2007年11月

2007年11月30日

ローマの哲人セネカ

セネカはローマ帝政の初期という時代に生きた。 皇帝ネロの家庭教師を務めたことで有名。皇帝即位後は政策の助言を行うが、のちにその立場から退きかつての教え子であった皇帝ネロから謀反に加担したと疑われ、自殺を命じられ死ぬ。 


そんなセネカが言っていたが「心の病は、体の病より遥かに破壊的である。」 「残虐はすべて弱さから生ずる。」云々などと・・・・


悪名高いカリギュラが帝位に就く頃にネロの父ドミティウスが死去、ネロの実母小アグリッピナはカリギュラの寵愛を失い、流刑となる。

父ドミティウスの遺産はカリグラの手に入り、ネロは叔母のドミティア・ルピダのもとで育てられた。その後、カリギュラが暗殺されカリギュラの妻カエサニア、娘ユリア・ドルッシラも殺害され、親衛隊の独断で伯父のクラウディウスが擁立され、第4代ローマ皇帝となる。クラウディウスによってネロの母アグリッピナはローマに戻る事を許された。


皇帝ネロは、ローマに放火したとかキリスト教徒を迫害したとかやはり悪名が高いのだが・・ペテロがネロの迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。 ・・これまた暗殺に毒殺に彩られる帝位を巡る陰謀渦巻くローマ社会の疑心暗鬼が暴君を生んだという見方も出来るかと思う。


「心の病は、体の病より遥かに破壊的である。」 「残虐はすべて弱さから生ずる。」


などと言葉を残し、ローマ帝国史の草創期を生きたセネカの言葉を幾つか・・・・

「生きることの最大の障害は期待を持つということである。それは明日に依存して今日を失うことである。」


「自分を堕落させる者は自分だけを台無しにするのみか、もしもこの者が善に化せられたならば恐らく彼が役立つと思われる他人をも、ことごとく台無しにすることになるが、それとちょうど逆に、自己のために良く尽くす者は誰でも、他人のために将来役立つものを用意するという、正にそのことによって他人に役立つことになる。」


「本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である。 たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである。 打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである。 怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。 怒っている人は動かされているのだ。」


「大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。われわれは侮辱に腹を立ててもいけないし、尊敬を喜んでもいけない。そうしなければ、われわれは軽蔑への恐怖または嫌悪のために、多くの必要なことを止めることになろう。また、何か気に染まぬことを聞くのではないかという女のような心配がわれわれを締め付ける限り、公的にせよ私的にせよ、もろもろの義務をあえて遂行しようとはしないであろう― たとえそれらの義務が有益なものであるときにも。

また、時にはわれわれは有力者に憤慨して、自分の感情を勝手自由にむき出す。しかし、自由とは何事にも我慢しない、ということではない。われわれは誤っている。自由とは心を侮辱から超越せしめ、心そのものを、心の喜びが流れ出る唯一の源たらしめ、外的なもろもろの雑事を心自体から引き離すことである。

それは結局は、世間一般の嘲笑や、同じく世間一般の評判を恐れて、不安な生活を送るようにさせないためである。なぜというに、世間の誰か一人が軽蔑を行なうことが出来るならば、軽蔑を行なうことが出来ない人というのは一体誰か、ということになるからである。」


「幸福にしてあげたいなら、その人の持ち物を増やさず、欲望を減らしてやるがよい。」



というパンとサーカスと奴隷制の帝政ローマの哲人セネカの言葉を眺めていると、教え子ネロの歩みと側近の凄まじい権力闘争とともにひとつの言葉を思い出す。

死ぬ事を終生学べと説き、教え子ネロにより死を命じられたセネカが我が子を失い嘆くマルキアに宛てた手紙に一節である。


「ならば、個々のこと一つ一つに涙したところでそれが何になりますか?涙すべきものがあるとしたら、それは人生全体です。あなたが古いごたごたを片付け終える前に、もう新しいごたごたが次々と押し寄せてきます。それゆえにあなたがたが際限もなく嘆くことは、とくに抑制されねばならず、人間は心の力を多くの苦痛へと分かたなければならぬのです。

であるのに、そういうあなたのものでありまた一般的でもある状況を忘れるなんてことが、どうして起こるのでしょう?死すべき者としてあなたは生まれ、死すべき者をあなたは産んだのです。あなたが、いくつもの病の種子(たね)を宿した脆くて締まりのない肉体を持つあなた自身が、そのような弱い素材の中に、確かなるもの、永遠なるものを宿そうとでも望んだのですか?
 
あなたの息子は亡くなりました。ということはすなわち、彼はあの目的地へ行ったのです。あなたがあなたの子供より幸福だと思っている人々みながそこへと急いでいるところへ。そこへこそ彼らもみな行くのです。いまフォーラムで訴訟を争っている者も、劇場で見物している者も、神殿で祷っている者も、あの群集全員が、不揃いな足並みで、しかし必ず。あなたが愛する人も、あなたが軽蔑する人も、ひとしく一握りの灰になるのです。
 
そのことをこそ、デルフォイの神託といわれるあの言葉「汝自分を知れ」は言っているのです。人間とは一体何か?任意の揺さぶり、任意の突っころばしで壊れてしまう容器です。あなたを吹きとばすのに大きな嵐など必要ありません。どこへ衝突してもあなたはバラバラになるでしょう。人間とは一体なんですか?弱い、壊れやすい肉体です。裸で、生まれつき無防備で、他のものの助けを必要とする、運命のあらゆる虐待のままに委ねられた存在です。」


セネカの教え子であったネロもクーデターにより元老院から「国家の敵」とまで言われ、自殺に追い込まれ・・・ローマ帝国は、更なる戦乱の時期を迎えるのだが・・・・



「徳高き者に茨(いばら)の道は付き物と心得ております。それよりも、意地の悪い者どもにかれこれ言われるからといって、やるべきことをやめてしまってはなりますまい。そんな連中は、立派な船と見れば卑しい大口を開けて、落ちて来もしない餌(えさ)をうろうろ待っている鱶(ふか)のようなものです。

人がどんなに善い事をしても、心がゆがみ目がかすんだ者の口を通せば、手柄はよそに移ったり、消えてしまったりしがちなものです。逆に愚かな行いが、自分たちの尺度にぴったりなので、最高の業績などとほめられたりいたします。」

シェイクスピア


「人間はみな気狂いだと気づいたとたん、人生のふしぎは消えて自明になる。」

マーク・トウェイン


ローマの哲人のことなどを思いつつ時を下って、二人の作家の言葉なども思い起こす朝でありました。



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月28日

星の言葉

「ぼくの目に、きみは気高さと親切に満ちあふれて映る。水を与える力をもった王者よ、あらゆるぼくの友が、あらゆるぼくの敵が、君を通ってぼくの方に向かっている。ためにぼくには、もはや一人に敵もこの世に存在しなくなる。
                   
変わらずに大きくなるというのは、変わることよりも難しいものだ。成長すると、逆に小さくなる人の方が多いかもしれない。

人は誰でも扇動されたがるものだ。自分の判断に全責任を負うのが怖いから、何でも命令してくれる全能者を無意識に求める。

人間は無制限の自由という恐怖から逃れるために、自らを奴隷になりたがる。」

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著「人間の土地」より


宮崎駿が飛行機乗りサン・テグジュペリの作品に多大な影響を受けたというのは有名で、新潮文庫版の『人間の土地』のカバー画および解説を書いている。

ここから「紅の豚」を思い起こす宮崎ファンもも多い。


高畑勲監督と宮崎駿監督が、旅人として出演したNHK番組『世界・わが心の旅』というのがある。

「カナダ 木を植える男との対話」 で高畑監督は、かつて感銘を受け、自ら日本語翻訳を手がけるに至った 「木を植えた男」 を映画化したカナダのアニメーション監督フレデリック・バックさんを訪ねる旅に出る。


宮崎監督は、20歳のころに読んで深く影響を受けた「星の王子様」「人間の土地」 の作者サンテグジュペリの足跡を辿る旅に出る。



「人間の土地Terre des Hommes」は、飛行機乗りサン=テグジュペリの自伝的エッセイで 『人間の土地』の最後は次の言葉で締められる。

「精神の嵐が粘土のうえを吹いてこそ、初めて人間はつくられる」



そんなサン=テグジュペリの言葉を選び抜き「星の言葉 齋藤孝著」という素敵なアフォリズム集が出来てしまう。


左側のページに「給料が安くても」と一語。

そして右側のページにこんな言葉が書かれます。

「物質的な財産のためにだけに働く事で、ぼくたちは自ら牢獄を築く事になる。生きるに値するものを何ひとつ手に入れることの出来ない灰のようなお金によって、ぼくたちは自分を孤独の中に閉じ込める。」



同じように

「苦しいことは」

「人間にふさわしい仕事をすることで人としての憂いや苦しみを知る。一人前の仕事をしてみて、はじめて人としての気遣いを知る。」


「友達になりたい人とは」

「まずは、結び目をつくることだよ」


「見返りを求めない」

「希望なく愛することは、絶望ではない。無限においてしか結ばれないことを意味するだけだ。星は途中で消え去りはしない。与えて、与えて、与えつくす事ができる。」



なんて素敵な星の言葉たちが書かれております。


☆彡流れ星…! (-人-)合掌♪

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2007年11月27日

大神

「この世の命が、蘇る。

美しい大自然を取り戻す─それが神である狼の姿をした主人公「アマテラス」の目的です。人々とふれあい、願いを叶える。自然の中でたくましく生きている動物たちと触れあう。そして、世界を荒廃させている宿敵・ヤマタノオロチを倒すため、鏡"勾玉"剣の三種の神器で妖怪たちと闘う。

神の力である十三種類の『筆しらべ』を使いこなし、広大な世界を存分に冒険しよう。
アマテラスが大地を駆け抜けた後には、邪気によって封じ込められていた生命力が爆発的な勢いで復活し、美しく平和な大自然が足跡として残るでしょう。

和紙や筆といったアナログな暖かみで表現される、美しい情景に心癒される大冒険。
─思うまま筆を走らせてごらんなさい。きっと何かが起こるから─ 」

というPS2のゲーム「大神 おおかみ」というゲームをこの所、ボチボチとやる。

ヤマタノオロチ伝説を元に様々な日本の神話や昔話が織り込まれる。

物語は、神木村という日本昔話まんまの村から始まり、ヤマタノオロチに毎年いけにえを捧げる今年で百人目で、捧げられるイザナミ、助けようとするイザナギ。

そして・・・花咲谷、神州平原、アガタの森、ツタ巻き遺跡、高宮平、クサナギ村、関所、笹部郷、風神宮、両島原、西安京(庶民街)、西安京(貴族街)両島原北、龍宮、カムイ、ウエペケレ、ヨシペタイ、ラヨチ湖、ポンコタン、百年前の神木村、百年前の神州平原、イリワク神殿、鉄の箱舟

という舞台構成で物語はユーモラスかつスリリングに進む、昨日は、とうとう百年前の神州平原でヤマタノオロチとの再戦まで行く。




隈取りをした狼と一寸法師がが主人公で一寸法師がカムイの国のコロボックルだったということが昨日の時点で判明。

主人公「アマ公」の武器は、勾玉、剣、鏡に筆。

筆で花を咲かせて魔に汚染された土地を浄化させる。


以下は、アマゾンのレビューを貼り付け。

「発売日に購入してプレイしました。グラフィック・サウンド・バトル・システム・マップ・世界観・そしてストーリー等全てにおいて抜け目の無い造り。文句の付け所がありませんでした。説明書から既に和に満ちていてスタッフの拘りを感じます。主人公アマテラスは可愛い&カッコ良くて、フィールドを元気に走り回っている姿を見ているだけで和みます。

アクションも実に躍動感に溢れ、生き生きとしているのが良い。親切なチュートリアルと任天堂ゲームばりの抜群の操作性のお陰で普段あまりゲームをしない人にも楽しんでもらえると思います。一緒に旅をすることになるイッスンもさることながら、とにかく観ているだけでも楽しめるキャラクターばかりなうえ、台詞回しやネーミングセンスも抜群。独特のモーションや音声も笑えるし癒される。随所に入るイベントシーンも本当に拘った見せ方で楽し過ぎる。

隅々まで丁寧に作られ、一切妥協を感じない。近年リアルな美しさばかりを追い求めるゲームばかりだが、デフォルメでもこんなに美しい見せ方があるんだな、と感心させられた。設定や内容も優しさに溢れていてほほえましい。「筆しらべ」も冒険の手助けだけでなく、イベントシーンの中で自然な流れでミニゲーム的に絡んでくる事もあり、ストーリーが全く飽きません。ゲーム中常にプレイヤーを飽きさせずに楽しませようとする作り手側の思いを随所に感じて好感が持てます。私の中ではゼルダを超えました。とにかくこんなにプレイヤーを楽しませてくれるゲームは本当に久しぶりです。絶対お薦めの作品なので是非プレイしてください。」



http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%B3%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E7%A5%9E-OKAMI/dp/B000A85PIY/ref=dp_return_1?ie=UTF8&n=637394&s=videogames


最近のゲームは、おじさんには難易度が高すぎ、もっぱら攻略サイトのお世話になりっぱなしで今回お世話になったのは、以下のサイト。


http://www.gamekouryaku.net/okami/



こういった、良質なゲームは、映画や文学を凌駕するなあと思います・・・・さくまあきらのスーファミ版の名作「桃太郎伝説」などを思い出しつつ。

「大神」という優れたゲームの世界観にどっぷり浸かるのでありました。

一番好きなシーンは、筆しらべで自然が戻る姿や動物たちにエサをやって幸玉を貰うのと釣りです。


ヴァーチャルとはいえ・・侮れず・・・素晴らしい♪


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月26日

悲しき熱帯

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終るだろう。」

レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」の最終章に出てくる有名な言葉。


「アジアで私を怖れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。インディオのアメリカでは、私は、人間という種がその世界にたいしてまだ節度を保っていた。(中略)けれども、そのインディオのアメリカにおいてすら、私ははかない残照を慈しむものである。」


「この人間たちは、何か恐ろしい大変動によって、敵意を持った大地の上に圧し潰されたかのようである。覚束なく燃えている火の傍らで、裸で震えているのだ。しかしこの惨めさにも、囁きや笑いが生気を与えている。夫婦は、過ぎて行った結合の思い出に浸るかのように、抱き締め合う。愛撫は、外来者が通りかかっても中断されはしない。彼らみんなのうちに、限りない優しさ、深い無頓着、素朴で愛らしい、満たされた生き物の心があるのを、人は感じる。そして、これら様々な感情を合わせてみる時、人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何かを、人はそこに感じ取るのである。」レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』より


20世紀初頭にベルギーのブリュッセルにて生まれ、両親ともアルザス出身のユダヤ人の家系であるレヴィ=ストロースは、1930年代はブラジルで大学教授生活を送り、1940年代は亡命ユダヤ人としてアメリカで暮らし、ブラジル時代の体験をもとに「哀しき熱帯」が書かれたのは、確か1950年代だ。

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終るだろう。」

という言葉を読むと

「第3次世界大戦がいつ行われるかは分からないが、第4次世界大戦の武器は、石になるだろう。」

というユダヤ人科学者のアインシュタインの言葉を思い出す。


ともに親日的な人物で「悲しき熱帯」には、「日本の読者へのメッセージ」という一文があり、レヴィ=ストロースは、以下のように言う。

「日本文明の生んだ賢者たちが教えたように、人類はこの地球に仮の資格で住んでいるに過ぎず、その短い過渡的な居住は、人類以前にも存在し、以後にも存在し続けるであろうこの世界に、修復不可能な損傷を引き起こすいかなる権利も人類に与えてはいない、ということを、日本文明が今も確信しているならば、もしそうであれば、この本が行き着いた暗い展望が、唯一の展望ではないという可能性を、微かにではあれ、私たちは持つことが出来るでしょう。」


レヴィ=ストロースには、「人種と歴史」という著作もあり、以下のような言葉が記される。


「人間集団を苦しめ、その本性を充分に実現することを妨げるような宿命的な力、他に比するものなき欠陥、それは孤立してあることである。」


「世界文明は、それぞれが独自性を保っている諸文化の提携、世界の縮図以外のものではあり得ないのである。」

「人類に課された義務は、一つの人種、一つの文化、或いは一つの社会にだけ特権を与えるような盲目的個別主義を警戒することである。だがしかし、また、人類のいかなる部分も、全体に適用されるべき命題を勝手に私しないこと、さらに、ただ一つだけの生活様式に嵌まり込んでいる人類というのは、骨だけに化した人類であるから考えられないということ、これらを決して忘れないことである。」


遥か遥か昔にベーリング海峡を渡り我々モンゴロイドの子孫であるアメリカ先住民と迫害され続ける白人であるユダヤ人学者の邂逅とその複雑な心境、白人によって滅ぼされた数多くの先住民たちの文化や伝承・・・様々なことどもを思い起こさせる「悲しき熱帯」とレヴィ=ストロースの言葉たち。


およそ我々の歴史とはモノと事との関係性の遍歴に過ぎないのだろうなあと深く考えさせられる。


「彼らみんなのうちに、限りない優しさ、深い無頓着、素朴で愛らしい、満たされた生き物の心があるのを、人は感じる。そして、これら様々な感情を合わせてみる時、人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何かを、人はそこに感じ取るのである。」

これらを野蛮、未開とした近代や産業革命や植民地戦争やその延長にある我々の暮らし、文明化による自然からの強奪と破壊結果としての自然からの乖離や破壊、そして人間存在の孤立・・・・そんなことどもを思う朝でした。



(-∧-)合掌・・・



nohohonkoubou at 11:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2007年11月25日

あなろぐな日

昨日は、のほほんサポーターのヒロさんの企画でゼロポイントというスポットでライブをやる。

AKIRAさんのライブも何回かやったお店。

様々な精神症状そのもののCD製作や音楽活動は、紆余曲折が多く山あり谷ありで起伏に富む・・・・この手の仕事は、細々と地道に続けていくことが非常に有意義だと思う。

この数週間は、職場で練習を重ね、みんなで頑張る日々が続いた。



昨日は、きっこちゃんが風邪でお休み、ヒロさんの司会、ジョニーさんのパーカス、福地画伯のシンセ、なおやくん、おにぎりさん、もんちゃんの唄とお笑いに僕のギターというラインナップ。

昨日は、ようやくお客さんに笑ってもらえてもんちゃんと歓ぶ。

雪道の札幌を杖をついて来てくれた岩見沢からのお客さんにのほほほんのみんなで感動する。

昨日お逢いしたみなさま(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う

ジョニーさんと久々にジャムったオールディーズの前座も本番のライブも良かったし。

ライブ後にお店で聞いた、真空管アンプに優れもののプレイヤーとスピーカーで聞くアナログのジャズやブルースが良かった。

マルの「レフトアローン」やロリンズの「アルフィー」が非常に渋かったし懐かしかったです。

色々な人ともおしゃべりをしてみんなで寛ぐ暖かな時間が流れる。




今朝は、版ボールに入れっぱなしのアナログ盤などを引っ張り出す。

ゼロポイントのオーナーの縄文歯科医竹岡さんの「来週もレコード持って遊びに来なさい。また是非是非逢おう!!」というお誘いとジョニーさんの「一緒に来よう!!」という強力な呼びかけにより、レコードなどを眺める朝。

竹岡さんと僕は、音楽、文学、映画に文明への眼差しと非常に趣味や嗜好が似通う。





昨日今日と「あなろぐ」な日でした。



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月24日

転送・転載大歓迎

<転送・転載大歓迎>

厚生労働省が強行しようとしている最低生活費引き下げ問題に関して、社会保障・社会福祉関連の研究者136名(呼びかけ人含む)が緊急声明を発表しました。

引き続き賛同者を第二次分として募集しています。


2007年11月10日

厚生労働大臣 舛添 要一様

「生活保護基準額引き下げに関する検討」についての緊急申入れ                

呼びかけ人代表

杉村 宏(法政大学)                                
井上英夫(金沢大学)
吉永 純(花園大学)

秋冷の候、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

さて、私たちは、社会保障、社会福祉分野の研究、教育に携わる者です。さる10月19日に突如開催された「生活扶助に関する検討会」は、生活保護基準額について年内に報告書をまとめ、貴省は2008年度予算からの生活保護基準の引き下げを進めようとしていると報道されています。しかし、利用者の生活や市民生活に重大な影響を及ぼし、今以上の格差を拡大し、新たなワーキングプアを生み出す生活保護基準の引き下げについて、利用者不在、市民不在のまま、拙速、強引なやり方で進められることには、強い憂慮の念を抱かざるを得ません。ここに緊急の申入れをしますので、真摯に受け止められ、必要な対応をされるよう強く要望いたします。



