MOTHER
現実的な、でも現実的ではない物語
発売日:1989年7月27日 発売元:任天堂 ジャンル:RPG
値段:6500円 おすすめ度:4(本編周りのネタがナイス)
コピーライター糸井重里氏による、MOTHERシリーズの第1弾。
職柄的に無縁な糸井氏が、RPGを制作したのは、『ドラゴンクエスト』をやりだしたことにある。
この時糸井氏は、ドラクエをやりだして、映画的な作り方に似ていると感じた。
同時にRPGは、シナリオライターとプログラマーの手によって作られることも思い始めていた。
そこで、様々な小説を読み漁り、様々な映画を鑑賞したりしながら、糸井氏の思い描いたRPGが世に出ることになった。
それが『MOTHER』であり、任天堂初の本格RPGとなった。
任天堂のRPGといえば、主に『ゼルダの伝説』が挙げられるが、ゼルダはアクション要素を取り入れたRPGであるのに対し、MOTHERはドラクエ風の絵と文字による本格RPGであった。
当然、発売前における各ゲーム雑誌の扱いは大きく、レビューについても高評価を下している。
また、ドラクエなどとは一味違ったRPGとしても注目されていた。
では、MOTHERにおける一味違ったRPGとは、いったいどういうものなのか。
MOTHERが目指した要素、それは現実さであった。
『ドラゴンクエスト』にしろ『ファイナルファンタジー』にしろ、内容やシステムが違うとはいえ、剣と魔法のファンタジーRPGについては共通していた。
だがMOTHERは、あえてそれを外して現代風にアレンジした。
アイテムは、『〜の剣』とか『〜の盾』といったものは登場せず、バットやフライパンといった身近にあるものが登場している。
敵についても、スライムやゴブリンなどではなく、おじさんや野良犬といった身近にあるものを題材にしている。
つまり戦闘では、襲い掛かるおじさんや野良犬を、バットやフライパンで殴りつけるのである。
現実に考えれば、まさに凄惨以外何者でもないが、これもリアリティに即したものといえる。
しかし、おじさんやおばさんといった人は『我に返った』となり、野良犬やカラスといった動物は『元に戻った』となるなど、このゲームでは敵に対して『死』の概念がない。
もちろん、宇宙人や機械に対しては『倒した』とか『破壊された』といった死の概念が存在するが。
味方についても同様で、死亡ではなく『意識不明』と表記される。
生き返らせるのも、蘇生ではなく『カムバック』となっているのだ。
このゲームにおいて、意識不明者をカムバックさせるには、病院で『治療』することになっており、生死についても現実的な解釈がなされている。
RPGに必須な魔法も、ここではPSIと解釈されている。
すなわち超能力のことであり、火を放ったり防御力を上げるものなども、この世界では超能力として存在している。
これを、よく表しているのがテレパシーであり、所々のイベントでは重要な役目を持っている。
例えば、主人公の家の前にいる愛犬ミックに使ってみると、重要アイテムが手に入るヒントが得られたりする。
よって、RPGでのMPは、『PP(サイコパワー)』に変更された。
ちなみに、超能力の1つであるテレポーテーションは、ドラクエのルーラ同様今まで行った場所なら一瞬でワープできるのだが、そのためには『大いなる助走』、すなわち長い距離を走らなければならないのだが、その間は障害物にぶつかってはならない。
ワープするときに、わざわざ走らなければならないことも、PSI自体一種のリアリティを物語っているのかもしれない。
ゲームシステムも、より現実に近い処置が施されている。
コマンド名において、『しらべる』は『チェック』に、『道具(アイテム)』は『グッズ』に変更された。
金の入手において一般のRPGでは、敵を倒すと経験値と金が手に入るが、ここでは金は手に入らない。
金は、敵を倒すごとに、出張中の父親が銀行に振り込んでくれるのだ。
それを、主人公が持つキャッシュカードを使いながら、デパート内にあるキャッシュディスペンサーで金を引き出すのだ。
やはり現実的に、敵を倒した際に敵が持っている所持金を、巻き上げるという形ではダメだと考えたのだろう。
