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雨あがる

改訂版

by.六面球



その三




 夜が明けても、長雨の影響で河の水量は未だに多く、空気もひどく湿っている。

 だが、それを補って余りあるほど、空は気持ち良く晴れ渡っていた。

 朝霧が立ちこめる早朝なのに、夕べの宴会疲れも見せず、宿の客達の大半が外に出て来て、晴れ渡った空を見ながら喜びに沸いている。

「雨が止んだぞ!!」

 誰かが出した大声を聞いて、宿の亭主も出てきて、晴れ渡った空を見上げた。

「雨は止んだが、川を渡れるのは、まだまだ先だなあ」

「でも、とりあえず雨が止んでくれて、やれやれですよう」

「まあな」

 亭主が空を見上げながら、連日の雨によって増水した河の荒れ狂う様を想像しながら言うが、女中の明るい言葉には同意を示す。



 シンジが姿を見せたのは、そんな時だった。

 鍛えられているため、決まった時刻に目を覚ましたものの、昨夜はマユミと遅くまで過ごしていたためか、少し眠たげである。

 盛んに爪を立てられた背中が、少々ヒリヒリするのを感じつつ、晴れ渡った空を見上げる。

 シンジが起きて来たのを知ると、宿の客達はすぐに彼の周りに集まってきた。


「旦那、夕べはどうも!」

「おかげさまで雨が止みましたよ」


 口々に、そんな感謝の言葉をかけていく。


「ほんと、旦那には、こうしなくちゃね」

 説教節の爺さんの娘が、手を合わせてシンジを拝むが、本人はただただ戸惑うだけだ。

 人を気遣うのには慣れていても、こうして大っぴらに好意を寄せられるのは苦手なのである。

 だが、戸惑っていられるのは、そこまでだった。


「「「旦那、昨日はお楽しみでしたねえ?」」」


 何人かが申し合わせたようにそう言い、次の瞬間、ドッと笑い声が沸き起こったからだ。

 普通なら怒り狂っても良い話だし、無礼だと切り捨てても構わない時代だが、相手は温厚なシンジである。

 怒る前に、赤面して俯いてしまう。

 そんな青年にお構いなく、宿の客達はどんどんと話を続けて行く。


「やっぱり、旦那みたいな良い人には、奥方みたいな、良い女が来てくれるものなんでしょうねえ」

「少しは、うちらも見習わないとねえ」


 言葉だけ聞くと、いじめられているみたいだが、良く見れば違うのが分かるだろう。

 シンジを口々にからかう皆の顔。

 そのどれもが、親愛の情に満ちているからだ。

 この中で、シンジを馬鹿にしている者は一人としていない。



 大体、この時代の人間というのは、総じて性に関しても早熟である。

 十代前半で結婚して子供を何人も作り、二十歳までに結婚出来なければ年増呼ばわりされるような時代なのだ。

 当然、性に対する考え方も、現代人以上に奔放というか、極めて大らかなものだった。



 そんな彼らだったから、当然、シンジの昨夜の事についても大体、把握している。

 シンジとマユミの夫婦が、夜の方に励んでいたとしても、彼らからしてみれば、恥ずかしい事でも何でもない。

 逆に、夫婦仲の良さを知って、嬉しいぐらいだった。

 だが、、そうは言っても、言われる方は恥ずかしくてたまらない。

 シンジは赤面したままで、何も言わずに皆を掻き分けて林道の方に歩き出した。



「旦那、こんな朝っぱらから、どちらへ行かれるんで?」

 宿の亭主が尋ねるのを、首だけ向けて、シンジは答えた。

「少し、歩いて来るよ。長雨で身体が鈍って、気持ち悪いんだ」

 そう言って、ぶらりと歩いていく。

 多分、今日一日、マユミは外に出て来ないだろうなあ、と考えながら。











 朝霧が立ちこめた林道を、シンジは何事か考えながら歩き続ける。

 湿気を発散し続ける草木には朝露もたっぷりと付着し、辺りにじっとりとした空気を満たしている。

