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雨あがる
改訂版
by.六面球
その四
外に出ると、シンジの目に見事な石庭の風景が飛び込んでくる。
白い石が綺麗に敷き詰められ、鮮やかな波模様が目に美しいが反面、廊下は簡素な広縁で、良く使い込まれた感じがする。
そんな廊下を歩きながら、トウジは後ろを歩くシンジの方に意識を向けながら口を開いた。
「実はな。先日のセンセの働きを見て、考えたんやけど」
「はい」
「ワシ、センセを指南役にどうかと思うてなあ」
「っ!?」
いきなり、無茶な事をトウジは言う。
先日、会ったばかりの人間に藩の指南役を任せるというのだから、シンジがギョッとするのも無理は無いだろう。
だが、相手はいたって本気のようである。
冗談を言うのは下手と言うのが、顔を見ただけで分かるようなトウジであるため、嘘か本気かは、極めて分かりやすい。
そして今、トウジが浮かべている表情は、冗談とは正反対の位置にあった。
「まあ、それでや……。話を進める前に、センセの事を知らんとあかんからな。……センセの身の上を聞きたいと思うんやが……よかったら、話してくれんかな」
そう言って、トウジは広縁の柱にもたれて座る。
いささか伝法な座り方だが、妙に様になっているのがおかしい。
シンジもそれに合わせて、こちらは礼儀正しく正座して座ると、ちょっと考えて口を開いた。
実現するかどうか分からないが、この殿様になら正直に身の上話をしても損は無いだろう。
そう思えたのだ。
「私、さる小さな藩の勘定方に務めていた者の次男坊に生まれまして。家は兄が継ぐ事になっていましたが、幸いにも藩に小さな職を頂けたんです」
「まあ、次男坊っちゅうのは大変やからのう」
トウジが相槌を打つまでもなく、この時代の次男坊というのは、なかなかに大変である。
特に、武家であれば尚更だ。
家は、よほど愚鈍でなければ長男が継ぐし、それ以降の弟の役割は兄が死んだ時の補欠と言ったところが大半である。
兄が死んだり、適当に息子のいない家に養子に貰われれば、まだ救いがあるが、そんな事は滅多に無い。
大半が、宙ぶらりんな生活をする事になる。
「最初は、仕事をしようかと思ったのですけど、一日中机に向かって書き物をするというのが、考えただけで退屈で……。どうにも嫌だったものですから……。その……」
「……フフン……脱藩して、逃げ出したっちゅう訳か」
なにやら面白そうな空気をかぎ取ったのか、トウジの口元に人の悪い笑いが浮かんだ。
大人しそうな顔をして、意外と行動力のあるシンジに面白くなったらしい。
藩によっては、脱藩者は死罪になる事も珍しくない時代、そんな真似をしたのだから、なかなか見所がある。
そんな風に思ったのである。
「はい。脱藩自体は、上の方に可愛がられていた兄が口を利いてくれて、お咎めは無かったんです。それで、江戸へ出ようと思ったんですが……。実家は裕福ではありませんので、路銀もあまり用意出来なくて……」
「それで、どないしたんや?」
困った事態なのに、ちっとも困った口調でない。
シンジらしいと言えばらしいのだが、トウジは幾分、困惑してしまう。
「友達の一人が、良い方法を教えてくれたんです。江戸へ上がる街道は、色々な城下町を通る。また、そこには町道場も沢山あるから……そこで勝負をしろと」
「掛け勝負でもすんのか?」
先程とは打って変わって、トウジの声が強張った。
シンジを見る目も幾分、睨み付けるかのようだ。
殿様である以上、そういう事に対しては、やはりうるさいのである。
「いえいえ……その頃の私には、賭け勝負出来るような腕はありませんでした」
「ほんなら、どうするんや?」
だが、穏やかな口調で否定されてしまい、ますますトウジは首を傾げてしまう。
その顔に、少しだけ口元を綻ばせながら、シンジは話を続けて行く。
「道場に行ったら、悠然と構えて……門人とではなく道場主に一手お教えを、と頑張るんです」
「はあ?」
ますます訳が分からない。
「そして、道場主と立ち合うと、相手が打ち込んで来る前に謝るんです」
「謝るんか?」
想像不能になってしまい、トウジの後頭部のバカ殿髷も頭にくっつくかのように、しなびてしまう。
「はい。木刀を投げ出して、平伏して……参った、と言うんです」
「そんなんで、どうして路銀が稼げるんや?」
「……そういう風にすると、道場主はとても良い気分になるらしいんです。自分は、相手が打ち込む隙を与えず、戦わずして負けを認めさせられたのだと、門弟達に示せますから」
「良い気分になった後は、寛大なところを見せたい気持ちになりますから、親切にもてなしてくれて……。奥へ招き入れて、膳を出して一本付けてくれたり……。旅の餞別にと言って、金子を幾らか紙に包んでくれたりするんです」
「ワハハ。なるほどのお。そいつは、名案やな」
合点がいったとばかりに、トウジは豪快に笑い出した。
ケンスケとカヲルも、吹き出しかけている。
この、シンジが旅費稼ぎに使った手段だが、これは当時としては珍しいやり方と言う訳でもない。
実際に明治から昭和初期ぐらいまでは、道場を訪れて稽古に参加した後、食事や宿を世話して貰い、餞別を貰って次の修業先に行くという習わしは残っていたようである。
その際、勝ち過ぎて相手の面目を潰して不興を買わず、負け過ぎて相手に馬鹿にされないように、適当に相手の名誉をくすぐりながら、自分の面目も保てるように努めるのが修行者の習わしでもあった。
