死神の来訪を告げる鐘の響きは、ススムの場合、あまりにも日常的な呼び鈴の音だった。
特に何の予感も覚えぬまま、家の玄関の扉を開けたススムの目に、ピンク色に染められたマイクロバスの巨影が飛び込んできた。いや、決して大きくはないのだが、そのショッキング・ピンクのインパクトたるや、保育園児の中に相撲取りが混じっているように、途轍もないものがあった。
「タチバナススムさん?」
「はい」
エメラルドグリーンのブレザーを着た中年の女性の問いかけに、ススムは条件反射で頷いていた。今、思い返してみると、あの人権擁護委員の女性は、フクシマだったような気もするが、確かなところは思い出せない。
「キムミョンバクさんから、あなたに対し人権侵害の申し立てが成されました。明日の午後一時に、人権擁護委員会の事務所まで出頭してください」
「キムミョンバク?」
知らない名だ。しかも、明らかに第二市民の名前の響きである。当時のススムには、第二市民の知り合いなどいなかった。
「ああ、この方は普段、大学では通名を使っていらっしゃるようですわね。通名の方は、カナスギアキヒロ。身に覚えがおありではなくて?」
「・・・」
全くない。カナスギアキヒロという名前には心当たりがあったが、同ゼミ生であるのだから、当然だ。
「とにかく、本日付で、この方から人権侵害の申し立てを受理しましたの。立ち入り検査をさせて頂くと共に、先ほども申し上げたとおり、明日の午後一時に、人権擁護委員会まで出頭してください。拒否されますと、三十万アキュ以下の過料に処せられますので、ご注意を」
まるで機械のように冷たい声で告げる、人権擁護委員の言葉を聴きながら、ススムは「何かの間違いだ。何かの間違いだ」と、心の中で繰り返していた。
(自分じゃない。人権委員会に呼ばれたのは、きっと自分じゃない・・・)
逃避、葛藤、否認。奪われていく、何か。失ってはいけないものを、失う。
目眩がしてきた。ふと、気がつくと、空の色が蒼く、重い。
人権委員会のお膝元学校と言える、東京人権大学。この大学における教養課目の一つである人権教育が、なぜ受講生にとって苦痛かと言えば、それは単純につまらないからである。
講義は受講生に、いかに人権侵害や差別が残酷で、そして醜悪なものか、徹底的に叩き込むことを主目的にしている。毎回の講義では、ありとあらゆるバリエーションの人権蹂躙や人権侵害の事例を、ドキュメンタリータッチの映像で振り返る。
不思議なことに、講義にきちんと出席していると、徐々に自分が「差別者側」の立場である気がしてくる。第二市民や第二・五市民(良心勢力)の一部に対し、差別を繰り返していた自分たちは、何と非道な人間か、何と残酷な人間か。と、加害者としての罪悪感に満ち溢れてくるのである。(本人が、実際に過去に他者を差別したかどうかは、あまり関係ない。)
そして、この罪悪感の植え付けこそが、人権教育の真の狙いである。
この辺りの裏事情を、ススムは知り尽くしているので、週に二回、延々と繰り返される講義は、自然、退屈極まるものとなる。
「はぁ・・・」
人権侵害のドキュメントを見るともなしに見、聞くともなしに聞いていたススムであったが、周りの人々に気づかれないよう、小さく吐息を漏らしたものだ。深刻な顔つきで映像を見ているため、第三者からは真剣に講義を受けている風に見えたかもしれない。
ススムが何をそんなに思い悩んでいるのかと言えば、わざわざ解説する必要もない気がするが、MIKIのことである。今朝のビデオコール以来、MIKIの端正な美貌が頭に貼りつき、離れないのだ。
教室の前方に据えつけられた液晶大画面モニターで、涙を振りかざし、何か姦しく叫んでいる女優の顔までもが、MIKIに見えてきた。
重症である。
物思い、と言うより、明らかな恋煩いのおかげで、講義の時間は予想よりも速く過ぎた。講義終了を告げる鐘の音が、重々しく響き渡る。
本日午後、二番目のカリキュラムは、ネットワーク・アーキテクチャだ。本来ススムが専攻しているネットワーク工学科の、必修科目の一つである。
