僕はずっと逃げていた
僕はずっと隠れてきた
それが世界の定め
君はもう終わったことだというけれど
それでも世界は回り続ける
アスカは、駆けつけた黒服に取り押さえられながら、胸を血で染めて、崩れ落ちていくシンジを見ていた。アスカの頭に、直接シンジの言葉が響いた。
『さよなら』
アスカの頭脳は、唐突に今までのパニック状態から脱した。そして、崩れ落ちたシンジに、NERVのスタッフが駆け寄っていくのを、極めて冷静に見ていた。いや、心は目で見ている状況を処理できていなかった。思考と映像が繋がらない。まるでTVでも見ているようだ。目は、ただ、見ていた。
思考は肉体とはまったく違うところをめぐっている。
どうしてそんな悲しいことを言うの?
どうしてそんなに穏やかなの?
あんたは死んでいくのに。
死んでいくのに。
死?
葬列。黒い服の人々。鐘の音。古い写真。教会の尖塔。靴の爪先の、石畳に染み込んでいく雨・・
死んでいくのに。
死?
アタシが、今、あんたを殺した。
あんたは死ぬのよ。
あんたは死ぬのよ。
ママと同じように。
死んでいくのに。
死?
ぶら下がった影。ゆらゆら揺れる体。冷たくなった手。もの言わない口。動かない目・・
死んでいくのに。
死?
シンジの胸。押さえた手のひらから、赤いものが滴り落ちる。
あんたはもう2度と笑わない。
あんたはもう2度と歩かない。
あんたはもう2度と・・・
ママと同じように。
死んでいくのに。
死?
シンジの唇は真っ青だ。頬に一筋伝う血だけが、赤い。
空母の中で出会ったシンジ。
エントリープラグの中で重なった手。
ユニゾンの訓練。
初めてのキス。
死んでいくのに。
死?
シンジの腕が、力なくその胸から落ちる。赤い染みが、その腕の軌跡を描く。
アタシの顔色をうかがうシンジ。
アタシに縋りつくシンジ。
アタシの首を締めるシンジ。
アタシに・・・
死んでいくのに。
死?
今、シンジがミサトに抱き起こされた。その顔にはもう血の気が無い。
シンジは死ぬの?
シンジは死ぬ。
アタシが殺した。
アスカの中で、どろりとした何かが、形を作る。それは、純粋な、恐怖。
「イ、イヤあああああああああ・・!」
リツコの研究室。吸殻が、灰皿に山盛りになっている。
「あそこまでアスカを追い詰めていたとはね」
リツコがまた新しい煙草を揉み消しながら言う。
「いつかまた落ち着いてくれるんじゃないかって、そんなありもしない希望に縋ったふりをしていただけなのよ、あたしは」
ミサトが絞り出すように言った。
「アスカが壊れていくのを見ながら、何の助けにもなってやれなかった」
「むしろ、職務を言い訳にして、アスカを壊すことに、積極的に荷担してきたわ」
リツコはあえてミサトの言葉を冷たく遮る。
「それでも、やらなきゃ、前に進めなかったわ」
「・・そうね」
白い天井が見える。
アスカが目を覚ました。また病室だった。この天井も見慣れてしまったわね、アスカはそんなことを考える。
怖い夢を見ていたようだ。何かを考えるのが億劫だ。また鎮静剤を打たれたんだろうか。
「目が覚めた?気分はどう?」
ミサトの表情は強張っていた。
「気分って・・アタシは・・」
何でミサトがここに居るんだろう?
