ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

           ホームズ物語の暗喩(2009/05/18)




             美少年

 以前紹介した、唐沢俊一の著作『トンデモ美少年の世界』。この本には実は他にも色々気になるところがあるのだが、その最たるものは、「超訳・根南志具佐」と題された一章である。平賀源内の「根南志具佐」を唐沢が現代語訳したという触れ込みのものだが、一昨年から唐沢俊一の検証をしている側から言わせて貰えば、唐沢にはそんなことが出来る能力はない。ネットの絶版本の復刊を願う声の中に、『トンデモ美少年の世界』をこの「超訳・根南志具佐」が読みたいがために復刊してくれというものもあり、この文章、どこからパクッてきたものか徹底的に調べたいところだが、サラリーマンをやりながらでは、さすがにそこまでの時間はない。夏休みにでもトライしてみようかしら。
 で、今回検証するのは、「ホームズ物語の暗喩」という章立ての文章である。前述したように、初出は『JUNE』(マガジン・マガジン)という雑誌。唐沢は美少年系耽美雑誌と形容しているが、まあ、ホモ向けの雑誌女性向けのホモの雑誌でありますな。
 そう書けば、もう先は想像出来るだろう。唐沢は、ホームズとワトソンという男同士の関係について“耽美”の立場から語るのである。もっとも、唐沢は、冒頭で、原作には、二人の関係に関して同性愛的な要素なんかないと結論してしまう。その理由は、コナン・ドイルという人物が――

 どうしようもないくらいカチカチのモラリストでクリスチャンで愛国者であって、自分の小説の登場人物にそのような性癖を持たせることなど絶対にありえない人物であった。~中略~日本でいえば夏目漱石などもそうだが、面白い小説を書く作家自身が面白い人物である率は案外低いものなのである。

「性癖」とは、悪い意味で使われることが多い言葉だが(盗癖、虚言癖etc → 唐沢ではないか!)、「性的な癖」のことを指すわけではない。こうした誤用は「トンデモない一行知識の世界 OLD」でも指摘されている。キリスト教は同性愛を禁じているが、世界中のクリスチャンの中に同性愛者がいないなんて、まさか考えちゃいないだろうな。愛国者に至っては、なんでここに出てくるのすら分からない。再三再四に亘って、唐沢から「同性愛者」と決め付けられた三島由紀夫の立場はどうなるのか。そして、わざわざ夏目漱石なんてビッグネームを出してこなくても、面白くもなんともない『血で描く』という小説を上梓した作家が、頗るつきに面白い人物で、ネット上にも検証サイトがいくつも立ち上がっているという好例があるじゃないか(もっともこの本は盗作が露見する以前のものだけど)。
 どちらにせよ、ホームズとワトソンの関係を検証したものは、やおい本から、シャーロキアンによる真面目なものまで、昔から沢山あるのだから、唐沢なんて出る幕がないのである。そうして、この男が徹底的に駄目なことは、次の一文が証明している。

 まだ文化人たちが同性愛という言葉を口にすることがはばかられた時代には、その友情を説明するために。
「ワトソンは女性であった」
 という珍説を立てた研究家さえあったほどだ。ホモ、と言ってしまえばずっと簡単なのに、苦労してたんですね。


 馬鹿じゃなかろか。いや、馬鹿なんだけどさ。野暮を承知で書かせていただけるなら、そもそも、シャーロキアンたちの研究それ自体、壮大な洒落なんである。だからこそ、真剣に検証を重ねて、大真面目に語るのだ。この馬鹿は「ワトソンは女性であった」という珍説は、苦肉の策だと思っていやがる(「ホームズは女性であった」なんて説もあるんだけど)。野暮の骨頂だよ、田舎モン! 
 それにしても似非シャーロキアンてのは糞のような人間ばかりだな。

※ 「JUNE」に関して間違った記述をしてしまったので、訂正しました。


         日本人は裸族なのか・承前(2009/05/17)



