耕作放棄や違法転用によって、消えていく農地。機を見て農地を売り抜こうとする「偽装農家」。それを見て見ぬふりをする農業委員会と農林水産省――。明治学院大学経済学部教授、農業経済学者の神門善久氏は、これらの問題を早くから指摘してきた。今回から2回にわたり、著者の吉田鈴香が神門善久教授に話を聞く。
吉田 このところ、農業が注目を浴びています。金融危機後に「次は農業」というブームのようにもなっています。
明治学院大学経済学部教授の神門善久氏。農学博士。1962年、島根県生まれ。京都大学農学部卒。著書に『日本の食と農―危機の本質―』(NTT新書)。『本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー―』(養老孟司・竹村公太郎、PHP研究所)の第6章「日本農業、本当の問題」で養老氏、竹村氏と鼎談。(写真:菅野 勝男、以下同)
神門 農業はよくも悪くも注目されていますが、注目されたことが、むしろ悪い方に作用していると、僕は非常に憂いています。
今農業についてあれこれ言っている人は、本当の農業はどうでもよくて、農業のことでイメージを膨らますことを楽しんでいる。この数年で、いいかげんな農政提言が出るたびに、農業は間違いなく悪くなっています。農政論議が華やかですが、簡単に政策提言が書けることに大きなワナがあるのです。
吉田 どんなワナでしょうか。
神門 農政提言のワナは、大きく3つあります。
第1は、「規制にしがみついているJA(全国農業協同組合)と農水省をやっつければ、農業は活性化する」というもの。2番目は「農業には秘められたビジネスチャンスや、世知辛い現代社会が忘れた価値があり、農業の新たな価値に目覚めた人が確実に増えている」というもの。そして3番目は「食糧危機が来るかもしれないから、皆で自給率を上げよう」というものです。
この3つの提案は論理が単純明快で、読者にもウケる。ただ3つに共通している致命的な欠点は、事実と異なることなのです。
第1に、農水省もJAも規制にかじりついたりしていません。何が起きても「投げっぱなし」の状態です。最近、農地を狙う産廃業者が増えていますが、マスコミが規制緩和を強調するたびに、彼らは“漁夫の利”を得ます。
吉田 産廃業者は、土地所有者に了解を得ているのでしょうか。それとも?
神門 皆「自分は知らなかった」と言いますね。地権者は「善良な業者だと思っていた」、業者は「地権者の言う通りにやった」と言う。行政も「気がつきませんでした」と。皆が無責任な状態なのです。農水省もJAも、これらを規制しようという気は全くない。精神論だけは言いますけれどね。
3つのワナの2つ目、「農業のビジネスチャンス」についてですが、この『食糧』(注)という本を見てください。今から約20年前に出版された本ですが、目次を見れば、今でも通用することが分かると思います。農業の抱える問題については昔から語られており、状況は変わっていないのです。
(注)『食糧』 農産物摩擦、コメの減反に見られる場当たり政策、飼料の全面輸入に頼る畜産、大型機械のローン返済に苦しむ農家、農薬依存の田畑など、生産、流通の現場で起きている不合理の数々を指摘し、日本の農業生産のあり方を問うた書籍。朝日新聞社刊。
例えば、ワタミも農業事業を始めて話題になりましたが、縮小しました。企業の農業参入は、実は40年ぐらい前から行われています。契約栽培という形ですね。今、「農業の新しい動き」と大げさに報じられるたびに、実質的にどこが新しいのか、僕は首を傾げてしまいます。
実際、ある週刊誌の記者からは「新たな動きと紹介したいのだけれど、どこが新しいのか解説してください」という相談を電話で受けたことがあります。「あなたが分からないのに、読者が分かるのですか?」と私は逆質問しました。
吉田 ユニクロ(ファーストリテイリング)も農業事業を始めましたが、撤退しました。
神門 ビジネスには、試行錯誤がつきものです。ワタミやユニクロが間違っているとは思わないし、うまくいかず事業から撤退しても驚いたりしません。むしろ、彼らが農業事業に参入した時に「新ビジネス」と言ってメディアが大騒ぎすることが問題です。人々の心の中に、農業に対する憧れやノスタルジーがあり過ぎるのでしょう。
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