4/22(水)
その日は、いつもの外来日である木曜日がK先生が休診のため、臨時で外来日になっていた。
でも前々から具合が悪かったのも重なってきていて、私は限界状態だった。
前の日に彼と見に行った「おっぱいバレー」は、一人興奮で終わったけど、家に帰ったらなんだか寝付けなくて、彼にも「疲れるから寝た方がいいよ」と言われて、無理にベッドに入ったけど、目が冴えてしまった。
ほとんど眠れずに、朝下へ降りて行くと、不機嫌丸出しで、食欲もなく、悪態ばかりついていた。
でもその悪態が、段々被害妄想へと変わって行き、激怒と変わって行った。
そういえば、昨日彼とデートの帰りに、別れを惜しんでいると、後ろから隣りのおじさんの車が来た!!
おじさんにストーカーされている!!
おじさんは、この間は、私の家を見上げていたじゃないか!!
しかも、私が現れたら、バツが悪そうに頭を下げて去って行ったではないか!!
ストーカーだ!!
「隣りのおじさんが、ストーカーだ!!犯罪者だ!!逮捕しなくちゃいけない!!」と騒ぎ出した。
自分が騒いだことによって、自ら興奮状態に持って行ってしまった。
もう誰にも止められない。
私は恐怖の余り、110番をした。
ママは必死に止めている。
止められるから、悲鳴を上げる。
何度も家に逆探知で警察から電話がかかってきた。
ママはその度に、受話器を取り上げ切ろうとするが、私は益々騒ぐ。
警察もただ事ではないと思ったらしく、パトカーが家に2台現れたかと思うと、カギを勝手に開けて、警察官が入ってきた。
ママは「お帰り下さい」と言っているけど「こういう事件になってしまったら、事情徴収を取らないといけないんですよ」と言われている。
私は興奮状態で、ママにも攻撃をしている。
とりあえず、ママと私を引き離して、それぞれの言い分を聞いてくれた。
その間にも、警察官の数は増えていく。
外では「事件ではないでーす!!大丈夫でーす!!」と指揮している。
近所の人たちが、遠巻きに見ていたとか。
警察官に諭され、病院に行くことになった。
私服警察官と言うの?警察官の格好をしていないお巡りさんと、パトカーじゃない覆面パトカーに乗せられ、病院に向かった。
ママはこの日、すごく重要な用事があったらしい。
警察官に挟まれ、後部座席に窮屈に3人で座る。
私はまだ騒いでいた。
「隣りのおやじを殺して、私も死ぬ」とか喚いていた気がする。
ちょっと年配の警察官と、20代後半の警察官がいた。
20代の方が、ずっと私の相手をしていてくれた。
病院に着いた。
その頃には、騒ぎ疲れて眠ってしまっていた。
起こされた、年配のほうに。
「診察券を出して」と言われた。
診察券を出してもらって、パトカー内で待っている時、運悪くママの車が駐車場に入ってくるのを見てしまった!!
途端に車内で暴れ狂う私。
K先生が駐車場まで来て、一目私の姿を見てママに「措置行って下さい」と言ったそうだ。
病院は、空床がなく、諦めるしかなかった。
ママはそれでも病院なのだから、注射をしてパニックを収めるとかして、助けてもらえるものと思い、わらにもすがる思いだったのに、K先生は助けてくれなかった・・・と涙ながらに後から言っていた。
警察の人にママは、備え付けのナビを上野の一角にある精神の鑑定を受ける場所に設定してもらい、一人で運転したそうだ。
パトカー内はと言うと・・・
ひどい文句の垂れ方だった。
ママがK先生に「これから措置に行く挨拶をしてくる」と言ったら「受けてもくれねぇ病院なんかに、頭下げてる場合かよ!!時間の無駄なんだよ!!ったくよー!!」
「あのお母さん、老人だから、大丈夫かなぁ」
「本当にナビ合ってるか?」
「カー用品、騙されて買わされただけだろ。持ってて使い方知らないなんて」
「発達障害って、外に出れない引きこもりがなるんだろ?だから太っていくんじゃないか?」
「お前さんよお。意味分かってて言ってるのか?」
「今日は仕事になんねぇよ!!朝からよお、早く飯食わせろよ。うまいコーヒーでも飲んでこうぜ」
「なんでこんなにグルグル回んなくちゃなんねぇんだよ」
「こいつ、大の方、やっちまってると思いますよ。臭いますもん(してません!!)」