         やっぱり脱ぎたがり屋さんなのね(笑

 一つ前の「地デジカ」のエントリで引用しておいて、見逃していた。唐沢は村崎との対談でも「裸体論」を展開している。要旨は同じこと。脱ぎたくて堪らんようだ。

 唐沢●日本は明治以前は裸体天国だったんだ。日本に来た外人たちは、みんな日本人が裸体に鷹揚なことに驚いているね、裸体になることが日本において罪になったのは明治4年の裸体禁止令以降で、その条文を見ると露骨なまでに“外国人から見ると大変卑しむべきこと”“日本の体面に拘わる”と、外国(主にピューリタン的道徳観を主張するアメリカ)の顔色をうかがったものだったんだ。憲法9条をアメリカの押し付けというなら、この裸体禁止令もアメリカの無理強いなわけよ。日本の気候風土に合った肌の露出文化をそろそろ取り戻してもいい頃合いじゃないかねえ。むしろSMAPのチンコなら、金出してでも見たいっていう人、たくさんいるだろうしね(笑)。 社会派くんがゆく! 「草なぎクンは何か悪いこと、したのか?」より)

 気候風土に合わせてチンコ(下品でごめん)を露出させろということだな。唐沢百の言葉より一つの行動だ。ホッピーかっ喰らった勢いで、裸で闊歩してみな。


          日本人は裸族なのか(2009/05/17)



        露出狂なんでしょう? そうなんでしょう?

 草彅剛の公然猥褻事件以降、唐沢は再三再四この問題に触れている。要旨は裸ぐらいいいじゃないかという幼稚なものだが、その拘り方には、ちょっと異常なものを感じてしまう。ご本人が脱ぎたくて脱ぎたくて堪らず、他者に目撃されながら、全裸ででんぐり返りしていた草彅くんが羨ましくて仕方ないのではないのかしら。
 ついには呉智英がこの件に関して『女性セブン』に寄稿していると知るや、唐沢はわざわざコンビニに買いに行くほどの入れ込みようだ。読後、呉智英にしては陳腐だと述べ、またもや自分の意見を開陳しているのだが。

 私(唐沢)思うに、裸体になることが日本において罪になったのは 明治4年の裸体禁止令以降で、その文面は露骨なまでに“外国人から 見ると大変卑しむべきこと”“日本の体面に拘わる”と、外国(主に ピューリタン的道徳観を主張するアメリカ)の顔色をうかがった ものだった。柳田国男などはこの多湿の国で西洋風の靴を履いたり 詰襟の服を着たりすることの不合理を口を極めて言っている。その後アメリカ人の意識は大きく変わり、今や肌の露出度は日本人の比ではないくらい日常のことになっている。一方で日本人はそれ以降ずっと、この高温多湿の気候の中で真夏でも背広にネクタイという姿で闊歩している。(裏モノ日記 5月1日)

 どうやら日本人は裸族で、堂々と脱ぐことが出来たのに、アメリカのせいでその自由を奪われたのだといいたいらしい。馬鹿じゃなかろか。高温多湿ならそれに合わせた服装をすればいいだけのことで、ステテコ、ダボシャツまでは言わないが、半そで半ズボン、スーツだって暑けりゃ脱げばいいだけのことだ。性器(或いは尻とか、女性の乳房とか)を露出するから猥褻罪になるだけで、アメリカのビジネスマンだって(ハワイなど一部を除いて)、肌を大っぴらに露出して勤務しているわけではない。
 唐沢は脱げないことが不愉快で堪らないのか、以前もこんなことを書いている。明治時代に政府が陸軍の制服としてプロシャ軍のものを採用したことについて。

 生地がぶ厚く、詰め襟なのは、プロシアという国が寒冷地であったことと、これまた冒頭で述べたことに関係するが、ゲルマン民族というものがそもそもああいうボンデージ風の服装を好む性癖がある、ということから来ている。それを、今までユカタにヘコ帯をしめていた亜熱帯国の国民が着せられてはたまったものではない。(『トンデモ美少年の世界』P.67)

