統合失調症の寛解という意味
テーマ:精神疾患統合失調症の「寛解」という意味を考えるに、この陰性症状も考慮しこれがほぼないくらいまで改善しないと寛解とは言わないという考え方もある。陰性症状こそ、統合失調症の本質だからだ。本質が良くなっていないのに、何故寛解なの?と言ったところである。特にうちの大学はかつてそのような考え方だったので、
統合失調症は寛解すらありえない。
という感じであった。統合失調症に対して極めて厳しい見方といえる。そういうこともあり年配の同門の精神科医とこのようなことを話していると、考え方のギャップを感じる。
僕は統合失調症の陽性症状がほぼ消退して、多少の陰性症状が残遺していても、「ほぼ寛解状態」としている。僕は社会適応の程度を重視していて現実的なのである。それと、もし統合失調症に寛解がほぼないなら、この統合失調症向けの医学用語が存在しているのもちょっと変だと言うこともある。だから僕の大学の古典的な統合失調症症状の考え方と少しだけ違っている。もちろんクラッシックな診断学などは引き継いでいるが、そのあたりの精神医学的な見方は今風ではないと思っていることもある。
だいたい、うちの大学では「陰性症状」という言葉すらあまり言われなかった。陰性症状の定義はやはりおかしいというのがある。過去ログでも、一般的に陰性症状に含まれる「離人症」などは陽性症状的な所見と書いている。(参考)
僕のオーベン(指導医)は当時から前衛的だったので陰性症状という言葉を使っていたが、それは主に論文のためであった。そうでないと、他の精神科医と同じ土俵で議論できないし、第一、陰性症状と言う精神科用語を否定すると論文が書けない。また、DSMやICDの診断基準もそれなりに尊重していた。そのような診断基準の勉強会にも参加していたからである。その点で、彼は彼で別な意味で現実派であった。そういうこともあって後に教授になっている。
僕が卒業後7年目くらいだろうか、ある大学医局の勉強会で僕が「陰性症状」と言ったところ当時の助教授が「はぁ?」という顔つきになった。つまりうちの大学では陰性症状の概念はクラシックにはないのであろう。きっと。
その時、改めてうちの大学の特殊性を感じた。基本的に、DSMなどの診断基準は別世界と言う感じで等閑視されていたのである。
僕は今ではその時なぜ「はぁ?」になったかなど、その雰囲気がよくわかる。一般で語られる「陰性症状」は実はうちの大学ではプレコックス感やラポールに関係が深く、「陰性症状」とは言わなかったからだ。こういう流れから、「統合失調症は寛解すらありえない」ということになるのであろう。こういう風に考えると、これまでの一連のことが理解しやすく、首尾一貫していることがわかる。
こういう文脈から考えると、時間が経ってもラポールが改善してこない薬物、つまり旧来の定型薬やリスパダールのような抗精神病薬は根幹の部分では統合失調症を改善しないということになる。これらの薬は幻聴を減少させたり、激しい興奮を改善するなど明瞭に見える精神病症状を消退させるだけだ。これは治療のうち非常に重要なことではあるが、少なくとも疾病治療全体としてみればエクセレントとは言い難いといえる。(参考)
「統合失調症は寛解すらありえない」という言葉は衝撃を受ける人もいるだろうが、逆に言えば、精神医療について、高いこころざしを持っていることも表わしている。近年の薬物治療の進歩で、この部分でも以前では考えられないほど改善してくる人たちも診られるようになってきたからである。
参考
アンへドニア
ジプレキサの奇跡的な効き方について
統合失調症は治るのか?(その2)
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤
1 ■もうどれ位かな
統合失調症と戦って。全然よくならんし薬の副作用があちこちと。膀胱まで弱り利尿剤だけでは間に合わなくなってきました。薬は相変わらず減りません。公務員退職なのに次の仕事がないんや。担当医はボクシングのトレーナーと言うもののかつの両肘はボルトが入っている。二回目にばれて首になった。二時間以上の通勤だけで死にそうに辛い。引きこもり三年。外が未来に見える。