夢を見た。
 とても恐ろしい夢を。
 僕の知っている人たちが、いなくなってしまう夢。

 いつも一緒に戦ってきた綾波も。
 自分の意見を押し付けてくるところはあったけれど、やっぱり僕のことを真剣に考えてくれてたミサトさんも。
 大事な場面で背中を押してくれた加持さんも。
 大切な友達だったトウジもケンスケも。
 そして、大嫌いだった父さんも。
 リツコさんも、日向さんや青葉さんも、副司令も。
 みんな、みんないなくなってしまったんだ。

 でも、悪い夢だったんだ。
 目が覚めたら、そこはやっぱりいつもの日常で、わずらわしくも愛すべき大切な日々が変わらずあるはずなんだ。



 ・・・と思ってたんだけど。

 悪夢は一度きりだったはずだ。
 なのに、なぜだか悪夢は二日目に突入している。


 この間違った世界の真ん中で

  悪夢、ふたたび




 ズゴゴゴゴー!ズピー!ギリギリギリ・・・。
 「あ〜!もううるさい!」
 耳を塞ぎながら、シンジは起き上がった。
 起き上がりついでに枕もとの目覚まし時計に目をやると、起きなくてはいけない時間まであと五分だ。
 この不快な騒音のせいで、安眠できたとはいえない身としては、寝直すこともできないこの時間が凄まじく腹立たしい。
 「葛城さん!いいかげん、あのいびきと歯軋りなんとかしてくださいよ!」
 朝食の支度をしながら、シンジはようやく起きてきたミサオを睨みつけた。ミサトは寝相が悪かったが、ミサオはそれに加えていびきが尋常じゃないのだ。
 シンジが第三新東京市に「戻って」から数日後、シンジは結局ミサオと一緒に暮らしていた。
 「よお、シンジ君。おはよ・・・ふわあああ」
 だらしないところだけは変わっていないかつての同居人だが、シンジが知る葛城ミサトとは大きく違っていると、その姿が雄弁に物語っていた。
 「葛城さん!またパンツ一丁で寝てたんですか!やめてくださいって言ったじゃないですか!」
 シンジが怒鳴ると、ミサオはへへへ、と笑いながら、丸出しの腹をボリボリと掻いた。
 「全く、朝から騒がしいね、シンジ君は。男がそんな小さいこと、いちいち気にするとハゲるぞ。男はもっとどっしりと構えてなくちゃあ!それよりシンジ君、今日の味噌汁うまそうだね〜。具は何かな?」
 そりゃ、シンジだって最初から目の前の人物が男性だった場合、眉くらいしかめたとしても、それほど気にはしなかったかもしれない。だが、数日前まで、シンジの中では彼は彼女だったのだ。しかも、とびきり美人の。
 (昔はよかった・・・。ミサトさんがタンクトップとホットパンツ姿でさ・・・)
 ミサオのために味噌汁を掬いながら、シンジは過去の幸せな光景を思い出し、深々とため息をついた。



 「あら、君が碇君ね」
 担任の教師だと紹介されたのは、優しく温厚そうな老女だった。
 根府川と名乗られた時、シンジは確信した。
 (やっぱり・・・ネルフだけじゃないんだ・・・。ということは・・・トウジやケンスケは・・・)
 本当は、このことは何度もシンジの頭を掠めたのだ。
 ミサトがミサオになったように。
 リツコがリツオになったように。
 ゲンドウがゲンコになったように。
 かけがえのない友人だったトウジとケンスケだって、違うものになってしまっているかもしれないのだ。
 (そ、そういえばトウジの妹さん・・・!)
 今更だがシンジは思い出した。
 トウジとの友情を作るきっかけともなったあの事件。
 その事件は、けしていい思い出のものではなかったのだ。
 (ど、どうしよう・・・。前と比べて使徒はあっさりと倒したから大丈夫なんてことにならないかな・・・)
 親友の妹(おそらく弟になっているだろうが)にまたもや怪我をさせてしまったのではないかという不安にビクビクしながら、シンジは教室に入った。
 その途端、シンジはうめいた。
 興味深げに転校生を眺める彼らの性別が、ものの見事に変化していた。
 「はい、今日は転校生を紹介します。『碇シンジ』君です。さあ、碇君、ご挨拶をして」
 黒板に綺麗な字でシンジの名前を書いていた女教師がそう促した。
 「い、碇シンジです・・・」
 よろしく、という言葉はなかなか出なかった。本音を言うとよろしくされるのは少々抵抗があった。
 「席はあちらですね。では、しばらく委員長の洞木君、碇君にいろいろ教えてさしあげて」
 「はい」
 洞木と呼ばれた少年が立ち上がった。
 (い、委員長・・・)
 そこにいたのは、顔に雀斑を浮かべた、生真面目そうな少年だった。
 「碇君だね。僕は洞木ヒカル。委員長をやっているから、何かわからないことがあったら何でも聞いてね」
 「あ、ありがとう・・・」
 何とか礼を述べながら、シンジは遠い海の向こうにいるはずのアスカに少し同情した。



