「あんたが全部あたしのものにならないなら、あたし何もいらない」

 それは、惣流アスカ・ラングレーが碇シンジに向けた台詞だった。
 鋭い言葉で告げるたった一つの、とてもシンプルで切実な要求。
 告げられたシンジは、その言葉の真の意味、アスカの心の奥底に眠る本心に気付いていなかったようだった。
 いや、アスカ自身気付いていなかった。認めたくなかった。
 自分が喉から手が出るほど求めているものが、こんなにもちっぽけな存在なんて。

 類稀な美貌、優秀な頭脳、恵まれた身体、誰もが羨むものを持っていたアスカ。
 だが、アスカは誰もが当たり前のように持っていたものを持ってはいなかった。
 シンジに惹かれたのは、ひょっとしたら彼がアスカと同じだったからかもしれない。そしてアスカと同じく渇望しながらも、諦めていたからかもしれない。
 そう、シンジは諦めていた。
 誰かに愛されることを望みながら、同時にそれが叶わない、自分には無理なのだと諦め、心を閉ざしていた。
 一緒に住んでいたアスカにも、ミサトにも彼はどこか心の壁を作り、近寄らせようとはしなかった。心を開いて、裏切られることが怖かったからだ。
 だから苛立った。腹立たしかった。無理矢理にでもシンジの領域に入りたかった。
 だが、結局それは自分もだ。
 諦めていたからこそエヴァにこだわった。人類を救う英雄という立場ならば、誰も自分を愛さなくとも、無視はできないだろう。少なくとも感謝という名の尊敬や敬愛は掴むことはできるだろう。
 そうして、「他人とは違う」と他人との間に壁を作り、プライドで塗り固めていた。
 アスカだって、前向きに見えて、その実シンジと同じだったのだ。

 それなのに、突然シンジが自分を求めてきた。必要だと言った。
 本当なら嬉しかったはずだ。だが、シンジが求めていたのは自分ではなく、否定しない誰かだった。
 なぜ諦めていたはずのシンジが誰かを求めたのか、アスカにはすぐにわかった。
 誰か、肯定してくれる誰かがシンジにいたのだ。そしてその誰かを失ったからこそ、シンジはアスカにその役を求めてきた。
 最初から持っていないことより、一度持っていたものを失うことの方が辛い。
 誰かがシンジの心の壁を壊した。そしてその誰かを失ったシンジはアスカに代役を頼んだ。誰かの代わり。二番手。
 だから拒絶した。二番手なんか死んでも嫌だ。
 だから言った。「あなたとは死んでもイヤ」と。
 その結果がこれだ。



 「シンジ・・・」
 アスカは暗闇の中一人呟く。
 もうすぐ会える誰よりも憎い、そして誰よりも愛しい少年。
 会いたい、と素直に思う。同時に絶対に会いたくないとも思う。
 チルドレンという自分の立場には選択肢なんぞないのはわかっていたが。
 「シンジ・・・」
 アスカの唇からもう一度大事な名前が零れ落ちた。



 この間違った世界の真ん中で

  悪夢、そして―



 ぴちょーん。

 「アスカちゃん、見た?トビウオよ!今トビウオがいたわ!あら?アスカちゃんどうしたの?もうすぐ葛城君やあなたの仲間に会えるのよ?ほら、もっと笑って!スマイルスマイルー」
 「あ〜もう、うるさい!いいから黙ってなさいよ!」
 今にも落ちてきそうな青空の下、アスカの怒声が響き渡った。
 「ひどいわ、アスカちゃん。もう、難しい年頃なんだから。いいえ、それとも私がアスカちゃんに信用されていないのが悪いんだわ・・・。私、アスカちゃんに頼ってもらえないのね・・・」
 怒鳴りつけられた加持リョウコはそう言って悲しげに俯いた。
 だがアスカは知っている。彼女は別に傷ついたわけでも、悲しんでいるわけでもない。その証拠に、わざとらしく目元に指を当て涙を拭う仕草までしているが、その瞳は少しも潤んではいない。
 「嘘泣きもやめてよね」
 「あら、わかっちゃった?おみそれしました。やっぱりアスカちゃんはお利口さんね」
 こんな奴だとは思わなかった。
 ぺろりと舌を出し、コロコロと鈴が鳴るように笑うリョウコを見ながら、アスカは加持リョウコ・・・ではなく、かつての想い人である加持リョウジを思い出した。
 素敵な人だと思った。
 誰にでも優しく、何でも知っていて、頼りになる完璧な「大人」。それが、アスカが抱く加持リョウジの姿だ。
 シンジに抱いたような焼けつくような想いではなかったが、やはりリョウジはアスカにとって大事な人だ。憧れの的であり、尊敬の対象だ。
 いや、「だった」。
 (初めてわかったけど、同性だったら結構むかつく奴だったんだわ、加持さん・・・)
 誰にでも愛想を振りまき、どんな情報でも引き出し、かかる火の粉はのらりくらりと、だが確実にかわす。それが加持リョウコだった。
 「うふふ、アスカちゃん。さっきのトビウオ、まだいるわよ。一匹だけなんて、群れからはぐれちゃったのかしら?」
 リョウコは海面を見ながら嬉しそうに呟いた。
 「ああ・・・?トビウオなんかほっときなさいよ」
 ゲンナリとしたアスカはそれだけ返すと、件のトビウオがもう一度跳ねた。

