突然全ての音が消えた。
闇のような真っ暗な画面に、静かに白い文字が浮かび上がる。
エヴァンゲリオン・・・その歴史
静寂を保ったまま文字は文章を連ねていく。
素体・・・エヴァンゲリオン開発過程で生まれた原型
個として確立させること自体が難しく、何度も失敗が繰り返される。
零号機(初期型)・・・最初に個として誕生したエヴァンゲリオン
生体的要素を多く含むエヴァンゲリオンに対するコントロール方法が見つからず、
起動は不完全のままであった
疑似人格システム・・・エヴァンゲリオンをコントロールするための制御システム
エヴァンゲリオンに擬似的に自我を与え、それを用いて制御する方法が提唱される。
しかし、与えるべき人格形成に難航し、試行錯誤が繰り返される
人格転写・・・疑似人格システムに与える人格を他の人間から転写する方式
疑似人格の形成は困難を極めたため、人の人格を転写する方式が提唱される。
様々な紆余曲折の末、疑似人格システムは完成。ついにエヴァンゲリオンは
人類の新たな力としてその一歩を踏み出したのである。
そして暗い画面の中からエヴァや使徒の写真がぼんやりと浮かび上がり、それと共に低
い声が流れてきた。
「こうして誕生したエヴァンゲリオンと未知の敵、使徒との戦い。よく知られているこの
戦いを我々は『第一次使徒闘争』と名付けるとしよう。
この戦いで我々はからくも勝利を得た。だが、唯一使徒に対抗する手段であったエヴァ
のパイロットを失ってしまったのだ。尊い犠牲の後、平和が訪れたように見えた。
しかし、今また新たに我々の生活を脅かす暗い影があらわれた。新たなる驚異、それは
『第一次使徒闘争』を生き延びた使徒達であった。いわば『第二次使徒闘争』の始まりで
ある。
我々はこれを激減した戦力で迎え撃たねばならない・・・これは言うまでもなく非常に
厳しい状況である。人類の未来は闇に閉ざされてしまうのか?我らに希望の光はないのか?」
その時、いきなり画面が明るい光で包まれた。BGMに最近の流行歌が流れ、語り声ま
でも躍動に満ちたものに変わった。
「だが、この危機的状況に一人の少年が立ち上がった。彼はたった一人でエヴァを駆り、
人類の明日のために使徒に立ち向かう事を決意したのです。そして皆さんご存じのように、
つい先日見事使徒撃退に成功しました。
それではご紹介しましょう。本日のゲストは第三新東京市の新たな守護神、若き英雄、
鈴原トウジ君です」
スポットライトを浴びながら、照れくそうな顔をしたトウジがブラウン管に登場したの
は、トウジが初陣を飾った翌日のことであった。
「爪痕〜終わりの先にあるもの(後編)」
「安っぽい演出ね。まるで子供向けのヒーロー番組じゃない。もっと現実って奴を見つめ
られないのかしら」
アスカはスナックをつまみながら、つまらなそうに言った。
「別にいいじゃないか。現実だってそんなに大した物って言うわけじゃないんだし。でも、
本当に使徒との戦いが、こんなヒーロー番組ならみたいだったら良いんだけどね。だった
ら、正義の味方のトウジは絶対負けないんだし、安心できるんだけどなぁ」
シンジがアスカをなだめているのか、より辛辣な意見を述べているのかは、判断に悩む
ところである。
二人がそんな言葉を交わしている間にも、番組は進行していた。ネルフより提供された
先日の戦闘フィルムが流され、ゲスト席に並ぶ各界の著名人がトウジの活躍を称えていた。
TV局の表現を借りるならば『第一次使徒闘争』の後、ネルフは特務機関としての権限
をかなり失った。現在職員の正式な立場は国連の国際公務員。当然機密などは公には認め
られず、表向きはほとんどの情報が公開されている。経費は大幅に削減され、特権的立場
も奪い去られ、行く行くは一般公務員と融合されるだろうと言う噂まで流れている。
裏の道に長けたネルフなればこそ、表面上の開放的な姿勢と、外部からは決して覗くこ
とのできない暗い闇の部分を巧みに駆使することで、なんとかその地位を保てていた。し
かし、それでも超法規的な権力を失ったダメージは大きく、ネルフの地位を守り、復活さ
せるために日々惜しみない努力を払っていた。
その努力の中で、表面の部分の典型とも言えるのが、今回のトウジのTV出演である。
この番組の放映に際して、ネルフは情報提供やパイロットの生出演など、以前からは信じ
られないほど協力的な姿勢をとっていた。
そのトウジはと見れば、普段ブラウン管越しにしか会えない人物と直に話すということ
で、かなり緊張しているようである。もっとも彼の場合、政財界のお偉いさんなどはせい
ぜい「見知らぬおっさん」に過ぎない。むしろ最近人気のアイドルと話をする時の方が緊
張しているようで、出演者の質問にぎこちなく答えていた。
「現在ネルフで稼働可能なエヴァは2体あるって聞いたんだけど、なんでこの前は鈴原君
一人で出撃したの?」
「ええと・・・ま、まあ、あんな敵ぐらいやったらワシ一人の力で十分やしと違いますか。
もちろん相手が手強かったらもう一体出すやろうけど、今は女子の力借りる必要はあらし
ません。女守るのが男の役目ですさかいな」
「ほぉ、頼もしいですねぇ」
「それに、今ネルフってえらい貧乏らしいんですわ。そやからエヴァを2体も出すだけの
金もってへんのかも知れませんで」
会場がどっとわいた。自分の冗談が受けを取れたことにより、最初は緊張していたトウ
ジも徐々に饒舌になっていった。
§ § § §
同じ頃、その様子をTVで見ていたリツコは、少しあきれたような声を出していた。
「いいの?あんなことまで言わせて。内情ばらし過ぎじゃないかしら。それにあのだらし
ない顔。ネルフの権威が、がたがたじゃない」
ブラウン管の中ではトウジが、現在人気絶頂の美少女タレントと握手をして感激してい
る。その顔は今にも溶け落ちそうなほど緩みきっていて、とても人類の救世主だか守護神
だかには見えなかった
「別にかまわないっしょ、知られて困ることでもないし。今のうちは権威よりも親しみが
求められてるのよ。その意味で、あれもまあよしとしておきましょうよ。それにしても、
鈴原君も自分の言った冗談が本当だなんて思ってもいないでしょうねぇ」
そう、それこそがネルフがトウジの単独出撃を決定した最大の理由。正直なところエヴァ
は史上最大の金食い虫である。維持費、整備費、活動時の電源、武器弾薬・・・その全てが
非常に高価な物である。しかも運用の特性上、どうあがいても節約などはできない。
以前のネルフならばともかく、現在のように国連機関として収まってしまっては、経費を
湯水のように使っても何の心配もいらない、という立場にはないのである。その為、S2機
関を内蔵したことにより「経費無し」で出動可能な初号機の単体出動は、ネルフという組織
を維持するためには必須事項であった。ネルフがトウジに求めているものは、コストパフォ
ーマンス、そして世間の目を集中させる役割だけであった。
「それにしても彼の今回の初陣、一応勝つには勝ったけど・・・あの程度の使徒が相手だ
った割には手こずり過ぎね」
「無様だって言うんでしょ、分かってるわよ。でも仕方ないじゃない、シンジ君やアスカ
とは違うんだから。それに、こうなることを承知で彼をパイロットにしたはずでしょ」
ミサトの言葉にリツコは苦い表情で軽く頷いた。その言葉の示すとおり、昨日のトウジ
の初陣は、どうひいき目に見ても賞賛できるようなものではなかった。
昨日数カ月ぶりに出動のかかったエヴァが相対した使徒は、大きさにしてエヴァの約半