現在で考えるとシンジの採っていた手段は、あざとく見えるかもしれないが、当時の習わしでは別に恥じ入るような事でもなかったのである。
ついでに言えば、この手では誰も傷つかないし、法に触れる事もない。
それどころか全員が得をするのだから、トウジが感心するのも当然と言えた。
「その様にして、無事に江戸まで辿り着きました」
「ふんふん。それから、どないしたんや?」
先程まで萎びていたバカ殿髷も、しっかりと復活したトウジは、続きを促す。
「はい。私もやれやれと思って、江戸の町を歩いていたら、大きな道場の前に出ました。ちょっと考えたんですが、路銀もそんなに無かったので、これを最後にしようと思って、その道場を訪ねたんです。……それが、冬月コウゾウ先生の道場でした」
「冬月コウゾウ……!? それって、冬月一刀流のか!?」
トウジは、驚いたように声を出した。
彼が驚くのも無理はない。
冬月コウゾウと言えば、小野派一刀流、中西派一刀流のみならず、様々な諸流派を幅広く修行して新たに冬月一刀流を創始した人物である。
その端正な折り目正しい剣は、相手に打ち込ませるどころか、動くことすら許さないと言わしめたほどの鋭さで、当代随一の剣客の一人だった。
その声望は、江戸から離れたトウジの元にまで届くほどである。
「冬月コウゾウ言うたら、天下に聞こえた剣客やろう? そこを訪ねて勝負を挑んだっちゅうんか?」
「はい」
あっさりと答えたシンジに、さすがにトウジは呆れたような顔になってしまった。
「センセ……ええ度胸しとるなあ……。でも、しかし……冬月コウゾウともあろう者が…」
首を傾げつつ言うトウジを見て、クスッと笑みを浮かべながら、シンジは続ける。
「それで、冬月先生は気軽に立ち合ってくださったんですが……」
目を閉じなくても、その時の情景が、シンジの脳裏にはっきりと浮かんでくる。
あの時、門弟達が居並ぶ堂々とした道場で、シンジは冬月と立ち合ったのだった。
五十代の半ばも過ぎて髪もすっかり白くなっていたが、矍鑠とした隙のない動作の冬月は、端然とした姿でシンジを迎えてくれたのを、今でも思い出せる。
剣客と言うより、学者のように穏やかな面持ちの彼の澄んだ瞳同様、構えられた木刀にも殺気じみたものは存在しない。
なのに、一歩たりとも攻め込めない、不思議なまでの迫力に満ちていた。
だが、最初から負けるつもりのシンジは恐れる様子もなく、けろっとした表情で見返している。
「例によって何時、木刀を投げ出して謝ろうかと考えていたんですが……」
その時の事を思い浮かべながら続けるシンジを、トウジとケンスケ、カヲルは固唾を飲んで見つめている。
いつ謝ろうかと考えていたシンジと、端然と構えている冬月の間に、幾ばくかの時がすり抜けていく。
さあ、謝ろうかとシンジが思った瞬間………
「参った!!」
急に木刀を降ろして、冬月は道場の板の間に両手をついて、大声で宣言したのだった。
後で聞いたのだが、その瞬間、シンジは可哀想なぐらい呆然としてしまっていたらしい。
「はあ?」
言われて、トウジは目を見張りつつも、疑問を口に出す。
ケンスケとカヲルも、似たようなものだ。
当然だろう。
当代随一の剣客が、負ける気満々の者に、自分から負けを宣言したのである。
家が、空に向かって崩れて行くと言う話と同じぐらい、有り得ない事だ。
「よう、分からんな。どうしてなんや?」
呆然としながらのトウジの言葉に、昔を思い出しながら、シンジも苦笑を浮かべた。
「私も驚きました。訳が分からなかったので、正直に魂胆を白状したんです。すると、冬月先生は……」
「これで分かった!」
魂胆を白状したシンジを居間に通した冬月は、詳しく話を聞き出し、合点がいったかのように膝を叩いて言った。
「私はこれまで、数えられないほど多くの人と立ち合いを重ねて来たがね。君のような人物は、初めてだったんだよ。一見隙だらけのように見えるのに、平然と構えて、勝とうとする欲が全く見えない。捕らえ所が全く無くて、どうしていいか解らなくなった……。それで、木刀を投げたんだが………本当に今日は参ったよ」
そう言って、枯れた声で明るく、カラカラと冬月は笑うのだった。
それを聞いて、トウジ達も笑い出す。
「そういう事やったんか! それは、ええ話を聞かせてもろうたで」
達人であるからこそ、有り得ない状態に戸惑い、落とし穴にはまってしまった。
それだけでも面白いが、その後の冬月の態度が、トウジはいたく気に入ったのである。
自分の失敗を嘆いたり、原因を作ったシンジを咎めるどころか、楽しそうに笑い飛ばしてのける。
確固とした自信と実力に裏打ちされているからこそ出来る、大人の態度だ。
伝え聞く達人の実像が、想像通りに大きなものであった事に満足しながら、トウジは続きを促す。
「で、それからどないしたんや?」
「はい。その事もあって、冬月先生の大きさに感銘を受けまして。先生にお願いして、内弟子にしていただきました」
人柄の良い者は、来る事を拒まない。
そんな態度で、冬月はシンジが内弟子になる事を快く許した。
以来、シンジは一心不乱に稽古に打ち込んだ。
修業は厳しかったが、毎日が充実していたと、今でも心から思える。
どれだけ激しく木刀で打ち込んでも、冬月には掠りもしない。
それどころか、打ち込もうと思った瞬間には、既にピタリと木刀を突きつけられてしまって、身動き一つ取れずにやられてしまう。
穏やかな人格者でありながら、攻め込む者を寄せ付けない、折り目正しい剣技の持ち主である師匠に、シンジは心酔した。
