波の音を聞きながら、碇シンジはひたすら泣いていた。
その横では、紅い髪の少女が横たわっている。
彼女の青い瞳は、開いてはいたが何を映すでもなく、ただ虚空を見つめたままだ。
その世界にあるものは、静かな波の音と、シンジのすすり泣く声だけだった。
「うっ・・・うっ・・ひっく・・・」
シンジはあふれ出る涙を拭いながら、ちらりと顔を上げた。
そこには誰もいなかった。横では同居人の少女アスカが、やはりじっと横たわったまま微動だにしない。
だが、彼女の瞳がわずかに揺れたので、シンジは彼女が生きて、意識もあり、そしてシンジに多少なりとも注目していることがわかった。
「・・・誰も来ないね」
泣き疲れたシンジは、枯れた声で小さく呟いた。
「・・・そうね」
アスカも頷く。頷きながら、さも億劫そうに起き上がった。
「こういう時ってさ、普通誰か来るよね。例えば綾波とかカヲル君とか」
「ファーストなら、さっきまであそこにいたけど消えちゃったわよ」
アスカが幾分冷たい声で返した。
「それかさ、他に誰か強い人が来るとか。例えばパラレルワールドの世界にいる僕とか。性格が違うのが二人くらい」
「あんたバカぁ?そんな馬鹿げた展開あるわけないじゃない。寝ぼけてんの?しっかりしないさいよ、これは現実なのよ」
アスカの口調はいつもと変わりない、シンジを小馬鹿にする口調だった。シンジの突拍子もない考えを心底馬鹿にしていたのだ。
「そっか・・・。じゃあ僕達、これからずっとここで過ごすわけ?」
シンジはうんざりとした顔で訊いた。ずっと泣いているうちに、自分が悲しいのか寂しいのかもよくわからなくなってきたのだ。
「そうなるわね」
アスカも不満なのか若干顔をしかめている。シンジとこれから二人きりで生きねばいけないからなのか、それともシンジがうんざりしながら言ったので、そのことで腹を立てているのかはわからなかったが。
「じゃあ、僕達このまま二人きりで年をとっていくの?おじいさんとおばあさんになるまで?」
「うわ、それは嫌だわ・・・。最悪。冗談じゃないわよ・・・」
アスカがげっそりとした顔で言った。シンジの言う未来を予想し、心底嫌がっている。
「・・・みんな、あの紅い海に行っちゃったんだ。還ってこないなんて、誰も、僕達のことなんかどうでもよかったのかな・・・」
シンジは寂しそうに呟いた。
「・・・それともあっちの方が幸せなのかもね。・・・ママもあそこにいるのかな・・・」
アスカの瞳は、紅い海に注がれている。そして、おもむろに立ち上がった。
「アスカ?」
「ママに・・・会いたいのよ・・・加持さんにも・・・」
アスカはふらふらと歩き出す。
「ア、アスカ!」
慌てて止めるシンジの手を、アスカは乱暴に払った。
「危ないよ、アスカ!」
「うるさいわねぇ!あたしはね、あんたみたいなヤツと一緒にこんなとこにいるのはまっぴらなのよ!あんただってあたしなんかよりファーストやミサトの方がいいんでしょ!?あたしだって、あんたなんかと暮らすなら、死んだ方がましよ!」
「アスカ!うわっ!」
思い切り突き飛ばされ、シンジは尻餅をついた。その時、一際大きな波がやってきた。
「うわ!」
「きゃあ!」
シンジだけでなく、突き飛ばしたことで体勢が崩れていたアスカも、その波に呑まれて行く。
なんとか水面に向かおうとしたが、足がもつれて上手く立てなかった。いや、それ以上に懐かしい人達のいる世界に行きたいという願望もあったのかもしれない。二人は、そのまま立ち上がる事はなく、意識が薄れゆくのを感じた。
この間違った世界の真ん中で
悪夢のはじまり
意識が戻った時、シンジの目の前では信じられない光景が広がっていた。
「ここは・・・」
それは、紅い海などどこにもない、シンジが慣れ親しんだ第三新東京市だった。
「ど、どういうこと?ここって・・・」
その時、上空から激しい音がし、思わずシンジは上を見た。
「し、使徒!?」
遠くの空では、見覚えのある巨大な生物が歩いているのが見える。
「しかも、あれは僕が最初に倒した・・・!」
そこにいたのは、かつて確かにシンジが倒した第三の使徒・サキエルだった。
シンジが呆然としていると、青い懐かしい車が凄まじい勢いでやってきた。
(ミサトさん!)