「何も、覚えていないの?」
記憶の糸をたぐる。何か、こう、とてつもなく重大なことを忘れている。取り返しのつかない事。思い出したくない事。
ミサトの腰のホルスターに目が行った。まるで重みのなさそうなホルスター。留め金はだらしなく垂れ下がり、中身が空だとわかる。
徐々に頭がはっきりしてくる。ミサトがなぜここに居るのか。アタシはなぜここに居るのか。
「そのホルスター・・」
「そう、中身は証拠品だから、取り上げられたわ」
まるで現実感を伴わずに、唐突に崩れ落ちていくシンジの姿を思い出した。
「アタシが撃った」
「そう」
ミサトは沈痛な表情で肯いた。
「シンジを撃った」
「そう」
アスカは思い出した。
シンジを撃つときの高揚感。それで、全てが癒されると思い込んでいた自分。
シンジを撃った後の喪失感。恐怖。別れ。自分自身が引き裂かれるような痛み。
「・・・!」
アタシは泣かない。
アタシは泣いたりはしない。
アタシは泣かないはずなのに。
アタシはもう泣かない。
アタシはもう泣いたりはしないはずなのに。
それでも、涙が溢れてくるのを抑えられない・・
「アスカ・・あなたも被害者だってことはよく判っているわ。でも、一つ、教えて欲しいの」
ミサトは穏やかな調子で語りかけた。
「・・・」
「アスカ、あなたは・・シンジ君を、どうしたかったの?」
キッと顔を上げて、アスカが叫んだ。
「判っているでしょ!殺したかったのよ!」
「アタシをこんなにした張本人のくせに、アタシを独りにした張本人のくせに、アタシを・・」
また、瞳を涙が覆った。
「アスカ・・」
「・・違うの・・本当は・・違ったの・・でも・・もう、遅いの・・」
リツコがコーヒーをマグカップに注ぎながら、戻ってきたミサトに尋ねる。
「アスカはどうだった?」
「モニタで見てたんでしょ」
「あなたの意見が聞きたいの」
ミサトは手渡されたマグカップを、その温度を確かめるかのように、両手で包み込んだ。
「う〜ん、難しいところよね。まだまだ不安定。でも、何か、こう、ちょっと感じが違ってきてるというか」
「どういうこと?」
「憑き物が落ちたとでもいうのかしら。肩肘張ってたところが、何か、こう、ね」
リツコは考え込む。
「確かに張り詰めた感じはなくなってたわね」
アスカの思考は、深く深く、沈んでいく。
アタシは何。
アタシは誰。
本当のアタシはどこ・・
喪失。
アタシにはもう何も残っていない。
エヴァでさえ、実際に動かしているのはアタシじゃない。
あんなに欲しかった名声も賞賛も、今は白々しい。
嘘だ。
欲しかったのは名声でも賞賛でもない。
ただ、アタシのことを見てくれる人が欲しかったんだ。
アタシだけを見てくれる人が。
エヴァに乗っていれば、皆がアタシを見ていてくれる。
嘘だ。
最初から気付いていたはずだ。
アタシは大人にとって都合の良い存在ってだけでしかなかった。
アタシには、最初から、何もなかった。
ずっと、ずっと、何もなかった。シンジに裏切られてからは。
嘘だ。
シンジが裏切ったんじゃない。
アタシが拒絶したんだ。
アタシには何度もチャンスはあった。
けれど、ことごとく、自分の手で壊してきたんだ。
自分が自分でなくなるような気がして。
嘘だ。
アタシはただ拗ねていたんだ。
シンジの全部が欲しかったんだ。
シンジの全部が手に入らないなら、もういらない。
アタシだけを見て欲しかったんだ。
嘘だ。
シンジに見ていて欲しかったなんて嘘だ。
アタシの手の届かないところにいるシンジが嫌だったんだ。
永遠にシンジをアタシだけのものにしたかったんだ。
もうシンジは永久にアタシを裏切ることはない。
それも・・嘘だ。
嘘じゃなきゃ、こんなに悲しいのは何故。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。何もかも、嘘だ。嘘のための嘘。
もう、嘘はつかなくていい。
何もかも、自分の手で、壊してしまったから。
誰もアタシを許さないだろう。
許して欲しくもない。
そしてシンジはもういない。
ぽっかりと心に大きな空洞ができたようだ。その空洞は、アスカの心をどんどん侵食していく。
「シンジ・・・」
「シンジ・・・」
「シンジ・・・」
「シンジいいいいい!」