 これは雑誌『JUNE』(マガジン・マガジン)に連載されていた「シークレット・レポート」に書かれた記事だ。雑誌掲載時にも文庫本(光文社文庫)化されるときも、校閲というものは一切なされていないようだ。
 唐沢はゲルマン民族という民族がいると思っているようだな。そんな民族は存在しないし、ドイツ人を含むゲルマン人に分類されるのは、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、イギリスのアングロ・サクソン人、ベルギーのフランデレン人、フランスのアルザス人、イタリアの南ティロル人などだ。プロシャ人がと書けばよかったのに、制服→緊縛→ナチスドイツの連想からか(この回の連載は「制服と裸」というタイトルで、主にナチスの制服について書いている)思わず「ゲルマン民族」なんて曖昧な言葉を(それとは知らずに)使っちまったんだろう。まあ、漫画なんかで無意識にゲルマン民族とか言っちまうこともあるから、唐沢程度の教養じゃあしょうがないけどね。しかし、それより酷いのは「今までユカタにヘコ帯をしめていた亜熱帯国の国民」という言葉だ。亜熱帯? 日本は亜熱帯の国だったのか。まあ、小笠原村の聟島列島・父島列島・母島列島・西之島、鹿児島県の奄美諸島、沖縄県の沖縄諸島(沖大東島を除く)・宮古列島(多良間島を除く)・尖閣諸島は確かに亜熱帯に属してはいるけどさ。大体、軍服の話をしているときに、なんで「ユカタにヘコ帯」なんてものが出てくるのかね。それまで着物を纏っていた日本人の軍装といえば鎧に決まってるだろうっての。北国の極寒の地で、冬場ユカタを着て戦をした武士がいたと思っているなら、もう人間やめた方がいいよ。

 賭けてもいいけど、生家の薬局で事務員していたころ、「白衣の下はブリーフ一枚」なんてスタイルでいたなんて大嘘だろう。実際には白衣の下は一糸纏わぬスッポンポンだったはずだ。その白衣も隙を見ては脱ぎ捨て、露出を楽しんでいて、なをきに咎められた。間違いない。

 美少年

『トンデモ美少年の世界』あなたを惑わす危険な人々
 光文社文庫 1997

 ※「ゲルマン人」と「亜熱帯」に関しては、Wikipediaを参考にしました。


            地デジカ(2009/05/15)



          無責任極まりないデマ

 馬鹿コンビの「社会派くんがゆく!」に、訴えられても仕方がないような誹謗が書かれている。

 村崎 “地デジカ”っつーの? あの差し替えキャラ。見たとたん、人をバカにしてんのかと思ったよ。鹿にスク水みたいなもん着せやがって、動物虐待じゃえねか(笑)。
 唐沢 いかにも時間がないところに、とにかく手の早いイラストレーターに作らせましたって感じだよね。地デジって予想以上に浸透していないから、もう仕掛けているほうは、今回の件で激怒した鳩山総務相をはじめ、必死なんでしょう。


 これに関して、2ちゃんねるにこんなレスが付いた。

791 :無名草子さん:2009/05/15(金) 10:01:48

(上の記事の引用)
「地デジカは即席キャラではなかった! 地デジカ誕生秘話が判明!」
http://getnews.jp/archives/11361
>「毎年行っているPRの一環ですので、地デジカは即席で作ったものではありません。今年のPRの
>幹事はフジテレビさんが行うことになっておりまして、そのフジテレビさんが作ったキャラクターが
>地デジカということになります。キャラクターに関してはかなり前からフジテレビさんが社内で
>アイデアを募り、およそ150ほどのアイデアのなかから、地デジカのアイデアが採用されたんですよ。
>地デジカでググってもらえれば先日発表した資料など出てくると思うのでご覧ください」
>(日本民間放送連盟)。