その車に乗っているのが誰なのか、シンジにはすぐにわかった。
(もしかして、これは・・・タ、タイムスリップってやつか・・・?僕が、もう一度会いたいって願ったから?)
そして、今目の前のアルピーノ・ルノーに乗っているのは、シンジのかつての同居人だ。
葛城ミサト。
保護者であり、理解者でもあった彼女。大事な家族だった彼女。だが、同時にシンジを幾度も地獄へと導いたのもやはり、この人だった。
懐かしさと再び逢える喜び、そして激しい憎しみが湧き、シンジは思わずうめいた。
車のドアが開く音がした。
「悪い!待たせた!」
(・・・あれ?)
それは、予想していた声ではなかった。
ミサトの声とは明らかに違う、野太い声は、男性のものだったのだ。
思わず顔を上げたシンジは、次の瞬間悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ!」
そこにいたのは、ミサトではなかった。というより、シンジの知っているミサトではなかった。
「碇シンジ君だね!さあ!乗るんだ!」
相手はシンジの悲鳴などおかまいなしにシンジの腕を引っ張り、無理矢理車に乗せた。
「だだだ、誰ですか!あなたは!?」
問答無用で発進したその相手に、シンジはひるみながらも何とか訊いた。
「あれ?葉書がいったろう?俺は葛城ミサオ。よろしくな」
・・・そう、目の前にいる葛城ミサトにそっくりな人物は、まぎれもない男性だったのだ。
「ミ、ミサトさん・・・?」
「違うよ。ミサトじゃなくミ・サ・オ。ミサトなんて女みたいな名前じゃないか」
ミサオと名乗った男はそう言いながら速度を上げた。背後では爆音が聞こえ始めている。前史と同じなら、今頃15年ぶりに登場した使徒相手に、国連軍が無駄な攻撃をしかけている頃だ。
「今、君が持ってる葉書にもそう書いてるんじゃないか?」
そう言われてシンジは、いつのまにか手に持っている葉書に気付いた。
(そ、そうだ・・・。確か、以前は父さんからの手紙と、ミサトさんの写真が・・・)
何気なく葉書に目を落とし、シンジは仰天した。
そこに写っていたのは、紛れもなく目の前のミサオと同一人物だった。
かつて中学生には少し不謹慎だった色っぽいポーズは、鍛え抜かれた筋肉を誇示する、ボディービルダーのポーズに変わってしまっている。シンジはなぜだかひどく悲しくなった。
もはや先ほど抱いたミサトへの反発心など、ものの見事に吹き飛んだ。ただ、あのミサトが恋しかった。
そしてもう一度目の前にいるミサオを見る。ミサトと同じく黒く艶やかな髪(だがばっさりと短く切っていた)、整った顔立ちはそのままだが、あの、シンジをドギマギさせた豊かな乳房は、厚い胸板となっている。
「葛城さん・・・」
「おいおい水臭いな。ミサオでいいさ」
ミサオが人懐っこい笑みを浮かべた。その笑みも、以前と変わりはない。だが、性別だけが違う。
「・・・葛城さんは」
シンジは、あえてミサオの言葉を無視して続けた。
「ひょっとして、僕にさっきのバケモノと戦わせるつもりじゃないですか?」
「え!?」
ミサオが心底驚いたといった顔でシンジの顔をまじまじと見たので、シンジはうんざりした。
やはりそうだ。自分は過去に戻ってきたんだ。
そりゃあんな紅い海ばかりの世界でアスカと二人きりなんて冗談じゃないと思っていたけど、また何体も使徒と戦わなくちゃいけない日々というのも同じくらい嫌だった。
しかもなぜかミサトが男だ。これなら、多少がさつでも無神経でも、目の保養になる分前の方が遥かによかった。
シンジは大きなため息をついたが、次のミサオの言葉に、うかつにあの紅い海に飛び込んだことを後悔した。
「シンジ君、ひょっとして君のお母さんがもう話したのかい?」
(・・・お母さん!?)
