★キューブリック、その視覚的アプローチ  

 映画監督は、自己の内包するヴィジョンを可視化するために最大限の努力を尽くす。
 しかし、己れのイマジネーションに忠実であろうとすればするほど、製作費や技術力、さらには製作期間という「商業映画」には欠かせぬ様々な“物理的制約”が大きな障壁となり、妥協を余儀なくされる。そのような状況の果てに至る軋轢のドラマもまた、映画というメディアの醍醐味と言えるのだが。

 スタンリー・キューブリックという無比無双の天才作家も例外ではなく、己れのイマジネーションを優先するうえで創作上の現実的障害に遮られ、そのことに対する抵抗感が人一倍強かった映像作家といえよう。
 これは傀儡監督に留まり、作品の全権を握ることができなかった『スパルタカス』('60)以降、プリ・プロダクションからパブリシティまでを個人で統括する姿勢に顕著だが、なかでも自らの代表作であり、映画史上に燦然と輝くSF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』('68)は、氏のフィルモグラフィ中においても、最もその比重がもっとも大きかった作品と言って過言ではない。
 
「来るべき宇宙時代を構成する諸要素を現実的(リアル)に観せる」
そして、
「言語化できない抽象的なイメージを視覚化する」
というふたつのヴィジュアル・アプローチを課したこのプロジェクトに、キューブリックは大胆にも視覚効果に関するパートを全て自分の統括下に置き、既存の特撮技術を真っ向否定することから始める。
 プリ・プロダクション初期の段階で、視覚効果スーパーバイザーとしてオファーが検討されていたSFジャンル・ムーヴィーの御大、ジョージ・パルの参加要請を見送ったのが、その端的な意思表示ともいえるが、なによりキャメラマン出身で映像メカニズムに恐ろしく詳しいキューブリックだけに、既存の視覚効果技術では自己の抱くヴィジョンを具現化するに足らないという理由こそ、その最大の立脚点であるのは言を俟たない。

 そこでキューブリックはありとあらゆるジャンルから、有能なアーティストたちをヘッドハンティングしたのだ。
 なかでも当時『鉄腕アトム』のアニメーションが日本国外で好評を博していた漫画家・手塚治虫のもとに「プロダクション・デザインのスタッフとして作品に加わってほしい」という招請の手紙を送ったのは有名な話だが(手塚は多忙とスタッフ管理を理由にオファーを断る)、これに象徴されるように、氏のアプローチは手堅いながらも多方面・広範囲に渡って行なわれたのである。

 とりわけキューブリックは、ヴィジュアル・エフェクトの分野においては更に周密な人選に心掛け、その結果『博士の異常な愛情』('64)を担当した英国のベテラン視覚効果マン、ウォーリー・ヴィーヴァーズと、アカデミー賞(R)特殊効果賞を2度受賞したトム・ハワード、そしてカナダ国立映画局が1960年に製作したドキュメンタリー映画『ユニバース』にスタッフとして参加していたコン・ペダースン、その彼が監督を務めたシネラマ360映画『月とその彼方へ』('64)の視覚効果クルーだったダグラス・トランブルら4人のエフェクトマンを【視覚効果スーパーバイザー】として、自らの“スペース・オデッセイ”へと招請したのである。
                                      

★スターゲイト・コリドー

 キューブリックの思惟は、まさに最良の結果としてスクリーン上に開花した。
『2001年宇宙の旅』を構成するヴィジュアル・エフェクトは、それまでの視覚効果を用いた同ジャンルのSF作品とは比較の余地もないくらいハイ・クオリティなもので、まさに現実の視覚体験であるかのように宇宙ステーションやスペース・ポッドが眼前へと屹立し、また広大な原始の裾野に群れる人類の祖の鼓動や息遣いまでも具に感じさせる、その聡明な表現力に誰もが驚嘆した。

