眠れない夜 |
最近、眠れない日々が続いている。夜、疲れ果てた身体を横にして、目を瞑
る。チッチッチッ・・・。普段は気にならないような時計の音が、気になって
仕方ない。1時間・・・2時間・・・3時間・・・。時は無情に過ぎていく。
気が付けばもう朝だ。全く疲れのとれていない身体を無理に起こし、一日が
始まる。これが毎日のように続く。 ある日、ワインを買ってきて、寝る前に少し飲んでみた。昔は酒を飲むのが 嫌いだった。自分が自分でなくなるような、あの感覚は『死』に等しいような 気がした。今はその感覚を、眠るために利用しなければならない。 明かりを消して、横になる。ワインの効果が現れたのか、時計の音はさほど 気にならない。むしろ、自分の心臓の音のほうが大きく聞こえる。トクトクト ク・・・。音はしだいに大きくなる。暗闇の中で、自分の心臓の音だけが鳴り 響く。その音は、自分が生きている証拠に違いない。 人間というのは不思議なもので、自分が今生きているなんて事は普段は全く 考えていない。皆、当然のような顔をして、生きている。しかし、それは当然 のことではない。自分が生きているということは、非常に奇跡的なことだ。目 を瞑っていると、それがはっきりと分かる。 今まで、何度も死の淵に立ったことがある。そのたびに、生き延びるたびに、 なんだか生まれ変わったような気がした。大きな感動を得たり、様々なこの世 の真理に触れることが出来た。そんな経験を持てた事に今では感謝している。 当然のような顔をして、ただ漠然と生きているだけでは、気づくことのなかっ たろう『生』を実感することが出来たのだから。 ジリリリ・・・! 突然、目覚ましが鳴り出す。結局、眠れたのか眠れなか ったのか、よく分からない。気が付いたらもう朝だ。全く疲れのとれていない 身体を無理に起こし、今日も一日が始まる。 |
たった一人のNGO |
みんなは俺のことを「自分のことしか考えていない」と思っているようだが
そんなことはない。俺はいつだって世界中の人たちの幸せを願っている。いや
むしろこの俺が世界の平和を守っていると言っても過言ではないだろう。みん
なはそのことに気付いてないだけだ。 俺はもう10年以上も前から独自の平和維持活動を行っている。1990年 ドイツが統一したのも、そもそもは俺のおかげだ。1993年にラビン,シモ ン,アラファトの3氏に秘密裏に和平交渉の場を与えたのは何を隠そうこの俺 だ。さらに言えば1997年対人地雷全面禁止条約に121もの国・地域が署 名したのは、なんと言っても俺の尽力によるものであろう。 しかしこの俺の努力も空しく防げなかった事件もいくつかある。1991年 に湾岸戦争が勃発したときは、ちょっと体調を崩して家で寝込んでいたため防 げなかった。1994年のルワンダ内戦ではうっかり寝坊して、難民の救助に 向かったものの大量虐殺は防げなかった。1999年のユーゴ空爆もNATO には長年にわたって「やめちょけ」と言ってきたにもかかわらず実行されてし まった。非常に残念である。 そんな俺が毎年のようにノーベル平和賞の第一候補者にあげられているのは 言うまでもない。しかし俺はいつも受賞を断っている。「その賞を戴くべき人 は他にいます」というのが決り文句だ。しかしある年「あなたしか考えられな い」と強く言われ、困ってしまった。そこで友人の一人アウン・サン・スー・ チーの名前を出したところ、その年(1991年)のノーベル平和賞は彼女が 受賞してしまった。 それからというもの受賞を断るとき必ず「じゃあ誰にすればいいんですか」 と聞かれるようになった。当然、そこで俺が名前を出した人物・団体がノーベ ル平和賞を与えられることになる。今年など、たまたま金大中(キム・デジュ ン)がうちに来ていたとき、その内容の電話がかかってきたので「キムにすれ ば?」と言っただけなのだ。これではノーベル平和賞の受賞者は俺が決めてい るようなものだ。 これだけの功績と実績を持つ俺だが、あまり一般人には知られないようにし ている。有名になると現場ではいろいろな不利が出てくるからだ。あまり有名 でない今でさえ、各国から様々な妨害を受けている。だからここに書いてある ことは他言しないようにしてほしい。まあ、この文を読めば俺がいなくなれば 瞬く間に世界が崩壊してしまうことは容易に想像できるだろう。要らぬ心配を したようだ。 さあ、今日もこれからパトロールに行かねばならない。世界の平和を守るた めに・・・。 |
動体視力 |
ある日、何気なくテレビをつけてみると「君の動体視力はどれくらい?」と いうような番組をやっていた。自慢じゃないが、俺の動体視力はかなり良い。 こういう番組は時々やっているが、いつも「一流プロスポーツ選手級」などの 一番良い評価を受ける。その時も「俺の動体視力はイチロー並みだぜ」と思い ながら、テストに挑戦することにした。 「3・・・2・・・1・・・パッ!」テレビ画面に6桁ぐらいの数字が一瞬 だけ浮かぶ。それを正確に読み取ることが出来ればOKだ。自分の書いた数字 と解答とを照らし合わせる。俺は当然、容易に読み取ることが出来た。もう一 度。「3・・・2・・・1・・・パッ!」簡単すぎる。今度も正解だ。よし、 次だ。「3・・・2・・・1・・・パッ!」桁数が増えたが難なくクリアー。 番組のパネラーの中では脱落者が一気に増えた。どうやら次が最後の問題のよ うだ。