 そんな中を歩いていたシンジは、ふと何かを思いついたかのように、足を止めた瞬間だった。

 軽く伸ばした右手に、腰から抜かれた刀の姿がある。

 速さ自体も大したものだが、いつ抜いたのかが全く見えない。



 もし、正面に敵がいたなら、刀を抜かれた事にすら気付かず、一撃を食らっていた事だろう。

 力んだ様子一つ見せない斬撃だったのに、一瞬、朝霧までもが切り裂かれてしまう。


 『居合』と呼ばれる武術の技だった。


 不意に敵に襲われた際に威力を発揮する類の技で構成されている事が多く、不用意に襲いかかった者に、漏れなく楽しい末路を与えるのが常だ。

 基本的に、抜き放って斬るまでを重視しているため、斬った後にとどめを刺す技もあるが、抜き放った以降は剣術の領分となる。


 シンジは、すぐさま刀を振り上げると、自分の正面を斬り上げ、また斬り下ろす。

 まるで、目の前の仮想敵が倒れたのを確認したかのように刀を鞘に収めると、シンジは再び歩き出した。

 だが、少し歩くと、すぐさま再び刀を抜き放つ。

 抜き放った刀で、正面の空間を振り払うように斬り裂き、さっと身を寄せながら突きを喰らわした。

 そのまま瞬時に振り返って、後ろの仮想敵がいるらしき空間を、大上段から切り下ろす。

 能面のように無表情な顔のままで、刀を滑らかな動作で鞘に収めて、また歩き出す。

 一見すると普通に歩いているようにしか見えないが、その姿には、隙というものが存在していない。



 しばらくシンジは歩いていたが、また急に、正面に抜き付ける。

 逃げた相手を追うように、普段の温厚な様子からは想像も出来ないような俊敏な動きで走ると、再び大上段から切り下ろした。

 突き、斬り上げ、斬り下げ、袈裟がけ、逆袈裟など、息つく暇も見せずに次々と技を繰り出していく。

 武に通じている者がいれば、感嘆の声をあげていた事だろう。

 シンジの繰り出していく技は、それほどまでに見事なものだった。



 だが、能面のように無表情なシンジの顔は、どこか冴えない。

 一通り、身につけた居合と剣術の型をやり終え、刀を鞘に収めて歩き出したシンジの顔には、元気が無かった。

 宿で、穏やかな笑顔を浮かべていた姿からは、想像も付かないほど肩を落として項垂れてしまっている。



 実際の所、雨で長逗留する以前から、彼は悩み続けているのだった。

「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」

 普段は、心の内で繰り返している口癖を、一人でいるためか、口に出して言ってみる。

 だが、余計に落ち込んでしまうだけだった。

『そんな事を言いながら、結局は嫌な事から逃げ続けているじゃないか』

 妻が悲しむため、絶対に彼女の前では見せない、自虐的な笑みさえ口元に浮かんでしまう。

『どれだけ剣の腕が立っても、好きな女一人幸せに出来ない男が、逃げていない訳がないよな……』

 考えれば考えるほど、シンジは落ち込む一方だった。

 情けない自分に、文句一つ言わず、それどころか優しく励まして支えてくれるマユミの笑顔が、今は心に痛い。

 どれだけ努力しても、妻を幸せに出来ない自分が、シンジは悲しいまでに情けなかった。



 そんな事を考えている内に、いつの間にか林道を抜けて、森に囲まれた空き地に出てしまう。

 中央には、うち捨てられたかのように荒れ果てた、小さな寺の六角堂が姿を見せていた。

 周りを朝霧が静かに流れ、どこか不気味な風情である。

 シンジは、そんな不気味な光景にも気づかず、とぼとぼと歩き続けている。

「何をしてるんだ、僕は………。全く………。僕は……いや、僕の事なんか、どうでもいいんだ。でも、マユミ………マユミだけは………。しっかりするんだ、碇シンジ……逃げちゃ駄目だ………」