 「ちょっと!あんた!」
 放課後、突然首をつかまれ、シンジは「来た!」と身構えた。
 「転校生のキミや!」
 振り返った先には・・・やはり、いた。
 ジャージを着込み、髪をボーイッシュに切ってはいるものの、まぎれもなく性別が違ってしまった親友の姿が。
 男っぽい格好をしてはいるが、かつてのトレードマークでもあったジャージの中では、はちきれんばかりに豊かな胸が彼女の性別を如実に物語っている。
 「君は・・・」
 「碇君ってさあ、ここだけの話、あのエヴァのパイロットなんでしょ?ねえねえ、あの中ってどんな感じ?パイロット用のスーツ着たとこ今度見せてくれない?」
 横から身を乗り出してきたのは、やはりかつての親友だった。性別は変わっていたが。
 「あ、ごめんなさい。あたしの名前は相田ケンコ。こっちは鈴原トウコよ。ねえ、それより今度さ、あのスーツ着てるとこ写真に撮らせて!ね、お願い!」
 以前のケンスケはエヴァに多大なる興味を持っていたが、なぜだかケンコはそれよりスーツの方に興味があるらしい。
 「ケンコ。あんたは少し引っ込んでて。ウチはあんたに用があんねん。ちょっとこっち来てや」
 それだけ言うと、トウコはじろりとシンジを睨みつけた。
 その顔は真っ赤だった。どうやらかなりの怒りをシンジに対して抱いているらしい。
 (やっぱり・・・僕はまたトウジの・・・いや、鈴原さんの妹・・・いや、たぶん弟を傷つけちゃったんだ・・・。やっぱり、僕は何度やっても誰かを傷つけるしかできないんだ・・・)
 シンジの顔が沈んだ。
 もう一度使徒戦を繰り返すことになるのは嫌だったが、同時に今度こそは上手くやれるのではないかと心の隅では思っていた。
 レイ、カヲル、そして目の前にいるトウジ。自分のよき理解者だったリョウジ。そして、命こそ残ってはいたものの、心の大部分を失ってしまったアスカのことも、助けられるかもしれないと思っていた。
 もしそうなれば、シンジはこの間違った世界も少しは好きになれるかもしれない。
 だが、やはり過去は変えられないのだ。
 「転校生!はよ来て!」
 先に歩き出したトウコが叫んだ。
 シンジは目を瞑り、小さく頷く。
 どうあろうと、やはり自分が傷つけたのならば、やはり自分はトウコに殴られるべきなのだろう。



