股関節はこうして壊れる(その5) 

来訪者No. (2004/11/14カウントアップ開始)

ショートカット→股関節の構造 運動の影響
        誤診に至った経過 手術の手法
        2次障害と心のケア 現在の運動能力
        豆知識

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アンケートはこちらです。このページと同一内容のPDFドキュメントを現在作成中です。(変形性股関節症用 変形性膝関節症・変形性足関節症用)

変形性股関節症の患者が提案する、変形性股関節症の方へのアドバイスです。
変形性膝関節症や、変形性足関節症の方も御参考になさって下さい。

Part-5.私が受けた手術

(このセクションは、私の21年間の記憶を掘り起こしたものであり、一部実際の診察経過と矛盾するところがあるかもしれません。)

I.最初の難題:人工股関節を使わず末期症状に対処する方法
19歳にして末期状態という、最悪の展開。ドクター達は一斉に悩みました。
●右足の可動域も65度〜70度しかなく、正常であるはずなのに障害の影響で鍛えることができなかったため、今後も可動域の改善は望めない。したがって、固定術は不向きである。
●人工股関節は寿命が長くても20年である。これから最低でも3回、人工股関節を取り替える必要があり、患者の肉体的負担が大きいので、人工股関節は現実的でない。
●RAOも、寛骨臼のダメージがひどいうえに、長さも足りないので、単独では使えない。(エックス線写真で確認したところでは、大腿骨がかろうじて寛骨臼に一点で接触している状態だった! 私が記憶している、手術直前の股関節エックス線写真では、CE角(注1)が推定−45度、シャープ角(注2)が推定+82度という極端な値を示していた)
●キアリ式が最も有効だが、寛骨臼の長さを確保するためにはRAOやスピッツィー式を併用しなければならない。
●手術をしないで放置した場合、股関節の寿命は残り3ヶ月。
ということで、キアリ式を採用することになり、寛骨臼を補強するため、RAOを併用するという形になりました。(スピッツィー式は実際には併用されなかった)

II.次の難題:RAOのパーツをどうするか?
通常、RAOは三日月型に寛骨臼を切り取って、外側にスライドさせますが、私の場合は寛骨臼のダメージがひどいうえに、長さも足りなかったので、そのまま使えませんでした。
このため、骨盤のてっぺん(腸骨という)から切り出したものを寛骨臼の形状に合わせて三日月型に削り、それを使いました。
(説明図のピンクが、骨盤のてっぺんから切り出したパーツ)

III.かくして手術はこうして行われた。
この結果、私の変形性股関節症の手術は、通常のRAOやキアリ式に比べるとはるかに大規模なもので、所要時間4時間30分、輸血総量4400ccというものになりました。
手術後、ベッドから離れることができるようになるまで、4週間を要しました。これは1982年当時、RAOではごく当たり前でした。
この期間はもちろん絶対安静であり、ベッドの上でがんじがらめの状態でした。
もちろん、このあとも毎日リハビリは続けなければなりませんでした。松葉杖で歩けるようになったのは、手術から2ヶ月半後の1983年1月下旬です。当然それまでは車椅子でした。
松葉杖で歩けるようになっても、2月の上旬までは左足に対しては荷重0%を守らなければならりませんでしたが、それでも2週間毎に左股関節の荷重を33%、50%、75%、100%と増やしていき、4月の上旬には退院することができました。
退院後も1ヶ月はステッキが手放せませんでした。手術後6ヶ月を経過して、ようやく杖が不要になりましたが、しばらくは冬期間や悪天候時の痛みが続きました。
特に最初の2年間は、時に夜も眠れないほどの痛みがあり、就寝時は電気毛布などで対応できましたが、起きている間は腰に毛布をぐるぐる巻きにして冷やさないようにしました。
しかしこの状態、ロングスカートをはいているようで、とても他の人には見せられるものではありませんでした。もちろんこの「スカート」は長すぎて引きずるので、このまま外出することも不可能でした。
さらに、当時住んでいた下宿の隣家から、私の部屋が丸見えの状態だったので、昼間でもカーテンを開けることもできませんでした。最悪の場合に備え、ガウンを羽織ったりしても、ガウンは膝丈しかないので、「スカート」は全体の1/3しかカムフラージュできません。
それでも、冬期間の疼痛は2シーズンで落ち着きました。

