昨日の記事について
テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群ところが昨日の記事では、直接彼らに対峙する人々の立場から、アスペルガーの人たちは我々にこういう感情を引き起こすので、うっかり失言をしてしまいやすいと書いている。リアルというか臨場感があるので、ちょっとむっと来る人もいたと思う。
不愉快な感情を抱く大きなポイントは、失言する人たちにもそれなりに背景があるので、一概に失言の人のみ悪いとは言えないといった論調なんだろうと思う。「失言を誘う」という言い方が、「失言したのはアスペルガーの人たちの責任もある」という言い方にも見えるから。
まあ、そういう気持ちは全然なかったのだが、ああいう書き方ではそのような気持ちを抱く人もいても仕方がないと後で思った。書き方を工夫したら少しは違ったと思うが、ああいう切り口だと、どうしてもそういう感じになってしまうような気もする。
時々マスコミなどで、「いじめ」を受ける側にもそれなりに落ち度がある、などと取り上げられているのを見ることがあるが、それとあまり変わらないのかもしれないと思った。いじめで被害を受けているのに、まるで加害者的な要素があるような書き方だからだ。
しかしたまにはこういう風な記事もないと、一般の人にアスペルガーの「コミュニケーションの問題」、「被害妄想的な感情」、「恨みを抱くこと」などの一連の繋がりが、リアリティを持って理解できないような気もしている。この記事で不愉快な気持ちになった人もいるだろうが、このような逆転移があるので、今後彼らに接するときに気をつけようと思った人もいるだろうから。特に、僕はこういう感情はアスペルガーだけに限らず、精神科疾患の人たちに接する人たちはいつも留意しなくてはならないと書いている。
今回のエントリは正直、失敗したと思っている。なぜなら、このブログは3000人くらいの人たちが見ているので、2人も不愉快のコメントをする人がいるということは、相当数の人たちが同じような感情を抱いたはずだから。そういうのはこちらも良い気分はしない。実はこのエントリとペアになっているエントリがもう1つあるのだが、はっきりいって今アップする度胸なし。というか、アスペルガーのエントリは難しいね。今後、アスペルガーの記事はなるだけ避けたほうが良いのかもしれないと思った。
1 ■不快に感じたのはこの箇所
>これは想像するとちょっとウケル(柳原可奈子風に)。