1 生活保護基準額の引き下げをやめること

2 生活保護基準額の検討に当っては、利用者、市民などの声を広く聞き、公開の場で、十分に時間をかけて慎重に検討すること


(理由)

(1)生活扶助基準の引き下げは、保護利用者の最低生活を直撃します。

 いうもでもなく、生活保護基準は、「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を保障するものとされています。しかし、生活保護基準は2003年度に戦後初めて0.9%引き下げられて以降、老齢加算の廃止、母子加算の削減など、今日まで引き下げが5年連続で続いています。老齢加算対象世帯では生活扶助費が19%もカットされ、全国で100名以上の高齢者が高齢加算廃止の取り消しを求め、裁判に立ち上がっています。原油価格の高騰等により諸物価があいついで値上げされる中で、これ以上の生活保護基準額の引き下げは、生活保護利用者150万人の生活を直撃し、命と暮らしを脅かすことになります。

(2)生活扶助基準の引き下げは、いま以上に格差を拡大し、貧困層を生活保護から排除します。

今回の検討は、昨年の「骨太方針2006」で明記された「生活扶助基準について低所得世帯の消費実態等を踏まえた見直し」を具体化しようとするものです。しかし、ワーキングプアをはじめ、生活保護基準以下で生活する人が多く含まれる低所得層(主として第1・10分位)と比較すれば、生活保護基準の切り下げは際限なく続くことになります。また、生活保護基準が下れば、それまで生活保護を利用できていた人の中で、新たに利用できなくなる人が発生します。このように、生活保護基準の引き下げは、今以上に格差を拡大するとともに、生活保護の間口を狭め、ワーキングプアをはじめとする貧困層を生活保護から排除することになります。

(3)生活扶助基準の引き下げは、市民生活に重大な影響を及ぼします。

生活保護基準は、市民生活に関わる様々な制度と連動しています。生活扶助基準が引き下げられれば、地方税の非課税基準額も引き下げられ、保育料など各種社会福祉サービスの利用料の引き上げを招きます。また、介護保険、障害者自立支援法による利用料の減額を受けられない人が増えます。国民健康保険料の減免(及び自己負担額の減免)基準を生活保護基準に連動させている自治体では、減免から外れる人が発生します。さらに、生活福祉資金や就学援助制度などの低所得者向け制度の利用者は生活保護基準額を目安にしており、利用できなくなる人が新たに発生します。そして、生活保護基準との整合性に配慮することを謳った最低賃金の引き上げ目標(改正法案)や年金額にも影響が及ぶことは必至です。このように、生活保護基準引き下げは、保護利用世帯に止まらず、広範な市民生活に重大な影響をもたらします。

(4)利用者・市民不在の拙速で強引な検討は許されません。

 今回の検討会が「骨太方針2006」を念頭においていることから、報道されているように全体として保護基準額の引き下げの方向を目指していることは明らかです。しかし、今回の検討期間はわずか2ヶ月足らずであり、利用者や市民の声を聞く場もなく、せいぜい数回の検討会によって結論を得ようとしています。

 これまで述べたように、生活保護基準が利用者はもとより、広範な市民生活に重大な影響を及ぼすものであり、本来国会の場で検討されてしかるべきものです。少なくとも、生活保護利用者の声を十分に聞き、公開の場で市民に広く意見を求めた上で、慎重に検討すべきです。「結論先に在りき」といった拙速、強引な検討は決して許されません。

(賛同者氏名 50音順)

相澤與一(高崎健康福祉大学)/青木紀(北海道大学)/足立圭司(別府大学短期大学部)/足立英郎(大阪電気通信大学)/阿部敦(神戸女子大学)/阿部和光(久留米大学)/新井康友(羽衣国際大学)/井岡勉(同志社大学名誉教授)/池田和彦(筑紫女学園大学)/石川文人(日本福祉大学)/石川満(日本福祉大学)、/石川康宏(神戸女学院大学)/石倉康次(広島大学)/伊藤周平(鹿児島大学)/伊藤葉子(中京大学)/井端正幸(沖縄国際大学)/岩田美香(北海道大学)/岩佐卓也(神戸大学)/上畑恵宣(元同朋大学)/遠藤由美(名古屋造形美術大学)/大久保史郎(立命館大学)/太田由加里(田園調布学園大学)/大友信勝(龍谷大学)/大野友也(鹿児島大学)/岡崎祐司(佛教大学)/緒方桂子(広島大学)/小倉襄二(同志社大学名誉教授)/長上深雪(龍谷大学)/小沢修司(京都府立大学)/小澤隆一(東京慈恵会医科大学)/小田川華子(花園大学)/小野哲郎(明治学院大学名誉教授)/垣内国光(明星大学)/垣田祐介(大分大学)/加藤悦子(日本福祉大学)/金澤誠一(佛教大学)/加美嘉文(大阪体育大学)/上脇博之(神戸学院大学)/彼谷環(富山国際大学)/唐鎌直義(専修大学)/河合克義(明治学院大学)/川上昌子(淑徳大学)/木戸利秋(日本福祉大学)/木下武徳(北星学園大学)/木下秀雄(大阪市立大学)/木村敦(大阪産業大学)/金永子(四国学院大学)/久保美由紀(会津大学短期大学部)/後藤道夫(都留文科大学)/小西祐馬(北翔大学)/小林武(愛知大学)/嵯峨嘉子(大阪府立大学)/佐々木宏(広島大学)/笹沼弘志(静岡大学)/佐藤卓利(立命館大学)/佐藤嘉夫(岩手県立大学)/里見賢治(佛教大学)/塩満 卓(佛教大学)/鎮目真人(同志社女子大学)/志藤修史(大谷大学)/嶋田佳宏(札幌学院大学)/清水浩一(明治学院大学)/下村幸仁(会津大学短期大学部)/庄谷怜子(仏教大学)/新村繁文(福島大学)/鈴木靜(愛媛大学)/鈴木嵩之(会津大学短期大学部)/鈴木勉(佛教大学)/鈴木富久(桃山学院大学)/砂脇恵(種智院大学)/曽我千春(東海女子短期大学)/高島拓哉(大分大学)/高田哲(名寄市立大学)/高林秀明(熊本学園大学)/高間満(神戸学院大学)/武井寛(國學院大學)/竹内真澄(桃山学院大学)/武田公子(金沢大学)/武元勲(同朋大学)/田中明彦(龍谷大学)/丹下晴喜(愛媛大学)/丹波史紀(福島大学)/津田光輝(元札幌学院大学)/寺久保光良(山梨県立大学)/鳥山まどか(法政大学)/中井紀代子(共栄学園短期大学)/中川慶子(京都ノートルダム女子大学)/中川健太朗(花園大学名誉教授)/中島茂樹(立命館大学)/中島正雄(京都府立大学)/中嶋陽子(大阪市立大学)/長友祐三(埼玉県立大学)/中野加奈子(佛教大学)/中村強士(東海医療福祉専門学校)/永山茂樹(東海大)/鍋谷州春(札幌学院大学)/西島文香(高知大学)/長谷川俊雄(愛知県立大学)/長谷川眞人(日本福祉大学)/八田和子(福山平成大学)/浜岡政好(仏教大学)/原田正樹(日本福祉大学)/東優子(大阪府立大学)/日比野正興(東京YMCA専門学校)/笛木俊一(日本福祉大学)/深井英喜(三重大学)/布川日佐史(静岡大学)/福間麻紀(北海道大学)/藤井伸生(華頂短期大学)/藤城恒昭(城西国際大学)/藤松素子(佛教大学)/前原清隆(日本福祉大学)/松崎喜良(神戸女子大学)/松本伊智朗(札幌学院大学)/松本一郎(法政大学)/三田優子(大阪府立大学)/宮崎牧子(大正大学)/村田隆一(横浜市立大学)/森英樹(龍谷大学)/矢嶋里絵(首都大学東京)/山田壮志郎(岐阜経済大学)/山野則子(大阪府立大学)/山本忠(立命館大学)/山森亮(同志社大学)/六波羅詩朗(国際医療福祉大学)/脇田滋(龍谷大学)/渡辺洋(神戸学院大学)

以上 127名 (第1次分。2007年11月10日現在)

(第2次分。11月11日以降賛同分)

藤田博仁(愛知県立大学)/生江明(日本福祉大学)/明星智美(日本福祉大学)/浅原千里(日本福祉大学)/都留民子(広島県立大学)/湯澤直美(立教大学)/6人

           総計 133人



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お知らせ

今晩、以下のライブをやります。

本日は、お笑い路線で・・・・・予定。




のほほん工房「妖怪ライブ!!」のご案内

日時 11月24日(土)  開場17時から開演は18時
場所 「ゼロポイントウエーヴ」
豊平区月寒西1−7−1−11(東豊線「月寒中央」下車、1番出口付近の「アンパン通り」沿いにあります。)
TEL−090−1380−3680(竹岡)
料金 一般1000円  障害者500円 手帳を提示

私達は、精神障害者の施設で自主制作CDの販売とライブ活動を始めましたダメダメ団というバンドです。障害者自らが作詞や作曲をしつつ、プロミュージシャンの方々にも手伝って頂き、この度CDを完成させライブ活動などを仕事として始めました。ぜひ、来て下さい!!
演奏の内容は、癒しあり、笑いありで充実したものとなっています。
また、のほほん工房のCDもどこにもないような内容になっています。
のほほんCDやTシャツ、ハッピーライフも販売しています。
これからもライブを中心に障害者の心の叫びをきいてもらいたいです
僕らダメダメ団をぜひ、応援してください!!

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2007年11月23日

金持ちと貧乏人の悲喜劇

【米経済コラム】ウォール街とサブプライムと危険な貧者−M・ルイス
9月5日(ブルームバーグ):米証券会社ベアー・スターンズのヘッジファンドが自爆した直後に、私はこう考えた。「貧しい人にカネを貸すとこういうことになるのだな」と。

念のため言っておくが、私は貧しい人を悪く思ってなどいない。個人的に貧しい人との付き合いもない。誰かにお金を払って庭の芝を刈ってもらえば、それは取引であってそれ以上ではない。しかし、賃金を先払いすれば、それは貸し付けになる。貸し付けは、貧しい人に対してしてはならない行為だ。

注:貧しい人というのは、私のヘッジファンドに投資することを米証券取引委員会(SEC)が許さない人々のことだ。

これが、今回のサブプライム危機から私が学んだ最大の教訓だ。貧しい人について、ほかにも幾つか考えたことがある。それを披露しよう。

1)貧しい人は広報活動が得意

気前のよさが後になってこのように批判されるとは夢にも思わなかった。サブプライム(信用力の低い個人向け)住宅ローン関連資産を購入したとき、私は社会への恩返しのようなものだと感じていた。もちろん、慈善活動についての雑誌に特集記事が載るほどのことをしたとは言わない。何といっても割安だから買ったのだ。しかし、庶民を助ける方法を思い付いたウォール街の幹部たちを、世間はほめるだろうと私は考えた。マネーの世界の医者が病人を助けるようなものだ。ところが、病人は突然起き上がって医者をなぐり始め、私は非難される側になった。誰もが貧しい人に同情し、私に同情する者は1人もいない。失われたのは私のカネなのに。善行は総じて罰せられるものなのだ。

アメリカン・ドリーム

2)貧しい人は他人のカネに対する尊敬が足りない

ロマンチストだと言われるかもしれないが、私はすべての人に「アメリカン・ドリーム」を感じてもらいたい。働いてその権利を得た人以外にもだ。だから、これらの人々が少なくとも自分の家を持てるように、できる限りの支援をしたのだ。ところが、メディアは今や私の太っ腹な行動を悪巧みに仕立て上げてしまった。変動金利型住宅ローンの当初の低金利は、悪巧みなどではなかった。当初の低金利は信頼の証だ。誤った信頼ではあるが。私は、貧しい人々が住宅ローン契約をする前に、弁護士に相談したと信じ込んでいた。しかし、結局のところ貧しい人は弁護士に相談する必要などなかった。後で気に入らないことがあれば、大騒ぎして「私は貧しい」と嘆き、デフォルト(債務不履行)すれば済むのだから。

3)「貧しい人の文化」はもう理解できない

いつから理解できなくなったのかよく分からないが、多分、自家用ジェットにしか乗らなくなったときからだろう。あるいは、外野席をやめてボックス席から野球の試合を観戦するようになったときかもしれない。ともかく、ビジネスの第一のルールは相手を知ることだ。私はこのルールを守らなかった。金持ちはさらに金持ちになり貧しい人は取り残されるという不満をよく聞くが、何も不思議なことではない。貧しい人を見ればよく分かる。もっと一生懸命働いて借金を返そうということを考えた人がいるだろうか。そうは思われない。

悪いのは私

しかし、先にも言ったが、悪いのは私なのだ。貧しい人にカネを貸す前に、彼らをよく観察するべきだった。動物園のオリの中にいるライオンしか見たことがなければ、ライオンのことを大きいネコだと思って、相手が自分を食おうとしているなどとは思わないだろう。

4)現代社会は成功者に冷たく、貧しい人々にはやたらに甘い

共和党の大統領までが貧しい人を救済したがっている。私なら別のやり方をする。債務不履行者を刑務所に入れるというのはあまりに時代遅れだし、税金の無駄だが、貧しい人々だって働いて借金を返すことはできる。金持ちの多いグリニッチには、刈らなければならない芝生、ペンキを塗らなければならない家、整備しなければならないスポーツカーがいくらでもある。貧しい人の中にはこれらの技能を持っている人もいるだろう。どの仕事もできないなら、例えば金持ちの子供の誕生パーティーでピエロの役をする訓練を受けることもできる。それが嫌なら、貧しくなくなればよいのだ。

5)貧しい人をウォール街に近づかせないようにするべきだ

金持ちが本来あるべきスピードでさらに金持ちになれないのは、貧しい人とかかわりを持つからだ。ただ、ウォール街が貧しい人々(別名「主流派」の人々)との関係を完全に断つべきだというのは非現実的だ。私は今後も引き続き、大衆と仕事をするだろう。ただし、それは彼らが大勢集まって1人の金持ちであるかのように行動する場合に限る。例えば、年金基金からの投資は依然として歓迎だ(ただし、5000万ドル=約60億円未満はお断りしたい)。基本的に従業員が皆貧しい会社を、丸ごと買収するのも構わない。

しかし、貧しい人と1対1の取引は2度としない。私は今や非難される側の人間だが、彼らこそは本物の「シャーク」なのだ。(私が「ローンシャーク(悪徳金融業者)」なのではない)。(マイケル・ルイス)

(ルイス氏はブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)



http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003001&sid=a7HDwx4VrZ1I&refer=jp_commentary


こんな文章を読んでいるとフランス革命によりギロチンの刑により殺されたマリー・アントワネットを思い出す。

フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」などという言葉を思い起こす。


その昔の日本の首相も「貧乏人は麦を食え」と言ったりした。


近代初頭、経済の実力は市民が持っているにも関わらず、政治は相変わらず古い王侯貴族が行っていた、この制度は、やがてフランス革命やクーデターのような政変で倒される事になる。

現代でいうならやがて国家が倒され、国家制度が廃止され、多国籍企業が政治を行う時代がやってきそうな気配がある・・・・合言葉は「グローバル化」わが国においては「規制緩和」「市場開放」や「自己責任」だ。

次の新しい時代には、市民革命で出来た国家が与えた市民の人権は廃止されるのかもしれないし営利企業の多国籍企業は、人権等は無視する・・・・これまた近代の始まりの労働条件に現代は、近づいている・・・家畜か奴隷のようだった状態に・・・・

小泉政権当時に小泉首相が「法人税を引き上げたい」などと言えば当時の経団連会長でもあったトヨタの奥田会長は「ならば、トヨタは本社機能や工場を海外に移転する」などと言ったものです・・・・これらもヤラセなんだろうなあなどと思います。

例えば、ロックフェラー率いるエクソンモービル等の多国籍企業の年間売上は、一部の西欧諸国の年間税収よりも大きいし、中進国のGNPよりも大きいのですね。

アメリカの有力な政治家は、彼等の利益供与の代弁者で官僚は企業の要職と行政の要職のポストを行き来します。

日本以上に・・・・例えば米国投資銀行大手ゴールドマン・サックスに26年間勤務した後でホワイトハウスで国家経済会事務局長と財務長官として6年強、政界に身を置いた後で世界最大の金融グループであるシティグループ の経営執行委員会会長を勤めるロバート・エドワード・ルービンのように・・・・シティグループは、サブプライム問題の原因でもあるかと思います。



リストラ、賃下げ当たり前、社蓄であるサラーリーマンは、天引きされた給与でしがなく暮らす、それすらままならず、派遣だパートだという雇用形態が当たり前になり・・・・

その背景として企業がいくら収益を上げても労働者には還元されず外人株主に配当されるようになり、これをグローバル化と言うのだと思います。

新しく洗練された多国籍企業による植民地化政策です。

でおそらく、これら強奪と言うべき搾取には目も呉れず金持ちの本音が見事なまでに書かれているのが冒頭の文章だろうなあ・・・などと思うのであります。

そして、金持ちと貧乏人の差は広がるばかりで「米政府の外圧」による「日本政府の規制緩和」という図式も収まることは無いでしょう・・・金持ち喧嘩せずだろうかと思います。

小泉構造改革に日米同盟と言った所で所詮は、多国籍企業のための改革であったという事なのでしょうし・・・だから空洞化するのでしょうし・・・空洞化とは、尽きる所「貧富の差の拡大」なのだと僕は思います。


多国籍企業がどんなことをやるのかと言えば?

例えば、東西冷戦時代に核兵器開発競争でアメリカとソビエトがウランを購入していた業者が地球のウランを私有するロスチャイルド家だったりします。

ウラン業者は、対立するアメリカとロシアに核兵器原料を売ります・・・・多国籍企業は、天才的な商売人集団ですから金も貸すし兵器も造って売ります企業利益の為ならなんでもしますロスチャイルド家が最初に莫大な利益を上げたのが英仏戦争です・・・この会社の名を濃縮核燃料企業「アライド・ケミカル社」と言います。

その商いを「仕切って」いたのがルービンシュタインのノーザントラスト銀行と言います。

ルービンシュタインをアメリカ風にルービンと改名し、息子のロバート・ルービンは、ノーザントラスト銀行の経営者として、上記のようにクリントン政権の財務長官となったりします・・・これが民営化国家アメリカの本当の姿だと思います。

さらに・・・アライド・ケミカル社の経営者がアルバート・ゴア一族であり、クリントン政権の副大統領一族です。

「火力発電は地球温暖化の問題、環境破壊を引き起こす」という映画をゴアが作ったのは何故か?

原発の販売促進映画であったかと思います。

まあ、金持ちの戦略とは以上のようなことです。

いつもながら、まんまと騙され映画を見に行ってそのまんまを信じて踊らされるのは我々貧乏人です。

金持ちと貧乏人の様々な悲喜劇は、終わりそうもなく、とめどないかとも思います。




(-∧-)合掌・・・

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2007年11月22日

日本の闇

『東京アウトサイダーズ』

ロバート・ホワイティング著
松井みどり訳



また外人にしてやられた! 組織に属さず、記者クラブに頼らず、日米関係の「裏面」を、こんなに旨く一冊の本に料理されてしまった。しかも本書は、大ヒットした前著『東京アンダーワールド』で書き切れなかったトラック一杯分の資料を基礎にしている。二番煎じ、というより、低迷する出版界における「ウィニング・ラン」と言いたい書物である。

前著はニック・ザペッティという、夜の六本木を支配した男を、血のしたたるステーキとしてテーブル中央に置いたフルコース料理だった。今回は、詐欺師、娼婦の多国籍軍、それを仕切るアウトローやゼニの戦士たちが次々に登場する「回転寿司」のような本である。

これが日米戦後史だった。二つの国家の裏と影で、こんなに悪く、ズルく、賢い連中が暗躍し、頻繁に太平洋を往来して日本から甘い蜜を吸い取って行った。「ビブロス」「ダニーズ・イン」「ラテンクォーター」など酒場やクラブで、彼らは取引と陰謀を図った。それらは霞ヶ関、国際文化会館、アメリカンクラブより、遥かに熱い日米関係の現場だった。

なぜ日本人は正直者で騙されやすいか、そして取引をする時も、ガイジンの身元さえ調べない国民性に、著者は苛立つ。金髪の娼婦に「特急」サービスであしらわれて「20分・5万円」で放り出される不運な日本男性も描かれる。

そして、もっと深刻な日米問題もあった。昭和32年、生活のために薬莢を拾う日本人女性が、米軍演習場でGIに狙い撃ちで殺された。犯人は日本側で裁判を受けたが、執行猶予で帰国してしまった。この「ジラード事件」から、最近の「えひめ丸」沈没事件まで、日米関係をゆるがす不祥事にも、日本側はいかに相手に甘い裏取引をしてきたことか! 

