「今日も駄目かぁ…」
シンジはベッドサイドに座り込んで、溜息を付く。
クリスマスの翌日は何も無かった。次の日も、その次の日も。
大晦日の日なら何かあるかと思ったが、何も無し。
元旦の日も期待したが、平穏にその日は終了。
結局、クリスマスの日以来特に何も無し。
「…やっぱりあの日は勢いだったから、ってだけかな…」
シンジは再び深い溜息をついた。
長い戦いは終った。
使徒という謎の巨大生命体の襲来により、人類は滅亡の危機に曝されていた。だが、人が作り出した巨大な人間、エヴァのおかげでその危機を脱した。だが、実際のところ、使徒との戦いは一部の人間達、ゼーレの"神になる為の道、人類補完計画"の為に引き起こされた事象だった。
彼らが南極で発見した神に近いモノ、アダム。それを使って"神になる為の道"を歩もうとしたが失敗。利用するどころか、逆に眠るアダムを目覚めさせ、セカンドインパクトを引き起こした。セカンドインパクトで生じた膨大なエネルギーは南極大陸の消滅から始まって、地軸のずれから海面の上昇にいたるまで多大な被害を及ぼし、多数の人間が犠牲になった。それと同時にアダムと共に眠っていた者達、使徒達が目覚めた。
14年後、使徒達は第3新東京市にあったもう一つの神に近いモノ、リリスと、セカンドインパクトで卵まで還元されたアダムを得ようと、戦いを挑んできた。補完計画を目論んでいた者達は、神への道の障害となる使徒をまず最初に撃退し、その後に残るアダムとリリス、そしてそれらのコピーであるエヴァを利用して再び神への道を辿ろうとした。
それが使徒戦役の真実だったのだが、その事実がまともに他の者たちまで知られるのは生命の始まりと終りであるサードインパクトの後だった。一部の者達が神へとなる道は、サードインパクトの寄り代になったエヴァ初号機とそのパイロットである碇シンジの意思によって頓挫したのだ。しかし、問題はその後。
計画が潰れた分、その後に残るのは膨大な量の「あとしまつ」だった。
シンジたちは「カミサマになりたかったイタイケなゼーレのご老人達」の壮大なお遊びの後に残る始末に付き合わなければならなくなったのだ。
サードインパクト時の事情聴取から始まって、使徒戦役時の使徒に関する調査、更に戦いでこうむった被害報告とその始末書、そして組織の再編に伴う人事と人員整理、金銭面においての処理、その他、膨大な数の仕事があった。
もちろん、戦いにおいてエヴァに実際乗って戦っていたシンジやアスカは例外なく毎日のように事情聴取やら何やら、同じ質問を各方面の調査員等からクドクドと聞かる有様。
自分から望んでネルフに就職したミサト以下、ネルフの職員はお仕事なので仕方が無いとして、ただ親がネルフ関係者で、たまたま母親が実験に失敗してエヴァに取り込まれたというだけでパイロットにさせられていたシンジやアスカはたまったものではなかった。世界で唯一のパイロットに選ばれた時のアスカは悦になれたが、使徒戦役後半で散々痛い目に遭ってからはそんな気はすっかり失せた。シンジにいたっては元からそういった事に興味が無かっただけにハタ迷惑もいいところだった。
「だぁぁぁもう!私の管轄外なのに、何でボケ老人の下の世話をしなければいけないのよぉっ!」
責任者であったミサトは己の責任外の後始末にブー垂れた。
「あんた、まだ居たの? サイテー」
戦いにおいて痛い目にあったアスカは、今だ同居しているシンジへ毎日ネチネチと恨み言を言う。
シンジもいい加減、そんな後始末生活から逃れたかったのだが、アスカが最後の戦いで大怪我を負った現場を半ば見捨てるように放置していたので何も言えない。
「あんたバカァ?!何にもしないし、出来ないクセに、近くに寄らないでよねっ!」
そう言って煽られる事などしょっちゅう。
『側に居たくて居るんじゃない。そんなに自分の存在が鬱陶しいのなら今すぐ消えてやるよっ!』
と、言いたくなった事は何度もあったが、何とか思い留まった。
何せ、彼女がシンジを罵る度に苦痛そうに顔をゆがめ、目の端に涙を溜めているのだ。
