アスペルガー症候群は、そう診断してしまえば、もう何も言うことはないのでそれだけは便利だ。もし強迫性障害があったしても、あるいは幻聴があったとしてもアスペルガーで包括できるから。統合失調症の場合、例えば強迫があったとしても、並列して診断することはない。本来ね。
診断するとこんな感じ。
統合失調症(強迫を伴う)
こういう診断の場合、カッコ以下はないならなくても良いのである。操作的診断法の場合、いろいろな疾患っぽい名前が羅列されるので、バカ丸出しの診断名になる。
時々インターネットで「統合失調症+アスペルガーです」というような書き込みをみるが、これは明らかにおかしい。生物学的に、この2つは別物だからだ。生来のものとそうでない思春期以降に発病するものを一緒にしてどうすんの?と言いたい。小一時間問い詰めたい。
「統合失調症と診断されているが、アスペルガーかもしれない」と言うなら、まだ許せる。
アスペルガーは診断名としてはあっても良いのだが、ちょっとそれらしくないのは、正常から異常まで連続していること。これだけは精神疾患っぽくない。統合失調症にしても双極性障害にしても、そのようになっていないからである。
アスペルガー症候群の子供で、健康域に近いがそれなりに障害が見える人たちに、どのように家族は接したら良いだろうか?
これは書物をみると、「その子の良い面を伸ばすような接し方をすべき」くらいに書いてあるが、あまりにも抽象的だと思う。これはたぶん医学的には「保存的に様子を見よ」という感じだろうと思う。
僕は可能なら、もう少し治療的に接することが良いと思っている。なぜなら、このような書物の方法は、最初からその子の治療を諦めているような感覚に陥るからだ。
僕は、
「近所の人に会ったら、その人の目をみてきちんと挨拶するようにしなさい」
というのが良いような気がしている。目が合わせられないなら、とにかく挨拶だけでもするように言う。もちろん、これは例えば4歳くらいの子に言う必要はないし、むしろその年齢での強制はストレスになりチックが生じかねないと思う。たぶん時期としては小学2年生くらいが良いと思われる。その時期は、このような子供はきちんと挨拶ができない。厳密に言えば、人と目を合わせて話すことが苦手だったりする。
なぜ挨拶をしなければいけないか、逆に問われるかもしれない。その時は、「お母さんが恥をかくから」と言った感じが良いような気がしている。アスペルガーの子供はお母さんは好きなので、「お母さんが恥をかくならしなくちゃ」、くらいに思うことが多い。だからまだ可能性があるのである。
この挨拶だが、結局はコミュニケーションの訓練なんだと思う。これは前頭前野を少し刺激し活性化することにも繋がっている。成長の過程で、何もしないで放置よりははるかに良い。小さなことだが、そのくらいから始めるしか仕方がない。
こういう風にしていると、○○さん家の子供は以前より明るくなったとか、礼儀正しくなったという良い評価が伝わってくる。そういう話を夜の食事の時に、家族みんなの前でその子に話し、誉めてやるのである。
子供は叱るよりは誉める方が良いに決まっている。
よくみると、これはパブロフの犬のオペラント条件付けになっている。
(読者の方から指摘があり、「パブロフの犬はレスポンデント条件付け」。オペラントはスキナー氏によるものとのことです。)
(もちろん、このレベルより障害が重く、これすらできない子供も存在する。これは就学しており、ある程度社会生活ができている子供たちが対象である。)