2009-05-08 19:51:48

器質性うつ状態と広汎性発達障害

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
書籍否定は納得できるのだが否定論にはそれなりの内容を書くべきでは? 例えば病名に意味はないとか具体的にほしいですね。薬売りと言われないような内容のが。

発達障害は統合失調症の免罪符ではない」のコメント欄で、「もんちゃん」という読者の方から上のような質問を頂いている。今日のエントリはそのアンサーである。

過去ログでも時々出てくる、軽微な脳障害、つまり軽度の器質性障害は実際に画像で見えるわけではない。しかしその精神所見の普遍性から、見えなくても「そういうものが推定できる」といった文脈で過去ログでは書いている。この器質性の引き起こす精神症状で特徴的なものの1つは、

なにげなく自分に言われたことを悪意に受け取る。

ということであろう。これは100%あるわけではないが、仔細に精神症状を観察しているとそういう精神所見がみられるのがわかる。これはある種の認知の障害ではある。

ものの見方が性悪説的で、人間関係がうまくいかない原因になっている。

非定型精神病、特にウェールズタイプの人にも同様な精神所見が見えることがあるが、これはたぶん、内因性でありながら、同時に器質的色彩を持ち合わせているからと思われる。

アスペルガーなどの広汎性発達障害はもちろん、そう呼べない範囲の一般人に近い人たちもそのような所見が見られることがある。これは一見、コミュニケーション障害のようにもとれるが、そう単純なものといえない。コミュニケーションの問題で片付けるには、詳細に触れておらず漠然としすぎている。

診察時、100%と言って良いほどこちらの質問を理解しており、受け答えもしっかりしている青年が、日常生活では上のような精神所見を持つため、周囲の者との円満な人間関係が保てず平穏な生活ができないでいる。

これはコミュニケーションの障害というより、むしろ「器質性の2次妄想的な精神症状のため日常生活に困難さがみられる」と言った方が、本来の精神症状を正確に表現している。無理にコミュニケーション障害と見なすからおかしなことになるのである。

ある少年は、「盗聴器をしかけたい」と強く訴えていた。理由を聴いてみると、「自分の悪口を言っているのは間違いないのでそれを確認したい」と言うのである。この人が統合失調症なら精神科診断的にはそれで完結している。しかし彼は明らかに統合失調症ではない。それにいろいろ聴いてみると、その少年がそのように訴える理由がわりあい理解できるのである。これは器質性の2次妄想的所見である。

「盗聴器をしかけたい」と「盗聴器をしかけられている」では大違いなのであった。

ある成人の患者さんは、30歳過ぎまでは問題なく過ごしていたのに、ある時、この症状が酷くなり職場でうまく仕事が出来なくなった。これは元々その所見が軽度にあったのだが、ある時、ストレスで生活対応力が落ちてきてそんな風になってしまった。また結婚を契機にそういう風になった人もみる。

結婚後は2人で生活するわけで、さまざまな場面で、お互いギブ&テイクであることを理解しておかないといけない(←婚活をしている人は注意)。

自分だけで生活するのとはストレスがまるで違う。そのようなストレス下で、上記の器質性色彩の2次妄想が出現しやすくなるのである。しばしば夫婦喧嘩の原因になっている。しかも尾を引く。奥さんの(仲直りのための)話を悪意に受け取り、更に関係が悪くなるからである。そこまでいくと修復は困難になり離婚になることも稀ではない。

個人的に、アスペルガーというからには「社会的自閉性」なる所見が明確でないと話にならないと思う。それまで普通に生活してきた人が、そういう一見、コミュニケーションの問題に見える障害にぶち当たったからといって、安易にそう診断したり告知したりするのは間違っている。

確かに幼い頃からの生活歴を聴取すると、一見そのような風に見えるようなエピソードがあったりするが、どんな人だって、そういう事件の1つや2つはあるもので、すべてをアスペルガーないし広汎性発達障害的な証拠にするには意訳過ぎていると思う。アスペルガーは自閉症の文脈で扱うべきで、日本のようにADHDの組み合わせで論じるのは少し変だ。そのような器質性疾患という視点で見ると、アスペルガーを乱発する必要はなくなる。(参考

病前性格が明らかにウェールズの人であり、生来、社交的なのに、アスペルガーの診断を受けているような人を診たことがあるが、まさに診断基準を鵜呑みにして診断したからであろう。DSM4のアスペルガーの診断基準ほど酷いものはそうそうない(特にB。この中で1つあれば良いらしい)こういう人は往々にして積極的なタイプのアスペルガーかADHDと診断されているのであろうが、間違っているのは自明であろう。

アスペルガーの診断基準

A.以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互作用の質的な障害:
(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調整する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(2)発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
(3)楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例えば、他の人達に興味あるものを見せる、持って来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
(4)対人的または情緒的相互性の欠如。

B.行動、興味および活動の、限定され反復的で常同的な様式で以下の少なくとも1つによって明らかになる:
(1)その強度または対象において異常なほど、常同的で限された型の1つまたはそれ以上の興味だけに熱中すること。
(2)特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
(3)常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたりねじ曲げる、または複雑な全身の動き)。
(4)物体の一部に持続的に熱中する。

C.その障害は社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている。

D.臨床的に著しい言語の遅れがない(例えば、2歳までに単語を用い、3歳までに意志伝達的な句を用いる)。

E.認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、および小児期における環境への好奇心などについて臨床的に明らかな遅れがない。

F.他の特定の広汎性発達障害または統合失調症の基準を満たさない。


この診断基準はあまりにも漠然としている。現代社会では、上のような所見は特に精神科に受診するレベルの人、つまり精神的に悩んでいる人にはありがちなので、その程度の安易な診断基準なら、占いの世界となんら変わりがない。

個人的にアスペルガーは自閉性ないし社会的自閉性を重視しており、最初に書いたような2次妄想的な色彩は器質性というだけで疾患特異性がないため単に「器質的所見」として扱っている。これをコミュニケーションの問題と捉えると、すぐに広汎性発達障害系の方角に行ってしまうのである。

過去ログでは器質的なものを持つ人たちの表現型は「うつ状態」が最も多いとか、たまに「双極性障害に見える」とか「統合失調症状態」を呈することもあると書いている(参考)。またしばしば幼少の頃から「希死念慮を伴いやすい」ことも指摘している。また、暴力性や攻撃性が強い人もいる。(参考

広汎性発達障害の専門家の人たちが陥っている罠は、実は同じような患者さんばかり診ていることから来るような気がする。彼らは、精神科業界内の狭い範囲の専門バカ状態になってしまっているのであろう。彼らは広汎性発達障害の子供や成人例ばかり診ているので、それ以外の種々の器質性疾患の診る機会が一般精神科医より少なくなっている。それはそのような患者さんが殺到して、長い期間の予約待ち状態になっているのでやむを得ない面ももちろんある。実はここに大きな問題点がある。

広汎性発達障害の専門家はCO中毒後遺症の子供、脳に寄生虫が巣食った青年の精神症状、農薬自殺未遂の後遺症が残った若者、初発の進行麻痺の患者、成人のクリプトコッカス脳炎、あるいはヘルペス脳炎の後遺症、前方型認知症、種々の症状精神病、薬物性疾患(麻薬なども含む)がいかなる精神症状を呈していたかをあまり知らない。また、措置鑑定や簡易鑑定の対象になる人たちを詳しくは知らない。書籍で読んでいたとしても、臨床的なライブ感覚に乏しいのである。もちろん診る機会がほとんどないからだが、そのことが診断的発想の広がりが乏しい原因になっている。またこれらの患者の専門家である以上、患者さんや家族が耐えられないようなことは相当に言い辛いという心理も働く。彼らに捨てられたら、干された専門家になってしまうからである。(参考

いつか過去ログで、広汎性発達障害の暴力性および触法性の話を書いた際、一部の読者さんから滅茶苦茶叩かれたが、その時の一連のエントリでは他の器質性疾患にそれが見えるのに、同じ器質性の問題を抱える広汎性発達障害だけに全くないと主張することは、科学的にもおかしいと指摘している。

実際にそういう事件が全く起こっていないなら話がわかるが、しばしば新聞を賑わわせている。それを隠そうとすることは、少なくともサイエンスに関わるもののすることではない。(過去の新聞社サイトの事件内容はすぐに削除され、時間が経つと詳細が全然わからなくなっている。誰かが消すように苦情を言っているからであろう。)

そのエントリで叩かれた理由だが、一般の読者からはやはり彼らが文脈が捉えられないからという理解が多かった。まあそのレベルの人もいるが、器質性の「人の話を悪意に捉える」という精神症状が発現している部分も大きいと考えた方が合理的である。もちろん、その結果、こちらに対して攻撃的になるのであろう。

これはまさに彼らの一般社会での対人関係の困難さを映し出しているように見える。

実際、アスペルガーと診断されている人たちの中のいわゆる文系の人で読解力にも問題がなく、読書家で「わたしは小説家になりたかったんですよ」という人を時々見るが、こういう人は一般的な感覚でのコミュニケーションの問題はほとんどないように見える。しかし社会的には困難さを抱えているのである。これは発達障害というより、やはり器質性の精神所見による困難さを抱えているといった方が理解しやすい。広汎性発達障害の家族も同じ広汎性発達障害があると言うより、この所見が軽微に存在する人もいるからこそ、学校の先生とトラブルになったり、モンスター化するのである。そういう所見がない家族はそのようなタイプの対応にはならない(自分の子供に不利益になることが予測できるので自重される)。

海外では広汎性発達障害では犯罪はほとんどないという論文があるが、それは海外だからである(その地方の都市化の程度や人口密度も関係があると思われる)。欧米人は日本人とは行動パターンが異なる。日本の実勢に沿わない論文を持ってきて議論する方が間違っている。(これは体格、食事の忍容性、宗教、文化とも関係が深いと考えられる)(参考1参考2参考3参考4

ストーカーは極めてアスペルガー的な犯罪であるが、これは実際に事件にもなっているし、本来の精神症状を考慮してもなぜそうなるのか極めて理解しやすい犯行でもある。アスペルガーには暴力がないという主張する人たちに、

ストーカーは暴力ではないんですか?