肉体的にも精神的にも散々痛い目にあわせられたこの地に何時までも縛り付けられているのは彼も同じ事だが、アスカはそれ以上の苦痛を味合わされているのだ。体に傷は負ってないが、最後の戦いの時に彼女の受けた痛みは弐号機の破損状態を見れば一目瞭然。エヴァへのダメージはすなわち、パイロットへのダメージ。自分ならショック死すらしていたくらいのフィードバックがあったはずだ。
だからシンジは何も言わないで黙って堪えていた。
しかし、時間の流れというのは恐ろしい。
人類補完計画及び使徒戦役とサードインパクトの後始末で忙殺される中、シンジとアスカの中に一種の連帯感のようなものが生まれた。
恨み言ばかりを言っていたアスカだが、二年、三年と一緒にいる間に、シンジの事が次第に判ってきたようだ。彼に恨み言を言う回数が減った。今では彼の良い所も悪い所もすっかり慣れ親しんだらしく、いい雰囲気すらしてきた。
そして、彼らが高校に入ってから、別の意味でアスカはシンジと一緒に行動を共にするようになった。
シンジが高校に入ってからモテるようになったのだ。
彼は華奢で女性的ですらある中性的な風貌だったのだが、高校に入ってからは身長も伸び、男らしい顔つきになってきたのだ。元々保護欲をそそられるような弱々しさがあったので年上の女性あたりから可愛がられていたのだが、所詮は弟を可愛がるレベルであり、恋愛的な雰囲気になることはなかった。だが、彼が年の近い者たちも意識したくなるような風貌になってきてからというもの、アスカはだんだん彼の側から離れなくなってきたのだ。
まるで監視するように隣を歩くアスカ。以前ならシンジの前を歩いていたのだが、どうも後ろから「碇くん、おはよう~」とか、女の子の声が聞こえてきたりするのが我慢できなくなったようだ。
そしてある朝、シンジの横をぴったりとついて歩くアスカはシンジの下駄箱の中にラブレターがあるのを発見した。
その時の彼女の彼女の豹変振りはなかなか見ものだった。
「えへぇぇぇ。あんたでもラブレター来る事があるんだぁ~?」
そう、笑顔で言いつつ、こめかみに血管を浮かべ、両手に拳を堅く握り締めていたのだ。
ラブレターを貰えたという事実に、少し困った顔をしつつ、嬉しそうにしていたシンジだが、彼女のその姿を見て、何故だか背筋に冷たいものが走った。「受け取ると、後が怖い…」直感的にそう感じた。
結局、そのラブレターは封を開ける事も無く、シンジの自室の机の中に仕舞われた。
事実上の「無視」なのだが、何せ何処に行こうとアスカがぴったりとついて回っていて、断りに行く事も出来なかったのだ。後にシンジはそのラブレターを紛失するのだが、何時、どのようにして無くなったのか不明のままとなった。結局それ以降、ラブレターが舞い込んでも「無かった事にする」のが彼の定例となってしまった。
他にもシンジは若い女性ネルフ職員からちらほらと噂話をされたりとかあったのだが、それを見たアスカは彼の手をしっかりと繋いで、「いかにも仲良くしてます~♪」と言わんばかりに見せびらかした。そして、ネルフ施設内では必ず手を繋いで歩くようになり、終いにはネルフでなくても手を繋いで歩くのが当たり前になってしまった。
そして、最近などはベッタリというくらいシンジにくっついて歩いく。最終的にはアスカはシンジにしなだれて腕を絡めているのだが、その姿は端から見たら「どう見ても付き合っている」ようにしか見えなかった。
学校の行き帰りも一緒。買い物も二人で一緒。遊びに行くのも一緒。ネルフに出頭する時も一緒。他者から見れば付き合っているようしか見えない二人だったが、当人達は実際、「付き合っている」という意識は無かった。何せずいぶんと長い間一緒に暮らしていた為か、二人いつも一緒にいるのが当たり前過ぎて、好きとか付き合ってるとか、そういう事を考えなくなっていたのだ。
そんな調子なので告白だとかそういったものはしていない。腐れ縁か、マンネリ寸前の恋人、長年一緒に居た幼馴染のように二人で居るのが当然。甘い雰囲気にもならない。だから、実際はべったりと二人で一緒に居るという「だけ」になっていた。