 ぴちょーん。



 「碇ぃ。ウチの帽子どうや?陽射しが強いから日焼け防止に持ってきたんや。あ、それとも碇は色白より小麦色の方が好みやった?」
 「別に」
 「ミミミミサオさん!ちょっと碇君に寄り添ってもらっていいですか?綾波君と碇君の真ん中で!いいわ、年の差!年の差カプ激萌え!」
 「はあ?」
 「面倒・・・」
 「鈴原・・・。君は碇君が本当に好きなんだね・・・」
 やかましい。
 シンジはため息をついて窓の外を眺めた。
 今日はいい天気だ。抜けるような青空、そして凪のために空を映し出したかのような穏やかで碧い海。
 しかしシンジの心はこの海のようには澄んではいなかった。
 シンジは憂鬱だったのだ。この濃い面子のごった煮状態(しかもなぜか以前より増えてる)もそうだが、それ以上にこれから会う人物のことを考えると、胸が締め付けられる。
 (やっぱりアスカもアスオか何かになってるのかな・・・。そういえば以前は何かヒラヒラした服着てたよな。ちょっとだけパンツが見えたこともあったっけ。じゃあ、もしかしたらトランクスかブリーフを・・・そ、そんなのを見せられたら・・・あ、男なら見えることはないか)
 それでなくとも以前綾波レイの部屋で見てしまったものに激しいショックを受けているのだ。それ以上のものを見せられてしまったら、もう立ち直れないだろう。
 セカンドチルドレンの性別がどちらか。
 シンジは怖くてミサオに尋ねることはしなかった。
 「あ〜あ、行きたくなかったのにな・・・」
 こんなとこに来るくらいなら、ジオフロントで、今やすっかり第三新東京市を代表するゆるキャラになってしまったラミエル(仮名)と一緒にのんびりしてる方がよかったかもしれない。
 あの一件以来、シンジとラミエル(仮名)は仲良しなのだ。
 前回襲来してきた真っ赤なバレンタインギフトだが、住居をジオフロントに決めたようだ。
 その後もよく第三新東京市に散歩に出るためか、前回自分が開けた穴から抜け出している。
 最初は恐れられていたが、何も危害は加えないことと、意外な美声で人気を集め、この前などデパートのチョコレート特集にぜひとも貸してくれと呼び出される始末だ。
 ネルフは、今やゆるキャラと化したラミエル(仮名)の名前を決めようと、第三新東京市で名前募集をしているらしい。
 ちなみに現在一番票を集めているのは「ネルちゃん」だ。ネルフのイメージアップのためにネルフがその名を推し進めているという陰謀説もあるが、真実かは定かではない。
 シンジがミサオについてきたのは両親の勧めによるものだった。
 現在シンジはユイとゲンコの三人で暮らしている。
 ユイがそう望んだからだ。ゲンコもまたユイが戻ったことで肩の荷が降りたのか、以前とは比べ物にならないほど柔和な笑みを見せるようになり、シンジにも母親らしい態度で接し始めている。
 それはいいが、息子の前でいちゃつくのはやめて欲しい。いくら十年ぶりの再会だったとしても。
 「きゃあ!碇君が物憂げにため息をついてるわ!カメラカメラ・・・。うんうん、きっと報われない恋に苦しんでいるのね」
 「何やて!?碇!ウチはいつでもあんたの傷ついた心を癒すことができるで!」
 「・・・鈴原・・・」
 「あ〜もう、うるさい!いいから黙っててよ!」



 「いよいよシンジが来るのね・・・」
 上空に見えるVTOL機。忘れるはずもない。あれこそが、かつてアスカに愛憎渦巻く感情を抱かせた少年を運んでいるのだ。
 (でももし、シンジがシンコになってたらどうしよう・・・)
 高鳴る期待と、それ以上の不安。心臓の鼓動音がやけに聞こえてくる。
 せっかく会えるのだから、風が強いことは承知で勝負服のワンピースまで着てきた。
 だけれどもし、シンジがシンコだったら。そして、あの過去の記憶がなかったら。
 (耐えられない。あたしはきっと耐えられない。怖くて加持さんにはシンジの情報を訊けなかった。でも、もう逃げられないわ)
 その時、シンジを乗せたVTOL機が派手な音を立てて降りて来た。
 降りてきたのは・・・やはりミサトではなくミサオだった。
 アスカの背中を冷たい汗が伝った。
 その次に降りて来た少年・・・それは、紛れもなくあの懐かしいシンジの姿だった。
 (シンジ!)
 アスカの顔に喜びが一杯に広がる。嬉しさのあまり涙まで浮かんだ。
 だが、油断は出来ない。
 (いいえ。もともとシンジは女っぽい顔をしてたわ。もしかしたらやっぱりシンコかもしれない。それに、シンジだったとしても、そのシンジはあたしの知るシンジなの?・・・そうだ!それなら確かめたら良いのよ)
 ドイツが世界に誇る天才科学者惣流キョウコ・ツェッペリンの一人娘であり、自身も人並みはずれた優秀な頭脳を持つアスカ。天才少女の名を欲しいままにしている彼女の頭脳は一瞬にして計算し、誰も思いつかないような名案をはじき出した。
 思い立った瞬間アスカは駆け出した。ミサオが駆け寄るアスカに気付き、微笑み、軽く手を上げた。隣にいたシンジも顔をあげ、こちらを見る。
 「よお、アスカ。元気そう・・・」