と逆に聞きたい。ストーカーは彼らの標的に対する執着性と相手がどんなに怖い思いをしているか思いやれないことから発生している。

専門家からはアスペルガーには暴力性がないとまでは言っていないという反論があるかもしれない。彼らによれば、彼らの暴力性は周囲のいじめや対応のまずさや置かれた環境によるものがほとんど全てなんだという(生来性でないならそういう文脈になる)。

これは、物心ついたときに既に他害性のある子供や、そういう履歴がない突如発病したように見えるアスペルガーのストーカー等の暴力行為が説明できない。こういう事象を他の原因に求める他罰的な解釈が、一層、広汎性発達障害の家族と周囲の人たちの溝を深めることを過去ログでも触れている。(「赤」のコメント欄

普通、広汎性発達障害でなくても、器質性色彩のある人にはしばしば希死念慮があるし、違った表現型の「暴力性」が存在している。基本的にアスペルガーの診断を乱発するから話がおかしくなっている面が相当にある。

広汎性発達障害の家族の中には、自分たちはまだ良いとして、他人に怪我をさせないか冷や冷やしながら生活している人たちもいる。広汎性発達障害の暴力性を否定している、あるいは否認している専門家は、そのような家族に果たして明確なアドバイスができるのだろうか?という疑問はある。

死刑になるような重大な殺人事件では、脳内にCTやMRIで捉えられるほどの非特異的器質性異常がみられることがしばしばあるという。またそのような残虐な犯行をした犯人には希死念慮があることも良くみられる。

つまり、殺人事件の中でも特に重大犯罪と希死念慮には深い関係があるのである。(別にアスペルガーがそうだという意味ではない。一般的な器質性背景がその原因になっていることがあるという意味)

そのような文脈から、僕はアスペルガーでもかなり重篤な人たちはともかく、曖昧な人たちをそう診断するのは間違っている可能性が高い上に、意味もないと思うようになった。

一般の人が書物を診て、自分はひょっとしたらアスペルガーかもしれないと思うほどのレベルの人、書物起因性のアスペルガーの人たちは「本物も偽物もない」のである。

僕が安易にアスペルガーと診断せず、また告知もしないのは、上に書いたことが大きいが、もう少し別な理由がある。

ある患者さんにアスペルガーと告知した場合、高学歴かあるいはそうでなくても知能レベルが高い人たちは、やがて脳内にある変化が生じる。彼らは、凝り性と言うか、その疾患について徹底的に調べるからである。これが統合失調症との決定的な相違でもある(疾患に対する構えの相違ともいえる。これは個人的に「過剰な病識」と呼びたい)。

アスペルガーとわかった時、その疾患特性が脳内で整理されて、ある意味、その特徴に磨きがかかる(最初の段階)。

今まで曖昧だった疑問が氷解して、少しはある種の歪んだ自信は持てるかもしれない。浮遊した状態だった人たちが、地面に足をつけるのである。高学歴なアスペルガーの人たちは、施設に入っているIQ70~80あたりの人たちをもともと問題にしていない。彼らにとって、その施設の人たちもアスペルガーではあるのだが、彼らと同じような疾患、つまり同類の人たちとは思っていないからである。

彼らは生来性にヒエラルキー的な考え方に陥り易い。

アスペルガー専門の医師を理想化する面があるので、特定の専門医を誇大視し、一方、以前は賞賛していたのに、他の専門医をダメだとか、何もわかっていないなどと酷評するようになる。それは一般精神科医と広汎性発達障害専門医の差も同様であろう。(このあたりも攻撃性といえる)

また、両親や周囲の人たち、あるいは芸能人などのアスペルガー的色彩やその相違に気が付くようになる。同じ診断を受けているのに、ちょっと学歴が低いとか、知的レベルが低いなどの理由でネグレクトする。あるいはより社会適応が良さそうな人には、彼らはアスペルガーとは言えないなどと言い始める(これはある意味当たっている。社会地位がずば抜けて高い人は疾患が問題にならなくなるからである)。(参考

この最初の部分、いわゆる賞賛とこきおろしのパターンは「境界性人格障害」の診断基準に出てくる精神所見とそっくりである。だから、状態像的には彼らが「境界型人格障害」と診断されてもおかしくはない。

しばしばアスペルガーはお互いに仲良くやれない。それは精神症状や学歴、収入、社会適応などが千差万別であり、個人的な苦悩にも差があるからであろう。(このレベルでは、負けず嫌いだとかヒエラルキー的な思考パターンが邪魔をする)

結局アスペルガーと診断されたことが、とりあえず治療的になっていない。わかったところで、彼らがすぐにはセルフコントロールができるようにならないからである。実際、自分はアスペルガーだなどと言い、堂々と他の人に迷惑をかけている人もいる。「アスペルガーだから仕方がない」という個人的解釈はもちろん間違っている。

また社会的問題としては、アスペルガーの人は視野狭窄になる上に、特定の人を理想化もするので新興宗教などに嵌りやすい点が挙げられる。教祖のカリスマ性に嵌るのである。これは知能が高くても柔軟な判断力が欠如しているからであろう。

そういえば、ニュージーランドではある高知能のアスペルガーの青年が、ある闇社会に利用されてパソコンのウイルスを作らされるという有名な事件が起こっている。これは単独犯とはいえないので珍しいパターンと思う。日本で起こっている世間を騒がせた大事件はほとんどが単独犯である。逆にいえば単独ではない事件は、カルトにはまって兵隊として犯罪に利用されるか、このように闇社会の人たちに利用されるパターンくらいしかないような気がする。

実は、広汎性発達障害は1歳時点では男女比、1:1程度の発現率という意見があるらしい。これは臨床医による指摘である。これが本当なら、従来の常識を覆すものである。一般に「男性が多い」ということはよく知られている。もともと女の子は生まれた時点の脳の成熟度が高いといわれており、その点でも少し矛盾する(参考)。

しかし、その後、男女の差が広がるという。ところが、思春期を過ぎる頃から女子も追いついてくる。一般に考えられているほど男女差は大きくなく、結局は6:4くらいだという。これが本当なら、アスペルガーの原因物質?がいかなるものかに影響を及ぼす大事件のような気がしている。

僕は、アスペルガーとはいえない器質性疾患の人たちには、今回のエントリの最初の部分を説明している。それでけっこう「腑に落ちた」という返事も貰っているし、人によると「原因がわかって良かった。気持ちが救われた。」などと涙ぐむ人もいるので、そんなものかとこっちの方が拍子抜けだったりする。ショックを受ける人が意外に少ない。このように自分で悩んで来院するレベルの人に、本当かどうかもわからないようなことを告知する意味があるかどうかは疑問だ。

本人が納得できる説明があれば十分なのである。なぜなら、このレベルの人は本物も偽物もないことも大きい。

現実的な点を挙げれば、アスペルガーと診断されてしまうと、この疾患は始まりも終わりもないので、生命保険に入りにくくなるデメリットがある(全く治療を受けていない人は証拠がないので問題なく入れる。治療中の人は入れないか、入れたとしても条件付になるであろう)。安易にアスペルガーと診断されても皆が思うほどのメリットはない。

器質性疾患があると言われた方がずっとマシである。なぜなら、これなら治癒がありうる上に、映像的に見えない器質性疾患なので症状がなくなればそれで終わりだからだ。(参考1)(参考2)(参考3

このエントリでは、安易にアスペルガーと告知されることの良くない面も指摘している。

参考
精神科の診断の偏向について
ウェールズ生まれの
統合失調症っぽくない妄想
希死念慮とアパシー
精神疾患と暴力、触法性
ルカによる福音書10章38~42節
社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
短期決戦に構える
アトピーによる精神病状態
古典的ヒステリーは器質性疾患なのか?
アスペルガーと正常の間の人々
エストロゲンと精神疾患
デパケンRで髪の毛が抜ける副作用
パキシルは幻聴に効くのか?
同じテーマの最新記事
2009-03-01 21:06:15

なぜ全角ではいけないの?