かつて、ネットワーク分野ではトップクラスである東京大学工学部、ネットワーク工学科で勉学にいそしんでいたススムは、人権委員会により東京人権大学へ強制転入させられたのである。この人権委員会のお仕着せ大学にも、ネットワーク工学科があったのが、唯一の救いであった。
ススムはネットワーク・アーキテクチャの講義が行われる、第三講義棟に急ぎながら、胸元のSuperWiMAXの端末を何度も確認した。
SuperWiMAXの端末は、さすがにアメリカ製品らしく、ジャケットの内ポケットに納めるには微妙に大きく、重い。自動車で移動するアメリカ人には相応しいサイズなのだろうが、基本的に歩いて行動するススムには、少々きつい。画面が大きいのは、大変嬉しいのだが。
ススムは少し足を速めながら、このSuperWiMAXの端末を入手し、初めてMIKIとビデオコールをするまでの時間を振り返っていた。
人権委員会の査問会~第三市民の間では、人民裁判と呼ばれている~から解放され、ススムは委員会の建物を後にした。人間の悪意という悪意を、体中の毛穴から強引に吸い込まされた気分で、自分が今、足をきちんと交互に出せているかどうかさえ、認識することができない。
頭がふらつく。吐き気が止まらない。だが、心の中に満ち溢れているのは、大きな安堵感であった。
(・・・終わった)
そう、終わった。もはや罵詈雑言を投げつけられることも、自己批判を繰り返させられることもないのだ。
だが、これからどうやって生きていこう?
安堵の気持ちと疑問感が交互に襲ってきて、ススムは混乱した。自分が世界から失われる感覚と、世界が自分から失われる感覚が、心の中で螺旋を描いている。
現実感覚を徐々に失いつつあったススムの前に、一人の男が立った。
「タチバナススム」
ススムは瞳孔の定まらない視線を男に合わせた。なぜか目の前に薄い膜が張っているようで、男の容貌が確認できない。
男は古い書物を差し出すと、ススムの手元に押し込んだ。
状況をきちんと認識できず、濁った目で見返してくるススムに、男は凍てつくようで、そしてなぜかどこか暖かく感じる口調で続けた。
「君はもはや、屍だ。人権委員会に査問された連中は、ほぼ例外なく、生きた屍となる。たとえ肉体は生き続けようとも、心は死んでしまったままだ。しかも、自分の心が死んでしまったことにさえ気づかずに、肉体が滅びるまで永劫の時間を過ごすことになる。
もしも君がそれを肯んぜず、生き返りたいと願うのなら、手繰れ。そうすれば、再び生命を得ることがかなうかも知れない。
タチバナススム」
男は最後にもう一度、ススムの名前を呼ぶと、身を翻し、早足で立ち去った。
「・・・手繰れ?」
「手繰る」とは、インターネットの隠語で、「検索する」という意味である。ネットワーク工学科の現役学生であり、インターネットダイバーでもあるススムは、もちろん知っていた。
ススムは色々な意味で混乱しながら、手元に残された書物に目をやった。
「ジョージ・オーウェル(?) 1984(?)。カイコ文字?」
ゆとり文字化が完了して以降、本格的な教育を受けたススムは、懐古文字(漢字のこと)を全く理解できない。そのため、書物の題名さえ、全てを読むことはできなかった。
だが、インターネットのサーチエンジン(検索エンジン)は使える。
第三講義棟に到着したススムは、階段を駆け上がり、インターネット講義室に急いだ。
ネットワーク・アーキテクチャの講義開始直前に、講義室に駆け込む。まだそれほど席は埋まっておらず、ススムは安堵のため息をついた。
着席したススムは講義のメモを取るために、キーボードを引っ張り出し、パソコンを起動した。当たり前だが、OSやアプリケーションソフトに、漢字変換機能などついていない。ゆとり文字、及びローマ字の入力しか出来ないわけだ。
昨今の共生委員会は、またぞろ「新ゆとり文字運動」が必要だと叫び始めている。ローマ字以外の文字の利用を、禁止しようとしているのだ。