そんな二人の姿を見て、思い込みの激しいアスカの親友のヒカリなどは見たままの姿を誤解し、「本当は付き合ってるんでしょう?」と追求してきた。
「なーに言ってんのよ? あんた、思い込み激し過ぎ。」
実際付き合ってないのでアスカはそっけなく言い放ち、スルー。あまりにさらりと流され、ヒカリはそれ以上追求出来ず、黙り込んでしまった。
シンジの親友の相田ケンスケは元々勘が鋭い為か、付き合っているようで実は何にも進展してないのを即察した。
「お前ら、いい加減ちゃんと付き合えよ」
ケンスケはそう、忠告したりした。
しかし、アスカもシンジもケンスケとはあまりに長い間、腐れ縁で居た為か、動揺しそうなこの言葉にもあまり動かされない。
「あ、そ」と言って、彼の言葉も軽く流してしまった。
そうして、二人でベッタリしているだけという毎日が過ぎたある日、この二人の関係に変調が訪れた。
クリスマスイブの日、シンジやアスカは中学時代から知っている者たちを呼んでクリスマスパーティーを開いた。
この時、ミサトが仕事で居ないのを良い事に、彼らはアルコール類を持ち込んだ。もちろん未成年者がアルコールを飲んではいけないのだが、何せ中途半端に大人になりかけの高校生。大人になったような気になって変な所で悪さをしたい。場の勢いに任せて飲んだのだ。
まだまだ子供臭い食の好みの抜けきれない彼らは、ビールなどで無く、ラムのコーラ割りやウィスキーのコーラ割り、ウォッカのオレンジジュース割りなど、口当たりを良くしてジュースのようにして飲んだ。これらはジュースのようなというだけで、かなりのアルコール度数がある。なにより普段飲まない彼らはあっという間にへべれけに酔っ払った。
「不潔よぉ~不潔よぉ~」
アスカの友人のヒカリは泣き上戸に訳の分からない叫びを上げつつ、ハンカチを片手に涙しながら早々に立ち去った。
「難波のたこ焼きじゃあああ!」
シンジの親友、鈴原トウジもヒカリと変らないほど訳の分からない事を口走りつつ、ケンスケと共に千鳥足で馬鹿笑いをしながら帰っていった。
残された二人…アスカとシンジはパーティーのバカ騒ぎの後の静けさの中、二人してしけた雰囲気で残ったアルコールなどを何となくちびちびと啜っていた。
「あんたさぁ…なーんにも出来ないよね?」
テーブルに片肘付いてコップを傾けていたアスカが唐突に話しかけてきた。
シンジは何の事を言っているのか、訳が分からず、彼女に問い返した。
「何で?何が出来ないっていうのさ?」
「そういう所がよ」
すっとぼけたよに言ったシンジに、アスカは皮肉めいて挑発するように笑った。
まるで自分をからかっているような笑い方に、シンジはムッとしてアスカを睨む。
「何だよ。何が言いたいんだよっ?」
「だーってさ、あんた、なーんにもしないじゃん」
そう言ってアスカは冷ややかな視線を向けながら、コップの中のアルコールを再び口にする。
シンジにはそれがいかにも自分を馬鹿にしているように見えた。何より意味深に含みのあるような口調なのに、何を言いたいのかわからない。
シンジは苛立ってきて、思わずテーブルに身を乗り出し、声を荒げる。
「だからさ、何が言いたいんだよ?はっきり言ってくれないと分からないじゃないか」
そんなシンジを見て、アスカはクスクスと笑い声を上げた。
自分も身を乗り出して、目を細め、顔を上げて見下ろすような視線を向けた。アルコールが入っているせいか、彼女の目は少し潤んで緩んだ表情をしている。彼の鼻先近くに顔を近づけた。シンジよりアスカの方が飲んでいたせいか、彼女の微かな息からアルコールの匂いがした。
「あんた、女の子がこんなに側にいるのに何かしたいとか思った事無いの?」
「え?」
何か、挑発しているようではあるが、意図が読めない。
シンジは眉間に皺を寄せながら、アスカに再び問い返した。
「何かしたいって…何?」
「そうね。たとえば…」
アスカは彼の唇に自分の人差し指を押し当てた。
「キスしてみるとか?」
「え?」
