ブラック・デー

シンジが何故かソワソワして台所中をうろつき回っていた。
その様子はさながら、餌を待っている犬のよう。
そんなシンジを見ていたアスカは、彼の行動を怪しんだ。
…何かある。絶対何か。

そういえば今は三月。もうすぐホワイトデー。男性がバレンタインデーにチョコを貰った女性にお返しをする日だ。
アスカはこの風習を「本来の聖ヴァレンティヌスの命日を冒涜する菓子業界の陰謀」と決め付け、他の女性たちのように"好きな異性にチョコを渡す"などという行為に至らなかった。

常に第一線を走る彼女である。凡庸な少女達と同じような行動など取らないようにするのが常であった。それ故か、他の少女達が"常識"と位置づけ、知っていて当然と言わんばかりの事も意外に彼女は知らなかった。しかし、その事に関しては「明日に使えないムダ知識」と切り捨て、専門分野においての知識のみを探求し続けた。結果、彼女はかなーり外し気味の少女になったのは言うまでもないが。
しかし、郷に入れば郷に従え…もとい、朱に交われば赤くなるという言葉があるとおり、彼女も大分日本という国に染まってきた。「本来の聖ヴァレンティヌスの命日を冒涜する菓子業界の陰謀」と言い放ったバレンタインデーのその日、彼女はチョコを渡さないと断言しつつも、実のところ、他の少女の動向や彼女の同居人である少年のその日一日の挙動などをしっかりと観察していた。

その結果、彼女の同居人がその日に異性から得たと思われるチョコの数は合計10個あまり。その中で危険視すべきものは、しめて6つ。レイ、マナ、ミサト、リツコ、マヤ、ヒカリ、以上六名からのであった。
何故この六名なのか?

まずレイ。
もっとも危険視する女性である。本人からのアプローチはほぼ皆無に等しいが、問題は彼女の同居人そのものがさり気に「気になる存在」といわんばかりの行動や言動を繰り返していたからだ。そんな彼女が無表情ながらチョコを渡せば…彼女の同居人の彼は傾きかねない。

そしてマナ。
こちらは行動があからさまだ。非常に分かりやすい。何せ彼女の目の前で同居人の彼にチョコを渡していたのだ。しかも「本命」という発言と共に。

そしてミサト。
加持リョウジ死亡後、(正確な情報は確認されておらず。予測に過ぎないが、ネルフ諜報部は状況から死亡しているものと断定)何かとシンジに声をかける。まぁ、彼女の手作りのチョコを渡せば間違えなくシンジは受け取らないだろうが、悲しいことに市販品を購入して渡した事が判明。やや危険である。

そしてリツコ。
三十路を過ぎた人と侮ってしまいかねないが元々美女である。もしかしたら彼のいかつい父親のように愛人、不倫相手として囲う可能性もなくもない。

そしてマヤ。
いい歳をして妙に純情ぶるその様子に、いささか閉口気味になる彼女だが、たしかに黙って立っていれば女子高生と見まごう容姿である。十分彼女の同居人の許容範囲であることは間違えない。そのマヤが頬を赤らめながらチョコを渡すその様子は…はっきり言えば面白くない。

そしてヒカリ。
彼女は鈴原トウジと付き合っていた。しかし、最近は上手く言ってないようである。
そもそもヒカリは鈴原トウジを遠目から色々と美化して見ていたのだ。硬派、誠実、優しい、頼りになる等々。しかし、こんなもの、付き合ってみればなんてことはない。実際の姿にすっかり幻滅してしまった。人一倍思い込みの激しい少女であるヒカリは一度駄目だと思い込んだら徹底してこき下ろす有様。あっという間に険悪な仲になったらしい。
逆に眼中に無かったシンジが非常に彼女にとっては理想の男性像となってしまった。
視線を送ったり、アスカと彼女の同居人が二人っきりになっている時などさり気に妨害工作などをしてみたりする。
哀れ、捨てられる寸前の鈴原トウジにアスカは同情しつつも、ヒカリが同居人の彼にチョコを渡す姿を見て非常に腹立だしく思ったのは当然であった。

