さて、
先日のブログで、小生の趣味の中でも絶大なる位置を占める音楽について、今まで取り上げる機会が少なかった為、今後は気まぐれに増やすちゅう宣言をした。
で、どのアタリから取り上げようかと考えとったけど、音楽ちゅうのは兎に角、異常なまでにネタが多いさかい、却って的を絞りづらい。
で、最初を宇多田ヒカルにしたのは、何でかっちゅうと…。
はっきり言うと小生、宇多田ヒカルという音楽家について、特に好きでもなければ嫌いでもない、個人的な趣味のレベルで言えば居ても居なくてもエエ音楽家やし、じゃあ、好き嫌いを抜きにした評価ではどうかちゅうと、これまた高い評価はしていない…。
ちゅうか、デビュー当時と違って、今の評価は明確に低い。
選んだ理由は、つい先日、エヴァンゲリオンの新しい映画が封切られて、ココのお仲間さん達で観に行かれる方も居るみたいやし、そのテーマ曲ちゅうか、あのアニメで多くのカバーが作られた「Fly Me To The Moon」を今回、編曲&歌唱を担当したちゅうコトでタイミング的に合ったちゅうのと、
この方が前述のブログで「デスラー節」と表現したヤツ、所謂毒舌と呼ばれる意見をアップするのにちょうど良い音楽家やからなんですわ。
で、本題に入ってきまひょ…。
宇多田ヒカル、この女史を音楽家として正当に評価した場合、古くからある諺を一つ使えば事足りる。
「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」
小生は、薀蓄が大好きなためグダグダと色々述べるけど、この一言があれば、この女史を表現する言葉は他に必要ない。
実際のトコ、彼女が日本でデビューしたとき、小生も天才やと思た。
少なくとも、日本の十代の所謂JPOPと呼ばれる世界の連中の中やと抜きん出た存在やった事は確かやろう。
米帝で育ったことを当時
この方と一緒にテレビを見ていて知り、納得したもんや。
根本的に育った環境のレベルが違いすぎる。
米帝では流石に天才としては扱われへんやろうが、通用するレベルではあったんと違うかと思う。
所が、昨年の師走に入った頃、ちょうどデビューして8周年を迎えた頃、ラジオで彼女の最新と触れ込まれた数曲を、仕事で移動中に聴いた時の感想は、タダ一言…。
「この人、8年間ナニをしてたんや?」
更に言えば、先日デモで聴いた「Fly Me To The Moon」で小生にとっての彼女の評価は決定的なものになる。
まるで成長していない…。
特に、「Fly Me To The Moon」は当該のアニメで多くのカバーが作られており、それらに比してクウォリティ的にも全く抜きん出たものが見られない。
恐らく、彼女には音楽に対する真摯さが徹底的に欠けている。
確かに、歌そのものは下手やない、ちゅうか、明確に今の日本やと上手い部類に入る。
音楽センスも、今の日本やと上位に入るやろう。
しかし、それらを本当に活かすには、音楽に対する真摯さが必要。
かつて、楽聖と呼ばれる人類の至宝が述べたとされる言葉がある。
「音楽は心より出でて、そして願わくば心に還らん事を…。」
ちゅう意味の言葉やけど…。
この言葉に至上の価値を感じる者にとって、彼女の音楽は最低の部類に属する。
なまじ技術があり、聴かせるセンスも持っとるさかい、却ってタチが悪い。
素人以下のゴミクズの方がスグに見破られるだけ、まだマシと言えるかも知れへん。
Posted at 2007/09/10 1:49:01 | |
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