 「おりゃあ!」

 ミサオ、シンジ、いや、それだけでなくレイ、トウコ、ケンコ、ヒカルの前でアスカがとった行動は、己のスカートを高々と捲り上げることだった。
 「はあ!?」
 「・・・!?」
 「な、何やって・・・」
 「・・・パ、パンツ!」
 シンジが声高に叫んだ。
 何が起きたかわからず呆然とする一同の中、シンジはアスカのスカートの中から目を逸らさず、そしてもう一度叫んだ。
 「このパンツは!アスカなんだね!アスオじゃなくアスカなんだね!
 「このパンツを知ってるのね!?シンジね!?シンコじゃなくシンジね!」
 二人が手を取り合ってはしゃぎ声を上げた。
 アスカの作戦は見事成功だった。と、アスカは一人満足していた。
 しかし本当はわざわざサービスをする必要などなかったのだ。ただシンジに訊けばよかっただけだ。
 度重なる戦闘で傷ついた彼女は、その後も心を踏みにじられ続け精神崩壊すら引き起こした彼女は、愛しい少年と引き離され思いもよらなかった世界に一人放り出された彼女は・・・。


 疲れていた、とても。


 「アスカ!」
 「シンジ!」
 二人は互いの体をしっかりと抱きしめた。今までのわだかまりも、意地も、何もかも再び会えた喜びで吹っ飛んだ。
 「アスカ〜!ミサトさんがミサオさんで父さんが母さんなんだよ〜!」
 「シンジ〜!加持さんが、加持さんが加持リョウコになってるの〜!」
 とうとう堰を切ったように二人は泣き出した。無理もない、この孤独な世界でやっと見つけた同胞なのだ。
 「アスカ、かわいそうに。加持リョウコなんてベタベタじゃないかぁ」
 「シンジ、かわいそう〜!あの顔が女になっちゃったなんて〜!」
 「うわあ〜ん!」
 「うええ〜ん!」
 互いを慰めながら、二人はようやくこの世界に来て初めて心を落ち着かせることが出来た。

 ぴちょーん。

 泣きじゃくる二人。そしてそんな二人を呆然と見つめる一同。
 その中、トビウオがまたしても海から元気よく飛び出した。



 「ちょっと!あんたいつまでウチの碇に抱きついてるんよ!いいかげん離れぇや!」
 入り込めない世界を作り上げていたシンジとアスカを引き裂いたのは、やはりかの少女だった。
 鈴原トウコ。シンジに健気に片想いをしている少女である。
 「だ、誰あんた・・・ま、まさか・・・」
 「・・・アスカ。そのまさかだよ・・・」
 アスカは驚きのあまり口をぱくぱくさせている。
 「す、鈴原・・・」
 信じられなかった。しかし自分を睨みつけ、威嚇してくる少女の胸元ははちきれんばかりに膨れ、その豊かな女性性をこれでもかと主張している。
 「そうよそうよ!トウコの言う通りよ!碇君にはね、物憂げな美少年か筋肉質な美青年が似合うのよ!あんたみたいな女、お呼びじゃないんだからね!」
 トウコの勢いに乗じてここぞとばかりにアスカを責めるケンコ。
 「あ、相田・・・?」
 キーキーと喚く二人の少女に、アスカが圧倒される。だが、アスカを真に叩きのめす存在はこの二人ではない。
 「ははは!いいじゃないか二人とも。そうか、碇君には彼女がいたんだね!とってもお似合いだよ!」
 「・・・彼女?」
 洞木ヒカルと綾波レイだった。
 ヒカルは先ほどアスカが己のスカートを捲り上げた時、すぐに目を伏せたものの、やはり中身が気になるのか見ていないフリをしながらもしっかりと見入っていた。
 ヒカルは喜んでいた。今のところどれほどトウコがシンジに熱を上げているにしても、シンジがトウコを厭わしく思っている事はわかっている。だが、人の心などいつ変化するかわからないのだ。
 だが、シンジにはアスカという、こんなにもかわいらしい彼女がいたとなれば話は変わってくる。随分仲がいいみたいだし、彼女がいるならトウコもシンジを諦めざるを得ないかもしれない。
 一方レイは先ほどまでこの世の終わりのような顔をして俯いていたヒカルがなぜ突然上機嫌になったのかわからず首を傾げている。
 「ヒ、ヒカ・・・リ・・・・」
 対するアスカは頭を何度も鈍器で殴られたような衝撃をを味わっていた。
 無二の親友だったヒカリが・・・。確かに腹を割って何もかも話すことはできなかったが、それでも心の拠り所とも言えるあのヒカリが・・・ヒカルになっている。
 アスカの足元が揺れた。
 「アスカ!」
 ふらついたアスカをシンジが支え、ますますトウコとケンコの怒りに拍車をかけた。
 「碇!何でそんな女がええのよ!ちょっと顔がいいだけやないの!ウチの方が何倍もあんたのこと好っきやねんで!」
 呆然とするあまりロクに反論もできないアスカに、トウコが尚も畳みかけようとするので、慌ててヒカルが止めた。
 「鈴原!諦めなきゃだめだよ!碇君には彼女がいるんだ」
 「嫌や!彼女?それが何や!ウチの方が絶対碇のこと好きやもん!」
 「違うわよ!碇君には綾波君なの!美少年に似合うのは美少年なのよォ!」
 「でもお似合いだし二人の仲を壊しちゃいけないよ。そんなことをしても誰も幸せになれないよ」
 「い〜や!ウチは絶対に碇を幸せにしたるもん!どこまでも尽くすし、碇のことを一番に考えとるもん!」
 「そうだわ、この際洞木君も加わって三角関係ってのもいいかも!ああ〜萌えるわ!」
 新3バカトリオの結成である。
 「あ〜もううるさい!静かにしろ!痴話喧嘩はそこまでだ!」
 あまりの騒がしさにとうとうキレたミサオが吼えた。
 凄まじい迫力だった。さすがは軍人として名を馳せるミサオである。筋骨隆々のたくましい体、そして辺りの空気をビリビリと震わせる声に、さすがの3バカトリオも縮み上がり、押し黙った
 「とにかくこんなところで騒ぐんじゃない。それにシンジとアスカ!二人が何で知り合いなのかは知らないが、人前でいちゃいちゃしない!それとアスカ!いくらなんでもパンツ見せて誘惑とかガキにはまだ早い!」
 「・・・」
 「・・・」
 あまりにも正論なミサオの言葉だったが、何となく反発したくなるのはやはり過去の記憶によるものか。
 「あらら、相変わらず凛々しいわねぇ」
 その時、後ろからかけられた声に、ミサオの顔があからさまに強張った。
 「その声は・・・」
 ゆっくりと振り向くと、そこにはミサオが一番会いたくない女の姿がある。
 「久しぶり、葛城君。うふふ、元気そうね」
 「ぐわ!あ、あのアバズレ来てやがったのか・・・」
 顔面蒼白なミサオとは対照的に、リョウコは御機嫌だった。
 「ふふ、葛城君。ブリッジに行くんでしょ?私が案内してあげるわ」
 そう言いながらリョウコはミサオの腕に自分の腕を絡めた。そのあまりにも自然な動きに思わずトウコが感嘆の声を漏らし、シンジをちらりと窺う。
 「碇、ウチが・・・」
 「シンジに触んないで!このヘンタイ!」
 慌ててアスカがシンジの腕を引っ張る。
 「何やて!?誰がヘンタイなんよ。そっちこそ痴女やないの!」
 「何ですって!やるっての!?」
 ファイティングポーズをとり、臨戦態勢に入ったトウコとアスカ。
 ミサオは既にブリッジに向かっている。まとわり付くリョウコに文句を言いながらも、力ずくで振り払わない辺り、実はまんざらでもないのかもしれない。
 繰り広げられる女の戦いを尻目に、レイは一人海をそっと指差した。
 「碇君」
 「何?」
 「トビウオだ・・・」
 シンジが紺碧の海に視線を向けると、ちょうどトビウオが空に向かって高々と飛び上がった。

