The Japan Times 2008年10月2日掲載 宮地監督×Boom Boom Satellites対談記事

2008年10月2日のThe Japan Timesに宮地監督とBoom Boom Satellitesの対談記事が掲載された。
このスペシャルな記事の日本語訳を亡念のザムド公式サイトのみで公開!

驚異に満ちた新作アニメが炸裂

- 宮地昌幸監督とダンスロックバンド・Boom Boom Satellitesはジャンルの既成概念を超えてゆく

Ian Martin・編集

「何か違うことをしたかったんです。と、同時にユニークすぎるものにしてしまうと、失敗でもある」
PlayStation Networkの新作アニメシリーズ「亡念のザムド」監督の宮地昌幸氏はこう語る。
「でもその失敗が、むしろ面白いのかもしれないですが」

宮地監督が言っているのはこの新作アニメの主題歌のことについてだ。彼が起用したのは、いわゆる定番でキュートなアキバ系のポップソングではなく、大物エレクトロロックバンドBoom Boom Satellitesによる楽曲だった。この曲は“Shut Up and Explode”という示唆的なタイトルが付けられ、その演奏が生む期待感に駆られる衝動はプロジェクト全体にも浸透している。

「最初はこういった全く違う種類の曲を起用することは難しいと思っていたので、非常に緊張しました。」宮地監督はこう明かす。「でもこれを実現させることは非常に良いチャレンジだと思ったんです。」

「アニメは映画産業の一部のように思っているんです」「ザムドに関しては何かの事件が起こるまで一人のキャラクターをカメラが追いかける、ほとんどドキュメンタリーのようなスタイルを随所に採り入れたかった」と語る宮地監督

その名を英国のダンスロックパイオニアであるSigue Sigue Sputnikの曲から由来することと、パンク、ダンス、ジャズなどを融合させたスタイルで知られるBoom Boom Satellitesは、元々ベルギーのR&S Recordsから1997年にデビューを果たした。日本で成功したのはその後、UKを中心に高まる知名度のもと、1998年に日本のソニー・ミュージックエンタテインメントと契約してからだ。

2007年に発売されたアルバム「EXPOSED」は、2006年発売の前作「ON」の持つエレクトロ-パンクの要素を発展させたもので、“Shut Up and Explode”は同アルバム収録の”Easy Action”や”Intergalactic”といった曲と並び、2007年ビンテージのBoom Boom Satellitesサウンドを代表する曲となっている。

しかし今回、宮地監督のスタジオであるBonesにとっては、初めてアニメ音楽の伝統的なモチーフを覆したというわけではない。Bonesは2005年のアニメ「交響詩篇エウレカセブン」の制作に関わっており、いくつかの話数を宮地監督も担当していた。このアニメの音楽は1990年代のブリットポップやアメリカのオルタナティブロックの影響を色濃く受け、日本のインディーダンスシーンで活躍していた4人組・Supercarの音源もフィーチャーしている。言うまでもなく、この作品は世代を超えるヒットとなった。

今回、宮地監督はバンドに新曲を発注するのではなく、既存の“Shut Up and Explode”を起用したのだが、これによりバンドにとってのチャレンジもまた通常とは違う形となった。

「以前にも曲が「アップルシード」(2004年)や「ベクシル−2077日本鎖国−」といったようなアニメ映画に起用されることはありました。」とBoom Boom Satellitesのベーシストでありプログラマーである中野雅之氏は語る。「でも今回がシリーズもののアニメに関わるのは初めてで、オープニングクレジットの部分は89秒と厳密に決められていましたから、曲を編集しなおさなくてはならなかった。それがかなり難しい作業でしたね。」

「ザムド」のリリースは、Bonesがテレビ放映を意図的に控え、ユーザーがPlayStation3のゲーム機からつなぐ、ソニーのPlayStation Network VOD (ビデオ・オン・デマンド)サービスにより、26話のエピソードを直接、視聴者に届けるという新境地を切り開いた。「これにより、今までとは違う層の視聴者にリーチできればいいなと思っているんです。アニメファンだけでなく、ゲームや映画などの視聴者にも。」と宮地監督は語る。