分。ATフィールドも極微弱のため、エヴァの質量を持ってすれば中和せずに突破するこ
とも可能であった。もし出撃したのがシンジ達であればものの数分で完勝したはずである。
ところがトウジの操るエヴァは、敵を取り逃がしそうになること数度、数十分にわたる
戦闘の末、ようやく相手を仕留めることができた。避難が完了していたため死傷者は出な
かったが、当然ながら物的被害はかなり大きいものがあった。
「で、肝心の本人は今回の戦闘結果をどう見ているの?反省してこれからは毎日訓練に励
むとでも誓ったかしら?」
「ぜ−んぜん。それどころか初陣勝利とTV出演で浮かれまくっているわ。ま、私も戦闘
終了後に、天才だ英雄だと褒めちぎってあげたんだけどね。でも、これで計算通りなんで
しょ?」
「まあ、仕方ないわね。それじゃあしばらくの間気持ちよく戦ってもらいましょうか」
二人は自分たちが吐いた紫煙により、部屋の曇りがほんの少し増したような気がした。
§ § § §
それからしばらくの間、トウジは学校や第三新東京市のみならず、日本中からヒーロー
として扱われていた。その役目上、他の都市まで出向くことはできなかったが、第三新東
京市では連日TVやラジオへの出演し、新聞雑誌からのインタビュー等におわれていた。
この現象を起こした背景の一つには、ネルフの以前とは比べられないほど協力的な体制
があった。各メディアはネルフから提供される様々な興味深い情報を、トウジという媒体
を通して、競って公開した。トウジ自身にもシンジ達の時ほど厳重な警戒態勢はひかれず、
一有名人として様々なところに顔を出せるよう配慮がなされていた。
ネルフからも様々な方面から、トウジに賞賛の声が降り注ぐように手を回していた。
しかし奇妙なことに、ネルフ自身は一貫して自分たちはあくまで装備の提供者であり、
戦闘における判断、決定、功績などは全てパイロットの物だという姿勢を貫き通している。
故に世間の賞賛の声はトウジ一人に集中し、ネルフはその陰に隠れてしまっているような
状態が続いた。
「トウジ、今日も何かの取材か?」
「ああ、今日は週刊誌や言うとったな。ホンマ参るわぁ、ワシはこんなんあんまり好きや
ないんやけどなー。綾波、お前も一緒に来んか?お前は出撃しとらんし呼ばれんかったけ
ど、エヴァのパイロット二人が仲良う取材受けたったほうが向こうも喜びよるやろ」
そういいながらトウジは、ますますしまりのない顔でにやけていた。
「すごいよなー、最近のトウジの人気。どの雑誌見てもエヴァ、エヴァ、トウジ、トウジ
だ。ちぇ、いいよなぁ」
クラスメイトと楽しげに話すトウジを横目で見ながら、ケンスケは不満そうにつぶやき、
今週発売された週刊誌をめくっていた。ご多分に漏れず、その雑誌もトウジの写真がでか
でかと掲載され、救国の英雄を称えていた。
「前の戦いで死傷した3人のパイロットの跡を継ぎ、ただ一人戦う人類の星・・・か。
おーいシンジ、お前達いつ死んだんだ?」
「たぶんエヴァのパイロットを降りた時かな」
「ふん、ネルフにとっちゃ役に立たなくなったのと死んだのは同じことみたいね」
むくれたアスカを見て、シンジは何となくおかしさがこみ上げてきた。最近では不機嫌
そうなアスカを見ても、子供がすねているみたいに見えてくるのだ。それだけシンジの心
にも余裕ができてきたのだろう。だから、こういう時はいつも、シンジは微笑みながらア
スカのなだめ役を請け負うことにしていた。
「アスカ、そんなに悪い見方ばっかりしないでおこうよ。おかげで僕たちは自由になれた
んだって思っておいた方が良いじゃないか」
「あんたってとことんお人好しね。あれは私達を解放するためじゃなくて、あそこで浮か
れている馬鹿に美談の一つも提供しろってことじゃない。使い捨て品の最後のおつとめと
してね」
「まあまあ、ご両人落ち着いて。俺が聞きたかったのはさ、ネルフにしては情報操作が甘
いんじゃないかってことだよ。だってそうだろ、お前達がエヴァのパイロットだったって
こと知ってる奴は結構いるぜ。こんな嘘の情報なんてちょっと調べれば、すぐばれるじゃ
ないか」
ケンスケの疑問に対し二人は顔を見合わせた後、アスカがため息混じりに話しだした。
「そんな証拠はどこにもないでしょ」
「証拠?なにいってるんだよ、この学校にいる奴なら誰だって知ってることだぜ」
「ケンスケ、つまりねネルフの公式発表では、僕たちは本当のパイロットを世間から隠す
ためのダミーだったって事になってるんだよ。だから、本当のパイロットの死亡と同時に
用なしになったからネルフからも解雇されたんだって。それなら一応話は通るだろ?」
「なるほどねー、でも面倒な事したもんだ。トウジに一般受けしそうなプロフィール追加
するためだけにねぇ」
「まあいろいろ考えてるんでしょ」
それだけ言うと、もうシンジ達はそのことに興味を失っていた。自分たちとは無関係な
ところで行われた決定だと信じていたから。
実のところネルフが予定していた処理、つまりゲンドウの指示は2人の解雇だけである。
それに余計な設定を加え決定したのはミサトであった。シンジ達が今後ネルフに関連する
いざこざに巻き込まれないようにするために。ミサトのこの行動は、完全にネルフの作戦
部長としてではなく、家族を守るためのものであったが、それを非難する者は誰もいなか
った。
§ § § §
その後も何度かトウジの出撃はあった。その間隔は長く、規模は小さく、人類の危機と
言うにはほど遠い戦闘だった。
しかし、その中にも多少の問題や不安は存在する。特に最近は、使徒の戦闘力が増して
いる兆候が見られるのだ。それに対して、パイロットとしての経験がほとんどなく、しか
も訓練を拒否しているトウジの戦闘技術は向上するはずもなく、徐々にだが戦闘の被害が
増えだしてきていた。
ネルフの圧力もあり、マスコミのほとんどは批判的なコメントをすることはなかったが、
実際に被害にあった者からの怨嗟の声はトウジの耳にも届いた。
トウジの未熟さから招いた被害とは言え、単純に功罪だけを比較するならば、使徒撃退
を果たしているだけに功の方が大きいと言える。だからミサトは、被害者から苦情が寄せ
られていると聞かされた時、いつもトウジに言い聞かせるのだった。
「鈴原君、あなたは悪くないわ。ああしなければもっと被害が広がっていたかもしれない
のよ。確かに直接被害を受けた人は私たちを恨むかもしれないわ。でもね、戦闘になれば
被害が出るのは当然のことよ。そして戦闘を仕掛けてきているのは使徒の方、悪いのは使
徒であって、街を守るために戦っているあなたが非難される謂われはないわ。そんな心な
い非難に惑わされずに胸を張って自分のしたことを誇りなさい」
そんな時、最初の内は暗い顔をしていたトウジだったが、褒め称えることに慣れた最近
は、当たり前のように答えていた。
「ありがとうございます、ミサトさん・・・そや、ワシはこの街のためにやっとるんや。
それを何もわかっとらん奴らに文句言われる筋合いはあらへん」
「一応、今回被害にあった人達には私達の方からしておくわ。今日はゆっくりお休みなさ
い。明日からまたよろしくね」
「ほなら失礼します」
ミサト達はトウジが帰宅するのをにこやかに見送っていた。だが、彼の姿が扉の向こう
に消えた瞬間、そこにいた一同の顔に不満の色が浮かんだ
「私達は悪くない、あなたは正しいことをした・・・か。よくもいけしゃしゃとあんな事
が言えるわね、ミサト」
「だってしょうがないじゃない。現状ではエヴァの操縦が可能なのは実質彼一人、最初に
