スティーブン・スピルバーグの革命的ウォー・ムービー『プライベート・ライアン』(98年)は、その後に製作された戦争映画のビジュアルをことごとく変えてしまった。本稿は、あの映画の影響下にあるそれら作品を“プライベート・ライアン症候群”と呼称し、なかでもその症状が最も重く作品に顕れているりドリー・スコットと、彼の作品『ブラックホーク ダウン』を、その症例報告として記したものである。
■総計1時間28分、地獄のノンストップ戦闘シーン
恐らくは誰もが『G.I.ジェーン』の二の舞いを予想しただろう。
しかし、まさかこんなことになろうとは……。
1993年の米特殊部隊によるソマリア侵攻作戦。わずか30分で終わるはずの捕獲計画が、ブラックホークヘリの墜落によって15時間に及ぶ救出銃撃戦へと突入。そんな血と惨劇のウルトラ地獄を再現した軍事アクション『ブラックホーク ダウン』は、どう控えめに言っても“映画史上最大のヴァイオレンス”としか称することのできない作品だ。
スクリーン上で展開される光景は、常に誰かが撃ってるか撃たれてるか、そしてあるいは死んでるか。豪雨のように薬莢がバラバラ乱れ降り、RPGをモロに食らって四散する兵士や、気が付いたら半身失ってる兵士など枚挙にいとまがない。そのビジュアルは恐ろしく残忍で凄惨、クルエルな腐臭を放っている。暴徒と化すソマリア民はまるで早送り100倍速の『ゾンビ』状態だし、いや、とにかくひでぇのなんの。
そして恐ろしいことに、この地獄絵図がほぼ全編にわたって続くのである。
2時間25分のランニング・タイムのうち、導入部36分を経過したあたりから映画は戦闘開始となり、その後は約1時間28分に及ぶ残酷ビックリショー。まぁ実際の作戦行動をクロノジカルに描けば必然的な展開だと思うが、あまりにも戦闘シーンに時間を割きすぎたために、ドラマとして完全に破綻寸前の状態だ。ノンストップ・バトル構成は戦争映画ファンなら誰もが夢見たはずなのに、実際に目の当たりにすると、まさに異様きわまりない。
さらに驚くべきことは、それを演出したのがあのリドリー・スコットだという事実である。リドリーといえば、スモークと逆光に彩られた絵画チックなビジュアルスタイルを持つ、オタク御用達ディレクター。だが、ここには宇宙船や近未来や大阪ミナミをレンブラントの油彩のごとく描画する、得意のビジュアル意匠は微塵も見受けられない。もとより残酷描写には作品の隙間から見え隠れするものがあり、それは『ハンニバル』を例に出すまでもなく、『エイリアン』『ブレードランナー』の段階で血の匂いをそこはかとなく漂わせてはいたが。
“秘めたる暴力性”の完全開花……。いったい、何がリドリーを狂気に走らせたのか?
■『プライベート・ライアン』症候群(シンドローム)
答えはこれしかないだろう。スティーブン・スピルバーグの血みどろ第二次大戦映画『プライベート・ライアン』の存在だ。
あの作品が示した数々の戦闘描写は、後の戦争映画のグラフィックを完全に一新させてしまった。ハンドヘルト(手持ち)を主体としたカメラワークや、シャッター45度開角によるカタカタしたストロボ効果。エレクトリックバルブで散らした肉片と血糊をレンズに付着させ、曳光弾をデジタル処理し、そして色彩度を落とすといった表現法。こうしたものが生み出す臨場感に、『スターリングラード』や『パール・ハーバー』、そして『ワンス・アンド・フォーエバー』も侵されてしまったのだ。
とりわけリドリーは、そんな『ライアン』症候群の重症患者といえよう。スピルバーグ率いるドリームワークス製作による監督作『グラディエーター』では、『ライアン』戦闘シーンの優れたフィジカル・エフェクトを指揮したニール・コーボールドを起用し、ゲルマニアの戦いを古代版オマハビーチにしてしまった。今回の『ブラックホーク ダウン』でも、コーボールド率いるニール・コーボールド・スペシャルイフェクツ社を参加させ、『ライアン』を超えるリアル残酷描写を追求しているのだ。しかもコーボールド・スペシャルイフェクツ社はTVミニシリーズ『バンド・オブ・ブラザース』を経て、『ライアン』以上にフィジカル・エフェクトの技術に磨きがかかっていた。症状が悪化の一途をたどるのは、まさに必然としかいいようのない状況だったのである。
さらに『ブラックホーク ダウン』はRPG弾など、第二次大戦下とは比べものにならない近代兵器が画面に登場する。ソマリ族や民兵の兵法も前方に敵という明確なものではなく、前後左右を包囲する物量ゲリラ戦だ。クルエルな描写に徹底するのに、これほどうってつけな環境もないじゃないか。
ビジュアル完全主義者、病(やまい)膏肓に入る。米映画撮影監督協会誌『アメリカン・シネマトグラファー』の『グラディエーター』特集号で、リドリーはインタビューに対し、まさに意気揚々と宣言している。
「スティーブンは『プライベート・ライアン』で驚くべき演出をなした。我々はそれに早く追いつかねばならないのだ」
それにしてもリドリーは、そして戦争映画はいったいどこに行ってしまうのやら……。聞けばあの『ウインドトーカーズ』も、戦闘描写をめぐってレイティング問題にまで発展したというではないか。けどそりゃ『ライアン』症候群じゃなくてジョン・ウーだからか。
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(初出誌 洋泉社『映画秘宝』2002年1月号をタイトル改題・補筆)
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