「15年ぶりね」
「そうね」
その頃、息子の動揺も知らず、二人の中年女(いや一人は老女といってもいい)がモニターを見つめながら短く言葉を交わしていた。
いよいよ使徒が襲来し、二人が長年の間練っていた計画が始まろうとしているのだ。
モニターに映る使徒・サキエルは、何度も受ける攻撃をものともせず、ただひたすらこちらに向かって進んでいる。
「国連軍はお手上げね。どうするつもり?」
「初号機を出すわ」
「初号機ですって?パイロットはどうするつもり」
眼鏡をかけた中年女、碇ゲンコが静かに、だがはっきりと言った。
「問題ないわ。予備が届くもの」
冷たく言い放つと、そのまま上にある司令室に向かって歩き出す。
その答えに、もう一人の老女冬月コウコが眉をしかめた。
(実の息子を予備扱い・・・ね)
「碇」
コウコはゲンコの背中に声をかけた。
「・・・何?」
「口紅が剥げているわ」
「・・・あらいけない」
「・・・ミサオさん、こっちです」
その頃、ネルフにようやく着いたシンジは、早速迷いかけたミサオを押しのけ、さっさと歩き出した。
「いやあ、悪いな。まだ着たばかりで慣れてなくて・・・」
ミサオが苦笑いをしながら頬を掻いたが、シンジは気にも留めない。
(なんだ・・・愛想のない子だな・・・。嫌われちゃったかな・・・)
ミサオは失敗したかなと少しだけ気を落としたが、シンジはただ早く休みたかっただけである。
肉体的にもだが、精神的にも疲れていたのだ。
なにしろ数時間前はミサトに強引にエヴァに乗せられ、気付いたら大人のキスをされ、いつのまにか今生の別れを済ませたと思ったらアスカがホラー映画も真っ青のリンチを喰らっているのを目の当たりにし、巨大なレイだの、カヲルだのがやってきて、気がついたら紅い海の世界にアスカと取り残されていたのだ。
そして還ってきたと思えばミサトがミサオになっている。
「おや、ミサオ。早かったな。・・・意外だ」
「おお!リツオ!」
(・・・やっぱり)
シンジはもう一度がっかりした。
目の前にいるのは、海パンに白衣をまとった赤木リツコに似た男性だった。色鮮やかに染めた金髪、濃く、きりりとした眉、目元のホクロ。確かにあの赤木リツコによく似ていた。
「わはは!リツオ、海パンに白衣ってその格好、かなり変態っぽいな」
ミサオはリツオと呼ばれた男を指差し、豪快に笑った。
(昔はよかったな・・・。リツコさんが水色の、ちょっとハイレグの水着を着てさ・・・)
思わず遠い目をしているシンジを、リツオがちらりと盗み見た。
「この子がサードチルドレンか・・・」
「ああ。どうやら司令から話がいっているようだ。ここの道も知っていたし、こいつは話が早いぜ」
(司令・・・やっぱり父さんなのかな・・・。でも母さんって言ってたし・・・そうなると「碇ユイ」の方かな・・・)
興味深げに自分を見る二人の男性を尻目に、シンジはこのすぐ後に逢う自分の「母親」なるものを想像し、思わず身震いした。
真っ暗なケージの中、シンジは数時間ぶりにエヴァンゲリオン初号機と対面した。
(この中には母さんが・・・やっぱりいるのかな・・・)
シンジはぼんやりと、あの紅い海の世界ができる直前に見た女性の姿を思い浮かべた。
「これが人の造り出した究極の汎用決戦兵器。人造人間エヴァンゲリオン、その初号機さ」
黙り込んだシンジが、きっとこの目の前にいる初号機に圧倒されているのだと思ったリツオは、ゆっくりと、少しだけ得意気に語った。
「これも・・・父さ・・・いえ、母の仕事ですか」
半ば投げやりに質問したところで、頭上から少し濁った、だが確かに女の声がした。
「そうよ」
「うわ、やっぱり」
あの時聞いた優しげな女性の声とは、明らかに違っていた。シンジは心底嫌そうに、のろのろと顔を上げた。
「きゃー!」
半ば予想はしていたし、ある程度の覚悟もしていたが、やはり目の当たりにするのはきつかった。というより想像以上だった。
「久しぶりね、シンジ」
そこにいたのは、あのゲンドウそっくりの中年女だった。髭の変わりにド派手な口紅がその唇に塗りたくられている。つけたばかりなのか、少し、いやかなり濃い。年齢の割りには豊かだった髪は、軽く伸ばして、強めのパーマをかけている。いわゆる「おばさんパーマ」だった。
「誰ですか、この人!?」
シンジは思わずゲンドウ、いやゲンコを指差した。
「誰って、君のお母さんだろ!?」
ミサオが驚きながらも諭すが、シンジは泣きながら首を振った。
「まさか女の人!?あれが女の人!?」
「シ、シンジ君・・・」
リツオが頭上のゲンコをちらちら見ながらなんとかなだめようとする。その姿に、シンジはとっさに浮かんだ非常に嫌な予感を思わず口にした。
「まさかリツコ・・・いえ、赤木さん、あなたあの人の愛人やってるなんてことないですよね!?」
「な!?」
途端にリツオの顔が真っ赤に染まる。
「リ、リツオ!?」
それまで、不謹慎とは思いながらも、あまり好きではない上司に遠慮なく物を言うシンジを面白がって見ていたミサオだったが、その言葉は寝耳に水だった。しかも、当のリツオは否定することもできずに、顔を紅く染め、パクパクと口を開いているだけだ。
「まさかお前・・・じゅ、熟女好きだったのか!」
「嘘だ!」
離れた席にいた男性オペレーターが立ち上がって叫んだ。
「嘘だ嘘だ嘘だ!先輩、嘘ですよね!?」
(あれひょっとして・・・伊吹さん?)