登場拒否権を認めちゃったからには、乗りたくないなんて言わせないように持って行かな
くちゃね。そう言う意味では、今の状況はうまく行ってる方だわ。思い上がったり偉そう
になりがちだとしてもね。シンジ君の話だと、学校なんかでは随分態度が変わったらしい
けど、そのぐらいわ許容範囲にしてもらわないと」
軽い調子で話すミサトだが、自分のしていることが組織運営的にも、道義的にも優れた
行動ではない事は自覚している。だが、一度決めたことである以上、その実行をためらう
ことは許されなかった。
「でも、少しは責任感じてもらわなくちゃ困りますよ。遺族への対処だって大変なんです
から」
「ねぇ、戦災補助金ってうちが出さなくちゃいけないの?そんな予算無いんじゃない?」
「確か政府から出るはずだぜ。けど、うちにも多少の圧迫は来るだろうな。まったく、金
使わなくて済むように初号機使ってるのに、無駄金使わさないでほしいよな。あの程度の
敵、あんなに被害出さずにやれないのかね」
「前の子供達だったら、うまくやったんだろうけど・・・葛城さん、レイを前線に復帰さ
せるわけにはいかないんですか?」
ミサト達の会話を聞いていたオペレーターから不満の声があがった。トウジの出した被
害に対しては誰かの処置が必要であり、それが彼らの仕事を圧迫することは明白なのであ
る。
「文句は子煩悩のひげ親父に言ってやって。さあ、いつまでも愚痴ってないで、仕事仕事。
後始末が山ほどあるのよ」
エヴァに乗れる子供の確保、その目的ためにトウジは自分の行動に対する責任などは一
切負わされていなかった。考えさせられることさえなかった。そのことがトウジから行動
の理非に対する判断力を徐々に奪っていっていた。
§ § § §
多忙を極めるネルフ司令でも食事をとる時間ぐらいは存在する。最近のゲンドウはその
時間をレイとコミュニケーションをとる貴重な機会として活用していた。
「レイ、どうだ最近の生活は」
「・・・・・・」
ゲンドウの問いにレイは無言のまま少し首を傾げて見せた。二人の会話は万事この調子
だが、この日は珍しく変化が起きた。
「何か変わったことはあったか?困っていることは?」
「はい、最近碇君があまり話しかけてこなくなりました。それと、鈴原君が用事がないと
きにも話しかけてくるようになっています」
「問題はあるか?」
「・・・碇君が話しかけてこなくなってから、彼と話がしたいと思うようになりました。
これはおそらく”寂しい”という感情なのだと思います。鈴原君が話しかけてくるように
なってからは、本を読む時間が減ってしまっています」
「分かった、明日にでもシンジに電話を渡せ。お前と話をするように命令することにする。
鈴原トウジの件も葛城三佐の耳に入れておく」
「ありがとうございます」
会話と同時に食事を終えたゲンドウは、レイを残して席を立った。残されたレイは口の
端をほんの少しだけほころばせていた。
§ § § §
「で、わたしにどうしろと?レイにこなかけるなんて身の程知らずな真似はやめて、おと
なしくエヴァの操縦にだけ専念しろって鈴原君に伝えればいいの?」
心底あきれ果てて言い捨てるミサトと相対するリツコも、不機嫌さを隠そうとはしてい
なかった。ミサトとは目を合わせようともせず、ディスプレイの文字を目で追っていた。
二人の表情が何故こんな下らないことを命令されなければいけないのか、という思いを如
実に語っていた。
「そのまま言う必要はないわ。いつもみたいにうまく言葉を飾ってごまかせばいいのよ。
碇司令にはちゃんと伝えたけれど、彼が理解できなかったんだって言い張れば?どっちに
しても彼がここと関わるのは、もうあまり長い間じゃないんだからそれで十分よ」
「あーあ、正直最近の司令ってついていけないわね」
「ミサト、あまり口に出して言わないほうが良いわよ。あの人を敵に回したくないでしょ」
「味方にしても心安らぐ訳じゃないんだけど。まあ私はしがない公務員だしぃ、上司の命
令には逆らえないわよね」
「そうね。こんな下らない事まで命令されると、どんな些細なことでもあの人の思い通り
にならないことはないって余計思い知らされるわ」
「そうでもないかもよ」
ミサトの口調が急に変わったのを聞いて、リツコはディスプレイから目を離してミサト
の表情を伺った。その顔は先ほどまでの不機嫌そうな物ではなく、仕掛けた悪戯にいつ引
っかかるか待ちかまえている子供の目だった。
「何か企らんでるわけ?」
「私はなにもしないわよ。でも、レイのもう一つの希望はどうするつもりかなって思って
ね。シンジ君はもう碇司令の命令を聞く必要はないのよ。だとしたら、あの碇司令がどう
交渉する気かしら。見物だわ」
リツコはやや期待を外された思いだったが、当然のように答えた。
「威圧だけで十分だと思ってるんじゃないかしら。相手が相手だけに」
「もしそうだとしたら、親子って物を軽く考えすぎね」
そういうミサトの言葉は不思議と確信に満ちていた。
§ § § §
「碇君・・・・これ」
翌日、シンジが帰りの支度をしていると、レイがシンジに携帯電話を差し出してきた。
「え、これがどうしたの?綾波」
「碇君に話があるって」
シンジは軽く首を傾げたが、レイは何の反応もなくただ手を差し出すのみだった。
「はいもしもし、碇です」
仕方なく電話を受け取ったシンジが耳にしたのは低く重い声だった。
「シンジか」
「・・・・・父さん?」
「お前は最近レイとあまり話をしていないそうだが、真実か?」
「え・・・それがどうかしたの、関係ないだろ」
「レイが寂しがっている。普段からできるだけ話をしてやるよう気を使え。命令だ、いいな」
「命令?ふざけないでよ、いったい何の・・・」
シンジの返事を待たず電話は切れた。シンジはしばらく忌々しげに電話を見つめていた
が、やがて無言でそれをレイに渡すと席を立った。そのまま事の成り行きを見守っていた
アスカ達と共に教室を出ようとしたところで、レイの声がかかった。
「碇君」
「綾波、今の電話がなんだったか知ってるの?綾波が父さんに頼んだことなの?」
レイは黙ってうなずく。
「そう・・・じゃあはっきり言っておくね。僕はこれからはもう綾波とは話したくない。
それが今の電話の返事だよ。じゃあね」
それだけ言うと、シンジはレイを無視するかのようにさっさと歩きだしてしまった。
「ちょっとシンジ、なにがあったんだよ」
追いついてきたケンスケがシンジらしくない態度をとがめた。シンジは感情を押し殺す
ようにしながら、さっきの電話の事を語った。
「はあ?なによそれ。今更命令する権利があいつにあるって言うの?ふざけんじゃないわよ!」
聞き終えた瞬間怒りを露わにしたのは、やはりアスカである。ケンスケとヒカリも苦虫
をかみつぶしたような顔をしている。それでもこの中で一番の良識家と言えるヒカリは、
それにふさわしい意見を出していた。
「ねぇ碇君、たしかにその・・・腹は立つと思うけど、それで綾波さんに冷たく当たるの
はどうかと思うの。彼女には何の責任もないことだし・・・」
「何の責任もないだって!綾波に?」
その瞬間、シンジの中から押さえきれなかった怒りが一部吹き出したかのようだった。
「綾波は・・・綾波は知っていたはずなんだ。父さんが僕になにをしたか、僕が父さんの
事をどう思っているか、そういったことも全部!なのに・・・なのに綾波はそんなこと
なにも知らないかのように父さんと暮らした、あんな事父さんに頼んだ、そしてなんの
ためらいもなく父さんからの電話を渡したんだ!
