4月のアスペの会のバーベキューは行けなかった。
でも1ヶ月経ったら、5月のアスペの会には行けた。
でもどうしてだろう・・・?
いつもと同じルートで会場に向かったのに、千歳烏山の駅で迷子になってしまった。
改札を出る時から、なんとなく雰囲気が違うことは感じていた。
階段を上がると、いつものスーパーがない。
焦った。
完全に間違えたことに気付いたから。
涙目になってきた。
どうしよう・・・。
いつもの場所へたどり着くことを願って少し歩いてみた。
でも歩いても歩いても知らない場所へ向かうばかり。
でも分かってきたこともあった。
ここはケアKの事務所の近くだ!!
事務所を目指して歩いたけど、一度しか行ったことのない事務所にもたどり着けない。
私は思い出した。
前の入院で、単独散歩が許されて迷子になった時のことを。
あの時も自分勝手な判断で、どんどん歩いて行ったら、益々分からなくなってしまった体験を!!
これはやたら滅多に歩くべきではない。
まず事務所が近くにあると確信できるケアKに電話してみた。
でも世田谷事務所には誰もいなくて、西東京事務所に繋がってしまった。
職員のOさんは、緊急事態を察してくれて、千歳船橋へ向かうバス停があるのは、北口の方だよ、と教えてくれた。
でも西東京の事務所の人だから、世田谷は詳しくないらしく、私も詳しい指示を求めるのはやめることにした。
アスペの会に電話してみた。
Hさんが出て、迷子になったと言ったら、とても心配してくれて、Kさんに折り返し電話してもらうようにすると言ってくれた。
すぐにKさんから電話が来て「周りに見えるものを言って下さい」と言われた。
普段の私だったら取り乱していたかもしれない。
でも泣いたって、事態は良くなるわけではない。
ここは冷静になったほうがいい。
Kさんも焦ることなく、私のペースに付き合ってくれた。
携帯で話しながら指示を聞きながら歩いていると、突然横断したりしていたらしく、おばさんにすごい大声で怒鳴られた。
一瞬ひるんでしまったけど、迷子になっている恐怖も大きく、無視して電話を握り締めていた。
「お寿司屋さんが見えるでしょう。その角を右に曲がってごらん。いつもの場所が見えるから」と言われて、お寿司屋さんを曲がったら・・・見えた!!バス停が!!
「ありがとうございます!!」と言って、バス停にかけて行った。
バスを待っている間、涙が零れ落ちそうになるのを我慢して、ケアKにメールした。
「無事に着きました」と。
ケアKのOさんは「きちんと道案内できなくて申し訳ありませんでした。でも無事に着いて良かったです」と返信してくれた。
アスペの会の会場に着いたら、Iさんが玄関にいた。
何か言わなくちゃ、と思ったけど、言葉にならなかった。
アスペの会には、初めて来たような緊張感をみなぎらせて入って行った。
それがどうしてかは分からない。
何故か緊張してしまった。
でもKさんが話をよく聞いてくれて、段々和んでいった。
ミーティングにも参加できたし、出席の時も返事が普通に出来た。
でもそのあと、ショックなことを言われた。
誰を信用していいのか分からなくなった。
ブロックをして、気分を紛らせていた。
でもとめどもなく流れる涙。
そこへHさんが会費を集めに来た。
荷物置き場にお金を取りに行くと、一人になった途端に、涙が止まらなくなってしまって、嗚咽になってしまった。
どうしよう・・・この場から出られない。
そこへHさんが来て「どうしたの!!!!」とビックリしていた。
Kさんが来てくれた。
私は呼吸困難に陥る一歩手前だった。
それをなんとか留めてくれた。
「世の中には悪いことをする人がいるんだよ。でも信用し合える人たちで手を組んで行こうね」と言われた。
グループミーティングになった。
テーマは「自立について」
私はこのミーティングに参加して、気分転換が出来た。
自分の意見を言いながら、一生懸命考えることは、どんどんフカミにはまっていっていた考え方を一新できることが出来た。
自立とはなんだろう?
自立とは、なんでもかんでも自分で出来ることではないのではないか?
誰だって人から支えられて、支え合って生きている。
助けてもらうことは悪いことではない。
では何故人は「自立しよう」と言うのか?
それは「自立していれば楽だから。サポートしてもらうのを待つことなく、自分で出来るということは自由だから」
じゃあ、自立レベルって?