「押し倒してみたりとか?」
いきなりのアスカの発言に、シンジの酔いは一気に醒めて目が丸くなる。
「何言ってるんだよ?何で僕がアスカを…」
「ふーん。やっぱり出来ないんだ」
相変わらず、緩んだ口元からアルコールの匂いをさせながら、アスカは馬鹿にするようにケタケタと笑った。
シンジもその姿を見てさすがに向きになり始める。
「何?アスカは僕に襲われたいわけ?」
「そんな度胸、あんたに無いでしょ?」
「分からないよ?」
シンジの口調が挑発的なものになっていく。負けずにアスカも更なる煽り口調で言う。
「あんた、腕組んで歩いてても何にも反応しないじゃん」
「へぇ。何かされたいんだ」
「してもいいわよ?付き合ってあげるからさ」
そこでアスカはニヤリとした。
「…もっともあんたがそんな事、出来るわけないでしょうけど」
そう煽った直後、シンジは彼女の肩を自分の方にグッと引き寄せ、無理やり自分の唇を押し付けた。
思わぬシンジの行動に、アスカは一瞬目を見開き、何とか彼を引き剥がそうとしたが、シンジにしっかりと肩を抑えられていて身動きが取れない。じたばたするアスカをシンジは更に引き寄せ、彼女の唇を深く貪る。アスカにとって経験したことの無いような口付けに怖気づいたのか、アスカが更に抵抗しようともがいたが、シンジはそんな彼女をほとんど抱きしめるような形で自分の方へ引き寄せた。その拍子に、テーブルの上に散乱していた空になったコップがいくつか絨毯の上に落ちる。
しばらくそうしているうちに諦めたのか、それとも最初から本気で抵抗する気など無かったのか、アスカが次第に大人しくなる。そんな彼女に気が付いたのか、シンジはそのまま押し倒すように、彼女ごと絨毯の上に転がっていった。その拍子に、テーブルの上に置かれていた酒瓶や飲みかけの酒が入ったコップが倒れて下に転がっていく。酒が絨毯の上に広がったが、彼らはそれに気付かない。アスカも先ほどの抵抗とは打って変って、貪るように首筋に唇を押し付けたり、胸を掴んだりするシンジを抱きかかえるように彼に腕を絡め、スカートをはだけさせ、乱れた格好になっていった。
その後の記憶は二人には無い。かなり飲んでいたのもあるが、翌朝、シンジが自分の部屋で目覚めると、ベッドの上で自分もアスカも裸のままで寝転がっていた。
何をしたのか全然覚えてないが、シーツが少し血で汚れていたりとか、服や下着が部屋のあちこちに散らばっていたり、まぁ状況から察するに、やってしまったらしい。
シンジはどうしようもなくなって、あちこちに散らばっている服を集め始めた。後は倒れた酒瓶を集めたり、落ちたり散らばったりしている皿を洗ったり、酒がこぼれて汚れた絨毯の掃除をしたり、夕べの後始末に勤しんだ。
そうしている内に、暫くして起きたアスカがシーツを裸体に包んで目の前に現れた。夕べ着ていた服はシンジが何も考えずに集めて洗ってしまったので他に着るものがなかったらしいが、シンジはその姿を見て、これ以上になく気まずくなった。しかし、アスカはそんなシンジや夕べの事を気にしている様子を一切見せず、ただ気だるい様子で風呂場へと行ってしまった。
シンジはそんなアスカの後姿を見送りながら彼女の少し引っかかるような歩き方に気が付いた。どうやら夕べが初めてだったようだ。いや、他の男の話など今まで聞いた事が無いのに経験済みだとシンジとしては少し哀しいものがあったかもしれない。
とにかく一線を超えてしまったという事実に、シンジはクリスマスの日丸一日悶々と考え込んでしまい、それ以降はアスカを過剰なまでに意識していた。
しかし、実際の所、それ以降は何も無かった。
最初は初めてだったから痛くて…かな?などとシンジは思っていたのだが、何か進展があるわけではない。むしろいつも通りの生活だ。年の変わる日、31日の日に何かが起こるのでは?などと期待をしてみたが、何も起こらなかった。元旦の日はお屠蘇やら、お神酒という形でアルコールが飲めるのでもしかして…?と、思ったのだが、やはり何にも無し。良くてアスカの晴れ着姿が見れたくらいか?
