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Contents 08/02/27掲載


新世紀のビッグブラザーへ 著:三橋貴明

第五章 日王陛下の憂鬱

 

 そもそもアサヒメディアが「ニッテイ軍による従軍慰安婦強制連行」問題について、批判を繰り広げた当時、プロパガンダの最大の武器は、ヨシダセイジという一人物の小説と証言であった。

ヨシダは自分の小説「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」について、自分が軍属であったとき、武力を用いて半島から少女を慰安婦として連行した「事実」を基に書いた、と主張していた。このヨシダ証言に、アサヒメディアは乗ったわけである。

ところがこのヨシダセイジ、後にとんでもない「詐話師」であることが判明した。小説に書かれていた慰安婦強制連行の場面は、全て出鱈目だったのである。つまり、文字通りフィクションだったのだ。

アサヒメディアは「吉田証言の信憑性は薄れた」と、自分たちが詐話師に騙されたことを認めた。ところが、これで大人しくなるほど、良心勢力は可愛くも、しおらしくもない。

今度は、軍による直接的な強制連行は確かに無かったが、軍が慰安婦を募集し、業者に集めさせたのは事実。これは軍による「広義」の強制連行である、と主張し始めたのである。

いわゆる、論旨のすり替えだ。

 実際、慰安婦は家族(多くは父親)に売り飛ばされ、あるいは女衒業者の巧妙な手口に引っかかり、集められたケースが少なくない。この業者に慰安婦の手配を依頼したのは、軍である。よって、軍は慰安婦を「広義」には強制連行したも同然だ、との主張である。

 また、良心勢力や第二市民の懸命の調査にも関わらず、軍による強制連行の証拠書類は、ついに一枚も発見されなかった。結果、どのような主張が展開されることになったかと言えば、

「軍による慰安婦強制連行の証拠は、確かに見つからなかった。だが、『強制連行をしていない』という証拠も見つかっていない。よって、慰安婦が強制連行された『可能性』はある」

 と、いうものであった。

 良心勢力お得意の、「悪魔の証明」である。要は「強制連行していないと言うのなら、その証拠を示せ」という論理なのだが、これは「訴追する側が挙証責任を負う」法の原則を、端から無視したものである。

「広義」の活用にしても、挙証責任の逆転にしても、まともな知能レベルの人間には付き合いきれない理論だ。これも良心勢力に言わせれば、「進歩的な主張」ということになるのである。

 

 二人の脇を通り過ぎていくデモ隊に、ススムは嫌悪と憐憫の入り混じった視線を与えた。

先頭の数名が、巨大な横断幕を広げ、片手を天に突き上げ気勢を上げている。

「ニッテイ軍は、ハルモニたちを強制連行して性奴隷にした!」

「悪魔だ! 悪魔だ!」

 横断幕には、『第三地域政府は土下座して謝罪賠償しろ!』と書かれている。

「ハルモニたちは、泣いているぞ!」

「おーっ!」

 拳を突き上げる、元慰安婦の支援者、良心勢力と第二市民たち。

デモ隊の中心で、拡声器でデモ隊を煽っているのは、菫色のスーツが異様に似合っていない、醜く年老いた老婆であった。ススムは一瞬、元慰安婦が自ら扇動しているのかと、かなり意表を突かれたものだ。

よくよく見ると、拡声器で声限りに叫んでいるのは元慰安婦でもなんでもなく、第三地域の名の知れた政治屋であった。

オカザキトミコ。連邦成立後の粛清を潜り抜けた、筋金入りの良心勢力だ。

民主人権党の議員で、五名の人権委員の一人。「従軍慰安婦に土下座して謝罪賠償する第三市民の会」会長だ。人間は、肉体も精神もここまで醜く老いることができるのか、と、ある種の感動を他人に与える人物である。

 デモ隊が通り過ぎていった。

「おい、いつまで見ているんだ」

 セミンの声に、ススムは我に返った。

 そうだった。今のススムのなすべき事は、水曜デモの見物ではなく、あの禿頭の男の尾行である。

「ゴメン・・・」

 ススムは素直に詫びた。だが、水曜デモには言葉には形容しがたい、ある種の毒々しい魅力と言うか、独特の吸引力があるのも確かであった。ススムは何となく、後ろ髪を引かれる気分で身を翻し、気持ちを入れ直したものだ。

 目を凝らして確認したところ、禿頭とそれを取り囲む黒服の集団は、水曜デモの騒動にも全くペースを緩めることなく、何事もないように進んでいく。そろそろ、カスミガセキの官庁群に差し掛かりつつあった。