「このままだと、アスカ、また壊れてしまうわ」
アスカの病室のモニタを通して、アスカのすすり泣きが聞こえてくる。
「・・・」
ミサトはまだ、悩んでいる。
「保護者としては、もう少し、時間を置きたい?」
リツコの言葉には、揶揄は含まれていなかった。
「確かに、このままじゃアスカがどうなるか、心配だし。自殺でもしかねないしね」
「鍵はやっぱりシンジ君だったのね」
「・・・」
ミサトは、マグカップの冷めたコーヒーを見詰める。
「いずれにせよ、時間はあまりないわ。あなたに対する処分もあるしね」
「処分か・・アスカの罪状はどうなるの?」
「本当なら軍法会議なんでしょうけど、さすがに、そのまま表に出せる話じゃないし、結局高度な政治的判断、ってことになるでしょうね」
「じゃ、あたしは、どう始末書書けばいいのよ?」
「拳銃が勝手にスライドを引いて、勝手にトリガーを引いて、3発発射した、ってことになるわね」
シンジもまた、病室で目を覚ました。久しぶりのベッド。高い天井。見慣れた独房の殺風景な天井とは違う、内装の施された天井。
胸を触る。包帯で厳重に巻かれている。ちょっと動くと痛みが走る。
「そうだ、僕はアスカに撃たれたんだっけ」
「どうして生きているんだろう」
マヤが、シンジの顔を覗き込んだ。
「気が付いた?」
「マヤさん・・・」
「手術は成功したわ。幸い、心臓や大動脈みたいな、致命的な箇所はそれていたし、ミサトさんの拳銃は軍用拳銃だったから、貫通力の強い弾だったのが幸いしたのね。弾丸はきれいに貫通していたみたい。もう大丈夫よ」
「僕は、生きてるんですね」
「そうよ。喜びなさい」
「喜んで、いいのかな・・」
「・・・」
マヤには返す言葉がない。
「・・あ、いえ、その・・そうですよね、僕は前向きに生きると決めたんです」
「どうなっても最善を尽くせと、教えてくれた人達がいたんです」
「だから、大丈夫です。僕の事は心配しないで下さい」
ミサトが、病室に入ってきた。
「シンジ君!」
その後は言葉にならない。ミサトはシンジの手を握りながら、肩を震わせていた。
ややしばらくして。
「シンジ君、よく聞いて」
「はい」
「アスカのことなんだけど、正直なところ、彼女を、自分たちの都合のためだけに追い詰めていたのは私達だわ」
「だから、・・・言いにくいんだけど、私達には、事実だけを取り上げてアスカを裁くようなつもりはないの」
「彼女の処分にあたっては、被害者である、あなたの気持ちを尊重したいの。どうする?」
「処分って・・・僕は死刑囚みたいなものですし・・・」
そのセリフを、マヤは自嘲ととって瞳を伏せたが、当のシンジにはそういうつもりは全く無かった。不思議とアスカに対する憎しみも、そして恐れも湧いてこなかった。
それは、ただ、今まで色々なことが起こり過ぎて、出来事にまつわる記憶が現実感を欠いているというだけが原因ではなさそうだ。シンジは思い出す。今まで、シンジに向けられた銃口は、すべて感情を欠いた、無機質な恐怖を呼び起こしてきた。しかし、今回は違った。・・・アスカは・・・激情の発露として、銃を向けて、撃った。そう、僕を、僕自身を撃ったんだ。
「アスカが僕を憎んでいることは、仕方ないんです。僕のやってきた結果だから。ですから、処分なんて、言わないで下さい」
シンジは胸の包帯に手をやる。じくり、とした痛みが滲み出す。
「・・・アスカがどうあれ、僕の気持ちに変わりは無いです。ただ、謝りたいだけです」
「それだけ?」
「いや・・その・・」
シンジは無意識なのか、右手を閉じたり開いたりしている。
そして、右手が、決然と、握り締められた。
「僕は、アスカが好きです。今でも。それだけを伝えたいんです。アスカが嫌でも。」
しばらく無言だったミサトが、シンジの目を覗き込んだ。その表情は真剣そのものだった。
「アスカはもう昔のアスカじゃないかも知れないわ。それでもいいの?」
「ええ」
「いいわ。じゃ、行きましょう。立てるわね?」
「え?」
アスカは、ベッドの上で扉を背に、丸くなっていた。枕は涙で濡れていた。
ノックの音がして、ミサトの声がした。
「アスカ、入るわよ」
「・・・」
「アスカにプレゼントがあるの」
「・・・」
「アスカ・・」
シンジの声がした。