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
随分以前だが、2ちゃんねると見ていたら、「なぜ半角で書かないんだ!」というスレッドが立っていた。その主旨だが、数字は半角で書くべきなんだと。

たいていの人が概ね半角で書いているのに、たまに全角で書く人がいると、やれ学歴が低いとかドキュンだとか文句を言われていたのである。

かつてインターネットでは、数字は半角と全角では違うものと判別される場合が多かったと思う。今でもカードで買い物をする時は半角で入れないといけないようになっている。(今は自動的に半角にされる場合もある。便利になったものだ)

しかし・・

2chの掲示板ではどうでも良いことでしょ。半角も全角も見る方にはとっては同じようなものだし。

ちょっと不思議なことは、漢字の誤字、脱字は指摘されないのに、半角・全角はけっこう指摘されていたこと。普通、2chで誤字を指摘するのはヤボなこととされている(暗黙の了解)。だって誤字を指摘した人に対し、「2chで誤字を指摘ですか?」と逆に非難していた人もいたほどだ。

僕は2chにやってきた当時、この数字の半角・全角の指摘の厳しさに比べ、漢字の誤りに甘いのに違和感があった。誤字が許されるなら、全角なんて楽勝で許されるはずだ。

これってアスペルガー的な苦痛だと思った。数字の並びのある種の均衡、調和が崩れるのが見苦しく感じられるんだと思う。

あくまで感覚的なものなんだろうけど。

参考
2ちゃんねるとアスペルガー
BLACK&WHITE
2008-09-21 12:26:42

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
実は、一連の発達障害の話は前回のエントリで終わりにしようと思っていた。しかし、思わぬほどのレスがつき、また全般を通してみると、共感していただいた読者の方が多いようなので、そうでない人たちのためにあと1つだけ追加のエントリをアップすることにした。そんなこともあり大変なので、今回の一連のエントリは特別なもの以外は個々にレスはしない。

今回、器質性脳障害のために暴力行為が出現している子供の話をしている(はさみで刺した子供と脳炎後足払いをする子供)。このうち、脳炎後に足払いをするようになった子は、決していじめを受けたからそうしているわけではなく、器質性脳変化による後遺症によるものだ。病前はそのような子供ではなかった。(参考

だから、アスペルガーの人の暴力性、衝動性、あるいは触法性は、ある種の生来性のものであって、いじめを受けたという後天的なものは、アスペルガーの精神症状を形成する1つのファクターに過ぎないのである。

例えば、怒りのコントロールの困難さ、破壊傾向は生来性のものであるので、そのために暴力行為が生じたとしたら、決していじめを受けたからとは言えない。よくみると、そのような所見は物心ついたときに既に見えることもある。人によれば、もう少し年長になって出てくることもあるが、それについてはいじめが原因と主張するのは他のことを考慮すると、無理があるように見えることもある。アスペルガー系の犯罪では性犯罪やストーカーなどは特にそうだ。(その無関係さ)

なぜこういう文脈になるかと言うと、発達障害系疾患は臨床心理士なども多く関与しているので、わりあい精神所見を心理から捉えようとしすぎることがあるのと、やはり書物などで事実がねじ曲げられていることがある。アスペルガーは生来性の器質性疾患だということが重視されていない。

心理系の人たちがあまりにそういう視線で解釈するために、家族が他罰的になるんだと思う。しばしばアスペルガーの家族は、いじめが悪いとか学校の先生の理解がない、配慮がないと言うが、そういう解釈のために物事が客観的に捉えられないのである。過去ログの「アスペルガーは失言を誘う」では相当に批判も受けたが、これらの一連のエントリはすべて繋がりがあることがわかる人にはわかってもらえるはずだ。

今回の一連のエントリはほとんどの読者にはいわゆる「偏見」的な内容ではないことが理解されている。今回のエントリは、ないものをあるとは言っていない。誰も言いたがらない、「あることをある」と言っているだけだからである。この内容が偏見的に見える人は、たぶん洗脳されすぎているか、否認が生じているためと思われる。アスペルガーに暴力性、触法性があることが心から理解できていないのである。一連のエントリで書いたようにアスペルガーは表に出てきている犯罪でも有名なものがあるし、あのような極端に重大な犯行はピラミッドの頂点にあり、もちろんその6合目や3合目にある犯罪も水面下では存在しているのである。その数はピラミッドの形を考えるに、ずっと多いはずだ。

これらのアスペルガーの精神症状のダークな面は、本当はアスペルガーを専門とする人たちが、きちんと説明して、その対処法などを助言するべきであった。僕から言わせると、発達障害の専門家なのにそれを言わずにやり過ごして来たのは卑怯だと思う。既にあれほどの重大事件が起こっているのに。100%説明しない専門家のどこが専門家なんだと言いたい。結局、代わりに僕がこんな形で話して、批判を受けないといけないじゃない。(笑)

あの犯人は発達障害ではなく誤診だとか、あるいはあの犯行はアスペルガーらしくなかったなどと言い始めるのは、おそらく専門家なので、「あの犯行について、どう思われますか?」などとインタビューされて、それまで説明していなかったり、あるいは否定的に言ってきているので、引っ込みがつかないんだと思う。

僕はその点で、広く発達障害をとっているように見えるのに、急に誤診とか言い始める人たちなどは、プロフェッショナルではなくどうしようもない人たちだと思っている。なぜなら、専門家なのに逃げているからである。

今回のエントリはなぜか表題が「赤」になっている。僕はあるアスペルガーの青年が、家の中の赤い色のものをすべて破壊したというのを診た事がある。これは自分の家のものを壊しただけなのでもちろん犯罪ではない。ただの衝動~破壊行為というだけだ。このような精神症状は、決していじめを受けたとか、学校の先生の指導が悪かったわけではないのである。そのことを象徴するために挙げたのであるが、上で書くのを忘れていた。この「赤の事件」は過去ログの「BLACK&WHITE」などのエントリと関係があり非常に興味深い。その青年になぜそのようにしたか聞いてみたら、ある時、赤の色彩が非常に自分に迫ってきて、落ちつかなくなったという。興味深いと思う理由は、彼らの服の嗜好の由来が、このような精神症状を通じて理解できそうに思えるからだ。

僕は精神医学の考え方として、ある疾患にはいろいろなバリエーションがあるのが当然で、特殊な所見を見た時、それにあわせて疾患の理解を深めていこうという姿勢が大切だと思う。今までに言ってきたことと矛盾するような事件があったとき、それは違うとか、あるいは典型的ではないなどと弁解するのは、少なくとも自然科学を研究する姿勢ではない。これは過去ログの「横文字文化とアスペルガー症候群」などのエントリも参考にしてほしい。

僕は今回のエントリには特別な目的は持っていなかったのだが、ある種の理解が深まったような気がしている。それは発達障害、アスペルガーの人たちはどのようになっていったら良いのか?ということと関係がある。

このブログのアスペルガー系の読者の人たちは、今回の一連のエントリの主旨がわりあい読み取れていると思ったこと。これは、理解できない人たちより、ずっと軽いか、治癒・寛解の方角に向かっている人たちである。ある種の自分の感覚、感情の距離感というか、客観的に物事をみることができるようになっているのであろう。彼らはおそらく今はそうだが、以前はそこまでできなかった人も多いはずだ。その意味では僕のこのブログも意味がなくはなかったのかもしれない、となんとなく思った。

アスペルガーとの関係で、時々シゾイドパーソナリティが取り上げられることがある(参考)。かつて分裂病質人格障害と言われた人格障害である。(僕の嫌いなDSMⅣから)

以下のうち、7つのうち4つ以上。
①家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またはそれを楽しく感じない。
②ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
③他人と性体験を持つことに対する興味が、もしあったとしても、少ししかない。
④喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない。
⑤親兄弟以外には、親しい友人または信頼できる友人がいない。
⑥他人の賞賛や批判に対して無関心にみえる。
⑦情緒的な冷たさ、よそよそしさ、または平板な感情。


これらは、内向的などの点でアスペルガーと似たところがあるが、実際の本人を見るとかなり相違があるように思う。普通、分裂病質人格障害は医療にすらのって来ない。そういう人たちは自分に問題意識も持ちにくく、全く他者や自分について考えることができなそうに見えるからだ。つまり彼らとアスペルガーとの決定的な違いは自問自答できるかであろう。分裂病質人格障害の人は自分とすらうまく会話ができないのである。