「行くぞ」

 セミンの言葉に、ススムは慌てて足を速めた。

 カスミガセキの東側、つまり東京人権大学側であるが、「委員会」と名づけられた複数の新興の行政庁が、肩を寄せ合うようにそびえ立っている。旧日比谷公園を貫く人権通り沿いに、北側に人権委員会と共生委員会、通りの反対側は、手前から環境委員会、平和委員会である。

 禿頭と黒服の集団は新庁舎群を突き抜け、真っ直ぐ旧庁舎群に向かうと思われたが、その直前で右折した。

 公正取引委員会が入っている、合同庁舎六号館。その通りを越えた正面の、先日新築されたばかりの建造物に、男たちは入っていった。その建物は、全面漆黒という陰鬱なもので、ある意味、内部で行われている陰惨な活動を象徴していると言える。

 禿頭の男は身分証明書を提示し、敬礼する守衛に軽く頷くと、建物の中に姿を消した。護衛の黒服たちは、共に入館する者、そのまま通り過ぎる者など、様々である。

 ススムとセミンは、思わず顔を見合わせたものだ。

 この黒い建物の主は、情報委員会。現代の第三地域で、最強にして最凶の権力を誇る行政組織である。

 

「セミンから聞いたわ」

 その晩、定時のビデオコールにおいて、可憐な少女は珍しく憂い顔を見せた。

「あの男・・・。情報委員会に入っていったそうね」

「うん」

 状況を今ひとつ認識できていないススムは、「まほろば」の少女が、何をそれほど気にしているのか、実はよく分かっていない。

「あの禿頭の男、誰なんだい? SPまで付いているくらいだから、相当大物だとは思うけど」

「大物というか・・・」

MIKIはなぜか言葉を選ぶ風で、

「あの男は普通の市民じゃないのよ。名前はフータートゥン。もちろん、第三市民ではないし、第二市民ですらないわ。大陸の第一市民よ。

それが情報委員会に入ったということは、いよいよ第三地域の情報統制が、本格化するということを意味しているの」

「え・・・。それじゃあ・・・」

 ススムは一瞬、背筋を冷たい手で撫でられた気がしたものだ。少女の怯えの気持ちが、徐々に伝染してきたようだ。

「そう。あの男はただの第一市民ではないの。たった二百人しかいない、共産党中央委員の一人。大物も大物、超大物の政治家と言えるわね」

「・・・ということは」

 ススムの鼓動が、意識せずに速度を増す。

「そう。わたしたちの、真の敵の一人よ」

 MIKIの言葉に、ススムは押し黙った。

 敵。ストライプの背広を着た、禿頭の眼鏡男。あれが、敵。

「しかもフーは、共産党の中央政治局から、直接指示を受けているの。第三地域に対する工作を担当する彼がどの委員会に入るのか、ずっと注目していたんだけど、やっぱり情報委員会だったのね。

ある意味、予想通りだけど、少し意外。こんな早期に、第三地域への直接的な工作を活発化させるとは・・・」

 とにかく、分かっている限りのフーの情報をメールで送るわ。との言葉を最後に、MIKIは通信を打ち切った。

 ススムはしばらくその場に座り込み、情報を吟味していた。

これまで良心勢力や在住の第二市民、つまり在三半島市民を手先として使用していた第一市民が、いよいよ自ら第三地域を手中に収めるべく、乗り出してきた。と、MIKIは説明してくれたが、それが意味する本当のところを、ススムは実感としてつかみかねている。

南モンゴルや東トルキスタン、それにチベットと台湾の過去や現状について、ススムは知識としては蓄えていた。が、所詮はそれも付け焼刃の二次元情報でしかなく、現実感を伴ったものではない。

本格的な第三地域掌握に乗り出した第一市民の存在よりも、MIKIの言葉の端に浮かぶ恐怖の方を、ススムは恐れた。自分や第三市民の未来を消し去る者よりも、繊妍な少女を怯えさせる存在こそを、ススムは憎悪する。この感情だけが、確固たるススムの現実で、依るべき心の砦だ。

と、その時。遠慮がちなノックがススムの耳を打った。

「ススム・・・。ごはんできたって」

 姉の声だ。

 いくら行動時間がばらばらとは言え、週末くらいは家族とも顔を合わせざるをえない。

「うん。今、下りていく」

 階下のリビングでは、母親と姉が夕食をとりながらテレビを見ていた。父親は留守だが、ゴルフにでも行っているのだろうか?