 だが、現実はシンジの予想から大きく逸れていた。
 「転校生!いや、碇!ウチは、ウチは・・・あんたに一目ぼれしてしもうたんや!」
 「・・・・・・・・・は?」
 それは、殴られるよりも遥かに衝撃的だった。
 「ええ!?マジなの!トウコ!」
 隣にいたケンコも目を剥いている。
 「あたしはてっきりあんたがまた転校生をシメようとしているのかと・・・」
 (シメる?)
 ケンコのセリフも気になったが、それよりも、目の前にいるトウコだ。
 「す、鈴原さん、その、僕に対して怒ってたんじゃないの・・・?ほ、ほら、例えば君の兄弟について・・・」
 「はあ?何言ってんの?ウチには確かに弟がいてるけど、あんたに怒る理由なんかあらへんわ」
 ということは、どうやら使徒を瞬殺したおかげでトウコの弟を傷つける事はなかったらしい。
 ほっとし、思わず笑みを浮かべると、トウコの顔がもっと赤くなった。
 「わ、笑った顔も男前や・・・!ウチ、ウチは全然女らしゅうないけど、自分の心に嘘をつくことだけはでけへん!あんたが好っきやねん!」
 真っ赤になりながら叫ぶトウコに、シンジはすぐさま我に帰り、思わず目を逸らした。
 その時、少し離れた場所で立ちすくむ少年の姿をシンジは見た。
 「あ。洞木さ・・・いや、洞木君」
 「す、鈴原・・・!」
 ヒカルは真っ青になってトウコを凝視している。
 (あっ。そ、そうか。委員長はやっぱりトウジ・・・じゃなかった、鈴原さんが好きなんだ・・・)
 ヒカルは真っ青な顔をしたままくるりと向きを変えた。そのまま走り出す。どうやらよほどショックだったのだろう。
 「ほ、洞木君!」
 シンジが慌てて追いかけようとしたが、その手をトウコが掴んだ。
 「碇!ウチと付きおうて!」
 「ちょっと待ってよトウコ!碇君はダメ!さっきの洞木君とのやりとり見たでしょ?碇君は洞木君と付き合ってるのよ!」
 「はあ!?」
 突然目をキラキラ輝かせたケンコに、シンジは思い切り聞き返した。
 「やっぱりね!そうだと思ってたのよ!真面目な委員長×転校生の美少年!ちょー萌えるんだけど!」
 どうやらかつてのケンスケはより危ない方向へ変化しているらしい。
 その時だった。
 「碇君」
 静かな、だがとても重みのある声に、シンジだけでなく、トウコとケンコも振り返った。
 「あ、綾波・・・」
 そこにいたのはレイだった。透き通るような白い肌、色素の薄い、だが繊細な髪、そして印象的なあの紅い瞳。
 かつての世界ではシンジを庇い爆死した、あの二人目のレイ・・・のはずだった。
 以前と変わらない華奢で儚げな姿ではあるものの、そこにいたのはまぎれもなく少年だった。
 「非常召集。先・・・行くから」
 レイはそれだけ言うと、くるりと背を向けた。
 「非常召集?あっそうか。使徒か!」
 シンジは叫んで駆け出した。使徒と積極的に戦いたいとは思ってはいなかったが、この場から離れられるためなら、使徒と戦うことくらい喜んでやれる。
 シンジはそう思った。
 それに、以前は戦闘中にのこのことやってきた二人だったが、ケンコはエヴァには興味がないようだし、妹(弟)の怪我がなかったことになれば、トウコだって来る理由はないだろう。
 だが、シンジ自身何度も実感しているように、現実はそんなに甘くはなかったのだ。
 「きゃあ!綾波君と碇君の組み合わせもおいしい!」



