呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義
第1章 呉零戦に関する疑義
所沢へ修復に出す前の零戦 呉市海事歴史科学館準備室収納庫にて
第1節 呉市職員の虚言癖 所沢を東京都内と偽る
零戦復元修復工場名を尋ねた質問状に対する回答
2003/12/18
佐伯邦昭様 呉市企画部 海事 博物館推進室
(挨拶文省略) いつも科学館の建設につきまして、気にかけていただき誠に有難うございます。ご質問の件でありますが、現在、零戦の機体は東京都内の航空機整備業社におきまして修復中です。平成17年3月までに修復業務を完了する予定になっておりますのでよろしくお願い申し上げます
・ ア この公文書に書いてある修復工場名について
梨のつぶて状態であった呉市海事博物館推進室が、零戦の修復先をやっと答えてくれました。しかし東京都内の「航空機整備業社」とは面妖な。後々解明しますが、呉市職員の虚言癖はここから始まりました。虚言(きょげん)とはうそつきのことです。
妙な回答だなと思いながらも、私は東京都というのを信じて日本航空協会、国立文化財研究所、国立科学博物館その他で航空機の復元に当たった経験のある方々に東京都内の航空機整備社というのを調べてもらいました。
ロバート ミケシュさんの影響で日本にも航空機修復の理論がありますので(図書室3参照)、呉零戦の貴重な価値からして、そういう人達に監修してもらっているに違いないと思い、その線からたどれば工場が分るだろうと考えたからです。すなわち、公共団体である呉海事歴史科学館なら機体の正しい戸籍調べを行い、過去に京都と白浜で行われていた修理が徹底的に見直され、最高とはいかないまでも今日のレベルで納得のできる産業文化遺産にしてくれるだろうとの期待をした訳です。
・ イ 見事に騙されました
私の依頼に対して、或る人は、ラバウル帰りの零戦(国立科学博物館)を修理した実績のある調布市の工場まで聞きに行ってくれたりしましたが、誰からも一様に東京都内にはそれらしい工場はないとの回答が来たのでした。
そして、かなり後になって、それは埼玉県所沢市の霊園そばの名もない小さな町工場で作業が行われているのを知りました。修復を契約した相手先は都内居住の会社のようですが、呉市に尋ねたのは修復工場の名称と所在地でした。回答からすると所沢市は東京都内と思っているようですね?このあたりから呉市職員の私に対する虚言癖が始まっています。だまされた私の方が悪いのでしょうか?
・ ウ 監修者名について
修復業務監修者名を尋ねた質問状に対する回答
2
003/12/25佐伯邦昭様 呉市企画部海事博物館推進室
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の建設につきまして、いつも気にかけていただき誠にありがとうございます。
さて、質問がありました零式艦上戦闘機修復業務につきましては、専門家の監修を得ながら行っております。監修者名につきましては、個人情報となりますので公表することはできません。ご了承下さい。
なお、貴ホームページ上に掲載されております当推進室収蔵庫保管中の零式艦上戦闘機写真は、当方の掲載許可を得たものではありません。掲載はご遠慮願います。以上よろしくお願いいたします。
この手紙には、監修者名は個人情報だから教えられない、と書いてあります。私は搭乗員に監修してもらっているというのはうすうす聞いていたのですが、その方の希望で名前を伏せているのだろうと解していました。
ところが、大和ミュージアムがオープンしてみると零戦の前に「吾妻常雄」という名前が示され「今回の機体修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました」と個人情報が堂々と書いてあるではありませんか。
個人情報の扱いを都合のいいように変えてしまう呉市の虚言癖がここにも現れています。佐伯ごときに吾妻氏の名前など教えられるかという意識なのかも知れません。・ エ 佐伯を脅したつもりか?