「ちょっとちょっとちょっとー!マコト、聞いた!?赤木博士ったらいくらあたしが誘ってもなびかないわけよねぇ。もう信じらんないー」
肩まで髪を伸ばした、少し垂れ目の女性オペレーターが、隣りに座っていた眼鏡の女性オペレーターに声をかけた。
「聞いたわよ、シゲコ。あ〜あ、赤木博士×伊吹君、なかなか売れゆきよかったのになあ・・・」
(日向さんと青葉さんだ・・・)
シンジが横目で遠くのオペレーター達を確認している間も、リツオは硬直して動くことすらできない。
「お、お黙り!今はそれどころじゃないでしょ!シンジ!さっさとあれに乗りなさい!乗らないならお帰り!」
ゲンコがヒステリックに足を踏み鳴らした。
「うんわかった、帰る」
と本心では言いたかったシンジだが、どうせ最終的には自分が乗るしかないのはわかっていたので、素直に頷いた。それに、いいかげんさっさと終わらせて、ゆっくり眠りたかったのだ。だが、一つ気になることがあった。
「わかったよ、母さん。乗るけどさ、僕の他にパイロットはいないの?」
「い、いるはいるけど・・・今現在すごい怪我をしているんだ・・・」
ようやく今は親友の熟女好きを責めてる場合じゃないことを思い出したミサオが答えた。
「ちなみにその子、男?女?」
「君と同じ男の子だけど・・・シンジ君?」
ヘナヘナと座り込んだシンジに、ミサオだけでなくリツオも首を傾げた。
シンジは心底がっくりときた。どうせ過去に戻っても、あの怒りっぷりから察するに、アスカは優しくないだろうし、ミサトはミサオになっているし、リツコもリツオになってしまっている。
何もかもがシンジを裏切っている。
今更だが、前史は素晴らしい世界だったのだと気付く。なんとシンジに優しい世界だったことか。
「いいんです・・・。さっさと行ってきます。僕睡眠不足なんです。終わったら、ややこしい検査とか後回しにしてさっさと寝かせてもらえますか」
本当は自分にちっとも優しくないゲンドウにエヴァに乗る代わりに親権を放棄しろだとか、頼むこともできないミサトやリツコに説教の一つでもかまして「お願いします」の言葉を引き出そうとか、色々計画していたシンジだったが、どっと疲れが来たので、もはやどうでもよくなってしまったのだった。
「エヴァンゲリオン、発進!」
ミサオの鋭い声が聞こえて来たが、シンジのテンションは下がる一方だ。
「シンジ君、まずは歩くことだけ考えてくれ」
「葛城さん、でももうあんな近くにいますよ、あいつ」
そう、第三の使徒サキエルは、初号機のすぐ近くまでいるのだ。
「あれ、倒すのが僕の仕事なんですよね?」
「そうだよ。だから、まずは俺の指示に・・・」
「えい!」
ミサオが言う前に、シンジ、いや初号機が駆け出した。
「は、走った!」
リツオの驚く声が聞こえた。初号機は走りながら肩のウェポンラックからプログナイフを取り出す。
「な、なぜ武器のことを知っている!?」
(こんなことしたらバレるかな。・・・まあバレても別にいいや。信じてもらえなさそうだし)
サキエルが放ったエネルギー弾を、ATフィールドを張り受け止め、またしても上がる疑問の声を華麗に無視しながら、シンジはそのまま相手のATフィールドを引き裂いた。
「よいしょ!」
そのまま丸見えのコアにプログナイフを向ける。何と言っても最強の使徒ゼルエルとだって善戦したシンジだ。サキエルなど、落ち着けば怖い敵でもなんでもなかった。
「も、目標、完全に沈黙しました!」
青葉シゲコの驚愕の混じった声がし、発令所を歓声が包んだ。だが、おそらくミサオやリツオは喜ぶよりも先にシンジへの疑惑の方が強いだろうなとシンジは思った。
(いいや。この中にいる母さん・・・いや、たぶん父さんだな。父さんに教えてもらったってことにしよ。うん、それがいいや)
そこまで考えると、シンジはもううとうとしかけた。
(今日は本当に疲れた・・・。何も考えずに寝たいや)