 「シンジ君、いいかい?作戦は敵が来たらATフィールドを中和しながらパレットガンで一斉掃射。いいな?」
 『・・・いいですけどね。パレットガンが効かなかったらどうするんですか?』
 シンジが冷たい声で返す。シンジは、別にミサオが嫌いなわけではなかったが、どうせ失敗するとわかっている作戦を聞かされた上に、それが野太い男の声だったので不機嫌になっているのだ。
 「そ、その時は・・・ぜ、前回みたくATフィールドを中和しながらプログナイフでコアを貫いてくれ。後はこちらで援護や指示もする。では、エヴァンゲリオン、発進!」
 発進の号令をかけた瞬間、ミサオは小さく息をついた。
 「へえ。なかなか優秀だな、シンジ君は。訓練もそつなくこなすし、こりゃうかうかしてるとボロが出てくるぞ、ミサオ」
 リツオが意地の悪い口調で囁いた。
 「・・・う」
 「それとお前、一緒に暮らしておきながら、シンジ君からあまり信頼されていないみたいだな」
 「そうなんだよ。こっちがいくらフレンドリーに接しようとしても、すぐ怒るんだよな。この前なんか、ちょっち笑わせようとわざわざシンジ君の前で特大のオナラをかましたら、これ以上ないってほど怒り狂ったっけ。それも目に涙まで浮かべて」
 「・・・それは怒るだろう」
 「そうか?13、4の男の子なんか、オナラやらウンコの話なんか大好きだと思ったんだけどなぁ。それとも、芋食べた直後のだったから、匂いがキツすぎたかな?」
 「・・・そういうのが嫌いな子だっているだろう。それよりいいかげん前を見ろ。初号機が使徒に近づいているぞ。あの子は冷静だな」
 映像で見る使徒の姿は異様だった。
 前回の使徒も異形だったが、今度のはよりひどい。
 巨大なイカのような姿をしているが、人間なら腕に当たる部分から長い触手が生えている。その触手は常に動き、まるで何かを探しているかのようだ。
 「紫色のイカ・・・だな。あの長い触手が気味悪いな、あれが武器なんだろうか」
 「その可能性は高いな。加えて先ほどの国連軍の攻撃を物ともしなかったあの硬い身体。これは苦戦しそうだな・・・」
 モニターに映る初号機は、作戦通りパレットガンを構えている。
 初号機が使徒のATフィールドを中和していく。
 「よし!そこでパレットガンの一斉掃射だ!」
 ミサオの声に応えるように、初号機のパレットガンが火を噴いた。
 「バカ野郎!煙で前が見えない!」
 ミサオが叫んだ。だが、シンジからは何の返事もない。
 「初号機、プログナイフを装着!」
 「なるほど。パレットガンは効果なしと判断したか」
 リツオはシンジの冷静さに感心すると共に、その判断力に少々違和感を感じた。
 「まるで、戦い慣れているみたいだ・・・」



 「きゃあん!この上で碇君が身体ぴっちりのプラグスーツ着て死闘を演じているなんて!見たい、見たいわ!そしてカメラに撮って・・・」
 「ケンコ、あんたさっきから何ブツブツ言うてんのや」
 薄暗く蒸し暑いシェルターの中、一人浮かれるケンコに、トウコは呆れて話しかけた。
 「だって碇君のプラグスーツ姿見たいじゃない?あんただって見たいでしょ?身体の線がくっきりと浮かんだスーツ姿!」
 「そりゃ見たいけど・・・」
 「それなら抜け出しましょう!」
 ケンコがトウコの手をぎゅっと強く握った。そのあまりの強さに、トウコが思わず顔をしかめる。
 「な、何言うてんのや!アホか!そんなことでけへんわ!第一危ないやないの!」
 「トウコは碇君が心配じゃないの?碇君は命を懸けて戦っているのよ!碇君が本気で好きなら、それを見届けるべきじゃないの!?」
 「!!」
 突然トウコが立ち上がった。
 「そうや!惚れた男のためなら、ウチかて命くらい惜しくもなんともないわ!ケンコ!よう気付かせてくれた!ウチは行くで!」
 「そうよ!トウコ!」
 ケンコは力強く頷きながら、心の中で「しめしめ」と呟いた。
 「委員長、ウチとケンコはトイレに行って来るわ」
 「・・・そう・・・」
 ヒカルの返事は暗い。失恋した直後に、当の失恋相手に話しかけるのは心底辛かった。
 そんなヒカルに首を傾げながらも、トウコは歩き出した。
 「待っててや、碇!ウチ、あんたを心の底から応援するで!」