 そんな事を呟きながら歩き続けるシンジの周りにも、朝霧は流れていく。

 小鳥の声が微かに聞こえてくると思った次の瞬間、その静けさを破るかのように、あわただしい足音がシンジの耳に響いてきた。


「馬鹿な真似はやめろ!!」

「おい、これ程言っても、駄目か?」


 大きな声がシンジの耳にも聞こえる。

 どうやら、六角堂の裏手で誰かが口論しているらしい。

 声の様子から、ただ事ではないと察したのだろう。

 我に返ったシンジは、今まで落ち込んでいたのが姿が嘘のような足取りで、裏手へと急いだ。



 六角堂の裏には、元々は寺を守るかのように生い茂っていたのであろう、大きな杉の木が立っている。

 シンジは裏手に回ると、そっと気配を消して、六角堂と杉の木の間の、人目に付かない位置へと我が身を滑り込ませた。

 そっと様子を伺ってみれば、裏手の空き地を流れる朝霧の中に、誰かを取り巻いた人の輪が見える。


「では、これが最後だ! どうしてもやるのか!?」

「………やる! やってやるとも!!」

「よーしっ!! どけ!!」


 そんな声が聞こえると同時に、流れる朝霧の中、開いた人の輪から二人の人影が出てきた。

 よくよく見てみると、二人とも、まだまだ若い侍である。

 シンジと、そうそう変わりはしないだろう。

 血気盛んで、理性よりも情緒を重視する年代だ。

 そんな、血の気の多そうな風体の若侍達が刀を抜きながら、左右に分かれて身構えた。

 輪に残っている六人ほどの若侍達も、それを見守るように並んで立つ。

 構えた刀に朝の日差しが当たり、ギラリとした光が反射される。

 どちらの顔も、異様なまでに血の気が引いているのに、目だけは爛々と血走っていた。



 凄惨そのものの表情であるが、それが逆に、この若者達がいかに場慣れしていないかを示している。

 戦国時代が集結して百年以上が経過してしまうと、戦う事を専門とする武士と言えど、どうしても実戦からは遠ざかってしまう。

 そのため、血気盛んな若者達は場慣れしていない悲しさか、『すぐに刀を抜いて決着を付けるのが武士道』などと思い込む者までいる始末だった。

 彼ら二人を見守る他の者達も、一様に青ざめている。

 普段は勇ましく、過激な事を吹聴していても、実際に斬り合いとなると勝手が違うのだろう。

 斬ったら相手を殺してしまうし、斬られたら死んでしまう。

 そんなところにまでやって来た事を、今更ながら気付いたらしい。

 どの顔も、取り返しの付かないところにまで来た事に、動揺を隠せないようだった。

 そんな彼らを包んでいた朝霧が次第に薄れ、筋になってたなびいていく。


 果たし合うべく刀を抜いた二人は、斬りつける切っ掛けが掴めないのか、じりじりと間合いを詰めながら、円を描いて廻り出す。

 実際の話、こうしているだけでもしんどいのが実状だ。

 刀を持ってみれば分かるのだが、軽く一キロを越える鋼の固まりである。

 実戦で戦場を移動する時は、構えるより肩に担いだり、ぶら下げた状態で行ったと言うぐらいだ。

 技を心得た者ならともかく、そうでなければ、構えているだけでもしんどいのである。

 ましてや、頭に血が上って見境のつかない状態の二人であるため、手が震えてくるのも早い。

 結局、疲れ切る前に、どちらかが襲いかかるのは時間の問題だろう。

 歩き回る双方につられるかのように、果たし合いを見守るのか見物しているのか分からないが、他の六人もじりじりと足を移して、着いて行った。

 端から見ると、やけに滑稽に映る光景がほぼ一回転の円を描くと、徐々に二人は間合いを詰め始める。

 どちらも、構えているのが限界に達したらしい。

 お互いの刃が相手の血を吸うべく、切っ先がまさに触れ合おうとする。

 これ以上進めば、確実にどちらかの、下手をすれば双方が血を流す事になるだろう。



 シンジが、その中に割って入ったのは、まさにそんな瞬間だった。

「やめて! やめてください!」

 そう言って、様子を伺っていたシンジは飛び出して、彼らを止めに入る。

 ちょうど自分に背中を向けていた立会人の者達を、普段からは想像も出来ないような力強さで押しのけて行った。

 次の瞬間には斬り合おうかとなっていた二人は、突然の乱入者に対して驚いたのか、飛びすさって構え直す。

 だが、シンジは二人が斬り合えないように、間に身を入れて、両手を広げて立ち塞がる。

「あの………やめてください。剣は……人を斬るためにあるものではないんです。忠孝のため、人を守るためにあるんです。百歩譲って斬るためでも、それは………馬鹿な自分を……いや…自分の馬鹿な心を斬るために……使うものなんです」