例えば、アスペルガーの人たちがインターネットに集まってくるのは、やはり人恋しいからなんだと僕は思う。彼らは狭い範囲で生きてはいるが、人とのコミュニケーションを求めているのであろう。だから2チャンネルにまでやってきて煽られて傷ついたり、あるいはブログを作って人と交流しようとするのである。一見、近いように見えても、おそらく分裂病質人格障害の人は2ちゃんねるにも来ないし、あるいはブログも立ち上げない。もしインターネットによく来ていて、上の診断基準に自分が当てはまると思う人がいたとしても、その点で分裂病質人格障害とは程遠い。

あと、希死念慮などとの関係に触れておきたい。随分前、過去ログでインターネットに集まるメンヘル系の人々は希死念慮を抱いている人が多いように見えると書いたことがあった。もちろん希死念慮が、果たして自分に対する破壊行為かどうかどうかはいろいろな考え方があると思う。

僕は、特に子供の頃から続いている慢性持続的な希死念慮は発達障害的と思うのである。その希死念慮がたまに触法行為の間接原因になっていることもある。犯行後の「死刑にしてほしい」という被疑者の言い方だ。ただ今まで書いてきた、単純な暴力・触法性と全く類似なものかどうかはまだ議論の余地がありそうな気がしている。このような考察も、歪曲してしか発達障害が語られないと理解が進んでいかないように思っている。

このあたりでいよいよ終わりにしたいが、今さっき、ちょっと思いついたことを参考に付け加えたい。今の人は知らないかもしれないが、かつて日本の男子マラソン界には4人の強豪がいた時代があった。その4人とは瀬古利彦、宗兄弟、伊藤国光である。当時、日本はモスクワ五輪に不参加を表明したために、瀬古利彦は金メダルを取るチャンスを失っている。瀬古は優勝候補の1人だったからである。モスクワは少なくともロスアンゼルスよりは気候が厳しくはないので、日本人が出ていたら、誰か金メダルがとれたかもしれないと今でも思う。

後年、宗兄弟は競技生活から引退を表明したが、そのインタビューで面白いことを話していた。細かいことまで正しくは憶えていないが、「自分はアマチュアなので引退と言うのはおかしい。アマチュアには引退はない」と言い、「これからも僕は走り続けますが、競技者としては引退です」と続けたのである。僕はこのスタイルこそ、軽いアスペルガーの人たちの理想的な引退像なんだと思う。(一応、言っておくが宗兄弟はアスペルガーではない)

アスペルガーの人たちは、常に走り続けるので、引退はないんだと思う。しかし、治癒とか寛解はあるし、その姿こそ、宗兄弟の引退後の競技スタイルなんだろう。

器質性疾患が治らないなんていうのは間違いだ。それはあまりにも物事を悲観的に捉えすぎていると思う。それは過去ログでもいくつか出てきているし(参考1参考2参考3参考4)、薬物療法、あるいは上手いカウンセラーにより良くなる人はつまりはこういう感じなんだと思っている。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤


(これで、アスペルガーの一連のエントリは終わりです)
2008-09-19 20:23:58

発達障害は統合失調症の免罪符ではない

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
このブログでは、何でもかんでもアスペルガーと診断するような傾向を批判的に書いている。

僕はアスペルガーは正常域から重い人まで連続していることもあり、自分の判断でアスペルガーを狭くとっていると思っている。また狭くとか広くとかと違った意味で、特に正常に近い人たちの挿間性の精神病状態はできれば告知せず治療していく方針にしている。これはすべてそうしているのではなく、本人にとって最も良いと思えるような接し方をしているだけだ。この理由は、このブログをいつも読んでいるような人には、きっとわかっていただけると思っている。(参考

昨日から、アスペルガーのテーマで連続的にエントリをアップしているが、これは突然、躁状態になってそうしているのではなく、ほとんどは今までに書いたもので、半ばボツ原稿だったものばかりである。なぜこれまでアップしなかったのかは、内容をみれば明らかであろう。僕のブログの読者は発達障害系の人たちがあんがい多いので遠慮していたのである。またこういう内容だからこそ、小出しにせずに一気にアップすることにした。こういうのを時間を開けて時々アップすると、その度にブログが荒れるだけだからだ。同じ荒れるなら、一度に思いっきり荒れた方が良い。

広汎性発達障害に属する様々な疾患群は一般向けの書物も多く、自ら専門家と言っている人たちも多い(参考)。またアスペルガーの当事者も本などを書いているので、情報は非常に多い疾患群といえる。だからこそだが、たくさんの書籍などの中であえて触れられないこともあるのである。それこそ、今回の一連のエントリで僕が書いたことである。僕は精神鑑定にも関与しているので、いろいろな奇妙な犯行を見ていることもある。

発達障害に関連する人たちがとても多いということは、そこに利害関係が生じる。それは書籍販売や講演会などである。もし、アスペルガーの暴力性や触法性などについて詳しく本に書いた場合、さまざまな批判を受ける上に、本も売れなくなるだろう。まして講演会にも呼ばれないだろう。つまり、ある程度発達障害の当事者、家族にリップサービスというか、ある種の迎合をしないとやっていけない面があるのである。だからこそ、真剣には語られないのであろう。

いつだったか、過去ログで、

書店に行ってみるとわかるが、精神科の一般向け、あるいはセミプロ向けの書物はあまりにも多すぎる。あれは玉石混交であるが、実際は石ころが大半であるのが実情だ。(「精神科は本が捨てられないこと」から)

と書いた事がある。結局、本などで食っている人たちは、ある程度のユーザーへの配慮が必要なのであろう。僕はなんでもかんでも発達障害などと診断しているように見える人たちが、いざ発達障害が疑われる少年による犯罪が起こった時、「彼は発達障害ではなく誤診である」とか「あの犯罪はアスペルガーらしくない」などと言い始めるのが信じられないのである。

人を殺した人は急に発達障害ではなくなるんですか?

と逆に聞きたい。なんでもかんでも発達障害と診断することは、ある種の家族へのサービスになっている。少なくともさほど抵抗がない診断名だからだ。こういう二重基準の原因は、彼らが常に当事者とその家族の支持を得なくてはならないからである。僕からはどうみても書籍や講演会の営業にしか見えない。彼らの書籍がアスペルガーを含む発達障害のすべてを語っていないことが誤解を生んでいると思う。

だから、今回の一連のエントリは「アスペルガーが誤解される」という意見が出るのである。実は全くの逆なのであるが。その点で、あの書籍群が「玉石混交どころか石ころ同然」と言われてもやむを得ない。

僕はアスペルガーと診断された時、家族が喜ぶのは「統合失調症でなかったこと」が大きいと思っている。なぜなら、それまで統合失調症と診断されていたり、あるいはその治療のために副作用が出ていたという過去の事実があるからである。アスペルガーの家族が時に精神科医に攻撃的となるように見えるのは、結局は優しい家族が多いからと思っている。

精神疾患全体で見れば、統合失調症より良いとか悪いとかいう議論はあまり意味がないし、アスペルガーだから特に良かったということもないと思う。カタカナで表示される診断名で、しかもよくわからないようなもので、一般の家族には世間体が良いだけだ。精神疾患はあくまで絶対値の軽重を重視すべきで、社会適応できるかどうかで疾患の困難さの判断が変わってくる。社会的な視線で見れば、アスペルガーが統合失調症より良かったかどうか微妙だ。

このブログは特に誰かにサービスする必要がないので、僕が臨床や鑑定で実際に見てきたことをそのまま書いている。時間が経てば、おそらくこのようなことも議論されて来るだろうとは思っている。なぜなら、いずれは避けて通れない精神症状と思うからだ。何かを隠蔽する姿勢はこの精神疾患の理解を阻み、しかも一般の人たちの偏見も生む。

実際、発達障害でも触法性のない人たちも多いので、その比較なども今の段階では語れないと思う。まず、すべての情報を提出しそれからいろいろ良い方法を考える。このブログでは臨床の経験から、恨み、暴力、触法性にも何か方法があるのではないかと、個人的な意見を書いている。

先ほど触れた二重基準なんてサイエンスとは程遠い。そういう姿勢が精神医学や精神鑑定が胡散臭い、信用に足らないものと思われる原因となっていると思う。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤

2008-09-19 01:14:24

2ちゃんねるとアスペルガー

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
2ちゃんねるなどの掲示板にはまることは広汎性発達障害、アルペルガー的な凝り性と関係があり、残忍な暴言、暴力的な荒らしの心性や、希死念慮やサークル的なネット自殺の人々の多さもそれを反映している。

特にメンヘル系の板で「統合失調症で治療中です」で始まる自己紹介の人は、文章を見る限りあまり統合失調症には見えない。統合失調症的な症状があってそう診断されているにしても、実は典型的な統合失調症ではない人が多いからであろう。何が違うかと言うと、統合失調症という疾病に対しての「構え」みたいなものが違うのである。

その理由だが、真に統合失調症の患者さんはあまり掲示板に興味を示さないこともあるし、自分の精神症状と自分自身についての関わりをうまく語れないのも無関係ではないと思われる。つまりアスペルガーと統合失調症の人では、その疾患の苦悩の所在が違う。