薄れゆく意識の中、シンジはふと、一緒に海に呑まれたアスカのことを思い浮かべた。彼女もまた、この世界に来ているのだろうか。
「使徒再来・・・。あまりにも唐突ね」
「15年前と同じよ。災害は、いつも何の前ぶれもなく訪れるもの」
「幸いとも言えるわ。私達の先行投資が無駄にならなかった・・・ボリッ・・・点においてはね」
「それはわからないわよ。役に立たなければ無駄ですもの」
暗く狭い部屋の中、碇ゲンコは肘を付き、手の上に顔を乗せていた。
下座にいるには少しふさわしくないポーズだったが、目の前にいる女たちから表情を読まれないためだ。それに、注意がこないということは、相手の住んでいる国では、このポーズは失礼にあたらないのだろう。しかも相手は面と向かっているわけではなく、ただのホログラムだ。暗いことも手伝って、細かいところなどは見られないのかもしれない。
「そう。この計画こそがこの絶望的状況下における、唯一の希望なのよ」
中心に座っていた、おそらくは中心人物とも言えるキーラ・ローレンツが厳かに言った。
「いずれにしても、ボリッ、使徒再来における計画スケジュールの遅延はボリッ認められないわ。予算については・・・ボリボリ・・・一考しましょう」
「そう、それはいいけど・・・ちょっと、さっきから聞こえてくるこの音は何?」
キーラという名の老女が不愉快そうに眉を顰めた。ライトに照らし出されているものの、暗い部屋では互いの顔がよく見えないのだ。
「ああ、ごめんなさい、キーラ。実はさぁ、昨日旦那の実家から大量にビスケットが送られてきたのよォ。早く食べないとしけっちゃう」
「・・・今は神聖な会議の最中よ」
キーラが苛立たしげに言った。
「そうよ不真面目だわ。それにずるいわよ、自分ばっかり食べて」
「それに、こういうことは先に言ってくれなきゃ。じゃああたしもちょっとお茶淹れて来るわ」
他の女達も口々に文句を、だがキーラの言いたい事とは少しずれた文句を言い始める。
「ああら、悪かったわねぇ。おわびにあんたたちにも送っとくわよ。このビスケットすんごくおいしいのよ」
「あら!それは悪いわね」
「それってこの前も送ってくれたやつ?うちの孫が喜ぶわぁ」
「やーだ、かえって気を遣わせちゃったわねぇ」
「何を言っているの!」
和やかになり始めた空気を断ち切るように、キーラが怒鳴り声を上げた。
「今はそんな時じゃないでしょう!」
「やあね、キーラったら。ちょっと怒りすぎよぉ。カルシウム足りてないんじゃない?」
「そうよそうよ。真面目なんだからさ」
「あら。それより、ひょっとしてキーラあれなんじゃないのぉ?」
「あれって?」
「あれはあれよ。月に一度のお・客・様」
「やーだ、キーラったら若いわねぇ。あたしなんかもうとっくに終わっちゃったからさ。気楽なもんよ、アハハハハ・・・」
「・・・キーラ議長。私はこれで失礼させていただきますわ」
これ以上井戸端会議に巻き込まれたくなかったゲンコが立ち上がった。
「え、ええ。ご、ご苦労だったわね、碇さん」
ゲンコが退席した後、その背中にキーラは厳かな口調で呟いた。
「碇さん、もう後戻りはできないわよ」
「そういえばさ、碇さんといえば、碇さんの旦那さん、いい男だったわよねぇ。なんて名前だったかしら?」
「やーだ、もう忘れたの?ユイ様よユイ様」
「そうそう!ユイ様ユイ様!その呼び方懐かし〜」
「笑った顔が最高によかったわよねぇ。優しげで知的で、微笑みの貴公子って感じ」
「そうそう!あたしなんか、隠し撮りした写真がこんなに・・・」
「あんたたち!解散よ!」
なおも姦しく騒ぐ女達に、とうとうキーラがキレた。
その頃ドイツでは、赤毛の少女が泣きながら叫んでいた。
「アスカちゃん、どうしたの?どうして泣いているの?リョウコお姉さんにお話してみて?アスカちゃん?」
「もういや〜!シンジ、助けて〜!」
you tubeで「性転換エヴァンゲリオン」ってのを観てて思いついたネタ。続きません。