「なんだ? 貴様は」

 果たし合いを見守ろうとしていた若侍の一人が、胡散臭そうな目でシンジを睨め付けた。

 当然だろう。

 今から、命を懸けた決闘を見守ろうという時に、それを邪魔しに来た上に、彼らにとっては訳の分からない事を言うのだから。

「いえ、私はただ……」

「下がれ! これは、やむにやまれぬ男の勝負だ!」

 そういう事を言う時に限って、大体が下らない事なのだが、頭に血が上っている若侍には、そんな道理は通じない。

 ましてや、自分達と同年代か、それより幼げな顔をしている上に、見窄らしい浪人姿のシンジの言う事など、胡散臭い一言にしか聞こえなかった。

「しかし……」

「黙れ!! 黙らんか!! この下郎めが!」

 なおも、争いを止めようとするシンジがいいかげん、鬱陶しくなったのだろうか。

 それとも殺し合いの期待に興奮しきっていたのか、その若侍は逆上したように叫ぶと、刀に手をかける。

 だが、

「………〜〜〜〜〜っ!!?」

 刀を抜き放つ前に、若侍の目の前から、シンジの姿が一瞬で消え失せてしまう。

 突然の事に、男が混乱した次の瞬間、

「うぐっ!?」

 刀に手をかけたままの姿で呻くと、そのまま倒れてしまった。

 倒れた彼の前には、シンジが刀を腰に戻しながら、立っている。

 別段、怪しい事はしていない。

 瞬時に間合いを詰めたシンジは、鞘ごと抜いた刀の柄頭で、若侍の鳩尾の急所に軽く当て身を入れたのだった。

 技量による物ももあるのだろうが、よほど上手く入ったのだろう。

 若侍は昏倒したまま、ピクリとも動かない。

 突然の乱入者が起こした思いがけない光景に、他の者達も色めき立って、シンジを睨み付けてきた。

「すみません、つい……その……」

 状況がさらに悪化している事に混乱しつつも、シンジは、まだ何とか争いを収めようと言葉を探す。

 それを黙らせようと、刀の柄に手をかける者もいるが、先程の腕前を見ているので、抜こうとまではしない。

 血の気は多いが、先ほどの光景でシンジの実力が分かる程度には、頭が冷えたようだ。

 だが、

「うぉおおおおおおおお!!」

 いきなりの悲鳴に近い叫び声に、シンジと若侍達は、ぎょっとして振り返った。

 一瞬、シンジ達は忘れていたが、果たし合いをしようとしていた一方が邪魔されない隙に、猛然と相手に斬り込んでいったのだった。

 いきなり斬りかかられた相手の方は、危うく一撃を喰らうところだったが、何とかそれをかわす。

 そして、反撃しようと刀を振り上げるが、その間にシンジが飛び込んで来る。

「だから、やめてくださいって、言ってるじゃないですか!!」

 何度言っても聞き入れられないのが腹に据えかねたのか、いつもよりは少し厳しい口調だ。

 そのまま、まるで一陣の風が通りすぎたかのように、二人の間を擦り抜けていく。

 ただ、擦り抜けたわけではない。

 その証拠に、シンジが通り過ぎた後には呻き声一つあげる暇もなく、二人は昏倒していたからだ。

 二人が刀を振るう暇すら与えず、擦り抜けざまに、彼らの急所に当て身を食らわしたのだった。

 元々が、無手の実戦では当て身七割に、投げ三割と教える向きもあるぐらいで、シンジ自身も当て身技は得意としている方だった。

 手加減したので怪我はしていないだろうが、それでも暫く起き上がれない程度には、きつい一撃を入れる事を忘れていない。

 そのまま、動けない様子の二人から刀を素早く取り上げると肩に担いで、二人からも他の者達からも距離を取る。



「貴様、一度ならず、二度までも邪魔するか!」

「ただでは、おかんぞ!!」

 残った者達は、口々に叫んで刀の柄に手をやるが、それ以上は行動に移せない。

 シンジをどうこう出来るだけの、自信が無いのだ。

 だが、それでもなけなしの自尊心を満足させようと言うのだろう。

 お互いに目配せし合って、一斉に斬りかかろうと考えたのか、刀を抜き放とうとする。

 そんな気配を読み取り、シンジの方も油断の無いように彼らの様子を窺う。

 だが、彼らの刀は、ついに抜かれる事はなかった。



「それ迄や!」