かくしてアスカにとって「気にしてないつもりの悪夢のバレンタインデー」は幕を閉じた。
問題はホワイトデーにおいて彼女の同居人…碇シンジがどのような行動を取るのか?ということだった。

アスカはシンジの一挙一動に過敏に反応しつつも、しっかりと監視…もとい、観察していた。
しばらくして、シンジが何か思いついたかのようにハタと止まり、ダイニングの棚に置かれていた菓子の本を取りつつ、ボールや泡だて器、薄力粉などを取り出した。
あれは…きっとクッキーを作るつもりなんだわ!
アスカは日本に来てから聞きかじりの情報で得た、「ホワイトデーは男の方がクッキーのお返しをする」というのを思い出した。
実際はキャンデーを送るのだが、男の方が返すものである。女であるアスカがそこまでの知識を得る必要はない。
それはともかくアスカにとっては非常に腹立だしい、不快な光景である。
そして彼女はここに至ってとある決意をする。

…邪魔してやる…!!

既に短絡的かつ、幼稚な思考の展開である。
そんな風に思うのならば何故、彼女はシンジと他の女性たちの間でのチョコの受け渡しの時点で妨害工作に訴えなかったのか?
簡単な理由である。あからさまな嫉妬を顕にし、醜態を曝したくなかったのである。
そのような浅薄な考えなど、彼女のプライドが許さないのだ。
ホワイトデーのお返しを邪魔するという考え自体も十分浅薄であるが、彼女にとっては相手の女性を叩くよりシンジ本人を潰す方が効率的でかつ、合理的と判断したのだ。
…というよりも、むしろ彼女はシンジ本人を潰さずにいられなかったのだ。自分はチョコを渡さなかったのに、その事実を棚上げにした完全な八つ当たりである。
アスカはその不純な決意を胸に、ダイニングへと躍り出た。

「あ~ら?無敵のシンジ様?今日はお菓子でもお作りになられますの?」

アラエル襲来以来の非常に嫌味な言い様だ。
一方、シンジの方はアスカの姿を見た途端にビクッと身を震わせ、持っていた泡だて器を取り落としそうになった。
アスカはシンジのこの行動を見逃しはしなかった。

「あら?何かやましい事でもしてたのかしら?」

「あ、あの。そういうわけじゃあ…。」

「あら、そぉお?ああ、卵白がボールから垂れてるわよ?」

シンジは驚いた拍子に斜めに持ってしまったボールからダラダラとダイニングテーブルの上にこぼれる卵白を慌てて台拭きを持ち出して拭いた。

…くっ!いい気味よっ!!

アスカは心の中でほくそえんだ。 シンジはテーブルを拭き終わった後、バツ悪そうに視線を泳がせながら、アスカに聞いた。

「あ、あの…。何?」

「何って何よ?」

「声かけたから…何か用事かなって。」

んなもん、アンタの邪魔に決まってるでしょうがぁっ!!

…などと、心の中で思いつつ、それを本人に分かるような態度をとるほどアスカは阿呆ではない。
いかにしてこの菓子作りを妨害するか?というその事で彼女の脳内はフル回転していた。
どうやって邪魔するか…やっぱり完成させないのが一番かしらね?
ふふふふ、他の女の事を想いながら作るんでしょうからねぇ…。
その想いをぶち壊すような方法…。
そう、アレかしら?シンジが他の女の事なんか考えられないくらいたじたじに…。
ぐふっふっふっふっ…。

「べっつにぃ~なーんにも用事なんて無いわ。 暇つぶしよ、ひ・ま・つ・ぶ・し♪」

そう言って再び泡だて器でボールの中の卵白を泡立て、メレンゲを作り始めたシンジの後ろに回った。そして、シンジの背中にぴったりとくっ付いて、胸を押し付けながら彼の耳元にふぅっと息を吹きかけた。
シンジはビクビクっと痙攣したが、なんとか卵白の入ったボールを取り落とさずにキープ。
しかし、背中にはアスカの柔らかな胸が押し付けられたままだ。
シンジは少し赤くなりながらうろたえた声を出してアスカに尋ねる。

