2008-09-18 20:16:25

社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
社会的な地位が桁違い高くなると疾患が問題にならなくなること。周りがその人に合わせてくれるような環境。そのくらいの地位。例えば、弁護士、医師、大学教授、大学の教官、会社の風見鶏的オーナー、作家、画家、漫画家などである。これは過去ログから。

この意味で精神疾患は社会的な要素が高いといえる。例えば今この状態は病気と言えるが、100年前ならば病気と扱われなかったようなものもある。余談だが、一般に統合失調症の場合、社会的に地位が桁外れに高いケースでは、あまり病気が問題にならない傾向はある。桁外れに高い地位とは、大学教授や風見鶏的な会社オーナーとか作家や画家などである。彼らは周囲の者が合わせてくれるので、まあマイペースでやれるというか、ちょっと変わった人だけど・・くらいで済んでしまうのである。(「精神疾患と社会とのかかわり」から)

そのような社会的地位では、ちょっとばかり変でも周りから仕方がないと思われていたりする。それはそれで手放しでは喜べないんだけど。

まあ、困りながらも周囲はサポートする。彼はかけがえがない存在だからだ。いつもそのような環境にいると、本人も自覚がない。病識もない。随分迷惑をかけているかもしれないことは意識できない。しかし、「この自覚なし」、「病識なし」で済む環境だからこそ、微妙なバランスが取れているのであった。

真に孤独な仕事の場合は、そこまで迷惑がかかっていない。個人で行う創造的な仕事などはそうだ。その環境では、究極の1人勝手でもまだ大丈夫なのである。

変に自分を意識するとか、他人に配慮しようとか合わせていこうとすると、何か病気になるかもしれない。それは精神だけ言っているのではなく、胃潰瘍などの身体疾患も含まれる。何か壁にぶつかって、それを克服できるような人。それはそれで価値があるが、危ない橋を渡ることでもある。

アスペルガーは、高知能とか高機能という意味が内在するので、その点で統合失調症とは一般人の認識が異なっている。そういうこともあるのだろう、自分にその診断がつくと自らアピールする人たちがいる。統合失調症の人たちがその診断をアピールしないのとは大きな違いだ。これは単に病識があるなしとは少し異なる認知の歪みのような気がしている。アピールすることは、自分を特別にみてほしいという言外の意味もあるのだろう。本人にとって、良いか悪いかと言えば良くはないと思う。アスペルガーは「そう悪くはない特別な疾患」に見られたいのかもしれない。

アスペルガーの家族が、すぐに攻撃的になるのはたぶんそのことと関係している。このような社会とのかかわりはたぶん周囲の人からも少なくとも快くは思われないだろう。ただ、彼らにはわかりにくいことだとは思う。

アピールすることで、何か良い事があるとすれば、本が書けるくらいであろう。

アスペルガーという診断について僕ができれば告知したくないのは、アピールするようなアスペルガーになってほしくないからである。これは過去ログのコメント欄から。

アスペルガーは正常からかなり重い人まで連続しているので、その望ましい対応は千差万別です。現在は広汎性発達障害がブームのようになっており、ブランド化しているのを僕は憂慮しているのです。過去ログもその目線で書いたものがあるし、今回のエントリもそういう気持ちが含められています。僕は、「アスペルガー症候群」と告知した時、ショックを受ける家族も、また大喜びする家族も何か間違っていると思うのです。だから、僕はなるだけ告知しない方針で臨むことにしました。(「アスペルガーと正常の間の人々」から)

社会的にその存在を主張することは、その疾患の治癒とか寛解の方角には行っていないような気がしている。それは、その個人だけではなく、アスペルガーの社会的評価についてもそうだと思う。

このような考察から、軽いアスペルガーの中学生や高校生は専門性の高い職種を目指すべきだ。それは知的に高い職種だけではなく、そうでないものたくさんある。何か病状を悪くして疾患をアピールしなくて済むようにしないといけないと思うのであった。

けっこう年齢がいって、それなりに適応を果たしていた人たちは、軽かったのももちろんあるが、消極的ではあるが結果的にまだ社会に適応できる職種を選択していると思う。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤

コメント

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1 ■アスペは個性

私の主治医はアスペルガーは個性だと言っています。
軽症であれば治療の必要はないし、自分で自覚して生活しやすく工夫するのが1番だそうです。
私の場合、まだ正式なテスト等は受けていませんが、白黒はっきりさせたい気持ちはあります。
無論、ブランドであるとか、周囲に言いふらす気はありません。
自分の人生に納得したいのかな?