 ぴちょーん



 「ねえねえ、今の男の子見た?あの子、ユイ様に超似てる!」
 「うっそー!やだ、どうしましょ!?」
 「今からでも遅くないわ!ちょっと一緒に写真撮らせてもらいましょうよ」
 「え!?写真!?ちょっと待ってよ。この暑さで汗かいちゃったからファンデがとれちゃって、もう」
 「あ〜ら、大して変わってないわよ」
 「ところで、どこにいるの!?ユイ様似の男の子!」
 「あんたたち、静かになさい!」
 キーラの怒声が甲板に響き渡った。
 「何がユイ様似よ!あれがサードチルドレンでしょうが!」
 「え、そうなの?やーだ。キーラったらサードがあんなにユイ様に似てること、どうして隠してたのよぉ」
 「そうよそうよ。あんな美少年情報独り占めにしてたなんて、抜け駆けは重罪よ、重罪」
 「ずるーい!サードの写真くらい、あたしたちに焼き増ししてくれてもいいじゃない」
 「回してたわよ!」
 何せ使徒戦における大事なカードである。サードチルドレンこと碇シンジの顔写真くらい、だいぶ前から見せているはずだ。
 「・・・あんたたち・・・。今までも私が渡した書類に目を通してないんじゃないでしょうね・・・」
 キーラの声が段々と低くなっていく。
 「え、そうなの?や〜だ、あたしったらそんな大事な物どこにやったのかしら・・・」
 「だ、だってキーラったらしかめっ面で書類とか言うんだもの。あたしはてっきり・・・」
 「ユイ様似の美少年って言えばあたしたちだってちゃんと見たわよォ」
 「ま、まあいいじゃない、キーラ。せっかく良いお天気なんだから、今ここでそんな話しなくても・・・」
 一同は目を逸らしながらも必死でリーダーをなだめる。せっかくのユイ様ツアーなのに、キーラの機嫌が悪くなると台無しになってしまう。
 「そうよ。それにもうすぐユイ様に会えるのよ。生ユイ様よ!生ユイ様!」
 「第三新東京市に着いたら、キーラにご当地ストラップを買うからさぁ」
 「そういえば今話題のマスコットがいたわよね。何て言ったかしら?ゆるキャラの・・・」
 「・・・まだ名前は決まってないわよ。でも、最有力候補は『ネルちゃん』よ」」
 キーラが厳かな口調で言った。どうやら新キャラのストラップは既にチェック済みだったらしい。
 「さすが、情報が早いわね〜」
 「だってゼーレだもん」
 「あら?そういえば、あなたお孫さんがついて来ちゃったんじゃなかったっけ?いいの?」
 「あ〜らいいのよ〜。タブリスに看てもらってるからねぇ」
 「タブ・・・あんた!私達の切り札を子守に使っているの!?」
 キーラが激しく問い詰めた。タブリス。それは、最後の使徒であり、ゼーレの切り札だ。



