2009-04-11 16:32:19

プライド時代の光と影パート4

テーマ:ブログ
武士道の後 当時の社長に
「言うことを聞かないなら 給料をださない。
試合は取ってくるけど」
当時はファイトマネーは貰えず 月給に振り分けという感じだったので安定した月給でないと苦しいし 当時Jロックはプライドに絶大な力を持っていたし 何よりも 母親が癌で働けなくなり 自分がしっかり稼がないと…という事情もあったため直ぐに桜庭さんスパッツカラーを止め
「社長に全てお任せします」という感じの事を言った記憶がある。

そして 大晦日。 当時練習中 膝の靱帯損傷をしてスパーもできない状態の俺に マッハ戦が舞い込んできた。 本当はカーロスニュートンがやるはずだったのが カーロスが怪我をして代役に選ばれたのだ。 しかし 試合1ヶ月もない状態でスパーもできない状態の俺は 「いくらなんでも試合は無理です」と上に伝えた。 しかし 言われたのが
「いいか?勝ち負けじゃないんだよ。 それに この試合しなかったら 次はないよ」

俺らファイターは勝ち負けしかないんだよね。

そして俺はファイター2人に相談した。
まずは長南さん。彼は 「それ ただの脅しじゃないですか」 と話した上でやるなら協力しますよ と。 もう一人は 須藤元気。 彼は 「練習でやった感じだったら大樹の方が強いよ。だけど試合だし 普段の強さが出せない状態なら止めた方がいい。日本人対決はシビアだし。」

アンデウソンシウバに勝っても マッハ戦をやらないと「次はない」と言われる自分のポジションに 「あぁ ただの駒で 可愛がってもらえないんだな」 とかなり落ち込んだ。 しかし 俺は元気の言葉が的を得てると思ったし スパーもできないのに試合なんてもってのほかだった。 最後に吉田さんにも相談し 吉田さんは「 いや大丈夫だよ 次ない事なんてないから」 と言ってくれた。 しかし…
針や気功やら色んな治療をしても良くならない(ていうか靱帯損傷がそんなに早く治るわけない) ので最終確認の電話で社長に「すみません出来ません。」と言った。
しかし 「良くならないなら仕方ないな。秀彦にも相談したんだって? でもな、次があるかわからないからな それは覚えておけよ」 と 言われ 俺は 言っちゃったんだよね… 色んな感情が渦巻いてね。 言わなきゃ良かったと 一生後悔することになる一言を…
「五分 三ラウンドなら出来るかもしれません。」 と。
続く

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