ようやく着いた、上野は、私の視野の中にはなく、牢屋みたいな所に通された。
床はコンクリートで、家畜小屋みたいな所。
ここはどこなんだろう?と思いつつも、自分はどこまで行ってしまうんだ?と不安になる。
外からはママの声で、私が発達障害であることを説明している。
警察官はあろうことか「もうここまで来たら、入院してくんなきゃ意味がないんだよ。お帰り下さいじゃ収穫ないからさぁ、暴れちゃってくれよ。大いに一発」と言うので「これから医師面接をします」と言われたとき、本当に騒ぎまくってあげた。
これでいいんでしょう?とばかりに。
床で転げまわって人に噛み付いたり、自分を傷つけている様子や、警察官から「油断すると、噛み付かれます」という証言で、精神指定医2名の診察の結果「措置入院」が決まった。
お決まりの通達が終わると、すぐに救急車がやってきた。
ママはまた、一人で次の行き先である入院することになったJ病院まで運転。
私は救急車で搬送された。
最初私は救急車の中でも暴れて、手の付けようがなかった。
暴れるというか、泣き喚いていた。
でも大人しくなると「こんなんでも最近は措置になるんですねぇ」と話し合っている。
車内で拘束され、叫び疲れた私は、呼吸困難になっていき、何度か吐きそうになった。
その度に、救急隊員が、冗談を交えながら、ティッシュで拭き取ってくれた。
救急車の中というのは、案外揺れるので、車酔いしてしまう。
それにすごい音を鳴らして走るのでうるさい。
地獄だった。
それに、どこの病院に連れて行かれるのか分からず、不安でいっぱい。
やっと着いた所は、N区だった。
比較的家に近かった。
でも全く知らない病院だった。
真上しか見えない状態の中、不安は絶頂まで達し、私の悲鳴は病院中響き渡っていたそうだ。
ガラガラ・・・とストレッチャーで運ばれていく中、覚えている言葉は、「あぁ!!一番奥!!6番に運んで!!」
6番は一番奥だった。
悲鳴がうるさいからだそうだ。
自覚はしていないけど、その後主治医となるA先生は「医師生活を何年かやっていますが、ここまで叫ばれたのは初めてです」と言っていた。
ママがA先生に「この子は発達障害です」と言ったら「いーえ、違いますよ、お母さん、これは性格から来るものですよ。こんなになってしまって、一体何が原因ですか?」と言われて、本日3回目(警察と措置入院が決まる時と今回のA先生へ)となるゆこたんの歴史を話す気力もなく、「K先生に聞いてください」と言って、逃げ帰ったそうだ。
A先生の方からしてみれば、事情が全然分からず、薬も何を飲んでいるのかも分からず、どうしていいものか?と頭を抱えてしまったそうだ。
実際、初日は、K先生と連絡がつくまで、点滴や注射をいっぱいされ、私は麻薬中毒のようになってしまった。
おむつを頑丈に当てられ、荷物は何もないので、病衣を着せられた。
拘束も、胴・手・足とフルセットで、全く身動きが取れない。
されるがままになるしかなかった。
今までの病院とまず違ったのは、看護師さんが、お化粧の臭いがきついということ。
慣れるまで、看護師さんが現れる度に、この病院の臭いを感じて、不快だった。
A先生は、この叫び声なんとかしてよ!!という感じで、形ばかりの「措置決定」の通達だけして去って行った。
そうして、私の措置入院生活が始まった。
その日は、いつもの外来日である木曜日がK先生が休診のため、臨時で外来日になっていた。
でも前々から具合が悪かったのも重なってきていて、私は限界状態だった。
前の日に彼と見に行った「おっぱいバレー」は、一人興奮で終わったけど、家に帰ったらなんだか寝付けなくて、彼にも「疲れるから寝た方がいいよ」と言われて、無理にベッドに入ったけど、目が冴えてしまった。
ほとんど眠れずに、朝下へ降りて行くと、不機嫌丸出しで、食欲もなく、悪態ばかりついていた。
でもその悪態が、段々被害妄想へと変わって行き、激怒と変わって行った。
そういえば、昨日彼とデートの帰りに、別れを惜しんでいると、後ろから隣りのおじさんの車が来た!!
おじさんにストーカーされている!!
おじさんは、この間は、私の家を見上げていたじゃないか!!