そりゃね、綾波がなにを考えてなにを望もうが、それは綾波の自由だよ。でも、その
ことで僕がどう感じるか、なにも考えなかったんだよ。そんなことをしておいて、まだ
何かしてもらおうなんて勝手すぎるよ」
一気にまくし立てた言葉の後半は震え、泣いているのではないかとアスカ達は思った。
しかし、シンジはまたすぐに感情を抑え低くつぶやいた。
「僕には・・・綾波に優しくするなんてできない」
翌日、シンジが教室に入ると、物言いたげに立っているレイがいた。しかし、シンジは
その横を黙って通り過ぎようとした。その時シンジの肩をつかんで振り向かせた者がいた。
「シンジ、ちょい話がある。顔かせや」
そう言うトウジの周りには、最近トウジに付き従うようになった数人の姿があった。
最近のトウジはシンジ達よりこのメンバーでいることの方が多い。エヴァのパイロットと
して世間の尊敬を集める立場となったトウジは、シンジのように以前と同じく対等に付き
合おうとする者達を疎ましく思い始めていた。だから、自然とこのメンバーのように常に
自分をたてて、一段上に置くような態度をとる者達と居ることを好むようになっていた。
「昨日綾波にえらいひどい態度とってたちゅーのはホンマか?もしそうやったら、黙って
るわけにはいかんな。なんちゅう−てもワシと綾波は、二人だけのエヴァパイロットなん
やさかい。いわばこの世で一番のパートナーや。その相手に起きたことは人ごとやない、
なぁ綾波」
レイはトウジの言葉に眉一つ動かさず、シンジの顔を見つめていた。それを不快に思っ
たトウジは改めてシンジ向き直り、肩をつかんだ手に力を込めた
「放してよトウジ、これはトウジには関係ないことなんだから」
シンジの言葉が終わらぬうちにトウジはシンジの胸ぐらをつかみ上げた
「関係あるかどうかはワシが決める。お前は素直に答えたらええんや。シンジ、ええかげ
ん気づけや。前と今ではお互いの立場が違うんやで」
そう言いつつ、シンジの体を乱暴に突き放し、レイの方へと話しかけた。
「綾波、もうこんな奴気に掛けるのはやめとけ。ワシらエヴァのパイロットは、つきあう
相手もえらばなあかんで。ワシらにふさわしいような相手は限られてる、違うか?」
レイはしばし二人を見つめていたがやがて黙ったまま自分の席へと向かっていった。
トウジはレイが自分の言葉に反応を示さなかったことが不満そうだった。その分トウジが
シンジを見る目には憎悪の色が増していた。
§ § § §
やがてシンジ達は3年生へと進級した。クラス替えは行われたが、旧2−Aのクラスだ
けはほとんど変更がなかった。ただシンジとアスカの2人が隣のクラスに移っただけであ
る。
その後シンジ達は、3−Aでトウジがどのような日々を送っているか、噂以上の事を知
ることはできなくなった。ヒカリやケンスケ、ミサト達から聞こえる話からは、徐々にト
ウジが自惚れやわがまま、自分勝手、つまりは傲慢さの度合いを高めているように感じら
れる。たまに廊下などで会うと二言三言、話をすることもあるが、その言葉からもいかに
も突き放したような印象しか感じられず、聞いた噂が事実であることを再確認しているに
過ぎなかった。
シンジは思い切って何度かトウジに忠告もしてみたが、トウジはその言葉を聞くどころ
か、自分に対して意見するシンジを煩わしそうににらみつけてくるだけだった。最近では
露骨に無視される事もよくあった。徐々に変わり、疎遠になっていく友人にシンジは心を
痛めていた。アスカにとっては、トウジがどうなろうが知ったことではないのだが、未だ
親友がその思いを捨て切れていないことを知っているだけに、まるで無視することもでき
ないという状態だった。
そんな中、トウジは何度目かの出撃で使徒を撃退した。ただ、慣れから油断と増長に満
ちたトウジの操縦では、今までより大型化してきた使徒を相手にするには厳しい物があり、
ついに市街地、そしてシェルターの一部に被害を出してしまった。
それでも彼はいつものようにミサト達に絶賛されると満足してしまい、自分が起こした
被害については大して気にとめる様子もなかった。
だが、実際に被害にあった者にとってはそうはいかない。戦闘により家を全壊させられ
た生徒の一人が、翌日トウジにくってかかった。
「鈴原!お前自分がなにしたか分かってるんだろうな!」
「なにしたって・・・昨日の戦闘のことか?あれは少しばっか手強かったわなぁ。そやけ
ど見たか?ワシのテクニックを!奴の実力を見抜いたワシは素早よお回り込んで」
「なにがテクニックだ!てめぇ、どれだけの被害を出したと思っているだよ」
「何にもしてへん奴が無責任に非難すな。ワシがおらへんだらこんなところでのんきに話
なんかしとられへんのじゃ。それ分かってしゃべっとんのやろうな?」
「けっ、シンジがエヴァのパイロットだった時真っ先に切れた奴の言葉とは思えねえな」
「大体最近の鈴原、調子に乗りすぎ何じゃないの?」
「お前ら尻馬に乗って何言ってやがるんだ。泣かすぞ、こら」
言い争う二人を囲むようにして見守っていた人垣の中から、ぽつりぽつりとトウジを非難
する声が漏れ始めた。それに対してトウジの取り巻き連が恫喝を加え出す。教室が一種異様
な雰囲気に変わってきたとき、トウジの大声が響いた。
「お前ら口のきき方に気ぃつけろよ。あんまり勝手なことばっかり言うてると、お前らの
家の近くに使徒が出ても助けたらへんぞ。いや、ひょっとしたら戦闘中うっかりエヴァが
家ぶち壊してしまうかもしれんな。不可抗力ちゅうやつでな」
トウジの一言で今までざわめいていた教室が急に静けさを取り戻した。それを見たトウジ
は満足そうに笑いながら、自分の席へと向かっていった。
§ § § §
昼休みになり、屋上ではヒカリとケンスケに誘われてシンジ達4人が食事をとっていた。
だが、ヒカリは食欲がないらしく、お弁当を広げたまま手をつけようとせず、今朝教室で
あったことをぽつりぽつりと語りだした。最近の増長したトウジを見るだけでも辛いヒカ
リだったが、今朝のように姿を見ると、自分の気持ちもぐらついてしまうほどの嫌悪感さ
え感じてしまう。
「・・・ヒカリ、ヒカリには酷なようだけど、所詮鈴原ってあの程度の男だったのよ。
もうさすがにあいつがどれだけ下らない男か分かったでしょ。早めに気づいてラッキー、
ぐらいに思ってさっさと忘れた方が良いわよ」
「そんな!そんな簡単に・・・割り切れないよ。きっとネルフになんか入ったからああな
っちゃったんだわ。アスカ達みたいにパイロットやめれば元に戻ってくれるわよ」
その時ケンスケが目をそらしたままつぶやいた。
「人間ってさ、極限状態のときに本性って出るんだよな。今のトウジは前のトウジじゃな
いけど・・・それが本当の奴の姿じゃ無いとは言えないと思うぜ」
ケンスケにしては珍しくおちゃらけた感じのない重い口調だった。言われるまでもなく、
皆が今のトウジ変化が突発的、一時的なものだとは思っていなかった。ただ、(アスカを除き)
認めたくなかったのだ。
長い沈黙が続き、全員ただ黙々とお弁当を口に運んでいた。そして、まもなく昼休みが
終わろうかと言うときになって、ようやくヒカリが瞳に強い意志を宿して、アスカに向け
て宣言するように言った。
「アスカ・・・私決めたわ。明日こそ鈴原にお弁当渡す!」
「え!でも、苦労するわよ、あんな奴相手じゃ。前にヒカリはあいつのこと優しいって言
ってたけど、今はそんな勘違いもできないほどひどい奴だって分かってるでしょ。それで
もいいの?」
「うん・・・本当の事言うとちょっと迷っている。第一、鈴原が好きなのはやっぱり綾波
さんみたいだし。だけど、でもこのままだと鈴原がどこかにいっちゃいそうな気がするの
・・・まだ、それが悲しいって思えるんだから、だからやってみる。私にできることをや
ってみる。これ以上鈴原が変わっていくのって見ているの辛いから。私、後悔したくない
モン」
ヒカリのまっすぐな言葉を聞いたアスカは、これ以上自分が何か言うべきではないと悟