師である冬月の方も、人柄の良さに加えて、誠実に稽古を重ねる彼を気に入り、特に目をかけて熱心に指導してくれたものだった。
根が真面目な上に、人柄も良いシンジだが、素養にも恵まれていたのだろう。
厳しい修行の中で、めきめきと実力を伸ばしていった。
彼の才能を見込んだ、温かくも厳しい冬月の指導を、まるで乾いた砂が水を吸い込んでいくかのように吸収していったのである。
師の計らいで通わされた、柔術や槍の道場などでも、同様だった。
そうこうする内に、気が付けば数年で、師の冬月以外で彼に勝てる者は、道場では居なくなっていたのである。
「先生に可愛がっていただきまして、いつの間にか師範代まで進んだんです」
自慢話になりそうだったので、そこら辺は詳しく話さない。
この前後に、マユミと結婚するまでに江戸が引っ繰り返りそうな大騒ぎが頻発していたのだが、それも話さない。
「それから先生の推挙で、ある藩に召し抱えられたんですが、そこからがいけなかったんです」
話せないが楽しい思い出話のある時代と違い、ここから話す事の内容は、シンジの言葉に微量の苦みが混じらせた。
「どうも、うまくいかなくて………。なんだか評判が悪くなってしまったんです。その藩を辞して、その後で二つの藩を転々として……今の浪々の身の上になった訳です。妻は、あなたは宮仕えは無理だと言って諦めているんですが……」
そう言って、ぼんやりとした顔で庭を眺める。
先日までの情けなさが、再び首をもたげてきたのだろう。
「……ところで、センセの差料(刀)を拝見したいんやが、ええかな?」
粗暴そうな口調に似合わず、人の心の機微に敏感な所のあるトウジは、そんな心境を見て取ったかのように、話題を変えた。
「どうぞ」
「ケンスケ。センセの差料は?」
「遠侍の刀箱に」
話をふられたケンスケは、そう言って一礼すると、廊下を足早に去っていった。
「あいつ、本名は権之丞って言うんやが……、どう考えてもケンスケの方が似合うで」
トウジの言葉に、カヲルは笑みを浮かべている。
何やら暗くなってきているシンジを心配したトウジは、庭を見回して、なにやら頷いた。
「そうや、後で庭を案内しよか。このところの長雨で、庭を歩くのも久しぶりやで」
そう、明るい声で言うのだった。
そんな事を話していると、ケンスケがシンジの刀を捧げるように持って来る。
トウジ達の前で跪いて一礼すると、再び立ち上がってトウジに刀を渡した。
「じゃあ、拝見させてもらうで」
そう言って、トウジは刀を受け取ると、静かに刀を抜いてジッと見つめる。
「鍛えは板目肌か……。地沸細かで……う〜む。地景も見事に入っとるのう。刃文は直刃、春風に吹かれるような爽やかで、匂も深いし……」
刃を返し、また返してトウジはじっと刀を見つめ続けた。
「無銘の刀ですが……」
「それでも、見事やで、この刀は。どこで手に入れたんや?」
「冬月先生に、師範代になった時に、祝いとしていただきました」
「ふ〜む。刀は武士の魂とは、よく言ったもんやのう。見事なもんやで」
そう言って、トウジは時を忘れたように、シンジの刀を眺める。
冴え渡った刀身の美しさに、すっかりと魅せられたようでもあった。
それから一刻ほど経つ頃には、シンジとトウジ達はすっかりと打ち解けてしまい、大声で笑いながら庭を歩いていた。
「ワシのお母ん(おかん)は、上方の生まれでな。商人の娘やったんやが、お伊勢参りの帰りに、この藩を通ってのお。そん時に領内を視察して廻っとったワシのお父ん(おとん)に見初められて、側室に迎えられたっちゅう訳や」
話しているうちに、よほどシンジの事が気に入ったらしく、いつの間にか自分の生まれの事まで、トウジは話し始めている。
「で、小さい頃のワシの世話をしてくれたんが、お母んの乳母をやっとった人でな。この人も上方の人や。そんで、ワシも、ついつい上方の言葉を喋るようになってのう……。まあ、そう言うこっちゃ」
「そうだったんですか」
前々からの疑問が解消されて、シンジは、にっこりと人を魅了する類の笑顔になった。
「それにしても、浪々の身は辛いんと違うか?」
ワシは衆道に興味はないんやがのう、と彼の笑顔に魅入られながらのトウジの問いに、シンジは穏やかな表情を浮かべた。
「辛い事も、苦しい事もありますけど、面白い事も、楽しい事もあります。様々な人とも付き合えますし、様々な出来事にも出会えますから」
「そうか」
そう言われて、途端にトウジは羨ましそうな顔になる。
「それに比べて、殿様商売はつまらんもんやで。重職に居座っとるのは、四角四面の石頭の能無しばっかりや。話す事も、面白くもおかしくもないし、役に立つ事も言えんしな。あくびも出んわい」
苛ただしげに、苦々しい口調で話すトウジを見やりつつ、困ったように笑うシンジに、カヲルが側に来てそっと話しかける。
「殿は、人の悪口を言うのがお好きなんですよ。また、人にあだ名をつけるのも、お好きで……」
その言葉に、トウジのこめかみに血管が浮かんだ。
「じゃかあしい!? 何をこそこそ言うとるんや、このナルシス・ホモが!」
「なるしす・ほも?」
いきなりのトウジの発言に、シンジがキョトンとした顔になる。
「おお、ワシもよう、分からんねんけどな。南蛮とか西洋の方の言葉でな。何でも、訳の分からん事言いながら、衆道(要するに同性愛)にしか興味のない奴の事を言うらしいんや」
そんな事を言いつつも、トウジの顔に嫌悪感は無い。
この時代、同性愛が悪いという風潮は皆無であったからだ。