 「・・・何か寒気がする」
 食堂の中、コーヒーを飲んだシンジがそう呟いた。
 「風邪?」
 隣で紅茶を飲んでいたレイがシンジの顔を覗き込んだ。
 「・・・わからないけど、違うような気がする・・・」
 二人の前では、トウコとアスカによる女のガチンコ勝負が繰り広げられている。
 「キーッ!痛いわね、このヘンタイ!あたしの髪引っ張ってんじゃないわよ!」
 「そっちこそ!ウチの顔を引っ掻きおったなこの痴女!顔はなあ、女の命なんやで!」
 「それを言うなら髪よ、トウコ」
 「ひいいい!顔が!鈴原の顔が!」
 よかった。
 シンジは思った。
 心配してたけど、アスカは元気一杯だ。この世界に来てから碌な事がなかったけど、アスカが昔のように元気を取り戻したことだけは嬉しい。
 「セカンド、元気がいいね」
 レイが小さく呟いた。
 「そうだね・・・」
 (そういえば)
 シンジはふと前史を思い出した。
 (確か、アスカが来た日って使徒が来たような・・・)
 その時だった。
 突如不快な警報音が艦内に響き渡った。
 「この音は!」
 「使徒!?」
 「何ですって!」
 アスカは、トウコの頬を力いっぱいつねり合っていたことも忘れて顔を上げた。
 「使徒ですって!?じゃあ碇君と綾波君の出番よね!またあのぴっちりとしたスーツ着るのね!それも二人で!いやあん、カメラいいのに買い替えて大正解!」
 ケンコの目が異様なほどギラギラと輝く。どうでもいいが鼻息を荒くして体を舐めるように見るのはやめてもらいたい。
 「使徒!?この前のアレかいな!いやあん、碇ぃ。ウチ怖くてたまらへん」
 トウコがここぞとばかりにシンジに抱きつこうとした。
 「甘いわよ!」
 「大丈夫だよ、鈴原!僕が守ってあげるよ!」
 すかさずアスカが駆け出すトウコの背中に蹴りを入れ、よろめいたトウコをヒカルがさっと支えた。
 さすがは(元?)親友と言うべきか、性別が変わってもアスカとの息はピッタリのようだ。
 「使徒、ね・・・。別に今更華麗に倒すとかはどうでもいいんだけど、まあ弐号機もあるわけだし、ここでネルフに恩を売っておいて損はないわよね・・・」
 「今度の使徒・・・。ちゃんと使徒かな・・・」
 不敵に笑うアスカに対して、シンジの顔は強張っている。
 「どういうこと?」
 「この前から使徒もちょっとヘンなんだ。くすぐったり、攻撃しなかったり・・・」
 「ふうん、でもとりあえず行ってみた方がいいわよね」
 アスカがシンジの腕を引っ張った。
 「ほらあんたも、またあたしの弐号機に乗せてあげるから」



 「早くあんたもスーツ着なさいよ」
 そう言ってアスカが差し出した赤いプラグスーツを見たシンジは、あからさまに嫌な顔をした。
 「何て顔してんのよ」
 「だってさ・・・。またケンスケ・・・いや、ケンコが喜んで写真撮りまくると思ったら気持ち悪くて・・・」
 「・・・まあ気持ちはわかるわ・・・」
 前史で散々隠し撮りをされたアスカである。シンジが渋るわけなど嫌と言うほどわかる。
 「それにしてもさ、前回は結構揺れてたり騒いでた覚えがあるんだけど・・・」
 シンジが首を傾げる。トウコたちをまき、今は艦内の一角で二人きりでいるので、シンジは初めて前史の話をした。
 「そういえばそうよね。さっきから静かだし。言われてみたらヘンね」
 アスカも頷く。
 「ね、ねえアスカ。ちょっとだけ外見てみない?もしかしたら、ネルちゃんみたいにおとなしい使徒かもしれないよ?」
 以前のアスカだったら猛反発するだろう意見だが、アスカの方も別に使徒を倒すことにそれほどのこだわりはない。
 母親との再会、そして結末はああだったものの、一度は9体ものエヴァに大勝利をしたのだ。エヴァへのこだわりも、一番になることへの執着も以前ほどではない。
 「ネルちゃん?」
 「・・・この前の使徒。まだこの名前に決まったわけじゃないけど」



 ぴちょーん

 甲板は静かだった。前回は爆発やら砲撃やらが大判振る舞いだったというのに、拍子抜けするほど海は穏やかだ。件のトビウオが飽きもせず跳ね回っている。
 「あれ〜?おかしいな・・・さっきの警報は誤報だったのかな」
 「全く人騒がせねぇ」
 シンジとアスカが顔を見合わせると、アスカの携帯が鳴った。ディスプレイにはミサオの名前が映っている。
 「もしもし?・・・葛城さん?」
 相手はミサトではない。だが、ミサオと呼ぶのも抵抗があった。

 ぴちょーん

 『おお、アスカか。実は使徒が現れた!早速弐号機に乗って使徒を探してくれ!』
 「・・・探す?倒すじゃなくて?」
 『実は・・・さっきからパターン青が出てるんだが、一向に使徒の姿が見つからないんだ』
 アスカがシンジに顔を向ける。

 ぴちょーん

 「小さい使徒ってこと?」
 シンジとアスカはほぼ同時に、かつて赤木リツコが倒した最小の使徒を思い浮かべた。
 『さあな。でも何かしてくるわけじゃないし・・・』

 ぴちょーん

 「本当に使徒なの〜?間違いじゃないの?」
 『う〜ん・・・俺もそうかなと思ってるんだが・・・』

 ぴちょーん

 「大体さあ・・・」

 ぴちょーん

 「・・・」
 「・・・」
 シンジとアスカがほぼ同時に顔を海に向けた。

 ぴちょーん

 「・・・トビウオ・・・?」
 「・・・まさか・・・」
 『やっぱりパターン青は間違いなさそうだ。しかも、ちょうどこのオーバー・ザ・レインボーの真下辺りからパターン青が検出されているんだ』
 「・・・葛城さん。たぶん使徒発見・・・」
 脱力して話す気力すらないアスカに代わり、シンジが電話に出た。
 『何だと!?どこにいる!?』
 「目の前・・・。小さすぎて、エヴァではたぶん何も出来ない・・・」
 『どういうことだ!?』
 「捕獲したかったら・・・網、貸してください・・・」