っていた。
「そう、そこまでの覚悟があるならもう止めないわ。ガンバレ、ヒカリ!あの馬鹿がちゃ
んと改心するかは分からないけど、人並みの神経持っている相手なら、ヒカリの良さは間
違いなく伝わるはずよ。あ、でも鈴原ならかなり怪しいかもしれないわね・・・。でも、
あいつが他の娘に相手にされるなんてことだけは、絶っっっ対にありえないからそれは安
心よ。あんな奴とくっつこうなんてボランティア精神に富んだ、物好きな人間なんてヒカ
リ以外にいるはずがないって、この私が心の底から断言して上げるわ!」
自分の言葉に納得したように一人うなずくアスカを見ながら、やや引きつった表情で、
ヒカリはシンジに尋ねた。
「・・・一応励ましてくれてるのよね?」
「たぶん・・・ね」
§ § § §
翌日の昼休み、がちがちに緊張したヒカリが少し大きめの包みを机の上に出して、静か
に深呼吸をしていた。
やがて意を決したヒカリは、ゆっくりとトウジの方へと歩き始めた。そしてヒカリのフ
ォローをしたいのか、はたまた野次馬のためか、わざわざシンジを引き連れ3−Aにやっ
てきたアスカもヒカリの後に続いた。
「ったく、今日は焼きそばパン無しかいな。明日からはもっとちゃんと買ってこいや。
ん?この卵焼き甘すぎるで。お前とこのおかんに言うとけよ」
買いに行かせたパンをほおばり、人の弁当の中身を物色しながらご満喫だったトウジが
そんなヒカリの様子に気づいた。
「なんや、なんかようか?」
「すっ鈴原、これお弁当。良かったら食べて」
「・・・ああ?」
弁当の包みとヒカリの顔を見比べながら、トウジは訝しげにそれを受け取った。この時
点で、トウジはヒカリの行動の意味することが理解できていなかった。それは彼の鈍さと
言うより置かれた環境の特殊さ、つまり、周りの者が自分のご機嫌取りをするのは珍しい
ことではない、と言うことに依存しているのであろう。しかも、それを見ていた取り巻き
の一人が悪意に満ちた言葉を投げかけてきたのだ。
「何だ洞木、お前も鈴原に取り入ろうってか?まったく、俺達みたいに最初っから鈴原の
実力を理解しているならともかく、後からのこのこご機嫌伺いなんてみっともないと思わ
ないのかねぇ」
その言葉がトウジに与えた影響は絶大だった。トウジはヒカリの行動を卑しい行為へと
ねじ曲げたのである。
「そうか委員長。まあ、せっかくの弁当やからろといたるし、そういう殊勝な心がけやっ
たらお前もきっちりエヴァで守ったる奴の中に含めたってもええで。そやけど正直意外や
ったな、委員長が付け届け持ってくるとはなぁ。・・・なんや、命助けて欲しいっちゅう
割には品粗な弁当やのう」
その時ヒカリは自分がどんな顔色をしているか想像もできなかった。ただ体が真から冷
えていっているのは自覚できた。彼女には一つだけ不思議に思うことがあった。何故自分
は今倒れずに立っていられるのだろうか?ということが。
彼女の淡い恋心は卑しい行為と混同されていた。それを間近で聞いていたアスカが切れ
ないはずがない。だがアスカよりも早くトウジに向かう影があった。
「トウジ!」
叫びながらシンジが繰り出した拳がトウジの顔面を捉え、トウジを座っていた机ごと後
ろへひっくり返した。
「シンジお前・・・なにさらす!」
トウジはすぐに飛び起き、シンジにつかみかかった。トウジの拳を避ける暇もなく2,
3発食らったシンジが床に倒れると、トウジはすかさずその上に被さり、胸ぐらつかんだ
「シンジ、いつまでも調子にのっとるんや無いぞ。お前はもうエヴァのパイロットでも何
でもないんやからな。パイロットに対する態度を今日こそじっくり教えたるわい。自分の
立場を、ちゃんとわかっとかんかい!エヴァ抜きやったら偉そうにするだけの力もないく
せに」
トウジに組み伏せられて悔しそうにしているシンジを見ても周りの者は止めようともし
なかった。それどころか大部分の者がトウジの言葉に追従するかのようににやにや笑って
それを見ていた。
「なんでぇ、えらく勢いよく飛びだしたと思ったらこいつ泣いてやがるぜ、なさけねぇー」
その言葉通りシンジの目には涙が光っていた。ただ、シンジの顔には悔しさや苦しさ以外
の何かが宿っていた。
そしてトウジが拳を振り上げたとき、鈍い音がしてトウジが派手に机の中に突っ込んで
いった。床に寝そべったままシンジが見上げてみると、アスカが高々と蹴り上げた足をゆ
っくりと下ろすところであった。
「いっつーーー。惣流!今度はお前か」
蹴り飛ばされたトウジが身を起こして、怒りに満ちた目をアスカに向けた。ぶつかった
ときに切れたのか、額には血がにじんでいた。
「ずいぶんと偉そうなこと言ってたようだけど、あんたが言うような台詞じゃないわよね。
エヴァのパイロットって以外何の価値もない男が、権力笠に着て威張り散らしているなん
て、みっともないのを通り越して醜いだけ。ヒカリのことを思って今まで黙っていたけど、
いい加減にしときなさい、この下種が!」
「な、なんやとぉ!エヴァのパイロットやった頃、威張りちらしとったお前らが言うこと
かあ!」
トウジの怒りの咆哮にもアスカは動じず、いかにも馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「品性下劣な上に記憶力までないようね。シンジがエヴァのパイロットだってことを自慢
したことあった?それに、私は実力、美貌、頭脳の全てを兼ね備えた存在だから、それに
ふさわしい態度をとっていただけよ。すなわち、この私が惣流・アスカ・ラングレーだか
らこそ許された行為なのよ。そんなことも理解していなかった訳?ばぁーか」
よくよく考えれば無茶苦茶な理屈だが、アスカが胸を張ってそう言い切ると、聞いてい
る者達は思わず納得してしまった。理屈がどうあれ、アスカが断言してしまうと、聞く者
はそれが真実であるかのような錯覚を起こしてしまう事がある。これは、一種の才能とも
言えよう。
ただ一人納得出来ない者もいたが、彼の関心はアスカの理屈よりも、その後に放たれた
ただ一言に移ってしまっていた。
「誰が馬鹿じゃ!」
「あんたに決まってるでしょ。少しは自覚しなさい、ばぁーーか」
「惣流〜!ええ加減にしとかんといくら温厚なワシでも」
「ばぁ〜〜〜か」
「殺す!」
そう多くもない忍耐力を完全に使い切ったトウジは、アスカめがけて突進してきた。
だが、幼少の頃から厳しい訓練を受けたアスカと、ほとんどの訓練を拒否しているトウジ
では戦闘力に天と地ほどの差がある。トウジの拳をあっさりかわすと、カウンター気味に
膝をトウジの腹にたたき込んだ。トウジの体が二つに折れたところをすかさず後頭部に肘
を入れる。その連撃でトウジは昏倒してしまった。
「あら、もう終わり?ホント、エヴァ抜きで偉そうに出来るだけの力を持ってるかって言
うのは、よぉーく知っておくべきよね」
慌ててトウジの取り巻きが彼を介抱し始めた。それを見下ろすように眺めていたアスカは、
身を起こしたまま項垂れるようにしていたシンジに声を掛けた。
「ま、あんたにしてはすぐ飛びかかっていったのは上出来だったわね。すぐやられる辺り
がいかにもあんたらしいけど。ほら、それ位の事でいつまでも泣いてるんじゃないわよ」
「そんなことで泣いてるんじゃないんだ。ただ・・・友達だったんだ。トウジは、この街
で最初の、大切な・・・友達だったんだ・・・」
涙を流しながら語るシンジの言葉を聞き、周りの者の何人かはシンジの涙の意味に気づ
いた。それは怒りと悲しみ。大切な友達を奪っていった何かへの怒り、自分の目に映るト
ウジと過去のトウジの違いを思っての悲しみ。それを理解できた者の中に、シンジが今泣
いていることがみっともないと思う者はいなかった。
そして、アスカ達シンジに近しい者はもう一つ大事なことを知っていた。人との交流を、
友達と呼べる存在を心の底から求めていたシンジがトウジを語るのに「過去形」を用いた
ことを。
§ § § §