GI犯罪による日本人被害者への見舞金はいま三五〇万円。これを支払っているのが、日本国政府であることを本書は指摘する。あの「20分男」を笑えるだろうか。

裏の事実を集めた本書を「裏本」に分類してはいけない。たとえば「カーキ・マフィア」という米軍内部の犯罪同盟組織を著者は取り上げる。日本の警察、外交、メディアは、日本国民の利益を存分に吸い取ったこの組織の摘発にいかに怠慢だったか。そのような日本の「表」でいいのか、日本のエリートたちの「表」の守りは大丈夫なのか、という問いの書でもある。

実は、野蛮で下品なアメリカ人を果敢に迎え撃った日本人グループがいた。ヤクザである。彼らこそ戦後いち早く米国に対等に向き合い、シマを死守した。米国やアジアのマフィアからグローバル・スタンダードを学びとった。本書は日本人が軽視したり馬鹿にしがちなヤクザを、むしろ日米金融関係の、最重要項目に位置付けている。

バブル期に積極的に対米投資し、金融市場を牛耳ったのはソニーや松下ではない、ヤクザだった。日本の暗黒街にだぶついた資金の大半は銀行の不良債権となり、ヤクザ関連だけでその金額は報道されている額を遥かに超えて一兆ドル! 銀行は報復を恐れ、その存在すら認めないことを本書は突く。日本の長い不況、それは「ヤクザ不況」だ。裏こそ表の問題が、ここにもある。

また外人にしてやられたとは、日本現代史の美味しいところを、また連中にしゃぶられてしまった、ということだ。占領期の日本を調べ尽くしたジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』、昭和天皇の戦争責任を論証したハーバート・ビックス著『ヒロヒト』。両著はアメリカ読書界最高の栄誉、ピュリッツアー賞を二年連続でとっている。わが出版界が、タブーと自己規制で萎縮している時にである。

長期不況と空前の犯罪件数の日本は今、外資の草刈場となりつつある。その影で何が起こっているか、「どうやらこの調子では、続編をもう一冊書けそうだ」と著者は最後に豪語している。

まず正すべきは、対等を逸した読書界の日米関係だ。日本から彼の地に飛び、アメリカの暗部を突く「ペンのイチロー」はいないのか? 


上記「週刊朝日」書評より



「ジラード事件」その後の似たような若き米軍兵士の犯罪は、米軍6万人の撤退、その後似たような事件は沖縄で集中して起きる。


日本の裏社会については、・・・・・


「ヤクザ・リセッション さらに失われる10年」ベンジャミン・フルフォード著


「かつて日本を世界第2位の経済大国に押し上げた政・官・業の結束は「鉄の三角形」と呼ばれたが、バブル期にはヤクザが加わり「鉄の四角形」となった。著者はイトマン事件や泉井事件などを例に挙げ、イトマン事件の被告である伊藤寿永光・元イトマン常務へのインタビューを交えながら、この国が、いかに腐敗した癒着構造から成り立っているかを明かしていく。

 日本の金融機関の不良債権処理が進まないのは、「ヤクザが政・官・業とタッグを組んで阻止している」からだと指摘する。巨大な不良債権の先には、どうやっても立ち直る可能性がないのに、政治的判断などで生かされている経営不振企業群がある。優良企業の足を引っ張るこれら「ゾンビ企業群」やヤクザと癒着した政治家、官僚らを一掃しなくては、日本は「さらに失われる10年」を続けることになる。今の日本の不況は純粋な経済問題ではなく、むしろ政治問題なのだという。

 著者は、今の日本は法治国家、民主主義国家から程遠いと指摘する。国民がその事実を理解し、新しい日本を作る自覚を持つことが重要だと結ぶ。」

なんて本もあるし・・・そのものずばりの「YAKUZA」という本もあったりで・・・・第3書館の奴です。


てなことを考えていくとここ数年で何回も読み返した以下の記事を思い出すのですね。



「ジャパン・ぺーパー」の警告 流動化進まぬ不良債権 米政府、いらだち深める 
日経新聞2001.1.13 News反射鏡  編集委員田村秀男著

「うま年で思い出したが、日本人はガリバー旅行紀を読んだほうがいい」と知日派の米国人が薦める。ガリバーは最後の冒険旅行で知性と理性に満ちた馬「フウイヌム」が支配する国に漂着した。馬は欺嚇(ぎまん)と暴力の野蛮人間「ヤフー」を隔離支配し、ときおり家畜として使役し、国は栄え安定している。ガリバーにとってはフウイヌム国が理想の国で、永住したいとさえ願った。

ガリバーと同じくフウイヌム国を評価するこの米国人は二つの顔を持つ。大手米金融機関の日本法人アドバイザー。もうひとつは米軍予備役である。危機管理のプロとして、不良資産を買い取る米金融機関に日本の裏社会対策を指南するかと思えば、アルカイダ僕滅作戦を進める米軍部隊訓練の指揮にあわただしく出かける。いわばフウイヌム国のヤフー対策前線指揮官である。裏社会が表のビジネス社会に浸透している日本もアフガニスタンもこの人物の目には同じようなヤフー野放しの国に映る。彼ばかりではない。「裏社会の国日本」という見方は米国政府やマスコミ、ビジネス界にかなり定着している。

「日本は自力再建できない」。
今から一年前の米政権移行のとき、ブッシュ・チームが対日政策引き継ぎのためにクリントン政権から手渡された「ジャパン・ぺーパー」にはそう書かれていたという。ぺーパーのかなりの部分は日本の組織暴力団に関する綿密な調査に基づいて、不良債権処理の困難さを分析している。「日本ではやくざが表社会に入りこんでいる」「組織暴カシンジケートにコネを持つ政治家がいる」「裏杜会に取り込まれている宮僚もいる」などだ。
ぺ-パーは国務省、財務省、国防総省、運邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)など主要機関が競い合うようにして日本の裏社会を調べ上げた成果である。組繊暴力団の舎弟企業の関与で処理、流動化できない金融機関の不良資産の問題に、本腰を入れて取り組む政治家、宮僚はまずいない、とぺ-パーは鋭く突いている。

事実、民間側もさまざまなトラブルを恐れて不良債権買い取りにはちゅうちょする。代わりに米国の金融機関が不良債権を安く買い取る「ハゲタカ・ファンド」を設立して、つまみ食いする。裏社会を寄せ付けないためのノウハウをまとめてマニュアルにしており、汚れた債権をあまり苦にしない。それでも、最近では米国のバブル崩壊で、ハゲタカ・ファンドは日本よりも収益が高い本国への投資に目が向きがちだ。
ブッシュ政権はジャパン・ぺ-パーを重視しながらも、とりあえずは小泉純一郎政権の改革に期待し、後押しする政策をとってきた。確かに特殊法人改革など一定の前進はある。ところが、小泉政権のもとでも肝心の不良債権処理は進まない。裏社会がからむ不良債権をきれいに処理し、流動化する対策を後回しにして、公的資金の注入や超金融緩和や円安容認によるインフレ推進に議論が集中する毎日だ。

ブッシュ政権は日本にいら立ちを深めている。日本要因のために国際金融市場の不安は消えないし、景気低迷でことしの議会中問選挙では共和党の苦戦が必至だ。米国民の支持獲得の点では日本よりも他のヤフー対策がはるかに優先する。アフガニスタンの次はイエメン、ソマリアそしてイラクと反テロ戦争は終わらない。日本はジャパン・ぺ-パーの予測を覆し、不良債権処理の抜本策を断行し、自力再生するしか道はない。」




ネットの方で少し調べるとやっぱりなあ・・・と納得の記事があり・・・・・




「これは、クリントン大統領時代、彼がわが国の銀行の不良債権処理に当たり、どれだけわが国暴力団に食われているか、CIA.等を使って調べ上げた米国の極秘レポート。そこには、暴力団の暗躍だけでなく、彼らとわが国の自民党大物代議士等がいかに癒着しているかまで詳細に調べ上げられていたとされる。

 あくまで噂の域を出ないレポートだと思っていたが、最近、この件について、わが国政府関係研究機関がその存在をある意味、公式に認めていた事実を知る。それが掲載されて単行本は『検証 株主資本主義』(日経BP出版センター。02年発売 )。日本経済研究センターの研究員が検証しており、その第7章に登場する。その解説によれば、小泉が首相になれた一つの大きな要因は、彼が闇社会と繋がっていないことがわかっていたので、不良債権処理に躊躇しないことが米国側に評価されてのことだというのが……。 」


http://asyura.com/0411/war65/msg/567.html

小泉ー横須賀ー米軍ー稲川会ー神奈川県警

などという闇の利権構造の解明などこの国では、決してなされないのだろうか?

などとぼんやり思います。

まあ、結局「同じ穴の狢」なんだろけど。

こらに加え新興宗教団体の暗躍などを考えればこの国がどれほど泥沼にいるのか見えてくるのですね。

まあ、ヤクザあがりの政治家ハマコーが木更津までトンネル掘っちゃうお国柄だからなあ・・・などと思うのであります。


この国の歴史の中で唯一一貫性のある「腐敗しきった利権構造」が今後さらに腐敗を進めるならば戦争利権へまっしぐらなのだろうなあなどと思う昨今であります。

そういえば「兵隊やくざ」なんて映画もその昔にあったよなあ・・・・などと思い返すのであります。


(-∧-)合掌・・・


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2007年11月21日

中島らもとホイットマン

「仏教は宗教ではない哲学である。東西南北の城門を出て世を見たゴータマ・シッダルダが労病死苦の人間の業を見る。 そして菩提樹の木の下で瞑想に入るのだがその結果悟ったのがこの世は全て「無」であるということだ。これは確かに正しい。

そこから諸行無常,色即是空,空即是色,生者必滅,会者定離、サヨナラだけが人生だ。 

色んな教えが出てくるわけだがおれに言わせればやかましい!

現世、人との出会い、人生、これらが無であることは百も承知だ。

だからどうだってんだ。

おれは今 拘置所で寒さに震えながら ラジオ体操をしてんだ。

「無」だからどうだってんだ。

おれは光に賭ける。」


「人の一生は、あり余る時間との戦いだ・・・・・楽しい時間はあっという間に過ぎる。退屈な時間はじりじりとしか進まない。時間を早く進ませるために、人は楽しさを求めるのではないか。これがおれのたどりついた答えだ。生きているということは、すなわち時間という監獄の中に入れられているようなものではないか。時間から釈放されることはありえない。あるとすれば、それは死ぬということだけだ」



中島らも著「牢屋でやせるダイエット」より



2003年2月に大麻取締法違反などで逮捕、裁判の心象を良くする為に保釈後に「躁鬱病」の治療のため入院したりする。同年5月に懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。その年の夏から自らの獄中体験記をつづったエッセイである。

エッセイで大麻解放論を唱える、中島らもなのだが、これには、僕には疑問がある。

書かれてるほど安全なモノではないかと思う。

大麻で身を滅ぼした人も数多いるのだ・・・まあ、合法な酒だって一緒だが・・・・コカインやヘロインや覚醒剤より安全か?

アメリカでは、これら精製ドラッグと酒も同じ扱いだ。

で、これらよりは、確かに安全だろうと大麻=マリファナが合法化させる州がアメリカで出来るのだろうが・・・・などとうすらボンヤリ思う。

「ドラッグに対する罰は、本人の健康損失以上のものであってはならない。」とカーター大統領の言葉を引用する。中島らも。


それはそうだよなあ・・・と僕も思う。


『牢屋でやせるダイエット』を出版後には、手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開したが、死の直前は酒量が増え、常に酩酊状態だったという話もある。



2004年7月15日深夜に飲食店を出る際に階段から転落して全身を強く打ち、神戸市内の病院に入院。

転落時に頭部も強打し、脳挫傷による外傷性脳内血腫のため死去。享年52才。

中島美代子氏(らも夫人)の話では、生前から「俺は階段から落ちて死ぬ。」と、予言していたらしい・・・・・・・


この本の中でさすがだなと思ったのが以下。

「もしも、自由というものがあるとしたら、それは、とても不自由なものだと思う。ルールがあるからこそ、みんな安心して日常と向き合えるのだ。これが自由ということになれば、何から何まで自分で決めなければならない。これは、ものすごく不自由な事だと思う。

安心する為にルールを作り、今度はそのルールに縛られるのが嫌だと抗う。これが、人間なのだ。拘置所も娑婆もこういう人間で構成されているわけだから、違いが生まれてくる余地がないのだ。」



そして、こんな文章もある。

「そもそも人誰でも心に欠けた部分を持っている。その欠けている部分を満たすために、人は何かに依存してしまう。酒であったり、仕事であったり、暴力であったり、恋愛であったり・・・・自分に一番しっくりくるものにどっぷりはまりこんでしまうのだ。」


さらに

「つまるところ、生きるという事は、死ぬまでの時間をどうやり過ごすかという事だ。時間との戦いと呼んでも良い。この戦いに勝たんがために武器としての大麻があり、酒があり、全ての嗜好品があるのだおる。これをうまく機能させれば、それだけ時間が早く進んでくれるのだ。」


という中島らものエッセイを半ば頷き、半ば病んだ人間の戯言と読み飛ばし。



らも本を久々に読んで、なぜだかわからないけどホイットマンの「草の葉」を読みたくなり

下巻の389ページ「あるペルシャ人の教え」

の最後の部分に目が留まる。


「はぐれものが遠くまで迷い込むこともあるでしょう、理由がなぜか隠されている事もあるでしょう。

世界全体の波おさまらぬ海の底を探ってみたいとも思うでしょう。


波おさまらぬそのわけを、あらゆる生に拍車を当てる衝動をついぞ鎮まることのないーついぞ消え去る事のないそのなにもかを、あらゆる種の目には映らぬ必要を、知りたいとも思うでしょう。

「どんな些細なものの核心にも(しばしば無意識、しばしば邪悪で滅び去って行くもののなかにも)たといどんなに離れていても、わずかひとつの例外さえなく、主体の中でも客体の中でも同一不変、おのれの聖なる源泉と起源に帰りたいという衝動が潜んでおります。」



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月20日

ドルと石油と鯨

サウジアラビア・リヤド──イランのアフマディネジャド大統領は18日、最近の米ドル安を受けて石油輸出国機構(OPEC)加盟各国が、米ドル建て以外の外貨備蓄に関心を示していると語り、米ドルを「価値のない紙切れ」と批判した。


アフマディネジャド大統領は当地で開かれていたOPEC首脳会議の閉幕後、記者団に対して「(米国は)われわれの石油の対価として、無価値な紙切れを引き渡している」と語り、ドル安や各国への影響はブッシュ米政権に責任があると主張した。


ドル安が進行した場合、原油価格は上昇し、産油国のドル建て外貨備蓄の価値が下落する。アフマディネジャド大統領は、「OPEC加盟国の指導者らは全員、外貨備蓄を信頼性の高い外貨建てに切り替えることへの関心を示した。産油国が米ドルとは別に、原油取引の土台となる単独通貨を指定するべきだとの意見も出た」と語った。


南米の反米左派指導者の筆頭格であるベネズエラのチャベス大統領も「ドルの帝国は終えんに向かうべきだ」と発言し、ユーロ建ての取引の方が良いとの認識を表明した。イランとベネズエラは首脳会議で、OPEC産原油を通貨バスケット建てにする案を提示。しかし米国に対抗する政治的意図があると判断され、米国と関係の深いサウジアラビアなどの支持を得られずに終わった。


http://www.cnn.co.jp/business/CNN200711190012.html


【カイロ支局】AP通信などによると、イランのアハマディネジャド大統領は18日、石油輸出国機構(OPEC)首脳会議閉幕後にリヤドで記者会見し、ドル安が産油国に悪影響を与えていると指摘、「彼ら(米国)は価値のない紙くず(ドル紙幣)でわれわれの原油を買っている」と不満をあらわにした。

 大統領は「原油を武器として使わない」と安定供給の意向を示しながら「(核問題での米国の圧力には)対応する別の方法がある」と強調。同時に「湾岸地域で当面、戦争は起きないだろう」との見通しを述べた。

 大統領は、ドル安が米国のブッシュ政権の政策によるものと決めつけ、ドル安により一部の資本家だけが恩恵を受けている、と非難した。


http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2007111902065599.html

ドルの失墜に帝国の衰退。

「湾岸地域で当面、戦争は起きないだろう」と中日新聞は報じ、CNNは報じない。


日本で大騒ぎする石油の方では、アメリカから山田洋行が購入し、政府が山田洋行から買い取り、それをアメリカの艦船に給油する。

なぜ、アメリカから買った燃料を山田洋行を通してアメリカの艦船に給油するようなことをするのか?

ひとつは、アメリカの衰退。

そして、山田洋行が自衛隊の天下り幹部の巣窟となっている現実。

そして、福田首相の訪米の成果は以下がわかりやすいかと思う。


年内のテロ特措法は、無理だと言った結果では?

などと思う。



【ワシントン19日共同】マコーマック米国務省報道官は19日の記者会見で、南極海での調査捕鯨に向けて日本の船団が18日に下関港を出港したことに関し「今年の捕鯨を行わないよう求める」と述べ、中止を要求した。

 同報道官は日本には調査捕鯨を行う「法的な権利があることは認識している」としながらも、クジラの殺傷を伴わない方法で頭数に関係するデータのほとんどは入手可能と指摘。「『科学的な調査』というのは表向きの理由だ」と厳しい口調で、今年も調査捕鯨を行うことを批判した。

 また同報道官は、今回の調査捕鯨で各50頭捕獲予定のザトウクジラとナガスクジラを特に取り上げ、殺傷しないよう求めた。

 日本の調査捕鯨船団に対しては今年2月、環境保護団体の船から化学物質の液体入りの瓶が投げ込まれるなどし、調査母船の乗組員2人が軽傷を負った。



http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007112001000169.html


アメリカの言いなりにならなければ様々な形での外圧を加えるのかと思う。

だからこそ。



福田康夫首相(71)と民主党の小沢一郎代表(65)が22日午後、3度目の党首会談を行うことが19日、決まった。新テロ対策特措法案の参院審議が暗礁に乗り上げ、大阪市長選で野党候補に負けて八方ふさがりの福田氏から呼び掛けた。前回は2人だけの会談で大連立問題が浮上したため、今回は幹事長らも同席する。法案の扱いや今後の国会日程が話し合われるとみられ、今国会最大のヤマ場になりそうだ。福田氏に“三度目の正直”は訪れるか。


http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20071120-285382.html

なのだろうが・・・・

そしてまた・・・

大連立構想の火付け役CIA代理人ナベツネ率いる読売によれば


政府税制調査会(首相の諮問機関)が20日の総会でとりまとめる2008年度税制改正答申の最終案が19日、明らかになった。

 今後の社会保障制度を支える財源について、「消費税率を引き上げていくことによって賄う姿勢を明らかにすること(消費税の社会保障財源化)」が、必要だとの考えを明記した。政府税調が答申で、消費税率引き上げの必要性を指摘するのは3年ぶりだ。

 最終案は、消費税の特徴について〈1〉経済動向や人口構成の変化に左右されにくい〈2〉国民が広く公平に分かち合う――などとして「税制における社会保障財源の中核を担うにふさわしい」と位置付けた。ただ、引き上げの時期や幅には触れなかった。

 所得税制では、専業主婦のいる世帯などの課税を軽くする配偶者控除について、廃止または縮小の方向で「見直しを図るべきとする意見が多く見られた」と記した。女性の社会進出が進んでいる実情に合わないとの声や、廃止・縮小した財源を子育て支援に充てるべきだとの意見を挙げた。

 さらに、16歳以上23歳未満の扶養家族を持つ人を対象にした特定扶養控除は「意義が薄れてきている」と明記し、廃止すべきだとの考えを示した。

 相続税では、特例の拡充などで、死亡者数のうち課税される割合が4%程度にとどまっているとし、「放置することは適当でない」と指摘。資産を再分配する機能を強めるため、相続税の課税対象が増えるよう見直すことを求めた。

(2007年11月20日8時0分 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071120it02.htm?from=navr