これに正解すれば俺はサミーソーサに勝るとも劣らない動体視力の持ち 主だと言えよう。俺は食い入るようにブラウン管を見つめた。 「3・・・2・・・1・・・」異変が起きたのはその時だった。「1・・・ ・・・」(あれ?)何だか様子がおかしい。「1・・・・・・」(どうしたん だ?)画面に「1」の文字を映したまま、テレビは完全にフリーズしてしまっ た。(放送事故?)俺はとりあえず他のチャンネルが正常かどうか確かめるた め、リモコンに手を伸ばした。するとその瞬間、画面がチカチカと点滅し始め たではないか。(一体何だ?)わけもわからず呆然と見ていると、今度は画面 が走査線状にバラけてしまった。画面上を走査線に沿って小さな粒が走ってい るのが辛うじて見える。そして、その粒の速度は次第に遅くなり、ついには止 まってしまった。 ここまでくると流石に俺も大体の状況を察することができた。つまりは、こ ういうことだ。俺の動体視力はかなり良い。そして、それを証明しようとする あまり、ついつい目に力を入れ過ぎてしまった。するとどうだろう、俺の目は 人間の限界を超えてしまい、光さえも止まって見えるほどの動体視力を身につ けてしまった、というワケだ。これなら納得がいく。 まだ昼間だというのに、辺りはほとんど真っ暗だ。それもそのはず、今の俺 には光の粒子一つ一つの動きがはっきりと見えている。窓から入ってきた光の 粒はゆっくりと部屋の中を直進していき、やがて障害物に当たると、まるで線 香花火のように煌めきながら散ってしまう。それら光の粒は、当たった場所に 僅かな明かりを灯していき、いつもの見慣れた六畳間に、この世のものとは思 えないほど美しく、幻想的な風景を創り出していくのだった。 俺はしばらくその光景に見惚れていたものの、ふと我に返った。このままじ ゃいけない。どうすればこの状況から抜け出せるのか、考えてみたが全く分か らない。思いついた事といえば「とりあえず目を瞑る」ということだけだ。し かし、それもなかなか、うまくはいかない。俺の瞼はピクリともしない。なに せ、普段まばたきするのに0.4秒かからないとしても、その間に光は10万 キロメートルは進む。光の速度からすれば、人間のまばたきするスピードなど 全然遅いのだ。それでも俺は必死に抵抗し続けた。何とかして目を瞑らなきゃ いけない。そう確信した俺は、自分の持てる全ての力を目に集結させた。 永遠とも思える程の長い時間を俺は感じた。いつしか俺の目は瞼の裏側を映 していた。しんと静まり返っていたはずの部屋も雑音を取り戻していた。テレ ビから笑い声が聞こえる。俺はそっと目をひらいた。最後の問題、パネラーの 中に正解者はいなかったのか、皆一様に悔しがっている。その様を見ると、な ぜか笑いが込み上げてきた。「動体視力が良すぎるってのも困りもんだぜ?」 彼らに語りかけるようにそう呟くと、俺はテレビを消した。 |
幸せ |
アニキが結婚した。 俺にとっては、ヤツが結婚しようがどうしようがどうでもいいことだ。 結婚するって聞いたときも「ふーん」って感じで、本当にどうでもいい から、「あ、そう」としか答えられなかった。「おめでとう」とか「お 幸せに」とかうわべだけでも言ってやればよかったんだろうけど、ヤツ に対してそんな気遣いをしてやる義理も無いし、他人の幸せってやつを 祝ってやるほど心に余裕も無いのだろう。 結婚式には出るか出まいか迷った。このクソ忙しいときに一日二日休ん で行くほどの価値があるのだろうか。母親からは「来い」って散々言わ れたけど、本人は「どっちでもいい」って感じだったから、俺はあんま り行く気にはならなかった。 数日後、アニキから手書きの封書が届いた。開けてみると、日にちと時 間と場所だけが書いてある。アイツらしいと思った。 式の前日に実家に帰ることにした。運悪くその日は台風最接近の日で、 朝から暴風雨が続いていた。そこで夕方、雨が止んだのを見計らって出 発することにした。しかし、また運の悪いことに、出発直前に自転車が パンクしていることが判明した。しかたなく、一番近い自転車屋まで押 して行ったが、なんとその自転車屋はちょうど前の日に店を閉めたばか りだった。閉店を告げる紙切れだけがピラピラと風に揺れていた。 雨がまた降り出した。 「こんなことはよくある。人生なんてこんなもんさ。」と思いながら、 風雨の中をひたすら駅まで歩いた。横殴りの風のおかげで、5分も経た ないうちに、腰から下はずぶ濡れ状態になっていた。 やっとのことで駅にたどり着いたが、案の定、台風の影響で列車のダイ ヤは乱れまくっていた。「一時間以上遅れています」なんていう、すで に何の意味も持たない電光掲示板の文字が虚しく光っていた。疲れきっ ていたが、「一時間以上」遅れた列車を待っている人たちで、駅のベン チは満杯だ。しかたなく俺はずぶ濡れのズボンで、湿ったアスファルト の上に座り込んだ。 そもそもここまでして行く必要があるのだろうか。 あの手紙には「来い」とも「来るな」とも書いてなかった。つまりは 「好きにしろ」ってことで、俺は最初から行くつもりは無かったはず だ。そもそもなんであんな奴のために俺がこんなに苦労しなきゃならん のだ。あの変にニヤケた顔を思い出すだけで腹が立つ。嘘つきで、強情 で、見栄っぱりで、かっこつけてて、虚弱体質の単細胞。だいたい、押 してばっかりで引くことを知らんような奴だ。もうちょっと頭を使え! このアホが!