都合の悪いことを隠してはいけないので、上記のなお書きの部分について説明しておきます。これは、私が、和歌山零パークのページに零戦が呉に引き取られたことを示す小さな写真を1枚だけ載せていたのを見つけられての脅しです。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲をよく観察してくれているようです。
しかしですね、ヒコーキ雲は商業目的じゃあるまいし、その程度のことに目くじらをたてるのなら、もともと収蔵庫に引き入れて写真撮影を黙認した職員にも責任が及ぶじゃないかと反論し、メールを出しましたら、もう応答はありませんでした。多分、大人気ないと思われたのでしょうが、しかし、争えばこちらの負けなので写真は取り消しました。
この手紙は、たったこれだけのことをA4用紙に書いて、なんと350円も出して速達便で送りつけてきました。速達にした理由は? 文書後段の写真の件で心理的な圧力をかけたと解されますね。私は、 海事博物館準備室における或るボランティアの案内人の愚痴を忘れません。
「職員は、偉いさんや知人が来るといくらでも収蔵庫へ案内するのに、我々には見せたらいけんと言う。勝手なもんだ!」
その辺の規律はきちっとしていたのでしょうかね。いずれにしても、350円も速達料金を払って、このような虚言を送りつける都市は、そうザラにはありません。呉市の納税者は公金支出に鷹揚(おうよう)なものだとつくづく思います。
第2節 なぜ見せないのか 3
呉零戦の観覧上の問題点をいくつかあげておきます。
・ ア これ見よがしのタラップ
機体左側に大きなタラップが常時置いてあります。それは整備作業用であって、希望者が上がって操縦席などを見ることはできません。
入館者の何割が操縦席内部を詳しく見たいかはさておいて、偉いさんが望めば使わせてあげるのだろうと皮肉っぽく語っていた人がいましたが、そう受取られても仕方がない置き方です。誤解を生まないように、せめてタラップを隠す工夫をしたら如何なものでしょう。
・ イ 2階デッキから計器板などは見えない
呉零戦の計器板は、N さんが可能な限りの考証を行い、大変な犠牲を払って実物に近いものを作って装着したことを多くのマニアが知っています。だから、つぶさに拝見したいのは人情というものです。マツモデルデザインさんが納入した照準器も同様です。
2階デッキから、それが見えないことはないですよ。邪魔になる窓枠の風防ガラスを通して。しかし、温室の花を遠くから間接的に見せるようなもので、欲求不満が昂じて不愉快になります。
せめて開館時間中は風防を開けておき、双眼鏡でも備え付けるサービスはいかがなものでしょう。もしくは、もう1 セット作って貰って下へ展示してはいかがでしょう。 それとも、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地史料館へ行けば、タラップがあって操縦席をのぞきこむことができますから、零戦のコックピットを見たい奴はあっちへ行けですかね。
官僚的展示の典型の館 (呉) お客第一を考える館 (鹿屋) なお、以上は観覧者としての立場から佐伯の考えであって、N さんは、相当程度のものが復元できただけで感謝、見せる見せないは問題ではない、またマツモデルザインさんも館の勝手だと、それぞれ言われているそうですから念のため付け加えておきます。
・ ウ 手で触って壊れる戦闘機か
入館者の中には信じられない行動をする人間もいますから、要所に立札を置いて注意を喚起するのは当然で、呉零戦のそばにも立札がふたつ立ててあります。
この注意書きをゆっくりと読んでみてください。「デリケートな構造」とか「壊れやすい資料」とは如何なものでしょう。間違いではないにしても、最強を誇った戦闘機がガラス細工みたいなものですか? 強度試験をした技師が笑っているでしょう。大切な産業文化遺産だからとか腐食していて危険だからとか、もっと適切な表現があるじゃないですか。それと、布張りと書いていますが、修復工場ではビニールを貼ったと聞きます。一般に壁クロスなどというので、クロスを訳せば布でしょうが、ポリ塩化ビニ-ルを素材とするものを羽布と混同するような表現はごまかしじゃありませんか。
なお、06/18現在で、このように更新されていました。ヒコーキ雲への挨拶はありませんし、表現には、まだ問題を残しています。
![]()
・ エ 何故 肝心の部分を逆光の位置に向けるのか?エンジン整備の失敗を隠すため?
