ニュースブームから2年:Second Lifeは終わらない 増えるユーザー、成長する経済 (1/2)Second Lifeの話題がメディアから姿を消して久しいが、ユーザー数は増え続け、コミュニティーも世界も成長している。2009年05月18日 11時39分 更新
2007年ごろ、経済誌やネット関連メディアを大いににぎわせ、「次のインターネットの主役」とまで言われた3次元仮想空間「Second Life」が、メディアの表舞台から姿を消して久しい。 Second Life内に「SIM」(島)を構えて参入していた大企業も、ほとんどが撤退。「Second Lifeは失敗だった」――そんな論調で語られることもある。 だがSecond Lifeは終わっていない。企業の参入は急速に減ったが、アクティブユーザー数は着実に伸びている。日本のアクティブユーザー数は、ブーム当時の2〜3倍。Second Life内の経済も成長しており、2008年年間で3億6000万ドル(約360億円)分の仮想通貨が流通している。経済メディアや大企業の失望とは裏腹に、コミュニティーは成長を続けているのだ。 07年当時のブームは何だったのか、今Second Lifeでは何が起きているのか。Second Lifeベンチャー・マグスルの新谷卓也社長と、米Linden Labの日本担当責任者ジェイソン・リンクさん、ブーム当時からのユーザーであるmina junさん(アバター名、30代女性)に聞いた。 Second LifeとはSecond Lifeは米Linden Labが2003年6月に正式公開した3D仮想世界で、米国では06年半ばごろから、日本では07年初めごろからメディアをにぎわせ始めた。 最大の特徴は、アバターアイテム、建物、家具、アミューズメント施設など世界内のアイテムがすべてユーザーによって作られていること。専用ブラウザには3Dモデリングツールが組み込まれており、ユーザーが自由にアイテムを創造できる。 基本機能の利用は無料だが、家や店などを建てるための土地は有料。仮想通貨「リンデンドル」を使い、ユーザー間でアイテムの売買も可能だ。リンデンドルは現金に換金できる。 Second Life内で100万米ドルを稼いだミリオネアユーザーが06年末に話題になり、米国で報道が過熱。その勢いを受けて07年には日本でも話題になり、大手企業の参入も相次いだ。 「訳の分からない人がみんなやって来た」「ブームってこういうものなんだな、と思った」――マグスルの新谷社長は07年当時をこう振り返る。「訳の分からない人たち……訳を分かろうともしない人たちがみんなやって来ていた。99%が“関係ない”人だった」 同社は2006年11月、Second Lifeに参入。「マグスル東京」という名のSIMを区画に分け、企業・個人向けにレンタルする事業を始めた。 06年12月26日、日本経済新聞がSecond Lifeに関する記事を1面に掲載したことを皮切りに、翌年1月からSecond Lifeに関する報道が急速に盛り上がり、マグスル東京にも申し込みが殺到。4月3日には、1000あった区画が売り切れた。 日経に続くように、さまざまなメディアがSecond Life特集を組み、同社にも取材が殺到。大手テレビ局はほぼすべて取材に訪れ、新聞、経済誌、サブカル誌など、あらゆるメディアが取材に訪れ、Second Lifeを報道していった。 企業から「Second Lifeを説明してほしい」と声もかかった。「営業に回ったこともないのに、いきなり大手から話が来た」と振り返る。 当時の参入企業は――「実験」か、パブリシティー効果狙い同社はSecond Lifeの参入支援事業も展開。アトラスやインテリジェンス、H.I.S、サントリーなどのSIMを手がけた。 Second Lifeに参入する企業には2種類あったという。(1)3次元仮想世界で新たなマーケティングなどを「実験」してみたい企業、(2)参入によるパブリシティー効果を狙った企業――だ(Second Life「企業が続々参入」の舞台裏)。 Second Life内の土地を借り、立派な3Dの建物を構築して参入するには、最低数百万円かかる。だが当時の日本のユーザー数は多く見積もっても3万人程度と少なく、企業がSIMを作るなどして参入しても、収益はほとんど期待できない。 このため参入企業は、Webに積極的で予算に余裕があり、3D仮想世界でマーケティング実験を行える大企業か、参入が報道されることによるパブリシティー効果を期待する企業に限られていた。 「Second Lifeには人がいない」「Second Lifeの企業参入は失敗」――07年春以降、メディアでこういった記事が目立ち始めると、参入企業が急速に減少。「参入しようにも、企業内での稟議が通らなくなった」と新谷さんは解説する。 Second Life内で販促物を配布したり、アンケート調査を行うなどマーケティングを淡々とこなしていた企業は、長期的視点で淡々と実験を続けていたが、「この不況で予算が取りづらくなり、この3月でほとんど撤退している」(新谷さん)という。 「勝手に熱が上がり、勝手に冷めていった」運営元はブームをどう見ていたのだろうか。「勝手に過剰に熱が上がり、勝手に冷めていった」と、Linden Labのリンクさんは冷静に振り返る。 リンクさんは当時から、企業参入の盛り上がりに違和感を覚えていたという。「企業に参入してもらえるのはうれしいが、どういうコミュニティーなのかを理解せず投資するのはリスクが大きいのでは、と思っていた」 参入はなぜ過熱したか。「ITに乗り遅れた企業が、『今度こそは乗り遅れまい』と焦っていたのでは」とリンクさんは分析する。Webに焦っていた企業が、Web2.0の次の本命ともてはやされたSecond Lifeに飛び付いたのも無理はない。 Second Lifeはもうかるという話が一人歩きしたことも、ブーム過熱の背景にあったとみる。Second Life内の土地の転売で100万ドルを稼いだアンシェ・チャンさんが注目を浴び、経済系メディアで大きく報じられたことが、「Second Life=もうかる」という誤解を広げた。 当時、Second Lifeに参入した企業のSIMには、繰り返し訪れたいと思える魅力あるものは少なかった。「“ハコモノ”を作れば人が来ると勘違いしていたのでは。仮想世界で何をしたらいいかを追求せず、Web1.0の広告ベースのモデルを導入しようとしていた」ことが失敗の理由だとリンクさんは分析する。 「07年のころの友人はいなくなった」が……増える日本のユーザーユーザーはブームをどう見ていたのだろうか。ブームをきっかけにSecond Lifeを始めたminaさんは、当時からアバターアイテムなどを創作し、自分の店で販売し続けている。 [岡田有花,ITmedia] Copyright© 2009 ITmedia, Inc. All Rights Reserved. 新着記事
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