人によって違う。
自立できないことを「自立しなさい!!」と言うのは、本人にとって負担。
でも自立に近い状態に持っていく工夫をするのは出来るし、やってみる価値はある。
究極の自立は、自給自足。
でも人によって、自立を求める指数が違う。
衣食住のどれもが、同じ自立の位置にいるとは限らない。
とても興味深い話だった。
その後、おやつ。
相変わらず食べるのが遅く、最後になってしまった。
Iさんと沢山話した。
女性のIさんも話した。
スタッフは限りなく優しい。
この場を大切にしたい。
女性スタッフのIさんに「措置になった」と言ったら「やるねぇ〜」と言われた。
帰りにKさんに連絡帳を書いてもらっている時、ウトウトしていた。
しかも感情がむき出しになっていて、涙が出てしまって、なんだかすごく疲れた。
さようならをして、玄関に一人で行った時、ここから1時間かけて帰る自信がなくて、ちょっとイスの上で休んでから帰ろうと思ったら、完璧に熟睡してしまった。
10分くらいだったらしいが、Kさんが呼ばれてしまい「ゆこたんが寝てるって情報が入ったんですけど・・・」と起こしに来た。
そして「絶対に途中で寝たらダメだからね!!」と釘を刺された。
だから電車の中でも座らないようにした。
家に着くと、ママから「これからケアKのMさんが来るよ」と言われた。
上限額や、負担率が変わったことで、書類にサインをしなければならないのと、受給者証を持って来るということだった。
どうやら近くまで用事があったので、立ち寄ることにしたらしい。
1月以来Mさんには会っていなかった。
久しぶりで感激した。
Mさんは「色々大変だったみたいだけど、元気そうで良かった。ちょっと痩せたね」と言っていた。
ママが「措置の日のことは、今は笑い話になるけど、もう絶対にあの思いはしたくありません」と言っていて、Mさんにも「今度やったら、寝てる間に首締められちゃうよ」と脅された。
アスペの会のIさんの話をしたら、やっぱり「知らない」と言うので、写真まで見せたけど「知らない・・・」
Iさんの方は、すごくいい人だよね、と言って、私にケアKを紹介してくれた愛のキューピットなのに。
でもMさんは「Iさんね、しっかり覚えておきます」と言っていた。
昨日は疲れてしまって、本当は今日、彼と会おうと思っていたけど、この疲れ具合だと迷惑をかけてしまうのではないかと自覚し、早く眠りに就いて、今日は自宅で休んでいることにした。
でも1ヶ月経ったら、5月のアスペの会には行けた。
でもどうしてだろう・・・?
いつもと同じルートで会場に向かったのに、千歳烏山の駅で迷子になってしまった。
改札を出る時から、なんとなく雰囲気が違うことは感じていた。
階段を上がると、いつものスーパーがない。
焦った。
完全に間違えたことに気付いたから。
涙目になってきた。
どうしよう・・・。
いつもの場所へたどり着くことを願って少し歩いてみた。
でも歩いても歩いても知らない場所へ向かうばかり。
でも分かってきたこともあった。
ここはケアKの事務所の近くだ!!
事務所を目指して歩いたけど、一度しか行ったことのない事務所にもたどり着けない。
私は思い出した。
前の入院で、単独散歩が許されて迷子になった時のことを。
あの時も自分勝手な判断で、どんどん歩いて行ったら、益々分からなくなってしまった体験を!!
これはやたら滅多に歩くべきではない。
まず事務所が近くにあると確信できるケアKに電話してみた。
でも世田谷事務所には誰もいなくて、西東京事務所に繋がってしまった。
職員のOさんは、緊急事態を察してくれて、千歳船橋へ向かうバス停があるのは、北口の方だよ、と教えてくれた。
でも西東京の事務所の人だから、世田谷は詳しくないらしく、私も詳しい指示を求めるのはやめることにした。
アスペの会に電話してみた。
Hさんが出て、迷子になったと言ったら、とても心配してくれて、Kさんに折り返し電話してもらうようにすると言ってくれた。
すぐにKさんから電話が来て「周りに見えるものを言って下さい」と言われた。
普段の私だったら取り乱していたかもしれない。
でも泣いたって、事態は良くなるわけではない。
ここは冷静になったほうがいい。
Kさんも焦ることなく、私のペースに付き合ってくれた。
携帯で話しながら指示を聞きながら歩いていると、突然横断したりしていたらしく、おばさんにすごい大声で怒鳴られた。
一瞬ひるんでしまったけど、迷子になっている恐怖も大きく、無視して電話を握り締めていた。
「お寿司屋さんが見えるでしょう。その角を右に曲がってごらん。いつもの場所が見えるから」と言われて、お寿司屋さんを曲がったら・・・見えた!!バス停が!!
