に解釈して、

いやいや、オレ流の権化にここまで言われるとはね。

上の論理は、論理的にあり得る3つの選択肢

(1)正当な理由があってもなくても解雇できる(解雇自由)

(2)正当な理由があれば解雇できるがなければ解雇できない(解雇規制)

(3) 正当な理由があってもなくても解雇できない(解雇禁止)

の(2)に属するというしか言いようがないのですが、3法則氏はそれを「解雇自由」だと呼ぶという。

いや、用語法は3法則氏独自であっても、他のすべての方々の用法と厳密に翻訳可能であればそれでいいのですが、一方では、(1)に属する民法の原則を「解雇自由」だという。

>民法627条では

<当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる>

と解雇自由の原則を明記しています。

ここは判っているようですね。そう、民法は解雇自由の原則を明記しています。正当な理由の有無を問わず、いつでも解約の申し入れをすることができるのです。

(やや高度な注釈)この点、「いつでも」を時間的な意味のみであると解釈し、民法は必ずしも解雇自由を規定していないという少数説がありますが、多数説は「いつでも」を「どんな理由でも(理由の如何を問わず)」と解釈するのが普通です。

>この原則が判例の積み重ねで曖昧になったため、2003年の労働基準法の改正のとき「解雇自由」を明記する方針でしたが、労組などの反対で「正当事由」が入って、かえって解雇規制が強化されてしまった。これはOECDも批判していることです。

ちょっと、正直言って、これには呆れてものがいえない。事実を軽侮するにもほどがある。余りにもひどいので、ここにこうして晒しておきます。誰もこういう人に味方についてもらいたいとは思わなくなるでしょうね。

こういう無知蒙昧を晒した上で、

>私がいっているのは、この民法の原則に立ち返れという当たり前の話です。この場合の主要な問題は、企業の業績が悪化した場合の「整理解雇」であり、就業規則違反などによる「普通解雇」や犯罪による「懲戒解雇」とは別の概念です

いやあ、民法の解雇自由原則が、整理解雇の話であって、普通解雇や懲戒解雇とは別の概念だというのは、民法学、労働法学その他ありとあらゆる学問分野をことごとく渉猟してみても、おそらくこの3法則氏の発言をもって嚆矢とするでしょうね。

それがまったく新たな学問分野の幕開けであるのか、それとも変なおじさんのたわごとであるのか、まあ、わたくし如きがここで言うべきことではありませんが。

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