 ぴちょーん

 トビウオならぬ、使徒ガギエル(仮名)が一際高く跳ねた。



 「シンジ!もうちょっと右!」
 「碇君。今度は左だ!」
 「頑張ってぇな、碇〜」
 「碇君!そのポーズいいわ!もっとお尻を突き出して!誘い受けっぽい!」
 何故自分はこんなことをしているんだろう。
 必死で網を動かしながら、シンジはふと思った。
 優雅に泳ぐ使徒(?)はシンジの網をやすやすとかわしている。時折徴発するように飛び上がり、シンジたちの顔に水しぶきをかける。
 「んもう!相変わらずドン臭いわねぇ!」
 痺れを切らしたのか、アスカが釣竿を持ち上げた。
 「アスカ釣りできるの?」
 「やったことないけど、簡単よこんなの」
 アスカはそう言って釣り糸を垂らした。が、ガギエル(仮名)は見向きもしない。
 「碇君。もう一本網を借りてきた。挟み撃ちにしたらどうだろう」
 レイが網を持って駆け寄ってきた。
 「よし!綾波はこっちから!」
 シンジとレイの同時攻撃に、とうとうガギエル(仮名)のからだがシンジの網に入り込んだ。
 「やったー!」
 シンジが歓喜の声を上げる。
 「格好ええわ、碇ぃ!」
 トウコがやはりシンジに抱きつこうとするが、アスカが襟首を掴み、ヒカルの方へ突き飛ばした。
 『ナイスシンジ君!』
 ミサオの明るい声がスピーカーから聞こえてくる。彼はブリッジからこの使徒捕獲作戦の指示をしていたのだ。
 だが、せっかく捕獲した獲物は網の中には留まらず、勢いよく飛び出した。
 「うわ!」
 「きゃあ!」
 飛び出したトビウオは甲板のデッキに落ち、びたんびたんと跳ね回る。
 『つ、掴まえるんだ!』
 ミサオの号令で一斉に飛び掛るチルドレンたち。だが。
 「うわ!滑る!」
 「ツルツルして掴めないわよ!」
 そうなのだ。使徒ガギエル(仮名)の体は非常に滑りやすく、とてもじゃないが掴まえられない。
 『くそ!チルドレンが全く歯が立たないなんて!』
 『葛城君』
 その時、スピーカーから女の声が聞こえて来た。加持リョウコのものだった。
 『焦っても何も解決しないわ。そうでしょ?あの子達を信じるのよ。シンジ君たちなら、きっとやってくれるわ』
 『うるせーよ、このアバズレ!てめえは引っ込んでろ!』
 どか、という大きな音が聞こえて来た。
 『ひっどーい、葛城君ったら。私達、あんなに愛し合った仲じゃないの』
 『やかましい!俺以外の男にも散々コナかけやがったくせによくもぬけぬけと!』
 『もう、葛城君ったら、ヤキモチ焼きなんだから』
 「・・・」
 「・・・」
 子供達は何も聞かなかったふりをした。
 「はあ・・・何だってこんなことになったんだろう・・・」
 シンジは思わずため息を漏らした。
 「ふふ、この世界は嫌い?碇シンジ君」
 かけられた声は、シンジの知らないものだった。
 「え?」
 思わず顔を上げると、目の前には銀髪の美しい少女が微笑んで立っている。彼女はなぜか小さい子供の手を引いていた。
 「ま、まさか・・・」
 「久しぶりね、碇シンジ君」
 銀髪の美少女はそう言い、紅い瞳を細めた。
 「私はカヲルコ。渚カヲルコ。あなたと同じ、還って来た子供よ」
 シンジとアスカの目が大きく見開かれた。



 「カヲル君、君は・・・ひょっとして・・・」
 「今はカヲルコよ、シンジ君」
 そう言ってカヲルコは悪戯っぽい笑みを浮かべた。思わずシンジの顔が紅く染まる。
 「・・・シンジ。何でコイツにはそういう態度なのよ」
 アスカがシンジの頬をぎゅっとつねる。
 「そうや!このテのタイプが一番始末におえんのやで、碇!」
 トウコがもう片方の頬をつねった。
 「ひ、ひたいって二人とも」
 シンジが涙目で抗議する。
 「あんたも一体何なのよ。還って来たってどういう意味よ?」
 アスカがぎろりとカヲルコを睨んだ。シンジの態度から察するに、この女こそかのフィフスチルドレンらしい。
 これはまずい。ただでさえ以前シンジが心を開いた相手な上に、認めたくはないが非常に美しい少女なのだ。繊細そうな銀色の髪とどこか蟲惑的な紅い瞳は、かつての綾波レイ(♀)を髣髴とさせる。
 「そのままの意味よ。ここはあなたちが望んだ世界」
 そう言ってカヲルコは指をぱちんと鳴らした。途端にシンジとアスカの周囲が真っ暗になり、同時にレイたちの姿が消えた。



