ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
楽しんでいただけたなら、幸いなんですが(笑)。
普通に後書きを書くのは苦手なので、代わりと言ってはなんですが、作品の背景について解説させていただきます(平身低頭)。
この作品の企画自体は、だいぶ前…原作の映画である『雨あがる』が上映された頃には、もう出来ていたわけです。
その当時のアイディアでは、ヒロインはマユミではなく、レイでした。
だったんですが、レイだと喋ってくれないので、作品が進みにくいと判明。
その上、私がマユミ嬢贔屓だと言う事も手伝い、いつの間にかシンジ×マユミの話として企画自体は進行してしまった訳です。
現在、私は某HPに投稿するための混合物のSSを書き溜めているんですが、こちらの方から先に発表してみては?とアドバイスを戴いた事もあり、こちらの方が先に発表となりました。
シンジ×マユミのSSで、18禁の時代劇と言うのはさすがに存在しないと思いますので、珍しい物になったかな?とは思います。
なお、作中の18禁シーンですが、当然の話ですが原作の映画には存在しません(笑)。
それと、原作では主人公は無外流の使い手ですが、本作ではSSと言う事もあって、少々変更を加えています。
また、ミサトに演じてもらった夜鷹の方の過去や、ゲンドウと町の道場主達の悪行についても、これは私の創作ですので原作にないと言う突っ込みはご勘弁を。
トウジ、ケンスケ、カヲルの各キャラについても、話の進行上、オリジナルの設定に変更した部分もあります。
今回の作品を書く際、参考作品としたのは以下の通りです。
当時の風俗や単語などは、作家の鳴海丈氏の一連の時代劇作品を参考にしました。
殺陣シーンなど、武術描写の幾つかの部分については、愛隆堂から刊行されている、田中普門先生が書かれた「古流剣術」を参考にしています。
髭眼鏡達の「お仕置き」には、原書房より刊行されている「死刑全書」を。
また、作中のHシーンで引用した四十八手については、13pより発売されていた美少女ゲームの「48 〜図形の恋〜」を参考にさせていただきました。
最後に。
この作品の掲載を、快く了承してくれたEDITHさんに感謝します。
また、作品を仕上げる課程で感想&助言を与えてくれて大いに助けて戴いたasaさん、URSさん、KEATONさん、神威さん、スポットさん、摩夜摩夢さん、永池郁実さんにも、この場を借りて感謝。
たかすさんにも、今回の原稿を書き上げるにあたり、大いに助けていただきました。
予定が重なり、執筆のテンションが下がり気味な時に、沢山の素晴らしい絵を見せていただいて、執筆意欲が回復したおかげで、本作は無事に完成しました。
お礼を言うには少々遅いかとは思いますが、本稿を脱稿・投稿するにあたって、ぜひともこの場を借りて感謝したいと思います。
どうも、ありがとうございました。
蛇足ですが、後書きまで読んでいただいた方には、下に巻末資料を用意させていただきました。
裏話などもありますので、興味のある方は、よろしければどうぞ。
普段はIRCに、夜の11過ぎぐらいからいますので、何かありましたら、そちらでも質問・突っ込みは受け付けていますので、お気軽に(笑)。
では、また別の作品でお会いできる事を祈りつつ。
西暦二千一年六月七日
六面球
【追加の後書き】
上記の後書きは、HP【夜に咲く話の華】が製作した【オマージュ1】への寄稿時と、同HPに投稿した時のものです。
今回、新たに投稿し直すに辺り、原稿の誤字・脱字の修正と、ある程度の改訂を行いました。
全体的に気になった個所を手直しし、30kほどの書き足しをしています。
今回、改定しての投稿を快く了承していただいた管理人の米田鷹雄さん、どうもありがとうございました。
