本稿は金子修介監督作品『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年・東宝映画)の公開前、商業誌のトップをきって掲載されたレビュー文である。ゴジラと戦後思想史を語った論考との接点、あるいは怨霊・御霊の神道学的見地を踏まえた、極めて濃度の高い文章だが、特筆すべきは、これが東宝の事前チェックをあっさり通ってしまったこと(笑)。
あれから1年、『ゴジラXメカゴジラ』公開に併せ、金子ゴジラがいかにエキセントリックな“問題作”だったか、今ふたたび思い起こして欲しい。
奇跡が起こってしまった。
怪獣映画の歴史を塗り替える……いやそれどころか、日本映画にその存在を深く刻みつける、とんでもない大、大問題作が生まれてしまったのだ!
平成『ガメラ』シリーズの金子修介監督によるゴジラ映画最新作『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』は、『怪獣総進撃』(68年)とタイトルが近似しているうえに併映が『とっとこハム太郎』なもんだから、ともすりゃ「明るく楽しい怪獣プロレス」とか思われがちだけど、さにあらずだ。顔面蹴り、噛み付き、流血ありの、めくるめくバーリトゥードなデス・バトル。ゴジラを相手に死を覚悟して闘いに挑む三大怪獣の“滅びの美学”は、これぞまさにゴジラ版『ワイルドバンチ』! ほら、バラゴンの顔がどことなくアーネスト・ボーグナインに見えてくるじゃないの(実際似てるんだが)。
「破壊のカタルシス」という点においても、ここまで溜飲が下がる作品はないだろう。シネマスコープを見事に活用し、魚眼レンズまでも導入した大胆なパースペクティブ。爆破のエレメントを幾重にもコンポジットし、すさまじい地獄絵図を作り上げている。
さらには怪獣の蹂躙による人身被害を、映画的比喩ではなく、直接表現でこれでもかと見せつける壮絶さ。踏みつぶされ、放射能に焼かれ、土砂崩れの下敷きになる人間たち。ゴジラに撃墜されたF-7J戦闘機の破壊片が民家を燃やし、病院は瀕死の重傷を負った患者で埋め尽くされ、なかには恐怖のあまり自我を失い、うつむいたままうわ言をくり返してガタガタ震えるだけの若者も……。
だが今回の『大怪獣総攻撃』の恐ろしさは、ビジュアル面で展開されるだけじゃない。
本作のゴジラは、戦争犠牲者たちの“残留思念の集合体”という設定になっている。それを迎え撃つのは、かつて地上の脅威として畏怖され、ヤマト朝廷によってその力を封じられて祀られた地の神バラゴン、海の神モスラ、そして天の神キングギドラ。いわば“怨霊”と“御霊”の戦いなのだ。
この設定のそれぞれにピンと来る人もいるだろう。『ウルトラマン研究序説』を嘲笑するかのように刊行された名著『怪獣学・入門!』(JICC出版局[現:宝島社]発行)だ。
ゴジラが英霊の残留思念であるという設定は、同誌に掲載された赤坂憲雄氏の論考「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?」と同じ主張を放ち、また護国聖獣のネタ元となる御霊信仰は、同じく長山靖生氏の「ゴジラは、何故『南』から来るのか?」の「ゴジラと西郷隆盛伝説」に言及されていることと微妙に重なる。
この本を未読の読者のために説明しておくと、赤坂氏の論旨は
「ゴジラは太平洋戦争で命を散らした兵士たちの化身であり、祖国への恨みを背に東京を蹂躙する。だが皇居だけは踏むことはできず、その霊を鎮める存在であるべき天皇も人間宣言の下に力を失い、報われぬ魂は徘徊と来襲をくり返す」
というもので、長山氏の論旨は
「文明破壊者として生まれながら英雄像を担わされる怪獣ゴジラに、近代破壊者でありながら、死後は大衆に英雄として崇められた西郷隆盛と同じ構造を見い出すことができる」
という内容のものだ。
筆者は東京国際映画祭に向けて仕上げ中の金子修介監督と話をする機会に恵まれたが、監督は今回の映画のモチベーションについてこう答える。
「ゴジラっていうものを辿っていくと、当然それは太平洋戦争、そして原爆につきあたる。それがゴジラのアイデンティティであり、いわば日本の戦後の歴史を背負っているワケで、そんなゴジラが日本を滅ぼそうとしてるんだってところが面白いんじゃないかな」
そう、まさに今回のゴジラは天皇の名のもとに命を捧げ、太平洋戦争で闘った日本兵たちと、その犠牲になって死んでいったアジア人の“怨念”が憑依した、怒れる荒神なのだ。そして……。