機体の左手前に展示されている栄31発動機も重要文化財級の産業遺産です。サンディエゴにある零戦62 型のエンジンについては詳しく知りませんが、こちらは琵琶湖から引揚げた時に、減速ギアケース表面に書かれた文字によって「栄三一型甲」型であることが確認されていますので、間違いなく日本でただ1基しか残っていないエンジンです。嵐山の修復時に渡辺武氏が撮影したカラー写真に赤の甲と、サカエの浮き彫りを白エナメルでえどったと思われる文字が明瞭に見えています。
その時は、恐らくそのままの状態でカウリングが取り付けられたため、約25 年間さわられることなくオリジナルで維持されてきたはずです。
呉市に運ばれて、海事博物館備室倉庫で見たときには、減速ギアケースの表面は埃をかむって粉を吹いたような状態で甲もサカエも全く見えませんでした。右の写真のとおりです。
それを、どういう意図か甲の丸い部分を残してケース全体が新品同様になり、薄緑色(青竹色?)に塗装されて展示されました。説明板に「エナメルで甲の文字が確認できることから〜」とあります。見物人は、どこに書いてあるのか目を凝らして探します。しかし、甲の文字が逆光側に向けてあるため、よほど注意しないと肉眼では見えません。
レンズを望遠にして、ロープから身を乗り出して腕を一杯に伸ばしてフラッシュ撮影して、家に帰ってパソコンに取り込んでみて、なるほどこれなのかと、わかる仕組みです。
この不親切な置き方は、単なる配慮不足なのでしょうか。
少々うがった見方をすると、わざと逆光に置いたのか? と思えなくもありません。
・ カ 非学術的保存処理の典型
呉市はエンジンをマツダE&Tに修復させました。マツダの職員技能研修として行ったと新聞に出ていましたが、この写真を見て なにやら奇妙な感じを受けませんか?
丸に甲の字のところだけを残して、きれいに磨いてべったりと塗装されてしまいました。はなはだ非学術的保存といわなければなりません。
表面を注意深く洗浄して、腐食をふせぐ透明塗料を塗っておけばいいものを、痕跡を隠すみたいに厚化粧させ、甲の部分だけ証拠として残しましたとは、全くお笑いです。
この一事を見ても、エンジン内部がどのように無茶苦茶にされたか、およその想像がつきます。日本に1台しかない栄三一型甲は、こうして価値を下げていっているのですね。
第3節
この粗末な仕事 日の丸への冒涜 2小さい問題のようですが、大和の模型が素晴らしいと万人がほめているそばで、零戦がなぜこんなに粗末に扱われるのか悲しいので、どうしても言わせて貰います。この写真は左主翼上面の日の丸のクローズアップです。明らかに外縁を修整しています。肉眼でも分ります。
もともとの直径が間違っていたか、位置がずれていたかでしょう。修整は素人くさい筆遣いで、色も違います。今どき模型の無料展示会でもこんな塗装で出したら物笑いになりませんか?(大和ミュージアムはお金を取って見せています)
・ 問題点
ア 呉市は何を考証していたのかという基本的な欠陥
イ 業者に対する仕様書の欠陥、中間指導の欠陥
ウ 納品後誰かに指摘されるまで、日の丸の位置と寸法を確認しない検査の欠陥
エ このような幼稚な修整を平気で見せている科学館感覚の欠陥
こんなお粗末な日の丸を画かれた零戦がかわいそうです。嵐山零時代の方がはるかに鑑賞に耐えられるものでした。なお、アとイに関連することで、零戦が所沢から呉へ納入されてきたときにエンジンカウリングの艶消し黒が操縦席際まで塗られていて、これは関係者の指摘で呉市もすぐに修正させました。
事の真相は、所沢の業者が代金を中間搾取されて半分の4千万円しかもらえないので、嫌がらせに塗ったのだと巷間言われています。
第4節 経歴は科学的根拠に基づくものか? 4
文林堂航空ファン編集者が呉市海事歴史科学館から聞いたところでは、下記説明板の内容は学術調査の結果によるものと言っているそうです。
「昭和53(1978)1月に引揚げられたものです。」という部分は疑いのない事実です。(京都嵐山美術館と零パークの零戦参照) また、「明治基地第210海軍航空隊の所属機でした。」という部分も、尾翼に残っていた文字からの追跡研究により確定しています。
