「この間違った世界の真ん中で もう一つのエンディング」





 「カヲル君、君は・・・ひょっとして・・・」
 「今はカヲルコよ、シンジ君」
 そう言ってカヲルコは悪戯っぽい笑みを浮かべた。思わずシンジの顔が紅く染まる。
 「・・・シンジ。何でコイツにはそういう態度なのよ」
 アスカがシンジの頬をぎゅっとつねる。
 「そうや!このテのタイプが一番始末におえんのやで、碇!」
 トウコがもう片方の頬をつねった。
 「ひ、ひたいって二人とも」
 シンジが涙目で抗議する。
 「あんたも一体何なのよ。還って来たってどういう意味よ?」
 アスカがぎろりとカヲルコを睨んだ。シンジの態度から察するに、この女こそかのフィフスチルドレンらしい。
 これはまずい。ただでさえ以前シンジが心を開いた相手な上に、認めたくはないが非常に美しい少女なのだ。繊細そうな銀色の髪とどこか蟲惑的な紅い瞳は、かつての綾波レイ(♀)を髣髴とさせる。
 「そのままの意味よ。ここはあなたちが望んだ世界」
 そう言ってカヲルコは指をぱちんと鳴らした。途端にシンジとアスカの周囲が真っ暗になり、同時にレイたちの姿が消えた。



 「みんなが!」
 「どういうこと!?」
 二人は唯一残っているカヲルコに詰め寄る。
 「言ったでしょ?ここはあなたたちが望んだ世界なのよ。あなたたちが造り出した別の世界なの」
 カヲルコはそう言って静かに微笑んだ。その笑みは以前の渚カヲルのものと寸分変わりない。
 「僕達が望んだ?」
 「そうよ。誰も傷ついていない、みんなが以前よりもあなた達に優しい世界。使徒は人を襲わないから、エヴァだって必要のない世界。シンジ君には優しい両親がいる。それこそ、あなたたちが望んだ世界じゃない」
 確かにそうだった。
 トウコの弟は怪我をすることがなかったから、トウコは最初から好意的(度が過ぎていたが)だった。あの世界ではどうだったか。いきなり殴りかかり、敵意がむき出しだった。
 「加持さん、あたしに気を遣ってた・・・」
 アスカも呟く。同性の気安さからか、それともアスカが露骨な好意を向けなかったせいか、リョウコのアスカへの態度は馴れ馴れしさはあったものの、以前より優しかった。
 最初こそ使徒は攻撃的だったが、どんどん無害なものになっていた。
 そしてユイは戻り、シンジはあれほど望んだ家族を手に入れた。
 「そして惣流さんはシンジ君に素直になれた。それこそ、あなたが一番に望んだことだったんでしょ?」
 アスカの顔が一瞬強張る。だが、すぐにアスカは頷いた。
 「そう、ね・・・。そうだわ。考えたら、あたしの望みなんてそんなに難しくなかったんだわ・・・」
 アスカはそう言い、シンジの手をぎゅっと握った。シンジは驚いてアスカを見たが、やがて強く握り返した。
 「そうだ。この世界も僕達の可能性。今の僕達が僕達そのものではない、いろんな僕達がありえるんだ・・・」
 「エヴァに乗らないあたしたちだってありえるんだわ・・・」
 そんな二人に、カヲルコがにっこりと笑った。
 「そうやって見たら、この世界もそう悪いものではないでしょう?」
 「・・・かもしれない」

 「この間違った世界は嫌なものだと思っていた。だけど、僕達が望んだ事は全て入っていたんだ」
 「受け取り方を間違えて、理想の世界を嫌ってしまっていたのね、あたしたち」
 シンジとアスカが互いに笑い合う。
 「考えたら、あの世界だって悪いことばかりじゃなかった。ミサトさんもリツコさんも美人で優しかったし、トウジとケンスケは友達だったし」
 「加持さんもカッコよかったし、ヒカリだっていい友達だったわ」
 「僕たちは悪いところ、つらいところばかりに目を向けて、現実を嫌なものだと思い込んでいたんだ」
 「この世界にも、前の世界にも楽しい事はあったのに」
 「だから、悲しむことなんかないのよ」
 晴れ晴れとした顔の二人に、カヲルコが優しく言った。

