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やっぱり多数派に惑わされてはいけない  ケータイ投稿記事

私が人一倍フラッシュバックが多いのは、確かにPTSDの仕業だが、言い訳にするまいと思っても、夢はDVDと違うので、望んでもいない悪夢でうなされる。
この悪夢のために、今まで何度ケンカになったか知れない。

しかし、私はこれまで、血の滲む思いで悪夢を何度も抑え込んできた。フィットネスが成功したからこそ、体育の授業が悪夢になることは少なくなり、やがてゼロになった。病院のリハビリが拷問になるという、信じられないような悪夢はもちろん見なくなった。
ガールフレンドができてからは、学校のいじめの悪夢も無くなった。それは、女子の集団にいじめられたトラウマに対する勝利宣言であったはず。
再び深刻なフラッシュバックが襲っても、今回は悪夢がない。
スマイリーキクチ事件の直後の、3日連続の悪夢は、ネットでのいじめの話だった。

でも、今以て多数派の意見にビクビクしているのは何故なのだ?
理由は簡単。いじめの被害者は、常に力関係の極端にアンバランスな相手と常に対峙しなければならないからである。
多数派の意見が間違っていても、「力は正義」になってしまう。
このため私は何度勤め先を厄介払いされたか知れない。
勤め先だけでない。「2ちゃんねる」と結託されると、悲劇である。自殺に追い込まれた人は数知れず、私も親元を厄介払いされて今さいたまにいる。

しかし、親元に比べて相対的に偏見の少ないさいたまに住んでいるからこそ、人間関係の悩みが解決に向かっていると思う。
もちろん親元でも不可能な作業ではない。しかしトラウマが多過ぎ、考えただけで錯乱状態になる。
親元のほうがベターだと感じるのは、ガールフレンドとの距離が1桁短くなることくらいだろう。
それでも、身内以外に信じる相手がいるというのは、ありがたい話である。
だから、この恋愛機会は大切にしなければならない。でも悲恋を恐れてビクビクするのもつまらない話だ。
ガールフレンドが鬱病なので、こちらは思い切ったアクションが起こせないが、親父の失敗を目の前で見ているので、彼女の心理状態に合わせて動くのが賢明だろう。
「草食系」が、例え恋愛に臆病な男性陣を罵った表現であっても、神経質になるほうがどうかしている。

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アッシー、メッシー、みつぐ君  ケータイ投稿記事

何れも昭和末期の流行語で、今は死語と化している。
女性側のわがままで男どもをいいように手玉に取るようなニュアンスが感じられて、やはりフラッシュバックを催した。
またこの時は、親父も存命だったが、オフクロも含め、こういった一部女性のわがままで発生した言葉を知ってか知らずか、何が何でも私の恋愛の機会をつぶそうとした。
「学生の分際で恋愛なんて言語道断」というのが両親の言い分だが、本当は「障害=恥」が理由だったし、それについては社会人になってからも恋愛だけでなく、車の免許取得までも反対されたのが何よりの証拠である。
親父が死んでからもしばらくは、オフクロは「都会の女はみんな美人局(つつもたせ)」と口癖のように言っては、恋愛の意欲を削ごうとした。

もちろん私は人間関係のアドバイスがオフクロだけ方向性が180度も違うことには気付いていたが、親と一緒では、親の意見を転覆させるためには、身障はあまりに重い足枷だった。
親に恋愛を許してもらうためには、私は一人暮らしを成功させなければならなかった。しかも、引きこもりも許されなかった。

それでも一人暮らしは足掛け5年になり、今にして思えば、親元でおとなしくしているほうが、錯乱を起こしていたかも知れない。
親元は偏見も(さいたまに比べて相対的に)ひどいので、「アッシー」「メッシー」「みつぐ君」などと男性陣を手玉に取るような女性がほんの一部だとは実感できそうもない。価値観の歪みは、親と一緒では矯正不可能である。

しかし、私のガールフレンドは男性陣を手玉に取るようなことはしない。
フラッシュバックの原因は確かにいじめではあるが、親の価値観の呪縛を振り払うことができなかった私が悪い。
だから、今更後悔してもせん無いので、遠距離でも今の恋愛を大切にするしかない。

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恋ばなでも、早くもボヤキ  ケータイ投稿記事

ガールフレンドのことでのボヤキではない。
基本的には、私はガールフレンドの心を意のままにしようとすること自体、恋愛に対して焦りを感じていることを如実に示していると感じている。
その実例は、私の親父が示していたので、私はなおさら慎重になっているのだろう。

ちまたでは、「草食系男子」という言葉が流行語になっている。
恋愛に臆病で、友達付き合いしかできない男性のことをいう、と聞いている。
実際には、恋愛に臆病な男性を罵るものではないと信じたいが、女子の集団にいじめられたトラウマの所為だろうか、実際以上に攻撃的に感じられる。

とりわけ、親元では身障に対して男の子より女の子のほうが偏見がひどかったという物証さえあったので、深刻なフラッシュバックに悩まされている。

おそらく、「草食系男子」と言われている男性の中には、私と同様に女子の集団にいじめられたことがトラウマに感じられている人も多いと思われる。男のプライドをとことんまで傷付けられて、人生に自信を失っている人だっていてもおかしくない。

かつて私は、女子の集団にいじめられた理由が身障だったり、スキーもスケートもテニスもできないことで、合コンや(会社でも)夏場の飲み会まで仲間外れにされたことが相次ぎ、いつしか「スポーツができないと恋愛もできない」という妄想を抱くまでになっていた。
この妄想を捨てるために、私は親元から1000km以上離れた水戸&松本&さいたまを転々としなければならなかった。
私にとって幸運だったのは、水戸も松本もさいたまも、親元に比べて相対的に身障や発達障害に対する偏見が少なく、身障や発達障害を理由とした仲間外れがほとんどないことや、仕事でも身障や発達障害が査定に影響したことも少ない、という事実である。