 しかし、それらのリアルなヴィジュアル以上に、ディスカバリー号の乗組員であるディヴィッド・ボーマン(キア・デュリア)が遭遇する【スターゲイト・コリドー】の抽象的シーンは、未だかって経験したことのない、作品のなかでもひときわ光彩と異彩を放つシーンとして注目されたのだ。
 このシークェンスはアニメーション作家、ロイ・ナイスビットの幾何学的イメージ・デザインを、先に挙げた視覚効果スーパーバイザーの一人であるダグラス・トランブルが開発した【スリット・スキャン・システム】というハードウェアを用いてヴィジュアライズしたもので、この非定型な「光の洪水」が、幻覚トリップを表象したヴィジュアルとして多くのドラッグ・カルチャー世代の若者を魅了したのである。
 作品的には「ドラマが秩序整合的でない」という視野狭窄な見解を以て評論家からは酷評を受け、一般の観客からも「テーマが高尚」「難解」を理由に敬遠されてきた『2001年』だが、その爆発的な支持のフラッシュ・ポイントとなったのが、他ならぬスターゲイトのシークェンスだったのだ。
 そこでMGMも周到に、リヴァイヴァル上映の際にそのトリップ感覚をセールスポイントとしたアド展開をおこない、『2001年宇宙の旅』は、その崇高さと製作の労苦に比例するだけの興行的成功へと導かれるのである。
 

★『2001年宇宙の旅』とアブストラクト・シネマ

『2001年宇宙の旅』のスターゲイト・シークェンスを語るうえで、60年代の同じ時期にドラッグ・カルチャー世代が支持したアブストラクト・シネマの存在を無視できないだろう。

 アブストラクト・シネマとは、写実的で定型的な映像表現ではなく、幾何学図形や非定形の模様で構成された抽象映画を指し示してこう呼称する。1930年代にレン・ライオスカー・フィッシンガーらによって形成され、さらには1960年代には美術表現の拡大・多様に呼応する形で活性化。ジョン・ホィットニーや、ジョーダン・ベルソンといったアブストラクト映像作家が、曼陀羅や東洋思想、精神世界をコンセプチュアルとしたコズミック・シネマを台頭させ、サイケデリック・LSDのドラッグ・カルチャーの指向とシンクロする形で、大きなムーブメントを派生させたのである。

『2001年宇宙の旅』で呈示されたスターゲイトのイメージが、そんなコズミック・シネマの流れを組んでると言っても何ら不自然ではない。なによりスターゲイトを可能にしたスリット・スキャン・システムも、コズミック・シネマの台頭者であるジョン・ホイットニー・シニアの「視覚におけるブレの効果」という映像力学的考察に依拠するものであるし、外示から共示へ移行するスターゲイトの骨格からして、コズミック・シネマの定義に忠実なまでに則している。

 しかし、キューブリックはスターゲイトとアブストラクト・シネマの関係性を積極的に肯定していない。ましてや「ドラッグ・カルチャーの支持を意識していたか?」という問いに関しては、にべもなく全面否定している。 

 だが実際、キューブリックはそんなアブストラクト・シネマに抜け目なく注視し、そのジャンルにおいて代表格ともいえる実験映像作家の幾人かに、視覚効果担当としてプロジェクト参加を試案していたという説が濃厚である。
 そのなかでも、ジョーダン・ベルソンというアブストラクト・シネマを代表する巨匠に『2001年宇宙の旅』のスターゲイトの視覚効果パートを担当させようという具体的なアプローチがあったことは、あまり公にされていない事項だろう。

★ジョーダン・ベルソン、『サマディ』の衝撃

 ジョーダン・ベルソンJORDAN BELSONは1926年生まれの実験映像作家。カリフォルニアのバークレー大学在学中、アートシネマ・フェスティバルで上映されていたオスカー・フィッシンガーやジェームズ・ホイットニーらの作品に影響を受け、オプチカル(光学)と多重合成を複雑に用いたアブストラクト・シネマの担い手となるが、ヨガの修行を得て宗教思想に傾倒し、『リエントリー』('64)や『ワールド』('70)といったコズミック・シネマの連作を発表する。
 そんな彼が1967年に発表した『サマディ』は、ランニングタイム5分の戦慄すべき16mmショート・フィルムだ。