そしてまた、厚生労働省は「一般の低所得世帯の消費水準が、生活保護世帯よりも低いので、生活扶助を下げる」という。


まあ、そういうことのようで・・・・・


ドルと石油と鯨というお話でした。


(-∧-)合掌・・・


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忘れられた道

「みなさい。世界は人間の無明によって、おぞましい喜劇と受難の場と化している。誰もが自分本位に生きている。それは、利己主義が自分の幸福にとって必要だと誤って考えているためだ。他人の苦しみを犠牲にして幸福を追い求めることがこの世のすべての苦しみをつくり出しているのだ。この瞬間にも世界のあちこちから響いてくる苦悩の叫びをすべてきくことができれば、あなたは決してそれに耐えることはできまい。それほど悲痛な叫びなのだ。友よ、あなたがこのようなことを知っていれば、何もせずにいられるだろうか?症状を和らげるのではなく、原因に直接向かうことだ。あなたの心を変えることだ。心が変われば、あなたは自分の教えに生き、その生きた実例によって世界に影響を与えることだろう。」


「あなたは幸せですか?」とわたしはたずねた。これに答えている間、涙が彼の頬を伝い落ちた。「いや、幸せではない。純人間的な観点からすれば、わたしのような人間は胸が張り裂けるほど孤独になることが多いものだ。わたしは人々を愛しているが、それでも彼らにしてあげられることがいかに小さいかがわかるのだ。深い悲しみがここにある。全世界が幸せになるまでわたしは幸せにはなれないのだ。その目標に達するまでには長い苦難が、限りなく長い苦難が前途に横たわっているのだよ。」



「チベット永遠の書―宇宙より遥かに深く 「シャンバラ」極限の恐怖の果てに「生」の真理を見た」テオドール イリオン 著, 林陽訳


100年ほど昔に書かれたチベット潜伏旅行記であるこの本は、おそらく僕が生きている限り何回も読み返すと思う。

冒頭の言葉は、100年前のチベットに住む賢者の言葉。

著者のテオドール イリオンは、ドイツ人探検家。チベット領内に外国人がいることは違法とされていた1930年代初頭、この神秘なる地に初めて足を踏み入れた数少ない西洋人の一人として、広くその名を知られる。

1932年、チベット踏査計画に着手し、1934年、チベット人行脚僧を装い単身入国。そして36年、生死を賭けた幾多の困難を乗り越えて、奇跡的生還を果たした。その衝撃的な体験記録は各国のラジオ・新聞等で大々的に報じられ、また同年、本書の原典となる。

「Ratfelhaftes Tibet」が、ドイツのウラヲス社より出版(さらに各国語で翻訳出版)されるに至って、その反響の大きさは極に達した、と伝えられている。チベット仏教の深遠なる宇宙観(輪廻天性など)に留まらず、チベットを覆う闇の霊性(死者蘇生の秘術、地底世界の実在など)を克明に綴ったことで、当時、ドイツで政権を掌握していたアドルフ・ヒットラーにも多大な影響を及ぼしたといわれる。その後、大戦の動乱で版が絶え、闇に葬り去られていたが、50年ぶりに大英博物館より掘り起こされ、遂に日の目を見ることになった。本書は、その完訳である。


東洋と西洋、あるいは、精神文明と物質文明、またあるいは、白人と有色人種。

これらが混ざり合って数百年になる。

チベットにおける中国政府のやりかたを見てると肌の色がどうであろうが、近代化や文明化とは、どうあっても非人間的な営みが多い文明なのだろうと我が身を省みつつ思う。

そして、チベットの賢者たちやテオドール イリオンの精神と似通うアメリカンネイティブたちの言葉を思い出す。


「インディアンについては、アメリカ人は本能的に、ある「おそれ」 を持ち続けて今日に至っている。それは、自分達の幸福論と本質的に対峙する幸 福論によって生き、しかも自分達よりもあるいは幸せであったかもしれない人達を、 まず力によってみじめな状態に追込み、そして殺してしまったらしいという不安で あった。ここで幸福論を神といいかえてもよいかもしれぬ。白人たちが物の所有によって幸福を求めるとき、彼等はわかち合うことをよろこびとし、白人たちが隣人と競い、それに優越することによって幸福を求めるとき、彼等は自己にうちかつことによって自らと他の自由を確保し、白人たちが大地を凌辱してその富を強奪するとき、彼等はそれを大いなる母と慕った。インディアン達のあらゆる愚昧さは、白人たちの競って利用するところであった。その愚昧さによって白人たちは莫大な利益を手に入れた。しかし、同時に、そのインディアンの愚昧さのかげに、初々しい精神の高貴としかいいようのないものを、白人たちはたしかに垣間見たのである。」「アメリカ・インディアン悲史」藤永茂著朝日新聞社


「この地上で生きているものは、みなものを食べなければならないことを、まず理解しなさい。生きるためには大地からのものをもらわなければならない。どのようにしてもらうかによって、害悪になるかケア・テーカーになるかが決まるのだ。自然の恵みを受けるときは、まずそれを賛美し、心で深く感謝しなさい。私たちが生きるためには、ほかのものの命を犠牲にしなければならないからだ。自然を破壊するのではなく、自然に利益をもたらすように、心して命をいただきなさい。未来のことを考えて、子どもや孫にすばらしい財産を残すことだ。自然の創造物を、もっと立派な形にして後世に残さなければならないのだ。そうすれば私たちは大地のケア・テイカーとしての運命をまっとうしたことになる。」(コヨーテ・サンダー)


そう我々がこのように生きていた時代は存在しただろう。

おそらく良かれと思って突き進んできた文明。

その文明が我々や他の生き物そして生態系をも苦しめる。

そして・・・・・・


「もう戦っている場合ではない。わしらは怒りを忘れなければならならない。わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、子供たちがその仕事を引き受ける。それでもだめなら、そのまた子供たち、そのまた子供たちが引き継ぐ。わしらは心の囚人じゃ。わしらを開放してくれるのは時だけなんじゃ。あんたたちは傲慢な態度を改めなければならない。この地球上にいるのは、白人だけではないし、白人のやり方が唯一でもない。世界のあらゆる場所で、人々はそれぞれのやり方で創造主をあがめ、家族を愛してきた。あんたたちもそのことを尊重するべきなんじゃ。物質的な力があるのは、あんたたちの強みじゃ。ほかの民には与えられなかった強みを持っているということじゃ。それをほかと分かち合うか、それともさらに力を手に入れるためだけに使うか?自分たちの力を分かち合う・・・・・・・それがあんたたちに課せられた課題じゃ。その力は強いが同時に危険なものでもあるんだからな。」「忘れられた道」ケント・ナーバーン著 児玉敦子訳 講談社


(-∧-)合掌・・・


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2007年11月19日

至言

「リベラル派は弱者とか障害者を大切に扱っている。それなら、ブッシュ大統領をもっと尊敬すべきだ。彼は、知的障害にもかかわらず大統領になったのだから」

「日本を爆撃して、原爆を落として、いっぱい殺したら日本人は羊みたいに従順になったわ。」

などと素晴らしいギャグを本気で語るガチガチの極右アイドルで米国女性超保守コラムニストであらせられる「アン・コールター女史」は本も沢山出してる。

邦訳されているのは以下



「リベラルたちの背信」


米国大統領選挙を間近に控え、共和党と民主党両陣営による舌戦は過激さを増している。テロとの戦いやイラク戦争の是非を問う論争においては、ともすれば「積極的な保守派(共和党)は“悪”で、反戦平和を訴えるリベラル(民主党)は“善”」という対立図式を描く米国民が少なからず存在する。我が国においてもそうしたイメージを持つ人は多いようだ。共和党保守陣営の論客として名高いアン・コールター氏は、そうしたイメージに真っ向から異を唱える。歴史を検証すれば、米国民だけでなく世界の民を戦乱と秩序崩壊に導いてきたのは、伝統的なリベラル一派であると主張している。

コールター氏は、「リベラル派、特に急進左派の反米主義者には愛国心のかけらもなく、米国を内側から崩そうともくろんでいる」とまで言い切る。共産主義に傾倒した歴史や親欧州的な政治姿勢に痛烈な批判を浴びせかけるとともに、さらに彼らの根底には自らを「神」と信じて覇権を握ろうとする傲慢な姿勢があると指摘する。米国史の汚点として語られることが多い1950年代の「赤狩り」の主役、マッカーシー元上院議員の行為はむしろ誇るべきものだと言い、名誉回復を訴える。現在の米国を多角的に解読するうえで参考になり得る1冊だ。



こういうお方が書いた書物が次々とベストセラーになるという事情は日本もまあ似たり寄ったりかなあ・・・と思うのであります。

以下抜粋

「この国(アメリカ)が内外の攻撃にさらされるたび、彼等は敵側につく。それが連中の正体だ。左翼が「西側の犯罪」にこだわり、第三世界にルソー的な自然人への敬意を捧げるのも、この破壊的な目的に発している。

「リベラルたちときたら、祖国を愛する同胞のことはカウボーイだの戦争屋だの、狂信者、対外強硬派などと揶揄するくせに、アメリカの敵のことは「アンクル・ジョー」(スターリン)やら「フィデル」(カストロ)やら「農地改革者(延安時代の共産党を共産主義者ではないと言い張った)やら「平和の宗教」の実践者と親しげに呼び、あろうことか、共産主義者やテロリストまで「平和」擁護者にしてしまう。

リベラルたちは国旗をけなし、忠誠の誓いを禁じ、アメリカの敵のためにカクテル・パーティーを開きながら、自分たちの愛国心への誹謗はいっさい許さない。

ソ連邦の繁栄が続くかぎり、歴史的「必然」を主張することも愛国的行動の範囲内だった。ソ連の支配がほんとうに必然なら、リベラルたちは本音まるだしのメッセンジャーに過ぎなかった。ところが、レーガンが冷戦に勝利した。共産主義の勝利は必然などではなかった。左派による共産主義支配の目的論的証明は大嘘だったのだ。この二十世紀最大の戦いで、リベラルたちはただのまぬけか裏切り者であった。」


リベラルをそのまま反日勢力とかに置き換えれば。。。。

ま、わが国も似たようなものでしょう。

しかし、それにしても


「リベラル派は弱者とか障害者を大切に扱っている。それなら、ブッシュ大統領をもっと尊敬すべきだ。彼は、知的障害にもかかわらず大統領になったのだから」

という言葉は、近年稀に見る。

物凄い言葉でした。

至言てやつでしょうか?


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月18日

差別と権力とお笑いと・・・・・

魚住昭著「野中広務 差別と権力」によると、麻生太郎氏は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月11日の麻生も同席する自由民主党総務会において、野中氏に以下のとおり批判されたとされている。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。

君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」

これに対して、野中氏の激しい言葉に麻生氏は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだったと同書には記されている。

その翌月、野中氏は政界を引退した。


この記述を読んで思い起こすのが。

山口組の田岡組長がその昔 ニューズウイークから取材を受け語った言葉。

「多分日本からやくざはなくせない。なぜなら暴力団構成員には部落出身の人間が多い。自分もそうだと組長は断言する。」


当時の山口組と在日朝鮮人愚連隊明友会との抗争事件を扱う

「奴らが哭くまえに 猪飼野少年愚連隊」などという本もある。


昭和三十年代、大阪の街は朝鮮人愚連隊明友会が席巻していた。だが戦後最大の抗争事件=山口組VS明友会が勃発し会は壊滅する。流された多くの血に脅え、粋がっていた少年たちは別々の道を歩き出した。朝鮮に戻る奴、刑務所に入る奴、大学に進学し自殺する奴…。暴力が吹き荒れた異邦人が群れる街の情景と時代を切り取った異色のドキュメント。


日本社会の問題は、部落と在日に対する日本人による差別的な歴史問題を考えていくと色々と見えて来ることが多いし、一筋縄でいくようなことも何一つ無いことも見えてくる。



そして世界に席巻するユダヤ人問題。

これらも差別と権力という視点で見ていくと通底する。

被差別者は差別者になり得るという歴史的事実。

ナチスに殺されたユダヤ人がパレスチナ人を殺すという史実。

この手の事柄を考えていくと思い出すジョークがある。



「地下鉄の中でネオナチの新聞を読んでいるユダヤ人がいた。たまたま同じ車両に乗り合わせた彼の友人が、このおかしな光景に気がついた。いささか憤慨した友人は彼に近寄って尋ねた。

「君、気でも狂ったのか。どうしてこんな怪しからん新聞を読んでるんだね」

「うん、以前はユダヤ系の新聞を読んでいたさ。けれど何が分かったと思うかね。ヨーロッパではユダヤ人が差別されているとか、イスラエルのテロとか、同化と異民族との結婚でユダヤ人の数が減っているとか、あるいは貧しいユダヤ人の暮らしとか、そんなニュースばかりじゃないか。だからネオナチの新聞に切り替えたんだ」

「それで、その怪しからん新聞から何が分かったんだね」

「ユダヤ人が世界中の銀行を買い占めたとか、ユダヤ人はマスコミを操っているとか、ユダヤ人は金持ちで凄い勢力を持っているとか、ユダヤ人は世界を牛耳っているとか……嬉しいニュースばかりだぜ」




この手のジョークは、結構、一片の真理を含む場合が多く、荒んだ世の中で生きる上での慰めにもなる。


「最近じゃ、イカれた白人たちが妙に愛国心に目覚めちゃって、クソ忌々しい星条旗帽子かぶって、星条旗パンツ履いて、星条旗トラックに乗ってやがる。---“俺はアメリカ人だ!アメリカ人だ!外国人なんかクソ食らえ!”---なんてね---戦争になったら、人種差別もお咎めなしさ。“俺はアメリカ人だ!フランス野郎はクタバレ!”---こりゃクールだ。こんなのもあるぜ---“俺はアメリカ人だ!アラブ人はみんなクソッタレだ!”---こいつもクールだね。そんでもって、こうなるんだ---“俺はアメリカ人だ!違法滞在者はクソッタレだ!”---ここまでくると俺は耳をすましちゃうね。次に槍玉にあげられるのは黒人とユダヤ人だってわかっちまうからな。」


「アメリカっていう国は、BクラスとCクラスの生徒で成り立ってる。でもクソ忌々しい現実を忘れちゃいけないよ。黒人でCクラスの生徒は会社経営なんて無理だ。黒人でCクラスの生徒はバーガーキングの店長にもなれない。でも一方で、白人でCクラスの生徒は大統領になっちまうこともあるんだぜ!」


日本人ネタだとこんなのもある。


ある日一人のの日本人が歩いていた。
すると道端で喧嘩をしている白人と黒人がいた。

白人は「お前らがいると町の治安が悪くなる」と
黒人は「お前らは差別ばかりして俺達が平和に暮らせない」と

一向に決着がつかないので二人とも近くを歩いていた日本人に
聞いてみた。
「なあ、どっちがいなくなれば世界が平和になると思う?」

白人は思っていた「日本の近代化は我々がしてやった
から日本は絶対こっちの味方をしてくれるはずだ。」と

黒人は思っていた「日本は昔の戦争で白人にボコボコ
にされたから日本は絶対こっちの味方をしてくれるはずだ。」と

二人が期待の目で日本人を見ていると日本人はこう答えた

「両方共クソくらえ!!!!!!」


またこんなのもある。


イギリス人のジャーナリストが食肉の不足について、街頭インタビューを行った。

「失礼ですが、食肉の不足について、ご意見、お聞かせ願えませんか?」

ユダヤ人「失礼って何ですか?」


ポーランド人「食肉って何ですか?」

アメリカ人「不足って何ですか?」

中国人「意見って何ですか?」

日本人「アメリカと同意見です」

イギリス人「とりあえずティータイムにしませんか?」

アフリカ人「肉なら今目の前にあるじゃないか」

マリー・アントワネット「お肉が無いならお菓子を食べればいいじゃないの」

韓国人「犬食おうよ、犬」

朝鮮人「そんなことはあり得ない!将軍様が」

アステカ人「まず太陽の神様に捧げてからだ。」



または、こんなのも。


東アジア各国の代表4人が集まって、互いに誰が一番他国にダメージを与えたことがあるか、自慢大会をした。

北朝鮮の将軍様は、日本人を数百人拉致し、日本近海に核ミサイルをぶち込んだことがあると自慢した。

韓国の大統領は、竹島を侵略し、賠償を口実に日本に数兆円たかったことがあると自慢した。

中国の首席は、東シナ海の油田を盗掘し、チベット人を1000万人殺害したことがあると自慢した。

一方、日本の首相は神社に参拝したことがあると自慢した。



アメリカで公に言えないタブー

金持ちユダヤ人のアメリカ乗っ取りにイスラエルロビー活動、年間30億ドルに及ぶアメリカのイスラエルへの資金提供などなど・・・・

ユダヤ問題の根深さこそ中東問題の一因でもあるし現代社会の様々な問題の一因でもある。

アメリカ人口の3%ほどのユダヤ人がアメリカの否、世界の富の何割かをを独占する実態。

圧倒的な差別野中で被差別者が実力でのし上がるのは、わが国における部落問題や在日問題に酷似する。

そして、そして差別と権力こそ我々に共通する文化などと思う今日この頃。

そして、差別する側、アメリカで言えば、WASPだろう。

白人でアングロサクソンでプロテスタント教徒で・・・・

だからこそ、アメリカのマフィアは、カトリックで非アングロサクソンのイタリア系移民が席捲するのだろうし・・・・

似たような構造は世界中にある。

少しの違いを認め合えずに血を流し続けるのだ。


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月16日

力道山とニコラスピザ

「第二次大戦後の日本における組織犯罪台頭の歴史を描く中で、著者のロバート・ホワイティング(日本野球についての優れた本『You Gotta Have Wa』の著者でもある)は、日本の政界と社会全体においてヤクザが絶大な影響力を持つようになったことと、一度は被占領国であった日本が世界でも有数の経済大国に上り詰めたことは、アメリカの力に負うところが大きいと言う。

ホワイティングが主役に選んだ、実在の人物ニック・ザペッティは、まだ占領地であった東京を訪れ、そこに居残ることを決意する。はした金狙いの詐欺家業で一花咲かせようとしていたが、だらだらと続いていた支払い不能の状態によって我に返り、ザペッティは思いつきでレストランをオープンする。困難を乗り越え、「ニコラスピザ」は東京に住む外国人、野球選手、芸能人、政治家、そしてもちろん地元の暴力団員が集まる50年代の人気スポットとなった。異国の地にレストランを開いた、容易には信用しかねる人物、ザペッティの経営者としての古き良き日の冒険が、この実話の骨子となっている。背後からいつ刺されてもおかしくないような野蛮な環境、ビジネス社会の不正取引など、ヤクザ社会と区別がつかないほどオーバーラップすることが多く、どこでひとつのエピソードが終わって、また次が始まったのかが判然としない。しかし、ホワイティングは巧みに、彼が言うところの「壮大なる富の移行(アメリカから日本へ資本を移すこと)」の過程を詳細に描き出している。なぜアメリカの外交政策(そして共産主義への恐怖)が、知らず知らずのうちに日本へ富を移行させることに甘んじてしまったかを解き明かす。ホワイティングの文体は、啓蒙的で、人を引きつける力を持っており、彼の結論は日米両サイドから聞こえてくる、保護主義者が使うような安易な表現を裏切ってくれる。

一方、ザペッティは最終的に日本国籍を取り、妻の姓を名乗るようになる。健康状態の悪化と、ピザ帝国の経済的崩壊によって夢破れ、やがて極端な日本嫌いになる。「あんた、映画の『リオ・ブラボー』を見たことあるかい?」ホワイティングは、ある夜ザペッティが外国人客のひとりに話していた言葉を引用する。「いやらしい目つきのカウボーイがたんつぼに金を投げ込んで、町の酔っ払い役のディーン・マーチンがそれにへつらうシーンを覚えているか?それが、日本人が望む外人のイメージだ。日本人は俺たちにディーン・マーチンのようにぺこぺこしてもらいたいのさ」


という紹介文の「東京アンダーワールド 」ロバート ホワイティング著

という本の中で力道山に関して一章を設けて解説される。

以下貼り付け。




出身は太平洋戦争前の日本植民地統治下の朝鮮半島洪原郡新豐里(現在の北朝鮮統治範囲)。後に長崎県大村市の農家・百田家の養子となった。本名は金 信洛(キム・シンラク)。戸籍名は百田 光浩(ももた みつひろ)。

1940年に初土俵、1946年に入幕し、1949年に関脇に昇進するが、1950年に自ら髷(まげ)を切り廃業。

1951年9月30日、アメリカのフリーメイソン系慈善団体「シュライナーズ・クラブ」が進駐軍慰問と障害者のチャリティーを兼ねて、母国からボビー・ブランズら6人のレスラーを招きプロレスを開催した。これを見てプロレスに転向を決意し、シュライナーズ・クラブで指導を受けた。1952年に渡米し、翌年帰国して日本プロレス協会を設立する。シャープ兄弟をはじめとする外人レスラーを空手チョップでばったばったとなぎ倒す痛快さで、1953年にテレビ放送が開始された事も重なり日本中のヒーローとなる。その後柔道出身の木村政彦、山口利夫を倒して日本のプロレス界を統一した。1954年12月の木村との世紀の一戦が八百長であることが明らかになり、それ以後三大紙やNHK等の一般メディアの取材対象から外れることになる。また、シュライナーズ・クラブに慈善活動への協力を求められると、力道山は金銭を要求したため、こちらとも縁が切れてしまった。