「ど、どうしたの?アスカ。」

「ん~? 暇つぶしだって。ね?シンジ、遊んで?」

アスカはいつもは出さない甘ったるい声を出す。そしてその声を出しながらシンジの背中にさらに自分の胸を押し付ける。
今日のアスカはキャミソールにショートパンツという姿。そしてブラジャーは付けていないので彼女の乳房と乳首の感触がそのままシンジにも十二分に伝わっているはずだ。
ふふふふ、効いてる効いてる。
アスカが心の中でほくそえむ。

シンジは首のあたりまで赤くさせながらアスカに言う。

「あ、あの…。アスカ、その…背中…。」

「遊んで、シンジ。」

アスカはますます身体を押し付け、密着度合いを深めながら背中から胸の前に手を回す。
実質、背中から抱きついている状態。
シンジは耳まで真っ赤になる。

「あ、あのさ。これ、作り終わってからじゃ…ダメ…かな?」

「だぁ~め。」

そう言ってアスカは自分の胸をシンジの背中にフニフニと押し付ける。
シンジの背には彼女の乳房がやわやわというよな感じで当たっているはず。
男ならこの状態、我慢出来るはずがない。
シンジは手に持っていたボールをコトンとダイニングテーブルに置く。

…フッ。やったわ。よーやく諦めたか。

アスカが心の中で自分の作戦の成功を喜ぶ。
すると、シンジはくるりとアスカの真正面に振り向く。
シンジは視線を横に逸らしながら少しモジモジしながら言う。

「あの…。それで、何して…?」

んなこと聞かれても…。
ちょっと色仕掛けまではたしかに考えていたアスカだが、それ以上は何も考えていなかった。
頭をフル回転させたといって実のところ大して何かを考えていたわけではない。
どちらかというと感情まかせに本能で動いていたというのが本当のところだったりしたのだ。
アスカは"普通に"考えてみる。
…このまま買い物に一緒に行こうとか、何処かへ遊びに…。

色々考えていたアスカだがふと、我に返ってシンジの方を見る。
シンジは真剣な眼差しでアスカを見る。

ん?変ね、何マジな顔してんのよ、コイツ?

あんまり真剣な目で見るものだから、アスカは不審そうにシンジを見る。

「…あっ…!」

アスカが驚きの声を上げた。
シンジがアスカを抱きしめてきたのだ。

「な、な、な、」

アスカが驚いてロクに声も上げられなくなっている内に、シンジはアスカの背中を上から下へと撫でていった。
アスカが身体を小さく振るわせる。

な、何やらしい撫で方してんのよ!
て、手が…下まで降りてあっ!腰回り撫でてっ!っていうか…。
やだっ!お、お、おしりなでてるっっ!!

アスカが動揺しまくっている時、ふと、先ほどからコツコツとふともものあたりに何かが当たる感覚に気が付いた。

こここここいつ~~~!!!

アスカはシンジの顔をちらりと見る。
シンジの顔は真剣そのもの…というか、例えるなら、据え膳食わずんば武士の恥といわんばかりの顔をしている。

しまったぁぁぁ!!挑発し過ぎたぁぁぁぁ!!!

後悔遅し。
シンジはすっかりその気になってアスカの身体をまさぐり始めた。

「あっ、やだっ!ちょっと、待ってよっ!」

少し不満そうな顔をしてシンジが顔を上げた。
ちょうどいいところで待ったをかけられて、おあづけくった犬のような顔をして言う。

「…アスカ、ヤなの?」

イヤとか、そーゆー問題じゃあないぃぃぃ。
そう思いつつもアスカは自分から挑発した事を思うとそれを口に出来ない。
どうする…?アスカ、どうする…?!