精神鑑定ではアスペルガーだったとしても、明確に幻覚がある場合は、統合失調症と診断する精神科医もいると思う。今の操作的診断法はつまりそういうことだからだ。

結局、幻覚がないタイプのアスペルガーこそ、責任能力が問題になり普通は責任能力があると判断されるのである。(統合失調症=100%責任能力なし、ではないことに注意)その意味で幻覚があるアスペルガーは誤診されるチャンスが生じるので恵まれている。(本当は有罪とすべきなのに、罪に問われない可能性があるという意味)

もともと、鑑定医は有罪、無罪を決める人ではなく、被告人の責任能力の有無について意見をいう立場である。だからこの表現は変だが、わかりやすいようにこういう風に書いている。

ある時、もうずいぶん前のことだが、うちの県の2ちゃんねるのオフ会に行ったことがあった。僕は名無しさんで参加した。その日、メンヘル板の住人は全然いなかった。メンヘル板の人々はそれなりにまとまりがあって彼らだけで集まるのかもしれない。他の板の住人とはテンションが違いすぎるような気もしている。

その日、はっきりとした精神障害者らしき人なんて全然いなかった。2ちゃんねるの住人とはいえ、ヘビーな住人(常駐しているような人)はあまりいなかったこともあるかもしれない。実際、どのくらい2ちゃんねるをしていますか?というアンケートみたいなことがあり、1週間に1回とかその程度の人もあんがい多かったのである。当時のメンヘルの掲示板を見ている人なんて全然いなかったので、2ちゃんねるも広いものだと思った。

しかし、一般的には変な人たちが見られたことは確かだ。軍服で来るなど服装からして変だったからだ。あれは、自己アピールも相当にあるような気がする。軍服なのは、軍オタとか鉄オタなど、オタク系の人がいたこともある。しかし、一部の変な人以外は概して普通であった。(全般に大人しい人が多かった)

その中にはアスペルガーの人も含まれていたのかもしれないが、僕はほとんどいなかったような気がする。これは実はあまり自信がない。アスペルガーは外からは見えないからである。僕は同じテーブルで一緒に話をしたり、自己紹介を聴く範囲しか知らないし、ほとんど話す機会がない人もいたのもある。

良く考えると、アスペルガーの人は掲示板内でバーチャルでチャット的に話すのはともかく、ああいうリアルのコミュニケーションの場面には出てきそうにない。ある意味、掲示板の筆談の世界しかコミュニケーションがとれないとも言える。

広汎性発達障害、アスペルガーの人々はインターネットに親和性があるが、煽りの加害者と被害者の双方に絡んでいる。

例えば、子供のアスペルガーが時にいじめを受ける理由の1つは、空気が読めないので、みんなと一緒のペースにならず浮いてしまう行動面の特異性があるからである。同じことがインターネット上でも生じる。

結局、「煽りは2ちゃんねるの華」と言われるが、それで必要以上に傷つくのもアスペルガーなのである。アスペルガーの人がショックを受けるのは、ああいうのは所詮煽りだという見極めがつかず、95%くらい真に受けてしまうからである。

その意味で、インターネット上でも要領は良くはない。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤

2008-09-18 21:59:17

精神疾患と暴力、触法性

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
これは部分的に「頭部外傷から統合失調症になるのか?」続きになっている。

かつて頭部に外傷を負った人の統合失調症は、当初は誤診されることもある。それはCTやMRIを実施すると、実際に頭の中に何か異常があるからである。こういう誤診の症例をかなり見たが、結局は画像に惑わされて、本質が見えないからだと思う。統合失調症は頭蓋内に何かあったとしてもそうなのである。

精神病院内で真に暴力的で危険な入院患者は、統合失調症の人はあんがい少なく、頭部外傷後遺症、てんかん性精神病、頭蓋内に器質異常を持つ知的発達障害、脳炎後や脳出血後などの器質性精神病の一部である(もちろんすべてではない)。他、暴力的な発達障害の人々、精神病質の一部の人たち、統合失調症の人では緊張型の一部の人である。

一般に統合失調症の人々は精神病院内では紳士的である。これは生来の性格が内向的で、人との交流も少なく大人しい人が多いことがある。また彼らは悪化時にも不思議にあまり器物を破壊しない。器物とは壁に飾られている絵や、いわゆる芸術性のある物品である。一般に花瓶は凶器になりかねないので、閉鎖病棟では置いていないことが普通だ。

かつて統合失調症と診断された入院患者に限れば、暴力が酷く看護者や他患者に非常に恐れられた人たちの病型は、とりわけ暴力的な緊張型の人と、誤診された暴力性の高いアスペルガーを含む発達障害系の人たちではないかと思っている。(注:アスペルガーは統合失調症ではない)

なぜ広汎性発達障害、アスペルガーなどが挙がるかと言えば、この疾患で暴力的な人は本当に情け容赦がないからだ。そうなってしまう理由は、相手の悲しみ、疼痛、恐怖感などの感情に気付けないことが大きい。また底知れない恨みを抱いていることも無関係ではないと思う。

アスペルガーの殺人事件は漠然とした社会への恨みから生じているのを時々見る。このような明瞭な恨みからの犯罪は責任能力があり刑事罰も受けねばならない。その意味では司法的にはアスペルガー症候群という疾患はないに等しい。(パーソナリティ障害に包括される)

アスペルガーで心神耗弱以上のケースは、統合失調症に類似の幻覚妄想に動機付けられて犯行を起こしたとか、あるいは解離などが生じていた場合であろう。僕は精神鑑定でアスペルガーに関しては上記2つによる犯罪は経験したことがないが、そんなケースもありうるはずだ。その点で、アスペルガーだからといって、「責任能力あり」に100%なるとは言えない。

僕は過去に簡易鑑定で数名ほどアスペルガー症候群と診断したが、その一部の人はそれまで統合失調症と誤診されていた。急性期ならともかく、このような鑑定の現場に来るようなアスペルガーの人たちを、統合失調症と誤診するようなぬるいことをするわけはなかろう。

僕はアスペルガーの人は結果的にだが、すべて責任能力ありと判断している。(つまり有罪)

アスペルガー症候群は生来性の疾患なので、その点で気の毒な要素はある。しかし、犯行時の責任能力の鑑定は、そのような不幸な生い立ちは直接は関係ない。不幸な生い立ちだとか生物学的なハンディキャップを考慮し司法判断するのは他ならぬ法律家である。

精神鑑定をする精神科医は「大岡越前」であってはならない。

上で、「頭蓋内に器質異常を持つ知的発達障害」というのが挙がっている。ある少年は脳内にはっきりとした器質異常が認められた。彼は施設内で生活をしていたのだが、なんらかの原因で立腹したり、他の入所者と喧嘩をした時に、全く手加減することなく相手に攻撃を加えるのである。相手が泣きじゃくってもそれを止めない。

ある日、彼はかんしゃくを起こし、女の子をハサミで刺しまくった。しかも相手が倒れこんでいるのにそれを止めなかったのである。傷はもうグチャグチャである。その事件以後、彼は施設にいられなくなった。

また、この少年とは違う子だが、その少年は幼児期に脳炎を起こし、その後遺症で暴力行為が絶える事がなかった。その少年の主な暴力行為は、他の子の足払いである。突然そんな風にするため、足払いされた子供は後頭部を打つような感じで転倒する。そのために数人の被害者がおり、ある女児は脳挫傷を起こし後遺症のために普通の生活が出来なくなった。たぶん生涯、施設に入所せざるを得ないであろう。

このような暴力性はたぶん脳の器質変化と関係があるが、アスペルガーの一部の人の暴力性や触法性はこの近縁にあると考えている。彼らは時に怒りのコントロールができない。いつか過去ログで、「アスペルガーは脳に傷がある」と書いたことがあるが、このような感覚からも来る。(参考

一方、統合失調症の人は興奮していてもそこまでの器物破壊がない。その点で僕には、彼らは器質性脳障害のようには見えないのである。しかしアスペルガーの人はすぐに物に当たるので、容易に壊してしまう。アスペルガーの子供部屋の壁は、しばしばボコボコに穴が開いている。いつも殴っているので拳に殴りダコが出来ていたりする。何かを解決するにあたり、容易に暴力に訴えるのが内因性疾患と違うところだ。

ある時、統合失調症と診断されていた少年が紹介されてきた時、一瞬でそうではないと思った。良く話を聞くと、どうもアスペルガーのように思われるので日常生活について聞いてみた。彼は、家族にいつも暴力を振るっているようであった。特に母親と弟が被害を受けていた。既に母親は彼を恐れるあまり別居生活になっていたのである。

彼に暇な時は何をしているか聴いてみると、2ちゃんねるのメンヘル板の住人で、よく「死にたい、死にたい」と書き込んでいるという。だから逆に言えば、妙に暴力的だったり破壊行為が過ぎるような人は、統合失調症と診断されていたとしても、広汎性発達障害系疾患、特にアスペルガーを疑うべきだ。生活歴の再聴取が重要なのである。