二人がその日の放課後校門から出た瞬間、以前見慣れた黒服が二人の前に現れた。
「惣流・アスカ・ラングレーだな。エヴァパイロットに対する暴行容疑で連行する。おと
なしくついてきてもらおうか」
「・・・ふ〜〜ん、そうくるか」
「ちょ、ちょっと待って下さい。話を聞いて下さい。アスカは悪くないんです。アスカは
ただ・・・」
「連れて行け」
「心配いらないわよ。ま、ミサトが何とかしてくれるでしょ」
アスカは軽い口調でシンジに言い、自分から止めてあった車に乗り込んでいった。
§ § § §
数時間後、ネルフ本部にある独房の扉が開いた。その瞬間騒々しい声が響く。
「ミサト、遅いじゃない。こんな薄暗い所に閉じこめていつまで待たせる気よ。おなかも
減ってきたのに晩御飯も出ないし!」
「アスカ、自分の立場分かっている?」
アスカは決して頭の巡りが悪い子ではない、自分の立場を理解していないはずがないの
だ。それに、なにがあってもミサトに助けてもらえると思うほど、無条件の信頼を置いて
いる訳でもない。それでもなおこのような口調を崩さないアスカを目にすると、ミサトも
あきれると言うより、苦笑するしかなかった。
「いい、アスカ。ここでの私達は保護者と被保護者でもなければ、かつての上官と部下で
もないわ。あくまでネルフの作戦指揮官と貴重なチルドレンに対する暴行犯と言う関係よ。
それを忘れないでね」
「へぇ、あんな喧嘩ごときでねぇ。今のチルドレンは以前に比べてずいぶん大事にされて
いることで」
平然と言い返すアスカの言葉にミサトも一瞬言葉を詰まらせた。それほど悪意を込めて
言った訳ではなさそうだが、ミサトが仕事に徹することをためらわせる効果はあったよう
だ。
「・・・単刀直入に言うわ。ネルフにはチルドレンの保護の義務があるからあなたを確保
したけど、本来一市民を裁く権利はないわ。暴行と言っても大した怪我をしたわけでもな
い、だからあなたに反省の色が見えて謝罪するなら即時釈放してあげることも可能なの。
だからね・・・」
「いや!」
「まだ何も言ってないでしょ。謝罪しなさいアスカ!そうでなけりゃ、まだもっとここに
いてもらうことになるわよ」
「どうせ事情ぐらい調べたんでしょ。わかってるはずよ、私が謝る必要性がどこにあるのよ」
「そっちこそ分かってるはずでしょ。これは必要性の問題じゃないの。あなただから譲歩
してあげているのが分からないの!」
しばし睨み合っていた二人だが、先にミサトが表情を変えた。歳に似合わずいたずらっ
子のような顔に。
「ねぇ、明日あなたが学校に行かなかったら洞木さんやシンジ君はどうなると思う?」
「はぁ?」
「だって、今日の喧嘩の当事者ってシンジ君だったんでしょ。その相手がいないとなると
あなたに恥をかかされた人はどうするかしら。それに自分が原因でアスカが独房入りさせ
られたって洞木さんが聞いたらどう感じる思う?」
「・・・・・・・」
「なにも鈴原君に頭を下げろとまでは言わないわ。今ここで反省と謝罪の意志を見せてく
れれば、それで良しとしときましょう。どう、これで手を打たない?」
「・・・わーったわよ!ごめんなさい、私が悪うございました。深く反省しておりますの
で、どうかお許し下さい!これでいいんでしょ!」
「はぁ・・・アスカって本当に謝るのが嫌いなのね。まあ良いわ、これで反省の意志が見
えるようだから釈放って事にしておいてあげる。出なさい」
独房から出たアスカはミサトと並んで歩きだした。
「それにしても、出しておいてもらってなんだけど、ずいぶん甘いのね?」
「うーーん、これでも一応あなたの保護者なのよ。それに、あなたが捕まってすぐにシン
ちゃんが連絡してきたの。それこそ必死になって取り乱す寸前ぐらいにになって、何とか
して下さいって頼み込んできてね。今も本部入り口前でアスカが出てくるのをすっと待っ
てるそうよ。
捕まったのがあなたで、すがりついてくるのがシンちゃんじゃねぇ・・・ま、多少甘く
なってもしょうがないと思わない?もともと通報がなければ、連行するのもばかばかしい
ぐらいのことだしね」
「ふーーーん。・・・ねぇ、この際だからはっきり聞いておきたいんだけど、今の鈴原の
扱い、あれってどういうつもり?こっちとしても我慢の限界を突き破っちゃったんだし、
いつもみたいにごまかしたりしないで、はっきり答えて欲しいわね。豚をおだてて木に登
らせて、どうするつもり?」
「・・・私達はおだてただけよ。それで木に登るのは本人の責任、まして木から降りよう
としなかったり、私達が用意した木以外の他の所に飛び移ろうとするのはね」
「・・・狡いのね」
「大人なのよ」
ちょうどその時二人は本部入り口にたどり着き、二人は無言のまま分かれた。きびすを
返しかけたミサトの目の端に、シンジの満面の笑顔が見えたが、今のミサトにはその笑顔
を正面から見ることは許されなかった。
§ § § §
翌日何事もなかったかのように登校したアスカだったが、トウジは何事もなかったよう
にする気はなかったようである。わざわざアスカのクラスに押し掛けてくると、顔を見る
なり絡んできた。
「おう惣流、昨日はどないやった。独房は快適やったか?」
「おかげさまでね。また入りたいとは思わないけど、まあ良い経験だったわ」
「さよか。そういやお前、反省して謝ったから出られたそうやな。そやけど、当事者たる
ワシに一言もないのは変とちゃうか?もういっぺん檻に入りとうなかったら、今ここで謝
ってもらおうかい」
周りの空気が一瞬緊張した。そんな中アスカは眉一つ動かさずトウジの前まで進み出た。
「鈴原君」
わざとらしく、ゆっくり丁寧な口調で語りかけたアスカは次の瞬間、トウジの襟首をつ
かみ上げた。
「昨日はどうも」
言うと同時にトウジの体を背負うと手加減抜きで床に叩き付けた。
「ごめんなさい・・・って聞いてないようね」
受け身を取る暇もなかったトウジはまともに背中を受け付けて息もできなくなっていた。
トウジを捨て置き悠然と席に向かうアスカにクラス中から拍手と歓声が湧いた。アスカが
それに答えるように軽く手を挙げていた間に、ようやく息を整えたトウジは携帯を手にし
ていた。
「アスカ・・・昨日私が言ったことちゃんと理解してるの?」
独房の扉越しにあきれた顔を見せるミサトに、アスカは不敵な笑みを返した。
「さ・あ・ね」
§ § § §
「パターン青発生、南市街区です。しかもこれは・・・かなり大きいぞ」
「今までの中で最大規模のようね。もっとも、それでも本来の使徒とは比べものにならな
いけど」
「おそらく、使徒が四散してから今まで、ゆっくり時間を掛けて成長してたんでしょうね。
この使徒が群体だったときに成長しなかったことに感謝するしかないわ」
「パイロットに連絡。エヴァンゲリオン初号機発信準備、急げ!」
校庭に乗り入れられた高級車により、トウジはネルフへと向かった。だが、以前あった
彼への歓声は最近ではすっかりなりを潜めている。トウジ広いシートに深々と腰を沈めな
がらそのことに不満を感じていた。
急ピッチで発信準備が進められる格納庫、その横のパイロット控え室でのんびりとお茶
をすするトウジに対し、ミサトは平時の気楽な調子で話しかけていた。
「今回の敵ね、いつもよりちょーっち手強いみたいなの。あ、でもね初号機と鈴原君の実
力を持ってすれば大したこと無いわよ。いつも通りさっさと倒しちゃって。ぶわーっと行
きましょう、ぶわーーっと。決戦場所が市街地だから、そこからできるだけ遠ざけようっ
て言うことだけ気をつけてね」
ミサト本来の気質からするとこの言動はそう違和感のあるものではない。だが、この時
のミサトの態度は9割方演技であった。都市部での戦闘というデリケートな戦闘を要求さ
れる今、すぐ熱くなり状況を忘れ、突っかかっていくトウジの出撃自体、大きな不安要素
となるのだ。そのことにくぎを差しながらも、何とかトウジを乗せて深く考えないままに
出撃させねばならない。ミサトがここにいるのは職務怠慢のためではない。現在の作戦部