「白眼は造形の品田(冬樹)さんから出たアイディアだったかな。やっぱり黒目を入れると、どうしても凶暴なイメージを持ちにくく、感情移入しやすくなっちゃうから、それを徹底排除するために目を白くした」
あの白眼だけの、個体意識のない恐怖の形相がにべもなく語る“狂気”。ゴジラは平和ボケでブヨブヨに腐った日本人を皆殺しにし、日本を滅ぼすためにやってきたのだ!! 今回の作品にやたらと人身被害の描写が多く、怪獣同士の殺し合いがヤケに血生臭いのも頷けるではないか。
さらにはこの国家復讐劇、まるでPKO自衛隊派遣の怨恨を抱えた叛乱者・柘植を描いた『機動警察パトレイバー2 The Movie』(93年)と同じ臭気を感じさせる。同作の監督・押井守と金子監督とは同じ学芸大の先輩後輩であり、『ガメラ2 レギオン襲来』(96年)のミリタリー・パートを押井監督が演出する話も出るくらい、両者の関連性は深い。さらに伊藤和典氏が『パトレイバー2』で自衛隊の存在矛盾を語っていたことを照らし合わせれば、今回の『大怪獣総攻撃』は、彼らの反国家思想の集大成的作品といっていいだろう。
おりしも世間を賑わす、アメリカのテロ問題に伴う我が国の自衛隊派遣と憲法改正問題。それらが『大怪獣総攻撃』における「防衛軍」の存在と確実にオーバーラップすることを金子監督に質問したところ、
「憲法で“自衛隊は軍隊である”っていうふうにすべきだと思うと同時に、憲法で“他国との軍事同盟は結ばない”ってしたほうが僕はいいと思ってるんですよ。同盟国だから派兵する義務があるって話になってるけど、日本は同盟国である必要はないっていうのが僕の意見で、安保条約を破棄してアメリカとの同盟関係を断ち切るべきじゃないのかな。第三国との軍事同盟なんてのはおかしいと思う。こういう(米テロ問題の)状況下で自衛隊派遣がどうこう言うよりも、もっと前に独立した日本を作るべきだったのでは? けど誰も言わないんだよなぁ、それ(笑)」
この発言が今回の『大怪獣総攻撃』の根を支えているといっても過言ではない。ゴジラの脅威と対峙すること、すなわち「外敵から国を護る」という強固なまでの国防意識が、平和憲法の名のもとに武力を有する矛盾への糾弾として強く主張を放つ。その是非はともかく、ゴジラ映画にそこまでの政治的レベルな進言が込められたのも特筆に値するのではないだろうか。
しかしどんな国防意識があろうと、もはや生物ではない、恐ろしい怨念の塊と化したゴジラをいかに葬るのか?
それはただひとつ、「怨霊ゴジラを封じ、神として祀る」という、御霊信仰へと至るに他はないはずだ。モスラ、キングギドラ、バラゴンといった護国聖獣の存在はその先例なのだから。
そして、防衛軍が共闘する聖獣たちに、太平洋戦争が生んだ怨念を諫める要素があるとするなら、それはやはりキングギドラなのだろうか? 天の神とは、すなわち……。
まぁ実際の展開は作品を見ていただくとして、とにかく、このセンセーショナルなゴジラの誕生によって、怪獣映画はひとつの大きな到達点に至ったことは間違いない。
(11月3日、ゴジラ47回目の誕生日に脱稿)
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ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 ●ストーリー● グアム島沖で起こったアメリカ原潜消失事故。探索に向かった潜行艇は、深海に蠢く巨大生物を目撃する。防衛軍准将・立花はゴジラ襲来を予見し、警戒を軍に徹底するよう提示するが。ゴジラの猛威は人々の記憶から薄れ、上層部は近代軍備を過信し、事の重要性を軽んじる いっぽうその頃、立花の娘であり、BS番組『デジタルQ』のスタッフ・由里は、ヤマトの守り神“護国三聖獣”を記す民間伝承『護国聖獣伝記』の存在と 謎の老人・伊佐山(天本英世)に遭遇する。老人は言う、 「ゴジラは太平洋戦争で死んだ者たちの、残留思念の集合体だ。ゴジラは武器では殺せん。“護国三聖獣”を蘇らせねば……」 だが、ついにゴジラが日本へ上陸した。禍々しき形相と、意志のない白眼をもった“荒ぶる神”として……。 監督:金子修介 特殊技術:神谷 誠 音楽:大谷 幸 出演:新山千春 宇崎竜童 小林正寛 佐野史郎 天本英世 他 ビデオ・DVDは東宝ビデオより発売中 |
(初出誌 洋泉社『映画秘宝』2002年1月号)
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