タイトルの“サマディ”とは、サンスクリット語で、
「個の魂が全世界の魂と合併する意識の状態」
を示す言葉だが(日本語の「三昧(ざんまい)」からインスパイアされたベルソンの造語であるとも言われている)、形而上の精神世界を円形を主軸に、光と色のフレアがたおやかに変容するその幻惑的なプロセスで可視化させた、まさに彼の「最高傑作」ともいえる作品である。
 そんな『サマディ』を観て、そのヴィジュアル・イメージに圧倒されたキューブリックがベルソンに急遽視覚効果担当をアプローチしてきたということだが、キューブリックの希求はまさにむべなるかなだろう。
『サマディ』はキューブリックに限らず、あらゆるクリエイターに創造意欲とイマジネーションを喚起させるだけのヴィジュアル・インパクトを秘めている。現在のCG技術を用いても表現しえない至高の抽象映像は、既にあらゆる映像表現に慣れた現代の我々が見ても驚嘆する余地が充分にあるのだ。
 さらにはそこに、創作に費やされた撮影テクニックが未だ完全に解読されていないという神秘性が加味され、とてつもない視覚体験として『サマディ』は我々を凌駕するのである。

 アウター・スぺース(外宇宙)からインナー・スぺース(内宇宙)への帰結。それを見事にヴィジュアライズした『サマディ』は、まさに“スターゲイト”そのものだったのだ。



 
ジョーダン・ベルソン『サマディ』より。アブストラクト・シネマの巨匠ベルソンの最高傑作であり、今現在においてもどのような撮影方法がとられたのか、その全ては解明されていない(本編はカラー)。





★ベルソン、オデッセイを拒否

 しかし、ベルソンは『2001年宇宙の旅』のオファーを、あっさりと拒絶している。 

 ベルソンは依頼を蹴ったその理由を、
「MGM側の不遜きわまりない態度に嫌気がさした」
 と述懐している。キューブリックの依頼代行としてベルソンとコンタクトを図ったMGMのクルーは、ベルソンの商業ベースに与しない創作活動を「無償の行為」と断定し、金に困っているだろうと言わんばかりに「札びらで頬を叩くような態度」で接近してきたということなのだ。
 さらには、サンフランシスコのアトリエを作品製作の拠点としていたベルソンにとって、イギリスに渡り撮影プロジェクトに加わるという必須条件がネックになった。これは彼の創作プロセスを妨げこそすれ、決して創造にプラスする条件ではなかったのだ。
 他にも創作上のメイキング・プロセスを明かさない秘守主義を貫徹しようという思惑や、16mmネガティヴ・フォーマットによる撮影しか経験したことのない作家が、65mmネガティブ・フォーマット(70mm作品)という巨大なフィルムのキャンバスに萎縮したとも諸説囁かれている。

 だがなにより、ベルソンはもとから商業映画に興味が持てなかったことが最大の理由といえる。
 それは、
「アーティスティックを標榜する作家が、商業主義に与することの愚行」
 などという一義的な考えに起因するものではなく、自分の持てる創作力を他者のヴィジョンに費やすことのアンビバランスや、互いが拮抗して相容れないシェーマ(図式)といった、多義多層な困難を前提としての拒否反応といえよう。

 
★確執の先蹤(せんしょう) 〜フィッシンガーと『ファンタジア』〜

 アブストラクト・シネマの作家と商業映画との折り合いの悪さは、既に『2001年宇宙の旅』以前の映画史が立証している。最も知られているのは、ディズニー・アニメーションの古典的傑作『ファンタジア』('39)に関わったオスカー・フィッシンガーの例だろう。