近いうちに、キーボードから「ひらがな」が消え、ソフトウェアから「かな入力」の機能も取り外され、ローマ字以外の使用が不可能になるかもしれない。
担当助教授が入室し、ネットワーク・アーキテクチャの授業が始まった。
が、ススムはすぐに退屈を覚え始めた。
何しろ本日の講義内容は、一年ほど前に東京大学工学部時代に受けた授業と瓜二つなのだ。まさかこの助教授が、東大工学部の講義を受講し、一年遅れでトランスファー(転送)しているわけではないとは思うが。
ススムは今日何度目かの、深いため息をついた。
手持ち無沙汰になり、インターネットにダイブしようかとも思ったが、アクセスログが記録されるこの端末では気が進まない。インターネットへの帯域は大して太くもないくせに、フィルタリングやロギングの機能だけは、やたら充実しているのである、この大学は。
もっとも、フィルタリングの話をすれば、市民連邦と連邦外を連結するIX(インターネットエクスチェンジ)には、超強力なフィルターが設置されている。連邦全土が、「本物」のインターネットから隔離されているようなものである。
IXに据えられたフィルターは、OSIモデルの各レイアで連携し、パケットを遮断するという巧妙な手法で、バーティカルフィルタリングと呼ばれている。
このフィルタリング機能は、技術的には極めて優れており、完成度が高い。何しろ個人のメールに添付されたドキュメントの中までもをキーワードサーチし、事実上のオンライン検閲を実現してしまうのだ。
ちなみに、暗号化により通信の秘密を保持しようとしても、暗号化されたパケットを探知された瞬間に、セッションを遮断されてしまうので、無駄である。
バーティカルフィルタリングの手法は、アメリカの大手IT企業サフランが開発し、市民連邦に売り込んだものだ。サフランの経営陣は、このフィルタリングのパテントの売却だけで、地球レベルの億万長者になったと言われている。敵対国家にさえに、高度技術を売り込むサフランの商業主義には、さすがに世界中が度肝を抜かれた。
まあ、さすがにサフランの経営陣は、アメリカ議会の公聴会に引きずり出され、社会的な制裁を食らう羽目になった。
このフィルタリング機能により、当然ながら検索の際のキーワードも監視、制限を受けている。特定の禁止キーワードで検索をかけると、すぐにポートスキャニングを受け、IPアドレスが監視対象となる。
第一地域や第二地域の場合は、下手をすると人権警察が急行してきて、検索をかけた者の人生が終わりかねない。第三地域では、さすがにまだ、そこまでは徹底していないが、これも時間の問題のような気がする。
というわけで、このインターネットのようで、インターネットではないコンピュータネットワークを、ススムら第三地域のネットダイバーたちは、自嘲と皮肉の意を込め、こう呼んでいる。
「イントラネット大アジア」、と。
イントラネットとは、一般には企業内などの限定された範囲で構築されるネットワークで、技術的にはインターネットと同じものを使用している。語彙的には、社会基盤の総称であるインフラストラクチャーと、インターネットを合成させたものだ。一見、インターネットとして全世界とオープンな通信が可能なようで、実際には不可能なのである。
インターネットダイバーの間で出回っている「禁止リスト」及び「制限リスト」を何度も確認したが、「ジョージ・オーウェル」というキーワードは載っていなかった。
それでも、さすがに自宅のパソコンを使うのは気が引けたので、ススムは久々に都心まで足を伸ばした。駅前で、最初に見つけたインターネットカフェに転がり込む。
もちろん、インターネットカフェの各パソコン房は、常時、カメラで監視されており、アクセスも記録される。だが、ススムはほとんど自暴自棄になっており、あまり気にならなかった。
あの男の言うとおりである。確かに今の自分は、歩く屍だ。
