「38度5分…高いわね。」

朝、熱っぽいと感じたのでリビングにあった電子体温計を引っ張り出して図ってみた。案の定、かなり高い。シンジが台所で朝食を作っている。そんな様子を横目に見ながら、アスカは深い溜息をついた。

Rainy Day's

「アスカ、ご飯出来たよ?」

シンジはいつも通り、アスカに声をかける。この声はアスカの耳にガンガン響いた。頭が痛い…。何よりもあまり何かを食べたいという気になれない。リビングにいたアスカは元気の無い声を上げた。

「…いらないわ。」

「…どうしたの?調子でも悪いの?」

キッチンからシンジが顔を出して尋ねる。しかし、彼女は直ぐに答える気になれなかった。どうも心配されるような事を言うのが気が引けたからだ。それで咄嗟に嘘をついた。

「…ダイエットよ、ダイエット。」

「ダイエットって…。アスカはそんなに太って…。」

言いかけたシンジに、アスカは横目でチラリと見る。
そして、特に何か気があるというわけでもないような様子で答える。

「ミサトみたいに中途半端に太りたくないのよ。いいじゃない、もう。」

そう答えて彼女は自分の部屋に入って行った。
自室に入ってベッドに身を投げ出すように横になる。

「キツ…。」

15分くらい横になった頃、シンジがアスカの部屋の戸の前で声をかけてきた。

「アスカ、学校行かなきゃ。」

「…いい、先行って。」

「…どうして?」

聞き返すシンジに、またしても直ぐに答えられない。
さっきダイエットと言って今度は風邪だとか言うのは余計に言いづらい。

「…生理二日目、キツいのよ。」

やはり、なんとはなしにアスカは答える。
シンジは戸の前でこの答えに少しうろたえたが、すぐさま気を取り直して言った。

「…分かった。先生にそう言って休みだって、伝えておくよ。」

そう言って、学校へ出かけていってしまった。

…正直に答えておけばよかったかな…?

一瞬アスカはそう思ったものの、なぜか自分の体調が悪いからといって人にそれを伝えたり、言ったりすることができない。自分の不調を訴えるのが苦手なのだ。

「今更、遅いか…。」

ひとごちながらアスカは呆然と自分の部屋の天井を眺めた。

午前11時を回った。

アスカは何気なしに、携帯電話を眺める。
ネルフに連絡さえすれば、何とかしてもらえるかも…と思ったからだ。
しかし、いざ携帯で番号を回そうと思っても、踏ん切りがつかない。シンジにああ言った手前、気が引ける。何よりも、セカンド・チルドレンが風邪引いて…で、ネルフがなんらかの手配をしてくれるだろうか?彼女の中に妙な葛藤が沸き起こる。

「…とりあえず、解熱剤を飲んでやり過ごすか…。」

彼女はベッドを抜け出して、リビングまでのろのろと歩いていく。
リビングのサイドボードの上、先ほど体温計を見つけた場所には解熱剤も入っていたはずだ。アスカはサイドボードの上にある救急箱の蓋を開ける。そこには箱の封を雑に開けられた解熱剤が入っていた。

「ミサトも雑ね…。」

そう言いながら、解熱剤を取り出そうと、箱を手のひらの上でひっくり返す。
…何も出てこない。
アスカはこれを見て、顔を顰めた。

「…ミサトのヤツ。 全部飲んじゃったんなら、箱を捨てるなり、新しいの買ってくるなりすりゃあいいのに…。」

少し苛々してきたが、仕方なしにと、空になった解熱剤の箱をゴミ箱に放り込んで自分の部屋に戻った。

アスカは再びベッドの上に仰向けになってぼーっと天井を眺める。

 ミサト、今日も泊まりかな…。
 シンジ、今も呑気な顔をして授業受けてるのかな…。
 …私、このまま死んじゃっても、アイツら悲しむのかな…。

取り留めようも無い考えが浮かんでは消える。

 …アイツ、帰ってきてくれないかな…。

どうしようもない不安がアスカの中に押し寄せる。

アスカは壁にかけてある時計を見る。
もう正午。お昼の時間。何か食べた方がいいとは思いつつ、何も食べる気になれない。
呆然と天井を眺めていると、突然玄関の方からチャイムがなる。
熱で頭が少しぼやけていたが、なんとなく急いで玄関の方に向かう。