長の役割は、いかにパイロットに気軽に戦場に向かわせるかなのだ。
「まかしといてください。そやけど、最近クラス奴らとか見ててもわかるんですけど、わ
しらに対する感謝の気持ちっちゅうやつが薄れてきてるんちゃいますか?あいつら誰のお
かげで平穏無事に過ごせてるか全然わかっとらん。少々被害にでもあったほうがわしらの
ありがたみが分かるかもしれませんで」
「鈴原君、今のはたとえ冗談でも聞き逃せないわよ。全力で守ろうとしてその結果出てし
まった被害はある意味仕方ないわ。でもね、守らなくても良い、被害を出した方が良いな
んて考え方で戦闘されちゃたまったもんじゃないの」
「そないマジにならんでも軽い冗談ですがな。ワシはただ自分がやったことをちゃんと評
価して欲しい言うとるだけです」
「そ、そうねごめんなさい。そのことはこちらでも考えておくわ。そろそろ出撃準備がで
きたみたいね。頼むわよ鈴原君」
一瞬、素に戻って真顔で忠告したミサトだったが、トウジの反応を見て、慌てて元の明
るい口調に戻った。
§ § § §
「第一拘束具除去」
「カタパルト射出準備OK」
「エヴァンゲリオン発信準備完了」
慌ただしい声が飛び交う中、ミサトが発令所に戻ってきた。
「葛城さん、準備完了しています」
ミサトは軽く頷くと凛とした声で命じた
「発進」
すさまじい勢いで打ち出される初号機を見ながら、ミサトはすぐ横のリツコに話しかけた。
「リツコ、最近のトウジ君のことどう見る?」
「どうしたの急に?何か問題あった?」
「ちょっとね。いくら何でも甘やかせすぎたかなって反省しているところ」
「そうね。でも本来の目的からすればちょうど良いわ。科特研から例の物の完成報告も来
てることだし、少し計画を早めるのも良いかもね」
リツコの返答をしばし思案したミサトはやがて何かを吹っ切るように毅然として言った。
「わかったわ、そうしましょう。何かきっかけができたら計画を実行するわ」
その言葉に軽くうなずいたリツコは、皆が戦闘準備に追われる中、落ち着いた動作でコ
ーヒーを注ぎはじめた。
「ところで、やっぱりレイは使えないの?ったく、使わないならパイロットから解放して
あげりゃ良いのに」
「司令はレイを手元に置いておきたかったのよ。レイの環境を考えると養子にすればいい
と思うでしょうけど、あの人は親として子供と接してうまくやっていく自信がないのよ。
だから、司令とパイロットというつながりを持っておきたかったのね。・・・あの人は本
当はかわいそうな人なのよ」
「同情する気はしないわね」
寂しげだが、愛おしさを含んだ表情で語るリツコの言葉を、ミサトは一言で切り捨てた。
表情を苦笑に切り替えたリツコは泥のようなコーヒーを一口すすり、表情をさらにしかめ
ていた。
§ § § §
戦闘はトウジの勝利で終わった。しかしミサト達の不安は現実のものとなってしまった。
ミサトの指揮を無視し、使徒正面から格闘戦を始めたエヴァは町中を蹂躙し、ついにはシ
ェルターの一つをも破壊してしまった。死者数名、重傷者多数の大惨事である。
ミサトはエヴァから降りたトウジにそのことを伝えた。ただし、かなり控えめに、シェ
ルターが破損して怪我人が出たとだけ。それを聞いたトウジは大して気にする風でもなく
言った。
「そやけど、ワシがやらんかったらその何十倍も被害出てたんやしな。また文句言う奴も
出るやろうけど、そんなん気にすることはない、胸はっとればええ、でっしゃろ?」
「ええ、その通りね」
「苦情の処理はいつも通りネルフでお願いしますわ。ワシはもうあがらせてもらいますで
今日は疲れたわ、なんせ最近あいつら手強なってきたし」
軽い足取りで去るトウジの後ろ姿を見ていたミサトは低くつぶやいた。
「きっっかけ・・・かな」
§ § § §
トウジが家へと帰る途中、あちらこちらで建物は半壊し、人々は騒然としていた。いつ
もより大きな混乱に多少戸惑ったトウジだったが、もう自分の仕事ではないと思い直し、
まっすぐ家へ向かった。
「ただいまー、帰ったで〜」
だが、そこにはいつも彼を迎えてくれる妹や父親達の姿はなかった。玄関の鍵は開いて
おり、部屋の明かりもついたままで、ちょっと近所に出かけたかの様であった。
首を傾げて、しばらく待ってみたトウジだったが、誰も帰ってくる様子はない。その時、
留守番電話になにやらメッセージが入っているのに気づき、再生してみた。
「トウジ、帰ったらすぐ中央病院に来るんだ、ナツコが怪我をした。今から手術に入る。
急ぐんだぞ」
電話の父の声は少し取り乱しているようだった。そしてその言葉は、トウジを取り乱さ
せるにも十分なものであった。
トウジは全速力で病院へと向かった。走るトウジはその間何も考えられず、何も考えよ
うとはしなかった。ようやく病院にたどり着いたトウジは、手術室の前でたたずむ父親と
祖父を見つけた。
「親父、どないなっとるんや。ナツコは大丈夫なんか?」
トウジの叫びにゆっくりと顔を向けたトウジの父は、いきなり息子の顔を叩いた。
「トウジ、私達がいつもお前に言っていただろう。あまり調子に乗りすぎるな、責任を持
って慎重に行動しろと。なのにお前はその言葉を聞こうとはしなかった。その結果がこれ
だ。お前はナツコになんと言って詫びるつもりだ!」
静かだが、厳しく容赦ない言葉がトウジにかけられた。
「ど、どういうことや?まさか、ワシのせいでナツコが?」
「ああ、今日の戦闘でお前が踏み壊したシェルター、そこにナツコはいたんだよ。ナツコ
だけじゃない、他にも大勢の人達が・・・この病院にもその人達が何人も・・・」
それだけ言うとトウジの父は再びベンチに腰を下ろし、うなだれたまま動かなくなった。
トウジはかつて彼女が怪我をしたと言うだけでシンジを殴った。彼女の治療ができるとい
う条件でエヴァにも乗った。トウジにとって何よりも大切な存在である妹を自分が傷つけ
た。その事実を突きつけられたトウジは、なんの反応も起こすことが出来ず、床に座り込
んだまま手術が終わるのをただ待ち続けた。
§ § § §
数時間後、トウジの妹の手術は終了し、彼女は一命を取り留めた。
強ばった顔をようやくゆるめることが出来たトウジの父はトウジに向け語った。
「トウジ、ナツコは運良く助かったが、大怪我には違いない。ましてや助からなかった人
達も居るんだ。お前がこれから考えなくちゃならないことは分かるな」
父の言葉にトウジは力強く頷いた。
「わかっとる。今からネルフ行って、ナツコら傷つけた落とし前はつけさせたるわい」
そう言うと、トウジは父が止める暇もなく飛び出していった。後に残されたトウジの父
は拳を強く握り、忌々しげに吐き捨てた。
「馬鹿息子が」
§ § § §
ネルフ本部に駆け戻ったトウジはすぐさまミサトを呼びだした。しばらくして現れたミ
サトは近頃になく冷ややかな目をしていたが、トウジはそれに気づくこともなく、まくし
立てた。
「どないなってるんや、家帰ってみたら妹が戦闘に巻き込めれて重傷おっとったんやで。
ネルフは一般市民の保護もしとらんのか、ワシ一人に戦闘させて自分たちはなんもせんと
見てるだけかい。いったいどないして責任取るつもりや」
「鈴原君、あなたは納得していたはずよ、多少の犠牲はしょうがないって。それについて
文句を言うのは、何も分かっていない人のわがままだって。他の事例と同じく妹さんには
規定に定められた補償が行われるわ。でもこのことに関する責任は誰も追及されない、あ
なたも、私達ネルフもね。これまでそうだったしこれからもずっとそうなのよ。あなたが
今までやってきたことはそう言うことなの」
「ふざけんな!なに勝手なことばっかりぬかしとるんじゃ。あんたらのせいでワシの妹が
どんな目にあった思うとるんじゃ。やっと退院できたと思うたまた入院やど。そうか、そ
っちがその気やったらワシにも考えがあるで。ワシはもう二度とエヴァには乗ったらん。
自分の家族を犠牲にするような命令は、死んでも聞いたらんからな!」