念のため、ダイバー仲間から手に入れた、偽造IDとパスワードを使用する。ススムは手馴れた手順を踏み、インター(実際はイントラ)ネットに接続した。第三地域で、いや市民連邦で最もメジャーなサーチエンジンである「ダイバー」のサイトを開く。(ちなみに、インターネット愛好者を示す「ダイバー」の語源は、このサイトから来ている。)
軽い手つきでキーボードを打ち鳴らし、ダイバーで検索をかけたススムの目が、驚愕に大きく見開く。
何と、
「ジョージ・オーウェルのけんさくけっか 『ジョージ・オーウェル』にいっちするページは、みつかりませんでした。」
と、表示されたのである。要は、何もヒットしなかったわけだ。
その後、「ジョージ」と「オーウェル」の間の「・」を削除する、あるいは「ひらがな」で検索するなど、色々と試してみたのだが、何の結果も得られなかった。
焦ったススムは、あの日以来、なぜか肌身離さず持ち歩いている書物を取り出し、ぱらぱらとページをめくってみた。と、書籍の真ん中辺りのページに、細長い栞が挟みこまれているのに気がついた。
栞を摘み上げてみると、それは「まほろばしょぼう」という、聞いたことのないオンライン書店の広告であった。その書店名の脇に、目立たないフォントでURLが記載されている。(URLとは、インターネットにおける「住所」のようなものである。通常はhttpで始まる。)
「まさか・・・」
ススムは半信半疑ながらも、そのURLを打ち込み、オンライン書店のサイトを訪れてみた。
「・・・工事中ですか」
そう。そのサイトはまだ開発途上のようで、ピンク色の髪のアニメ系少女が、「まだコウジチュウなんです❤ ゴメンネ❤」と、片目をつぶり、申し訳なさそうに謝っていた。
一応、メニューだけは表示されていたので、ススムは念のため、各メニューをクリックしてみる。が、リンク先は全てホームと同じく、萌え系少女が謝っているだけであった。
「さて、万策尽きちゃったわけだけど・・・」
ススムは頭の上で両手を組むと、背筋を伸ばし、天を仰いだ。と、視界の隅を、一瞬、検索ボックスのイメージが走った。
驚いたススムが改めて確認してみると、確かにサイトのページの右上に、検索ボックスが設置されている。恐ろしく地味だ。あまりにも目立たないので、今まで気がつかなかった。
工事中のサイトで検索機能が使えるとは思えないが、ススムは一応、気休めのつもりで「手繰って」みることにする。
「ジョージ・オーウェル、と」
途端、ススムの手元にある書籍と同じく、地図上に巨大な目が描かれた表紙のイメージが、鮮明な画像で表示されたので、ススムは危うく椅子から転げ落ちそうになった。
その書籍イメージは、ススムが持つものとは異なり、すでに「ゆとり文字化」されていた。ススムはついに、この書籍の著者名とタイトルを知ったのである。
「ジョージ・オーウェル著。『1984年』・・・」
不思議なことに、なぜかこの瞬間、ススムの心が大きく震えた。それが何の感情に因るものであったのか。この時のススムには全く理解できなかったし、将来においては益々分からなかった。
サイトはほとんど未完成にも関わらず、なぜかこの書籍だけは注文可能なようだ。書籍イメージの下に、「ショッピングカートにいれる」という購入用のボタンが配置されている。
震える手つきでキーボードを操り、ススムは購入手続きを済ませた。自宅の住所を入力する時には、さすがに少しためらいが生じたが、まあ、今さらである。
何となく予想はしていたが、購入手続きを終えてサイトのホームに戻ってみると、すでに検索ボックスは消え失せてしまっており、バックボタンも効かなくなっていた。
ネットワーク・アーキテクチャの講義が終了し、ススムは席を立った。
本日の講義はこれで終了だが、もう一つ、ススムにはやり残したことがある。MIKIに依頼された、大講堂の下見だ。平和地球会議とやらの、お花畑イベントが開催される現場を確認しなければならない。