暴力は殴るとか物を壊すなどだけではなく、酷い暴力的な言葉も入る。これはよく話を聞いていると、そういう言葉が垣間見えることでわかる。バカ丁寧な言葉遣いなのに、なぜか不釣合いに脅迫的だったりするため、それはそれで特徴があるように思う。

2ちゃんねるで、なぜあのように頻繁に人を傷つける言葉が多く見られるのかは、結局、ネットには発達障害系の人が相対的に多く集まっているからであろう。発達障害系の人は通常のコミュニケーションが苦手だが、まだ活字で会話できるネットは、はまりやすいような気がしている。2chはリアル空間よりまだ住み心地が良いのである。

掲示板の世界では統合失調症と診断されていたとしても、真の診断はおそらく広汎性発達障害系の人もけっこういるのであろう。真に精神面で健康な人たちは、滅多に2ちゃんねるに入りびたりにはならない。日常、面白いことは他にたくさんあるからである。

一方、真に統合失調症の人もさほど来ないような気がしている。統合失調症の人では、その統合失調症の概念と自分の感じている症状には繋がりみたいなものが希薄で、問題意識として心には挙がらないからである。統合失調症の人は自分がそうかどうかの苦悩もむしろ乏しいように見える。統合失調症と診断された際の苦悩が本人または家族に大きいケースは、やはり発達障害的だ。

そんなこともあるのだろうか?僕の患者さんの統合失調症の人で、2ちゃんねるに常駐している人なんていない。あれは統合失調症の人たちには疲れる環境というのもある。

僕は外来で統合失調症の人たちがインターネットをする場合、どのようなサイトを見ているか調査したことがあった。

統合失調症の人はメンヘル掲示板とか僕のブログを見に来るような人はあんがい少なく、例えば音楽、絵画、料理、お菓子作りなど本人の趣味のサイトなどを見たりしていることが多い。なんだかすごく平和なのである。

しかし、アスペルガーのインターネットをする人では、メンヘル掲示板の「自殺系」スレッドの住人だったりする。したがって掲示板には相対的になにがしかの発達障害の人たちが多いのである。時々、犯行予告があるのはそのせいであろう。すべてが発達障害とは言わないが。

わりあい最近のことだが、岡山で電車が来る線路上に人を突き落としたと言う奇妙な事件があった。あの事件では簡易鑑定で「アスペルガー症候群」の疑いのような記事が出て、ネットで批判があったようであるが、僕はあの事件が実際にアスペルガーによるものかどうかはともかく、アルペルガー的な事件だと思った。あのような意味不明の事件はなおさらだ。

だいたい、毎日、毎月、日本中でホームで電車を待つ人の膨大さを考えるに、あの事件は確率的には稀有なものである。だから、アスペルガーがあのタイプの重大な事件を良く起こすというほどの頻度とは言えない。しかしあのような意味不明の事件、事件直後の本人のコメントなど総合すると、いくら稀有でもそういう風に見えてしまう。

あのような簡易鑑定で「アスペルガー」という診断名を出すことはいけないなどと言うのは、一般の発達障害の子供を持つ家族の心情からは理解できるが、最終的には新聞紙上で明らかになっていることが多い(京都の塾教師の女児殺人事件、長崎男児誘拐殺人事件、寝屋川小学校教師殺害事件など)。また、簡易鑑定時点で、注目されているような事件は何らかの結果が公表されることはこの事件以外にもある。

発達障害の人たちの総数と相対的な奇妙な事件の数を考えるに、絶対値でアスペルガーの人に重大な犯罪が多いとは言えない。

しかし、家族や兄弟への暴力などは水面下では結構あるのである。家族を殺したり重症を負わせた場合は全然違うが、家族のちょっとした怪我なんて事件にすらならない。犯罪として挙がって来ないのである。このような些細な暴力行為を裾野とするピラミッドの頂点に殺人事件など大きな犯罪があると言わざるを得ない。(重大犯罪があるのに、そこまでいかない中間的な犯罪が全くないなんて考えられないという意味)

むしろ発達障害の人には、触法性が高い人もいることを理解してもらった方が今後のためにはきっと良いと思う。隠そうとする姿勢は一般の人に誤解を生み、かえって偏見に繋がると思う。この辺は微妙だが、歴史的にはそうした方が良かったものが多いのである。

補足
アスペルガーないし発達障害系の人たちの犯罪には、ファンタジーと現実が区別できなくなって犯行が起こるケースがある。普通、こういう犯行の方が、アスペルガーの精神症状を考慮すると理解しやすい。このタイプでは性犯罪なども見られるが、僕が初めて性犯罪のアルペルガーを簡易鑑定した時、こういうタイプではなかった。その人は単に女性とのコミュニケーションがうまく取れないために、不思議な性犯罪をしていたのである。僕が検事さんに「この人はアスペルガーですね」と言ったところ、「またアスペルガーですか・・」という返事だった。アスペルガーの軽微な犯罪はそう珍しいことではないのである。(トータルでは多くはないが、アスペルガーと診断されている、つまり簡易鑑定の場で認知されていることに価値があると思われる)

またストーカー的な犯罪もある。このような犯行ではあらかじめ待ち伏せしていたり、道具などの綿密な準備をしていたりするため、あまりにも統合失調症的な犯行ではない。(責任能力がないように見える犯行ではないと言う意味)。その点で、有罪になるのはやむを得ない。

また、あまりにも感覚過敏なために、相手の意図しなかった何気ない言葉や行為などを被害関係妄想的に受けとめ、恨んで犯行に至るケースもある。いわゆる認知の歪みである。

もともと精神鑑定は、その事件を起こした精神障害者を救うために行うものではない。人によれば結果的に救うように見えるだけだ。

その事件当時の精神症状を鑑定し、その被告人が適正に処遇されるように法律家に意見を言うだけなのである。法律家はその意見を参考にして、自分達が思うように処遇を決めて良いわけで、場合によれば精神科医の意見は無視してもかまわないのである。

一方、法律家による刑事裁判の目的は、被害者の感情を慰め、満足させるためにあるのではなく、被告人に対して適切な刑罰を課すというものだ。このあたりは一般の人たちとの感覚と相当にギャップがあると思う。

裁判を観察していると、実際にそのようになっているのがわかる。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤

2008-09-18 20:16:25

社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
社会的な地位が桁違い高くなると疾患が問題にならなくなること。周りがその人に合わせてくれるような環境。そのくらいの地位。例えば、弁護士、医師、大学教授、大学の教官、会社の風見鶏的オーナー、作家、画家、漫画家などである。これは過去ログから。

この意味で精神疾患は社会的な要素が高いといえる。例えば今この状態は病気と言えるが、100年前ならば病気と扱われなかったようなものもある。余談だが、一般に統合失調症の場合、社会的に地位が桁外れに高いケースでは、あまり病気が問題にならない傾向はある。桁外れに高い地位とは、大学教授や風見鶏的な会社オーナーとか作家や画家などである。彼らは周囲の者が合わせてくれるので、まあマイペースでやれるというか、ちょっと変わった人だけど・・くらいで済んでしまうのである。(「精神疾患と社会とのかかわり」から)

そのような社会的地位では、ちょっとばかり変でも周りから仕方がないと思われていたりする。それはそれで手放しでは喜べないんだけど。

まあ、困りながらも周囲はサポートする。彼はかけがえがない存在だからだ。いつもそのような環境にいると、本人も自覚がない。病識もない。随分迷惑をかけているかもしれないことは意識できない。しかし、「この自覚なし」、「病識なし」で済む環境だからこそ、微妙なバランスが取れているのであった。

真に孤独な仕事の場合は、そこまで迷惑がかかっていない。個人で行う創造的な仕事などはそうだ。その環境では、究極の1人勝手でもまだ大丈夫なのである。

変に自分を意識するとか、他人に配慮しようとか合わせていこうとすると、何か病気になるかもしれない。それは精神だけ言っているのではなく、胃潰瘍などの身体疾患も含まれる。何か壁にぶつかって、それを克服できるような人。それはそれで価値があるが、危ない橋を渡ることでもある。

アスペルガーは、高知能とか高機能という意味が内在するので、その点で統合失調症とは一般人の認識が異なっている。そういうこともあるのだろう、自分にその診断がつくと自らアピールする人たちがいる。統合失調症の人たちがその診断をアピールしないのとは大きな違いだ。これは単に病識があるなしとは少し異なる認知の歪みのような気がしている。アピールすることは、自分を特別にみてほしいという言外の意味もあるのだろう。本人にとって、良いか悪いかと言えば良くはないと思う。アスペルガーは「そう悪くはない特別な疾患」に見られたいのかもしれない。

アスペルガーの家族が、すぐに攻撃的になるのはたぶんそのことと関係している。このような社会とのかかわりはたぶん周囲の人からも少なくとも快くは思われないだろう。ただ、彼らにはわかりにくいことだとは思う。