問題は、「吾妻常雄海軍中尉が操縦飛行中〜不時着水し 」の部分です。そうかもしれないというニュアンスではなく、断定の書き方です。呉市は、どのような調査によって吾妻常雄海軍中尉の搭乗機と断定されたのでしょうか。科学館を名乗っている以上は、このような説明板も十分な根拠をもって作成されているものと思います。それを明らかにしていただきたいのです。
(お断り)
以前、このことを書きましたら、お前は吾妻さんを誹謗(ひぼう)するのか、吾妻さんのような人格者を疑うのは失礼だ等々、零戦の会もしくはその同調者らしい人々(偽名はKoとかWaですから或る程度特定できました)から、お前はけしからん奴だという抗議が殺到しました。 また某掲示板においてもさんざん叩かれました。私は、吾妻搭乗機じゃないと言っているのではありません。また、吾妻常雄さん個人について書いているのでもありません。吾妻機であったか、そうでないか断定する資料を見たことがないし、少数ですが私と同じ疑問を持つ方もいるので、呉市が吾妻機と断定して書いている科学的な根拠 ー学術調査なるものの中味を問いかけているのです。
旧日本軍機に詳しい方の説明では、搭乗員というものは自分が乗った飛行機の細部はほとんど覚えていないそうです。次は某掲示板の書き込みの一部を引用させていただきました。
○ 60年も前の機体細部・形式の事を詳細に知っている搭乗員の方は少ないと思います。
○ 乗員が自分の搭乗する機体の型式を細かく覚えていることは稀で、二一型と三二型のような場合を除けば、飛行隊長クラスであっても自隊の装備機が何型であったかを記憶されていない方もおられます。
○ 吾妻氏のログブックや事故報告書又は行動調書等から事故当時の氏の搭乗機が210-118号機だと断定されていれば疑問を持つ必要は無かったのですが‥‥
また、或る人は一般論として次のように言っています。
○ 「いつ何処で誰が何をしたか」という基本的な事実について「関係者」の回想は決定的な証拠とはなり得ません。それらは残存する公文書等で裏打ちされて初めて事実として客観性を持つものです。歴史学的な手法とはそうしたものです。
そうでしょうね。琵琶湖へ不時着水のご本人の記憶が一致するというだけでは状況証拠に過ぎないし、物語にはなり得ても、学問として成立するのかどうか疑問です。搭乗員は細部まで覚えていないのが普通だということになればなおさらです。
断っておきますが、零戦マニアが信じているのをどうのと言うつもりはありません。公の施設が、疑問の残ることを、あたかも正しいもののごとく入場者に説明しているとしたら、人々を愚弄するのも甚だしいと言いたいのです。90%正しくても10%の疑問が残れば、それを明らかにしておくのが科学館としての良識、常識ではないでしょうか。
しかし、呉市は吾妻常雄氏を監修者とし、「今回の機体修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました」と堂々と書いております。聞くところでは、吾妻氏の協力というのは修理現場の見学程度という人もいます。細部を覚えていない人が何を協力や!という訳です。
また「協力を得て行われました」という三人称のような言い方も気になります。呉市には修復の責任がないみたいです。吾妻氏がどう思っておられるかは知りませんが、客寄せパンダもしくは権威付けのために呉市に名前を利用されたのでなければいいですがね。
この点に関する興味深い質問と回答が零戦の会の掲示板に載りましたので参考までに要約して紹介しておきます。
零戦の会の掲示板に出た質問と回答の要約
2005/11/13(日)12:56 某氏