「!」
アスカはばね仕掛けのように跳ね起きた。
思ったよりも近くに、シンジの顔があった。
「生きてたの!」
「残念だったね」
くすり、とシンジが笑った。
「・・・」
アスカには、状況がまだよく飲み込めていない。
ベッドから上体を起こした姿勢のままで、動かない。
「アスカ、ごめん。僕は、君に謝らなきゃいけない。僕は身勝手だった。僕は君のことなんて、ちっとも考えてなかった。僕はわがままだった。僕は逃げていた。そして、それが君を追い詰めてしまった」
「・・・」
アスカの青い目が、シンジを覗き込んでいる。泣き腫らしたのか、赤くなっているけれど、邪気のない目。
「許して欲しい。でも、その・・」
シンジは喉を鳴らした。無性に喉が渇く。
「・・今でも、アスカが好きだ!」
「!」
アスカは、顔をそむけた。毛布をかぶって、また、丸まってしまった。
「ごめん、でも、これだけは言いたかったから。」
反応はなかった。
シンジの心を占めていた高揚感は消え去り、寂寥感が取って代わってその場を占める。でも、それでいい。シンジは思った。
「さよなら。多分、もう一生会えないと思うけど、言えて、良かった」
本音だった。自己満足にすぎないことくらい承知していたけれど、構うものか。
シンジが出て行く気配がした。
アスカが涙声で言った。
「待ちなさいよ」
シンジは振り返る
「また、アンタはアタシを裏切るわけ?」
アスカは毛布を被ったままだ。その毛布が小刻みに震えている。
「裏切らないよ」
「じゃあ一生会えないなんて、どういうつもりなのよ」
「しょうがないじゃないか。僕は人類の敵なんだから」
アスカは毛布を跳ねのけた。
「あんた、バカァ?そんなの、大人の都合じゃないのよ!」
シンジの方に、指を突きつけた。
「アタシはどうなるのよ!」
「え?」
「あんただけいい格好して、アタシはどうなるのよ!」
「え?」
「アタシをまた置いてきぼりにして、独りにするつもりなの!」
アスカの瞳が揺れている。
「アスカ、ごめん」
その一言がきっかけだった。
懐かしい声。
ずっと望んでいたもの。
もう二度と戻らないと思っていたもの。
アスカの涙腺が一気に緩んだ。
「シンジ!行かないで!そばにいて!」
「アスカ・・」
「お願い!もう何もいらないから!もう、嘘はつかないから!もっと素直になるから!」
泣き出したアスカのベッドの横の椅子に戻り、シンジは腰を下ろした。
「アタシを許して・・」
「許すも何も・・ないよ」
「アタシはもう傷物なの。本当はシンジに愛される資格なんてないの」
「そんなことないよ。きれいだよ。今のアスカは。昔より、ずっと。」
シンジはアスカの右腕を恐る恐る取る。
アスカはしゃくり上げたまま。
シンジがそっと腕の傷跡を指でなぞる。
「随分治ってきたね」
サードインパクトの直後、アスカに最初の手当てをしたのは、シンジだった。
「・・アスカには悪いけど、この傷も何もかも、僕とアスカとの・・絆なんだと思いたい」
「ずっとここに居て・・」
「今だけは、どこにも行かないよ・・」
ミサトはその様子を見て、そっと病室を抜け出した。鼻をすすり上げていたのを、誰にも聞かれたくなかったから。
シンジは朝から点滴を受けている。アスカはシンジの枕もとから離れない。もう何度繰り返しただろう。アスカはまた、シンジの額に手をやって、熱がないのを確かめる。まるで貴重な陶磁器を愛でるように。
「人類の敵と殺人犯・・・アタシ達って、ボニーとクライドみたいね」
アスカの深い青の瞳には、憎悪も、憂いも、そして怖れもなかった。ただ、母親のような慈しみだけがあった。
「いつか一緒に見たビデオだね。でも僕は嫌だな」
いつものアスカなら、怒り出していただろうな。シンジはそんなことを考えて、くすりと笑った。しかし、アスカは相変わらず、まるで夢の中のように優しい。
「アタシと一緒に死ぬのは嫌?」
アスカは、額にやっていた手で、そっとシンジの髪を梳く。
シンジはそんなアスカにされるがままに身をまかせながら、それでもはっきりと、答えた。
「違うんだよ。僕はハッピーエンドがいいんだ・・・もしやり直せるなら」
数週間後、NERVと戦略自衛隊から発表された内容は、世界を驚愕させた。