IV.その後の経過(1)
歩くことは可能にはなりました。しかし、一番期待していたものはまるっきりの期待外れでした。
リハビリでは、以前の病院と同じく、横向きに寝て足を上げる運動(SLR)を指示されましたが、この運動は今度も量の割にはさっぱり効果が表れません。当時の北大病院のドクターに理由を確認したら、今回も手術の時に外転筋を大幅に削ったといわれました。当時はキアリ式が改善途上だったため、致し方がなかったのでしょうが、ショックでした。以来、この運動はすっかりさぼっています。
筋力がなかなか身につかないため、すぐに可動域の限界に達してしまうのでが、基礎体力が健常者並なので、運動能力が可動域を上回り(?)、瞬発力を与えると股関節がすぐに悲鳴をあげてしまうのであります。右側はもともと正常なので、瞬発力を与えても影響は少ないですが、左側は非常にデリケートで、ガラス細工の股関節とも言われていました。
そんなわけで、手術を受けた1年後、私は運動制限がなかなか緩和されないのに苛立ちを覚えていました。
しかし、ドクターの答えは
>我々も最大限の努力はしました。しかしなにぶん末期状態だったので、歩行を可能にするのがやっとです。
というものでした。私は改めて誤診をしたドクターに対する怒りを覚えました。
その頃、以前私が診察を受けていた登別温泉の病院が、1983年秋の台風で発生した土砂崩れで被災し、操業が不可能な状態に追い込まれました。
私は思わず「ざま〜みろ!」と言いました。しかし、誤診でめちゃくちゃになった股関節は、もう一生水泳以外のスポーツができないものとなってしまいました。
そして、私はこのときの恨みの感情を20年以上も引きずって生きてきました。

V.その後の経過(2)
それでも、現在は健常者と一緒にフィットネスクラブに通っています。エアロビダンスはドクターストップですが、水中でのエアロビステップは可能なので、普通に参加しています。(まだ始めてから半年を経過していませんが、今のところ「退避勧告」には至っていません)
プールでのプログラムが充実しているので、プールで大部分の時間を過ごすことが可能なのがありがたいです。LDを露呈することもありますが、マイペースで運動できるのでさほど問題にはなりません。
皮肉なことに、フィットネスクラブで運動していると、小学校の平均台での転落事故で発生した古傷の痛みが、安静にしているときよりもむしろ少なくなります。(もともと痛くても動かすことが可能なので、痛みがストレスに起因するものかもしれない)運動にまつわるフラッシュバックも、水中エアロビに出られることが判ってから少なくなり、気がついたら過去の医療過誤をみんな忘れていることもあります。
PMLのモットー「あきらめない、できる範囲でがんばる」を以前よりも一段と高いレベルで実現可能にしたことで、自信になりました。

VI.明日に向かって
ただ現状を嘆いているだけでは明日はありません。
確かに、障害者であるという事実を否定することはできません。無理をして明日から(陸上で)エアロビクスダンスを始めたら、1ヶ月後には左足がそっくりそのまま切断されるかもしれないのです。
だからといって、変形性股関節症は何もしないでいても悪化します。
こういう時こそ、与えられた条件の中で何ができるかを模索しなければなりません。
幸い、私は水泳以外全面ドクターストップでも、クロールで150mを泳ぐことができます。
末期を経験しているにもかかわらず、20kmの連続歩行にも耐えることもできます。ロッククライミングなどを伴う本格的な登山は無理ですが、ニセコアンヌプリや大雪山の黒岳・旭岳も征服しました。2007年には、北アルプスの乗鞍岳の征服にチャレンジする予定です。

日常生活に不便を感じることもそうそう多くありません。

VII.おさらい
このようにして、今までの診察経過をおさらいしてきましたが、おさらいの段階で次々明るみに出る驚愕の事実に、私自身、改めてショックを感じることも度々ありました。
また、体力作りのコンテンツを調べる課程において、腰痛体操のマニュアルなどを検討したところ、末期患者にはドクターストップの運動があることを知り、誤診を働いたドクターに対する恨みがぶり返したこともありました。
フジテレビにダイエット体操の内容に関して抗議のメールを送ったこともありました。
その一方で、末期でも可能な運動メソッドが思った以上に多彩であることにも驚きを隠せません。
でもこれらは、20年以上もの間ベストコンディションを保ち続けているとはいいながら、ずっと危険と隣り合わせの状態に置かれてきた股関節を、1日でも長くベストコンディションを保つために必要なステップです。
人体に68ヶ所(脊柱と顎関節を除く)ある関節の中で、故障が発生したとき最も日常生活に対するダメージが大きいのが股関節です。
無理をさせることはもちろんできませんが、全く動かさないのも股関節を「錆び付かせる」ことになります。

今回のプロジェクトは、各方面から戴いたアドバイスを、変形性股関節症でお悩みの皆様方に還元することが目当てです。
症状が千差万別なので、全ての患者様に適用できるわけではありませんが、御参考にしていただけたなら幸いです。

(注1)大腿骨骨頭部の頂上と、股関節のすり合わせが始まる部分との間のなす角。説明図では赤い線で示してある。通常は+30度程度だが、+25度以下の場合、臼蓋形成不全とされる。私の場合、CE角が−45度という桁外れの値を示していた。
(注2)大腿骨骨頭部の中心を通る水平方向の直線と、股関節のすり合わせが始まる部分との間のなす角。説明図では青い線で示してある。通常は+30度程度だが、+40度以上の場合、臼蓋形成不全とされる。私の場合、シャープ角も+82度という常識外れの値を示していた。シャープ角は+90度以上になることはない。

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