 突然、辺り一面に、轟くような大声が響いた。

 突然の大声に、シンジも若侍達も、驚いたように声の方へ視線を向ける。

 六角堂の傍らに、いつの間にか馬に乗った、定紋のある陣笠に陣羽織、野袴姿の武士がいた。

 あまり派手な感じではないが、質の良い、身分の高い者だけが身に纏える品である事が一目で分かる。

 若侍達は、声の主が誰であるのか知っているらしく、声を聞いた途端、雷鳴に打たれたかのように驚き、すぐさま慌てて平伏する。



「私事の争いはご法度やと、何度も言うて来たやろうが!! こんの、あほめらが!!!」

 身分の高い者らしく、声に多少の品はあるものの、妙な訛りと伝法な口調が入り混じっていた。

『上方の(いわゆる、関西地方)言葉?』

 上方にも行った事のあるシンジである。

 どこか近い響きを感じるが、上方から、ここは遠く離れているので、戸惑ってしまう。

 シンジがそんな事を考えていると、遠くから馬蹄の音が入り乱れて近づいて来る。

 視線を向けると、野駆け姿の武士達が五騎ほど、雨をたっぷりと吸った泥を蹴り立てて走って来るのが見えた。

 陣笠姿の武士の後ろに、手綱を絞って、次々に馬を止める。

「遅いぞ! ケンスケ!」

 陣笠姿の武士は、先頭にいる、メガネをかけた若者に怒鳴った。

 シンジと同年代らしい若者は、癖のある茶色い髪に、顔にはそばかすも残っている。

「……馬が違うんですよ、馬が。殿の馬に比べたら、自分達の馬なんて、駄馬も同然なんですから」

 ケンスケと呼ばれた若者は、苦笑混じりに言う。

 殿と呼ばれる武士への対応には、慣れっこになっているようだった。

「ああ、もう! 屁理屈は言わんで、ええんや! それより、お前ら、このアホ共をひっくくって、連れて来い」

 そう言われて、初めてケンスケ達は周囲の様子に気づいたようだった。

 平伏している若侍達の姿や、刀を担いだシンジに、興味深げに視線を向ける。


 殿と呼ばれた武士は、そのまま馬を進めてシンジの前までやって来る。

 間近で見ると、彼もまた、シンジと同年代の若者だった。

 気性の激しそうな、荒削りな顔立ちをしている。

 良く日に焼けており、逞しい印象を十二分に与える人物だ。

 妙に人懐っこい、溌剌とした雰囲気があるので、人物的には良い部類に入るだろう。

 そんな事を見て取ったシンジの内心を知ってか知らずか、殿と呼ばれる武士は名乗りだした。

「………何処の何方かは知らんけど、よお、こんなアホな果たし合いを止めてくれたのう。ワシは、当藩の城主で、鈴原トウジと言うもんや。厚う、お礼を言わしてもらうで」

 殿様と名乗る割には、やっぱり、変な言葉使いである。

 そんな事を思いつつも、シンジは、安心したように肩に担いでいた刀を下ろした。

「一部始終は、さっき、おったとこから、とくと拝見させてもろうたで」

 感心したような口調のトウジの言葉に、シンジは狼狽えてしまう。

「その…あの……まことに、失礼な事をしまして……」

 そんな彼の様子に、トウジが気にしないようにとでも言いたげに、からからと笑い声をあげた。

「いやいや……久方ぶりに野駆けしたら、思わぬ拾いもんと言うたら、失礼やろうけどな。そこもとの腕前は、見事の一言やったで」

「恐れ入ります」

 家臣達と立ち回りをやらかしたと言うのに、トウジはシンジのした事を咎めるつもりは、全く無いらしい。

「ここいらに、ご滞在してんのかな?」

 安心した様子で一礼を返す青年に対して、トウジの口調は、興味津々と言いたげである。

 そうすると、眼の色が何か楽しいものを見つけた子供みたいだ。

「はい。松葉屋と申す宿に…」

 と、そこまで言って、シンジは自分の名を名乗っていないことに気が付いた。

 慌てて、自己紹介を始める。

「手前は、碇シンジと申す浪人者でございます。この長雨で、河止めにあいまして、その……」

「ほう、そりゃあ、この長雨で退屈な事やったろうのう。……そうや。退屈しのぎに、城に遊びに来てはどうや?」

 面白そうな口調で言うトウジに対して、シンジは慌てて何か言おうとするが、断る隙を与える気は無いらしい。

 さっさと話を進めていく。