2 ■私の場合

何の脈絡も無く、突然「私はアスペルガーなんです」と、同僚にカミングアウトされたとき、正直リアクションに困りました。先生のエントリーの知識から「滅多にいないと聞いたことがありますが?」と尋ねると、「私はテストも受けました。間違いありません」とのこと・・・まさに、このエントリーの様な体験をしたわけです。
確かに、双極性や鬱病より、多少プラスのイメージがあるような気もします。しかし、告白された側の立場(しかも同僚)となると、物凄く複雑でした。聞いたからには、それに対応しなければならないのかととも考えてしまいました。
kyupin先生の考え方に、体験者として賛成です。

3 ■質問です

お世話になります。
アスペルガーの家族が、すぐに攻撃的になる・・
というのは、どんなエピソードがありますか?

4 ■質問

kyupin先生、いつも興味深く拝見しております。
今日のエントリで1点、お伺いしたいことがございます。

>軽いアスペルガーの中学生や高校生は専門性の高い職種を目指すべきだ。それは知的に高い職種だけではなく、そうでないものたくさんある。

「他に代われる人がいない」ような知識なり、技能なりを持っていれば、ダメージを比較的受けずに生きてゆけるということでしょうか。
それならば、早いうちに告知を受ければ、本人にとってより相応しい進路を選びやすいのではないかと思うのです。
kyupin先生が、なるべく告知しないようにしていると仰るのは、既に成人したアスペルガーの患者さんでしょうか?

5 ■今日

区役所で書類を買いに。どれなのか?
そして案内の人が。身分証明はありますか?
たまたまポケットに手帳が。これでいいですか?
少しお待ち下さい。
大丈夫ですよ。それから何回もきて丁寧に教えてくれました。かつは理解力が相当鈍くなり助かりました。そこだけで疲れはててふらふらになりました。

6 ■わかる気もしますが

確かにアスペの人で誇示したいタイプはいますね。
でも、実際は困っているから先に言えばわかってもらえるかも、ということなのかもしれないと、私なんかは自助グループを主宰していて思います。もちろん自助に来る人がそうなだけで、アピールできる人は困っていないから来ないかもしれませんが。

他人に合わせることは危険というのは、とてもとても納得です。私はやりすぎて双極性障害を発症してしまいましたし、激鬱エピソードも発生しています。AD/HDの診断は、自分の出来ない部分が何から来るのかを知りたいと思ったからです。今は自分のパーソナリティの一部だと認識していて、表面的には出さないようになってきました。
大事な人にだけはカムアウトしますけどね。

7 ■画家や漫画家

社長や教授が社会的な地位の高さから問題が少ないいのはわかるのですが、画家や漫画家は少し違う気がします。ゴッホや山田花子など後者は悲劇的に亡くなった後でなくては評価を得られなかったのだし、画家や漫画家で統合失調症やアスペの人は少し違う気がします。草間彌生のような例もありますが。

8 ■正しい理解を

アスペルガー症候群と言えば、犯罪者の様にマスコミが騒ぎ立てたり、書き立てる為に正しく理解して貰う為に啓発をしているのです。
これは、アメリカの黒人差別と似た様な感じです。
アメリカでは黒人=犯罪者または罪を犯す者と言った認識がされ、アメリカの黒人達はそう言った差別と長年戦って来ました。
白人警官による暴行事件も度々ありました。
現在は、そう言った戦いの末にかなり理解が進んでパウエル国務長官と言った黒人の長官が就任して以来、現在の国務長官のライスも黒人です。
話しを元に戻しますと、確かに馬鹿みたいにアスペルガー症候群と言った事でやっている人達がいてkyu先生は良く思われていらっしゃらないかもしれませんが、世間はまだまだアスペルガー症候群について誤解をしているのでその誤解を解く為に啓発しているのです。
kyu先生はあまりこの方の本を読まれる事を好まれないかもしれませんが、一度臨床心理家の井上敏明氏のアスペルガー症候群と言った本をお読みになって下さい。
井上氏が世間のアスペルガー症候群に対する誤解についてどれ程の思いでやられていらっしゃるかお分かりになると思います。
因みにkyu先生は『精神病者の刑罰の厳重化に対する精神科医の声明』と言った事で厳重化に反対し、連名をされた精神科医の方々についてどう思われますか?
私の主治医はそれに名前を連ねられています。

9 ■告知

私の場合、告知されたことでよかったこともありました。

私は成人後(30才をすぎて)診断を受けました。診断を受けたのは2年あまり前です。

20代なかばまでは、少なくとも精神科受診の必要はありませんでした。
親元でモラトリアムという状態で、自分が就きたい仕事の就職試験を何度も受けては面接で落とされました。
表面的にはニコニコ暮らしていましたが、社会には不適応でした。