しかも、私が現れたら、バツが悪そうに頭を下げて去って行ったではないか!!
ストーカーだ!!
「隣りのおじさんが、ストーカーだ!!犯罪者だ!!逮捕しなくちゃいけない!!」と騒ぎ出した。
自分が騒いだことによって、自ら興奮状態に持って行ってしまった。
もう誰にも止められない。
私は恐怖の余り、110番をした。
ママは必死に止めている。
止められるから、悲鳴を上げる。
何度も家に逆探知で警察から電話がかかってきた。
ママはその度に、受話器を取り上げ切ろうとするが、私は益々騒ぐ。
警察もただ事ではないと思ったらしく、パトカーが家に2台現れたかと思うと、カギを勝手に開けて、警察官が入ってきた。
ママは「お帰り下さい」と言っているけど「こういう事件になってしまったら、事情徴収を取らないといけないんですよ」と言われている。
私は興奮状態で、ママにも攻撃をしている。
とりあえず、ママと私を引き離して、それぞれの言い分を聞いてくれた。
その間にも、警察官の数は増えていく。
外では「事件ではないでーす!!大丈夫でーす!!」と指揮している。
近所の人たちが、遠巻きに見ていたとか。
警察官に諭され、病院に行くことになった。
私服警察官と言うの?警察官の格好をしていないお巡りさんと、パトカーじゃない覆面パトカーに乗せられ、病院に向かった。
ママはこの日、すごく重要な用事があったらしい。
警察官に挟まれ、後部座席に窮屈に3人で座る。
私はまだ騒いでいた。
「隣りのおやじを殺して、私も死ぬ」とか喚いていた気がする。
ちょっと年配の警察官と、20代後半の警察官がいた。
20代の方が、ずっと私の相手をしていてくれた。
病院に着いた。
その頃には、騒ぎ疲れて眠ってしまっていた。
起こされた、年配のほうに。
「診察券を出して」と言われた。
診察券を出してもらって、パトカー内で待っている時、運悪くママの車が駐車場に入ってくるのを見てしまった!!
途端に車内で暴れ狂う私。
K先生が駐車場まで来て、一目私の姿を見てママに「措置行って下さい」と言ったそうだ。
病院は、空床がなく、諦めるしかなかった。
ママはそれでも病院なのだから、注射をしてパニックを収めるとかして、助けてもらえるものと思い、わらにもすがる思いだったのに、K先生は助けてくれなかった・・・と涙ながらに後から言っていた。
警察の人にママは、備え付けのナビを上野の一角にある精神の鑑定を受ける場所に設定してもらい、一人で運転したそうだ。
パトカー内はと言うと・・・
ひどい文句の垂れ方だった。
ママがK先生に「これから措置に行く挨拶をしてくる」と言ったら「受けてもくれねぇ病院なんかに、頭下げてる場合かよ!!時間の無駄なんだよ!!ったくよー!!」
「あのお母さん、老人だから、大丈夫かなぁ」
「本当にナビ合ってるか?」
「カー用品、騙されて買わされただけだろ。持ってて使い方知らないなんて」
「発達障害って、外に出れない引きこもりがなるんだろ?だから太っていくんじゃないか?」
「お前さんよお。意味分かってて言ってるのか?」
「今日は仕事になんねぇよ!!朝からよお、早く飯食わせろよ。うまいコーヒーでも飲んでこうぜ」
「なんでこんなにグルグル回んなくちゃなんねぇんだよ」
「こいつ、大の方、やっちまってると思いますよ。臭いますもん(してません!!)」
ようやく着いた、上野は、私の視野の中にはなく、牢屋みたいな所に通された。
床はコンクリートで、家畜小屋みたいな所。
ここはどこなんだろう?と思いつつも、自分はどこまで行ってしまうんだ?と不安になる。
外からはママの声で、私が発達障害であることを説明している。
警察官はあろうことか「もうここまで来たら、入院してくんなきゃ意味がないんだよ。お帰り下さいじゃ収穫ないからさぁ、暴れちゃってくれよ。大いに一発」と言うので「これから医師面接をします」と言われたとき、本当に騒ぎまくってあげた。
これでいいんでしょう?とばかりに。
床で転げまわって人に噛み付いたり、自分を傷つけている様子や、警察官から「油断すると、噛み付かれます」という証言で、精神指定医2名の診察の結果「措置入院」が決まった。
お決まりの通達が終わると、すぐに救急車がやってきた。
ママはまた、一人で次の行き先である入院することになったJ病院まで運転。