 「みんなが!」
 「どういうこと!?」
 二人は唯一残っているカヲルコに詰め寄る。
 「言ったでしょ?ここはあなたたちが望んだ世界なのよ。あなたたちが造り出した別の世界なの」
 カヲルコはそう言って静かに微笑んだ。その笑みは以前の渚カヲルのものと寸分変わりない。
 「僕達が望んだ?」
 「そうよ。誰も傷ついていない、みんなが以前よりもあなた達に優しい世界。使徒は人を襲わないから、エヴァだって必要のない世界。シンジ君には優しい両親がいる。それこそ、あなたたちが望んだ世界じゃない」
 確かにそうだった。
 トウコの弟は怪我をすることがなかったから、トウコは最初から好意的(度が過ぎていたが)だった。あの世界ではどうだったか。いきなり殴りかかり、敵意がむき出しだった。
 「加持さん、あたしに気を遣ってた・・・」
 アスカも呟く。同性の気安さからか、それともアスカが露骨な好意を向けなかったせいか、リョウコのアスカへの態度は馴れ馴れしさはあったものの、以前より優しかった。
 最初こそ使徒は攻撃的だったが、どんどん無害なものになっていた。
 そしてユイは戻り、シンジはあれほど望んだ家族を手に入れた。
 「そして惣流さんはシンジ君に素直になれた。それこそ、あなたが一番に望んだことだったんでしょ?」
 アスカの顔が一瞬強張る。だが、すぐにアスカは頷いた。
 「そう、ね・・・。そうだわ。考えたら、あたしの望みなんてそんなに難しくなかったんだわ・・・」
 アスカはそう言い、シンジの手をぎゅっと握った。シンジは驚いてアスカを見たが、やがて強く握り返した。
 「そうだ。この世界も僕達の可能性。今の僕達が僕達そのものではない、いろんな僕達がありえるんだ・・・」
 「エヴァに乗らないあたしたちだってありえるんだわ・・・」
 そんな二人に、カヲルコがにっこりと笑った。
 「そうやって見たら、この世界もそう悪いものではないでしょう?」
 「・・・かもしれない」

 「この間違った世界は嫌なものだと思っていた。だけど、僕達が望んだ事は全て入っていたんだ」
 「受け取り方を間違えて、理想の世界を嫌ってしまっていたのね、あたしたち」
 シンジとアスカが互いに笑い合う。
 「考えたら、あの世界だって悪いことばかりじゃなかった。ミサトさんもリツコさんも美人で優しかったし、トウジとケンスケは友達だったし」
 「加持さんもカッコよかったし、ヒカリだっていい友達だったわ」
 「僕たちは悪いところ、つらいところばかりに目を向けて、現実を嫌なものだと思い込んでいたんだ」
 「この世界にも、前の世界にも楽しい事はあったのに」
 「だから、悲しむことなんかないのよ」
 晴れ晴れとした顔の二人に、カヲルコが優しく言った。

 「あたしたち、エヴァに乗らなくてもこの世界なら普通に生きていけるのね。エヴァに乗らないあたしでも、受け入れてくれるのね」
 「そうだ、僕たちはここにいたい!この世界がいい」
 「あたしたちはここにいてもいいのよ!」
 その時、二人の世界が音を立てて崩壊した。
 「おめでとう、二人とも」



 「シンジ!そこよ!」
 アスカの声に、顔を上げると、そこには一匹のトビウオがいた。
 反射的に手を伸ばすと、トビウオはすっぽりとシンジの手の中に収まった。
 突然の展開にシンジは目をぱちぱちとさせた。が、すぐに思い出す。
 「そうだ・・・。僕は、確か使徒を捕まえようと・・・そして、カヲル君が・・・」
 シンジはオーバー・ザ・レインボーの上に立っていた。周りにはアスカだけでなく、レイやトウコたちもいる。
 では、あの出来事は、白昼夢だったのか。カヲルコは少し離れた場所で使徒を捕まえたシンジに拍手を送っている。その端正な顔には静かなアルカイックスマイルが浮かんでいた。
 「やったわシンジ!」
 アスカが拳を握り締めた。
 「碇!やったな!」
 トウコが再びシンジに抱きつこうとするが、すかさずアスカが殴り飛ばした。
 「あんたも、懲りないわねぇ。シンジに手を出さないでよ、このヘンタイ」
 「ふん、ウチは絶対に碇を諦めへん!あんたみたいな痴女には渡さへんからな!」
 罵倒しあう二人は互いに顔を見合わせニヤリと笑った。その顔はどこか楽しそうだ。
 「妙な友情が芽生えてる・・・」
 そんな二人を観察していたレイがそっと呟いた。
 「友情・・・友達・・・よく、わからない・・・」
 「難しいことじゃないよ。綾波だって僕の友達じゃないか。少なくとも僕はそう思っているよ」
 首を傾げるレイにシンジが笑いかけた。手の中のトビウオがジタバタと騒ぐので、慌てて傍にあったバケツに入れる。
 「どうしよう、この使徒。そうだ、ネルフのプールで飼えないかな」
 「たぶん」
 赤木さんが喜ぶだろうな。
 シンジはそう思った。
 ユイが還ってきて以来、ゲンコはリツオに別れを告げた。ゲンコの家族であるシンジからしたら、少しだけリツオにすまないと思う。
 「ふふ、よく掴まえたわね」
 バケツの中の使徒を見ていたら、カヲルコが話しかけてきた。
 「渚さん・・・」
 「カヲルコでいいわよ、碇シンジ君」
 カヲルコがそう言ってシンジの手をそっととった。
 「ぼ、僕も・・・シンジでいいよ・・・カヲルコさん」
 懐かしさを感じながらシンジがそう言うと、遠くでつかみ合いの喧嘩をしていたアスカとトウコが血相を変えて走ってきた。
 「ちょっと!シンジに手出ししてんじゃないわよ!このヘンタイ!」
 「そうやそうや!ウチらの目を盗んで誘惑するとは、とんだ女狐やで!」
 「あら、あなたたちはシンジ君とお話しするより喧嘩する方が楽しそうじゃない?それに・・・」
 カヲルコはくすりと笑ってシンジの頬を撫でた。シンジの心臓が跳ね上がる。
 「シンジ君ってとっても繊細だもの。好意に値するのよね。つまりは好きってこと」
 そう言ってカヲルコはシンジの頬にそっと口付けた。
 「な!?」
 「こっこの!」
 「・・・」
 「今度は女の子だもの、何も不都合はないわよね」
 カヲルコに微笑みかけられ、シンジは目を白黒させている。
 アスカとトウコは真っ赤になってカヲルコを睨みつけた。カヲルコは涼しい顔で硬直しているシンジの首に腕を回した。
 「キー!このアマ絶対許さない!」
 「よくも碇に!道頓堀に沈めたるわ!」