 タチバナ家は元々、みながそれぞれ淡白で、それほど家族間の関係が深かったとは言えない。その分、ススムが人権犯罪人と呼ばれるようになってからも、それまでに比べ、互いの距離がそれほど広がった風には感じられないのは有難かった。

「いただきます」

 ススムは習慣どおりの挨拶をし、夕食の皿が並べられたテーブルについた。

 タチバナ家の65インチ液晶テレビでは、次の展開を誰でも予想できる、陳腐なラブドラマが放映されていた。

最近のドラマは益々ストーリの陳腐化が進み、交通事故や記憶喪失、それに三角関係が必ず一度ずつ出てくる。脚本を起こすときに強制的に組み込まされるのか、あるいはそもそも脚本家が同一人物かと疑わせるほどに、定番化しているのである。

 しかも、最近のドラマにおいては、主要登場人物の男女が、必ず「男性の第二市民」と「女性の第三市民」の組み合わせになっているのである。第三市民の男性が登場するときは、ヒーロー(第二市民♂)とヒロイン(第三市民♀)の恋路を邪魔する三枚目役か、あるいはただのヒール(悪役)のケースしかないのだ。

 ところが、第二市民と第三市民の恋愛について現実を見てみると、非常に興味深いことが分かる。

 第二市民♂と第三市民♀が結婚するケースは、統一教会などカルト教団の集団結婚を除くと、実はほぼゼロなのである。それに対し、第二市民♀と第三市民♂が結ばれるケースは少なくなく、異地域市民間の組み合わせとしては、婚姻数がトップとなっている。

 つまり現実の世界ではドラマとは異なり、女性の第二市民が男性の第三市民と結婚することはあっても、その逆の組み合わせは皆無に近いのである。

 それにも関わらず、放映されるドラマはひたすら「第二市民♂❤第三市民♀型」のカップリングを繰り返す。

 不気味である。

 結婚のみならず、第三地域に在住の第二市民、つまり在三半島市民による第三市民女性の強姦事件が多発し、社会問題化している。その逆、つまり第三市民による半島市民女性のレイプ事件など、年に一件も発生しないのが常である。

 要はメディアを支配下に置いた第二市民の男たちが、第三市民の女性に対し歪んだ憧れを持っており、ドラマの中で自慰行為にふけっていると考えて間違いないだろう。あるいは、「第二市民♂❤第三市民♀型」のドラマを連発することで、自分たちへの憧憬の念を引き起こしたいという意図でもあるのだろうか?

 いずれにしても現実とは冷酷なもので、第二市民の女性が第三市民と結婚する例は増え続けているが、その逆は全く増加する様子を見せない。そして、第二市民の男による強姦などの性犯罪、凶悪犯罪は、ひたすら増え続けている。

 案の定、タチバナ家のテレビで放映されているドラマも「第二市民♂❤第三市民♀型」という予想通りの進展を見せ、CMに入った。

先ほど、ヒロインが交通事故に会ったから、CM明けで記憶喪失だろう。あまりにも見え見えで陳腐なストーリ展開に、母も姉もそれほど真剣に見ていないようだ。惰性で見ているという表現が、ぴたりと当てはまる顔つきである。

「・・・ソメイヨシノはチェジュド(済州島)が起源。サクラの故郷、チェジュドにお出でくださいませ!」

 テレビでは、第二地域で唯一の観光特区である、済州島のCMが流れている。金王の半鎖国政策により、第二地域では済州島以外では、観光客を受け入れていない。

 しかし、江戸時代にトウキョウで産まれたソメイヨシノを、済州島原産と宣伝する、第二市民の面皮の厚さには恐れ入った。顔の皮が、五センチメートル程度の厚さを持つとしか、考えられない。

交配品種であるソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンという、二つの種が掛け合わされ、産まれた品種である。オオシマザクラは伊豆諸島で進化した品種であるため、半島には全く存在していない。そのため、ソメイヨシノが済州島原産など、あり得ない話なのだ。

また、遺伝子調査においても、この説は完璧に否定されている。にも関わらず、第二市民は相変わらず、ソメイヨシノの起源は済州島という、電波説を唱えてやまない。

ソメイヨシノに限らず、自分たちの文化を誇れない第二市民は、ことあるごとに第三地域の文化について、半島起源説を叫び続けている。

主だった例を幾つか上げると、剣道の起源として半島の伝統剣法「コムド」、侍(さむらい)の起源としては、半島の「戦う男」の意味である「サウラビ」。柔道の起源としての「ユド」、相撲の起源としては半島の格闘技「シルム」など、嘲笑されるような珍説を、懸命に世界に広めようと努力している。