第1話の配信は7月の米国を皮切りに行われた。各エピソードは「レンタル」という形式でSD (Standard Definition)版は$2.99、HD (High Definition)版は$3.99で入手することができる - 但し20分ちょっとの番組ということもあり、なかなかファンには受け入れがたい価格ではあった。日本でも各300円および400円という同程度の価格設定で9月24日に米国に続きリリースし、現在はヨーロッパでのリリースに向けて調整中である。スタジオ側は、当初は世界同時リリースを企図していたと強調するが、最初に公開される地が米国、つまり世界的な映画産業の本拠地であったということは、象徴的な意味として重要だったのかもしれない。

「ザムド」を海外と日本の視聴者両方に届けるため、Boom Boom Satellitesという邦人でも稀にみる海外での人気を博するバンドを選ぶことは、宮地監督が打ち明けているよりも機微を読んだ選択かもしれない。実際のところ、「アップルシード」や「ベクシル」は明らかにそして悪びれることもなく、海外のマーケットを狙っているのだから。とはいえ、当のバンドは自らのルーツをあくまで母国に根ざしたものだと、頑として主張する。

「もちろん、これまでも多くの国をツアーしましたし、西洋のロックやダンスミュージックも多数聴いています」中野氏は言う。「でも自分達が何を作ろうと、それは日本の文化に基づいたものでありたい。僕達の音楽は、実際に東京という街に住んで感じることを表現していますから。」

「ザムド」の意義は、しかしながら、単にその提供方法だけにあるのではなく、その他のアニメ界全体との関わりの中での在り方というものにある。ここ十年ほどのアニメファンの文化とその定義とは、伝統的な物語風かつキャラクターを基本に据えたドラマから、日本文化評論家の東浩紀が言うところの”データベース型世界”への転換にあるとされてきた。”データベース”を消費する過程で鑑賞され創造されていくのは即ち、状況設定・キャラクターのタイプ・そしてビジュアル的な記号がほぼ無限大の並べ替え順でリサイクルされ、また再構築される二層構造に基づいた作品である。この考えはポストモダンアーティストの村上隆が提唱する”スーパーフラット”の概念と密接な関連性を持ち、アニメ界では恐らく2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」でその創造的最高水準に達したであろう。

これに対し、「ザムド」は明らかに昔ながらの物語風の作品へと振れていて、オスカーを受賞したスタジオジブリの宮崎駿監督の作品を想起させるが、しかし同時にもっと現実的な西洋の映像作家、例えば、作中の登場人物が交わす言動や対話、その自然主義的手法で名高いRobert Altmanを垣間見るようでもある。

「最初にこの話を伺ったとき」、中野氏は言う、「企画書と1分間のトレイラーを見せてもらったのですが、たったそれだけで『これはすごいことになる』と思ったんです。劇場版のクォリティを感じました。」

この劇場水準のクォリティは宮地監督が当初から意図していたことでもある。「アニメは映画産業の一部のように思っているんです」彼はこう述べ、英国人監督Ken Loachとフランスのヌーベルバーグの巨匠、Jean-Luc Godardの名を映像制作の着想源として挙げる。「ザムドに関しては何かの事件が起こるまで一人のキャラクターをカメラが追いかける、ほとんどドキュメンタリーのようなスタイルを随所に採り入れたかった。」

第1話にこんなシーンがある。銀色の髪の不思議な少女が主人公であるアキユキのスクールバスに乗り込もうとする。彼女は誰かに追われているそぶりで、アキユキは凡そアニメのヒーローがそうするように、彼女を助けるのだ。次に起こるべきは、アキユキとその不思議な来訪者、そして隣人として既に設定されているハルが、そこにいる悪から世界を守るため冒険に旅立つこと。このような物語の筋はアニメ文化にあまりにも深く編みこまれてきているが、それゆえに実は起こることに衝撃を受けるものになる。

バスが止まると少女は爆弾とおぼしきもので乗客もろともバスを吹き飛ばす。直後、爆弾が頭上から雨あられと降り注ぎ、空想の、だが全くといっていいほど日本的な、尖端島の脆い大地を粉々にしていく。宮地監督は空想の世界と現実における状況について類似点があることを認めつつも、「ザムド」の中での出来事を、実世界においてテロ活動が増えつつあることとは区別しようとしている。