だから、どんどん敵を倒すごとに、親が振り込んでくれる金も比例的に増えていくことは、励まされているんだという感じにさせてくれる。
セーブもまた、父親に電話することでしてくれるのだが、振り込みも合わせて、小難しいことは全て親に任せればいいという、糸井氏ならではの理論というべきだろう。
長時間冒険(ゲームをプレイ)すると、どこへいても突然父親から電話がかかってくることも、親は子を心配していることにほんのりとした温かみがある。
無事に家に戻れば、母親がおいしい食べ物を作ってくれる。
どんなことがあっても、親は必ず見守ってくれている、だから一生懸命がんばって来いという気持ちが主人公(プレイヤー)にこめられているのかもしれない。
ところで、プレイ前にキャラネーミング設定があるのだが、その中に好きな食べ物の名前を入れることになっている。
『カレーライス』と入力する人もいれば、『ステーキ』と入力する人もいて、まさにプレイヤーの性格を見抜ける要素といえるだろう。
ゲーム序盤は、好きな食べ物にお世話になった人がほとんどであった。
フィールドの概念がないのも、リアリティの1つといえる。
一般のRPGでは、フィールドに町や村などが配置されているが、そこに入ると同時にその場面へと切り替わる。
MOTHERは、それらを全て一体化し、あたかも自分が自宅から町に移動している感覚にさせてくれると同時に、敵がどのあたりで出るのかといった緊張感も生まれた。
また、斜め移動ができることも、当時としては非常に珍しがられた。
ただ、戦闘後でのお金の振込みやフィールドの概念の廃止の2つは、既に他のRPGで再現されている。
にもかかわらず、MOTHERでその2つが注目を浴びているのは、現実を求めるRPGに対してそれらの要素が最大限に生かされるためであった。
だから、普通のRPGをプレイした後にこれをプレイすると、新鮮に感じられるのだ。
とはいえ、その舞台の場所を日本ではなくアメリカにしたのは、糸井氏が描いているシナリオにそぐわなかったのではないだろうか。
糸井氏が見た映画や小説の舞台は、アメリカののどかな場所を舞台としているのが大部分で、少年少女が冒険する場所において、アメリカが適しているのではないかと考えたのかもしれない。
MOTHERの通貨単位も、ドルとなっている。
それと、異世界のマジカントは、ファンタジーの要素が強いが、物語の終盤によりこれも現実的な世界の1つとして成り立っている。
しかし、ゲームバランスとしての面白さはというと、これは大いに疑問を思わざるを得ない。
まず第1として、何の目的で冒険するのかということ。
一般のRPGは、魔王を倒したり親玉を倒したりと、しっかりと目的が出ているが、MOTHERは周辺に起こっている怪事件の謎を解き明かすために旅をするということになっている。
ただ、その目的がいつの間にか捨て置かれる上に、それに隠された真の目的がプレイするだけではわからないものになってしまった。
その真の目的は、メロディを8つ集めることだが、ゲーム本編とは関係ないところに存在しているものがあり、必要以上の冒険を課せられた。
また、中途半端に強い敵が出ることも問題となった。
このゲームは、仲間を集めずともクリアは可能ではある(ロイドだけは別)。
物語前半は、動物園の戒厳令や鉄道の線路をふさいでいる岩などが関所ポイントだが、後半になるとそういうものがなくなり、メロディを全て集めるまでは自由に行動することができる。
だがそれゆえに、敵の配置がいい加減で、うっかり強い敵のいるエリアへ足を踏もうなら、即座に袋叩きに遭うのが関の山だった。
ラスボスの倒し方も、プレイヤーの不評を買う一因となった。
ボスが強かろうが弱かろうが、結局は攻撃することで倒すことができるが、MOTHERのラスボスは、それでは倒すことができない。
あるコマンドを、何度も選択することで倒すことができるのだが、それまでには数ターンかかる上に倒し方のヒントすらなかった。
ほとんどのプレイヤーは、ラスボスに攻撃し続けて、そして敗れ去るパターンにはまり、結局クリアできなかった人もいた。