同性愛に興味が無い男でも、蔭間茶屋(美少年の男娼による売春もある茶屋)で美少年の味を試したりしても、別に変な話でもなかったのである。
単純に男に興味が無いだけの話で、その人物の人柄や能力を見誤るような愚かさの持ち主では、領主などやっていける訳もない。
「センセは、衆道の方はやってるんか?」
トウジの問いに、シンジは慌てて首を左右に激しく振る。
元々が女顔で、美少年系のシンジである。
故郷にいる頃から、冬月の道場で内弟子とやっていた頃も、その手の誘いが絶えなかったのである。
どうも、シンジはそちらの方には、とんと興味がわかなかった物で、断るのが大変だったものだ。
内弟子時代に、妻のマユミと恋仲になって以来、シンジの性生活は真面目なものである。
「衆道の趣味が無いんやったら、気をつけや。ナルシス・ホモの目が、さっきからセンセの事を狙っとるようやからなあ」
ニヤニヤと人の悪い笑いを浮かべながら、トウジはシンジに忠告めいた事を言う。
「ひどいなあ。僕は、好意に値する人への気持ちを隠さないだけなのに」
トウジの言葉を否定するまでもなく、シンジの方を見やりながら、カヲルは妖しい笑顔である。
見ただけで、背中に危険信号を示す震えが走った。
「あ、あの……僕は、その…衆道の方は、興味ないです、ハイ! 妻もいますし、完全に完璧に間に合ってますから、ホントに」
「ひどいなあ、シンジ君。君は、僕にとっては好意に値する人物なのに」
クスクス笑いながら、カヲルはシンジに熱っぽい視線を向けてくる。
「衆道はいいねえ〜。シンジ君、あれは音楽と並んで、人類の文化の極みだよ。僕と一緒に文化の極みを味わってみないかい?」
「え……えっと、僕は、妻に好意を持たれていれば、十分ですから」
カヲルの笑顔と言葉に、明確な危険を感じたのか、シンジは慌てて否定した。
『ま、マユミ…僕を助けてよ………』
心の中で、思わず妻に助けを求めてしまう。
よほど慌てているのか、自称がマユミの前でだけで言う『僕』になってしまっている。
さりげなく近寄ってくるカヲルから、少しずつ距離を開いていくのは、ご愛敬と言うものだ。
「ガハハ。腹が空いたのう。今、何刻や?」
そんなシンジの様子を見て大笑いしながら、トウジはケンスケに聞いた。
「さあ?」
聞かれたケンスケは、辺りを見回した。
いつの間にか陽は傾いて、池を囲む森の影が池の上に長い影を投げている。
「ちょうど暗くなってきた事やし、飯やな」
それからすぐに、シンジとトウジ達の姿は、元の謁見の間に戻っていた。
上段に、相変わらずトウジは胡座をかいて座っている。
だが、その表情は、どこか不機嫌である。
下段に座している家老の一人が、彼のお気に召さないのだ。
シンジにケンスケ、カヲルもそれぞれ、豪華な料理の盛られた膳を前に座っている。
トウジは、不機嫌な表情を崩さないままで、一同を見渡した。
特に、家老の一人の前では、不快そのものの表情である。
家臣と言うには、傲慢不遜そのものな風体をした、初老の男だった。
えらく長身だが、卑屈そうに身を曲げているため、堂々として見えない。
顔の方も、異相そのものだ。
血色の悪い、悪人顔の大半を、髭で覆っている。
それに、薄く色の付いたメガネをかけているものだから、悪相も此処まで極まると、清々しいほどであった。
その上、口元には卑屈そうな、それでいて傲慢な冷笑を浮かべているのである。
好意を持つ人間がいたら、逆にその精神構造を疑われても、仕方ないだろう。
そんな男から不機嫌そうに視線を外しながら、トウジは口を開いた。
「小姓どもや女子どもは、今日はちょっと邪魔なんでな、悪いけど追い払わせてもろうたわ。すまんけど、手酌でやってくれ。……それでや」
そう言って、シンジに視線を向ける。
「ちょうどええから、引き合わせとくわ。そこの愛想の悪い髭が、家老の六分儀ゲンドウ……。髭メガネの、ボケナスや。で、隣が次席家老の時田シロウ。人はええし、頭も悪うないんやが、上におるのがこの腐れ髭やから、かわいそうなもんやで」
目の前に居るというのに、ぼろくそな紹介の仕方である。
思わずシンジの顔が引き攣るが、謁見の間にいる家臣達の大半は、平然としている。
誰もが、トウジがゲンドウを嫌っている事を知っている上に、この男に好意を持っている者など、皆無なのだった。
愛想が無く、傲慢で慇懃無礼な態度を崩さない。
不満の声を封じるほどの有能さがあれば、それでも構わないのかもしれないが、生憎とそこまでの能力は持っていなかった。
仕事に関しては杓子定規な、悪い意味での官僚的な態度を強く持ち、慣例に従った事しかやらない。
謀略にかけてはトウジも認める有能さだが、安穏としたこの時代では、ほとんど無用の長物である。
食うか食われるかの戦国時代や、藩のお取り潰しが続出した時期なら、そんな能力は老獪な外交手腕や謀略の手腕となって幾らでも重宝しただろうが、元禄も過ぎた今では使い道が無い。
政治の中枢である江戸や、巨大な領地を持つ藩ならともかく、汚れ仕事を大量に必要とする事などこの辺りでは百年以上、起きていないのだ。
有能なのは、こそこそと裏で人を追い落とすような謀略と、蓄財ぐらいだと陰口を叩かれる彼は、ある意味では生まれて来た時代と場所を間違えたとも言える。
人格と能力を別にして考えたり、他の場所の話であるなら、哀れな話だとトウジも思わないでないが、迷惑を被る側としては寛大な気持ちにはなれない。
重責を担う人間として、明らかに向いていない人間がいた場合、どれだけの損失があるのかは考えるまでも無いだろう。
