安藤ミカン特産に ジュースで数年後
4月25日17時13分配信 紀伊民報
世界的な博物学者の南方熊楠(1867〜1941)が約70年前、和歌山県田辺市の特産品になることを願った「安藤ミカン」を、再び売り出そうという動きが同市上秋津で進んでいる。直売所「きてら」が中心になって苗木を増やし、地域に配れるだけの数がそろった。今月下旬から、きてらの開店10周年記念として同市の南方熊楠顕彰館などに植樹する。果実がたくさん収穫できる4、5年後、ジュースとして商品化する予定だ。
安藤ミカンは、江戸時代に田辺藩士安藤治兵衛の屋敷内に自生していた。熊楠が晩年に移り住んだ田辺市中屋敷町の自宅にも3本の木があった。熊楠はグレープフルーツのような味を好み、1日6個分の果汁を搾って飲んでいたという。国内で外国人が宿泊するホテルや旅館に置いてもらい、特産品にしようとしたが、実が傷みやすいこともあって成功しなかった。 熊楠が亡くなってから3本の木は枯れてしまったが、熊楠は親交のあった人に苗木を分けていたため、各地に木が残った。南方熊楠顕彰館に隣接する熊楠邸の庭にも熊楠の友人が提供した安藤ミカンの木がある。 田辺市上秋津のミカン農家できてらの役員、原和男さん(68)は、7年ほど前に熊楠時代の孫木を手に入れ、栽培を始めた。収穫期の12月〜2月に果実をきてらに出荷したり、知人に分けたりしている。数は少ないが、熊楠にゆかりがあるため喜ばれているという。 きてらでは、安藤ミカンを特産品にしようと計画。数年前から専門の業者に依頼して苗木を増やしている。今年は業者がつくった苗木約30本を、きてらの出荷者らに数本ずつ配っている。きてらの10周年イベントとして、原さんが4年前から育てた高さ1・5メートルほどの苗木3本を、南方熊楠顕彰館と、安藤ミカンの木がない白浜町の南方熊楠記念館、上秋津の宿泊施設「秋津野ガルテン」にそれぞれ植える。 安藤ミカンはそのまま食べてもよいが、比較的ジュースに向いている。きてらにはミカンの生搾りジュースを作るための加工場があり、まとまった量が収穫できれば、ジュースを商品化するという。 上秋津は、紀南で有数の柑橘(かんきつ)類の産地。熊楠は1936年、親交があった旧上秋津村の中山雲表村長に安藤ミカンの苗50本を贈った。中山村長は「ミナカタオレンジを柑橘培養の天地、上秋津村で立派に生育させたい」と熊楠に返事し、上秋津の農家26人に苗を提供した。原さんの祖父もその一人だった。 原さんは「70年前の熊楠の願いを実現させて、地域に貢献したい」と話す。南方熊楠顕彰館の中瀬喜陽館長(76)は「南方熊楠は産業の発展にも関心があった。安藤ミカンの需要はあると思うが、実際に食べたことがある人は少ないので地域に広まれば面白い」と話している。 【関連記事】 安藤ミカン色づく 田辺の南方熊楠邸 (2007年12月10日更新) |
最終更新:4月25日17時13分
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