 但し、極東戦争時に半島の南側が対馬を侵略した際に、「対馬半島起源説」を利用したので、笑い飛ばすだけで済ますのは、大変危険である。対馬半島起源とは、「つしま」は半島語の「トゥ・シマ(二つの島)」であり、元々は半島に属していたという、荒唐無稽なこじつけ理論である。

 ちなみに、第二市民による文化起源の捏造の対象は、第三地域に留まらず、第一地域に対しても行われている。

 例えば「漢字」の起源は半島の「韓字」であると主張する(すでに読めないのであるから、どうでもいいような気がするが)、あるいは漢方薬の起源は「韓方薬」であるなど、もはやオカルトと呼んだ方が適切と思われる主張を展開している。

 だが、さすがに明らかに大陸起源の「端午の節句」を、半島起源としてユネスコの世界無形文化遺産として登録するに至っては、冗談で済まされなくなってくる。

 なぜ第二市民は、他人の文化を自分たちが起源だと、嘘偽りを振りまくのか。ススムは疑問に思い、以前、セミンに尋ねたことがある。

「そりゃ、自分たちの文化が何もないからに決まっているじゃん」

と、セミンは軽く断定してくれたものである。

「そもそも、千年以上も大陸の属国をやっていたんだから、自分たちの文化なんて、ありゃしないの。しかも、ニッテイに奴隷化(呼称正規化された『併合』)される前の李王朝時代なんて、文化人と見られるだけで、処刑されちまうんだから。

 洪吉童伝(ホンキルトンジオン。朝鮮最初の時代小説)の作者ホキュンが斬刑にされてからというもの、誰も本名で本を書けなくなっちまった。

ちなみに、ホキュンには連座制が適用されたので、一族郎党皆殺しだぜ。こんな状況で文化が育ったら、奇跡だよ、奇跡。

 おかげで春香伝にしても、沈清伝にしても(注:いずれも李王朝時代の名作)、作者が誰だか分かっていないんだ。

 江戸の時代だけ見ても、浮世絵だ、浄瑠璃だ、歌舞伎だ、花魁だ、って文化が残っていて、作者もきちんと伝わっている第三地域と一緒にしちゃ駄目だ。江戸以前の文化にしても、相撲だ、狩野派だ、お茶だ、舞踊だ、御伽草子だ、和歌だ、鳥獣戯画だ、将軍だ、侍だ、能だ、祭りだと、きちんと残っていやがる。

羨ましいに決まっているだろ。半島の文化は何ですかって聞かれて、キムチです、以外に答えようがないんだぜ。そりゃ、他人の文化の起源を主張もしたくなるって」

 ススムは一言も無かった。だが、理解はできても、同意してはいけない気がする。

 CMが終わり、テレビは再びドラマの続きを映し始めた。案の定、交通事故で病院に運ばれたヒロインが、記憶喪失になっているという、お決まりの流れだ。

 この後、第二市民♂の現実にはあり得ないような献身により、ヒロインが記憶を取り戻し、二人は結ばれました。はい、ハッピーエンド。という結末までの展開が、手に取るように分かる。

 あまりにも莫迦莫迦しくなったのか、姉が母に断りもせず、チャンネルを変えてしまった。今度は、SHK(市民放送協会)のニュース番組である。

「・・・不法滞在の第二市民の強盗団、いわゆる『護身要請団』による被害が相次ぎ、警視庁は特別対策本部を設置し、水際進入の阻止に全力を尽くす意向を表明しました。

しかし、人権委員会からの度重なる人道的配慮の要請により、第二市民の犯罪者の送還は困難な状況で、警視庁及び入地域管理局は難しい対応を迫られています」

 恐怖政治を行っている金王の元を逃れ、毎年、十万人を越える第二市民が「東海」や「韓国海峡」を越えてくる。ご承知の通り、セミンもその一人である。

 セミンが看破したとおり、不法渡海してきた第二市民たちを、第三地域が快く、あたたかく迎え入れてくれるほど、現実は甘くもないし、ユートピアでもない。新たに渡海してきた第二市民、いわゆるニューカマーたちは、男ならば単純労働や肉体労働で食いつなぎ、女であれば売春婦にでもなるしか、生きる道は無いのだ。