今回の自己の責任を全てネルフに押しつけるかのようにトウジは一気にまくし立てた。
リツコから要請のあった訓練を黙殺し、ミサトの指示を無視して自分の思い通りに戦って
きたことには触れようともしない。実際、彼は本気でそう思いこんでいたのだ。今までの
功績は全て自分の力によるものだが、被害は全てネルフの失態のためだと。
そして今までミサト達は彼のこのような言いぐさにも全面的に譲歩してきた。だが、今
日のミサトは彼の言葉にも眉一つ動かさず静かに言った。
「そう、なら仕方ないわね。あなたの希望通りにしましょう。鈴原君、本日この時刻をも
ってあなたをエヴァンゲリオンパイロットであるフォースチルドレンから解任いたします。
長い間ご苦労様でした。退職金は規定に沿って口座に振り込んで起きますので」
ミサトの言葉にトウジは呆気にとられていた。口をぱくぱくさせているトウジを見なが
らミサトは更に言葉を継いだ。
「幸い先日、新型の車両搭載型の加粒子砲完成しました。これによって、エヴァ抜きでも
都市防衛の目処は立ちましたので、後の心配はなにもありません。私物はここにおいてな
いわね?たった今からあなたは部外者になるわけだから、ここに止まることも禁じられま
す。職員の案内に従って、15分以内に施設から立ち去って下さい」
それだけ言うとミサトは彼に背を向けて歩き出した。ここにいたってようやく気を取り
直したトウジがミサトに追いつき、くってかかった。
「ちょっと待ったれや、なんじゃいそれは。今までさんざん命がけの仕事やらしといて、
問題が起きたら使い捨てかい!新しい武器ができたら、はいご苦労さん、で終わりにする
気かい!そんなんで誰が納得できるか」
ミサトは歩みを止めずにちらっと一瞥しただけで言い捨てた。
「勘違いしないで、誰もあなたの納得なんて求めてないわ。自分の立場を理解できない人
間はここには必要ないの。連れていって」
いつの間にやらやってきた職員がトウジの腕をつかみ、彼を引き連れていった。なおも
叫び続けるトウジの言葉に耳を傾ける者は、ここには誰もいなかった。やがてネルフ本部
から叩き出されたトウジは、胸の中にネルフへの憎悪をたぎらせながら家路につくしかな
かった。
§ § § §
彼にとってこの一年あまりの間に起きた出来事は、衝撃が大きすぎた。彼がかつて持っ
ていた価値観や考え方を全て塗り替えてしまうほどに。
トウジは「エヴァのパイロット」であること、誰もが自分の言うことに素直に従う快楽
に一度酔ってしまった。ゆえに、対等に人との付き合うことは自分が不当に評価されてい
る、理不尽きわまりないことと感じるようになってしまっていた。人から賞賛され、尊敬
され続けるのが自分の本来あるべき姿だと信じて違わなかった。
彼がこれから先、世間からどのような目を向けられるかは推して知るべしである。そん
な中で、彼が自分はどれだけの物を失ってしまったか気づくか〜〜あるいは気づかずに、
延々と悪いのはのは全てネルフや周りの者だと思い続けるか〜〜は全てこれから先のこと
である。
§ § § §
「終わったわよ」
作戦指揮官としての仮面を半分だけ外したような口調で、ミサトはリツコにそう告げた。
「ご苦労様。これで対外的には、最近の作戦行動の不手際はパイロットの独断専行ってい
うことで終結できるわね。国連や政府にはこれまでのパイロットの動向の詳細なレポート
を提出済みだし納得させられるわ。これで、ネルフのような特殊な組織を運営するには、
人道的とか開放的とかきれい事じゃやっていけないって進言できる準備はオーケーよ。正
攻法じゃ心を狂わせてしまう様な物を扱っているっていう実例を見せつけてくれたおかげ
でね。徐々にでも以前のネルフに移行いくきっかけにはなるはずよ」
その時、ミサトが不服そうな顔をしているのに気づいたリツコは冷静に言い添えた。
「大丈夫、未成年の彼が法で裁かれることはないから。第一、私達は事実無根の作り話を
している訳じゃない。実際に彼がやったことよ。責任をとらされたとしても、文句を言わ
れる筋合いでもないわね」
深くイスに腰を下ろして、背もたれに体を預けるミサトを見ながら、リツコは独り言で
もしゃべるかのように淡々と話した。
「次はこの後どうするかね。確かに対使徒戦の目処は立ったわ。でも、エヴァというのは
絶対的な力の象徴。対外勢力への牽制のためにも常に起動できる状態にしておかなくては
ならないし、そうなると新しいパイロットには・・・」
しばらくその言葉を聞くともなしに聞いていたミサトが静かにつぶやいた。
「それにしても・・・子供達の人生を食い荒らしながら保身を計って存続し続けるか、仕
方ないとはいえやってられないわね」
それを聞いたリツコはいかにも意外だという顔をした後、朗らとも言える笑いを浮かべ
て言った。
「あら、それがネルフでしょ?」
§ § § §
闇があった。一つの部屋の中に。
闇があった。そこに住まう人々の中に。
「碇司令、これが次期パイロット候補者です。一応2名ほど候補にあげてあります。1名
は先日のフォースチルドレンの戦闘により被害を受けた家族の治療のため、ネルフ内の医
療施設の使用を必要としています。もう1名は本人の意思によりパイロットになることに
積極的のようです」
司令直属の調査機関よりの報告書が司令室のテーブルにおかれた。そこには2名の少年
少女のプロフィールや能力、環境などの調査結果が写真とともに事細かに記されていた。
ゲンドウはそれを一瞥しただけで断を下した。
「パイロットに本人の意思は必要ない。パイロットに必要なのは戦わねばならぬ理由だけだ」
「はっ」
調査員が退室した後の部屋で冬月はうんざりしたような口調で漏らした。
「やれやれ、また一人、子供の人生を踏みにじらねばならないとはな」
それを耳にしたゲンドウは組んだ手の下で笑みを浮かべながら答えた。
「冬月、私達はパイロットに対して選択肢を与えなかったことは一度もない。エヴァに乗
るか乗らぬか、それを必ず問うた。彼らは皆自分の意志でエヴァに乗ったのだ。その責任
は本人が負うべきなのだよ。なにがあったとしてもな」
彼らの言葉は、思惑は、その閉ざされた闇に消えていく。
§ § § §
戦いは
その爪痕を
人々の心と人生に
深く
刻み込む
§ § § §
部屋の中に一台のTVが置かれていた。夜の時報がなる数分前、その電源がONになり、
初老のニュースキャスターが感情を交えたしゃべり方で、熱弁を振るっているのが聞こえ
てきた。
「さて、本日のトップニュースです。あまりもの身勝手かつ、無責任な行動を繰り返して
いた為問題視されていたエヴァンゲリオンの戦闘の件ですが、パイロットである鈴原トウ
ジの搭乗拒否による解雇という形で一応の決着を見ました。
しかし、未成年の少年とはいえ、自分の立場によって得られた特権を乱用し、それに付
随するはずの責任は十分に果たさず、そのことをやり玉に挙げられると現状の重大さも認
識せずにやめてしまうと言う無責任な態度には、私は正直憤りを隠せません。
彼は今現在のエヴァの必要性が分かっているのでしょうか?もし責任をとるつもりがあ
るならば、自分のすべきことをすることで取るべきだったと思います。
が、しかし彼の無秩序な行動により再び訪れた危機に敢然と立ち上がった一人の少女が
います。それでは本日のお客様です。人類を守る新たな戦いの女神、その名も・・・・」
【終劇】
前回、続きはいつ書けるのかといったが、まさか1年4ヶ月も空くとは自分でも思わなかった。(爆)
これだけあくとSSの書き方も忘れてしまうし・・・
前作を読んだ人、ごめんなさい。
私事ですが、そのうち八ヶ月ほどは余裕など欠片もなく、
その後遺症で四ヶ月ほどは気力が萎え、
最後の4ヶ月はさぼってました(爆)
もうそろそろエヴァも下火のようですが、書き残しているシリーズだけは意地で仕上げます。
またいつの日か見に来て下さい。
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