大相撲出身の力道山が天下を取ったことから相撲取りのプロレス界入りが増えた。日本のプロレス界に、ちゃんこ、付け人など、なにかと相撲の影響が残っているのはこれに由来する。1958年には、ルー・テーズを破ってインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。1962年には、フレッド・ブラッシーを破ってWWA世界ヘビー級王座を獲得した。1974年にジャイアント馬場が獲得したNWA世界ヘビーとは違いカリフォルニア州近辺だけのローカルなベルトではあったが、ともかく日本人でプロレスの世界ヘビー級王者になったのは力道山が初めてである。ルー・テーズやパット・オコーナー、カール・ゴッチのようなストロングタイプともジェス・オルテガやフレッド・ブラッシーのような悪役・怪物タイプとも名勝負を残しているが、後者の方が手が合ったようである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E9%81%93%E5%B1%B1

以下も貼り付け。


大相撲関脇からプロレスラーに転向した力道山が1953年に、興行師で興行界のドンと呼ばれた永田貞雄と、関東屈指の顔役である新田新作(生井一家貸元で関東国粋会副幹事長の子分、「新田組」組長。 新田建設経営。明治座の社長で経済事件の調停にも活躍)の物心双方の援助・後見によって設立した。 この際、スポンサーとして経済界からは萩原吉太郎ら児玉と親しい企業人グループが後援をしている。

力道山が1963年に亡くなった後の協会役員の構成は、会長・児玉誉士夫、副会長・田岡一雄(三代目山口組組長)、町井久之(東声会会長)となっている。このため浜松より西の興行は田岡、関東は町井、東北以北は児玉の盟友である岡村吾一の影響下にあったとされる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9


日韓条約締結の為にアメリカの要人と児玉誉士夫、町井久之両名が韓国に訪れた。

とか・・・まあ色々詳しく書かれております。


町井 久之(まちい ひさゆき、1923年 - 2002年9月18日)は、ヤクザ、実業家。東声会会長。東亜相互企業株式会社社長。釜関フェリー株式会社会長。在日本大韓民国民団中央本部顧問。在日韓国人。本名は鄭建永(チョン・ゴンヨン、)。若い頃は、「銀座の虎」、「雄牛」と呼ばれた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E4%BA%95%E4%B9%85%E4%B9%8B

児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年2月18日 - 1984年1月17日)は、日本の右翼運動家で、A級戦犯に指名されたが後に釈放。後にはロッキード事件の被告となる。一般に右翼の大物、黒幕として知られ、「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB


作家の村松友視の著書「力道山がいた」によると・・・・

「その瞬間、力道山ブームは口火を切った。大袈裟にいえば日本中の人々が、その光景のインパクトに陶然とし、力道山を神話の主人公として迎え入れようとする構えをつくった…」

「なにしろ、あの頃は一般的日本人の中にアメリカ人に対するひけ目が、まだ尾を引いていた。戦争でアメリカに負けたという劣等感に支配され、進駐軍への怯えにつつまれるという空気は、依然として生きていたのだ。日本人の酔っ払いが米兵に数寄屋橋から下の川へ叩き込まれた…そういう類の記事がいくつか出たりもした。そうした時代背景の中に、突如として出現した力道山という存在が、一夜にして英雄としての衣をまとってしまった。私は力道山を清水市の電気屋の暗がりで目撃した。そして同時に、夥しい数の日本人が同じテレビ画面を、全国の電気屋や街頭テレビでながめ(力道山ならアメリカに勝てる…)という気分に浸っていたのだった」

という驚異的な人気を誇る力道山の国籍をひた隠しに隠す様子や当時のアングラ社会に力道山の死がCIAの陰謀では?などと「東京アンダーワールド 」では、様々な考察がなされます。

ニコラスといえばかってこの店で皿洗いのバイトをしていたのが椎名誠じゃあなかったかあ?などと他愛のない記憶などもまさぐりつつ・・・


http://www.nicolas-pizzahouse.com/roppongi1_1.html

ピザ屋のHPなどを眺めつつ戦後日本を思う初冬の夜更け。


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月15日

原発

【ロンドン=木村正人】9月末から始まった英イングランド北西部セラフィールドにあるコールダーホール原発(6万キロワット)の解体作業が中断していることがわかった。作業を監督するアンドリュー・スカーギル氏は9日までに、「原発解体には莫大(ばくだい)な費用と期間がかかる」と述べ、予算不足で作業が中断していることを明らかにした。

 同原発は、1956年に世界初の商業炉として稼働した黒鉛減速炭酸ガス冷却炉。天然ウランをそのまま燃料とできるため、日本初の東海村の原子炉も同型だ。また、現在、無能力化の作業が進む北朝鮮・寧辺の実験炉(5000キロワット)も同原発をモデルに建設されたとされる。

 コールダーホール原発は老朽化のため2003年3月に操業を停止。約2年の準備を経て今年9月末、解体作業が始まり冷却塔4基が爆破された。現在は熱交換器を取り外す作業にかかっていたが、「資金繰りの問題が発生し、計画見直しのため作業を停止している」(同氏)という。

 英国内での他の原発も含めた解体費用が、向こう3年間で当初計画を6億7100万ポンド(1594億円)も上回る85億ポンド(2兆200億円)に達する見通しのためだ。

 同氏によると、原子炉から抜き取った燃料棒は貯蔵プールで冷却後、再処理工場で処理するか、高レベル放射性廃棄物処理場で長期保管する。しかし、それだけでは燃料棒を原子炉に戻せば再稼働が可能になるという。コールダーホール原発では運転を再開できないよう制御棒のワイヤを切断したが、北朝鮮の無能力化では、こうした措置が取られるかは不明だ。



http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/071109/mds0711091950000-n1.htm


柏崎刈羽原発(新潟県)沖合で東京電力が一九七○―八○年代に実施した海底断層調査で、疑わしい調査地点のうち三分の二を同社が「断層ではない」と過小評価した上、少なくとも四つの断層を見逃したまま原子炉増設を申請した疑いが強いことが十四日、同社が開示した調査原記録の分析で分かった。国の安全審査もこの評価を認めていた。

 疑われるデータのあった調査地点四十二カ所のうち東電が「断層あり」としたのは三分の一強の十五カ所。原記録を分析した広島工業大の中田高教授(地形学)らは「ほかの二十七個所でも断層とみられる構造があるのに、常識的にはありえない評価。審査した国の責任も重い」と批判している。

 経済産業省原子力安全・保安院は「当時の知見を基に最善の努力を払ったと理解しているが、評価に不十分なところがあった可能性は否定できない」としている。

 東電は、判断の根拠は今では分からないとした上で「過小評価という指摘があるが、当時の研究レベルでは最善を尽くしたのだと思う」と釈明。七月の新潟県中越沖地震の発生より前から断層再評価の必要性を認識していたが、間に合わなかったとしている。

 中越沖地震と強い関連が指摘される断層について、東電は長さ七―八キロとしていたが、中田教授は「二十キロ程度はあると見るべきで、過小評価だ」と指摘。中越沖地震は、それが動いて起きた可能性があるという。

 東電が今回初めて開示した原記録は2、5号機と3、4号機の増設に伴い七九、八○、八五年に実施した延べ約千六百七十キロ分。東電は計十五の調査地点で断層を認め、四つの断層があると評価。増設申請に盛り込み、国の安全審査もこれを通していた。

 中田教授らはこの四断層の延長上に、東電が断層と判断したのと見分けられないほどよく似た構造を示すデータがあり、断層活動に特徴的な地形があることも確認。東電の評価より規模の大きな断層があるとした。

 さらに、このほかにも少なくとも四つの断層があると分析した。

 調査原記録を分析した中田高・広島工業大教授の話 つながっている地形にあるのに、一部は断層で一部はそうではないと考えるのはおかしい。当然、つながった断層と判断するべきだ。当時の知見でもこれは、教科書に書いてあるような常識だ。もし、電力会社や国が今後「最新の方法で調査をやり直したから断層が分かった」と主張するのなら、それは言い訳だろう。一事業者にすぎない東京電力の誤りよりも、過去の安全審査でそれを正せなかった国の責任がより重いと思う。


http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200711150200.html



新潟県中越沖地震の原発への影響を調べる調査対策委員会(委員長=班目(まだらめ)春樹・東京大教授)のメンバーが8日、東京電力柏崎刈羽原発を視察した。今後の検討課題などを話し合い、耐震性に関して建設時の国の審査が妥当だったかについて検証することを決めた。

 8日は火災が起きた3号機の変圧器や、天井クレーンが破損したり使用済み燃料プールの水が飛び散ったりした6号機の原子炉建屋などを見て回った。

 会議では、電力会社の自衛消防隊だけでなく自治体消防も充実すべきだとの意見が出た。今後は災害時の情報連絡体制や、原子炉など耐震安全上重要な機器の健全性について検証し、議論することなどを決めた。

 会議終了後、班目委員長は記者団に対し「見た目では重要機器に損傷はなかった。しかし、本当に健全性が保たれているかは詳細に見てみないとわからない。現段階では運転再開について語る状況にない」と述べた。



http://www.asahi.com/special/070716/TKY200708080302.html


おそらく、これらの問題と地球温暖化キャンペーンは、リンクしているのかと思う、

核の平和利用であるという嘘、原子力発電所は、安全で安価でクリーンなエネルギーだという嘘も化けの皮がはがれつつある。

なによりかにより石油が無ければ原発も動かない。

そんなことを思う朝。


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月14日

帰去来辞

陶淵明(365-427)、東晋の詩人。柴桑の人。下級貴族の家に生れる。不遇な官途に見切りをつけ、41歳のとき「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開いた。「五柳先生伝」「桃花源記」などを著わす。


妹の死をきっかけに役人を辞める。

その有名な詩が「帰去来辞」

若くして両親を失い貧困の中で成長したとか、親も年老いて家も貧しいとか

まあ諸説あるみたいですが、貧しいので州の学校長の職に就く、その後、地方軍団の軍議に参与し、ついで県の長官となる・・・・・大出世ですね。

だけど、この職にあったのが80日くらいで、

上級役所の監査官来訪にさいし部下より礼服着用の必要を告げられた。

淵明は・・・・「吾、安(いづく)んぞ能く五斗米の為に腰を折つて郷里の小児に向はんや。」

わづかな給料ために田舎者の監査官に腰を折り曲げるやうな卑屈な真似はできぬ、と言って即日辞任、その志を「帰去来の辞」に記す。


「帰去来の辞」の冒頭

「帰んなんいざ。田園将に蕪(あ)れんとするに胡(なん)ぞ帰らざる。既に自ら心を以て形の役と為す、奚(なん)ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまんや。已往の諌(あらた)むまじきを悟り、来者の追ふべきを知る。実に途に迷ふこと其れ未だ遠からず、今の是にして昨の非なるを知る。」

田園の旧居は荒れ果てようとしてゐる、どうして帰らずにをられようか。みづから精神を肉体の奴隷にしておいて独り嘆きに沈まうとは、まことに自業自得。過誤多かりし既往のことは詮方もない、もはや悲しみを擲ち、来るべき日日を必ずや自分の心に素直に従つて生きよう。


宮仕えが嫌になって辞める。

まあ、今で言う所の脱サラですね。

で・・・・こんな詩を書いたり。


野外 人事罕に            野外人事まれに
窮巷 輪鞅少し            きゅうこうりんおうすくなし
白日 荊扉を掩い           白日けいひをおほい
虚室 塵想を絶つ           きょしつじんそうをたつ 
時に復 墟曲の中           ときにまたきょきょくのうち
草を披きて共に来往す        草をひらきて共にらいおうす
相見て雑言なく             相見てぞうごんなく
但だ道ふ桑麻長ずと          ただいふそうま長ずと
我が土 日に已に広し         わがど日にすでにひろし
常に恐る 霜霰の至りて        常に恐る  そうさんのいたりて
零落して草莽に同じからんことを   れいらくしてそうもうにおなじからんことを








田舎のことでうっとうしいつきあいもない
道も狭いからいやなお役人の車もこない
お日様が柴の門を照らしていて
がらんとした部屋にいれば俗念も起きない
草むらのなかの道で村人に会えば
ただ桑や麻がのびたねと挨拶するだけ
自分の畠も大分広くなった
霜がおりたりあられが降ったりして
せっかくの作物が枯れなきゃいいが



または・・・・こんな詩を書いたりしております。



「飲酒」 陶淵明 

結廬在人境 庵を俗界にむすぶも

而無車馬喧 訪れる人も無く煩わしさはない

問君何能爾 君に問う何故このように静かに暮らせるのか

心遠地自偏 心俗事を離れなば地自ずと辺境なり

采菊東籬下 まがきのもと菊を摘み

悠然見南山 悠然として南山を見る

山気日夕佳 山氣日夕に佳く

飛鳥相與還 飛ぶ鳥相伴いて帰る

此中有真意 此のうちに真意あり

欲弁已忘言 語らんとすれどすでに言葉はいらぬ






漱石の草枕では以下のように書かれる。

「うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したものがある。

採菊東籬下、悠然見南山。

ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣ねの向こうに隣の娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的の利害損得の汗を流し去った気持ちになれる。

獨坐幽篁裏。弾琴復長嘯。深林人不知。明月来相照。(王維)

ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。淵明・王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人間の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹薮の中に蚊帳も釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は売りかこして、生えた筍は八百屋え払い下げたものと思う。」

まあ、東大などの教職を辞して作家となった漱石の気持ちもわからないでもないですが・・・・鋭い考察ですし・・・

帰去来辞の4段にはこうあります。


「もうこれまでだ。この肉体をこの世の中にとどめることは、あとどれほどであろうか。(もはやどれほどもない。)どうして心を自然の成り行きに任せようとしないのか。(そうすべきである。)どうしてうろうろとしてどこかに行こうとするのか。(そんなことをしてもしょうがない。)金持ちになったり高い身分になったりすることは、私の望みではないし、仙人のいる不老不死の世界に行くことも期待できない。(ただ)よい時節を思って一人出掛け、時には、ついている杖を地面に突き立てて、野良仕事をしよう。東の丘に登っては、ゆるやかに歌をロずさみ、清らかな流れに臨んでは、詩を作る。しばらくは自然の変化に身を任せて命の尽きるままにしよう。あの天命を楽しんで、またいったい何を疑おうか。(何も疑うものはないのである)。」


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月13日

川島芳子

日本名「川島芳子」は、1907年に清朝粛親王の王女として生まれる。

日本人「川島浪速」の養女となり日本で教育を受ける。

清朝復辟=満州国建設のために日本軍に協力し、戦後1948年中華民国政府によって「漢奸」として訴追され刑死。存命説もある・・・・・

軍服を着た男装の麗人として一世を風靡する。

「十五夜の娘」、「蒙古の唄」などのレコードを出し、作詞者としては1933年に川島芳子作詞、杉山長谷夫作曲、東海林太郎唄の「キャラバンの鈴」というレコードを出している。

「キャラバンの鈴」

広い砂漠を はるばると
駱駝に乗って キャラバンは
雪を踏み踏み 通うてくる

村に残した 恋人に
別れのしるしと おくられた
鈴は駱駝の 頸(くび)で鳴る

雪の砂丘に 月させば
別れた宵の 想い出に
駱駝の背(せな)で ひく胡弓(しょうろ)

鈴を磨いて 若人は
遠くはなれた 故郷(ふるさと)の
娘の指を 夢に見る


以下貼り付け。

同年には、小説『男装の麗人』を連載していた『婦人公論』本誌に、独占手記として「僕は祖國を愛す」を掲載させ、1940年には自伝『動乱の蔭に』を出版している。また「昭和の天一坊」と騒がれた相場師・伊東ハンニや右翼の笹川良一と交際したり、天津で中華料理屋を経営するなどしている。

世間から注目され一見華やかな存在であった芳子は、深い孤独を抱えていた。芳子は満洲国が清朝の復辟ではなく日本の傀儡国家に過ぎないことが明らかになると、日本軍(関東軍)の満洲国での振る舞いなどを批判するようになり、軍部からは危険人物として監視されるようになった。暗殺計画もあったという。1939年頃には療養のために福岡に滞在している。この頃から孤独感に満ちた短歌を書くようになる。それらは私的に書かれたもので長く公表されなかったが、没後50年以上を経て歌集『真実の川島芳子』として発表された。また福岡滞在時代に交流した女性が芳子との思い出をつづった『孤独の王女川島芳子』を2004年に出版している。福岡での療養後、芳子は北平(北京)に戻り、そこで終戦を迎える。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E8%8A%B3%E5%AD%90


『李香蘭私の半生』では、以下のような記述がある。


「大きな円卓を囲んで数人のお客たちと食事をした。その時の異様な光景が 忘れられない。食事中、川島さんは突然旗袍の裾をパッとまくり太ももを出すと、 かたわらの引きだしから注射器を取り出してすばやく注射した。それは白い液体だった。

「これをやるからね、ボクは水を飲んじゃいけないんだよ」

この川島さんの言葉はいまでも耳にこびりついている。」

日本人ばかりか、中国人からも自国のスターとして爆発的な人気を博ししていた李香蘭(山口淑子)が満州電影時代に撮影された映画「萬世流芳」のなかで歌った曲に阿片窟にいる青年に阿片を吸うかわりに甘い飴をすすめる詩というのがある。

李香蘭(山口淑子)「売糖歌」



売糖歌

阿片のお盆は立派で綺麗 阿片の煙はいい香り

阿片のパイプは精巧で 阿片の煙はこがね色

どれくらいの素晴らしい時間を奪ったことか

どれくらいの人の姿を変えてしまったことか

歯は漆を塗ったように黒くなり 口は四角くなり

背中は弓のように曲がり 肩はすくみ

涙と鼻水は絶えることなく流れつづける ああ・・・・・・

あなた、魂を迷わす火を早く吹き消して

あなた、自分を殺すパイプを早く下に置いて

好みを換えて 私の飴を買って

甘いか苦いか自分で試してみて

飴はいかが?

飴を買ってください

飴はいかが?