実際、ゲンドウが家老になった時、誰もが不満を漏らしたほどだ。
十五年前に死去した、有能で忠義に厚い前任の家老の遺言がなければ、そして、それを人格者で情に厚いトウジの父が受け入れなければ、家老などにはなっていないだろう。
とは言え、決定は決定である。
ゲンドウは家老となり、以来、自分の地位を堅守し続けている。
トウジの父が生きていた頃は大人しく、ひたすら前任者の残した慣例に従い、有能とは言えないがそれなりの働きをしていた。
人間は愚かなもので、嫌っていた者とは言え、人格者の残した遺産をひたすら守り続けている姿を見ると、割合と騙されてしまうものだ。
能力を疑いつつも、ゲンドウが家老職にある事に表立って不満を漏らす者は、潮が引くように減って行った。
それが一変したのは、トウジの父が死去した後である。
幼いトウジが藩主になった途端、真面目一本で堅実そのものと言う姿勢が、悪い方向に変化して行った。
それまでの鬱憤を晴らすかのように私服を肥やし始めた彼に対し、幾人もが声をあげたが、効果は無い。
家老になって以来、ひたすら職務をこなすように見せておき、裏では巧みな謀略を用いたゲンドウは、自分を脅かす実力者達から少しずつ力を削ぎ取っていたのである。
彼らが気付いた時には既に遅く、ゲンドウを実力で排斥出来る力は残っていなかったため、多くの者が閑職に回され、失意のうちに引退していった。
行動を起こそうと言う者もいたが、病死したり、行方を眩ませた者も少なくない。
そんな出来事が続く内、ゲンドウに意見を言える者はいなくなっていたのである。
例外は、藩主であるトウジが成長するにつれ、ゲンドウに対する不快感を強めている事ぐらいだ。
成長するにつれ、幼馴染の有能な若者達を近習など側近に採用し、着々と勢力を固めている。
あまりにも強い不快感を示すのと、そんな動きから、家臣の中にはトウジがゲンドウを罷免する事を期待する向きもあった。
何せ、あのゲンドウですら、トウジには慇懃無礼な態度であっても、それ以上の行動には出られないのである。
同じ家臣ならともかく、さすがに主君に対して謀略を行う事は難しいし、公儀の目を引いてしまう恐れもある。
そのため、地位を維持するための我慢だと、ゲンドウはトウジに罵倒され続けても、口答え一つ返さなかった。
彼を罷免するのではないかと家臣達は噂しているが、気に入らないからと言う理由だけで罷免するほど、トウジは無茶な暴君ではないため、馬耳東風にしておけば尻尾を掴ませない限り、今の地位は安泰と言って良かったからだ。
その手の事には有能なゲンドウであるため、尻尾を掴ませない事など容易い。
現在の藩は、何とかゲンドウの弱みの尻尾を握ろうとするトウジと、そうはさせまいとするゲンドウの水面下の戦いが、静かに繰り広げられているのである。
そんな彼に、家臣達も好意を向けるという方が不思議な話だろう。
僅かに、彼に敵意を向けない者もいるが、それもゲンドウに怯えているか、へつらっておこぼれに預かろうという類の者ばかりである。
そんなゲンドウの隣にいるもう一人、時田と紹介された男は、中年の学者肌といった風貌の男だった。
やや神経質そうではあるが、こちらは穏やかな風貌をしているため、隣のゲンドウに比べると遙かに人格者に見えてしまう。
シンジに対して、ゲンドウの方は気に入らないと言いたげな不快そうな表情で、時田の方は穏やかな微笑で、一礼をした。
「碇シンジと申します。………よろしく」
そう言って、シンジも丁重に挨拶を返す。
トウジは、それを見やると家老二人に手を振った。
「この二人はな、我が藩の骨董品みたいなもんや。古道具っちゅうかな。値打ちがあるかどうか分からんが、古いのは確かや。右(時田)の方は役に立つんやが、左(ゲンドウ)の方は、ゴミの方がまだましっちゅう気がするけどな」
吐き捨てるように言い放つと、持っていた杯を置いて、箸を取る。
「さ、みんな箸を取って、楽にしてくれ。まあ、膳や器は立派そうに見えるけどな。中身なんぞ、言うほどの事でもないから、気にせんでええで。ワシのなんて、見てみい。体に悪いとか抜かして、魚の脂は抜くわ、毒味役に回すわで………。何時も汁は冷たいし、まずうて、しゃあないわ。この前、城に来とった猫に魚をやったら、どないなったと思う? 猫の奴、匂いを嗅ぐどころか。見向きもせんかったで」
それを聞いて皆、笑い出すが、ゲンドウだけはニコリともしていない。
髭面を睨みながら、トウジは溜息を吐いた。
「ま、話は変わるんやが。ワシは藩の指南役を決めたで。こちらのセンセや」
そう言い放ったトウジの言葉に、初めてゲンドウのメガネの奥の黄色みがかった目に感情の変化が生じた。
理由は分かっている。
自分が推薦した者達でなく、トウジが自分で指南役を見つけて来たのが気に入らないのだ。
飼い犬を手懐け、袖の下を潤わせる手段が無くなるのだから、不快になるのも無理はないだろう。
気に入らないゲンドウの慌てぶりに満足しながら、トウジは言葉を続ける。
視線はシンジの方に向けており、家老に対しては無視だった。
「いやあ、今日は本当に楽しかったで。色々と面白い話も聞かせてもろうたし、久方ぶりで気が晴れたわい。先日の一見で、センセの腕前も見事やと分かっとるしな。出来れば、ここに留まって、うちの藩の若い者達に教えてやってほしいんやが」
「殿」
どんどん話を進めていくトウジを止めるかのように、ゲンドウが口を開いた。
金属が軋むような、聞いているだけで不快になってくる声だ。