「そ、そう!汗かいちゃったからシャワー浴びなきゃ!!」

そう言って慌てて洗面所に飛び込み、アコーディオンのカーテンをピシャリと閉めた。

「はー。助かった~~」

アスカは安堵の吐息を出した。

しばらくアスカはぬるいシャワーで頭を冷やした。
何せ彼女自身もかなりノリそうになっていたのだ。
しかし、いくらなんでもはじめてがキッチンでは後々変な性癖がついたりしかねない。
アオ○ンとか、○○プレイとかなんとか…。
アスカが平素見ているネットの怪しげな情報が彼女の脳内に過ぎる。

どうせならノーマルにロマンチックにしたいわよ~~~。

アスカは、当初何をしようとしていたのかをすっかり忘れて身体を拭こうとしたバスタオルを握ったままブンブン振り回して悶えた。

…はっ!い、いけない。アスカ、何興奮してんのよ?!

アスカはイッてしまいそうな妄想を振り払い、とりあえずなんとか身体を拭き、バスタオルを身体に巻いて洗面所の外に出た。
しかし、外に出てみると…。

「あ、アスカ。上がったの?」

シンジがすっかりと菓子の生地を作り、それをオープンへ入れようとしていた所だった。

んなぁぁぁぁぁぁぁ?!?!?!?

アスカは目を見開く。
どうやらアスカがシャワーを浴びている間に生地を作ってしまったらしい。

あれだけギリギリな事をしたのに…。

シンジがオーブンのスイッチをきっちり45分にセットするところをアスカは呆然と見る。
アスカが崩れ落ち、キッチンの床に膝を付く。

「…ダメなのね…もう。」

彼女と共に戦った少女の言葉を思わず口ずさむ。
そんなアスカの様子に気づいたのか、シンジは彼女の側まで寄ってきて膝を付き、心配そうに声をかける。

「アスカ…どうしちゃったの?具合悪いの?」

…ふふふ。やさしいのね、シンジ。
でも、切り捨てた女なんかに気を使わなくてもいいのよ…。
アンタは他の女のモノ。
今作っているモノも他の女のモノ。
ふふふふふふふ…。

アスカが遠い視線をする。
シンジはそんなアスカの様子にしばらく考える。
やおら何かに気が付いたのか、納得したのか、ポン!と手を叩く。

「分かったよ、待ちきれなかったんだね。」

「は?」

「ごめんね、僕が気が付かなかったばっかりに、アスカにさっきからあんなにも…」

「…え?」

話が見えない。
一体シンジは何に気が付いて何を納得しているのだ?
アスカが怪訝そうな顔をしていると、突然シンジはアスカを抱きかかえた。

なななななな何何何何何何何なのよぉぉぉぉぉ?!?!?!

「ケーキが焼き上がるまで45分あるし…」

「へ?」

「…僕の部屋でいいよね?」

えええええ?!?!

シンジはそのままアスカをお姫様抱っこしたまま自分の部屋へ向かう。

何で?!どーしてこーなるのよ?!

「え、いや。シンジ、ちょっとまって。えっ?!あっ!あっ!あーーーーっ!!!」

シンジの部屋から悲鳴とも悦叫とも付かない声が響いた。

アスカはぶちゃむくれた顔でシンジの焼いたケーキを頬張っている。

「…おいしく…ないかな?」

あまりにアスカが不機嫌を撒き散らしながら食べている様子を見て、シンジが小首を傾げて顔色を伺いながら尋ねる。

いや、別にそんなんじゃない。
っていうか、馬っっっっ鹿みたい!!

シンジがおやつに焼いたケーキを頬張りながらアスカは自分の壮大な思い込みの激しさとシンジの勘違いを思い出す。
一方、シンジは先ほどの事を思い出し、バツの悪そうな顔をして言う。

「…ごめん。優しくするつもりだったんだけど。」

ええ、ええ、優しかったわよ。
っていうか、知ってたら挑発しなかったわよ!
時期が悪いわよっっ!時期がっ!!
なんで今日に限っておやつが既製品じゃなくてシンジの手作りなのよーっ!!
ホライトデー直前に手作りすんなー紛らわしい!

「…あの…今度は…クッキーがいいかな?」

再びシンジがアスカの顔色を伺いながら聞く。

「…要らない。それよか今度は甘ったるいキスでもちょーだいっっ!!」

おわりっ

…オチがない。
と思ったけどオチてなくもないかな…。
今修正しようと手をつけたけど、このノリもそんなに悪く無いか…
初出: 2005/09/13
Author: AzusaYumi