アピールすることで、何か良い事があるとすれば、本が書けるくらいであろう。

アスペルガーという診断について僕ができれば告知したくないのは、アピールするようなアスペルガーになってほしくないからである。これは過去ログのコメント欄から。

アスペルガーは正常からかなり重い人まで連続しているので、その望ましい対応は千差万別です。現在は広汎性発達障害がブームのようになっており、ブランド化しているのを僕は憂慮しているのです。過去ログもその目線で書いたものがあるし、今回のエントリもそういう気持ちが含められています。僕は、「アスペルガー症候群」と告知した時、ショックを受ける家族も、また大喜びする家族も何か間違っていると思うのです。だから、僕はなるだけ告知しない方針で臨むことにしました。(「アスペルガーと正常の間の人々」から)

社会的にその存在を主張することは、その疾患の治癒とか寛解の方角には行っていないような気がしている。それは、その個人だけではなく、アスペルガーの社会的評価についてもそうだと思う。

このような考察から、軽いアスペルガーの中学生や高校生は専門性の高い職種を目指すべきだ。それは知的に高い職種だけではなく、そうでないものたくさんある。何か病状を悪くして疾患をアピールしなくて済むようにしないといけないと思うのであった。

けっこう年齢がいって、それなりに適応を果たしていた人たちは、軽かったのももちろんあるが、消極的ではあるが結果的にまだ社会に適応できる職種を選択していると思う。

参考
①頭部外傷から統合失調症になるのか?
②統合失調症の寛解という意味
③社会的な目線での統合失調症とアスペルガーの共通点
④精神疾患と暴力、触法性
⑤2ちゃんねるとアスペルガー
⑥発達障害は統合失調症の免罪符ではない
⑦赤

2008-07-20 07:47:31

アスペルガーと正常の間の人々

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
数ヶ月前に、ある女性患者さんが初診した。僕は最初話していたとき、彼女はアスペルガーではないかと思った。そう思った根拠であるが、

1、 服装
2、 容姿・表情
3、 主訴の内容


であった。アスペルガーは痩せ型の人が多く、ひょろっとしていて服装の色合いもモノトーンが多い。(特に黒>参考

あと、わりあい性別、年齢不詳の印象の人も多いように思うが、中には妙に端正で俳優か女優さんもできるのではないかと思うような人もいる。(←意味不明)

つまり根拠がないと言えば、そうとも言える。

とにかく、アスペルガーでも社会生活を普通に営んでいるような限りなく正常に近い人たちは、何か事件が起こらない限り正常人として紛れているのである。

だから、こういう人たちは何もなければ、もちろんアスペルガーとは言えないと思うし、何か精神面で起こったとしても、その程度ならそう診断すべきではないという感覚。つまり幼少の頃からトータルで考えて一般人の感覚で広汎性発達障害が明瞭に見えない限りはそう診断しないのである。

これは、ある意味、きわめて社会的なものを考慮し診断する立場と言える(参考)。また、そういう人に安易にアスペルガーの烙印を押さないという配慮もある。僕は、よく言えば個性、悪く言えば変わり者の人たちを正常域を広く取って包括し、その土俵で治療を進めたいのである。

しかし患者さんによれば、アスペルガーの雰囲気だけはなぜか感じてしまうのである。しかしそう思ったとしても、告知はしない。それかもしれないとも言わない。なぜなら上のように思っていることもあるが、確固とした証拠がないというのももちろんある。

後に、転院して他の精神科医からそう告知されて、僕が全然わかっていないトンデモな医師と思われてしまったとしても、それはまあいいでしょう。減るものでもないし。

もちろん、アスペルガーで生活上のハンディキャップが大きければ、そう診断することで本人や家族の心理的メリットもある(かもしれない)が、他の病院でおそらくそう診断されないような人たちに、積極的に診断・告知するのは、あまりにもと思う。本人もショックだろうし。

そういう理由で、僕はバカみたいにアスペルガーとは診断しないタイプの精神科医である(参考)。しかしその背景を考慮して治療はする。マニュアル的には対応しないのである。僕の治療はアスペルガーに限らず、常にそういうスタイルになっている。

今回の女性は僕がアスペルガーと診断しない程度の、そういうタイプの人だったということでエントリを読んでほしい。これは一部の人たちには参考になるかもしれない。

彼女の困っていることはいくつかあったが、最も大きい原因は「今は育児もしなくてはいけないこと」と言えた。何か仕事をしているようなアスペルガーの人たちは、育児は平行してやっていくには難しい仕事なのである。

アスペルガーと前頭前野」から
「前頭前野」は、コミュニケーション、思考、創造、行動・情動の抑制、意欲、記憶、自発性など多岐の要素と深いかかわりがある。例えば、数人と会話している時に、中心になっている人に注意を向けたり、話に追随したり、笑うところで笑ったりするなど、人間らしい行動、情動を制御しているといえる。また、嫌なことがあってもそれを表情に出さず、上手い具合にバランスをとって円満な人間関係を保てるのもここが関係している。アスペルガーの人は、同時にいくつかの仕事を頼まれるとパニックになったりするが、これは前頭前野が不調だからである。意味不明に暴力を振るうのもこれに関係が深い。

最近、職場の上司の言葉がきつく感じられるようになり、小さな衝突が生じていた。たぶん上司は最近変わったわけではなく、以前からその調子だったと思うが、このような時期は許容力が低下しているのである。もうあの職場では自分はやっていけないという。

アスペルガーの人たちは洞察が出来ない人が多く、自分自身に変化が生じてそういう風になったとは普通は思わない。これはたぶん健康な人でもそうなるように思うので、これ自体は特別でもなんでもない。

一般の人に「あんた、病識ありますか?」と聞いても「(°Д°)ハァ?」と言った答えが返ってくるに違いない。自分のことは案外わからないのである。案外と言う言葉は不適切だ。「自分のことは普通にわからない」のである。

彼女の場合、病院に来ることを決心したのは、ある程度の自分の異変には気付いており、それまでの自分とは違うと思ったからであろうが、それは不眠、イライラなど、自分が感じる範囲だけである。これは過去ログで「統合失調症の人たちは家庭の医学で自分の症状を調べた時に、うつ病になったと思うことが多い」と言うのに似ている。

いろいろと話を聞いていると、育児にしてもこだわりがあり、例えば、何があっても絶対、母乳で育てたい、精神科の薬は母乳に影響するなら飲まないという。このようなこだわりは強迫的であり、やはりアスペルガーっぽいと言える。

ごく軽いアスペルガーの主婦(これは僕が正式に診断しない範囲の人)は、非常に食材にこだわり無農薬とか有害なものを避けようと一生懸命にやっていることがある。きっと彼女はそういうタイプなのであろう。

僕は、これは思ったように薬物治療はできそうにないと思った。たぶん、そういう制約がなければデプロメールかルーラン1~2mgくらいを開始したような気がする。

最初、「育児ストレスでうつ状態になっているようなので、会社を休みましょうか」くらいにアドバイスし普通診断書を書いた。こちらが積極的に言って休ませないと、こういう人はセルフコントロールができず、行くところまで行って遂にはバッタリ倒れてしまうからである。アスペルガー的な人はどこまで悪くなるのか見当がつかないところがあり、早めの休養が予後を良くすると思う。

僕は他に食事療法を薦めた。結局、彼女は薬を飲まないので、「休むこと」と「平凡なお話」と「食事療法」で治療を始めたのであった。(参考

僕は心理的な深い話はしないことにしているので、これまでの経歴や生活上の些細な事件などを最初は聴取していた。幼少時にはどうみてもアスペルガーを象徴しているようなものはないと思った。軽い人はその程度なんだと思う。考え方はやや融通がきかない面があるが、このくらいなら、一般の人にもいくらもいる。ちょっと面白いと思ったのは、彼女は外国人(白人)と結婚していること。

当初、僕はこれはたまたまそうだと思っていて、あまり気にしていなかった。重要視していなかったのである。しかしずっと話しているうちに、この人は外国人だからこそ結婚した(できた)のではないかと思うようになった。彼女は英語はそこまでできるとは言えないのである。

もしコミュニケーションのハンディキャップがわずかにあるとしたら、むしろ外国人の方が付き合いやすいというのはあると思われる。なぜなら、語学のハンディキャップがコミュニケーションのハンディキャップに化けてしまうため、普通の人と変わらない感じになってしまうから。これはアスペルガーのハンディキャップが相対的に薄れる環境だと思った。

だいたい、外国人は積極的に言葉で愛情表現する傾向があるため、アスペルガーの女性には日本人男性よりはむしろわかりやすいような気がする。結婚生活にしても、とまどいが少ないのかもしれない。コミュニケーションに言外の情緒的なものが多い日本文化とは異なるから。日本人は言葉で直接表現することは恥ずかしいのか、

男は黙ってサッポロビール・・

の世界だからである。(←かなり古い)