声がおかしいのではなく、それを送り出す人格から来るものなのだろう。
何人かは、聞く度にそう思ってしまうような声だった。
「殿、いけませんぞ。藩の指南番は、大役です。事は慎重に、念には念を入れて、それに相応しい者を就けるべきです。相応しい者を見つける事の出来る、見る目のある者に選ばせるのも、重要ですが」
口調は諫めるようだが、平たく言えば、完全に反対しているのである。
その上、人を見る目など、お前にあるのか?と言いたげな、最後の言葉。
あまりにも慇懃無礼な言葉に、トウジのこめかみに血管が浮かんだ。
「おんどりゃ、節穴に泥詰めたような眼ぇしとる癖して、ワシの眼を疑うっちゅうんかい。おい、ケンスケ。ワシは、センセの人柄と腕前に惚れ込んどる。お前は、どないや?」
そう問いかける。
側近である以上、当然、ケンスケもトウジ寄りの人間であるため、ゲンドウには不愉快な答えである。
「殿の眼に、狂いは無いと思います。俺も碇殿の奥方にお会いしましたが、これがまた、碇殿同様、まことに良いお人柄の、出来た女性で。感服しました」
実は、絵を書く趣味のあるケンスケは美人のマユミを見て、「絵に描かせてくれ」とか、「出来れば裸体画とか、春画で」とか、暴走気味な事を言いそうになったのだが、カヲルの手前もあって、何とか言わずに済ませたのは内緒である。
「しかし、指南番たるべき者は、家中の面々を納得させるために、その腕前を披露するのが慣例というものでしょう」
そう言われても、あくまでゲンドウは頑なである。
トウジがいかに藩主と言えど、家臣達の動きを無視する事は出来ないと見越しての言葉だ。
「ふん、また慣例か。葛城の爺さんがお前を拾ったんは、慣例と違うんやがのう」
だが、トウジが毒づいた言葉も、また紛れも無い事実だった。
元々、ゲンドウは、この藩の者ではない。
諸国を流浪していた見窄らしい浪人だったゲンドウを、前の家老であった葛城が哀れに思って、藩に仕官させたのである。
葛城老人の温情に、最初は忠勤に励んでいたゲンドウだったが、得意の謀略で次席家老にまで上り詰め、今の地位に就いてからはどうなったのか、改めて記すまでもないだろう。
葛城の死も病死とされているが、その実は彼に殺されたのではないか、ゲンドウを家老にと懇願する殿への手紙も強要されて書かされたのでは?と、まことしやかに家臣達の間では噂されている。
彼の死の前後に、一人娘のミサトと、彼女の許嫁の加持リョウジが行方不明になっていた事も、噂に拍車をかけていた。
結局、証拠らしい証拠も出ず、彼の地位は揺るがなかったのである。
「それとこれとは、話が別でしょう」
だが、ゲンドウの頭の中では違う事として認識されているらしい。
あくまでも頑迷に、シンジが胡散臭い存在であり、藩の指南役に相応しくないと、主張を繰り返す。
「こいつっ!?」
「まあまあ」
あまりのゲンドウの頑迷ぶりに、さすがにトウジが切れかけるが、そこに時田が割って入った。
「殿も落ち着いて。殿のお言葉通りになった場合、藩の者達は碇殿の指南を受けなければならないのですから。御前試合を見て腕前を披露した方が、彼らも納得しやすいでしょう。日をおいて、御前試合を行うという事でよろしいかな?」
そう言って、シンジにさりげなく目配せする。
時田の心情を読み取ったシンジは、承知しましたと言って、ぺこりと頭を下げた。
話を収めるために割って入ったのは、頭に血が上ったトウジにも分かるため、渋々ながら喚きたい衝動を抑える。
だが、場の空気を読めない人間は、この世には幾らでもいるものだ。
「ふん……。まあ、いいでしょう」
あくまで慇懃無礼な態度を崩さずに、ゲンドウは言い放つ。
まるで、この場で決定権を持っているのは、自分だと言いたげな態度。
「何を偉そうに言うとるんじゃ! この腐れ髭!」
吐き捨てるように言ったトウジに対し、ゲンドウとその取り巻き以外に、咎める表情の者はいなかった。
城で宴が終わってしばらく過ぎた頃、城下町の町道場では、十人ほどの男達が車座になって酒を飲んでいる。
その中には、暗い眼でシンジを見張っていた壮年の男もいた。
この男……畑倉と他のもう二人は、この藩でも最大の規模を持つ町道場の主なのだった。
「ああ、腹の虫が治まらん。俺達……この藩でも名うての道場主が、三人とも賭け試合で痩せ浪人に金を取られるとは、なんたる様だ」
「先生、あれは、どう考えたって詐欺ですよ。変に腰が低くて弱そうに見せておいて、先生を油断させたんですから。油断しなきゃ、あんな奴……。逃げ足も早かったし」
弟子の一人がへつらうかのように言うが、説得力は薄い。
武士たる者、いついかなる時も油断してはならないのは、当然の話である。
油断して負けるなど、あってはならない事なのだ。
また、試合に負けて名誉を損なうぐらいなら、嬲り殺しにしてでも負けた事実を外に出さないようにするのも、珍しくはない。
それすら出来ず、さっさとシンジに逃げられてしまった彼らに、抗弁の余地は無かった。
「とにかくだ」
野田と言う名の、もう一人の道場主が口を開く。
「この藩の指南役には、俺達の中から出なくてはならん。そうでなくてはこの町の者達にも、肩身が狭くなってしまうからな」
「大丈夫ですよ、ここの殿様は、なかなか小うるさい方ですから」
「ふん、とんびに油揚げをさらわれて、たまるか」
門弟の言葉に、もう一人の道場主……笠原が吐き捨てるように言う。
「それに、あいつ……豪勢な駕篭で帰って行きましたからね。引き出物を持った供の者まで連れて!」