当のアスカは時折、何か言いたげな表情でシンジを見る事はあったが、だからと言って彼女から何か言うわけでもなく、リアクションは特に無かった。
何事も無く正月が過ぎていく事に、シンジは寂しい気持ちになった。期待していたつもりはなかったが、何だかんだ言って一度一線を超えた分、かなり期待していたかもしれない。何かが起こらないかとじっと待っていたのに、何も起こらず終いでシンジは随分とガッカリとしてしまった。
そうして気が付けば新年も三日過ぎていた。
こんなに日が過ぎてしまうと、ガッカリを通り越してため息しか出ない。
もっとも、どの日もミサトが居て、何かしようものならバレバレになって、後々困る事になっていただろうから、何も起らなくて良かったとも言える。しかし、本当にこのまま何も無く、いつも通りの生活が続くのもかなり寂しい。どうせなら、このまま一気に間合いを詰めて…。などというやましい考えがシンジの中で浮かんでは消えた。
今までかなりベタベタとしていて、こんな気分になった事はなかったシンジだが、一度意識し始めたらもうその方向でしか考えが浮かばない。四六時中彼女の事を考えてしまう。
「…やっぱり、今日も駄目かぁ…」
正月も三日過ぎ、シンジは朝からまったく同じ事を繰り返し言う。
世の中そんなに甘くは無いか?いや、やっぱり期待し過ぎ?
そういうくだらない事を延々と考え続ける。
待っているだけでは仕方が無い。自分からアスカに…と、一瞬考えもしたが、それこそ獣と同じじゃないか、などと自分を叱り、真面目になったりする。
そもそも、クリスマスイブの夜自体が勢いだけで突っ走ったような気もしなくも無い。やはりお酒が絡むとロクな事はない。
いや、あれはアスカが挑発して迫ってきたんであって…。って、それじゃあ責任放棄もいいところじゃないか。
再びシンジは自分を叱り付ける。
きっかけがその場の勢いだったかもしれないが、やはりそんな風に思うのは良くないと考え直す。
「…最低だ、俺って」
一人でくだらない事を悶々と考え続ける自分の馬鹿さ加減に、いつしか言った言葉を口にしてみた。
「…やっぱりあの日は勢いだったから、ってだけかな…」
同じことを繰り返し口にしつつ、シンジは再び深い溜息をついた。
「寒い…」
リビングで温風ヒーターの前に足をかざしながらぼやく。どうも一人で居ると暖房があっても寒くてたまらない。
サードインパクトが終ってからすっかり季節が戻ったこの世界、冬をほどんど経験した事の無いシンジにとって冬は辛い。それに、今日はミサトは年末年始関係無しにネルフの仕事で今日はお泊り。肝心のアスカは今日はヒカリの家にお泊りに行っている。他にこの家の中にはペンペンが居たりするが、相手にもしてもらえない。
「はぁ…寒い…」
「たっだいまー」
いきなり玄関からけたたましい少女の声が聞こえた。今日帰ってくるはずが無いと思っていた人、アスカだ。
シンジは思わず顔を玄関のある方へ向けた。
「ふぁ~寒~い!」
ドタバタと足音を足を鳴らして、アスカがコートを片手にリビングまでやって来た。
外から帰って来たばかりで紅潮させた頬をしているアスカを見て、シンジがドギマギする。
「あ、暖房~♪私も~」
そう言って、アスカはその辺にコートを放り出し、シンジのすぐ真横にちょこん、と座った。 ここのところずっと意識し過ぎていたシンジは、二人っきりで隣り合わせに座っているアスカが気になって、体に少し緊張が走ったが、何とかして声を絞り出す。
「お…おかえり。アスカ…。」
「ん~ただいまぁ~」
どもりながら挨拶をするシンジに、猫のような声を出しながらおこたの中の猫宜しく、アスカはヒーターの前に足の裏をヒラヒラとさせる。そんな彼女の様子が可愛いなと思いつつ、シンジはただただ、ヒーターの前にじっと座り続ける。そうしているうちに、アスカが肩をすくめながら、彼の二の腕にに自分の肩を摺り寄せてきた。
最近過剰に意識し、今日一日中悶々と考えていたシンジは、このアスカの甘えとも取れるような行動に、一瞬心臓が高鳴り、生唾を飲みたくなった。
これって…?