 実際、シンオオクボやウグイスダニといった地区では、毎晩、第二市民の売春婦が大量に客を引いており、大きな社会問題になっている。だがこれすらも、ニューカマーの護身要請団に比べれば、はるかに罪が少ないと言える。

 護身要請団とは、第二市民の強盗殺人グループに対し、アサヒメディアがつけた呼称である。

ニューカマーの強盗団たちは、普通は第三地域の言葉を話せない。そのため、大抵は押し入った住宅で「カネ、カネ、キンコ」とだけ繰り返し叫び、住人に金品を要請し(脅し上げ)、洗いざらい奪っていく。その際に証拠隠滅のため、護身(!)用に身に着けていた凶器で、住民を殺害していくケースもあとを絶たない。

明日の無いニューカマーの強盗団は、加減を知らない残忍性を発揮するため、第三市民の恐怖の的となっている。

どう考えても「強盗殺人団」の名が相応しいと思われるが、アサヒメディアは「表現が強すぎるので、護身要請団が適切である」と強固に主張した。最終的には人権委員会が介入し、犯罪者の「人権」や「人道」に考慮し、護身要請団の名称に落ち着いたのであった。

「・・・次のニュースです」

 最近のテレビ放送は、暗く、陰鬱で、閉塞感に満ち溢れたものが多い。特に、報道ニュースはその傾向が強い。続けて流されたニュースも、その枠からはみ出ることは無かった。

「共生委員会主催の『秋桜の会』に出席された皇太女殿下は、第二市民から帰化したばかりの情報委員長ナガノ氏や、大韓帝国のロイヤル・プリテンダーでもいらっしゃる、第二地域大使、イジョンヨン氏などとご一緒され、楽しいひと時をお過ごしになられました。

 それでは、秋桜の会が行われた帝国ホテルから、中継でお伝えします」

 場面はSHKのスタジオから、格式高い帝国ホテルのロビーへと移った。

「本日、開催された秋桜の会では、皇太女殿下は新羅の郷歌や、高麗由来のお茶道などを楽しまれ、半島とのゆかりを益々深められました。

また、皇太女殿下は、ご自身の花婿候補と噂されるイジョンヨン大使と、楽しく談笑されているご様子でした。

皇太女殿下は大使に、これからも健康に注意して、アジアの市民のために活躍されるようお言葉を掛けられ、大使は、今後もアジア共同体の架け橋となるべく、日々努めますと返されていました。

まさしく、文字通りアジアの架け橋となる、ロイヤルウエディングの時期は、予想よりも早いかもしれません」

 民主人権党政権成立後、皇室典範が改訂され、日王(呼称正規化された天皇)陛下の地位は、女性、あるいは女系でも継ぐことが可能になった。あわせて前皇太子の廃嫡が行われ、ご息女が皇太女の地位に就かれたのである。

 万世一系、神話の時代から日王(天皇)の地位は途絶えることなく、男系の皇統により引き継がれてきた。だが、これは「男女平等の原則に反する」と、良心勢力は激しい攻撃を繰り返した。

過去、千数百年も延々と続いてきた日王の血脈に、新たな血を入れる必要がある。そのためには女性日王制、女系日王制を認めるしかない。過去や伝統に拘泥する者は、懐古主義の愚者でしかない。

以上が、有識者会議という名の良心勢力の主張であった。

 皇室典範の改訂については、宮内庁ではなく、皇室とは無関係のはずの共生委員会が主導した。共生委員会は本来、市民連邦との窓口を担う行政機関なのであるが、なぜか皇室の制度変更についても、イニシアティブを取り続けている。

今上陛下が身罷られた場合、陛下のお孫様であらせられる皇太女殿下が、次の日王陛下に即位される。その場合、皇太女殿下の夫君がどなたになられるのかは、極めて高度の政治性を帯びるわけだ。

共生委員会は現在、花婿に第二地域のイジョンヨン大使を強く推している。

イ氏は、かつての李王朝、大韓帝国の皇帝の血筋を引くお方である。その上、大朝鮮民族主義高麗連邦の大総統である、金王との関係も深い。皇太女殿下とイ氏の御婚姻は、アジアの結びつきを深める。との理屈で、アサヒメディアなどが、全力でバックアップしているのが現状だ。

 当然ながら、共生委員会は、皇太女殿下とイ氏の婚姻を進めるにあたり、各方面から大いに批判を浴びている。その反論として、共生委員会が常に持ち出すのが、ビルマのバマー王朝の物語である。