 実はこのレスにも間違いはある。確かに「地デジカ」は即製のキャラではないが、そもそも、草なぎくんがやっていたCMは「社団法人 デジタル放送推進協会(Dpa)」のCM、地デジカは「日本民間放送連盟」のCMで全く別のものだ。だからDpaのスポットはNHKでもオンエアしていたが、地デジカはNHKには出てこない。勝手に勘違いして難癖をつける馬鹿。ホッピーで脳が煮えたのかしら。


         『こころ』は本当に名作か(2009/05/14)



            正直者の名作案内

 「唐沢俊一検証blog」のコメント欄は、今、宅八郎、松沢呉一、小谷野敦といった名だたる論客が降臨してきて、目が離せない状態になっている。
 本作はその一人、小谷野敦の新作で、タイトル通り、世評は全く無視した小谷野の独断による(正直とはそういう意味)、名作案内である。
 漱石もドストエフスキーも容赦しない。なるほどなあと思うものもあるし、馬鹿言っちゃいけないよと思うものもある。例えば――と書き出すとキリがないから止めておくが、ちょっと気になった点があるので書いておこうか。

 P.105 コラム② 推理小説の古典

 子供のころ、南洋一郎の編訳によるアルセーヌ・ルパンものを胸躍らせて読みながら、同じシリーズのホームズのほうはちっとも面白くなかった。あとでルパンの原作を読んだらだいぶ様子が違っていたが、ホームズに感じる「面白くなさ」は原作でも変わらなかった。

 これはポプラ社の全集のことを指しているのだろう。ホームズのほうは、だから、山中峰太郎の編訳だったはずだ。わたしゃ子供のころワクワクドキドキしながら読んだがね(ホームズは狂人として描かれている)。でも、ルパンは活劇であって、推理小説の古典には分類されないと思うんだが。つまり、ホームズを貶すために出してくるようなものなのじゃないよね。さらに――

 あとクリスティーは根強い人気があるが、私が若い頃推理小説を十年近く読まないことになった原因は、その『アクロイド殺人事件』にある。何しろ「意外な犯人」と中表紙に書いてあって、途中まで読んだら、意外な犯人なら、エルキュール・ポワロでない限り、一人しかいない。今の私なら飛ばして最後を見るのだが、我慢して最後まで読んで激怒して、推理小説嫌いになってしまったというわけ。あと『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』が有名だが、これも、そんなに面白いだろうか。(P.106)

 5ページの短いコラムに何度も「あと」という日本語が出てくるのが気になるが、問題はそこではない。若き日の小谷野は『アクロイド』を読んでいて、途中で犯人に気付き最後まで読んで激怒したという。なんで激怒するのだろう。せっかくの素敵なトリックが、中表紙(創元推理文庫の梗概のことを示しているのか)でネタバレしていたことに腹を立てたのか。いや、どうも違うようだ。それなら「推理小説嫌い」にはならないだろうからね。もし、中表紙に「意外な犯人」という言葉がなかったら、小谷野は最後まで読んで、やはり激怒したのだろうか。推理小説嫌いになった理由が今一ピンと来ない。まあ、前後の論調から推せば、クリスティのあざといトリックに呆れたからということかも知れない。
 その後、『幼年期の終り』や『夏への扉』に関して、SFファンなら怒りでぶっ倒れそうなことも書かれているのだが、今回はスルー。SFなら小松左京は全然面白くなくて筒井康隆だとして――

 推理小説のトリックなどというものは、これだけ大量に世界中で書かれていれば、ネタはもう尽きているはずだが、私が叙述トリックで感心したのは、筒井の『ロートレック荘事件』(新潮文庫)である。しかし別に世評が高くないのは、推理ものファンには、この程度のトリックはすぐ見破られるからだろうか。(P.107)

 ああ、そういうことなのか。小谷野は推理小説を、謎を提示する作者vs謎を見破る読者という形で捉えているようだ。「アクロイド」に関してなら、「意外な犯人」というヒントこそ与えられているが、途中でトリックは見抜けてしまい、「なんだ。こんなものが推理小説の世界では古典と崇められているのかよ」と激怒したのだな。
 そう思って続きを読んで驚いた。