「まあ、もしもの時は、御前にお力添えを願うさ」
あまりにも的外れに憤る門弟の言葉を受けて、笠原が御前と呼ばれた男に視線を向けた。
かなりの長身の男で、薄い色のメガネをかけているとしか分からない。
顔の大半に頭巾を巻いているので、人相が分からないのだ。
ただ、長身であると言う事ぐらいで、服装も高価な布地であるというぐらいしか、身分を明かせるような者は身につけていない。
「問題ない」
何が問題ないのか分からないが、裏打ちのない自信に満ち溢れた言葉が、御前と呼ばれた男から発せられる。
「………御前試合の後、帰宅する時に待ち受けて殺してしまえばいいだろう」
布地の奥から、くぐもった、それでいて金属が軋むような声が続けて発せられた。
「殺せなくとも、奴が賭け試合をしたという話を殿に持っていけば、あのお堅い若造の事だ。すぐに手の平を返すだろうしな」
暗い愉悦に満ちた言葉を、男は発し続ける。
頭巾で分からなくとも、この男の名前を我々は、よく知っている。
どれだけ上手く隠しても、その汚穢な気配から、正体を隠し切れないのだ。
六分儀ゲンドウと言う名前を。
宴が終わった後、屋敷には戻らずに、手駒である道場主達の所に来ていたのだった。
「それに、奴には女房がいるそうでな。それも、なかなかのいい女らしい。奴を始末したら、奴の女房の味も試せるかもしれんな」
葛城の小娘の時のようにな……と、ゲンドウは口の中だけで呟いた。
十五年前、まだ若かった道場主達に協力させたゲンドウは、葛城老人を拘束し、彼の一人娘であるミサトを、彼と娘の許嫁である加持リョウジの前で手込めにしたのである。
彼を家老にと、殿への嘆願状を書くように脅迫されたのを、葛城老人が断ったためだった。
泣き叫んで抵抗するミサトの口に、自害出来ないように布をねじ込み、ろくに愛撫もせず、適当に油を塗って滑りを良くしてから犯した。
恐怖と激痛に、布を詰められたミサトの喉奥から絶叫が響いたのを、今でも思い出せる。
血塗れの秘部を好き勝手に犯し、汚れを知らなかった膣奥に汚濁した精を注ぐと、他の道場主と交代しながら犯した。
四人の男の汚れきった欲望で貪り尽くされ、ミサトの幼い秘所は無惨に血みどろとなり、ぽっかりと広がった膣からは血と白濁が流れ出ている。
父と許嫁の前で散々に犯され、枯れるほど涙が溢れ出た彼女の瞳は、何の光も宿さないほどに虚ろな表情になってしまっていた。
その余りにも凄惨な光景に、加持は血の涙を流しながら暴れ狂い、ゲンドウを視線だけで睨み殺せるほどの殺意を向けていたものだった。
そんな視線などものともせず、ゲンドウは葛城老人に、今一度、問うた。
娘とその許嫁に、その後、どれだけの仕打ちをするかを楽しげに話すゲンドウに、ついに屈服した葛城老人は彼の言う通りに嘆願の手紙を書いた。
望み通りのものを手に入れたゲンドウは、葛城老人を毒殺。
その後、病死に見せかけられるように偽装して、表向きは彼の病死を発見し、遺言状を見つけた風を装ったのである。
ミサトと加持の方は、その前後に行方不明になったように偽装した。
ミサトを散々に嬲りものにしたゲンドウは、加持共々始末した。
慇懃無礼で不遜な外見に似合わず、一人では女一人犯せない臆病者のゲンドウである。
当然、抱き込んだ道場主達と共に身動き出来ない加持を、文字通り、切り刻んだのであった。
人相も分からないほどの血塗れの肉塊となった加持の死体は、適当な山中に捨てて始末した。
ミサトの方は、散々に嬲り尽くして飽きると、殺すのも面倒なので売り飛ばした。
山奥の鉱山に、飯盛り女(いわゆる、女郎)として。
奥地の鉱山に売り飛ばされて、生きて帰ってこられる者などいない。
その上、多少はゲンドウの懐も潤い、言う事無しの終わり方だった。
以来、彼は家老となって私腹を肥やしてきた。
領主も代替わりしてトウジの代になっても、別にゲンドウは気にもとめていない。
邪魔なら、彼もばれないように始末してしまえばいいのだ。
そんな風にすら、思っている。
臆病者ゆえの用心深さを持つゲンドウだったが、葛城老人を始末し、家老となって私腹を肥やしてきた今までの生活のため、その感覚が麻痺してきたのだろう。
用心深さの代わりに、裏打ちのない傲慢な自信が肥大の一途を辿っていた。
「あの時のように、奴の目の前で女房を犯してやっても面白いな」
「前は、犬にも払い下げてやりましたからな。あれは見物だった」
「いやいや、あまり使い込んでは、売り飛ばすときに安値になりますから、ほどほどに」
ゲンドウの言葉に、道場主達も、酔って血走った目に濁った光を宿らせて、次々と腐り切った言葉を紡いでいく。
そこには、礼節を重んじる武人の姿はない。
心の底まで腐り切り、畜生以下の存在へと堕ちた外道達の姿しかなかった。
酒に酔い、血生臭い欲望に酔った彼らは、狂った欲望を次々と口にしていく。
濁り切った頭には、そっと気配を殺して道場の中を窺う存在にすら気づかなかった。
そんな穢れ切った会話など知る由もないシンジの方に、話を移すとしよう。
未だ宿泊している松葉屋の前に着いたシンジは、駕篭から降りると、駕篭かきの揃える履き物を履き、共の者が差し出す引き出物を受け取る。
「どうもありがとう」
そう言って、丁寧に頭を下げると、シンジは宿に入っていった。
シンジが戻ると、板の間に陣取っていた連中は、驚いたような、それでいてどこかホッとしたような顔になる。
「何か食べるものが入っていたら、後で持って来ますから」
板の間に上がったシンジは、にっこりと笑って引き出物を皆に見せて言った。