 ポピュラー音楽にアニメイトした抽象画像をシンクロさせ、視覚と聴覚を統一的融合を図った連作『スタディ』シリーズを発表。“アブストラクト・シネマの祖”としてベルソンにも大きな影響を与えたドイツの実験映像作家・オスカー・フィッシンガーは、『サークル』('33)というヨーロッパ初のカラー映画を作成したことで米パラマウント社からオファーを受け、短編映画のスタッフとして働くために渡米する。
 しかし、『ラジオ・ダイナミクス』('37)という作品を、予算超過とフォーマットの規約違反を犯しながら強行製作したことで、パラマウントは契約を破棄。その後MGMに所属したのち、ディズニーに招聘されるのである。
 フィッシンガーはディズニー・スタジオで1938年から1939年にかけての約1年間、トッカータとフーガ/ニ短調」パートのデザインに関わった。しかし、フィッシンガーの映像プランが「あまりに抽象的で複雑」という理由でディズニーは簡略化の方向を固め、その案に納得できない彼は完成を観ないままディズニー・スタジオを去るのである。 
 個人の作家と 商業映画の組織だった製作体勢との確執。このフィッシンガーと『ファンタジア』の例から鑑みても、恐らくはベルソンが『2001年宇宙の旅』に加わったとしても同じような轍を踏み、「歴史は繰り返される」ことになるのは必須だったかもしれない。                                          

★信憑性

 このように、フィッシンガーとディズニーの確執については、作品を語るうえで極めてネガティヴな要素であるにも関わらず、『ファンタジア』のメイキング・プロセスに言及する書籍には大なり小なり確実に付記されている。
 しかし、ベルソンと『2001年』の関係性に関しては、それを裏付ける資料が皆無に等しい。さらにベルソン自身、近しい友人や作家仲間だけにしか、オファーの事実を公言していないこともあり、その顛末について知るものは極く一部の人間に限られている。 

 それだけに、事の顛末への信憑性に関して半信半疑な印象は拭えない。

 ベルソンが『サマディ』を発表したのが1966年から1967年にかけての時期で、その頃既に『2001年宇宙の旅』は、俳優を起用したライヴ・アクション撮影を終了し、視覚効果ショットを撮影へと移行しており、撮影に関するプランやスケジュールは完全に確立されているはずである。この期に及んでのヴィジュアル・イメージの変更など、にわかには考え難い。

 しかし、製作の遅れを懸念したMGM側が、キューブリックを介すことなく、創作上の障害を緩和する措置として独断でベルソンとコンタクトをとったと仮定すれば、これまでのバックステージと見事に合致することになる。
 また、キューブリックはアレックス・ノースが作曲したオリジナル・スコアを劇中に使用せず、既成のクラシック曲を用いたことからも、ヴィジョンの急遽変更も可能性としては大いにあり得ると考えて差し支えはない。これらを統合すれば、ベルソンの公言も大いに真実味を帯びてくる。
 
 なにより、これらを踏まえてなお「ベルソンの狂言」だと断定したところで、『サマディ』という作品の完成度が、全てを一蹴してしまうのだ。

★幻の再現
  〜『ライトスタッフ』に見る夢〜

 『サマディ』を発表し、『2001年宇宙の旅』が公開された後もベルソンは映像作家としてマイペースな個人製作を続け、ビデオプロジェクター映像などのエレメントを融合した新たな作品展開に着手、『ワールド』('70)や『チャクラ』('72)、『ライト』('73)といった連作を発表し続けるが、その先鋭的な諸作の何点かがハリウッドに買われ、『デモン・シード』('77)など商業映画のワン・シークエンスにフッテージが引用されたことで、彼の実験映画人生に大きな変化が訪れる。
 