 ところで、推理もの好きな人というのは、「謎解き」が好きなのだろう。私は、推理小説を途中まで読んで、犯人は誰か、などと考えることに興味がない。(P.108)

 えーっ?!
 『アクロイド』を途中まで読んで、誰が犯人か推理したんじゃないの? 『ロートレック荘』に感心したのは、推理ファンならぬ自分には、トリッがすぐには見破れなかったからじゃないの?
 ま、もっとも、小谷野が挙げている古典は、夏樹静子の『蒸発』、高橋克彦の「浮世絵もの」、西村京太郎の『天使の傷痕』、他には、『Yの悲劇』『樽』『情婦』(映画)『刑事コロンボ』(テレビ)くらいなものだから、もともと推理小説は好きではないんだろう。だったらこの分野に関してわざわざ語らなくてもよかったのにとも思う。

 本作を読んで、ディケンズの『荒涼館』が読みたくなった。それから、メルヴィルの『白鯨』を読み直してみようと思った。

 こころ

 『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内 小谷野敦 新潮社 2009


           津軽海峡冬景色(2009/05/14)



 前回のエントリに関連しての貴重な情報が、2ちゃんねるに書き込まれていた。引用する。

603 :無名草子さん:2009/05/14(木) 10:30:50
 ゴメン、一部文字化け、一部「引用ミス」orz
 以下、引用ミスの訂正
「都倉俊一 インタビュー - プレイリストから新たな音楽を発見する」  
 http://musicshelf.jp/?mode=static&html=special43/page2
 >阿久さんと僕で書いた作品は、ほとんど曲先。演歌でも阿久さんと
 >三木たかしさんで組んだ「津軽海峡冬景色」は曲先なんだね。頭から
 >三連譜が続くような構成は、作詞家が先行したら絶対に書けない詞と
 >思う。

 
 詳細はリンク先のサイトを見ていただきたいたのだが、都倉の言葉が正しければ、唐沢が日記で滔々と語っている、

 代表作『津軽海峡・冬景色』の正式タイトルは “津軽海峡”と“冬景色”の間に、ナカグロが入る。三木たかしは律義に曲にそのナカグロを活かして、石川さゆりに 「アアアア~、ツガルカイキョウ“・”フ~ユゲ~シキ~」と一拍おかせて歌わせた。今では誰もが“津軽海峡冬景色”を一続きの単語として意識している。誰やらが俳句の会で 「荒海や 津軽海峡冬景色」というのを詠んでボツになったなんて話もある。 作詞した阿久悠自身、なんでナカグロを入れたのかは覚えていない そうだ。しかし、三木たかしの王道的作曲の中では、あくまでも『津軽海峡・冬景色』なのであったろう。

 という文章は総てガセということになる。いやあ、素晴らしい、上から目線の下手糞な文章の中に、堂々とガセを紛れ込ませる技術は、余人を以っては代え難いものがあるなあ。
 


              王道の人(2009/05/14)



 
 11日の裏モノ日記にまたまたおかしなことが書かれているが、唐沢は、もう考えもせず、推敲もせず、Wikiで読み齧ったことを書き並べて(貼り並べて?)それでよしという開き直った態度で書いているようだ。文章は下手糞、内容はP&Gという評価は確立してしまい、今更何をどう書こうが、評価なんかされないことは、本人が一番分かっているのだろう。以下、三木たかしの訃報に接しての記事。