そう言って部屋に戻ると、マユミが相変わらず縫い物をしている。
シンジが帰ってくるまで待っていてくれたのだろう。
横に、膳が二つ置かれていた。
夫が帰って来た事に気づいたマユミが挨拶する前に、シンジが興奮したような口調で話しかける。
「ねえ、マユミ。喜んでくれるかな。僕、ここの藩の剣術指南役をやらないか?って言われたんだ」
その言葉に、マユミは驚いた顔になって、シンジを見つめた。
妻の驚いた顔の可愛らしさに頬を緩めながら、続ける。
「数日後に御前試合をして、それで正式に決まるみたいなんだけど……。殿様は、その必要はないって言ってるし、決まったも同然だよ」
マユミは、何事か言いたそうな顔になるが、嬉しそうに話すシンジを見て、そっと口をつぐんだ。
そんな妻の様子に気づかず、刀を柱に立てかけたシンジは、マユミの前に座る。
「冬月先生にいただいた刀も、殿様にすごく誉められて……。あの方は、実によく分かる人だよ。話し方は少しおかしいけどさ……」
そこまで言って、マユミが用意してくれていた膳に意識がいく。
「待っててくれたんだね。ごめん、遅くなっちゃって。実は、城で酒肴のもてなしは受けたんだけど、マユミが用意してくれてるのが楽しみだったから、あんまり食べずに置いたんだ。……それと、これは殿様から貰った引き出物なんだけど……」
そう言って、シンジが引き出物の包みを開けると、中には折り詰めと、反物包みが三本入っていた。
慎重な手つきで、そっと取り出すと、女物の美しい布地が目に入る。
「実は、ちょっとマユミの事が話に出てさ………。それで、これをって。それにしても、あの殿様には驚いたよ。実に……物の分かる、面白い方でさ……」
「………………」
嬉しそうに、妻に美しい反物を見せるシンジを、マユミは静かな表情で見つめていた。
目に、僅かだが不安げな光が宿っている事に、青年は気付いていない。
そんな夫婦の様子とは別に、板の間では、賑やかに話が進んでいる。
部屋から漏れ聞こえてきた言葉が、それに拍車をかけていた。
「だから、前にも言ったろう? あのお侍、いいところがあるってさ。ただ者じゃないってね。いいところのある人が、いい目を見るってなあ、気持ちがいいやね」
お遍路が、にこにこ笑いながら言った。
「あたしみたいなのにも、親切で気を使ってくれるしねえ」
でっぷり太った年増女が、うれしそうにポンポンと腹を叩きながら言う。
「こう言うのを、掃き溜めに鶴って言うんだよ。こんなところにゃ、勿体ねえお人さあね」
説教師の爺さんが、歯抜けだらけの顔に、満面の笑みを浮かべた。
「ほんとだねえ」
誰もが、シンジの幸運を嬉しく思っているのだ。
シンジとマユミの夫婦を、今の境遇が似合わない、もっと幸せになってほしい、そんな風に彼らは考えていた。
そんな所に、シンジが折り詰めを持って入ってくる。
「皆さん、これを……。ここのお殿様からいただいた物なんです。それが、すごくいいお殿様で……」
シンジが部屋を出てしばらくすると、再び板の間から賑やかな楽しそうな声が響いてきた。
板の間から聞こえてくる歓声と陽気な笑い声の中心には、嬉しそうに笑っている夫の姿があるのだろうと、マユミは思った。
それを聞きながら、マユミは、どこか心配そうに細い肩を落として、シンジに渡された反物の美しい生地を見つめている。
『私、妻失格なのかしら?』
マユミは、そんな事も考えてみる。
夫が仕官の機会を掴んだというのに、あまり嬉しくないのだ。
夫の栄達を喜べないのは、妻として悪いとはマユミも理屈では思う。
だが、なんとなく胸の中のもやもやした物が晴れないのである。
貧しくても、今の生活のように、お互いを労りながら微笑み合える生活に、彼女が幸せを感じているのも理由の一つだろう。
仕官のためにあくせくすると、シンジから、良い物が抜け出ていくような気がするのだ。
何か、夫の身に悪い事が起こりそうな予感もある。
『仕官など出来なくてもいいから、シンジさんの身に災いがふりかかりませんように』
ただ、ひたすら夫の無事を願って、マユミは心の中で、そっと祈るのだった。
それとほぼ同時刻、客を取るべく、そこいらを歩いていたミサトは、男に声をかけられた。
「あ〜ら、お兄さん。ミサトさんに声かけるなんて、お目が高いわね。安くしとくわよん」
精一杯の媚びを声に込めながらミサトが言うが、男の方はジッと彼女の方を見つめる。
近づくまで暗くて分からなかったが、若い男だ。
白い肌に、月の光のような髪をした青年だった。
月の光に照らされた瞳が、血のような色を見せる。
「ミサトさん……ですか。この藩の家老を務めていた、葛城春之進殿のご息女の」
「………なっ!?」
思っても見なかった言葉に、ミサトの喉の奥がキュッと締まったかのような呻き声が漏れる。
その反応を見て、青年……渚カヲルは、彼女が葛城ミサト本人である事を確信する。
「初めまして、ミサト殿。僕の名前は渚カヲル。今の藩主である鈴原トウジ様の近習をしている者です。あなたにお話があるんですよ……」
そう言って、未だ固まっているミサトに、カヲルは近づいていった。
長年に渡って、この藩に巣くってきた病巣を取り除くため、必要不可欠な協力者に。
そして、彼女が、死よりも辛い辱めに満ちた生を送ってまでも熱望してきた願いを、叶えさせるために。
『策士が策に溺れる事ほど、見苦しいものはないのにねえ』
カヲルは、皮肉っぽく思った。
『あいにく、六分儀ゲンドウ……あなたより、シンジ君の方が遙かに好意に値するんでね』