「もちろん9/11のような世界的な出来事が、自分に影響を与えてはいます」彼は2001年の米国における攻撃を引き合いに出して言う。「けれどそれは皆に影響を与えたという方が正しいでしょう。そのことに直接の言及をするつもりはありませんし、あの事件からの影響を受けたと見なされることも望んではいません。」

「企画書と1分間のトレイラーを見せてもらったのですが、たったそれだけで『これはすごいことになる』と思ったんです。劇場版のクォリティを感じました。」と中野氏は言う

その代わり彼は、飛行機に乗る際ハイジャック犯に出会ったら、という仮想の状況を考えてみる。「もしかしたらその人はそれほど悪い人間には見えないかもしれない。もしかしたら我々は何か同じ感情を共有できるかもしれない。でもその人は自分の命を差し出すこともためらわない何かを持っている。」

宮地監督にとっては、「テロリズム」という言葉はあまりにも簡単に使われ、かつ表層的で、実際にはそれよりも遥かに複雑な人間の内的動機というものを説明しえないものであり、そのように複雑に入り組んだ感情というものこそが、彼が物語を築くにあたり魅了してやまないベースとなるのである。

このような政治的な背景は、しかしながら、全体としては後方に控えたままで、前面に出されているのは登場人物たちの個々のドラマである。バスの爆発はアキユキが苦痛とともに変身するきっかけを起こし、その瞬間から彼はザムドと呼ばれるもの(もしくは他にもいるので「そのザムド」というべきかもしれないが)と彼の肉体を共有するようになる。コントロール下にある場合、ザムドはアキユキの右腕に拘束されたままだが、ひとたび解放されると腕は巨大で、強力で、人間ではない何かに変貌する。ザムドの真実の姿は白いバイオモンスターであるのだが、しかしその動機や起源は作品の中心的な謎となったままだ。

この変身というテーマは主題歌にもピタリと符合する。

「最初は閉ざされた空間のイメージから始めたんです。」こう説明するのはBoom Boom Satellitesのギタリストでありボーカリストである川島道行氏だ。「その空間から爆発し、突き破っていくのはまさに自分達自身で。卵のように、何か孵化するもののように、その後には何か違うものになる。」

何度も繰り返される引用句の”running free (暴走して やりたいようにやって)”、そして”My heart bursts like a bottle of wine (俺のハートは砕け散る ワインのボトルのように)“という一行によってパッと思い浮かぶイメージは、重圧の下にある何処か、そしてそこからの逃走を成し遂げさせようとする切迫感が表現されている。

中野氏が作曲をする上でのイメージもまた、変身というテーマと共鳴するものがある。「僕のイメージは、そうですね、もっと高い所に登ろうとしている感じ、生まれ変わるような感じですね。たくさんのハードルをよじ登っていって、違う人間になるというか。」

その瞬間、宮地監督も勢いよく頷く。「全く同感です。聴いて、その2時間後にはもう電話をしていた。『曲を使わせてもらえませんか』、と。」彼は熱っぽく語る。「音楽と詞、そしてメッセージが既にあった。しなければならなかったのは画像を足すことだけ。そしてそれがなんとしても曲を壊さないように、と。」

作品を褒め称えるように中野氏は添える。「面白いことに、設定が古いテクノロジーと新しいテクノロジーの融合なんですよね」、しかし他の秀逸なアニメ同様、「ザムドのストーリーの本質は教養小説みたいなもので、つまりこれから大人になろうとする少年が、時に波乱に満ちた過程を辿り、成長していく物語なんです。アキユキがザムドに変身するのは、彼の内部で起こっている変化の視覚的なメタファーなんですが、実は他の主要人物も全て、目に見えて彼らなりの闘争や内なる戦いに挑んでいる、これはそういう、作品がフォーカスしているものの幅広さの証でもあります。」

つまり、作品のテーマが持つ普遍性というものが成功へのカギであり、この中に、宮地監督はBoom Boom Satellitesからのインスピレーションを採りいれている。「僕と彼らは、日本で、ほとんど同じ時代を生きてきて、同じような経験もしていると思うんです」彼は言う。「そんな彼らが東京での生活というものに基づいた音楽を制作しながら、常にあらゆる聴衆にリーチしているという事実が好きなんです。ザムドも同じようなメッセージを持って欲しいと思っています。」

The Japan Timesに掲載された本文はこちら

©BONES / Sony Computer Entertainment Inc. , Aniplex