「あの…。アスカ?」
「ん~。何?」
「えっと…今日は委員長の家に泊まるんじゃ…?」
特にいい言葉を思いつかなかったシンジは、もっともらしい質問を投げかけてみる。
「家族で出かけるんだってさ。ま、泊まる予告無しに行ったからいいんだけどね」
アスカは体がまだ寒いのか、シンジにくっついたままもじもじと身動ぎし、なんの気もないような様子で答えた。
噴出してくる温風に猫のように目を細めながら擦り寄るアスカ。誘われているような気になってシンジの動悸が高まる。
何でこんなにアスカはくっついてくるんだ?
擦り寄られたままでいたシンジだが、そんな思いが過ぎる。
ずっと浮ついた気分でいた為か、どうもアスカが側に居ると落ち着かない気分になる。
そうして二人並んでじっと座っていたが、痺れを切らしてシンジは自分の中の疑問を思わず口にした。
「ねぇ…、アスカ。何でそんなに…くっつくわけ?」
「…寒いから」
そう、軽い調子で言ってアスカは彼の肩に頭を乗せる。
この前のように酔っ払っているわけではない。緊張もあってか、感覚が鋭敏になって、彼女の一つ一つの行動や仕草が気になって仕方が無い。
「…あのさ、アスカ。その、あんまりくっつかれると…」
「…うっとうしい?」
「…そういうわけじゃないんだけど…」
ヒーターの前に足をかざしたまま、二人とも押し黙った。
シンジは何をどう言えばいいのか分からず、そのまま黙って座り続けた。アスカが危うい格好をしているというわけではないが、彼女を直視する事が出来ず、じっとアスカの足の先の方を見つめていた。膝丈のスカートからすらりとのびた彼女の脹脛の部分が妙に色っぽく見える。靴下だって履いてるし、肌が露出している部分なんて膝のあたりから脹脛の半分だけなのに、どうしてこんな物に色気を感じるのか、シンジにはさっぱり分からなかった。
肩の上に顔を乗せていたアスカがふと、シンジの顔を見上げ、じっとシンジを見つめる。
潤んだ瞳、憂いのある何か言いたげな表情。
シンジの胸の中で大きく鼓動がした。
もしかして…?一瞬妙な期待感が過ぎる。
だけど、彼女は何も言ってない。それに、切なげな表情からは何を求めているのか、シンジにとって判らない。
「…な、何?」
シンジは思わず声を出した。
それを聞いて、アスカは眉間にしわを寄せ、直ぐに落胆したかのように目を伏せ、少し顔を俯かた。
そして、小さく溜息をついて、シンジから離れた。
「…つまんない男」
そう、呟くと、アスカが立ち上がった。
「って、ちょっとまって!」
突然の言葉とアスカが離れていく様がシンジには理解出来ず、一緒に立ち上がって彼女の腕を掴んだ。
アスカが顔をしかめて声を上げる。
「ちょっと!離しなさいよっ!」
「だから、つまんないって何さ?」
「そのまんまの意味よっ!」
声を荒げて叫び、自分の部屋の方へ向かおうとし、アスカは彼の手を振り払う。
自分を避けていこうとするアスカに、シンジは逃がしてはいけないと咄嗟に彼女を自分の方へ引っ張り込んだ。
「きゃあっ!」
シンジに引っ張られた勢いで、アスカは彼の胸元に半ば飛び込む形で抱かれた。
シンジは喚かれるかと思ったが、意外にアスカは嫌がる素振りなどは見せず、自分の胸の中で大人しくしていた。
二人とも少しの間、押し黙ってそのままの体勢でじっとしたが、気持ちが落ち着きだしてから、シンジはそのままアスカを抱き寄せて顔を髪の中に埋めた。
「…ミサト…」
大人しくしていたアスカが彼の胸元で小さな声で呟く。
「ん…?」
「…今日、帰らないんだよね…」
「うん…」
「ヒカリの家なんか、最初から泊まるつもり無かったんだ…」
そう言って、アスカが顔を上げた。
もしかして、最初からチャンスを狙っていたのは自分だけでは…無い?
アスカが顔を上げたまま、そっと瞼を閉じた。頬はほんのり赤くなっている。一瞬迷ったが、シンジはそのまま彼女の頬に手を当ててそっと唇を重ねた。
新年も数日過ぎた夜。
きっかけがどうであれ、互いに求めるものが得られる喜びに、二人はその夜一晩中浸っていた。
終わったよね?