「まあ、そんな固く考えんでもええから。詳しい事は、また今度っちゅう事で。………ケンスケ! ワシは先に城に戻っとるから、そいつら全員、ひっくくって来い!」

 そう言うと、トウジはシンジに一礼して、ケンスケに指示を出す。

 手綱をしごき、馬の首を立て直すと一鞭くれて、六角堂の裏手の道を風のように軽やかに走り去って行ってしまう。

「…………………」

 トウジの姿が見えなくなるのを確認すると、シンジはケンスケ達に一礼して、宿へと帰る事にした。

 歩きながら、世の中には珍しい殿様もいるものだと、シンジは思う。

 暫くの間、外に出て来にくいマユミに聞かせてあげれば、少しは退屈しのぎになっていいだろう。

 そんな事を考えながら、シンジは元来た道を、先ほどより少しだけすっきりとした気分で戻って行った。







 その翌日の事。

 宿で借りた釣り竿片手のシンジは、運良く、大きな鯉を二匹釣り上げる事に成功していた。

 草の蔓で鯉をぶら下げながら帰って来ると、シンジは怪訝な顔になる。

 宿の表には、宿屋の亭主や女房のみならず、マユミを除いた泊まり客達までもが出て来ていて、宿の中を眺めていたのである。

 ふと目を向けると、宿の横の立ち木には馬も三頭繋がれていた。

 首を傾げながら帰って来たシンジの姿に気づいた泊まり客達は、黙って道を開けて通してくれる。

 宿の中を覗き込むと、板の間に二人の武士が腰掛けているのが見えた。

 シンジの姿に気が付いたのか、二人は立ち上がると、彼を迎えるかのように一礼する。

 一人は、シンジにも見覚えがあった。

 確か、ケンスケと呼ばれていた青年である。

 もう一人は、シンジにも見覚えがない。

 艶々とした、光の加減によっては銀色に見える髪に、抜けるように白い肌の若者だった。

 彫刻のように整った顔立ちに、人気役者のような、女受けする類の甘い笑みを浮かべている。

 薄暗い宿の中にいるためか、光の加減で彼の目は、どこか血のように赤く見えた。


「それがしは、当藩藩主、鈴原トウジの近習頭で相田ケンスケと申します」

「僕は、同じく近習の渚カヲル」

 そう、二人は名乗りを上げる。

「実は、殿の仰せでお迎えにあがった次第で。来ていただければ、重畳なんですが」

 ケンスケの言葉に、シンジは少し驚いたものの、顔には出さなかった。

「恐れ入ります。……………あの…少し、お待ちを。身支度を……」

 頭を下げて応じたシンジの言葉に、ケンスケは快く答える。

「どうぞ、ごゆるりと」

 シンジは、急いで部屋に駆け戻ろうかと思ったが、その前に手に持った鯉に気づいて、外に出て宿の亭主にそれを手渡した。

「これを、みんなに食べさせて欲しいんだ。鯉こくとか、ぶつ切りにして味噌汁にしたりすると、すごく美味しいから」

 そう言って、鯉と釣り竿を亭主に渡すと、今度こそシンジは奥へと急いでいった。


「お帰りなさいませ」


 見苦しくない程度に急ぎながら部屋に戻ると、静かに座っていたマユミが、穏やかな笑顔で迎えてくれる。

 慌てていたのが何となく落ち着くのを感じながら、シンジは口を開いた。

「困った事になったよ…。ここの殿様の使者が来てるんだ」

「はい。存じています」

 困ったようなシンジの口調にも、マユミは至極、落ち着き払った口調だった。

「でも………どうしよう? こんな身なりじゃ、とても……」

 そう言って、シンジは自分の姿を見回す。

 何年も着古して、妻に繕い続けてきて貰った着物は、ところどころボロボロだし、色もすっかりと剥げ落ちてしまっていた。

「でしたら、これにお着替えを」

 そう言われて目を向けると、畳紙の上に紋服と裃が置かれている。

 どちらも真新しく、これなら見栄えもするだろう。

「……マユミ………どうして、こんな………」

 そう言いながら、シンジは、ここ最近の事を思い出した。

 やりくりが上手な妻なのに、好きな本を、最近は少しも買おうとはしていなかったのだ。

 苦心してやりくりし、貯まった金でシンジの着物を買っていてくれたのだろう。

 そんな妻の気遣いに、シンジは何も言えなくなって俯いてしまう。