だから、「草食系男子」という言葉が攻撃的に感じても、おそらく今はガールフレンドが「草食系男子」という言葉の意味を真に受けることはない、と信じている限り、フラッシュバックも何れ落ち着くはず。
ガールフレンドがいなかったなら、今頃錯乱を起こすほどの深刻なフラッシュバックに悩まされていたに違いない。
私のガールフレンドもいじめや親の虐待で、嫌というほど社会の矛盾を見ているので、流行語に右往左往するような人ではないだろう。
やはり、世知辛い世の中だからこそ、人を信じることが大切なのだろう。

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チョコレートよりもステキなプレゼント  ケータイ投稿記事

昨年の勤め先では、会社の方針で虚礼廃止が徹底されたため、バレンタインデーに何もなかった。
しかし今年は所謂「義理チョコ」こそもらえたものの、今までで最高のプレゼントをいただくことが叶った。
その一つは、ガールフレンドが元気だったということだが、意中の人が元気だと感じたことが嬉しく感じたのは今までにもあったものの、彼女からのプレゼントで、形のある物より、ガールフレンドが元気でいることが有り難く感じたことは、生涯初めてのことだ。

よく、スポーツ選手など「彼女の存在がパワーの源」「家族の者から元気をもらった」というコメントを耳にする機会が多いが、自分もそれを実感できるようになった。
私は幸せ者かもしれない。

いじめやパワハラで心が満身創痍でも、私が立ち直るきっかけを得たのは、人嫌いから脱出したい一心で常に新しい人間関係を求めていたからだと思う。
もちろん、不利益を感じた環境には近寄りたくない、という思いは誰しも同じだろう。
私は親元には二度と戻りたくないくらい、親元にトラウマの種がわんさかあるが、私自身は親元のトラウマを乗り越えて大手を振って帰郷できるくらいにまで心の傷が回復できないと不満だが、いじめ被害で発生した、女性にまつわるトラウマは、もはや恋愛に差し障りを感じるレベルではない。

今回、それよりももっとありがたいプレゼントがあったが、これも形あるものではない。
恋愛の機会を得た私の、心の成長を認めてくれたメッセージをメールでいただけたことである。
恋愛は確かに特殊な人間関係だが、他の人間関係と同様、焦ったところで思惑どおり育つはずがない。
それでも応援してもらえるのが有り難い。
私は意識に故障が発生しない限り、恋愛は何時でも可能だと信じているので、かつて大ヒットした台所洗剤のコマーシャルで、庭先でダンスしている若夫婦よりもそれを羨ましげに見ている老夫婦のほうに憧れていた人のほうが多かったことも納得している。

私もこれまで恋愛の機会を先送りしてきたが、今、時は満ちたと思う。
まだまだフラッシュバックが多くて動揺してばかりだが、争い事がいじめのフラッシュバックにつながるのを嫌うからこそフラッシュバックの頻度も高いのだろう。
マイナスには捉えないようにしよう。

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恋愛に必要な努力  ケータイ投稿記事

かねてから私は、
【恋愛の苦労は買ってでもしたい】
と何度もコメントしたが、いざ実際に恋愛の機会に臨むと、やはり不安だらけだ。
でもその不安感は、学校の新入生や会社の新入社員が初日に感じるものとあまり変わらない。
会社と違うのは、「彼女」との一対一の付き合いであることくらいだろうか? もっとも、結婚が前提になれば、家族ぐるみの付き合いになる。

私は、かつて身障や発達障害だけでも恋愛の妨げだという妄想に縛られるていたし、歪んだ価値観がフェティシズムにつながったりしたが、(埼玉県)発達障害支援センターのカウンセリングで、
「(フェティシズムを)自覚していれば何時でも大丈夫だし、(スカートフェチなら)逆手に取ることもできる」
と言われたので、私も安心した。発達障害自助サークルの忘年会では「人間クリスマスツリー」と称した緑色のドレスでコスプレもトライした。(私単独のコスプレはこれが初めて)

先月(2009年1月)には、池袋のパルコで女装した男が居直り強盗を働く、という事件もあったが、女装そのものよりも、犯罪目的の女装や、女装中の偶発的暴力事件で加害者になるほうがよほどみっともないことが実証された事件だったと思う。
私はまだ昨年暮れのコスプレのことは彼女には伝えていないが、偏見にビクビクしていては、かえって彼女に嫌われるだろう。

おそらく、恋愛で最も苦労するのは、相手の価値観と己の価値観を調和させることだろう。同じ価値観を持つ人間はこの世に2人といないことは理屈では解っていても、両者は必ず何処かで妥協しなければならないし、妥協にはストレスを感じる。
それに気付かぬまま、相手の表だけを見て恋愛しても、成功するはずがない。
一目惚れの恋愛は否定しないが、やはり時間を掛けるほうが、ステキな恋愛になるように感じる。

笑顔というのは、特に女性にとっては自分をアピールするための手段だと思うが、最初から笑顔のステキな女性はそれほど多くない。むしろ、笑顔を彼女に強制することで彼女にストレスを与えるくらいなら、自然に笑みが出るようなお付き合いのほうがベターだ。
恋愛というのは、下手をすれば相手の心を自在に操るため失恋がトラウマになる可能性もあるが、そうならないためにも、今は価値観の調和を図るための努力が必要だろう。親父の二の舞を演じないためにも必須項目である。

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