飲酒運転で幼児三人を死亡させた元福岡市職員への福岡高裁判決は懲役二十年だった。事故を契機に厳罰化が進んだが、それでも飲酒運転はなくならない。社会に軽くみる空気が残っていないか。
元職員は福岡市で二〇〇六年八月、飲酒運転で一家五人が乗った車に追突して博多湾に転落させ、三児を水死させた。一審の福岡地裁は危険運転致死傷罪を適用せず、業務上過失致死傷罪などで懲役七年六月を言い渡した。
一審は危険運転罪の要件である「正常な運転が困難な状態」までは酔っていなかったと判断した。元職員が飲んでいたスナックから現場まで物損事故などを起こさなかったことや、警察官の飲酒検知で酒気帯び程度だったことが考慮され、事故原因は「脇見」とされた。
だが、十五日の福岡高裁判決は「酒を飲んだ店でバランスを崩したり、『酔っている』と発言していた」と飲酒状況を認定した。その上で「アルコールの影響で正常な運転が困難だったとしか考えられない。脇見とした一審判決は誤り」と危険運転罪を適用した。
一、二審で判断が分かれたのは罪の要件が抽象的だからだ。量刑の差は大きい。一審は厳格に要件を解釈した結果といえる。
ただ、一審判決に釈然とせず、社会常識からは離れていると感じた人は多かったのではないか。
元職員は四時間の間に居酒屋やスナックではしご酒をした。ビール一缶と焼酎のロック八、九杯などを飲んだ上で追突を起こした。事故現場から逃げ去り、友人に身代わりを依頼し、飲酒検知の前に大量の水を飲んでいた。
個人差があるにせよ、これほどの飲酒は運転に影響を与えたはずであり、事故後の行動は卑劣だ、と思うのが一般市民の感覚だ。
まもなく裁判員制度が始まる。この事故が裁判員制度で裁かれたなら、二審判決に近い結果になっただろう。それだけ飲酒運転事故への厳罰意識は強まった。
三児死亡事故を契機に厳罰化への法改正が行われ、飲酒運転事故は減りつつある。それでも昨年は六千件を超えており、撲滅までとはいかない。「事故さえ起こさなければ」と飲酒運転を軽く考える空気が残っているようだ。
愛知県では守山署副署長が酒気帯び運転で摘発された。警察の幹部がこれでは示しがつかない。
飲酒運転による悲惨な事故を繰り返してしまっては、三児の痛ましい死は浮かばれない。
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