西暦二千四年八月十四日
六面球
【巻末資料】
【時代背景】
享保時代。元禄時代も終わり、質実尚武を尊ぶ風潮になって来た頃の話。
【舞台】
さる地方の藩。音流富藩なんて、どうでしょう?(笑)。
【人物紹介】
注意・かなりでたらめですので、突っ込まないように(苦笑)。
碇シンジ(真覗)
【解説】
冬月一刀流の剣客として、現代でも名高い人物。
江戸では失伝した冬月一刀流が、現在でも旧音流富藩の地で受け継がれているのは、この人の活躍が大きいとも言える。
京の近くの小藩に生を受けたとされている。江戸に出て冬月の門下となり、瞬く間に師範代にまでなったほどの腕前。
その太刀筋は師の冬月同様、鋭いのに、とても柔らかく、勝てる者はいなかったと言う。
ごく若い時期に幾つかの藩で指南役を務めたものの、すぐに辞し、浪々の後に音流富藩に指南役として迎え入れられている。
最初の俸禄が三千石、後に加増されて七千石と言う破格の待遇を受けている事からも分かる通り、彼が藩主である鈴原トウジに頼りにされていた事を示すエピソードは多い。
また、江戸の冬月道場時代に、山岸亮治の次女であるマユミと結婚しており、愛妻家としての話も数多く伝わっている(恐妻家とも言われていたようだが)。
藩主の鈴原トウジは彼の事を高く評価しており、剣術指南役のみならず、政治の相談役としても側近くに置いていたようだ。
当時の音流富藩の逸話を描いた『行状記』には、女形にもなかなかいないような、少女のような美男子で、常に優しい笑顔を絶やさない人物であったとされている。
また、人前で怒鳴り声をあげるところを見た事が無いと言われるほどの穏やかな人格者であり、藩内でも慕う者は多かったと言う。
武術のみならず、文芸にも造詣が深く、特に書や音楽の腕前は素晴らしかったらしい。
様々な詩吟や歌、書を残したり、妻のマユミと共同で随筆集『幕間夫婦話』を書いたりしている。
これは、現在のハードカバーに換算すると総計で五千ページにも及び、三十年以上の時間をかけて著されている。
夫婦の視点から書かれたこの書は、作品としての価値も高いのみならず、当時の風俗や事件を知る上でも貴重な資料として知られ、現在でもハードカバーか文庫本で入手可能である。
子宝にも沢山恵まれた碇家は、この後、家老職を二人輩出するなど、音流富藩でも名門の家系として知られていく事となった。
碇マユミ(真結美)
【解説】
碇シンジの妻。
旧姓は山岸と言い、山岸新当流柔術の宗家である山岸亮治の次女として生まれている。
『行状記』では、当時としては珍しい眼鏡を着用し、髪を結わずに伸ばした人形のように整った感じの女性で、しっとりとした感じの美人だったとされている。
夫であるシンジとは、彼が師の冬月の紹介で柔術の修行に入門した道場が、父の経営する道場であったというのが知り合うきっかけだったようだ。
幼い頃は体が弱く、自分に自信を持てない、本が好きな引っ込み思案な少女であったらしい。
だが、当時の江戸では、綾波無想流居合術の宗家の次女である綾波零、惣流赤破流薙刀術の宗家の長女である惣流飛鳥、霧島流槍術の宗家の一人娘である霧島真菜と並んで、当時の江戸では評判の美少女として名高かったと言う。
ちなみに、その全ての道場にシンジは通っていたらしく、彼を見初めた彼女達の間で熾烈なシンジ争奪戦が勃発したらしい(笑)。
結局、彼の方が初対面時に見初めていた事と、控えめで優しい、芯の強い性格に惚れたシンジに選ばれて、彼女が妻の座についている。
優しく芯が強く、夫をよく盛り立て、藩主であるトウジに「センセは、ほんまに幸せ者やのう」とまで言わしめた。
『行状記』のみならず、同時代に書かれた書物でも、二人の夫婦仲の良さは有名であり、夫婦とはかくあるべしと述べられている。