僕は「ご主人は子供の育児についてどう言ってますか」と聞いてみた。彼女は、自分の国では問題にならないようなもの(悩み)であると、言われたらしい。まあそれでも、本人は納得しないわけだが。

食事療法(今回は取り上げない)が順調に行き、1ヶ月くらい経つと随分元気になった。僕は細かいことは言わない方針なので、最低限の生活のアドバイスだけはしていた。

しばらく時間が経ってから、僕はなぜバッチフラワーを薦めなかったのだろうかとちょっと反省した。バッチフラワーは子供にも使われるくらいだし、母乳から出たとしても、かえって子供の夜泣きが良くなるかもしれない。

たぶん、彼女には有効だし、本人も気に入ると思ったのである。

(これも不思議なボトルに入っているので、人間関係が出来ていない段階で勧めたら、拒絶されていたかもしれないとは思う。)

そんな風に、僕のくだらない話とバッチフラワー(レスキューレメディ)を併用していたら、ずいぶん表情から険がとれてきたと思った。アスペルガーの人たちの表情には大雑把に言って2種類あり、普通は朗らかでない人が多い。いつもシリアスなのである。

僕はもともと彼女は普通の人に含めているが、今回はちょっとだけ僕の主観から、そういう角度で見てきたことについて考察している。結局、彼女は身体的ストレスから、自分の弱点が現れたのだが、いろいろやっているうちによくわからない理由で、今や、薬もろくに使わないまま完治しようとしているのである。

僕は、彼女がこのように良くなったのは、別にデプロメールを使わなかったからとは思わない。デプロメールを使っていた方が、きっと僕自身の苦悩みたいなものは少なかったと思う。結果は同じ人が治療している以上、たいして変わらなかったと思うよ。

正常人を広く取って、無意味なラベリングをしない。これは患者さんへの精神科医らしい接近だと思う。彼女にチューニングを合わせたのである。

僕は、特に内因性疾患などの診断学は重視しているが、治療はまた別な感覚で行っているのである(参考)。これはそういう風にした方が、結局は本人とって人生のストレスにならないということもある。それはストレスと言うより、トラウマと言っても良いのかもしれない。
2008-07-02 21:14:35

レセプトの電子化

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
近い将来、レセプトがコンピュータ化されるので、精神科病名をコードで単純に記載できるように準備中である。アナログからデジタルになるので、どうしても不都合なことが出てくる。

今、ちょうど月始めであり、このレセプト病名のチェックをしているのだが、従来は良かったけど今はそう書けない病名もあって、いろいろと考えを巡らして憂鬱なのである。

以前、リーマスとリボトリールを併用した場合、非常に困ると書いたことがあった(参考)。なぜならリーマスはデパケンRとは違い「躁うつ病」ないし「躁状態」しか適応がないが、リボトリールは本来てんかんの薬物だから。おまけにリーマスはてんかんに禁忌ときている。

臨床医としては、これで減点された日には怒りが爆発なのであるが、振り上げた手をゆっくりとおろし、現実的に対応しなくてはならない。そのまま減点されるのはまさしくアホだ。

僕は以前はこれを乗り切るのに、

① 躁うつ病
② 眼瞼痙攣


のようなレセプト病名にしていた。実は、眼瞼痙攣はジストニアの一種なので、リボトリールの適応はない。だが、痙攣という用語が入っており、レセプトをチェックするオッサンの目の錯覚を狙っているのである。この作戦は功を奏し、これで減点になったことはなかった。

実は、この「眼瞼痙攣」というのは一般的に使われているが正式病名ではなく、正確には「眼瞼攣縮」(がんけんれんしゅく)と呼ばれる。眼瞼攣縮と正確に書いてしまうと錯覚が狙えないのがちょっと・・

また同じような診断名を何回もレセプトに書くのも気が引けるので、やがて平凡に「自律神経発作」にすることにした。眼瞼痙攣は精神科的な診断名ではないし、珍しいのでこれが頻発するのはやはりおかしい。

自律神経発作は一見、軽い疾患に見えるが、部分てんかんの1つであり、よく考えるとリーマスのてんかんに禁忌と言う制約をクリアしていない。しかしなんとなくだが、一瞬、自律神経の失調症状を表わしているように見えるところがミソなのである。これもレセプトのオッサンの目の錯覚を狙っている。まあ、基本的にはレセプトのオッサンの弱点を突く。そういう風にクリアするしかない。

僕はこの作戦でも未だ失敗がない。というか、リーマスはてんかんに禁忌であることを知らないオッサンも多いような気がしている。なぜなら、以前は「躁うつ病」に加え「症候性てんかん」の病名でほとんどクリアしていたからだ。

レセプトは高い薬ほど減点されやすく、リーマスやリボトリールのような原価割れしているような薬物は減点されにくい。敵も一応考えており、たいして戦果が上がらないような減点はしないようにしているようには見える。やはり減点するなら高価な非定型精神病薬やSSRIなのである。

ところで最近、最も困っているのは、統合失調症で抗精神病薬に加えリーマスと抗うつ剤を併用してるような人のレセプト病名である。例えば、

エビリファイ 3mg
リーマス  600mg
テトラミド  20mg


このような処方は多くはないがたまにはある。この場合、以前は

①統合失調症
②躁うつ状態


と書いて大丈夫であった。ところが電子化されると「躁うつ状態」という病名は存在しないのである。もしテトラミドがないなら、「躁状態」という病名はあるので大丈夫だ。しかしこのケースは難しいのである。「うつ状態」という病名はなぜか存在しないので、

①統合失調症
②躁状態
③うつ状態


というのもダメなのである。結局、僕は統合失調症と躁うつ病を併記しないとどうしようもないことに気付いた。全く昔の教授が泣いとるよ。

① 統合失調症
② 躁うつ病


こういうバカ丸出しの病名を書かせるとは、さては、われわれ精神科医をバカにさせるつもりだな・・「3の倍数の時だけバカになります」どころの話ではないのであった。

実はこの問題は、主病名を躁うつ病に変更すればクリアできるのである。「統合失調症様状態」という病名はあるから。

① 躁うつ病
② 統合失調症様状態


これは主病名を曲げているということで、精神科医的には同意できない。こういうことをしていると、その人がいったい何の病気なのか?とか、統計的なものにも歪が来ると思われる。

また、応用問題でこういうのも非常に困ることがわかった。抗精神病薬に加えデパケンR、リボトリール、抗うつ剤を併用しているアスペルガーの人たちのレセプト病名である。レセプト的には本来アスペルガー症候群に適応がある薬物はないので、アスペルガーの状態像を書かないといけない。例えばこういう処方だったとしよう。

デパケンR   400mg
リボトリール  0.5mg
アナフラニール  25mg
ルーラン     1mg


これはアスペルガーではいかにもありそうな処方だ。この場合、ルーランは統合失調症にしか適応がないので、いかなる病態であれ「統合失調症様状態」は付けざるを得ない。したがって、

① アスペルガー症候群
② 統合失調症様状態


この後が困るのである。もしデパケンRの双極性障害の適応を重視し「躁状態」と付けるとアナフラニールはどうなるんだ?と言う話になる。上でも触れた通り「躁うつ状態」はありえないからである。これがデプロメール75mgなら対応しやすい。「強迫性障害」と書けば良いから。しかしアナフラニールなら、なにがしか「うつ状態」に関しての病名を付けざるを得ない。しかもリボトリールもてんかんに関する何らかの病名も必要なのである。

結局、このような診断にした。

① アスペルガー症候群
② 統合失調症様状態
③ 躁状態
④ 器質性うつ病性障害
⑤ 自律神経発作


まさにメチャクチャであるが、まだアスペルガーの雰囲気は表現できているのが救いだ。

本当は③④はまとめて「躁うつ病」と書けば済むのであるが、①②でアスペルガーと統合失調症状態と書いた以上、更に「躁うつ病」なんて酷すぎる。なぜなら躁うつ病は内因性疾患だからである。精神科医的には内因性疾患ならそれを主病名にすべきだ。統合失調症と躁うつ病の併記も相当に酷いが、この2つはまだ同じ内因性疾患なので、非定型精神病のような病態で困って付けたのだろう、ぐらいに思われるが、アスペルガーは内因性疾患ではないので、あまりにもなのである。

実際、上の5つの病名も相当に酷すぎるけどね。

2008-05-21 22:41:58

スポーツで大成するアスペルガーは存在する

テーマ:広汎性発達障害、アスペルガー症候群
一般に、アスペルガーの人は運動が苦手ということになっているが、アスペルガーは重い人から軽い人まで連続しているので、ごく稀にアスペルガーにもかかわらずスポーツで大成する人は存在する。

これは別にプロスポーツのだれそれがアスペルガーと言っているのではない。

アスペルガーの人は物事に凝るので、すごく突き詰めると良いタイプのスポーツならさほどハンデキャップにならない。

個人的なスポーツならなおさら。
powered by Ameba by CyberAgent