飴を買ってください



1948年中華民国政府によって「漢奸」として訴追され銃殺された時点で遺骸のポケットから一枚の紙切れが出てきた。


家あれども帰り得ず

涙あれども語り得ず

法あれども正しさを得ず

冤あれども誰に訴えん


芳子が昔から口ずさんでいた詩だという・・・・


享年四十一歳


芳子が獄中から秘書小方八郎に宛てた手紙。

「僕がほんとうに死んだら、君とおやじと僕の骨をひろって、福ちゃん(可愛がっていた猿の名前)と掘り出して埋めてくれな。僕は人間とは一所に死度くない、猿と一所でけっこうだ、猿は正直だ、犬も正直だ、ポチはどこへ行ったかね、今頃は寒い事だろうね、猿も犬も没収する国家は珍しいね、ずい分ひどい所だ。」

猿を飼っていた芳子は、飼っていた猿こそが「僕の一番の命であったと俗物だらけの世の中だ。」と同じ手紙に記す。

裁判での死刑求刑の日には

「わたしの過去は、ようするに全てが、中国の老百姓(民衆)のためと思ってしたことである。考えてもみよ、中国には民国革命が行われて以来、一日として安居楽業する日がなかったでないか。」

法廷では、自分の部下の罪が軽くなるような証言をする。


芳子が逮捕された時に一緒に逮捕され、 その後釈放された小方八郎さんは釈放、芳子のために助命嘆願をした。


芳子は、中国式に背後から銃殺され顔がグチャグチャだったという・・・だから銃殺されたのは替え玉で川島芳子は、生きているという説も流布する。


真偽の程は定かでないが日中両国をまたにかけ生きた、様々な事を知りすぎた女が口封じのために殺されたのでは?というのが僕の印象である。

そして、時代を生き抜いた人でもあるよなあ・・・・と感嘆するのでありました。


(-∧-)合掌・・・

nohohonkoubou at 11:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2007年11月12日

歴史の重さ

ぼくちゃんが死んで「しろきち」も元気ない。

「しろきち」は、病に倒れた「ぼくちゃん」に顔をなすりつけ何回も「フゲウゲ」と鳴いていた・・・・元気だしなと言っているかのように・・・

「しろきち」も下痢をしている・・・病気じゃなければ良いが・・・

新入りの「長ネギ(仮名)」は、「しろきち」が近づくだけで大騒ぎして鳴く。


気分転換にゲームなどをする。「大神」といって日本の昔話に材をと取ったなかなかのゲーム。

イザナギ、イザナミにヤマタノオロチに花咲爺などなど・・・・



読書の方は、ずっと近代に目が行く。

集英社のシリーズ「人物日本の女性史」第11巻 自由と権利を求めて

このシリーズには、菅野スガや伊藤野枝にからゆきさんに女工哀史・・・・うなだれるばかりの内容でこれまたブックオフで100円だった。

同じく集英社のシリーズで「近代日本の女性史」第8巻 自由と権利と信仰と

こちらは、大本教の教祖「出口なお」が登場する。

不敬罪でっち上げの警察権力による大本教の弾圧も近代史の大きな出来事で僕は、この出来事を当時大本教に居た「生長の家」教祖谷口雅春の「生命の実相」で若い頃に読んだ。




「婿養子に来ていた父が私の生まれぬ先に帰ってしまい、母は七歳のおり水死を遂げ、たった一人の祖母がまた十三歳のとき亡くなったので私は尋常五年限り小学校を止(よ)さなければならなかった。そして十三の春、機家(はたや)の小僧になって自活生活に入ったのを振り出しに、大正十二年まで約十五年間、紡績工場の下級な職工をしていた自分を中心として、虐(しいた)げられ蔑(さげ)しまれながらも日々「愛の衣}を織りなして人類をあたたかく育(はぐ)くんでいる日本三百万の女工の生活記録である。地味な書き物だが、およそ衣服を纏(まと)っているものなれば何びともこれを一読する義務がある。そして自らの体を破壊に陥れる犠牲を甘受しつつ、社会の礎(いしずえ)となって黙々と愛の生産にいそしんでいる「人類の母」━彼女たち女工に感謝しなければならない。」


『女工哀史』冒頭の「自序」で著者の細井和喜蔵は、上記のように書く。『女工哀史』初版本は1925(大正14)年7月、改造社から出版され本が出て一ヵ月後に細井和喜蔵は28歳の若さでこの世を去り、この年に治安維持法と普通選挙法が施行される。


普通選挙とは、言っても女性に参政権が無く、女性とアイヌ民族に参政権が与えられたのは、だ2次大戦後の新憲法下である。

様々な形で残される日本の底辺の近代史は、悲惨の一語に尽きるかと思う。

いわゆる、近代の労働の基本は、「蛸部屋」なのだ。

植民地化の脅威と日本の近代史。

上記の集英社のシリーズは、女性が女性のために本当に「良い仕事」してるかと思う。

男性の僕としては、様々な悲惨な死に方をした女性たちの怨嗟の声を聞いているようだった。

そして何より僕が感じるのは「歴史の重さ」である。

今僕が生きていられるのは様々な人々の苦労があっての上であるという「重さ」である。


そして江戸時代から続く底辺の庶民の暮らしぶりを顕す唄にこんなのがある。


「コンコン小雪」作詩 槇本楠郎 作曲 戸部香

坊やよ 坊やよ よくお聞き
父さん 小さい その時は
お腹がすいても お米がない
コンコン小雪の降る晩は
一人で田んぼの雪見てた
コンコン小雪がお米なら
どんなに気ままに食べられように

坊やよ 坊やよ よくお聞き
母さん 小さい その時は
寒うても着物は ただ一つ
コンコン小雪の降る晩は
一人でお屋根の雪見てた
コンコン小雪が綿ならば
どんなにぬくぬく着られように



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月11日

我が良き友

e1ae15ba.jpg11月10日土曜日の朝に大量の下血をしたぼくちゃん。

その後、水も受け付けず・・・・・痛みのせいか、何回も唸りつつ這い回り、歩こうとする姿が痛々しかった。

スポイトで口の中に水を差すと少し穏やかになる。

そして、僕も寝る。

昨夜未明・・・・11月11日日曜日に日付が変わりしばらくして吐血して永眠する。

一緒に寝ていた。

目が覚めたら冷たくなっていた。

こてつ、ねぎ、たぬきち、クー、ぼくちゃんとこれで5匹のフェレットの最後を看取り庭に埋める。

死ぬ時必ず見るのが、いたちの10か条。

まあ、いたちの10か条を守れたのでよしとする。



「いたち十か条」

1、私の生涯は5年から8年くらいしかありません。
ほんの少しの時間でも あなたと一緒にいたいのです。
私を家族の一員としてお迎えする前にどうかその事を考えて下さい。


2、「あなたが私に望んでいる事」を私の中で理解できるように
なるには時間と手間が必要です。


3、私と会話して、そして遊んでください。
それだけで私の心は満足し満ち足りた気持ちでいっぱいになります。。
そして一緒の時間の中で私を意味も無く叩いたり叱ったり、
閉じ込めたりしないで下さい。
あなたには、生きていて色々な楽しみがあるでしょう。
でも、私には、あなたしか頼れる人がいないのです。


4、私にいっぱい、いっぱい話し掛けて下さい。
たとえ、あなたの言葉そのものはわからなくても
私に話しかけているあなたの心で理解している私がいます。


5、あなたが、私の事を、どんな風に扱っているのか気づいて下さい。
あなたの愛情も あなたの言動も私の胸に響きます。


6、私を意味も無く叱ったり叩いたりする前に思い出してください。
私は あなたより身体が小さく、とても無抵抗だと云う事を。
でも、あなたの手に簡単に穴を開けるくらいの牙を持っているということを。


7、私の事を、「云うことを聞かない」「頑固者」「馬鹿いたち」と叱る前に、
私がそうなる原因が何かないかと あなた自身考えて下さい。
適切な食事を与えなかった?
日中、太陽が照りつける暑い場所に置かなかったか?
他の子ばかり可愛がっていなかったか?言葉の暴力が無かったか?


8、私が年をとっても病気になっても、 どうか世話をして下さい。
あなたも同じように年をとるし病気にもなるのです。
その時のあなたの気持ちを想像して私の言葉を聞いて下さい。


9、最後の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい。
「見ているのが辛い」とか「私のいないところで逝かせてあげて」
なんて決して言わないでほしいのです。
あなたの匂いのする場所で、あなたが傍にいるだけで、
私は どんな事も安らかに受け入れられます。
そして どうか忘れないで・・・・私があなたを とても愛している事を。

10、空に旅立った私を思って泣かないで。
私は抱えきれないくらいの愛情と云う見えない宝物を持って逝ったのです。
だから・・・・泣かないで。
私の好きだったあなたの笑顔が もう一度 見たいから。
いつかあなたの元に また戻ってくる日まで・・・再見


http://plaza.across.or.jp/~zoa54787/itachino.htm


励まして応援してくれた皆様ありがとうございます。

「ぼくちゃん」は、幸せなフェレットだったと思います。

そして僕自身にとっては、相棒であり我が良き友でした。


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月09日

731

昨日は、職場に行くとファックスが届く、先日の共同通信の妖怪ライブの取材記事が掲載された新聞が届く。

共同通信記者の多比良さんが来て送ってくれたものだ。

感謝。

静岡、山形・・・・まだ載るそうだ。

反響が楽しみ。




夜7時過ぎに職場に電話が来て、知人より「自分の家で飼っているフェレットが事情があって飼えなくなったので引き取ってくれないでしょうか?」という電話が来て。

その人の家に引き取りに行く。

以前飼っていた「ねぎ」に似ている。


家中を駆け回りほぼ寝たきり状態の「ぼくちゃん」をいじり回すので「新入り」を昨夜はゲージに入れる。

今朝方ゲージから出すとあちこちを飛び回り元気一杯だ。

闘病中の「ぼくちゃん」の方は、呼吸困難に四肢麻痺に危ない状況が続く。

あんまり苦しそうなので身体をさすると涙を流す「ぼくちゃん」

そんな看病も辛いものである。

食事を食べたり食べなかったりで昨日は、久しぶりに大量に食べたので急変したりはしないかと思い一安心だ。

血便が今朝は無い。



もうダメだろうなあ・・・という状態が何回かあった。

いわゆる死線って奴だ。

これを何回か乗り越えた「ぼくちゃん」

必死に生きようとする姿にうたれる。



読書の方は相変わらず満州ものを読む

「証言・731部隊の真相―生体実験の全貌と戦後謀略の軌跡」広済堂

ハル ゴールド (著), Hal Gold (原著), 浜田 徹 (翻訳)


以前見た「黒い太陽」という731部隊の再現映画の事実検証的な本。

似たような題材の森村誠一の「悪魔の飽食」は、僕が小学生の頃に流行し衝撃的だった。

以下ウィキより貼り付け。


731部隊は捕らえた多くの中国人、モンゴル人捕虜等をマルタ(丸太)と呼称し、人体実験・生体実験に供したと言われている(「悪魔の飽食」による。この書物の真偽はここでは問わない。)。終戦後にソ連・中国が行なった調査では、犠牲者数は3000人以上とも推定されている。 毒ガス・細菌兵器等の使用は国際条約で禁止されていたが、のちに同部隊の部隊長となる石井四郎は、軍事技術研究のために欧州各国を周遊後、それらの有効性(特にそのコストパフォーマンスに関して)に注目し、帰国後に化学兵器や細菌兵器が日本にとって有用であるとし軍部に働きかけ、防疫研究室設置された。

一方、BC戦術を使用する側にとっての観点において防疫活動が重要な要素であり、一般戦術においても有用であることから、これを主に軍内部のおいての名目とし、防疫給水部の名称で組織が発足することになる。表向きの看板とは言え、防疫活動は防疫給水部の重要な研究要素であり、731部隊においても防疫活動研究班が設置され成果を挙げている(石井式濾水機は実際に部隊運用されることになる)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A


以下は、「証言・731部隊の真相―生体実験の全貌と戦後謀略の軌跡」より抜書き。

「二人の男がマイナス40度から50度の部屋に入れました。研究者達が彼らが死に至るまでのプロセスを克明に映画に撮りました。二人の被験者は苦痛に耐えられず爪を御互いの肉体に食い込ませました。強烈な叫び声を上げました。しかし我々は、被験者(まるた)を人間と見なしてなかったのです。ただのまな板の上の肉の塊だったのです。」

「日本が占領する満州で、731部隊は中国人、ロシア人、オーストラリア人、アメリカ人、英国人の戦時捕虜を生物・化学実験の目的で使った。生体解剖、炭そ病、コレラ、チフス、ペストおよびその他の伝染病菌に意図的に感染させ、人間のこれらの病菌に対する耐性を研究したり、爆弾破裂耐性実験、温度に対する耐性実験、等々を人間モルモットとして使ったのである。」

「朝鮮戦争時、米軍に大量の血液製剤の需要が発生した。このチャンスを捉えて内藤、北野、二木のトリオは日本初の血液銀行の設立に踏み切った。それは1951年の事である。米軍からの大量購入により会社は大いに潤った。」

「この血液銀行は後に『ミドリ十字』と名称を変え、成功への道を辿る。この会社は今では日本でも指折りの製薬会社に成長し、海外進出を行い、米国にもオフィスを構えるに至っている。」

「1988年、米国の研究者グループが、同社が米国から日本向けに輸出した汚染血液製剤により、日本に18名のエイズ患者が発生している事を発見した。

同年5月、2名のエイズ患者が同社を相手取って訴訟を起こした。ここに山口博士という開業医がおられる。この方は731部隊とその行為の結果が今日の日本の医薬品業界にいかに影響しているかについて講演活動を行っている。山口博士は、その講演の中で、自分の信じる事実として、ミドリ十字社はエイズ・ワクチン開発計画の一環として、全てを承知の上で汚染血液製剤を輸入・販売したとして同社を糾弾している。ワクチン開発に成功すれば天文学的な利益が期待できる。政府の認可を得るには、人体における成功例を示さなければならない。」

「エイズと生物戦争との関連について山口博士は、エイズは猿類と人類の関連から説明する正統派的考えを否定する少数派の声に付け加えて言う。『フォート・デトリック(米国軍隊の中枢部がある)で計画中の生物戦争計画の一部として開発され、それが何かの原因で外部に流出したと考える方がずっと易しいのです』と。あるフォート・デトリックの研究者が、今後10年以内に、米国はこれまでのいかなる武器よりも破壊的な生物兵器を開発しているであろう、と言う主旨の発言をしたと言われている。そしてこの発言から丁度10年後にエイズが出現したのである。山口博士によれば、フォート・デトリックがエイズの発祥地と考える方が遥かに科学的かつ現実的な説明である。」


とこれらの事柄は、僕にとって新しいことは何一つないのだけれど、アメリカとの司法取引によって命が助かった人々が似たような犯罪に手を染めていく日本の戦後史、これは、やはりこの国が自らの非を認められなかったことから来るのでは?

隠匿され続けた歴史と明かされる歴史の狭間でわが国の闇の系譜ともいえる事象が現在の薬害肝炎を起こした旧ミドリ十字「現田辺三菱製薬」まで繋がるのだ。

これらは、この国の戦後の事象の大抵の事柄に共通するかと思う。

不思議とわが国の理系のエリートが行った犯罪として731部隊の残虐とオウム事件は似通う。

人間を人間と思えない「マルタ」という考え方は世界史の随所に見受けられる人類の業病かとも思うし現代日本においても急速に広がりを見せる。

そんなことを考えているとナチスによるユダヤ人大虐殺の真実に迫るドキュメンタリー作で当時、実際にユダヤ人虐殺に関わっていた人物などが当時の様子を証言する『ショア』というクロードランズマンの作品を思い起こす。


この映画では、第2次大戦当時ポーランドのナチスドイツの強制収容所のすぐ脇で農作業をしていた人にインタビューするシーンがある。


農民「恐ろしい叫び声が聞こえてきたよ」

ランズマン「叫び声が、そんな間近から聞こえてきても、平気で働けたんですか?」

農民「初めのうちはほんとに、やりきれなかった。でも、しばらくすると、慣れるもんでね」

ランズマン「どんなことにでも?」

農民「ああ」



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月08日

アヘンの闇

ケシ類の栽培より精製できるアヘン、現在、アヘンはほとんどヘロインに加工され、ブラックマーケットで取引される。ヘロインはジアセチルモルヒネのこと。


「上海屈指の豪商サッスーン一族は、18世紀初頭イラクのバグダッドに出現したスファラディ系ユダヤ人である。当時の大英帝国の東方進出に協力して、まずインドのボンベイに拠点をかまえた。やがて東インド会社が支那にアヘンの密輸を開始すると、その取引に荷担して莫大な富を蓄積した。

19世紀半ばアヘン戦争に破れた清朝が上海に租界の設置を認めると、時を移さず上海に進出し、アヘンを含む物資の売買を開始した。そして、わずか1世紀足らずの間に、金融、不動産、交通、食品、重機械製造などを傘下に擁する、一大コンツェルンに成長した。」西木正明著『ルーズベルトの刺客』


大英帝国は、清からの茶の輸入の急増に伴う銀の流出を食い止めるため、苦肉の策を生み出した。

英国製の綿製品をインドに送り、インドからはアヘンを中国に密輸し、その対価として銀を中国からイギリスに送るという三角貿易である。

大英帝国の繁栄はアヘンに拠る所が大きい。

大英帝国によるアジアの植民地化の戦略としての戦略物資としての「アヘン」これで清で何が起こったか?と言えば大量の銀の流出とアヘン中毒者の大量発生であったろう。

当然のように清国がアヘン輸入禁止令を出した。

そして「アヘン戦争」(1840年)が勃発する。

敗れた清国は、南京条約により上海など5港の開港と香港の割譲、さらに賠償金2億1000万両を支払わされ、イギリスをはじめ列国の中国侵略の足がかりをつくることになる。

幕末の日本にこの戦争がどう伝えられたか?

そして明治維新後の日本の針路に深く影響を与えた事は間違いないだろう。

アジアの多くの国が奴隷化植民地化していく中で日本だけが西洋崇拝化=西洋への劣等意識を深めていく。

日清戦争に日韓併合ロシア戦争にロシアの南下、ロシア革命、そして中国との泥沼の戦争に突入する日本。


「事変当時、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を盾に、日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと思っていたという。まったく笑い話のような滑稽談さえあった。

戦前に、ある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸が翻っているのをみて、『日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか』と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。…」池田純久著『陸軍葬儀委員長』


「軍部を無謀な日中戦争に踏み切らせた心理的理由の1つとして、中国の軍閥たちが独占するアヘン利権を武力で収奪することにあったことは確かだった。
  
アヘン戦争でイギリスのジャーディン・マセソン商会やサッスーン商会は、アヘン販売の利権を独占的に手中におさめることによって、巨万の富を得た。満州におけるアヘン漸禁主義と専売制度は、満州帝国経営の基礎的資金となったばかりか、特務機関や憲兵隊の豊富な謀略資金ともなった。」

「日本の高度経済成長のグランドデザインは、かつての満州国を下敷きにしてなされたような気がする。時の総理大臣として、高度経済成長に向け号砲を打ったのは、将来の総理大臣を嘱望される安倍晋三の祖父の岸信介である。その岸が産業部次長として満州に赴任し、満州開発五カ年計画を立て満州国の経済政策の背骨をつくって、後に「満州国は私の作品」と述べたのはあまりにも有名である。

世界史的にも類をみない戦後の高度経済成長は、失われた満州を日本国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか。そんな思いが私をきつくとらえていた。戦後高度成長の象徴である夢の超特急も合理的な集合住宅もアジア初の水洗式便所も、すべて満州ですでに実験済みだった。」


「〈わが国の阿片問題について語るとき、避けて通ることのできないのが、「里見機関」(宏済善堂)の存在である。主宰者の里見夫(リーチェンプ)(東亜同文書院十三期=大正五年六月二十五日卒業 昭和四十年三月二十一日歿、享年六十八歳)は、戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として、巣鴨拘置所に収容されたが、何故か無罪放免になった〉
 
里見夫とは、里見甫の中国名である。
 
里見のプロフィールを冒頭でそう簡潔に紹介した月報には、満州と阿片の関係や、里見と甘粕との関係も的確に述べられており、短文ながらそれを書くための知識と情報のおびただしい埋蔵量が感じられた。」佐野眞一著「阿片王―満州の夜と霧―」

戦時中、中国大陸で北支那方面軍第一軍で司令官を務め、満州の利権を終戦時まで支配した人物に澄田來四郎がいる。

児玉機関の元締め児玉や岸などがそうであったように大陸において悪事の限りを尽くしたのに助命されたのは、おそらく澄田一族がアメリカに忠誠を誓ったことと満州利権による財宝のためであろうと思われる。

まあ、悪の元締め大英帝国も裁かれてないわけですが・・・・

來四郎の息子、澄田登は1984年12月、日本銀行総裁に就任後。1985年、「日米経済摩擦」、「電電公社と国鉄の民営化」、「アメリカ金融界の日本上陸」1985年10月、アメリカ大手のモルガン・ギャランティー・トラストとバンカーズ・トラストが、11月にはチェース・マンハッタン銀行が、12月にはシティーバンクが、翌86年2月、メリル・リンチが日本の金融市場に上陸した。

 
明治維新のほうで見ていくと坂本龍馬や、長州・薩摩の藩士を後押ししていたのは「ジャーディン・マセソン商会」だが、その資金源は、アヘン利権である。ここからジャーディン・マセソン商会長崎代理店長グラバーと坂本龍馬の武器輸入である黒い貿易関係も浮かび上がる。

星新一の著作「人民は弱し 官吏は強し」には、ドイツの塩酸モルヒネ製造装置を入手した星製薬は、台湾総督府や内務省からそれほどの抵抗を受けることなく台湾にモルヒネ製造工場を開設し、このモルヒネ利権に関する攻防が描かれる。

そして現代に近い似たような話なら麻薬大国北朝鮮とオウム事件との関係という話も思い浮かぶ。

南北アメリカ大陸におけるコカインを巡る歴史も似通う。

わが国においては、風邪薬として売られていた「ヒロポン」=覚醒剤。

これらの利権が戦争と深く結びつき、現代においても状況はさして変わらないのだという思い。

そんなことどもを思い起こせば。

大杉栄を殺したとされ満州に渡った甘粕大尉が自殺した場に残されていた辞世の句を思い起こす。

「大ばくち まけて元手も すっからかん」

まあ尽きる所、この世界と歴史と我々の闇は底知れぬほど深いのでしょう。


(-∧-)合掌・・・

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2007年11月07日

からゆきさん

太平洋戦争以前に東南アジア地域に旅行した者たちが必ず目にしたものは、英国旗、中国人の苦力「中国人奴隷」、日本の「からゆきさん」であったなどと言われている。

「からゆきさん」とは、唐行き、の漢字を当て、要するに売春婦として国外に売られた女性たちの総称である。

からゆきさんを多く出した地域が長崎県の島原地方、熊本県の天草地方である。

徳富蘇峰の書いた。近世日本国民史に、秀吉の朝鮮出兵従軍した記者の以下のような文章がある。

「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」

日本人を奴隷として輸出する歴史は、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くも始まったと思われる。