 その頃、シンジは前回とはどこか違う相手に内心首を傾げていた。
 (何か変だ・・・。あの触手・・・前よりも動きが複雑というか・・・)
 その一瞬の油断を突いたのか、第4の使徒シャムシェルの触手が一気に伸びてきた。
 「く!」
 慌てて後退するも、触手はどんどんと迫ってきている。
 『シンジ君!こちらが援護するから、その隙にプログナイフでコアを突いてくれ!』
 「りょうか・・・あああああ!」
 突然叫んだシンジに、ミサオが慌てて身を乗り出した。
 『シンジ君!?』
 『葛城一尉!』
 発令所では、ミサオの右腕でもある女性オペレーター・日向マコトがモニターを指差した。
 『大変です!民間人が地上に出ています!しかも子供です!』
 『あの子達は、シンジ君のクラスメート!避難していなかったのか!?』
 リツオが叫び、モニターに映るトウコとケンコを睨みつけた。
 『な・・・何やってるんだ、あのガキども!』
 それもそのはず、ケンコは興奮した顔でビデオを構え、トウコは巨大なプラカードを持っていたのだ。
 その巨大なプラカードには『碇シンジ命』と数多のハートマークがデカデカと書かれている。
 「踏み潰せ!」
 思わず言いかけ、リツオは慌てて口を押さえ、隣のミサオを見た。
 「ミサオ!どうする気だ!」
 その時、初号機の動きが止まった。これ以上後退すると、二人を踏んでしまう可能性があるからだ。
 『仕方がない・・・。シンジ君、その二人をプラグ内に入れるんだ!』
 『馬鹿な!越権行為だぞ、葛城一尉!』
 リツオが慌てて止めるが、ミサオの表情は変わらない。
 『引っ込んでろ!今の責任者は俺だ。責任は俺が取る!』
 『ざけんな!』
 「は・・・はいぃ・・・とりあえず、僕は命令に従いますね・・・」
 モニターから聞こえてくる二人の罵り合いにいたたまれなくなったシンジが小さく呟いた。
 二人とも以前と性別が違うせいか、ぶつかりあった時が半端ない。
 (そういえば以前もよく喧嘩してたよなぁ・・・。あの時はお互いネチネチした感じだったけど、男の人だったらああなっちゃうのか・・・)
 『初号機をただちにホールド!そこの二人、乗れ!』
 (まあ仕方ないよな。僕だって、やっぱり二人は見殺しにはできないし、それに、前回も大丈夫だったんだ、今回だって・・・うわ、でも何か今回は・・・すごく気持ち悪い?)
 「きゃあ!やっぱりこのスーツエロ〜い!早速写真を・・・ああ!カメラが水浸し!」
 「碇!ウチはあんたとなら死んでも本望や!」
 (・・・原因はこれか・・・)
 シンジはガックリとうなだれた。見捨ててもよかったかもしれない。いや、見捨てなかったことこそ後悔し始めた。それに、相田ケンコには股間を凝視するのをやめてもらいたい。
 『異常発生、シンクロに異常が!』
 『異物を入れたせいだ!ミサオ!お前のせいだぞ!』
 『そんなこと言っても始まらないだろうが!シンジ君、さっさと退却だ!』
 「は、はいぃ・・・」
 倒そうと思えば倒せないはずはない相手だったが、シンジはとりあえず素直に命令に従うことにした。
 そのせいで結果がどうなろうと、命令に従っていれば怒られることはないだろう。
 前回と違って命令無視までする意地もなければ、そのことで後からミサオに怒られるのも嫌だった。ミサトだって怖かったが、ミサオの場合は拳が飛んできそうだ。
 だが、そうはならなかった。
 「うわ!」
 突然足元を掴まれた感覚がし、シンジは思わず仰け反った。
 『な!使徒が、初号機の足を・・・!』
 「げ!」
 そう、あの使徒が長い触手を伸ばして初号機の足を掴んでいるのだ。身動きがうまくできない初号機の隙を突き、もう一方の触手まで伸ばしてきた。
 「うひぃぃ!」
 その感触の不快感たるや凄まじかった。思いのほかひんやりとした触手は、なぜだかじっとり湿っていて、その触手がゆっくりと身体を這い回っているのだ。それらが初号機を通じて伝わり、シンジは吐き気すら感じた。
 「ま、まさか触手プレイ!?・・・萌え!」
 「何やて!?碇にそんな破廉恥なこと、ウチが許さへんわ!」
 ケンコは興奮しているし、トウコは怒り狂っている。
 その時、触手の動きが急に変わった。
 「うひ!?うわわ!ぎゃ〜ははははは!」
 突然触手が初号機をくすぐり始めたのだ。
 「うおおおおん!」