第三講義棟を後にしたススムは、銀杏の落ち葉で舗装された小道を、日暮れの方角に歩いていった。
たとえ、どれほど閉塞的な社会に変貌を遂げたとしても、やはりこの地の秋は美しい。小道を淡黄色と黄褐色で埋め尽くした銀杏の葉が、黄昏の光を反射し、黄金色に輝きを放っている。まるで、天界の王宮さながらの、壮大な美の饗宴である。
ススムはそのあまりの荘厳さに、しばし圧倒されてしまう。
いつか、この季節に、この道をあの繊妍な少女と二人で歩きたい。などと、赤面ものの想いが心の中に浮かび、さすがに恥ずかしくなったので、口に出すのはやめておいた。
そもそも、この場所が天下の東京人権大学の構内であることを考えれば、妄想の魅力も四割減である。
さして歩くまでもなく、東京人権大学の大講堂が見えてきた。さすがに国家予算を、遠慮なく投入しただけのことはある。ちょっとした博覧会が開けるのではないかと思えるほど、巨大で絢爛なドーム状の建物である。
今日はあくまで下見であるので、ススムはさして緊張することもなく、講堂の周囲をぐるりと巡ってみる。特に明日の会議の下準備をしている様子もなく、無人の銀杏並木がどこまでも続いていた。
銀杏の落ち葉を踏みしめていくと、内ポケットのSuperWiMAXの端末が小さな揺れを繰り返し、違和感が増してくる。
この端末を入手し、MIKIと初めて会話を交わしたあの日も、こんな突き抜けるような青い空だった。
その荷が、ごく一般的な様相の宅配便で届けられたとき、ススムはたまたま自宅に一人きりであった。
宅配担当者は長身色黒の、目つきが鋭い男で、宅配会社のユニフォームのサイズが、微妙に合っていない。
実はこの男も「まほろば」の一員で、第二地域からの逃亡者であることを、後にススムは知った。男の名前はチョ・セミン。
近い将来、ススムのパートナーになる者であったが、このときのススムには知る由もない。
ススムは機械的な動作で、受取証にサインをした。
荷を受け取り、送り主を確認する。
(まほろば書房・・・)
本当に送られてきた。
送り主の住所は、トウキョウ第十三地区となっている。もちろん、現実には存在しない、架空の住所である。何しろトウキョウの地区は、ススムが住んでいる第十二番目までしか存在しないのだ。
「あっりがとうっ、ございましたっ!」
「この本・・・。『1984年』を、きちんと読んでみたいんだけど・・・。もしも『ゆとり書籍化』されているものがあるなら・・・」
送ってくれないかと、希望を述べると、少女は申しわけなさそうに、小さな顔を横に二度、三度、振った。
「ごめんなさい。その本は『ゆとり書籍化』の際には、確実に『紛失』される類の本なの。だから、ゆとり文字化はされていないし、まほろば書房のサイトの画像は、わたしたちが細工したものなのよ。
でも安心して。わたしがあなたに、漢字~ええと、そちらでは懐古文字って言うんだっけ?~の読み方を教えてあげるから。どのみち、漢字が読めないことには、昔の文献や歴史書も読めないわけだから、必ず覚えてもらう必要があるの。きっとすぐに読めるようになるわよ。
それじゃあ、またね、ススム」
セッションが切断され、端末の画面が暗転した。
「・・・」
あまりにも様々な情報を、短時間に頭に詰め込まれたため、ススムはしばらく呆然と座り込んでいた。情報を整理するには、少々時間が必要である。
東京人権大学大講堂は、御影石がふんだんに使われた贅沢な造りで、赤煉瓦色のドームが建物に古風な彩を与えている。
周囲の下見を終えたススムは中に入ろうと試みたが、正面の大扉にはしっかりと鍵が掛かっていた。残念である。
少し陽が翳ってきた。吹き付ける風が冷たさを増していく。
「まほろば」とはこの土地の古語で、「素晴らしき場所」あるいは「帰るべきところ」の意味があるそうである。古代の人々が「まほろば」を夢見たとき、大空はやはり、このように艶やかに澄み渡っていたのだろうか。
*この物語はフィクションです。
第四章 土曜日でも水曜デモ へ続く

|