「ありがとうございます!!」と言って、バス停にかけて行った。
バスを待っている間、涙が零れ落ちそうになるのを我慢して、ケアKにメールした。
「無事に着きました」と。
ケアKのOさんは「きちんと道案内できなくて申し訳ありませんでした。でも無事に着いて良かったです」と返信してくれた。
アスペの会の会場に着いたら、Iさんが玄関にいた。
何か言わなくちゃ、と思ったけど、言葉にならなかった。
アスペの会には、初めて来たような緊張感をみなぎらせて入って行った。
それがどうしてかは分からない。
何故か緊張してしまった。
でもKさんが話をよく聞いてくれて、段々和んでいった。
ミーティングにも参加できたし、出席の時も返事が普通に出来た。
でもそのあと、ショックなことを言われた。
誰を信用していいのか分からなくなった。
ブロックをして、気分を紛らせていた。
でもとめどもなく流れる涙。
そこへHさんが会費を集めに来た。
荷物置き場にお金を取りに行くと、一人になった途端に、涙が止まらなくなってしまって、嗚咽になってしまった。
どうしよう・・・この場から出られない。
そこへHさんが来て「どうしたの!!!!」とビックリしていた。
Kさんが来てくれた。
私は呼吸困難に陥る一歩手前だった。
それをなんとか留めてくれた。
「世の中には悪いことをする人がいるんだよ。でも信用し合える人たちで手を組んで行こうね」と言われた。
グループミーティングになった。
テーマは「自立について」
私はこのミーティングに参加して、気分転換が出来た。
自分の意見を言いながら、一生懸命考えることは、どんどんフカミにはまっていっていた考え方を一新できることが出来た。
自立とはなんだろう?
自立とは、なんでもかんでも自分で出来ることではないのではないか?
誰だって人から支えられて、支え合って生きている。
助けてもらうことは悪いことではない。
では何故人は「自立しよう」と言うのか?
それは「自立していれば楽だから。サポートしてもらうのを待つことなく、自分で出来るということは自由だから」
じゃあ、自立レベルって?
人によって違う。
自立できないことを「自立しなさい!!」と言うのは、本人にとって負担。
でも自立に近い状態に持っていく工夫をするのは出来るし、やってみる価値はある。
究極の自立は、自給自足。
でも人によって、自立を求める指数が違う。
衣食住のどれもが、同じ自立の位置にいるとは限らない。
とても興味深い話だった。
その後、おやつ。
相変わらず食べるのが遅く、最後になってしまった。
Iさんと沢山話した。
女性のIさんも話した。
スタッフは限りなく優しい。
この場を大切にしたい。
女性スタッフのIさんに「措置になった」と言ったら「やるねぇ〜」と言われた。
帰りにKさんに連絡帳を書いてもらっている時、ウトウトしていた。
しかも感情がむき出しになっていて、涙が出てしまって、なんだかすごく疲れた。
さようならをして、玄関に一人で行った時、ここから1時間かけて帰る自信がなくて、ちょっとイスの上で休んでから帰ろうと思ったら、完璧に熟睡してしまった。
10分くらいだったらしいが、Kさんが呼ばれてしまい「ゆこたんが寝てるって情報が入ったんですけど・・・」と起こしに来た。
そして「絶対に途中で寝たらダメだからね!!」と釘を刺された。
だから電車の中でも座らないようにした。
家に着くと、ママから「これからケアKのMさんが来るよ」と言われた。
上限額や、負担率が変わったことで、書類にサインをしなければならないのと、受給者証を持って来るということだった。
どうやら近くまで用事があったので、立ち寄ることにしたらしい。
1月以来Mさんには会っていなかった。
久しぶりで感激した。
Mさんは「色々大変だったみたいだけど、元気そうで良かった。ちょっと痩せたね」と言っていた。
ママが「措置の日のことは、今は笑い話になるけど、もう絶対にあの思いはしたくありません」と言っていて、Mさんにも「今度やったら、寝てる間に首締められちゃうよ」と脅された。
アスペの会のIさんの話をしたら、やっぱり「知らない」と言うので、写真まで見せたけど「知らない・・・」
Iさんの方は、すごくいい人だよね、と言って、私にケアKを紹介してくれた愛のキューピットなのに。
でもMさんは「Iさんね、しっかり覚えておきます」と言っていた。
昨日は疲れてしまって、本当は今日、彼と会おうと思っていたけど、この疲れ具合だと迷惑をかけてしまうのではないかと自覚し、早く眠りに就いて、今日は自宅で休んでいることにした。