 シンジにあわせて、初号機も吼える。おそらくは笑っているのだろう。
 「い、碇!?」
 『シンジ君!』
 「ちょっと、その喘ぎ声萌えないわよ!』
 触手は尚も初号機をすぐる。
 「あっはっは!ひゃっひゃっひゃ!もう駄目だ〜あははは!」
 笑い続けるシンジだったが、笑うという行為が、実は結構な体力を消耗するという危険に気付いていない。
 『そ、そうか!くすぐり続けて笑わせ、やがて衰弱させるという作戦か!くそ!何てしたたかなやつだ!』
 リツオが叫んだ。
 (んなアホな!)
 そう叫びたかったシンジだが、その言葉も笑いの声となってしまう。そして、確かに疲れ始めているという事実に気付く。
 「あははは!か、葛城さん!た、助け・・・ぶーっ!ぶはははは!」
 『くっ・・・くそ!シンジ君!その触手を何とか斬るんだ!』
 (そ、そうか!)
 笑い続けながらも、初号機はしっかりとプログナイフを握っていたのだ。
 「え・・・えい!ぶははは!」
 笑いながらも必死で振るうが、笑っているせいか、なかなか的が絞れず、ナイフはかわされてしまう。
 『しっかり狙え!シンジ君!』
 そんな無茶な・・・。と思ったが、それでもシンジはもう一度チャレンジした。
 「えい!」
 ブチ!と何かが切れる音がした。だが、その瞬間シンジの身体に先ほどとは違う違和感が生まれた。
 『初号機、アンビリカルケーブル断線!内部電源に切り替わります!』
 『アンビリカルケーブル斬りやがった!このアホ〜!』
 (しまった!)
 そう、斬ったのはシャムシェルの触手ではなくアンビリカルケーブルだったのだ。
 『もう駄目だ・・・』
 「そ、そんな・・・あたしたち、こんなとこで死ぬの!?嫌よ!碇君、あんた男なら女の子を守りなさいよ!」
 ケンコが突然叫びだした。
 「じゃあ降りて・・・わはは!」
 その勝手な言い分に何とか言い返しながらも、まだシャムシェルのくすぐり攻撃は続く。
 「いや!碇、ウチは後悔はないわ。だって死ぬ時に大好きな人が傍におんねんもん・・・」
 トウコが立ち上がり、近づいてきた。
 「ひぃ!ちょ・・・ぶはは!ち、近づかないで・・・ぎゃっはっは!」
 「碇!」
 両手を大きく開いて、トウコがシンジの胸に飛び込もうとした。
 「近寄るな〜!」
 人は、極限まで追い詰められた時、自分が持つ以上の力を発揮することがあるという。まさに人体の奇跡とも言える現象。
 その名も「火事場の馬鹿力」。
 その時のシンジの精神状態は、まさにそれだった。
 「うおおおおお!」
 『!シンクロ率が、どんどん上昇を続けていっています!』
 思い切り腕を振り、その動きはシンクロしている初号機も寸分違わない。初号機の持つプログナイフが、シャムシェルの触手を一刀両断したのだ。拘束がなくなり、初号機が自由に身動きできるようになる。
 「この野郎!」
 だが、シンジの怒りはそれだけではすまなかった。
 さんざんくすぐられるわ、そのバカっぽい攻撃で世界の破滅寸前まで行くわ、あげくはちょっと前まで同性だった友人に迫られたのだ。
 その怒りは、目の前にいるイカ野郎を叩きのめさないと到底収まらなかった。
 初号機が大きく跳躍した。
 上からシャムシェルに掴みかかり、何度も殴りつけた。思わぬ方向からの攻撃と、武器でもあった触手を奪われたシャムシェルは、ろくに反撃すら出来ないでいる。
 『今だ!シンジ君!コアを攻撃するんだ!』
 ミサオが叫んだ。その声に、シンジは当初の目的を思い出した。
 「ここか!」
 プログナイフを振りかぶり、真っ赤に輝くコアに突き出した。
 ガラスが割れるような音がし、紅いコアにヒビが走った。シャムシェルの抵抗はやんだが、それでもシンジはより強くナイフを突き立てる。
 『目標、完全に沈黙しました!』
 オペレーターの青葉シゲコの声がし、発令所から歓声が聞こえて来た。
 同時に同じオペレーターの伊吹マヤオの声も続く。
 『初号機、活動限界です!』
 その途端、初号機の中の電源も切れたのか、プラグ内は薄暗い青い光のみとなった。
 「うっ・・・ひっく・・・うう・・・」
 薄青いプラグ内で、シンジの嗚咽が静かに響いた。
 「うう・・・汚されちゃった・・・」
 嗚咽混じりに呟いたその言葉が、相田ケンコの本日一番の萌えポイントを突いたことを、シンジは知らなかった。



 性転換エヴァ第二弾。
 色々と反省はしてます。