16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。

当時の日本人女性50万人が奴隷として南蛮貿易と呼ばれ売買されていたという数字がある。

白人国家の植民地主義と奴隷貿易が盛んだった・・・・・・十字架と拳銃と奴隷貿易の時代だ。

天正15年(1587年)6月19日、豊臣秀吉はバテレン追放令を発布。十条で日本人奴隷の売買が禁止され関が原の戦いを経て日本は鎖国の時代へ進む。

日本には室町時代から続く公娼制「女性を廓に閉じ込める管理売春」があり、親が娘を売って、受け取ったカネで生計を立てていく風景は珍しくなかった・・・・そんな時代の先に江戸幕府による吉原の花魁女郎が誕生したり、鎖国の終わる江戸時代の末頃より「からゆきさん」さんたちが誕生する。

江戸時代の末から明治・大正、昭和の初め頃まで、世界中で「からゆきさん」が娼館で働いていたという。

日本国内の繊維工場の女工とからゆきさん。僕は、日本近代化の人柱は、これらの女性たちだったかと思う。


そんな情景を唄う『島原の子守唄』という子守唄がある。

以下、貼り付け。





(1)
おどみゃ島原の
おどみゃ島原の
なしの木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら
色気なしばよ ショウカイナ
はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
の池ん久助どんの 連れんこらるばい

(2)
帰りにゃ寄っちょくれんか
帰りにゃ寄っちょくれんか
あばら家じゃけんど
芋飯や ん飯 芋飯や ん飯
飯ばよ ショウカイナ
嫁ごんながくれた
つけたら あったかろ

(3)
姉しゃんないたろかい
姉しゃんないたろかい
青煙突のバッタンフール
唐はん 唐はん
海のばよ ショウカイナ
泣く者ながねかむ オロロンバイ
あめ型買うて引っ張らしょ

(4)
んはも
んはも
のはめちょらす
金なん金 金なん金
金げなばよ ショウカイナ
オロロン オロロン オロロンバイ
オロロン オロロン オロロンバイ

(5)
山んはかん火事げなばい
山んはかん火事げなばい
サンパン船な与論人
姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で
船ん底ばよ ショウカイナ
はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
オロロン オロロン オロロンバイ

(6)
沖の 
沖の
燃えては消える
祭りの 祭りの
笛や太鼓も鳴りやんだ
オロロン オロロン オロロンバイ
オロロン オロロン オロロンバイ


http://www.karayukisan.jp/index.html



標準語バージョン以下貼り付け。



(1)

私は、島原の貧しい家の育ち
色気なんてないから人買いに連れて
いかれることもないでしょう
泣かないで早く寝てちょうだい
早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの
久助どんが連れにくるよ


(2)

帰りには寄って下さいね
あばら家で白飯は出せないけど
粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ


(3)

人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて
山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で
沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。
姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。
泣く子はカニに噛まれるよ。
泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ


(4)

姉さんはどこへ行ったのだろう?
青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?
海の果てだろうか
早く寝なさい、泣かないで


(5)

あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる
あの金はどこの金だろうか
外国から持ち帰った金だろう
お嫁さんの口紅は誰がくれたの?
燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう


(6)

有明海の不知火は燃えては消えるよ
バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ
泣かないで早く寝てちょうだい
泣かないで早く寝てちょうだい


http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShimabaraKomori.htm



こういう事象の先には、「ジャパゆきさん」という現代の言葉が生まれた。

日本に売られてやってくるアジアの様々な女性たちの総称だ。

島原の子守唄に唄われる情景は、昭和の初期頃までは、当たり前の光景だった。

親が娘を売って、受け取ったカネで生計を立てていく風景は珍しくなかった。

国が、そういう権限を親に認め「家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行」と世間はみるのが普通で当たり前の時代だった。

醜業婦、賤業婦、密航婦、島原族、天草女などという言葉が残る。

人身売買や売春窟は、女衒「ぜげん」と呼ばれる職業上の言葉が残るように一大産業だった。

女性と生糸の輸出で軍艦を作った日本の近代史という見方も出来るかと思う。

これに加え、日本の国策としてのアヘンの栽培と輸出などによる日本人によるアジアの植民地経営による悲劇的な関わりも詳述される「大河ながれゆく」林郁著という本を読む。

女を売るのも国のためという時代の話である。

良い仕事があるよと騙す女衒に騙される貧しい人々。

国家やマスコミや企業詐欺師による「騙す騙される」という関係性は現代においても何ら変わりないかと思う。

「大河ながれゆく」には、浦塩節、浦潮節などと呼ばれる、明治の時代にウラジオストックに売られた女性の間で流行る唄が紹介される。

「オロシャは、怖いし、マンザは臭し、粋な日本人に金がない

日本の親さん起きてか寝てか 思い出してか忘れてか

早く行きたい日本の島へ・・・・・後略」

などと唄われる。
 

従軍慰安婦などという造語や近年の不毛な論争の背景に何があるのか?

などということどもを思いつつ、(○ ̄ 〜  ̄○;)ウーン・・・ と唸りつつ。

ヨレヨレとなった、相棒のフェレット「ぼくちゃん」の看病をする朝なのでありました。





(-∧-)合掌・・・

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2007年11月06日

いのち

この数日で相棒のフェレット「ぼくちゃん」は、急激に衰弱し麻痺も進行してほとんど歩けなくなる。



やはり、アリューシャン病だろう。

アリューシャン病の様々な症状を眺めつつ思う。

ぼくちゃんの最初の以上が変な咳だった。



くしゃみ、鼻水や咳に見られる上部気道の呼吸障害や四肢麻痺

多くの感染したフェレットは、死のしばらく前まで無症状である。
症状が似ている別の病気と間違われることもある

体重減少・元気消失傾眠傾向、食欲不振、慢性的な消耗性疾患などの普通は起こりえない症状が出る。

運動失調や四肢麻痺、黒いタール状のフン(血便)しばしば、貧血、血小板減少、もしくは白血球減少皮膚の出血が起こり、二次感染の様々な合併症を引き起こして、生命の危機に陥ります。


ほぼ、歩けなくなり、血便が出始めたこの数日はどうしようか?と思い。

とりあえず予定を全てキャンセルしてずっとそばに居て看病する事にする。

治療法は無いので体力と運任せだ。

昨日の朝は、わざわざ宍戸先生から電話があり、気功をしに来てくれる。

あたたかな日差しの中でぼくちゃんとひなたぼっこなどもする。



粉末状の天然ものの「やぎのミルク」を買いに行き、カバノアナタケを煮出した汁で溶きぼくちゃんに食べさせる。

これだと、食欲不振でカバノアナタケ茶を飲まないぼくちゃんでもやぎの乳の甘さに釣られて食べる。

完全な栄養と免疫力を上げる食事としてはこれ以上の食事療法は無いだろう。

とりあえず今の所は、おいしそうに食べてくれる。



呼吸障害がひどく、空気清浄機によって酸素濃度を上げた空気をぼくちゃんに送る。

これは、以前同じ病で倒れた「ねぎ」の闘病時を思い出して試してみる。

昨夜は、もうダメかなあ・・・という感じの危機が何回かあって。

とりあえず昨夜は危機を乗り越えたぼくちゃん。



気功も酸素吸入もあまり受け付けないぼくちゃん。

死期を悟っているのか?

それとも我々人間のように病気や死に対して抗わないだけか?

動物たちは、清冽で潔いのだ。


それにしても何度も何度も様々な死や病に立ち会っても。

苦しんでいる姿と寄り添うことは痛いのだ。

やはり、苦しみに満ちた現実は、受け入れ難いのだ。

そこに僕の弱さがあり、また人間の弱さがあるのだと思い知る。











命より大切なものはない

命より大切なものは何もないのだ

命が生きてくために生きている

理想や目標は

地面に手を付き命乞いをしなさい

命は本当にかけがえのないものだから

ずっと

いきてゆくことです

そのかわりと神は言った

おまえたちに空っぽをあげよう



などという業田良家の詩を思い起こしたり。



「けもの」

私は生まれ変わって動物達と暮らせたらと思う
彼らはとても穏やにそして自ら満ち足りている。

私は立ったままでいつまでも彼等をながめる
彼等はあくせくしていない
けっして自分の境遇を恨んだりしない。

夜眠れず目覚めていることもないし
自分の罪深さに涙を流すこともない。

私を難しい議論でうんざりさせることもない。

誰も不満を口にしない。
モノへの尽きない欲望で自分を見失うこともない。

ひとりひとりが対等であるし
はるか昔の祖先にひれ伏すなんて事もしない。

彼等は自分を飾らず、
この地球で不満を感じることもない。



などというウォルト・ホイットマンの詩を思い起こす。


そして僕の相棒のフェレット「ぼくちゃん」は、病におかされながらも本当に大切なことを僕に伝えようとしていると思う。



(-∧-)合掌・・・

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2007年11月04日

さすまた

保護担当 自衛策講じる区も(10/31 14:48)

暴力による被害を防ぐため、手稲区役所が購入したさすまた。区職員は「使いたくないが…」

 市民からの生活保護申請相談や受給者の家庭訪問などを担当する札幌市職員が、受給者などから暴力を受けるケースが過去五年間で十七件に上っている。職員にけがを負わせ、逮捕された受給者もおり、一部の区は今春、保護課に「さすまた」を配備した。暴力に訴える受給者はごくわずかだが、市は「職員の安全確保のため、やむを得ない」と話している。

 「左ひじ打撲で全治十日間」

 「罵声(ばせい)を浴びせられ、石を十数回投げつけられた」

 生活保護の窓口となる各区が市保健福祉局に提出した被害報告は生々しい。担当者は「暴力を振るうのは、ごく一部。それでも最悪のケースを想定しなければ」と苦しい表情を浮かべる。

 市によると、十七件のうち十件は「三日前に支給された保護費を消費者金融の借金返済に使ったので、再支給してほしい」など明らかな「不当要求」。市は「自分の主張が通らないと、激高する人が目立つようだ」と分析する。

 このため、手稲区と西区は今春、職員の身を守るため、長い棒の先に、二またに分かれた金属製の器具を付けた「さすまた」を配備。手稲区は暴力の恐れがある場合、すぐに室外へ逃げることができるよう、相談室のドアを外開きにしたほか、十一月六日に初めて護身術の実技講習会を開く。

 手稲区によると、二年前に長崎市で生活保護申請の相談中に職員がナイフで刺され、死亡する事件が発生してから、さすまたを配備する自治体が増えているという。職員は「あくまでも最終手段で、できれば使いたくない」と話す。

 一方、生活保護の申請者や受給者には「職員の対応が悪い」「苦しい実情を分かってもらえない」との不満がある。市は「じっくり相談を受けられる態勢を整えている。ただ、制度上難しいこともあるので、分かってほしい」と話している。(大能伸悟)


http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/58074.html


この記事を読んでなんだか江戸時代みたいだなあと思う。

「刺股」と書く「さすまた」は、U字形の金具に2〜3メートルの柄がついており、金具の部分で相手の首や腕などを壁や地面に押しつけて捕らえる。また先端金具の両端には折り返し部分が付いており、これを対象者の衣服の袖等に絡めて引き倒す際にも利用されるという。

元々は江戸時代に作られた物で、暴れる犯罪者を動きを封じ込める為に捕物用として使われた・・・僕は、時代劇やカムイ伝なんかを思い出す。


池田小事件やその他の不審者らによる学校侵入事件が相次いだ2002年より防犯グッズとして教育委員会や小学校が学校施設の防衛力強化に導入するところが増えたり、金融機関も強盗の被害から防衛する意図で導入する動きも見られるそうな。

これもひとつの伝統なんでしょうね。


さすまた道なんてのもあるのですね。↓

http://portal.nifty.com/virus/0119/


仕事柄、行政や市民の現場の様々な声を聞く。

なので、この記事上の

市は「自分の主張が通らないと、激高する人が目立つようだ」と分析する。

生活保護の申請者や受給者には「職員の対応が悪い」「苦しい実情を分かってもらえない」との不満がある。

というのを読んでまあ、そうだろうなあと思う。

様々なしわ寄せは、末端に行く。



以下のニュースも僕の目を惹いた。


【ニューヨーク=池松洋】米自動車大手クライスラーは1日、2008年末までに従業員を最大1万1000人削減すると発表した。

 今年2月に発表した1万3000人の削減計画と合わせ、約8万人の従業員の4分の1以上を減らす大規模リストラとなる。

 新たな削減計画の対象は、大半が工場従業員で、事務職も1000人減らす。また、契約社員も全体の37%を削減する。さらに、販売が低迷している4車種の生産を中止する。

 ロバート・ナルデリ会長兼最高経営責任者はリストラの理由について「この8か月間で自動車市場は劇的に変化した。今年の販売台数は想定を大幅に下回り、低迷は08年まで続く」と声明した。低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」の焦げ付き問題や原油価格の高騰の影響で、自動車の購買意欲が長く冷え込むとの見通しを明らかにしたものだ。

 クライスラーは、8月に米投資会社サーベラスの傘下に入り、大規模リストラの観測が出ていた。

(2007年11月2日1時20分 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20071101i517.htm?from=main5


このような産業の空洞化や失業問題がITバブルや今回の不動産バブルやひいては、アメリカの戦争の根本問題である失業問題である限り、このまま行けば、日本の近未来図でもあるだろう。

巨大な軍需産業における雇用の問題がアメリカの戦争には横たわる。


低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」の焦げ付き問題において、シティが、先月、7〜9月期決算でサブプライムがらみの損失65億ドルを計上して、大幅減益に落ち込み、CEOプリンス氏への批判が高まっていた。

シティを上回る約84億ドルの損失を出した米証券大手メリルリンチのスタンレー・オニール会長兼CEOが先月30日辞任したことで、プリンス氏への風当たりが一層強まり辞任したというが、まあ彼らは困らない。

とかげの尻尾きりみたいなものだろうし。

本当に困るのは、不況の中で失業していく人々だ。


様々なしわ寄せは、末端に行く。

シティは10月末、日興を日本初の「三角合併」方式で傘下に入れる契約を締結。08年1月29日に完全子会社化するはずで今月5日にはシティグループ本体の株式を東京証券取引所に上場する。

アメリカ資本の日本乗っ取りが今後どう展開するのか?

モルガンなど日本の不動産が買い時だと買い漁ってる。


そして様々な形で食い尽くされる日本人。


政府税制調査会は、企画会合を開き、社会保障財源として消費税率の現行5%からの引き上げが不可避とする意見が大勢を占めた。香西泰会長は会合後の記者会見で「(社会保障の財源に)不可欠の手段だ」と述べ、十一月末にまとめる答申に消費税率引き上げの必要性を盛り込む方針を示した。

このご時勢に消費税を引き上げれば、国民の不安は増すばかりだろう。

社会保障を食いつぶす霞ヶ関高級官僚側は困らず、様々なしわ寄せは、末端に行く。

ポツリポツリと年間3万人以上の人が小さな町ひとつの人口がそっくり消えていくくらい自殺者が発生するわが国なのだ。

そして生活保護申請相談や受給者の家庭訪問などを担当する末端公務員が「さすまた」を持つ時代がやってきたのだなあ・・・・と思うのであります。

まるで中世へ逆戻りするかのように・・・・・・


(-∧-)合掌・・・





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2007年11月03日

流行り唄

広瀬隆の「持丸長者」を相変わらず読み耽る。

お茶と絹糸の輸出によって外貨を稼ぐという日本近代史。

「ああ野麦峠」に代表されるような女工哀史を思い起こす。

明治元年において全輸出の60%。戦前まで、輸出総額の3分の1を占めた紡績産業。


日本の産業の黎明期にこんな唄が流行る。




糸ひき歌 色物

旦那様より奥様こわい、白眼黒眼でにらまれる。
 
やめておくれよ旦那の夜ばい、わたしゃ機械へ糸引きに
 
糸屋旦那は南瓜のつるよ、夜さり這いずるどこまでも
 
旦那様に惚れて憎まれるより、天下晴れての若い衆
 
わたしゃこなたの旦那の妾、仕事してよしせんでよし
 
ここの会社は女郎屋と同じ、顔で飯喰う女郎ばかり
 
機械工女の寝言きかば、スモモ喰いたやボボしたや
 
今夜の当直何々さんよ、出して貰うな後がある



そんな時代を映す唄として添田唖蝉坊のこんな唄を思い起こす。


ああ金の世や


ああ金の世や 金の世や 地獄の沙汰も 金次第
笑うも金よ 泣くも金 一も二も金 三も金

親子の中を 割くも金 夫婦の縁を 切るも金
強欲非道と 譏ろうが 我利我利亡者と 譏ろうが

痛くも痒くも あるものか 金になりさえ すればよい
人の難儀や 迷惑に 遠慮していちゃ 身がたたぬ

ああ金の世や 金の世や 願いは聖き 労働の
我に手足は ありながら 見えぬ鎖に 繋がれて

朝から晩まで 絶間なく こき使われて 疲れ果て
人生(ひと)の味よむ 暇もない これが自由の 動物か

ああ金の世や 金の世や 牛馬に生れて 来たならば
あたら頭を 下げずとも いらぬお世辞を 言わずとも

済むであろうに 人間と 生れた因果の 車引き
やぶれ堤灯 股にして ふるいおののく いぢらしさ

ああ金の世や 金の世や 蝋色塗の 自動車に
乗るは妾か 本妻か 何の因果ぞ 機織りは

日本に生れて 支那の米 綾や錦は 織り出せど
残らず彼等に 奪われて ボロを着るさえ ままならぬ

ああ金の世や 金の世や 毒煙燃ゆる 工場の
危うき機械の 下に立ち 命を賭けて 働いて

くやしや鬼に 鞭うたれ 泣く泣く求むる 糧のしろ
顔蒼ざめて 目はくぼみ 手は皆ただれ 足腐り

病むもなかなか 休まれず 聞けよ人々 一ふしを
現代の工女が 女なら 下女やお三は お姫さま

ああ金の世や 金の世や 物価は高くも 月給は安い
弁当腰に下げ ボロの洋服 破れ靴

気のない顔で ポクポクと お役所通いも 苦しかろう
苦しかろうが 辛かろうが 勤めにゃ妻子の あごが干る

ああ金の世や 金の世や 貧という字の あるかぎり
浜の真砂と 五右衛門は 尽きても尽きぬ 泥棒を

押さえる役目も 貧ゆえと 思えばあわれ 雪の夜も
外套一重に 身を包み 寒さに凍る サーベルの

つかのま眠る 時もなく 軒端の犬を 友の身の
家には妻の 独り寝る 煎餅布団も 寒かろう

ああ金の世や 金の世や 牢屋の中の とがにんは、
食うにも着るにも 眠るにも 世話も苦労も ない身体

牛や豚さえ 小屋がある 月に百両の 手当をば
受ける犬さえ あるものを 「サガッチャコワイ」よ 神の子が

掃溜などを かきまわし 橋の袂(たもと)や 軒の下
石を枕に 菰の夜具 餓えて凍えて 行き倒れ

ああ金の世や 金の世や この寒空に この薄着
こらえきれない 空腹も なまじ命の あるからと

思い切っては 見たものの 年取る親や 病める妻
餓えて泣く児に すがられて 死ぬにも死なれぬ 切なさよ

ああ金の世や 金の世や 神に仏に 手を合わせ
おみくじなんぞを 当てにして いつまで運の 空頼み

血の汗油を 皆吸われ 頭はられて ドヤサレて
これも不運と 泣き寝入り 人のよいにも 程がある

ああ金の世や 金の世や 憐れな民を 救うべき
尊き教えの 田にさえも 我儘勝手の 水を引く

これも何ゆえ お金ゆえ ああ浅ましき 金の世や
長兵衛宗五郎 どこにいる 大塩マルクス どこにいる

ああ金の世や 金の世や 互いに血眼 皿眼
食い合い奪りあい むしり合い 敗けりゃ乞食か 泥棒か

のたれ死ぬるか 土左衛門 鉄道往生 首くくり
死ぬより外に 道はない ああ金の世や 金の世や



1886年(明治19年)10月24日にイギリス船籍の貨物船、ノルマントン号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマントン」)が、紀州沖で座礁沈没し、事故の際、船員であったイギリス人、ドイツ人ら白人はほぼ全員が生存した一方で、乗客であった日本人は25名全員が死亡し、インド人の乗組員も全員死亡した。、助かった船員らは救命ボートで避難していたため、船長が適切な避難誘導をせずに、乗客である日本人を取り残したのではないかとの疑念から当時の世論が沸騰した。