フゥ・・・ 30分ほどして電車が来た。各駅停車だ。快速に乗るつもりだったんだ が、まあいい。明日まで、まだ時間はたっぷりある。のんびり行こう。 翌日、昨日が嘘だったかのように晴天に恵まれた。結婚式は滞りなく終 わった。義姉になる人は兄貴よりも背が高かった。キリスト教徒でもな い兄が、教会の牧師様の前で愛を誓っている姿は、なんだか滑稽に見え て、 笑えた。 お幸せに。 |
ひきこもり |
ひきこもり人口が増加しているそうだ。 かくいう私も、あんまり外に出かけるのは好きではないので、常時「プチひき こもり」状態である。「家では何してるの?」などと友人に聞かれるが、この 質問をされると困ってしまう。なぜなら、自分が家で何をしているのか、自分 でも分からないのだ。 私が家に帰ってまずすることは、パソコンの電源を入れることである。そして、 ご飯を食べたり、本を読んだり、テレビを見たりするのである。ありふれた日 常。しかし、私に家では何をしているのかを訊ねてくる人は、その程度の答え では満足しない。「お前ならもっとすごいことをやってるはずだ」と食い下が ってくるのである。そう言われると、そんな気もする。きっと私は自分では気 が付かないうちに、家で「すごいこと」をしているにちがいない。 例えば、私は家では「クマと格闘している」というのはどうだろうか。もしこ れを無意識のうちにやっているとしたら、私は超一流の格闘センスを持ってい ることになる。なぜなら、家の中にはろくな武器も無く、素手で戦うしかない。 それにもかかわらず、私の体にはクマにやられたような傷跡は一つも残ってい ないのである。一撃の反撃も許さず、クマを素手で倒すというのは、かなりの 使い手でなければ不可能であろう。私の格闘センスは相当なものである。しか し、倒したクマの死体はどこへいったのだろうか。私は家の中でクマの死体を 見かけたことは無い。ひょっとすると、私は「スペシウム光線」に似た技を持 っているのかもしれない。 私は家では「ヘビのように脱皮している」というのはどうだろうか。そういえ ば、朝起きたときに体中がかゆいことがある。日焼けしたあと、皮のむけたと ころがかゆいのと同じように、体中がかゆいのは、脱皮したという証拠ではな いだろうか。しかし、脱皮した後の皮はどうなったのかという疑問が残る。皮 が枕元にでも転がっているというのなら、自分が脱皮していることに確信を持 てるのだが、私は今までそのようなものを見たことは無い。ひょっとすると、 一夜にして微生物が分解してしまうのかもしれない。私の家にはノミやダニと いった小さな生物がたくさんいるので、きっとそうだろう。 私は家では「大統領の護衛をしている」というのはどうだろうか。私が家でく つろいでいると、ボブというエージェントから電話がかかってくる。仕事の依 頼だ。私は自分でも気づかないうちにボディーガードとしての名を馳せ、つい には大統領の護衛を任されるようになっていたのだ。ボブから依頼内容を受け た私は、黒いスーツ、黒いネクタイ、黒のサングラスで身を固め、免許は持っ ていないので、主に電車とバスを乗り継いで現場に向かう。命の危険を伴う仕 事だ。もし大統領が銃で狙われることがあれば、身を挺して護らなければなら ない。私はいつも愛する妻と子供の写真の入ったロケットを胸に忍ばせている。 これがあれば、銃で撃たれたとき、銃弾はこのロケットに当たり、奇跡的に助 かることになっているのだ。しかし、よく考えてみると、私には妻も子供もい ないのではなかったろうか。そういえば、この家で私以外の人間を見たことは ない。いや、ひょっとすると彼女たちに危険が及ばないように別居しているだ けかもしれない。誰にもばれないように、私自身さえ、別居先を知らないだけ なのだ。ただ、もう一つ疑問が残るのは、いまだかつて私の家に、ボブなどと いう男から電話がかかってきたことがないということだ。これはおそらく「自 宅待機」ということなのだろう。 私は家ではこんなことばっかり考えてます。 |
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