2009-05-18
おれたち秘境探検隊vol.1―東京の廃村―
幼児性の抜けきっていないおれは、傘を持つたびに自分を剣士だと錯覚してしまう。しかも、実際は幼児以下であるところのおれは、自分がどのような剣士であるのかさえもあやふやなままで、一歩ごとにサムライになったり、ナイトになったりする。もちろん、おれは剣士ではない。誰だって剣士ではない。しかし、傘を持ったときでさえ剣士になれないような石ころ野郎に、いったい何の用があるというのだろうか。少なくともおれはそんな人間には興味がない。
そんな事ばかり言っているから、おれの周りからまともな人間がどんどん離れていってしまったのだろう。今では、視界に入るのは妙ちきりんな人間ばかりだ。妙ちきりんといっても、彼らは、そしておれは、妙ちきりんなままでこの社会を生き抜くことなどできないことを知っている。
おれたちはきっと、陸に上がった魚のようなものなのだ。海の不在に口をぱくぱくさせながら、大地に点在する沼地を渡り歩くことで、どうにかこうにか生き抜いている。それが、半魚族として生まれたものの精一杯。おれたちは、この乾ききった社会で呼吸を続けていくため、同士と連帯する必要を感じていた。
おれたち秘境探検隊が設立された経緯を簡潔に述べるなら、そのようなところに落ち着くのだろう。
秘境探検隊の隊員の多くは、普段は労働者として、意に沿わぬ苦役に耐えながら暮らしている。このおれもそうだ。
そんなおれたちにとって、休暇とは、文字通りの「息抜き」だ。それは、偽りの肺呼吸をやめ、真の呼吸、つまり我々にとって唯一のガス交換法であるところのエラ呼吸に立ち戻ることのできる数少ない瞬間なのだ。
そんなわけで、おれたちは並の労働者を遙かに上回る強度で黄金週間の到来を待ち望んでいた。しかし、それにも関わらず、様々な理由によって、おれたち秘境探検隊は、せっかくの休暇にも東京を離れられずにいた。隊員の多くは、街でのんびり過ごすのもそれはそれで悪くないかと思っていたようだ。しかし、それはあまりに楽観的に過ぎる態度だったと言えよう。
東京や横浜だって、立派な観光地なのだ。上京した田舎者どもがわがもの顔で歩き回っていては、おれたち秘境探検隊のようなモ・ボたちが落ち着くことなどできるはずもなかった。
おれたち秘境探検隊は、ほうほうの体で街を離れざるをえなかった。都会を放逐されたおれたちは、いつのまにか、深い森へと迷い込んでしまっていた。
森の奥に、崩れかけた家屋が見える。これは……!
そこには、ドラクエの終盤で必ず登場するような、廃墟の村が、あった。
我に返ったおれたちは、探索を始めた。生まれてこのかた、乾ききった異郷でサバイブしてきたおれたち半魚族は、この辺、手抜かりがない。廃墟の村には、様々なアイテムが遺されていた。
例えば、教科書。傍らに落ちていた表紙には、「尋常小学校用 小学地理」という文字が記されていた。
作文。「春風がそよそよ」というフレーズが心に残る。時代が時代なら立派なブロガーになっていたかもしれない。
何とはなしに後ろめたくなってきたおれたちの前に姿を現した、恐るべき存在。
この村はとかく人形が多い。
しかし、ここら辺で、おれたちは疑問を抱いてしまう。いくらなんでも、わざとらしくはないかと。そもそもあの新聞や教科書が怪しい。五十年以上前の紙が、あんなにきれいな状態で残っているはずがない。あれらは、最近になって誰かが設置した偽のアイテムではないか。同行した隊員Aはそのように主張した。確かに一理あるようにも思える。おれは小学生のころ、近所の森に捨てられていたエロ本をなんども眺めにいったのだけど、たいていのエロ本は一月も経たないうちに腐り果て、土や泥となってしまっていた。
君の言うことはもっともだ。しかし、そんなことをして誰が得をすると言うんだい? 誰が訪れるとも知れない山奥の廃村に偽装を施しても、得をするやつなんているはずがない。ということは、きっとあれらのアイテムは、ほんとうにこの村にあったものだと考えるのが自然だよ。これは、隊員Bの弁だ。おれにはどちらも説得力があるように思えて、その場で結論を下すことは出来なかった。ただ、感情では答えは決まっていた。自分の心によく問いかけてみれば、どうやらおれは、あれらがほんものであることを望んでいるようだ。
廃村。何となく自分とは縁遠いように思っていた言葉だけれど、考えてみれば、誰だって、歴史のどこかでそれを経験しているはずだ。
おれもそうだ。五百年前、おれの一族が暮らしていたという島は、今では無人島になっている。ということはつまり、おれたちの村もまた、この村と同じように、滅んでしまったということだ。村は滅んだ。しかし、おれは生きている。村を出ていった祖先たちは、その後も絶えることなく繁殖行動を行い続けて、その結果として、2009年のおれは、(半魚族としてではあるものの)どうにか東京で暮らしているのだ。きっと、この村を出ていった人たちも、どこかで楽しく、あるいは退屈に暮らしているのだろう。どちらにせよ、おれは彼らがどこかで生きていることをほとんど疑っていない。もしかすると、彼らの子供たちが再びこの村を訪れることもあるかもしれない。そう考えると、この村でおれたちが眼にした全てが、まるごと本物で会ってほしいような気が、おれにはするのだ。おれは、深海の底のような森の中で、久方ぶりに思い切りエラ呼吸した。
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