大きなストレスをきっかけに精神科に通院し初めてから、4年あまりでやっと診断が出ました。

診断を受けてからは、自分の希望だけでなく、適性も考えて、将来について考えています。

私はいつも自分の苦手なことを考える場合、アスペルガーのせいにしていないか、厳しく自問自答しています。

10 ■無題

なぜ自分はこうなのか、それを知りたいとずっと思っていました。
好きこのんでひとりだけ勘違いな行動をしているわけでも、「あまり」になっているわけでもないので。
その反面、この頃は、例え知ったとしてもどうなるものでもないだろう、という気がしています。
取り扱い説明書を首から提げておいて関わる人ごとに読んでもらうわけにも、自分がいつ何をどうすればいいのかを誰かに逐一教えてもらうわけにもいかないですから。
なにより、私は私以外の何者にもなれない。

職業の選択はとても重要だと思います。
状況が読めない、言葉の意図を取り違えやすいというのは、誤った行動をして顧客や職場に損害を与えてしまう可能性も高いということ。
人の命に関わる職業を選ばなくてよかったです。

11 ■居眠り猫さんへ

アスペルガー症候群だから医療系の仕事は駄目だと言った事は間違いです。
たまたま貴方にとってはそう言った事だったのです。
アスペルガー症候群の鍼灸師がいます。
杉山登志郎先生の本の中のいろんなデータの中にアスペルガー症候群の医師、アスペルガー症候群の医療技師がいる事が報告されております。
杉山先生の記載ではこの方達は対人関係においては問題があるものの、仕事に関しては真面目で一生懸命やられているそうです。

12 ■無題

統合失調症だけでなく、
人格障害から「アスペルガー」へ逃げ込んでくる患者さんも
何人か見たことがあります。

でも、『私はアスペルガーだ』と自称してしまう人には、
単なる治療放棄である場合もあるので、
悪い傾向だなあと思います。(治療=服薬、適応努力など)
何年か前のACブームに似た印象を受けます。

当事者→周囲への告知についてですが、
コミュニケーションにズレがあるわけですから
実際の当事者の気持ち以上に、
周囲が自己顕示欲や悪意を感じ取り、
結局は、更に関係が悪化してしまうケースが多いように感じます。

13 ■納得できた

アピールするタイプのアスペルガー症候群。
こちらのブログのコメントの中の「?(何とも言えない不思議感・どうしても湧いてきてしまう軽い反感?)」と思えてしまうものについて、納得できました。
“私は特別”“私の話を聞け”・・・といった匂いに反応するんだな、と。
日常的にこのモードだとすれば、大変だろうなぁと思った。
ご本人も周囲も。

14 ■戸惑い

アスペルガーって
病院や医院に診察に行かなければ病名は分からないですよね。
また、回りの親しい人が どのように接して良いか悩み 鬱病になってしまう場合もあるのでは
そんな時は。

15 ■私の個人的考えでは

人格障害からアスペルガーに逃げ込むのではなく、アスペルガーがベースにあるために精神に悪影響になるようなストレスや辛い体験が重なり、二次障害として人格障害が生じるのだと思います。

16 ■無題

>ぴた@そら
もちろん、そのことは知っています。
でも、私が言いたいのは

「アスペルガー」を称することで
『認知の歪み(=人格障害)』という問題点から目を逸らす人が
けっこういるのでは…

ということです。

「アスペルガー」+「人格障害」でも、
「グレーゾーンのアスペルガー」+「人格障害」でも、
診断名には優先順位があるので、「アスペルガー」です。

17 ■marciama様

もちろんそうです。
職業選択の自由には、誰であっても常に「能力と適性に応じて」という前提条件がある。ただそれだけのことです。
しかし、自らの能力と適性を考えることの中には、自分がその職に就くことが他者にとってどの程度リスキーかを見積もることも含まれていると思います。
逆噴射する可能性が相対的に高い人物に旅客機の操縦を任せることは、乗客が生命を失う危険性を高めることでしかありません。

18 ■無題

>アスペルガーの家族が、すぐに攻撃的になるのはたぶんそのことと関係している

???

19 ■個性ね・・・

個性と取るか障害と取るか。

問題が起こっているから医者の門をたたくわけであって、それを個性として肯定するのはどうかとも正直言って昨今の風潮に対して思います。

機能の根本的な違は性質の問題であり、それだけであっていいでもなく悪いでもないのですが、個性というのは性格の問題であり、これは捉える人間の立場によって微妙に意味が変わってきます。

であれば、これは根本的は問題のすり替えのような気がします。

統合性失調症を個性と言いわないは、仮定ですが、病気という本来の所属の性質上明らかに問題があるためすり替えが難しく、アスペルガーの場合発達障害=もともとの構造に問題=病気ではない、ためすり替えが容易なのではないかと。

私は障害だと思います。

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