最近、報道のあり方で腹の立つことが多い。
直近では、女性とのゴルフ旅行がばれてやめてしまった官房副長官について麻生首相の答えを報じるニュースだ。
「健康上の理由だ。健康まで任命責任なのか分かりかねる」。女性問題でやめたのは誰の目にも明らかだ。こんな姑息(こそく)なことを思いつく輩(やから)がいることが悲しい。積もり積もって、政治不信を招いていることに気づかないのだろうか。そして、筋書き通りにしゃべって、翌日訂正するはめに陥る首相なんて……。
こんなときこそ一工夫すべきだ。映像をそのまま流すのではなく、ちょっと解説や風刺を混ぜる。著名なキャスターには、パンチの効いた一言があってしかるべきだ。
副長官問題をスクープしたのは週刊新潮だった。この週刊誌にも別件で腹が立った。「実名告白手記・私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」という連載だ。当事者でもある朝日新聞が、先に筆者と接触し信用できないとしていたにもかかわらず、連載を続けた。揚げ句の果てに「こうして『ニセ実行犯』に騙(だま)された」という一文で決着を図ったのである。
実に不愉快だ。記事は、一つの情報で書くことはない。ある人から重要な情報がもたらされれば、必ず他の人にも当たって確認をする。これは報道に携わる者の常識だ。それをおろそかにしておいて、ひとのせいにするとは。自殺行為だ。
もう一つは、民主党の小沢前代表の問題だ。郷原信郎・元長崎地検次席はこう指摘する。「メディアの責任も大きい。検察捜査と政治の関係という事件の本質を問わず、政局の問題に単純化し、小沢辞任論に走ってしまった」(14日朝日新聞オピニオン欄)
その通りだと思う。本質を問わずして「小沢代表は辞めるべきか」と一般に問えば「やめるべきだ」と答える人が多いのは目に見えている。<山口・勝野昭龍>
〔山口版〕
毎日新聞 2009年5月18日 地方版