最終号ということで久しぶりに『諸君!』の最新号をざっと眺めたが、右派雑誌というよりも「教養俗物」向けの雑誌になっていて驚いた。これでは売れるはずもないだろう。
次に潰れるのは『中央公論』と『創』あたりであろうが、『金曜日』も苦しいようであるし、岩波書店も経営状態の悪化で、経営者が現在、「非常事態」宣言を発している状況である(このままいけば、大量の在庫を抱えている本屋はどうなるのかな)。「論壇」の最後の希望の星であった『思想地図』も『ロスジェネ』も、第2号は全然売れていないようであるから、もう「論壇」の復興は無理だろう。 ところで、去年からの雑誌の廃刊ラッシュに関して、「活字文化の危機」といった言説が、出版業界を中心として垂れ流されているが、これは噴飯物の主張である。雑誌の廃刊ラッシュの大きな要因としてインターネットの普及が挙げられようが、ウェブ上の文章は「活字文化」ではないとでも言うのだろうか。一般大衆は、ネットの普及以前よりもはるかに、ネットを通じて大量に活字文化に接してきているのである。以下、あまりにも当たり前すぎてわざわざ言うのは気が引けるが、一応書いておこう。 もちろん現実の「ネット社会」をことさら持ち上げる気は全然ないが、現在の論壇や雑誌ジャーナリズムは、「ネット社会」ほどにも内容がないのだから、読者がわざわざカネを出すはずもないだろう。雑誌の廃刊ラッシュというのは、要するに、学者や言論人と呼ばれる人びとの展開している主張や「論争」とやらが、ウェブ上でその辺のブロガーや匿名掲示板の書き込みと大して変わらない、もしくはそれ以下の内容しか持っていないことに、読者が気づいたからこそ、カネを出さなくなったということに過ぎない。これは、インターネットという活字文化による読者への教育的効果とでも言うべきであって、あえて言えば、活字文化の勝利である。 採算がとれるならば雑誌や本として流通させ、採算がとれないのであればウェブで発表すればいい、それだけの話であろう。雑誌の廃刊や出版社の倒産で「書く場所」が減ってきているという声をたまに耳にするが、意味がわからない。現在、一定の知的好奇心がある人間は、かなりの年配の層でもネットを見るのだから、ブログでも開設するか、ホームページでも開いて論文をアップすれば済む話である。 現在の、出版業界(編集者やら物書きやら)を中心とした「活字文化の危機」といった言説は、要するに、「このままでは自分たちが出版で飯を食えなくなる」というだけの話であって、そんなもの、異業種に転職すべきだ、としか言いようがないだろう。人文社会系のアカデミストやその予備軍にも、雑誌の廃刊ラッシュを慨嘆する声が上がっているようだが、こうした人びとの論壇遊戯を続けさせてあげなければならない理由もないわけである。 ところで、<佐藤優現象>は、こうした「出版不況」と密接な関連があると私は考える(注1)。 出版不況の下でいつ会社を放り出されるか分からない編集者たちは、転職時に役に立つように、「売れっ子」とお近づきになり、人脈を形成し、「売れっ子」の本を出したという「実績」を作ろうとする。そうすれば、転職時に有利に働く、と考えるからである。事情は、フリー編集者の場合も変わらない。むしろ、フリーの方が、人脈を作るために、こうした「売れっ子」の互助会的なものに積極的に参加していくだろう。 「売れっ子」たちが、一つのグループを形成すれば、より多くの編集者を引きつけられるようになるだろうし、自分の実力に不安のある書き手は、「売れっ子」という表象を不断に作らなければならず、書きまくらなければならないのである。例えば、佐藤が中心的な役割を果たしている「フォーラム神保町」(会員を「メディア関係者」に限定)は、こうした「売れっ子」の互助会のようなものだが、出版不況下の編集者たちにとって、就職互助会という意味を持っていると思われる。 出版社としても、出版不況の下では、一定数の売上げ部数は見込める知名度を持つ書き手を優先する傾向を持つ。こうして、「売れっ子」の書き手、編集者、出版社の利害が一致して、どこの出版社からも佐藤優やら香山リカやら森達也やらの本が出版されることになる。 また、書く場所を出版社に依存する人びとも、佐藤に積極的に取り入り、こうした互助会の一員に参加させてもらおうとするだろう。佐藤と結託するリベラル・左派系の言論人にフリージャーナリストが多いこと(注2)や、20年間メディアに出ずっぱりで多くの著作を出版しているのにまとまった形で固定ファン層を一向に確保できない山口二郎のような人物が、佐藤と密接な関係を持っていることは、そのことを示唆している。 そして、こうした形で出版業界で<佐藤優現象>が持続することは、ますます、論壇・雑誌ジャーナリズムの崩壊を加速させることになるだろう。小谷野敦が指摘するように(ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」2009年5月5日付)、佐藤こそが「論壇の衰退」の元凶の一人であり、<佐藤優現象>こそが、論壇・雑誌ジャーナリズムの無内容化の象徴だからである。多くの読者はそのことに気づいている。こうして、<佐藤優現象>と「出版不況」は、相互に規定しつつ、相互の現象をより強めることになるだろう。 したがって、論壇・雑誌ジャーナリズムが崩壊し、その社会的影響力を弱めることは、日本の言論にとって大変良いことであって(注3)、こうしたプロセスが徹底されることこそ望ましいと言える。とりあえず、佐藤を重用する論壇・雑誌ジャーナリズムの各誌が、同じく佐藤を重用する『情況』のような存在になることを期待しよう。『情況』であれば、社会的影響力は皆無であって、放置しておいてもよいからである。 (注1)<佐藤優現象>と出版社・書店との関係については、こことは別の視点から「辺見庸の警告と<佐藤優現象>の2つの側面」の「2」でも書いているので、ご参照いただきたい。 (注2)下の記事で、天木直人氏は、田原総一朗や佐藤優がフリージャーナリストを囲い込もうとしていることを紹介している。佐藤からすれば、出版業界での発言力の向上だけではなく、自分への「左」からの批判へのアリバイとして使えるから、両者は相互依存の関係にある。それにしても、田原や佐藤と結託することで食わせてもらおうという、志の低い連中に、何の「ジャーナリズム」を期待できるだろうか。 http://www.amakiblog.com/archives/2009/02/06/#001354 (注3)そもそも佐藤は「言論の自由」を原理的に否定しているのだから 、そうした佐藤を重用する論壇・雑誌ジャーナリズムが崩壊することが、日本の言論にとって大変有意義であることは言うまでもない。
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