 そして1983年、ベルソンは『ライトスタッフ』(監督:フィリップ・カウフマン)に【スペシャル・ビジュアル・クリエーションズ】というクレジットで視覚効果を担当する。
『ライトスタッフ』はマーキュリー計画に関与した7人の宇宙パイロットと、音速の壁を破った伝説のテスト・パイロット、チャック・イエーガーを交錯して描くアメリカ宇宙開拓史劇の名作だが、劇中、衛星の軌道上に見える宇宙ボタルのイリュージョンや、フレアがかった地球の遠景ショットなど、彼のオチュール・ポリシー(作家性)が濃厚で極めて印象的な幾つかのヴィジュアル・ショットを提供している。
 ベルソンはこの作品のために『アストロノーツの夢』というテスト短編フィルムを試作するなど、商業映画に対し、人一倍嫌悪を抱いていたとは思えない積極さでプロジェクトに参加している。
 これは『ライトスタッフ』の撮影の大半がサンフランシスコで行なわれ、ベルソンも自分のアトリエを離れることなくプロジェクトに参加できたことも大きな要因だが、監督のフィリップ・カウフマンが、ベルソンをプロジェクトの歯車としてではなく、あくまで彼の作家性を尊重して迎え入れたことが、ベルソンの商業映画アレルギーを緩和したとも言われている。

 『2001年宇宙の旅』との関わりを忌避したベルソンが、同じ宇宙を舞台した商業映画に関与することになろうとは実に因果な話だが、過去幾度も座礁したアブストラクト・シネマの作家と商業映画とのコラボレーションが見事に結実した希有な例として、また、キューブリックがベルソンに望んだであろうイメージの断片をスクリーンに再現した作品として、『ライトスタッフ』はそのドラマティカルな作劇や主題を差し置いて語られ続けるであろう。

★もしも・・

『2001年宇宙の旅』が製作されて30余年の歳月が流れ、後わずか2年後には、映画の時代設定とシンクロしようとする現在。
 実世界がキューブリックの思い描いたヴィジョンに未だ及ばないのみならず、映画というワクに視点を限っても、2001年のサイエンス・テクノロジー図像を描いた視覚効果のクオリティに比肩する作品は見受けられない。

 だが皮肉なことに、製作当時としては最も先鋭的で最新の視覚効果技術を用いて撮影されたスターゲイト・コリドーのシークエンスは、映像表現手段として著しく手垢にまみれ、古典的エクスプレッションの領域に押しやられた感がある。スリット・スキャンという撮影手法も、今やCGという簡易で応用性に満ちたツールによって完全に駆逐されてしまったようだ。

 ジョーダン・ベルソンは1987年に製作したショート・フィルム『Thought Forms』を最後に作品を発表しておらず、氏の存在は既にレトロスペクティヴとして捉えられている。
 そして、スタンリー・キューブリックはベルソンが最後の作品を発表した同じ年に『フルメタル・ジャケット』を発表、その後はベルソンと同様に長きの沈黙を守っていたが、1999年の今年、12年ぶりに新作『アイズ ワイド シャット』を監督し、そのロードショー公開を待たずして同年3月7日、自らスターゲイトの彼方へと旅立ってしまった。

 既に「歴史的傑作」として揺るぎない評価を得ている作品に対し、「もしも・・・」というフィルターを介して話をするのはいささかも野暮な気がするが、もしも、もしもあのときベルソンの生み出す視覚イメージが、キューブリックのヴィジュアル・センスを幇助していたなら、『2001年宇宙の旅』を発火点として、キューブリックもベルソンもまた別の・・・

 いや、仮定に思いを駆せるのはそのくらいにしておこう。最初に述べた如く、そのような状況の果てに至る軋轢のドラマもまた、映画というメディアの醍醐味なのだから。





(初出誌 フットワーク出版『ザ・キューブリック』1999年2月刊行)





●参考文献●

"THE MAKING OF KUBRICK'S 2001"JEROME AGEL(451-J7139-195 FILM SERIES)
CINEFEX14"The Right Stuff/Brainstorm/Twilight Zone"
American Cinematographer Dec 1981 "LAPIS:THE FIRST MOTION COMTOROL MOVIE"
American Cinematographer Nov 1983"Capturing The Right Stuff"
"2001 FILMING THE FUTURE" PIERS BIZONY
The Criterion Collection"2001: a Space Odyssey" CAV LaserDisc
「日本実験映画40年史」(イメージフォーラム:刊)
月刊イメージフォーラム1994年4月号「アブストラクト映像と幻覚」
"Walt Disney's Fantasia" John Culuhane  …他







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