赤穂四十七士の小野寺十内(じゅうない)の妻丹(たん)の手紙が、豊岡市内で見つかった。同市教委が13日発表した。2人は和歌のうまいおしどり夫婦で、丹は十内の切腹後に後を追って自害したとされる。直筆の手紙は現存する唯一のものといい、市教委は「義士を支えた妻を研究する重要な史料」としている。【皆木成実】
赤穂事件(1701~03年)以前の元禄10(1697)年ごろ、知人の尼僧「めうゑい」にあてた手紙とみられる。「小の寺十内」の「内(妻)」と署名があり、「御文下(おんふみくだ)されかたじけなく詠(よ)まいらせ候(そうろう)」と、尼僧から届いた手紙への返信であることをうかがわせる。
同市内の男性が京都府内の骨とう商から購入し、市教委出土文化財管理センターに調査を依頼。東京大学史料編纂(へんさん)所にある丹の手紙の謄写と照合して真筆と判断した。尼僧は、大石内蔵助の親せきの大石良聡の妻の可能性が強いとみている。
十内は赤穂藩京都留守居役の重臣で、討ち入りの際は大石内蔵助の右腕として活躍。十内から丹あてに送られた数々の和歌が、夫婦仲の良さを物語っている。討ち入り後に十内が切腹したことを知り、丹は京都・本圀寺で自害したと伝わる。
忠臣蔵研究で知られる財団法人中央義士会の中島康夫理事長は「女房文字といわれる、大変美しい女性の文体で、丹の教養の高さがうかがわれる。良聡の妻との手紙のやりとりは、後に討ち入りで運命をともにする大石、小野寺両家の親密さもうかがえる」と話した。
〔但馬版〕
毎日新聞 2009年5月14日 地方版