 ビルマのバマー王朝は、植民地化を狙うイギリスと大いに争い、三度も戦争を繰り広げた。

しかし、最終的にバマー王ティボーはイギリス軍と和解した。その象徴として、バマー王家の王女がイギリス軍兵士と婚姻し、王家の血脈に新たな血が導入された結果、その地には平和が訪れた。という、ハッピーエンドの物語である。

 だが、これは一から十まで全てが捏造の、悪質な作り話である。

 実際には、三度の戦いに連勝したイギリス軍はバマー王をインドに追放し、王家を完全に滅ぼしてしまった。

バマー王家の王女が、イギリス軍兵士と結婚したのは確かであるが、これは王女を娼婦として兵士に下げ渡し、ビルマ人に屈辱感と敗北感を植え付けるためになされた、過酷な仕打ちに過ぎない。

 残酷な王家滅亡の話も、共生委員会に掛かれば美談として利用されてしまう。

だが、愚民化教育が続き、ゆとり書籍化や「イントラネット大アジア」により情報を制限されている第三市民には、歴史的な事実など、知りようもないのである。

 悠久の昔から一つの皇統を持ち、代々の日王(天皇)陛下の元、民族としての結束を保ち続けてきた第三地域が、今、大きく変貌しようとしている。皇太女殿下が日王に即位され、半島の男と婚姻を強いられた場合、その子孫が皇統を継ぐことを第三市民は受け入れるのだろうか? 

それが正しい道なのだろうか?

 日々、閉塞感を増していく、社会の空気や人々の顔色を見ると、明らかに間違った道を歩んでいるようにしか思えない。自分たちは、あるいは自分たちの親は、先祖は、一体どの時点でハンドルを切り損なってしまったのだろうか? 

ススムには分からない。

 心中を憂鬱な気持ちで一杯にしながら、ススムはリビングルームを後にした。

 今夜もまた、記憶に残らない悪夢を見る、暗黒の眠りの始まりだ。

 

 翌朝。

 いつものように悪夢にうなされ、ススムは目覚めた。

 今朝も変わらぬ、強い吐き気に襲われ、体を起こすのがつらい。

 カーテンの隙間から差し込む薄日を頼りに、SuperWiMAXの端末に手を伸ばす。メール着信のLEDの色は、オレンジだ。

 ススムは一気に目覚め、端末を立ち上げた。まるで麻薬中毒者が、久方ぶりに薬を入手したような、みっともない慌てぶりである。

 

FROMMIKI

(miki.fujisaki@mahoroba.s-wmx)

TOSUSUMU

(susumu.tachibana@mahoroba.s-wmx)

SUBJECT〔フー氏の話と、とても良い話〕

 おはよう、ススム。昨日(さくじつ)はお疲(つか)れさまでした。

 昨日のフータートゥン氏について、詳(くわ)しい情報を得られました。やはり、フー氏は情報委員会(じょうほういいんかい)の高位職(こういしょく)に就くようです。おそらくは、事務次官(じむじかん)と推測(すいそく)されます。

 地域外市民(ちいきがいしみん)であるフー氏が、情報委員会の官僚(かんりょう)としての最高位(さいこうい)である事務次官に就任(しゅうにん)するなど、少々信じがたいのですが、改正上級公務員法(かいせいじょうきゅうこうむいんほう)によれば、可能(かのう)な人事(じんじ)だそうです。

 大陸(たいりく)の第一市民の支配層(しはいそう)は、やはり本格的(ほんかくてき)に第三地域の二次解放(にじかいほう)を開始(かいし)したと見て、間違(まちが)いありません。

 以上(いじょう)は、悪い話。

 今日は、良い話もあります。

 サフラン社(しゃ)の開発者(かいはつしゃ)と連絡(れんらく)がつきました。どうやら、キングストン・バルブは本当にありそうで、すでに条件交渉(じょうけんこうしょう)の段階(だんかい)に来ています。ススムの予想(よそう)が的中(てきちゅう)したわけね。ありがとう。

 交渉人(こうしょうにん)の話では、あと二回(にかい)も打ち合わせすれば、落としどころがみつかりそうとのこと。

MIKI』

 

 キングストン・バルブがある!

 ススムはまるで心を清水で洗い流されたごとく、気分が爽やかになっていくのを感じた。

「MIKI・・・。キングストン・バルブ・・・」

 口の中で二つの言葉を転がすと、今まで感じたことの無い不思議な刺激が走った。

おそらくこの感触の呼び名は、希望だ。ススムはそう、信じていた。


*この物語はフィクションです。


第六章 人権・平和・環境の敵 へ続く


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