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いい試合したかった…大毅、笑顔なき勝利

 8回、亀田大毅(左)の左フックがブンブン東栄の顔面をとらえる=後楽園ホール
 8回、亀田大毅(左)の左フックがブンブン東栄の顔面をとらえる=後楽園ホール

 「プロボクシング、ノンタイトルSフライ級10回戦」(13日、後楽園ホール)

 WBA世界Sフライ級11位・亀田大毅(20)=亀田=が、WBA世界ミニマム級13位ブンブン東栄(23)=一力=を3-0の判定で下し、復帰後4連勝を果たした。KOは逃したが、世界ランカー対決をパワーで制した。当初対戦する予定だったが、4月13日に滝で事故死した元東洋太平洋フライ級王者の小松則幸さん(享年29)に勝利を捧げた。昨年11月の復帰後4連勝の大毅は、年内にも日本、東洋太平洋王座に挑む。

  ◇  ◇

 試合終了ゴングを聞き、勝利を確認すると大毅は青コーナーに向かって一礼した。その視線の先には小松選手の遺影をかかげたグリーンツダジムの本石昌也マネジャーと小松選手の母マツエさんがいた。そしてブンブン東栄のもとに歩み寄り抱擁すると、右腕を軽く上げてファンの声援に応えた。

 「小松選手のためにもいい試合がしたかったな。申し訳なかった」。試合後の会見でもらしたこの言葉が本音だろう。試合は終始、大毅ペースだったが決定打に欠いた。ただ得意の左ボディーは健在で、8回には右フックからのボディー攻撃で会場を沸かせた。安定感のある危なげない勝利にも納得するまでには至らなかった。

 決して万全の状態ではなかった。4月13日に対戦を予定していた小松選手が合宿中の不慮の事故により死去。当初は試合開催自体が危ぶまれる状況で、次の対戦相手も宙に浮いたままだった。4月28日にようやく東栄に内定。だが東栄は右構えの小松選手と異なるサウスポーだった。

 12日の計量で大毅は言った。「スパーリングは70ラウンドやった」。だが実際はサウスポーとのスパーリングはわずか6ラウンドだけ。スパーリングパートナーを確保できず、スパーリングパートナーを務めたのは兄・興毅だった。ただ亡くなった小松選手のためにも言い訳はしたくはなかった。

 「やっぱりサウスポーは苦手やな。かみ合わなかったな」。素直に試合を振り返った大毅だが「でも20歳の俺やったら、いい試合やったと思う。これから年を取ってボクシングが完成すればええ。今日はほんまにいい勉強になった」と前向きさは忘れなかった。亡き“戦友”に勝利を捧げ、また一歩成長した大毅。年内にも日本、東洋太平洋のベルトを狙いにいく。

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