また、本好きの性格のため、多くの随筆や物語を著したりもしている。夫婦で書いた、上記の『幕間夫婦話』は、その代表作の一つ。
シンジとの間には、彼が音流富藩の指南役となってから、二男三女の子宝に恵まれている。
鈴原トウジ(橙治)
【解説】
音流富藩十八万石の、八代目藩主。
藩政に巣くっていた、政敵でもある家老の六分儀ゲンドウの悪行を暴いて謀殺し、完全に支配体制を確立している。
その後、数々の改革を行い、赤字になりがちだった藩の財政を一気に好転させた。
幕末になる頃には、どの藩も借金まみれになるのが通例だったが、音流富藩は明治維新に至るまで好調な黒字財政を保持していたとされる。
その礎を作った彼に対する後世の評価は高い。
また、貧乏な藩士の生活を安定させるため、従来の、米を売ってそれ生活費にするという制度を改めてもいる。
米のみならず、藩が経営する事業を含めて得られた収入全てを藩の予算とし、そこから家臣達に金銭を給与として与える制度へと切り替えていった。
「ワシは、難しい事は分からん」が口癖で、妙な訛りのある言葉遣いで有名。
だが、度量は深く、有能な人間を出自・身分を一切問わずに登用し、藩の組織体制を充実・拡大する事に成功している。
武芸のみならず、文芸などにも理解があり、芸術なども熱心に奨励した事で知られており、意外にも和歌や句、川柳や狂歌などを得意としていた。
短気で粗暴な人物とされる向きもあるが、その反面、進歩的で優れた名君と、現在でも歴史家の間では評価が高い。
上記の碇シンジに対する信頼は高く、政治の相談役としてのみならず、公私・身分を越えた友人だったとされている。
ただ、本作でも匂わせたが、六分儀ゲンドウを処刑した理由が、碇シンジを守るためとする、幾つかの小説や意見には、筆者は異論を唱えさせていただく。
彼と碇の友情は確かな物だっただろうが、ゲンドウの処刑理由は、あくまで家老の殺害などに始まる数々の犯罪が露見したからである。
また、彼は前々から六分儀を排斥する計画を立てていたとされているし、数々の証拠を集めながらタイミングを計っている時期に、碇シンジとの邂逅があったのではないだろうか。
いわば、シンジの事はゲンドウを謀殺するための、格好の材料の一つになったのではないか?
そこまでは穿ち過ぎにしても、彼と碇の友情の深さから、後世になって脚色された創作というのが、筆者の意見である。
また、公私に渡る友人である碇シンジを指南役に迎えて後、妹の奈津実(なつみ)姫、妻の妹である希美(のぞみ)姫を相次いで嫁がせるなどしている。
ヒカリ(光)
【解説】
旧姓は洞木。音流富藩の家臣の一人である洞木家の次女であり、トウジとは幼なじみの間柄。
この人を記述した書物は少ないのだが、賢明で聡明な女性だったとされている。
また、『行状記』では夫を完全に尻に敷いていたため、トウジは恐妻家の気があったとも。
短気な所がある夫を、よく諫める事もあったようだ。
トウジとの間には、二男一女に恵まれている。
相田ケンスケ(権之丞)
【解説】
鈴原トウジの幼なじみで、近習頭。後に家老になっている。
情報収集に優れ、腹心として数々の政治改革に対して貢献している。
家老となって以来、筆頭家老である時田シロウを助けて政治に辣腕を振るった。
また、絵画が趣味であり、多くの風景画や人物画を残してもいる。
ちなみに、裏では春画や春本を大量に密売していたとも言われている(笑)。
碇シンジとは、公私に渡って友人となっているが、彼の妻のマユミの裸体画を描かせてくれと頼みに行って思いっきり殴られたみたいである(笑)。
マユミ本人にも頼みに行き、彼女にも泣きながら殴られるは、駆けつけたシンジにボコボコにされるという、自業自得な事件も。
また、当時の音流富藩の国情や、事件、人物像を克明に描いた歴史資料の『行状記』は彼の手による著作である。
渚カヲル(薫)