グッズの使い方も、『つかう』と『たべる』の2種類があり、いったい何を意味するのかわからないプレイヤーが多くいた。
それを表しているのが、パンの使い道で、それぞれのコマンドにおける使い道がある。
『たべる』を選ぶと、そのまま食べて体力を回復させるが、『つかう』を選ぶとパ『ンくず』なるグッズに変わる。
これは、別の場所でもう一度使うと、最初にパンくずにしたところへ一瞬して戻ることができる。
つまり、非常に便利なアイテムだったが、パンで体力を回復しようとしたプレイヤーにとっては、むしろ疑問に思う要素でもあった。
MOTHERにおいては、私の人生やゲーム歴に大きな影響を与えたといってもいい。
このゲームを購入したのは、発売から一年近く後であったが、ファミマガで攻略や特集を毎回読んでいたために、このゲームに対する期待感や興味が一気にわいてきた。
一年近く後の購入だったために、攻略本がいくつも出回っていたので、攻略自体は簡単に進むことができた、終盤までは。
しかし、ラスボスのほうで行き詰ってしまい、結局クリアすることができなかった。
それでも、電車賃を節約して、スノーマンまで線路を歩いたり、フライングマンの助けを借りなかったりといった変則プレイを、既にやっていた。
その中で、ヒーラーの治療法(『きをいれる』がPP回復で、『やわらかくする』が石状態を回復)も、ある程度理解できた。
それから、続編を購入した翌年、再び初代をプレイしたくなって電源を入れたら、せっかく終盤まで進んだデータが全て消えていた。
どうも、バッテリーバックアップ内の電池の寿命が切れていたらしく、それを知った私はラスボスの謎を残したままあきらめざるを得なかった。
再び、初代をプレイすることになったのは、それから数年後のGBAの『MOTHER1+2』において。
初代と2のカップリング版だが、初代についてはFC版と比べて大幅なシステム改編が行われていた。
ティンクル小学校での売り物が変わっていたり、クイーンマリーの泉にいるお助けじいさんの内容が、ヒーラーからキャッシュディスペンサーに変わっていたりと、一般のRPGのシステムに近いものになっている。
購入したのは、発売前日(偶然店にあったので即座に購入したが、店員が複雑な顔をしていた)なので、ラスボスを倒せなかった私は、攻略本が発売されるまでは2を先にプレイすることにした。
攻略本発売と同時に、即座に初代プレイと切り替えた私は、攻略本を見ながらラスボスまでたどり着いた。
幸運にも、私が買った攻略本は、ラスボスに対する攻略が載っていたので、それを実行したら勝つことができた。
そしてエンディングに入ったが、そのあとの後日談があって、とても心和むものであった。
実はこれ、アメリカ版を日本に再輸入されたものだが、元々難しいゲームを好むアメリカが、ゲームバランスを安定させて発売させたのは、異例ともいえる措置ともいえる。
それから、さらに数年後の現在、レビューがてらFC版をプレイすることにしたのだが(もちろんバックアップ電池が切れていたので、新たに購入)、変則プレイということでテディを仲間にしないで(専用アイテムは一応集めた)ゲームをクリアした。
ネットの情報で、自由な冒険ができることを知ったわけだが、同時にGBA版は所々にFC版を再現していないところが多いという。
だが私は、あえてGBA版を選びたい。理由は、真のエンディングが見られるため。
初めて、FC版のエンディングを見ることができた私であったが、突然スタッフロールが流れてくるのを見て、思わず苦笑した。
ところで、FC版購入と同時に購入したマザー百科という本は、このゲームの世界観を旅行書風に仕立て上げたもので、私のお気に入りの本の1つとなっている。
それと、FC版を再びプレイする際に決めていたことが1つあるが、それはアドベント砂漠にある地雷を踏むことであった。
当時のファミマガで、そのことが載っていたのだが、昔の記憶がかすれてわからなかった私は、砂漠の隅々まで調べ上げた。
だが、結局地雷は見つからず、私の意気込みも空振りに終わることとなってしまった。
本日のまとめ
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