「さ、早く着替えないと、迎えの方が待ちくたびれてしまいますよ」

 そんなシンジを励ますかのように、優しい口調でそう言うと、マユミは紋服を広げて立ち上がった。





 城の城門が、大きな口を開けているところに、馬上で揺られて、シンジ達が入ってくる。

 紋服姿のシンジは、いつものみすぼらしさの中にも温厚な空気を漂わせた雰囲気はない。

 きりりとした、誰が見ても立派に思える男ぶりだった。

 三人が入っていく大きな門の向こうには、遠くの方に巨大な城の、高い天主、城郭が見えた。

 彼らが門を潜って行くのを、見張るかのように視線を向けていた者がいる。

 彼らの後から、尾行するように後を付けて来ていた、一見すると兵法者風の壮年の男だ。

 まるで蛙が獲物となる虫をつけ狙うかのような、一徹な、どこか暗い情念のこもった視線をシンジに向け続けていた男は、彼らが門を潜るのを見届けても、じっと見つめ続けていた。

 そして、暫く経つと、何かに急かされるかのように、慌てた様子で引き返して行った。





「おなぁ〜〜り〜!」

 そんな状況はつゆ知らず、城の中の謁見の間で控えていたシンジの前に、トウジが無造作に、づかづかとした足取りで入ってくる。

 その足取りに合わせて、ピコピコと左右に髷が揺れるのが、シンジの目に映った。

 後頭部から少し後ろに伸び、そこから垂直に天へと伸びるかのように高く結われた髷。

 大名が結う髷の形の中でも、特に現在でも名高い、バカ殿髷と呼ばれる髷の結い方であった(←本気にしないように)。

 彼の後からは、小姓が刀を持って着いて来ていた。

 シンジは、迎えに来たケンスケとカヲルと共に、上段の間の正面に控えている。

 歩いて来たトウジは、どこか不機嫌そうだったのが、シンジの顔を見て相好を崩した。

「よう来たのお。急に出迎えの者なんぞ、差し向けてしもうたけど、迷惑にならんかったかな?」

 気さくな、相変わらずの上方口調で言いながら、トウジは褥の上に、だらしなく胡座をかく。

 そんな彼の様子に、慣れた表情で、小姓もその後ろに控えて座った。

「いえいえ、とんでもありません」

 穏やかな口調のシンジだが、キリッとした姿で言うと、どこか気品を感じさせる。

 トウジと服装を入れ替えたら、下手をすると、彼の方が殿様と呼ばれかねない程だ。

「まあ、楽にしてくれや。ところで、先日はうちのあほどもの為に、骨折りさせてしもうて……。改めて礼を言わせてもらうで」

「恐れ入ります」

 初対面の時に感じた印象通り、トウジの義理堅さを感じさせる台詞に、シンジは素直に頭を下げる。

 彼のそんな表情を見ながら、トウジは昨日、思い付いた事を口にする。

「さてと………。ワシはまだるっこしい事が嫌いなもんでな。前置き無しに用件を言わせてもらうで」

 そう言って、バカ殿髷を揺らしながら、続ける。

「実はな……、我が藩の指南番っちゅうか指南役が…そんな年でもないのに、半年ほど前にポックリと逝ってしもうてな。今、その後がまを探しとるところなんや。で、まあ、家臣どもが連れてくる奴らに会ってみたんやが、これがまあ、どいつもこいつも……。見事なまでに、帯に短し、たすきに長しっちゅうか、相応しいと思える奴がおらんでな………」

 その時の煩わしい時間を思い出したのか、トウジは忌々しげな口調で言い放った。

 機嫌の悪さを示すかのように、後頭部のバカ殿髷も、言葉に合わせて揺れる。

 そんな事を言っていると、急に室内が明るく照らし出された。

 上段の間の窓から陽が差し込んできているのが、トウジの視線に止まった。

「こんな暑っ苦しい部屋におったら、堅苦しゅうて、話にならんわ。廊下に出て、庭でも見ながら、続きを話そか」

 そう言いながら、立ち上がる。

 先程からの会話で、トウジの性格を何となく掴みかけていたシンジは、せっかちなトウジに合わせるかのように、身軽な動作で立ち上がった。
 





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 西暦・二千一年六月五日 初稿脱稿

 西暦・二千四年八月十四日 第二稿脱稿