この掲示板【零戦の会3438】で「吾妻さんの零戦」と書かれてあるとおり、同館に展示されてある機体は、本会副会長である吾妻常雄氏が操縦中にエンジントラブルのため琵琶湖へ不時着水した機体とされているが、ネット上において同機が吾妻機であると100%断言できない、呉海事歴史科学館が断定したように表記しているのは如何なものか、という意見が出ている。これについて会はどう思っているのか。呉海事歴史科学館が復元展示に当たって吾妻氏の協力を得たというのは、飛行記録などの資料があったのか? 吾妻氏の機体と断定した経緯について存知の方がいればご教授頂きたい。2005/11/13(日)14:22 副会長名による答え
そのネット(インターネット航空雑誌ヒコーキ雲のこと)については当会は預かり知らない。また、当会有志が戸高館長のご案内で大和ミュージアムを見学したことはあるが、呉市と当会との間には、まったく接点がない。色々あるはずの資料の中から、呉市がどの部分まで見ているのかも知らないし、呉市がどのように断定したかなど、知る由もない。呉市が「吾妻常雄氏の協力を得た」と表現するのは呉市のいわば勝手であり、呉市がどの資料に基づいてこう表記しているのかは、当会ではわからない。おかしいですね。
この副会長(吾妻恒雄氏も副会長の一人)回答にあるように吾妻副会長以下零戦の会一行が訪れて館長の案内を受け、零戦に対面していますが、「今回の機体修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました」なる説明板を誰も見ておらず、そのことが話題にもならなかったのでしょうか。呉市と零戦の会の接点がないのに、副会長が専門家として監修したとはどういうことでしょう。会とは関係なく吾妻個人が積極的に監修したと言われるのなら、そのようにお答えになればいいでしょう。副会長なのですから。
なお、参考までに、呉市の対応について、私のところに実名で来ているメールの一部を紹介しておきます。
○ 〜操縦席の前まで真っ黒に塗って呉市へ搬入したのは、金を十分に貰えなかった業者の嫌がらせで、わざとやったものだ〜
○ 〜職員から、名前を宣伝してやるからタダで納めろといわれた〜
○ 〜日の丸の位置等、塗装の間違いが随所にありました。〜はじめから厳密に考証して塗装すれば、こんなことにならなかったわけで、どうもいろいろ詰めの甘さの多い科学館です〜
○ 〜今迄の呉の対応を見ていると、今回ボランティアで係わった多くのマニアに責任が転嫁されかねない雲行き〜
・ 本当に六二型ですか?という投稿 masaさんから 2005/11/15
和歌山県白浜零パークで展示されていた零戦が、 六三型だと言われ続けられきたものが呉海事歴史科学館では学術調査にて六二型だと断定されています。しかし、取扱説明書には、水噴射装置を装備していない五二 型丙でも「胴体内に内袋式防弾タンク新設し不時放出弁を設ける。」とあります。
これは防弾タンクを装備した場合、外翼と内翼の燃料タンク容量が150 リットル程減少してしまうので、胴体内に140 リットルタンクを増設しようとしたためだと思われ、通説である「六三 型では胴体タンクが水メタノール液タンクに充てられたため、後部胴体内部に、新たに140 リットル入りの燃料タンクを装備するようにした。」は、どうも間違っているように思われます。
つまり六三 型が廃案になり、六二型の後部胴体の140 リットルタンクを装備されたのではなく、五二型丙の後期に採用されたと考えられます。機体によっては埋め込み式の爆弾架が装備されているのに胴体タンクが装備されてい機体もありますが、空襲による部品不足が影響したためでしょう。
はっきり言って、五二 型丙と六二型の区別はデータステンシルでしか確認する術が無く、呉零戦を資料から六二 型と断定するの非常に難しいと思います。私も、科学館としての学術調査の内容を公開してもらうようお願いします。
第5節
業務委託先を小笠原臣也前市長が公開してしまった 6呉市がひた隠しにしてきた零戦修復業務の委託先を、何と呉市の前市長小笠原臣也氏が著書で明らかにしてしまいました。 2007年5月芙蓉書房刊 『戦艦「大和」の博物館 大和ミュージアム誕生の全貌』に
