1975年、プーチンはレニングラード国立大学法学部を卒業し、就職先割り当てにより国家保安機関の仕事に就いた。1985-1990年、ドイツ民主共和国に派遣されて勤務。1991年8月20日、国家保安機関へ辞表を提出。
1990年からレニングラード国立大学学長の国際問題担当補佐官、ついでレニングラード市ソビエト議長の参事官。
1991年6月12日からサンクトペテルブルク市渉外委員会議長。市の経済への投資誘致問題、合併企業開設、外国パートナーとの協力を担当した。
1994-96年、サンクトペテルブルク市政府第一副議長兼サンクトペテルブルク市渉外委員会議長。緊急問題に関する市の委員会を主宰。治安機関を管掌し、サンクトペテルブルク立法議会との提携、広報局を担当した。
1996年8月、モスクワに移り、ロシア連邦大統領府総務次長のポストに就く。
1997年3月からロシア連邦大統領副長官(地方を担当)。
1998年7月、連邦保安局長官に任命。1999年3月、ロシア連邦安全保障会議書記に任命。
1999年8月からロシア連邦政府議長(首相)。
1999年12月31日からロシア連邦大統領代行。
2000年3月26日に行なわれたロシア連邦大統領選挙で当選。5月7日、ロシア連邦大統領に就任。
2004年3月14日に行なわれたロシア連邦大統領選挙で再選。
2008年5月8日からロシア連邦首相。
経済学修士。ドイツ語を自由に話す。英語で意思を通じることもできる。
11歳のときからサンボと柔道に親しむ。一度ならずサンクトペテルブルク市のサンボ・チャンピオンになったことがある。1973年にサンボのスポーツマスター、1975年に柔道のスポーツマスターになった。
夫人のリュドミラ・アレクサンドルヴナ・プーチナは、レニングラード国立大学文学部の卒業生。ドイツ語、スペイン語、フランス語を話す。
プーチン家は娘が二人。
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