【解説】
トウジの近習の一人で、後に家老。
腹心の一人として、裏の仕事もこなしていたようだ。
詩吟に優れ、多くの歌も残している。
また、衆道にしか興味のない人物で、友人となった碇シンジの貞操を、生涯に渡って狙い続けたとも言われている(笑)。まあ、成功しなかったみたいだが。
それだと家が断絶してしまうため、妹の優美菜(ゆみな)をシンジに嫁がせ、その間の子に渚家を継がせたようである。
生涯を独身で通しているが、ストイックとは程遠い人生だったようだ。
時田シロウ(志郎)
【解説】
音流富藩の次席家老で、六分儀ゲンドウの死後、筆頭家老に。
若い頃は長崎で勉学に励んでいた事もあり、学者肌の人物として知られている。
鈴原トウジが目指した数々の政治改革を練り上げたのは、この人とされており、その政治手腕の評価は現在でも高い。
時田式と呼ばれる、新しい農業法、産業改革を進め、藩の財政を黒字に好転させた。
基本的に重臣達の中では最年長と言う事もあり、若い者達を年上の視点から、温かく見守っていたようである。
ミサト(美里)
【解説】
家老であった葛城春之進の一人娘。
藩士の加持リョウジと婚約し、幸せのまっただ中、六分儀ゲンドウに不幸の極みに堕とされる。
山奥の鉱山に飯盛り女として売り飛ばされるが、執念で脱出し、そのまま夜鷹に身を落としながら藩に戻り、見事に復讐を遂げた。
復讐を遂げた後は、尼となり、父と許嫁を弔い続けたと言われている。
冬月コウゾウ(孝蔵)
【解説】
冬月一刀流の開祖。
若い頃に小野派一刀流を修め、後に新陰流など諸流派を幅広く修行し、独自の工夫と技法を加えて、新たに冬月一刀流を創始している。
その端正で折り目正しい剣技は、全国に鳴り響くほどだった。
人格者と知られ、普段は人当たりのよい人物であり、弟子達への指導も丁寧だったと言われる。
弟子からは碇シンジを筆頭として、青葉繁、日向真など、優れた剣士を輩出した。
生涯独身を貫いたため、彼の死後、道場は分裂してしまっており、江戸では冬月一刀流が姿を消すのは早かった。
代わりに、江戸を出た碇シンジなどの優れた弟子達が、腰を落ち着けた先で定着させ、名門流派として育て上げている。
他流派の人間とも気楽に立ち合ったり、交流を深めるなど、当時の江戸での武術界ではまとめ役も担っていたようである。
六分儀ゲンドウ(源道)
【解説】
音流富藩の筆頭家老。
生国は不明。若い頃に諸国を流浪し、あまりの見窄らしさに同情した葛城春之進が、藩に仕官させて面倒を見たのが始まり。
だが、そんな彼の温情を仇で返し、謀略を用いて着々と地位を上げて、次席家老にまで上り詰めた。
そのまま家老の葛城を謀殺し、家老の地位についている。
悪い意味での官僚的な人物だったため、藩政を悪化させてしまった上に、手駒の者達を用いて私腹を肥やす事にのみ専念するなど、最悪なまでの憎まれぶりだったと言われている。
何度も彼を糾弾し、排斥する動きがあったものの、得意の謀略と生来の臆病者気質に由来する用心深さを発揮し、何人もの政敵を葬り去ってきた。
その後、慎重に彼を追い落とす計画を練り上げていた鈴原トウジに、数々の罪を暴かれた上で処刑されてしまう。
本作を執筆するにあたり、当時の資料を幅広く調査してみたが、この人物、見事なまでの嫌われようである。
忠臣蔵のように、悪役である吉良が実は名君として慕われていたなど、歴史には時々として史実と逸話が違う場合がある。
なのだが、この人物に限っては、逸話の方がまだましな感じで、当時の資料を調べれば調べるほどに悪行が浮かび上がって来るという、珍しい展開だった。
彼の悪行を全部書いていくと、それだけで作品が完結してしまうため、本作では控えめに描写されている。
インデックス
西暦・二千一年六月五日 初稿脱稿
西暦・二千四年八月十四日 第二稿脱稿