 作曲家三木たかし氏死去、63歳という若さ。 昭和歌謡の、ある意味 王道的体現みたいな人だった。そこが(ママ)王道かというと、歌詞をあくまで大事にする作曲、という 部分だったのではないかと思う。 代表作『津軽海峡・冬景色』の正式タイトルは “津軽海峡”と“冬景色”の間に、ナカグロが入る。 三木たかしは律義に曲にそのナカグロを活かして、石川さゆりに 「アアアア~、ツガルカイキョウ“・”フ~ユゲ~シキ~」 と一拍おかせて歌わせた。今では誰もが“津軽海峡冬景色”を一続きの単語として意識している。誰やらが俳句の会で 「荒海や 津軽海峡冬景色」 というのを詠んでボツになったなんて話もある。 作詞した阿久悠自身、なんでナカグロを入れたのかは覚えていない そうだ。しかし、三木たかしの王道的作曲の中では、あくまでも『津軽海峡・冬景色』なのであったろう。
 この人の曲が王道なのは、歌詞をないがしろにせず、一語々々の粒立ちをそれだけはっきりさせて作曲していたからであった。だから、明瞭に歌が記憶に残るし、素人でも唄いやすい。曲を提供した歌手の中でアグネス・チャンが一番多いのは、日本語を母国語としないアグネスでも、三木たかしの曲ならばきれいに歌えるから、だったのではないか(彼女は、デビュー時から日本語がうまくなっていないと言われるのをとても気にしていたという)。
 アニメソングを作っても、それは変わらず、王道中の王道と言える曲を作曲、子供たちの永遠の愛唱歌になった。
http://www.youtube.com/watch?v=iHv0kvmxTvk&feature=related
 それは特ソンマニアに人気の『超人機メタルダー』(『アンパン マン』が作詞やなせたかし、作曲三木たかしのWたかしだったが、 こっちは作詞ジェームス三木、作曲三木たかしのW三木コンビで ある)、アイドルソング『君可愛いね』、バラード『時の流れに 身をまかせ』、高校サッカー大会テーマソング『ふり向くな君は 美しい』など、どんなジャンルの作曲でも変わらなかった。
 日本語の響きを大事にし、その言葉を最も輝かせてくれた、王道の人だった。昭和歌謡に愛着を持つということは、三木たかしの作曲法に愛着を持つということだったかもしれない。王道の人に、黙祷。
(太字は引用者)

 音楽のことは全く分からない。分からないなら分からないなりに、自分の得意分野(?)のアニソンに絞って語る、なんてことも思いつかない。いや、そんなことをしたら、却ってボロが出るか。日本語を大切にする作曲が王道だと決め付けるなら、具体的な楽曲作法について一言あるべきだが、そんなことは分かりもしない。滅多矢鱈に王道、王道と繰り返すだけ。
 おい、唐沢、三木たかしが優れた作曲家だったのは、お前の手柄でもなんでもないんだぞ。なにをまあ、上から目線で偉そうに。
 日本語を母国語としないアグネス・チャン(日本語も下手だし、理解力も劣る)が、なんで一語々々の粒立ちをそれだけはっきりさせて作曲していた三木たかしの曲なら、きれいに歌えるのか説明してみろや。お前に、英語の歌詞を大切にする王道を行くアメリカ人が作曲した曲がきれいに歌えるか?
 もう埋まればいいんだもんね。堕ちる所まで墜ちたな。

 検証blogのコメント欄が賑わっていると思ったら、思いもよらぬ方々から、メールやメッセージをいただいた。これまで、漠然と「唐沢って酷い奴だな」と思っていたのが、具体的にどう懲らしめようかという指針を見つけたってことかな。
 お楽しみはこれからだ。


       速報/第9回「本格ミステリ大賞」決定!(2009/05/13)



            決定しました

〔小説部門〕『完全恋愛』牧薩次(マガジンハウス)
〔評論・研究部門〕『「謎」の解像度』円堂都司昭(光文社)


 5月13日開票の結果、大賞が上記の通り決まりました。候補作の各得票数は以下の通り。各社媒体、HP等で公開してください。全選評は「ジャーロ」夏号(6.15発売)に掲載されます(ハガキを別送しますが、メール環境が会員・賛助会員の9割を超えていますので、現時点をもってオープン扱いとします)。

【小説部門】候補作(タイトル50音順)
23『完全恋愛』牧薩次(マガジンハウス)
4『裁判員法廷』芦辺拓(文藝春秋)
13『造花の蜜』連城三紀彦(角川春樹事務所)
6『ペガサスと一角獣薬局』柄刀一(光文社)
11『山魔の如き嗤うもの』三津田信三(原書房)