 「あたしたち、エヴァに乗らなくてもいいのかもしれない」
 「そうだ、僕たちはここにいたい!」
 「あたしたちはここにいてもいいのよ!」
 その瞬間、二人の世界が崩れた。暗闇しかなかった世界は壊れ、晴れ渡った空と太陽の下、二人をこの世界の人々が囲み、惜しみない拍手を送ってくれている。
 「おめでとう」
 ミサオが豪快に笑った。
 「おめでとう」
 レイも穏やかな笑みを浮かべている。
 「おめでとう」
 リツオが唇の端を持ち上げた。
 「おめでとう」
 リョウコが軽くウインクして見せた。
 「おめでとう」
 「おめでとう」
 「おめでとう」
 トウコ、ケンコ、ヒカルが満面の笑みを浮かべた。
 「おめでとう」
 「おめでとう」
 「おめでとう」
 コウコ、マコト、シゲコ、マヤオも祝福の言葉を投げてくれた。
 「おめでとう」
 ゲンコとユイがシンジに微笑みかけた。
 「ありがとう」
 「ありがとう、みんな
 シンジとアスカが心の底から笑った。こんな風に笑うなんて、一体いつ以来だろう。

 「ありがとう」

 この間違った世界の真ん中で、二人は心の底から湧いてきた感謝の言葉を口にした。
 「そして、さよなら」



 気がつくと、そこは浜辺だった。
 遠くで波の音が聞こえる。
 海が近いのだ。だが、漂う匂いは磯の香りではなく、どこか血に似た匂いだ。
 目を開けると、空は暗い色で、太陽は顔を出してはいない。
 「アスカ・・・?」
 シンジが顔を動かすと、見覚えのある紅い髪が見えた。
 「シンジ・・・」
 アスカもまた、顔をこちらに向けている。
 そうっと手を伸ばすと、アスカもまた、シンジの手を握ってくれた。
 二人、ゆっくりと身を起こす。
 「そっか・・・」
 「みんな・・・」
 シンジ達の世界の人々は、みなあの紅い海になってしまっているのだ。
 「バカみたいだったけど、楽しい夢だったね・・・」
 「うん。いろいろ困ったけど、楽しかった・・・」
 「もう戻ってこないのかな、みんな・・・」
 アスカがぽつりと呟いた。
 「わからない。でも、確か強くイメージできれば戻ってこれるんだって聞いたよ」
 「イメージ・・・。じゃあ、もしかしたら、ミサトたちも戻ってくるかも?」
 「あるかも。それとも、このまま僕達だけここで過ごして、おじいさんとおばあさんになった頃綾波が来るかも」
 「ううん、もしかしたらあんたがすごく強くなって神様みたいになっちゃって、それで他の世界のあんたが二人ほど来たりして」
 「もしかしたら起きたら全然違う世界にいて、ミサトさんたちに頼まれて、七人で使徒退治をすることになるかもね」
 「それか、使徒もエヴァもない世界で、普通の中学生で二人で手紙のやりとりをしてるかも」
 「みんなの性別が違ったりして」
 シンジの言葉にアスカが吹きだした。ひとしきり笑った後、アスカがしみじみとした口調で言った。
 「・・・全部あたしたちの可能性なのね」
 「アスカ、立てる?」
 シンジがアスカに手を差し出す。差し出された手を、アスカは嬉しそうにとった。ゆっくりと立ち上がる。
 「どんなひどい世界になってたって、僕達の受け取り方次第できっと、よくも悪くもなるよ」
 「でも、どうせなら面白いと思える方がいいよね」
 アスカの体が揺れる。量産型との戦いから、まだ時間は経ってないのだ。シンジはそっとアスカの体を支えた。
 「そうだよね。僕達次第で変わるなら、いい方向に変えたいね」
 「どんな風になるのかな」
 「次はどんな世界が来るのかな」
 二人は互いの顔を見て笑い合った。そしてゆっくりと口を開く。

 「アスカ、おめでとう」
 「シンジ、おめでとう」

 互いに、そして新しい世界に、二人は小さく祝辞の言葉を告げた。