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企画特集

【どうなる医療・病院】

ルポ救命センター24時(中)

2009年05月15日

写真

処置室で懸命の措置を続ける医師たち=橿原市四条町の県立医大付属病院高度救命救急センター

  ◆命消さぬため…葛藤

   ◎厳しい選択◎

 ある週末、橿原市の県立医大付属病院高度救命救急センターの集中治療室(ICU)。夕方には、以前に腹膜炎や薬物中毒などで救急搬送され、治療を続ける患者で10床中7床が埋まっていた。当直の福島英賢医師(38)が救急患者の処置中も、研修医のPHSがひっきりなしに鳴る。入院患者の異常を知らせる連絡だ。処置室から同じ1階にあるICUに走る。

 大やけどで入院している少年が苦しんでいた。全身に巻かれたガーゼをほどき、丁寧に体をふいて新しいガーゼに換えていく。途中、再び処置室へ。新たに搬送された患者の様子を若手医師から聞き、指示を出した。

 午後7時半。瀕死(ひん・し)で運び込まれた患者2人の容体が安定した。処置室からICUに移すと、入れ替わりで年配の女性が運び込まれた。体温は30度に満たない。ほぼ心停止の状態。「心マ(心臓マッサージ)して!」「メスちょうだい!」。懸命の蘇生措置にもかかわらず、意識は戻らなかった。

 静かになった処置室で福島医師が手を止め、ガウンを脱いだ。頭をかきむしり、深い息をはいた。家族が女性の体をさすりながら号泣するのを、立ち尽くして見守った。しかし、処置室を空けなければならない。家族を外へ誘導すると、休む間もなく体に入った管を抜き、傷口を縫合。その間もPHSが鳴る。

 「小型犬にかまれた70代女性を診て」「入院患者が痛みを訴えている」――。PHSは鳴りやまない。「待ってもよければ受けて」「鎮痛剤打って」。手を動かしながら指示を飛ばす。

 悲劇は続いた。

 やけどの少年の容体が急変したという知らせが入った。福島医師の顔色が変わった。他の診療科の当直医と連携し、緊急手術の準備に入る。外科出身の救急専門医と、少年の主治医も自宅から呼び出した。時計の針は午前1時を回っていた。

 1時間半後。3階の中央手術室で手術が始まった。しばらくすると、医師が血相を変えて下りてきた。待機場の内線電話が何度も鳴り、研修医や看護師が手術室へ走る。静まり返っていたICUが緊迫した。2時間半後、ICUに戻ってきた少年は意識がなかった。心臓マッサージを続けるが、鼓動は戻らない。血圧や血中酸素濃度などを映すモニターが消された。「帰ってきて」。家族の悲痛な声が響いた。

 家族に説明し、手術跡の縫合を終えた福島医師は看護師が少年の体を清めていく様子が映されたモニターをにらむように見つめたまま、動かなくなった。眉間(み・けん)のしわが消えない。

 外が白み始めていた。

 死と隣り合わせた患者が次々に搬送されるなか、入院患者が痛みや異常を訴える。だが、消えようとしている命をまず、救わなければならない。厳しい選択だった。

 福島医師は絞り出すように言った。

 「どうしたら助けられたのかと思うけど、同時にいっぱい患者が来れば優劣をつけてやらざるを得ない。全部受ければ、必ず無理が来る。少しずつ医師の人数を増やしていくことくらいしかない。これが救急の限界です」

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