「零戦修復業務は(株)シーフィールドに委託した」と書いています。調べてみました。東京の赤坂会計事務所が紹介している企業ホームページの中に、東京都中央区日本橋兜町17 丁目1 番株式会社シーフィールド商事がありました。社長は第7節で名前をあげた元航空自衛隊員の伊藤祐彦氏、展示品に「1939年日・ソ両軍の国境紛争 ノモンハン事件に於て、実際に出撃したロシアの復葉戦闘機を所有 売却又催しの展示にも賃貸可能 」などと書いてあります。
(株)シーフィールド商事は呉市役所から8千万円で零戦修復業務を受託したのです。
以下は既に何度か書いている伝聞です。(株)シーフィールド商事は○千万円で所沢の町工場へ下請けさせたらしいということ。そこを見学した人の話しでは、伊藤祐彦氏が常駐しているわけではなく、かなり任された形での作業が行われていたということ。修復作業に問題ありと声を上げかけた人が何者かに脅されたため、以後沈黙したということ。修復費用をまともに貰えない町工場主が、最後にわざと塗装を変えて嫌がらせをしたということ etc。
もし、下請けへの丸投げに近い形であれば、もちろん法律(契約)違反です。呉市役所は(株)シーフィールド商事に修復作業場や技術者がいるかどうかを確かめずに、あるいは無いことを黙認して契約したとすれば、国民的財産とも言える大切な産業文化遺産に対する冒涜も甚だしいです。仮に所沢の親父さんが零戦に愛着を持って修復に当たったとしても、それが考証に値するものであったかどうかの保証はありません。
皆さん、呉市役所が委託先をひた隠しにしてきた理由がこれでわかるではありませんか。なにしろ、マスコミに対しては、所沢から搬出する7日前になって、光人社丸編集部だけに所沢の所在を知らせ、その他には大和ミュージアムへの到着予定日だけを教えるという徹底した報道管制を敷いていたのですから。戸高一成館長は、本当は株式会社シーフィールド商事のことを一般に知られたくはなかったでしょうが、人の好い小笠原前市長が何事も部下がちゃんとやってくれていると信じて執筆してしまったものと思います。
琵琶湖の湖底から引き揚げられ、嵐山美術館から零パークと民間理解者の手にあった零戦が、ようやく公共博物館の手に渡って、科学的考証で見直され、その過程も公表されて零戦の謎解き、ひいては戦時科学技術の暗闇に光を当ててくれるだろうとの期待は、こうして杜撰(ずさん)な行政の手でねじ曲げられてしまったのです。
・ たかが模型に過ぎない大和にくらべて、冷や飯扱いのレイセン
このプレートは大和模型のそばにあります。館長戸高一成の売名行為だという人もいます。それはともかく、
模型に過ぎない大和の製造業者に対してはこれだけの敬意を払うのに、実物の航空機であり、かつ大和以上の名を世界に轟かせた名機の傍らにはそのようなものは見当たりません。片手落ちではありませんか? 業者名を隠す戸高一成館長の真意は奈辺にあるのでしょう。
零戦修復に8千万円もかけたのなら、このようなプレートに修復業者の名を掲げてもおかしくはないでしょう。学術的かどうかは別として、所沢の町工場の親父さん以下の作業者は情熱を込めて修復作業に当たったのですから。
聞くところでは、三菱重工業関係者やマニアを含めて日本海軍機に詳しい方々多数が呉市に対して何かと資料を提供しアドバイスもしたそうですが、4階エレベーターホールにある寄付者・協力者一覧には、それらしいお名前はひとつも載っておりません。 冷や飯扱いのレイセンです。
一歩下がって、見え透いた寄付者・協力者一覧表に掲示の必要はないとして、またどこに修復を委託しようが構いません。戸高館長以下が戦時最高級の科学技術文化遺産であることの認識をもって、学術考証のもと予算上可能な限りの原型復旧作業を監督し、その経緯が広く公開されるならば、以上に掲げた疑義は解消されるのであります。
皆さん、如何でしょうか。声をお聞かせください。
(注) 伝聞による部分については、呉市長から契約書・仕様書・下請届・納品書などの根拠を付してご意見を頂ければ、速やかに削除または訂正するにやぶさかではありません。