「○○新聞の者なのですが…。」

玄関に応対しに行ってみれば、新聞の勧誘。彼女はなんとなくがっかりした。
アスカは新聞の勧誘を適当な事を言って断り、そのままキッチンのダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

 …私、何期待してたんだろう?
 …アイツがチャイム鳴らして帰ってくるわけないじゃん。ここに住んでるのに。

呆然と目の前にある冷蔵庫を見ながら考える。

 …何か作ろうかな…。でも、あんまり何か作ったこと無いし…。キツイし…。
 …アイツが帰ってくるまで何も出来ず、か…。
 …でも、生理痛とかなんとか言っちゃったし…。
 …何も頼めないわね…。

彼女はダイニングテーブルの上にうつ伏すした。

 …一人か…。
 …言えば誰か来てくれないかな…。
 …無理かな…。
 …なんか、寂しい…。

熱のせいか、先ほどと同じく取り留めようも無い考えが堂々巡りする。

と、突然、玄関のドアが開く音がした。
アスカは何事かと思い、顔を上げる。
玄関からキッチンへと続く廊下をガサガサと買い物袋らしき物の音を立ててやってきたその人物は…。

「…シンジ?」

シンジが制服姿でコンビニの袋をぶら下げて帰ってきた。

「ただいま、アスカ。」

いつも通りの穏やかな笑顔をしてシンジが言った。

「アンタ、学校はどうしたの?」

アスカが疑問に思った事をそのまま口にした。

「ああ、なんか今朝のアスカの様子がおかしかったからさ、気になって早退してきた。」

そう言ってシンジは買い物袋をダイニングテーブルの上に置く。
そして、彼女の側までやってきてぼーっと彼の顔を見ている彼女の額に手を当てる。

「顔赤いし、変だと思ったらやっぱり熱がある。」

そう言って、買い物袋の中からペットボトルを取り出す。

「はい。喉乾いてるんでしょ?
 熱がある時はこういうのを飲むのがいいらしいって聞いたから。」

アスカは呆然としながらシンジからペットボトルを受け取る。シンジはコンビニから買ってきた物を、冷蔵庫の中に次々と入れてから、再びアスカの側に来た。

「部屋まで行くの手伝うよ。辛いでしょ?」

そう言ってアスカの片腕を脇の下から持ち上げるように、立たせる。
そしてシンジに半ばもたれかかるようにように、自分の部屋まで一緒に歩いていく。
支えられて歩きながら、意外に強いシンジの腕力と、華奢に見えてはいるが男の子らしいがっちりした体格に少し気持ちが落ち着くような、なんともいえない安堵感につつまれる。

アスカはシンジに部屋まで連れてってもらい、そのままゆっくりとベッドの上に腰を下ろしてもらう。

「ご飯、まだでしょ?今、買ってきたからアスカが食べられるように作り直すからさ。」

そう言って、シンジがそのまま自分から離れて、部屋を出て行こうとする。その時に、アスカは彼の制服の裾を掴んだ。

「…え?アスカ?」

アスカは熱で少し焦点の合わない目をしてシンジを見上げる。

「…ご飯、後でいい。少し、ここに居てくれない?」

彼女は不安げな表情を浮かべながらシンジに言った。
シンジは戸惑いながら、アスカが腰掛けているベッドの隣に腰を下ろした。
アスカはボーっとした表情で、自分の横に腰掛けているシンジの肩に頭をもたせ掛けた。シンジは急に自分の肩にもたれかかってくるアスカに少しうろたえた。

「あの…アスカ?」

「…帰ってきてくれて、ありがとう…。」

熱にうなされたような、勢いも抑揚も無い声ではあったけど、アスカはそう言うと目を閉じた

そんな彼女に、シンジは少し困った顔をしたが、そのまましばらくアスカの横に座り、彼女に肩を貸したままでいた。

END

Children's Childrenに投稿した"Cold Day's"の別案。
二通りの話を思い浮かんだん内のもう一つの方だったり。
初出: 2005/07/31
Author: AzusaYumi