 ぴちょーん

 ガギエル(仮名)が、バケツの中で小さく跳ねた。



 「今度の使徒も敵意なし。というかやる気なし。だけどATフィールドが強力すぎて倒す事は不可能・・・」
 「しかもトビウオよ。次の使徒はかわいいといいわね。でもさあ・・・」
 「こうなりゃ人類補完計画も無理ね・・・」
 一同はそう言って、隅のほうで落ち込んでいるキーラを見やった。
 「・・・」
 「・・・ねえ、キーラ」
 「・・・何?」
 「そう落ち込むことないわよ。人類補完計画なんてさ、やっぱりいらないんじゃないの?」
 「そうそう。そりゃ人類の顔を修正してみんなが美人になるのってちょっと魅力的な計画だけどさ、今は化粧でも整形でもいくらでも綺麗になる方法はあるわよ」
 「あたしもこの低い鼻をもう少し補完して高くしてもらいたかったわあ」
 「あたしはこの白髪よね」
 「お・は・だ!年だけはとりたくなーい」
 ゼーレの面々が口々にキーラを慰める。最後の方は自分達の願望も入ってはいたが。



 「シンジ!」
 「シンジ!お帰りなさい」
 港に着くと、ユイとゲンコが出迎えてくれた。
 「父さん!母さん!」
 シンジの顔がぱっと明るくなる。もう、シンジはゲンコの姿を見ても何も悲しくはなかった。ゲンコも今ではいい母親だ。
 「聞いたぞ、シンジ。使徒を捕まえたんだってな。よくやった、さすがはゲンコの子供だね」
 「あらいやだ。ユイサンに似たのよ、シンジは」
 ゲンコが機嫌よく笑う。その頬は少し紅く染まっている。
 「おかえりミサオ」
 そんな二人の横では赤木リツオがミサオを出迎えた。ユイとゲンコの姿に、まだ気を落としているようだったが、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。きっと彼は立ち直るだろう。
 「あら!リツオ君!久しぶり〜。また三人でつるめるわね」
 「誰がお前なんかと!こんのアバズレが!」
 ミサオとリョウコの夫婦漫才にリツオが苦笑混じりのため息をついた。
 「え!?碇のお父様とお母様!?ははは初めまして!ウチは鈴原トウコ!ふつつか者ではありますが・・・」
 「ちょっと!何が『お父様とお母様』よ!あんたなんかお呼びじゃないわよ!お父様とお母様に挨拶をするのはあたし!」
 身を乗り出すトウコを押しのけ、アスカが駆け寄った。
 「何やて!?この痴女!」
 すかさず取っ組み合いの喧嘩を始める二人の横を、カヲルコが悠々と歩いた。
 「お父様、お母様。初めまして。渚カヲルコと申します」
 ユイとゲンコの前に立ち、優雅な物腰でお辞儀をするカヲルコ。
 「おや、シンジ。彼女か、この娘は?」
 「あらあら、美人さんね。隅に置けないのね、シンジ。きっとユイサンに似たんだわ」
 ユイとゲンコがそう言って笑った。
 「いや、別にそんなんじゃ・・・」
 シンジは慌てて否定するが、赤い顔と綻んだ口元ではあまり説得力がない。
 「冗談じゃないわ!シンジ!あんたなにニヤついてるのよ!」
 「そうや!こんな女狐に騙されたらあかん!女は顔やないで!」
 髪の引っ張り合いをしていたアスカとトウコが血相を変えて飛び出した。
 「いやあん、碇君のお父様ったら超美形!これなら近親相姦ネタもいけるわ!」
 ケンコはまたもや興奮している。
 「鈴原!ダメだよ、碇君には渚さんや惣流さんがいるじゃないか!」
 「にぎやかなもの・・・友達・・・絆・・・」
 ヒカルとレイも降りてきた。
 「モテモテだな、シンジ」
 ユイがそう言って微笑む。
 その時、碇夫妻の背後から、巨大なバレンタインギフトがゆっくりと姿を現した。
 「らー♪らー♪」
 「あ!ネルちゃんだ!迎えに来てくれたの?」
 アスカとトウコの両方から頬をつねられていたシンジが顔を上げ、嬉しそうに叫んだ。
 「らー♪らー♪」
 「ネルちゃん新しい使徒が来たんだよ!嬉しい?」
 シンジが巨大なバレンタインギフトに近寄った。
 「らー♪らー♪」
 巨大な赤い使徒は新たな仲間の登場に歓喜の歌を歌い上げた。

 いい世界だな。
 使徒の歌声を聴きながら、シンジはしみじみとそう思った。
 望んでいた世界。自分の中の可能性の一つ。

 「僕はここにいてもいいんだ」
 この間違った世界の真ん中で、シンジは一人微笑んだ。



 性転換エヴァ、これにて一応完結です。
 そのうち番外編で続きが来るかもしれません。
 思えば一発ギャグのつもりで書いた物がアスカ来日までいくとは・・・。これもリクエストしてくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました!
 ちなみに別バージョンのラストがありますが、ちょっと暗かったのでこっちに。
 読みたい方は下からどうぞ。

あとがき特別付録 もう一つのエンディング