【評論・研究部門】候補作(タイトル50音順)
7『幻影城の時代 完全版』本多正一編(講談社)
2『探偵小説のクリティカル・ターン』限界小説研究会編(南雲堂)
13『「謎」の解像度』円堂都司昭(光文社)
3『本格ミステリ・フラッシュバック』千街晶之他(東京創元社)
2『密室入門!』有栖川有栖×安井俊夫(メディアファクトリー)

 小説部門は『造花の蜜』を推しましたが落選。
 評論部門は、推薦した『「謎」の解像度』が受賞しました。

 ま、『完全恋愛』の受賞は』予想していましたが。


          VOW お笑い新聞(2009/05/13)



             青息吐息

 うーむ。
 かつてのパワーはどこに行ったのやら。
 
 VOWは1から綿々と20まで続く本体(毎年夏に刊行される)と、例年年末、もしくは翌年の初めに出る姉妹編(VOWplus1とかVOWでやんすとか)の2部構成で、これが毎年2回のお楽しみだったんだが。

 VOW本

 夏にVOW20が出た後、年末にも新年にも新刊は出ず、宝島社のサイトからも、VOWのページはなくなってしまうし、「まぐまぐVOWデジカメでぽん」も更新が滞っているし、なにやら冬の時代を予感させたのだが、悪い予感が当っちまったというのが読後の感想だ。残念だけど。
 ザ・ニュースペーパーのページはともかく、第1章 霞流一さんの世界の珍事件!は、霞先生から毎年送られてくる抱腹絶倒の年賀状がネタだから、ひとしきり笑わせてもらい、うむ、これは充分に期待できる内容だなとワクワクしたのであるよ。
 いや、それは見事に裏切られた。ネタ切れ(送られてこないのかしら)は目を覆わんばかりで、一体いつの時代のネタなんだよという、古色蒼然としたネタが目立つこと目立つこと。天野祐吉の『嘘八百!!』じゃあるまいし。
 「まぐまぐ」もそうだが、VOWネタのサイトの凋落も著しい。吉村智樹の「街がいさがし ~街のヘンなもの見つけた!~」も2007年四月以降更新されていないし(もっとも吉村さんは、「ミミ&カッキー」というBBSで同じようなことは続けているけれど)。VOWもそろそろ、その役目を終えようとしているのかしら。

 VOW新聞
 『VOW お笑い新聞』 宝島編集部 編 宝島社 2009


          ブリコラージュの教訓は?(2009/05/11)



     知らないことを書くなら、調べることくらいしなよ。

 検索してコピペしてパクる努力は惜しまないくせにねえ。
 5月5日の裏モノ日記にまたガセが載ってらあ。知ったかぶりして大恥をかいた、ブリコラージュの教訓が全く活かされていないよなあ。いや、なにブリコラージュをプリコラージュと書いているんだよね。無論、それだけじゃなくて、内容の説明も全くの出鱈目。でも、“Bricolage”なんだから、プリになるわけはないんだよなあ。で、裏モノ日記なんだが。

 佳声先生は最近よくかける『国性爺合戦』、それと大会の大〆メをマンガ紙芝居『ドンちゃん』。弾丸自動車(スナップ・ボラードの喜劇映画からのインスパイアか?)に乗ったドンちゃんの大冒険(?)自動車を発明した博士が白人なのになぜか中国風のアルヨ言葉だったり先行きがまったく見えぬ紙芝居クオリティ。いや、笑った。

 スナップ・ボラードって誰? “”で括ってググってみれば、唐沢のこの日記ともう一件しかヒットしない。多分、これが弾丸自動車なんだろう。この髭の人物は、“Snub Pollard”、スナッブ・ポラードである。ブリコラージュもスナッブ・ポラードも知っていれば間違えっこない固有名詞だ。付け焼刃の知識を適当に並べて恥をかく、いつものパターンだ。いや、自分の読者は馬鹿ばかりだから、なにを書いても、へぇーへぇーと感心すると思っているんだろうな。


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