こんな時代と事件を背景にこんな唄も流行った。


ノルマントン号沈没の歌

岸打つ波の 音高く 夜半の嵐に 夢さめて 
青海原を ながめつつ わが同胞(はらから)は 何処ぞと

呼べど叫べど 声はなく たずねさがせど 影はなし 
うわさに聞けば 過る月 二十五人の 同胞は

旅路を急ぐ 一筋に 外国船とは 知りつつも 
航海術に 名も高き イギリス船と 聞くからに

ついうかうかと 乗せられて 波路もとおき 遠州の 
七十五里も はや過ぎて 今は紀伊なる 熊野浦

名も恐ろしき 荒波に 乗り出でたるぞ 運のつき 
折りしも雨は 降りしきり 風さえ添えて 凄まじく

渦巻く波を 巻きあげて われを目がけて 寄せ来たる 
かすかに見えし 灯台の 光もいつしか 消えうせて

黒白も分かぬ 真の闇 水先はかる 術もなく 
乗合人も 船人も 思案にくるる 瞬間に

岩よ岩よと 呼ぶ声の マストの上に 聞こゆれば 
あわやとばかり 身をかわす いとまもあらで 荒波に

打ち流されて 衝突の 一声ぼうと とどろけば 
流石に堅き 英船も 堪えも果さで 打ち破れ

逆巻く波は 音高く 機関室へと ほとばしり 
凄き声して 溢れたり 斯くと見るより 同胞は

互いに救い 救われて みな諸ともに 立ち上がり 
八州船の 救いをば 声を限りの もとむれど

外国船の 情けなや 残忍非道の 船長は 
名さえ卑怯の 奴隷鬼は 人の哀れを 外に見て

己が職務を 打ち忘れ 早や臆病の 逃げ仕度 
その同胞を 引きつれて バッテーラへと 乗り移る

影を身送る 同胞は 無念の涙 やるせなく 
溢るる涙を 押し拭い ヤオレ憎き 奴隷鬼よ

如何に人種は 違うとも 如何に情けを 知らぬとも 
この場をのぞみて 我々を 捨てて逃がるるは 卑怯者

思い出せば その昔 俊寛僧都に あらねども 
沖なる島の 身を投じ 見るも憎しや 情けなや

彼は岩なり 我は船 みすみす沈む 海原の 
底の藻屑と なりゆくは いといと易き ことながら

家に残れる 妻や子や 待ちくたびれし 弟妹の 
我なき後は 如何にせん 憂きぞいとぞ 思わるる

浮世は仮とは いいながら 常なき者は 人ごころ 
昨日の恩は 今日の仇 斯かる奴とは 露知らず

その信義をば 片頼み ついうかうかと 大海に 
乗り出でたるぞ 恨めしや よしや恨みは 残すとも

汝が為せる 罪悪は この世のあらん 限りには 
などで晴さで おくべきか 右手に稚子 左手には

老いたる者を 助けつつ 悲嘆に沈む 涙淵 
伏しつまろびつ 泣き入りて 目もあてられぬ 風情なり

折りしも一人の 少年は 甲板上に よじのぼり 
沖なる方を 打ち見やり せきくる涙 とどまらず

「われ航海の 一端も 学び覚えし ことあらば 
日頃の技倆を あらわして 逃るる術は 易けれど

わが同胞の 危難をば 捨てて救わで ただ一人 
命を惜しむ たわけもの 大和心の 大丈夫(ますらお)に

嘲り笑わる 苦しさよ いざ是よりは 潔よく 
みな諸ともに この身をば 千尋の海に 打ち沈め

藻屑とこそは 果てなん」と 呼び終わる その中に 
無常を告ぐると 時の鐘 山なす波に 打ちまかせ



二十五人の 同胞は 無惨や藻屑と なりにける 
斯くと知らずや 白波を 舟に乗じて 船長は

紀伊の浜辺に 上陸し 領事庁へと 進みいで 
己が過失を おおわんと 非を理にまぐる 陳述を

音に名高き ホント氏が 何どて知らざる 事やある 
固より知りつる 事ながら わが東洋に 人なしと

日頃の傲慢 あらわして 大悪無道の 奴隷鬼を 
無罪放免 それのみか アッパレ見事の 船長と

褒めはやしたる 裁判を 聞いて驚く 同胞は 
切歯扼腕 やるせなく 世論一時に 沸騰し

正は正なり 非は非なり 国に東西 ありとても 
道理に二つ あるべきか ノルマントンの 船長の

その暴悪の 振舞いは 外つ国々の 人ですら 
その非をせめぬ 者ぞなき 乗合多き その中に

白色人種は みな生きて 黄色人種は みな溺る 
原因あらば 聞かまほし 彼も人なり 我も人

同じ人とは 生まれながら 危難を好む 人やある 
いのち惜しむぬ 者やある イギリス国の 法官よ

汝の国の 奴隷鬼は 人を殺して 身を逃る 
義務を忘れて 法犯す 極悪無道の 曲者ぞ

これぞ所謂 スローター などて刑罰 加えざる 
などて刑罰 加えざる 汝が国は 兵強く

軍艦大砲 ありとても わが国民は 知識なく 
国が実に 弱くとも 鳥や豚では あるべきか

是非曲直を 知る者を 大和だましい ある者を 
二千余年が その間 尚武の国と 名も高く

外国人の 侮りを 受けしこと さえなきものを 
斯くする法の 傲慢の その裁判に おめおめと

従う奴隷が あるべきか 汝知らずや 我が民は 
恥のためには 命をも 義理にのぞめば 財産も

捨てて惜しまぬ その理は 破船の時の 少年の 
挙動を見るさえ 知りつらん わが同胞は 不常にも

無惨の横死と 聞くならば 雲井にかける 都人も 
伏屋に宿る しずの女も 六十余州は みなおなじ

己が困苦を 打ち忘れ その兄弟は 妻子まで 
救わでやまぬ 鉄石の 心は同じ 敷島の

大和ごころの 大丈夫 道理つめなる 論鋒や 
その豪気なる 振舞いは 岩をも砕く いきおいに

さすがに名高き 英人も 傲慢心は 打ち破れ 
一旦免せし 奴隷鬼を 一言いわさず 引捕らえ

ふたたび開く 公判に 罪科の所置を 定むれば 
二十五人の 家族らも 三千余人の 同胞も

その公平に 感嘆し 積もるうらみも 是に晴れ 
波風にわかに 沈まりて 残るは元の 月ひとつ

いとあざやかに 見えにける それを見るにも 思いやる 
いまは明治の 御治世 外交とみに 繁くなり

国事も日々に 多端なり はるかに彼方を 見渡せば 
筑紫の海は 波高く 風さえ強き 秋の空

薩摩の海の 南には 豺狼の住む 国もあり 
用意もなくて うかうかと 吹き流されて 破船せば

二十五人は まだ愚か 三千余万の 兄弟も 
あわれ危難に 過るにも まして条約 改正の

今にも談判 整わば 内地雑居と なり来り 
赤髪碧眼 かず多く わが国内に 乗り込みて

学問知識を 競争し 工芸技術 それぞれに 
名誉の淵に 乗り出し 勝負を競う 事なれば

油断のならぬ 今の時 ノルマントンの 沈没の 
その惨状を 知る者は 心根たしかに 気をはりて

若しくも第二の 奴隷鬼や なお恐ろしき ファントムが 
顕われいでたる 事あらば 三千余万の 同胞は

みな諸ともに 一致して 力を限り 情かぎり 
縦横無尽に 憤撃し それでも及ばぬ その時は

生命財産 なげうちて 国の権利を 保護して 
保たにゃならぬ 国の名を 保たにゃならぬ 国の名を


とまあ、我々のご先祖様がどのように暮らしていたかはこのような流行り唄に一番色濃く顕れるのであろうなあと思うのであります。


(-∧-)合掌・・・



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2007年11月02日

しょうもない朝

フェレットの「ぼくちゃん」がここ数日後ろ足を引きずる、脳の障害だろうか?

などと思いつつ、栄養剤を与えたり、気功などをしていたら、昨夜は、わざわざ宍戸先生が来てくれる。

電話が鳴りこれから行きますと宍戸先生との電話が終われば、2階からぼくちゃんがヨロヨロと降りてくる・・・・動物の優れた本能なのだと思う。

気功を受けると後ろ足の根元が気功に反応して痙攣するぼくちゃん。

半身不随で長患いの末に亡くなった「ねぎ」と一緒のアリューシャン症候群かも?

などという思いが脳裏を掠めるが・・・後ろ足を引きずりつつ1階と2階を上り下りしているぼくちゃんを見てると、つくずく動物は強いのだと思う。

状態的には、前回気功受けたときよりも持ち直しているのでしばらく様子を見つつ僕もフェレットに気功を当てつつ練習しようかなあなど思う。


ウイルスに侵された「ねぎ」も上半身だけで這いずり廻り、最後はそれもかなわずグッタリしつつ懸命に生き抜いた。

僕が同じ立場なら・・・とてもこうは、していれないだろうなあと・・・畏敬の念を持ってフェレットたちを眺める事が多い。

気功の話を先生と少しする、少しずつ僕も練習しようかなあなどと思う。

職場に膝の悪い高齢者の人が来てるのでそのうち職場で気功の会でもやりましょうと先生と約束する。

浄化作用を持つ、気功のエネルギーは、放射能にも有効なのだろうか?

などということを原発事故関連の書物を読んで思った。

血液の浄化という意味でなら気功は、放射能に何らかの効果があるかもなあ・・・・などと思う。




「持丸長者」広瀬隆著を相変わらず熟読する。

徳川幕府の軍資金となった甲州金について記述があり・・・・・第一部の99ページ辺り。

甲州金と言えば武田家の信玄を思い起こし信玄と言えば・・・・・・


戦国時代、関東の弱小国だった山国・甲斐をわずか一代で大国に育てあげ、京へ向かって「天下取り」を目指した武将・武田信玄。

家康も震え上がったというその強さの秘密は、信玄が若いころ情熱を傾けた治水行政と金山開発にあったなどと古来より伝えられ。

斬新な治水戦略、武田家秘蔵の軍資金「甲州金」、そして謎の職人集団「金山衆」とは? 信玄が満を持して京へ上る瞬間を描き、金の生産と治水行政や土木工事の技術。


金山衆に土木技術などと聞くとシノガラやサンカに山人なんてことを連想する。

甲州、山梨出身のフィクサー金丸の金の延べ棒なんてのも連想した。


戦国時代の末期、大阪城を巡っての戦いの話の中では、一つは徳川家康が地下道の掘削を行っているとの噂がたって豊臣方がパニックになったという話と、もうひとつは真田幸村が真田丸という出城をつくった際、真田の抜け穴を掘ったという話なんてのも思い出す。

真田幸村の城、信州上田の上田城には真田井戸とよばれる井戸兼場外との連絡用抜け穴がある。この抜け穴は、城北の太郎山の砦に通じていたと言われている。

そういえば、忍者軍団なんてのもあったなあ。

こういう技術は、産金の技術とリンクして・・・・これらが山人のらの技術集団によって伝えられたのかなあ・・・・・などと思った。

今年の夏に行った、院内銀山なんてのも思い起こした。

院内銀山と言えば、銀山がひとつの町だった。これを仕切った佐竹氏で彼ら一族のの鉱山開発意欲も武田氏に匹敵するのか?

佐竹と武田は共に新羅三郎義光(源義光)の血を引く清和源氏の末裔だとか

まあ、色々思うのですが。

黄金の国ジパングという伝説は、シルクロードを経てヨーロッパに伝わったのだろうなあ・・・などと思うのであります。

チョボチョボと検索してると以下が面白かった。


http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho300.htm

http://www.sengoku-basara.net/takeda-shingen.htm

http://www.geocities.jp/omorigold/E7.htm


金の魔力というのは凄まじいなあと歴史を考えるたびに思いつつ。

我が家にゴールドはあるのだろうか?

そういえば、我が家には、金貨一枚ないのだ。

そういえば嫌いなので株券も債権もないし・・・・

その代わり、本人が把握しえないほどの「わけのわからないもの」が沢山ある。

長年に渡って狩猟採集してきた「わけのわからないもの」

南部鉄で作った「妖怪ぬりかべ風鈴」だとかが我が家の家宝なのだ。

イタリアの絵本作家お手製の自動車模型と可愛い木製人形ジオラマなんてのもお気に入りだ。

などとまことに「しょうもない」ことを考える朝でありました。


(-∧-)合掌・・・


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2007年11月01日

持丸長者

「三菱財閥を生み出した岩崎弥太郎は、天保の大飢饉で日本中に多数の死者が出た天保五年十一月十一日(1834年)、土佐国(高知県)安芸郡井ノ口村に生まれた。


遠祖は、土佐から四国一円を支配した長宗我部(ちょうそかべ)元親(もとちか)の家臣だったが、長宗我部家は中国の秦の始皇帝の末裔と称して、初めは秦(はた)姓を名乗っていた。


この秦氏が六世紀に大陸の養蚕技術と絹織(きぬおり)を日本に持ち込み、拠点を京都盆地の太秦(うずまさ)に置き、これが後年の西陣織(にしじんおり)の発祥になったと伝えられる。


関ヶ原の合戦後は、土佐藩の初代藩主に山内一豊(やまのうちかずとよ)が入って長宗我部が追い出され、さらに大坂夏の陣で長宗我部家が敗れて衰亡すると、家臣の岩崎家も安芸郡に移住した。


山内家に服従せず農業を営む地下浪人として生き延びてきた。したがってこの長宗我部浪人と称された集団は、山内家に弾圧され、徳川家の天下をよしとせず、しかも岩崎家は、気の荒い武田家(信玄)の末裔を称していた。」


というような事柄が書かれる「持丸長者」広瀬隆著というのをパラパラ読んでおります。

「長者番付の変遷は近代開花の変化を映す鏡であり、持丸長者を生み出した産業と金融制度の変遷を通じて、わが国の生きた近現代史を解き明かすことができる。」

という広瀬さんは、以下のような手法を用い、日本近代史を炙り出します。


「明治31年(1898)全国多額納税者互選名鑑、直接税額300円以上の670人納税合計額順位(円以下切り捨て)

第1位、新潟県(8万3906円)
第2位、岡山県(3万8547円)
第3位、大阪府(3万5298円)
第4位、三重県(2万6515円)
第5位、秋田県(2万5331円)

省略

第11位、東京府(2万2916円)
第12位、佐賀県(2万2887円)
第25位、高知県(1万6037円)
第38位、京都府(1万0011円)
第41位、山口県(9561円)
第45位、鹿児島県(6030円)

無味乾燥な数字から何を読み取れるだろうか。


ベストテンに新潟県、秋田県、富山県、山形県の北陸東北が入っていることは、現在の経済状況からみれば目を惹く現象である。新潟県は合計額で第一位というだけでなく、群を抜いている。しかもこの全国多額納税者上位20人のうち、全国第一位の市島徳次郎を筆頭に驚くべきことに半分の10人が新潟県で占められ、その職業を調べると、いずれも農業や借地とある。つまり大地主である。数字だけをみると、新潟県が特別に豊かだったように見えるが、実はそうではない。明治18年(1885年)まで日本第一位の人口、164万人を誇り翌明治19年末に東京府に抜かれたのが、この新潟県である。ちょうどそのとき、越後新潟に重大なことが進行していた。

明治14年(1881年)に松方正義が大蔵卿(大蔵大臣)に就任し、明治18年まで増税と歳出削減の緊縮財政を実施して深刻なデフレを招いた。この過酷な松方デフレ政策ののため、日本全土が大不況に襲われ、この数年間に米価が低落を続けたため、貧しい農民の収入が激減した。しかも明治政府は江戸時代のように収穫高に対して税をかけるのではなく、土地の価格を決めて、土地に対して税金を課す地租制度をとったため、松方大増税によって、貧しい農民は収穫がなくても金がなくても地租を払わなければならない地獄に追い込まれた。その日にも食べるに事欠く有様で、最後には、農民にとって命に替えるほど貴重な宝である土地を手放し始めた。


とりわけ新潟県では多くの田畑が売りに出され、デフレの渦中の明治17年には小作率が55パーセントに達し、その結果、明治から大正にかけて1000町歩(300万坪)という広大な土地を持つ市島家、伊藤家、白勢家、田巻家、斎藤家といった土地長者が、いずれも越後国蒲原平野の米作地帯から続出した。1000町歩という広さの田畑は、反あたりの米の収穫量から考えれば、江戸時代の小さな大名並みである。それで新潟県に地租納税額の長者が集中したのである。この地主集団は一つの閨閥を形成し、後に日本石油を設立して越後に石油王国をうみだす。」



話は、少し逸れますが日本の昔話にこんなお話もあるのですね・・・・


「あずま長者【持丸長者】」



「今から九百年ほど前のお話です。源氏の大将八幡太郎義家が、五万の大軍 を率いて奥州の蝦夷を征伐して都へ帰る途中一行は上安居のあずま長者屋敷 へ立寄りました。

「長者どの、都へ帰る途中じゃ。やっかいになりますぞ。」と、声をかけると長者は、「はい、このたびは、めでたく奥州の蝦夷を討たれたそうでおめでとうござ います。長い旅でさぞお疲れでございましょう。どうぞ、ごゆっくりお休み ください。」と言って、一行をもてなす支度に大騒ぎとなりました。


長者の家は大金持ちで、現在の吉沼辺りから上安居の長者山【常磐自動車 道沿い】の辺りまで、穀倉が連続して幾連も建ち並び、広大な屋敷内で多く の下人を使い、何一つ不自由のない生活をしていました。
 
そのような長者様 の家に、源氏の御大将がお休みになるというので村人は、続々と集まって来 ました。御大将を一目なりと見たいもの、老若男女が集まって長者屋敷の周 りは、上を下への大騒ぎとなりました。
 
長者は、もてなしに御無礼があってはならないと、細心の注意を払い、あ りったけのご馳走を作り、珍しい品々を集めて酒、肴を振舞ったので義家も 驚くほどの豪華なお膳が並びました。
 
義家一行は、機嫌よくくつろいで、あくる日出発することになりました。 ところが出発まぎわになって折悪しく、雨が降り出してなかなか止みそうも ありませんでした。すると、長者は、すぐに五万人分の雨具を用意して差し 出しました。

義家は、「長者どの、大変馳走になったの。ありがたく礼をいうぞ」 と言って出発して行きました。
 
長者も家人も村人も客人一行が無事に出発した ので、ホッと一安心して各自が家々に戻りました。
 
義家は、礼を言って引き揚げはしたものの、 「このように豊かな富を貯えた豪族をこのままにしておいたらやがて災いを 起こすかも知れない。今のうちに滅ぼしておいた方がよかろう。」と主だった家来と相談五万人窪から急きょ引き返して、長者の家に火を放ちま した。

「火事だあー。火事だあー。助けてくれー。」

あれよあれよと逃げまどい、火消しに当たろうとする長者屋敷の家人や村人 たちを、義家の軍勢は手当たりしだいに切り捨て追い払い、すっかり焼き払っ てしまいました。
 
豪勢を誇っていた長者屋敷は、穀倉と共に跡形もなく焼け落 ちて、一族も皆滅んでしまいました。
 
長者屋敷伝説のあと(今は畑になってい る)からは今も焼き米がたくさん出てくると言うことです。」


この昔話とは違い現実の方は、この本では、江戸時代より続く持丸長者と帝国軍隊が手を組んでアジアで2千万人の人間を殺したということになります。

アイヌモシリ北海道の支配と侵略の歴史やアイヌ民族の悲惨な歴史などにも書かれています。

戦争がいかにしてどのように起きてくるのか?

わかりやすく書かれているかと思います。

この近代の状況と現代の状況もなんら変わらず、おそらく現代日本の事態は、史上最悪であるのかもしれません。


「資本は、頭から爪先まで毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」と言ったのはマルクスだったか?


現代ならこれらに放射能と環境ホルモンが加わる。

ハガタカのような外資も日本乗っ取りに本腰を入れ、白人の奴隷となった日本の将来は、失業者とホームレスと犯罪者と障害者だらけの現代のアメリカに近づくのだろうか?

これまた、軍需産業持丸長者を潤す殺人ゲームである戦争というシナリオがより現実味を増す。

戦争もそろそろ機械化されるのであろうし・・・・

そんな欲望の渦という歴史の中で我々は、生きているのでありますね。


(-∧-)合掌・・・

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