・・サードインパクトの原因となったサードチルドレンは、秘密裏に収容されていた鉱山をテロリストに襲われ、重傷を負い、その負傷が原因で、死亡した。テロリストは戦略自衛隊と交戦し、全員の死亡が確認されている。NERVはこの悲劇を乗り越え、引き続きサードインパクトの原因究明に当たる決意である。
また、決戦兵器エヴァンゲリオンは、これまでの第拾四号機にかわり、かねてから研究が進められていたダミーシステムを使用し無人化した第拾五号機が就役した。これにより、パイロットを危険に晒さずに、より安全に作戦の遂行が可能になる。それに伴い、セカンドチルドレンは任務を解かれ、ドイツに帰国する。
第三新東京市を見下ろすNERV本部の司令官執務室。
窓際に立つ、NERV司令官、碇ゲンドウと副司令の冬月コウゾウ。
「碇、これもシナリオ通りだったのか?」
「いや。いずれ死んだことにするつもりではいた。しかし、それだけだ。決めていたことは」
「あらゆる意味で、タイミングに助けられたな」
「いや、意志のないところに解決はない。偶然ではないさ」
冬月、リツコ、ミサトをはじめとするNERVのスタッフ達は、あの事件をチャンスと捉え、一人一人が、それぞれの良心に従って行動を開始した。そして、その努力は概ね報われた。ゲンドウはそのことを言っているのだ。
ぶっきらぼうだが、感謝しているつもりなのだろう。相変わらずこの男らしい表現だな。息子の方は随分成長したのに。
「独りで生きていく、と言い出したときは驚いたが、まあ、男の子だからな」
「厄介なものを色々背負わせてしまった・・・もう償いようもない。しかし、自分の人生だからな。精一杯生きてくれればそれでいい」
ふっ、と冬月の表情が緩んだ。
「お前も、父親らしいことを言うようになったな」
世界のあらゆる情報機関は、真相を知ろうと躍起になった。その結果、NERVの公式発表とは違う事実に到達した人間もいた。
鉱山への攻撃時には、サードチルドレンは無傷で保護されたが、NERVの保護下に入ってから、NERV側の失策により、セカンドチルドレンに射殺された、というものだった。その根拠とされたのは、NERVから盗まれた機密書類、すなわちNERV統合作戦部・葛城三佐名義の不思議な始末書のコピーの存在であった。銃の管理の不手際を詫びる文面だったが、銃が勝手にホルスターを外れ、スライドを引き、チャンバーに装填し、3発発射した、という不可解な顛末が記されていた。この文書の意味するところは、NERV本部で何かがあった、ということと、拳銃による銃撃戦が発生した、ということ。そしてNERVはそれを隠したがっている、ということ。何らかの、致命的な不手際があったのだ。
ということは、いずれにせよ、サードチルドレンは死んだということだろう。結論は変わらない。情報担当者は、次の仕事に取り掛かった。
とある地方都市の高校に、ひとりの少年が転校してきた。
線が細く、物静かで、全体的に弱々しささえ感じさせる容姿だが、時としてその瞳には強い意志の力が垣間見え、そのギャップから、またたくまにその高校の女生徒の人気者になった。水泳は苦手だったが、水着になったその胸には、銃創らしい傷跡が残っていた。
その後を追うようにして、ドイツから明るく美しい女生徒が転校してきた。彼女にも右手に大きな傷跡があったけれど、彼女はそれを隠そうともしない。
物静かな転校生と、栗色の長い髪をなびかせた転校生は、転校生同士でたちまち恋に落ち、全校生徒がうらやむ、理想のカップルになった。
今日も、その二人が肩を並べて下校していく。その手は、いつも、しっかり握られていた。
「アスカ、そんなにくっつかないでよ、恥ずかしいだろ」
「何よ、シンジ。これくらい、いいじゃない。照れるんじゃないわよ」
こいつ、いつの間にか、随分背が高くなったのね。アスカはシンジの顔を見上げた。
シンジは左手にアスカの右手を感じながら、空を見上げる。
リハビリの成果か、アスカの右腕の状態も以前に比べると随分良くなっている。左眼を細める癖も、なくなった。
随分時間がかかってしまったけれど。
この温もりさえあれば、どこまでだって歩いていける気がする。
そうだ、もう、僕は、自分の力で歩いていけるんだ。
後悔を重ねながら、それでも、自分の人生を。
おわり