私は救急車で搬送された。
最初私は救急車の中でも暴れて、手の付けようがなかった。
暴れるというか、泣き喚いていた。
でも大人しくなると「こんなんでも最近は措置になるんですねぇ」と話し合っている。
車内で拘束され、叫び疲れた私は、呼吸困難になっていき、何度か吐きそうになった。
その度に、救急隊員が、冗談を交えながら、ティッシュで拭き取ってくれた。
救急車の中というのは、案外揺れるので、車酔いしてしまう。
それにすごい音を鳴らして走るのでうるさい。
地獄だった。
それに、どこの病院に連れて行かれるのか分からず、不安でいっぱい。
やっと着いた所は、N区だった。
比較的家に近かった。
でも全く知らない病院だった。
真上しか見えない状態の中、不安は絶頂まで達し、私の悲鳴は病院中響き渡っていたそうだ。
ガラガラ・・・とストレッチャーで運ばれていく中、覚えている言葉は、「あぁ!!一番奥!!6番に運んで!!」
6番は一番奥だった。
悲鳴がうるさいからだそうだ。
自覚はしていないけど、その後主治医となるA先生は「医師生活を何年かやっていますが、ここまで叫ばれたのは初めてです」と言っていた。
ママがA先生に「この子は発達障害です」と言ったら「いーえ、違いますよ、お母さん、これは性格から来るものですよ。こんなになってしまって、一体何が原因ですか?」と言われて、本日3回目(警察と措置入院が決まる時と今回のA先生へ)となるゆこたんの歴史を話す気力もなく、「K先生に聞いてください」と言って、逃げ帰ったそうだ。
A先生の方からしてみれば、事情が全然分からず、薬も何を飲んでいるのかも分からず、どうしていいものか?と頭を抱えてしまったそうだ。
実際、初日は、K先生と連絡がつくまで、点滴や注射をいっぱいされ、私は麻薬中毒のようになってしまった。
おむつを頑丈に当てられ、荷物は何もないので、病衣を着せられた。
拘束も、胴・手・足とフルセットで、全く身動きが取れない。
されるがままになるしかなかった。
今までの病院とまず違ったのは、看護師さんが、お化粧の臭いがきついということ。
慣れるまで、看護師さんが現れる度に、この病院の臭いを感じて、不快だった。
A先生は、この叫び声なんとかしてよ!!という感じで、形ばかりの「措置決定」の通達だけして去って行った。
そうして、私の措置入院生活が始まった。
警察官はすごいです。
それも言われたらその通りにしなくちゃと思ってしまう私は、正にその通りにしてしまい、おとりにはまった気分でした。
後から「これだって仕事じゃないの?」って思いましたけど。
ママには「すいません、お忙しいところ」と言うと「いーえ、いいんですよ、仕事ですから」と言っていたそうです。
訴えてやろうか???
でも敗北は分かっているので、無駄な抵抗はしませんけど。
弱者は辛いです・・・。
「この子は発達障害です」と言ったら「いーえ、違いますよ、お母さん、これは性格から来るものですよ。」
もう、最悪ね。結局、自閉症とか発達障害とか誰も知らないんじゃないか (汗
ただ社会システムが複雑すぎて要領悪い問題点の方が見えてしまう…
散々な目にあったね。しかしこの病院は発達障がいに理解が無いね。
警官も発達障がいに理解が無い。ゆこたんもかなり傷ついただろう。
精神病院は、余り期待できないです。
最終的には、ここの病院でも私が発達障害だと認めてくれましたが、初見ですぐに「違いますよ」と言われてしまえば、ママの方も説明する気力がなくなってしまうのも分かります。
措置入院は環境が全く変わるわけだし、なんの情報もない中に放り出されるので、絶対に措置にならないにこしたことはありません。
どんなに待っても、いつもの病院に入院した方が賢明です。
自閉症、発達障害という名称は一人歩きしているけど、それがどういうものかまでは、浸透していない気がします。
ストーカー事件は、今思えば多分、被害妄想です。
発達障害者がいないんですよ。
みんな本当の精神病患者さんばかりだから、ワーワー叫びまくっている私も、精神病だと思われたみたいです。
だから今の病院のK先生は、措置入院先の先生に対して「まだまだ甘いですね」と言っていたみたいです。
警察官は最悪でしたね・・・。